IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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終戦、そして帰路へ

 

「ふぅ……」

 

 

 ブルー・ティアーズのシールドエネルギーが切れたことで俺の勝ちが確定したわけだが、戦いがすでに終わったというのに、アリーナ内は異様なまでの静けさに包まれている。大半はオルコットの勝ちを信じて疑わなかっただろう、だが俺がその思想を覆した。

 

オルコットは攻撃を受けて気を失い、救護班の手によって保健室へ運ばれていった。シールドバリアを貫いて本体に攻撃が当たってしまったのかどうかは分からないが、少なくとも俺の攻撃で、オルコットが気を失ったのは事実。許してくれるかどうかは別として、謝っておかないとな。

 

俺はその様子を見届けた後、ピット内へと戻ってきた。帰ってきた俺を一番最初に出迎えてくれたのは千冬さんだった。

 

 

「……代表候補生に勝ったことは褒めてやろう」

 

「ありがとうございます」

 

「だが、相手を仕留めるのに時間がかかり過ぎだ。無駄が多すぎる」

 

「うぐっ……その通りです」

 

「初めに食らった一撃も、防げた一撃だったろう?」

 

「はい。言い返す言葉もありません」

 

 

 開口一番に、滅多に相手を褒めることのない千冬さんが初めて褒めてくれたと思ったら、世の中そんな上手く行くわけがなく、きっちりとムチも飛んできた。ピット内で打鉄を展開したまま批評を受けている。分かっていたことだけど、いざ面と向かって言われると凹む。

 

オルコットを仕留めるのにいつまでお遊びをしているのかということ、一夏の時に散々オルコットの戦い方を見ていたのに決着をつけるのが遅いと。

正直、慎重になり過ぎていた感はある。でもオルコットに油断をさせるには戦いを長引かせるしかなかったわけで、まだ何か隠し玉を持っているかもしれない相手においそれと突っ込むわけにもいかなかった。

 

オルコットはオルコットでイギリスの代表候補生なわけだし、相応の実力は持ち合わせている。千冬さんからすれば迅速に相手を無力化するのが理想なんだろうけど、ISに乗ってまだ時間も経っていない自分からすれば相手がどういうタイプかを把握しなければ不安になる。

 

勝てば官軍なんて言葉があるけど、ISに関してはそれでいい訳ではないらしい。

 

指導を受けている俺を尻目に一夏も篠ノ之も我関せずといった感じだ。まぁ、今この状態で千冬さんに声をかける勇気はないだろうな。かけたらかけたで無言の威圧をされておしまいだろうし。

 

 

「まぁいい。これからの成長に期待させてもらおう」

 

「はい、頑張ります」

 

 

 批評が終わったところでようやく打鉄を解除する。上から見下されるのも威圧感あるけど、下から見上げられるのもそれはそれで怖いな、だって千冬さんだし。批評を終えて戻っていく千冬さんの後を俺も付いて行く。

話しかけやすい雰囲気が戻り、先ほどまでだんまりだった一夏が俺に声をかけてきた。

 

 

「やっぱすごいな! オルコットに勝っちまうなんて!」

 

「おう、一夏。約束はきっちりと守ったぜ」

 

 

 一夏の口から出てきたのは勝ったことに対する賞賛だった。形はどうであれ、とりあえず勝ったことには俺も素直に喜びたい。接近戦に持ち込んでからは、相手に攻撃する隙を与えずに、一気にたたみ込んで決着をつけるという、自分の思い描いた戦い方が出来たと思う。

オルコット自身も近接装備を持ち合わせてはいたが、普段は全く練習していないんだろう。はじめの攻撃こそ防いだものの、残りの攻撃を防ぐことは出来ていなかった。倍返しというわけではないが、きっちりとやり返すことは出来たんじゃないだろうか。

 

絶対に勝つという口約束を守ることも出来たし、次にISを動かす時までには今回以上にレベルアップできるように精進したい。

 

