「ダメよ大和!! あなたはそっちに行ってはダメッ!!!」
一際大きな声が場に響くと同時に現実世界に呼び戻されると、フルパワーを込めた一撃を直撃する寸前のところで止める。当たったのか当たる寸前だったのかは定かでは無いが、自身の手に衝撃を捉えた感覚が無いため直撃はしていないようだ。
当たったのか当たっていないのかなど目視すれば一目瞭然……だが、どういうわけか今俺の目は何か靄掛かったように正面の視界を上手く確認することが出来なかった。
楯無の後を追い掛けて、そこから千春から聞いた内容が本当に合っているのかを確認して、内容が合っていた上にあまりにも反省の色が見えない態度が頭にきてこの女を一瞬でも自分の手で始末してやろうと思った瞬間から記憶という記憶がハッキリしない。
ただハッキリと言えることは今俺は本気でスコールのことを殺そうとしていた。靄掛かった視界が徐々にクリアになっていく先に映るのは場にへたり込むスコールだった。
そして。
「たて……なし?」
俺の背後、完全に密着する形で胴に手を回して止めようとする楯無の姿があることに気付く。ギュッと力を込めながら、これ以上攻撃をしないようにホールドしていた。ISを展開することなく生身の状態で。俺がISを全展開出来なかったからというのもあるのだろう。
それでもここから先は絶対にやらせないという確固たる信念を楯無から感じることが出来た。
「大和、それ以上はダメっ!」
「だがここでコイツを逃すわけにはっ!」
楯無に言い返すように言葉を返す。
やりすぎてしまったことは否めない。
だがここでコイツを逃す理由など微塵もない。沈静化させておかなければ何をしでかすか分からないし、簡単に
人に対して手をかけるような連中だ。
そんな奴らに掛ける情けなんてない。それでも楯無はこれ以上は駄目だと必死に止める。
「分かる、分かるわ! あなたの気持ちは痛いくらいにね。この女をここで野放しにすることも、組織のせいで人の命が失われたこともあなたにとって到底許せることでもなければ納得が行くものでもないのは百も承知よ!」
「だったら何故っ! この女は何の罪もない人間をっ!」
「だからよ! あなたの怒りは十分に伝わるし分かる! それでも私たちが手を出しちゃいけない部分もあるのよっ!」
「っ!!」
彼女の悲痛なまでの想いが、俺の昂った脳内を少しずつアイスブレイクしていく。頭に登った血液たちが徐々にではあるが引いてくるのが分かった。
罪のない妹を実験台にかけて亡きものとし、兄のプライドを自爆という愚かな選択肢を与え実行させる。そしてもし俺の近くに無関係な人間が多数いたとしたらその被害は計り知れなかった。
あの時もしナギが俺の直ぐ側にいたとしたら、ナギ以外の誰かが近くにいたとしたら。運良く最悪の事態から逃れることが出来たが、もし想定される一番悪い結末になっていたとしたら。
周囲を何とも思わない行動を促したコイツらの罪は重たい。
それでも楯無の言ってることはよく分かった、結局俺は正義の鉄槌を下せる権限を持っている訳では無い。仮にあまりにも過剰に痛めつけるようなことをすれば、法令違反となりその身を拘束される可能性もある。
俺はその行為を、楯無の目の前でやろうとしていた。
駄目なのは分かっている、だがそれ以上に許せなかった。
人が死んで何とも思っていない、自分は無関係だと開き直る態度が。
「私だって同じことをされたら殺したくなるわ! 許せる訳がないものっ!! ……でも彼女たちのしたことを裁くのは私たちではないのよ、私たちが手を出したらこれまでの我慢は全て水の泡になるの」
痛いほどに気持ちは分かると、あくまでこちらの気持ちを尊重しつつも人を殺める可能性のある行為は絶対に駄目だと伝える楯無。
彼女の訴えを聞いている内に先ほどまで自分の心の中に燻っていた黒い感情が薄れて行くのが分かった。