 

「まさに有言実行。さすがだな」

 

「あそこまで啖呵切ったら負けるわけにもいかないしな。勝ててよかったよ」

 

 

篠ノ之からもお褒めの言葉をもらったが、実際は結構手一杯だった。ISを何度も動かしているわけじゃないから、攻撃を組み立てるのにも苦労したし。

 

 

「でも本当にお前二回目かよ? とても二回目の動きには見えなかったぜ?」

 

「そこは火事場の馬鹿力ってやつさ。俺も無我夢中だったしな」

 

「凄かったよなぁ! レーザーを叩ききったところとか」

 

「あぁ。普通だったらかわすところをあえて踏み込んでいくとは……霧夜の戦い方は私たちにとっても勉強になる」

 

 

 一夏と篠ノ之は、あれやこれやと俺に対する賞賛の言葉ばかりを口々に言い合う。褒めてくれるのはうれしいがそこまで褒められると、何かムズムズとした複雑な感じだ。ついさっき千冬さんにまだまだ未熟者だと言われたばかりだから余計に。

 

俺も褒められるために戦ったわけじゃない。今自分がISを動かしてどこまでいけるのかということを知りたかった。

何回も言うようだけど、あくまで勝ったというのはおまけに過ぎない。最後は半分ごり押しだ、もちろんレーザーを切ったのも切れるかもと思って飛び込んだだけで、確証があったわけではない。接近出来たから良かったものの、接近出来なければ何も出来ずに終わっていた可能性もあった。

 

ひとまず俺とオルコットの対戦も終わり、戦いの反省も終わったことだし、もう今日は寮に帰って休みたい。少し調べることもあるが、とりあえずゆっくりと椅子に腰かけたい、ベッドに横たわりたいというのが本音だった。

 

一応終わりだろうけど、万が一違っていたら恥ずかしいため、俺は千冬さんに次の指示を仰ぐことにした。

 

 

「織斑先生。今日はもう終わりでいいんですよね?」

 

「ああ、今日はもう終わりだ。お前も織斑もゆっくり休めばいい」

 

「了解っす」

 

 

終わりという一言を聞いて一安心、このまま寮に帰って身体を休めることにしよう。とはいえ通常メニューは一通りこなすつもりだし、あくまでゆっくり休むのは夕食の時間まで、まだまだ俺の一日は終わらない。

 

今日はもう終わりだと宣言されたことで一気に気が晴れたのか、一夏はやっと終わったと手をぐっと上に伸ばしながら歩きだし、そんな一夏に篠ノ之はだらしないと言いつつもその後をついていく。

 

こちらはもう完全なオフモードだ、一夏に至ってはもらった教本のことなど天の彼方にまで飛んでいる。

 

そんな二人の後姿を見ながら、山田先生はくすくすと笑みを浮かべ、千冬さんはいつも通り凛とした、でもどこか満足げな表情を浮かべて見送っていた。二人にならって俺もピットを去ろうと一歩踏み出すのだが、ちょうど千冬さんの隣に差し掛かったあたりで不意に声をかけられる。

 

 

「あぁ、いや。ちょっと待て霧夜」

 

「はい?」

 

 

急に呼び止めて一体何だろうか。そのまま歩き去るわけにもいかず、俺はそのまま千冬さんのほうへと向き直る。

千冬さんが俺を呼び止めたことに先を歩いていた一夏がこっちを振り返るが、先に戻っていてくれと言葉で促し、一夏と篠ノ之はピットを去って行った。二人が完全に見えなくなったことを確認し、改めて目を見据える。

 

 

「あの……?」

 

「さっきのオルコットの戦いで、一つ気になったことがあってな……」

 

「はい?」

 

 

気になったこと? 一体何のことだろうか。全く身に覚えがないため、疑問に思いながらも続く言葉を待つ。

 

 

「お前……見えていただろう?」

 

「?」

 

 

言葉の意味が分からず、千冬さんの隣にいる山田先生はただ首をかしげるだけ。この言葉が何を意味するのか、分かるのは俺と質問者の千冬さんだけだろう。

 

『見えていた』

 

その意味深な言葉には様々な意味が込められている。解釈は人それぞれ、十人十色。だから千冬さんの解釈も俺の解釈も、異なっているかもしれない。山田先生に至っては言葉の意味を理解しきれていない、主語が完全に抜けているのだから。

 

一夏と篠ノ之が去ったピットには、俺と千冬さんの言葉が響き渡るだけ。千冬さんが俺に対して質問しているのだから、答えるのは俺だけ。つまり会話しているのはたった二人だけだ。

 

……見えていた、か。

 

その質問に答えるべく俺は少し笑みを浮かべながら口を開いた。

 

 

「さぁ、織斑先生のご想像にお任せしますよ」

 

「……そうか」

 

 

俺の曖昧な答えに対し、千冬さんはただ頷くだけ。ふざけてないで真面目に答えろと怒られるとばかり思っていたが、思わぬ返しに拍子抜けをくらってしまった。俺の答えを千冬さんはどうとらえたのか、それは俺には分からないが、表面上は納得してくれたのかもしれない。

とはいえ、俺から教えられるのはここまで。後は自分で考え、自分で結論を導き出せとしか言えない。その答えが違っていたとしても、俺は答える気はない。

 

 

「引き留めて悪かったな。お前も上がっていいぞ」

 

「はい、失礼します」

 

「あの……お二人とも何を?」

 

「すまないな、山田君。ちょっとした世間話だ」

 

「???」

 

「特に意味はないですよ、山田先生。少し打鉄のことで気になっていたもので」

 

「あ、ISのことでしたか」

 

 

 話に入れず置いてきぼりを食らっていた山田先生だが、ISのことで話をしていたというと、すんなりと納得してくれた。見え見えの嘘で申し訳ないが、あまり人においそれと話せるような内容でもない。

 

話が終わり、改めて二人に頭を下げると、そのままピットを去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピットを後にした俺は、更衣室で着替えを済ませて寮への道を歩いている最中だった。長時間ISを動かしたことに疲れ、しばらく更衣室の椅子に腰かけて休んでいた。

 

休息を挟んでから更衣室から出たわけだが、外に出た時すでに日は落ち始めており、きれいな夕焼けがIS学園全土を照らしている。足元に目を向けると、自分の身体の影が出来ている。一人で歩いているのだから出来ている影は当然一つ、しかしふと気が付くと、俺の影にかなさるようにもう一つの影が出来ていた。

 

俺とて人間だ。分身なんか出来るわけもないし、影だけ二つあるなんていう前代未聞の珍生物ではない。影が二つある人間ってどんな人間だそれ、何があろうとも人間の影は一つしかないっての。

 

くだらないことばかり言っているが、結局のところ行き着くのは誰かが隣にいるってこと。影の正体を確かめるべく、俺は横に振り向いた。

 

 

「お疲れ様、霧夜くん」

 

「ああ、鏡か」

 

 

控え目に声をかけてきたのは鏡だった。

 

アリーナを後にしたのは、終わってから約一時間後。それだけの時間が経っているのだから、クラスメイトをはじめとした観客たちはすでにアリーナを後にしている。というのは事実ではあっても真実ではなかった。

中には帰っていない人間もいるということ、現に俺の隣にいる鏡は帰っていないのだから。左手にスポーツドリンクを持ちながら、それを俺に差し出してくる。わざわざ用意してくれたんだろう、ささやかな気遣いが身に染みる。

 

 

「これ、スポーツドリンク。よかったら……」

 

「おっ、ありがとう! 助かるよ」

 

 

 数時間ほど何も口にしていないから、腹は空き放題だし、喉はからからに渇いていた。スポーツドリンクを手にすると、キャップを開けてほぼ逆さ状態のままで口の中に流し込んでいく。

女の子の前ということで少し自重しようかと思ったが、渇いた喉を潤すという欲望には打ち勝つことができず、ペットボトルの半分くらいを一気に飲み干した。

……当然だけど、全部を一気に飲み干す勇気はない。半分を一気に飲み干す時点でどうかと思うが、全部飲み干すのはさすがにやばい、主に世間体的な意味で。

 

半分飲み干したところでペットボトルの口にキャップを付け直し、持った手を下におろす。体を動かした後のスポーツドリンクってどうしてこうも美味いんだろうな。カサカサしていた口の中が一気に潤って、身体を一気にクールダウンしてくれる。一息ついたところでようやく口を開いた。

 

 

「はー生き返るなぁ。やっぱ身体動かした後は、飲み物がないとな」

 

「良かった、喜んでくれて!」

 

「ああ、マジで助かったよ。気が利くんだな鏡は」

 

「へ? そ、そんなことないよ? 偶々だよ偶々!」

 

「そうなのか? まぁどちらにせよ助かったよ。ありがとう」

 

「う、うん……」

 

 

理由がどうであれ、こちらが助かったことには変わりない。これだけ気が利くんなら将来良い大人の女性になるだろうな。

で、鏡がここにいるってことは、もしかしなくても俺が出てくるまで待っていてくれたことになる。小一時間ずっと待っててくれたとするとそれはそれでちょっと、こちらとしても思うところがあった。

 

何といえばいいのか、うれしいと思う反面恥ずかしいとも思うわけで。オルコットと戦う前にもガラス越しにではあるけど応援をしてもらったし、ここまで尽くしてくれたのを考えると……うん。

 

なんつーか……意識しちまうよな

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 この間は気まず過ぎる……話す話題もない上に、互いがガツガツと行くタイプではないため、下手に沈黙してしまうと会話自体が途切れてしまう。相手を変に意識してしまうと、平凡なことでも聞きづらい。

表面上は平静を取り繕うが、鞄を握る手は冷や汗べたべたで、心拍数も平常時よりも多くなっていた。一方の鏡も手をもじもじさせながら俯いてしまい、時折顔を上に向けてくるが、身長差から生まれる上目遣いという女性専用の兵器が襲ってくる。

 

顔は前を向いたまま、夕焼けに照らされる通学路を二人で並んで、寮に向かって歩いていく。コツコツと地面と靴が擦れ合う音が鳴り響くだけで、俺と鏡の間に会話がないまま時間だけが過ぎ去っていく。

気まずい雰囲気が包む中、この雰囲気を打開しようと先に口を開いて声を出そうとする。

 

 

「「あの……!!」」

 

 

そういう時にかぎってうまくタイミングが折り合わないというもの、この状況打開をしようとしたら互いに同時のタイミングで声を掛け合ってしまう。普通だったらこの行為こそ気まずさを増幅させるというもの、ただこの際気まずさもへったくれもない。だが言葉を続けようとする俺よりも先に、鏡が言葉をつづけた。

 

 

「き、霧夜くん!」

 

「お、おう! 何だ?」

 

「その……お、おめでとう!」

 

「へ?」

 

 

想定外の言葉に思わず間抜けな返事をしてしまった。おめでとう……おめでとうって祝ってくれているってことだよな。俺何か祝われるようなことやったっけか、自分が何かをしたという感覚がないため、どうして言われているのか俺には見当がつかなかった。

 

 

「えっと、おめでとうって?」

 

「オルコットさんに勝ったから、凄いなって思って」

 

「ああ、なるほど。でも大げさだなぁ、そんなに祝われるようなことじゃないだろう?」

 

「ううん、やっぱり候補生に勝つのは凄いことだと思う。霧夜くんは絶対に負けないっていう強い意志をもって戦った。それだけでも十分評価されるけど、実際に戦って勝ったことはそれ以上に誇れることだよ」

 

「うーん……そう、なのか?」

 

「はい♪」

 

「そっか……」

 

 

俺はこの戦いで、少しでも男性に対する考え方が変わる子がいればという思いを込めて戦った。果たして戦った結果がどうなったのか、今すぐに結論を出すことは出来ない。でもこうして鏡のように、戦った姿勢を認めてくれる人もいる。たった一人でもそう思ってくれることが、俺にとっては何よりも嬉しいことだった。

 

後嬉しいことといえば、オルコットと戦う前のあの応援、あれがなかったら勝てていたかどうか分からない。人間は単純なもので、些細な一言が大きく結果を変えることもある。何よりガラス越しの応援というのが、俺にとっては大きな力となってくれた。だから俺も感謝しなければならない。

 

 

「応援もありがとな、あれも間違いなくオルコットに勝てた要因だよ」

 

「え? そ、そんなことないよ。霧夜くんがそれは頑張ったからで……」

 

「頑張るきっかけを与えてくれたのは、紛れもなくあの応援だよ。だから俺にも感謝させて欲しい、本当にありがとう」

 

「あ……はい。どう、いたしまして」

 

 

なるべく笑顔を作りながら、鏡に向かって感謝の言葉を並べる。鏡は少し照れながらもコクッと頷く仕草を見せながら、優しく微笑みかけてくれた。本当にその微笑みは反則だ、こっちまで自然に笑顔になってくる。

 

 

「あと、その……一つだけ気になってたんだけど……」

 

「ん? 何だ?」

 

 

そんな場を和ませる雰囲気とは一転、今度は少し緊張気味な表情を浮かべながら恐る恐る俺の顔を覗き込んできた。

あれ、何か間違ったことしてしまったのか、言葉は選んだつもりだったんだけど。逆に言葉を選びすぎて、変な印象を与えたのか。

深く俺から問い詰めていくわけにはいかないため、続いてくるであろう鏡の言葉を待つ。

 

すると……

 

 

 

 

「……かなぁって」

 

「え?」

 

 

何やら細々とした声で最後の方しか聞き取ることが出来なかった。これだけでは何を言いたいのか分からない。何を言ったのか、もう一回行ってもらえるように促す。

 

 

「あの、鏡? 聞こえないんだけど……」

 

「よ、呼ばないのかなぁって」

 

 

今度返ってきたのは呼ばないのかという言葉、でもこれだけでも何のことなのか分からない。ここに他に誰かを呼ばないのかってことなのか、俺が更衣室を出るまでの時間がかかっているし、俺と帰りたいだとか話したいことがあるのなら待っていると思うんだけど……。

よってこの意味は違うことになる。呼ばないってマジで何のことだ、一夏のことか?

って今さっき人を呼ぶ意味ではないって結論になったんだから、一夏の線はないか……思い出して早々否定して悪い一夏、どこかでくしゃみでもしているとしたら、ほんの出来心なんだ。

 

……なんてバカなことをやっている場合じゃなくてだな、何を呼ばないのかって話だ。

 

 

「ん、何を呼ばないんだ?」

 

「だから、その……霧夜くんって女の子のこと名前で呼ばないのかなぁって」

 

 

名前。英語で言うとネイム、今言っている名前っていうのは自分の名前のことだと思う。

何か話が完全に逸れたけど、急にこの話題に変えたってことは理由があるはず。言われてみれば俺がこの学園に名前で呼ぶ女性はいない、呼ぶとするならプライベート中の千冬さんくらいだ。

 

ただ職務中は間違っても呼べないので、織斑先生と呼んでいる。そう考えると表向きに名前で呼んでいる子は一人もいないことになる。

話を戻すと鏡は女性を名前で呼ばないことが気になった。俺からすれば急に名前で呼んだら失礼じゃないかと思い、皆のことは名字で呼んでいる。

 

―――つまり。

 

 

「えっと……名前、で呼べばいいのか?」

 

 

ということで良いのか。自分では判断がつかないため、この答えに対する解答を待つことに。

 

 

「う、うん。ダメ、かな?」

 

 

正解だったみたいだ。

 

名前で呼ぶのは構わないんだけど、なんでそこで急に顔を赤らめるんですかねぇ。

手をもじもじさせながら、オドオドと不安そうに聞いてくる姿が非常に可愛らしい。それに加えて上目遣いと来たもんだ、女の子のこういう仕草をするところってずるいな。

女の子の不安そうな表情を浮かべるところを見てしまうと、そんな顔をさせたくないと思ってしまうのが男の本能だ。でも相手が女の子だから効果が抜群なだけで、これが男だったらこっちはげんなりして終わる。

 

良く分からないなら想像してみるといい、男が不安そうな顔をしながら低い声で「だめかなぁ?」って言ってくるところを。想像したら後は自己責任だから、俺のせいにするなよ。

 

さっきも言ったように、今まで女の子を名前で呼ぼうとしなかったのは、別に女の子に苦手意識があるわけではなく、気を許した相手でもないのに名前を呼ばれるのは嫌なのではないかと思ったからだ。

そう考えると男との付き合いは楽だと思ってしまう。すぐに名前を呼び合う仲になることも出来るし、同じような馬鹿も出来るし、腹を割った話も出来る。一方で女の子だと気を使う部分もあるし、下手なことを迂闊に言えないから疲れてしまう。

 

自分の名前を大切な人や親友にしか呼ばれたくないって子は、女の子の中にも結構いる。それに恋人でもないのに名前で呼んでもいいかって聞くのもあれだから、ずっと苗字で呼んでいたんだけど……そっか。

 

本人にそう言われたら、苗字で呼ぶのは失礼か。逆に仲良くなればなるほど苗字で呼ばれることを他人行儀って思う子もいるのかもしれないし。

 

でも俺IS学園で女の子を名前で呼ぶって初めてなんだよな……別に名前で呼んでも周りには変な風に思われないよな、これで周りに冷やかされたりしたら泣くぞ俺。

 

意を決するわけではないが、少し咳払いをして声の調子を整えた。告白するわけでもないのに何でここまで緊張しているのか、女の子の名前呼ぶのってこんなに勇気いるものだっけ。ここまで来たら後には引き返せない、腹をくくるとしよう。あくまで名前を呼ぶ、それだけだ。

 

 

 

 

「分かった……ナギ」

 

 

 

普段の自分とはかけ離れた小さな声で、その名前を呟いた。

 

 

「……はぅ」

 

 

ここにBGM流すとしたらあれだ、史上最高の国歌斉唱をした某外国人歌手のヒット曲のサビの部分なんかいいんじゃないか……って馬鹿野郎そんなことするか!

周りに誰もいない中、女の子を名前で呼ぶなんてどんなシチュエーションなんだろうか。満場一致で彼氏彼女の恋人関係と言われること間違いない。

 

ちょっと待て、そう考えると何か急に恥ずかしくなってきた。しかも俺だけ名前で呼ぶなんて明らかに不公平じゃないかこれ。ナギはナギで顔を赤くして俯いているし、どうすればいいのか。名前で呼んだせいで会話が無くなって、寮につくまでこのままじゃさすがに冗談きついぞ。

 

 

「だぁああああ!!!」

 

「え!? き、急にどうしたの?」

 

「俺だけ名前で呼ぶなんて不公平じゃないか? 俺が名前で呼んでもナギが俺の事を苗字で呼んだら意味無いだろう!?」

 

「あの、その……えっと……」

 

「とりあえず、俺のことも名前で呼んでくれると嬉しい。嫌ならまぁ……」

 

「え、えぇ!?」

 

 

せめて恥ずかしいからって断られるならまだしも、嫌だと言われたら本気で凹む自信がある。

 

こんな切り返しをされると思っていなかったのか、ナギは恥ずかしさで顔を赤らめたまま慌てふためく。よく考えなくても別に不公平でも理不尽でも何でもないよな、でも俺だけ恥ずかしい思いをするのは何か許せん。心の奥底でざわめく何かがあるとでも言えばいいのか、言葉にうまく表せない。

 

ナギ自身も自分が言った手前、後には引けない状態にあるみたいだ。両手を両頬に添えながら、どうしようか唸りながら考えている。時折俺の顔を見たかと思えば、すぐに横にそらして考え込むパターンの繰り返しで、一向に進展がない。まさか本当に自分だけ言わせといて、自分が言うのは嫌だっていうオチじゃないよなこれ。

 

あーでもないこーでもないと悩んで数分、ようやく俺の方をナギは見上げた。

 

 

「あ……う、あう……」

 

 

 壊れた機械が何とか動こうとするようなガチガチの動きのまま、声を出そうとするがまるで言葉になっていない。『あ』と『う』の母音の繰り返しで意味が通じず、会話と呼ぶには程遠いものだった。両手を握ったり開いたりしているところを見ると、よほど緊張しているらしい。

元々大人しい女の子みたいだけど、何もそこまで緊張しないでもと思いつつ、その様子をじっと見つめる。

 

そのような繰り返しが続き、数分後。

 

 

「や、大和くん」

 

「な、何か恥ずかしいなこれ。……もし良ければこれからもな?」

 

「う、うん。分かりました」

 

 

何か告白しているみたいな妙な雰囲気になってしまい、互いにぎこちない返し方のなってしまう。

ようやく俺のことを名前で呼んでくれた。ただ肯定はするものの、未だにナギの顔は赤く、話し方もどこかつっかえたままだ。もしかして男性に耐性がないのか。

 

 

「ひょっとして、男性に名前を呼ばれたことがなかったりするのか?」

 

「うん……私ずっと女子校だったから、男の子と関わる機会ってほとんどなかったの」

 

「……」

 

 

 そう言われてしまうと少し強引すぎたかもしれない。男性とあまり関わらない子が、共学とかに通い始めると驚くことは多い。特に男女とのギャップ、今までずっと女性としか関わってこなかったのだから、男性とどうやって関わればいいのか分からない部分もある。

逆に男性もそうだ。今までずっと男子校で生活していて、急に共学に放り込まれれば女性にどう接すればいいのか分からないなんてことはざらにある。IS学園は全学年女性しかいない中、男がただ二人突っ込まれている。女性からしても珍しい光景だし、男の俺や一夏からしても珍しい光景だ。

 

慣れていないことをさせれば、当然抵抗感はある。ナギが男性と関わることがほとんど無かったって言っているわけだし、男性を名前で呼ぶ機会がなかったことぐらい、よく考えてみれば俺にも簡単に分かることだった。

 

やり過ぎたかなと思った複雑な心境が表情に出ていたのか、さっきとは一転してナギは手を広げて、横に振る否定のジェスチャーを取る。

 

 

「や、大和くんが変に気に病む必要はないんだよ? 私は大和くんの名前を呼びたくなかったわけじゃないの」

 

「え?」

 

「苗字で呼んでると何か壁を感じちゃって。だからその……本当は名前で呼べて嬉しいっていうか……」

 

最後の方が声が小さすぎて聞こえなかったけど、ひとまず気にしてないってことでいいのか。壁を感じるって言ってたけど、確かに女の子同士は名前で呼び合う子が多いっていう印象はある。

その印象に当てはめると、関わりが無かった男性でも名字で呼ぶのには少し抵抗があったってことかもしれない。

 

 

「そっか、なら良かったよ」

 

「うん。じゃあこれからも、よろしくお願いします」

 

「あぁ、こちらこそ!」

 

照れくさそうな笑みを浮かべるナギに微笑み返し、俺たちは残された僅かばかりの帰路を戻っていった。


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