自分で言っていたことじゃないか。
俺たちは誰かを止めるために動くことは出来ても、罪人を裁ける立場では無い。だからこそ私情を挟むことをせずに冷静に仕事を遂行する必要があると。
それを破ってまで俺はスコールを倒そうとしていた、これからのことを考えずに目先の自分の怒りだけを解消するために。
仮に彼女を再起不能レベルにしたところで何かが変わるわけではない、この怒りは鎮まるわけでも誰かが喜ぶわけでもない。
全て自分の欲を一時的に満たすだけの野蛮な行動であり、やっていることは彼女たちがやっていることと何一つ変わらなかった。
「お願いよ、ここは堪えてちょうだい。そんな人殺しのような雰囲気の大和を。そうなってしまった大和を。私、見たくない、見たくないわ……」
「……楯無」
ほのかに背後に感じる温もり、それがじんわりと背中に広がっていく。
俺のために、俺なんかのために泣いてくれているのか。
泣いてでも俺の暴走を止めようとして飛びついてきたのだ。今回は俺に理性があったからこそ止めることが出来たが、もしこれが殺意に飲まれて正常な判断ができなかったとしたら、楯無自身を傷付けていたかもしれない。
リスクを冒してでも自分の身体を張って俺を止めてくれた。
彼女の厚意を、裏切る訳には行かなかった。
「もし大和に何かがあったら私は、皆は……ナギちゃんはどうするの。あなたの刀は人を傷つけたり殺めたりするためにあるものじゃない。大切な人を護るためにあるものよ」
「……」
楯無の言う通りだ。今ここで刀を振り下ろせばスコールを捕まえる、もしくは仕留めることはできる。だがその行動で失うものの代償はどれくらいあるのか。
冷静に考えれば誰もが分かることだ。
右腕から力が抜けていく。ガシャンという音とともに場に握っていた刀が転がった。転がった刀は雲散霧消し、右腕の装甲も半ば強制的に解除される。
リミットブレイクの効力切れ、機体に残っているエネルギー残量が底をついたようだ。眼の前にいるスコールを見ながら何とも言えない感情に包まれる。
一体俺は何のために戦っていたのか、今となってはその理由さえ曖昧に感じてくる。元々は誰かを護るために、同じことを起こさせないために取った行動が、いつの間にか個人感情を晴らすためだけの憂さ晴らしになっていた。
仮にスコールをこの場で仕留めたからと言って誰かが喜ぶわけではない。喜びは無かったとしても新たな悲しみを生むことになる。
俺自身が人を殺めた、または俺自身が大怪我をしたともなれば悲しむ人間はどれだけいるのか。もう俺は一人ではない、本当に守らなければならない大切な人がいる。
残った人間を悲しませてでも、今その力を振るう必要が果たしてあるのか。
そんなもの、ある訳がなかった。
俺の刀は人を傷つけたり殺めたりするためにあるものではない、外からの脅威から大切な人を護るために使うものになる。
スコールへ振るった刀はその理由に微塵も掠ることはない。
自分の気持ちを落ち着けていると、不意に目の前の視線がブレて無気力感が湧き上がってくる。これまでに感じたことのない感覚だが、通常の状態のリミットブレイクの副作用になるのか。前回使用時とは違い、全身に走る鈍痛のようなものはない。
それでも自分の身体ではないような感覚に襲われる。立っている分には問題なさそうだが、無理をすれば倒れかねない。ここで倒れるわけには行かないと近くにある壁に手を付く。
突然身体のバランスを崩したことにびっくりしたのだろう。後から抱き着いていた楯無がその手を離し、俺のすぐ横に移動してきた。
「大和! どうしたのっ!?」
「……いや、大丈夫だ。力を使い過ぎて少し疲れたらしい」
楯無を安心させるようにそう伝える。
これまでは自身の背後にいたことで彼女の表情や仕草を見ることが出来なかったわけだが、横に来てくれたことで視線を横に向ければ今の表情がハッキリと確認することが出来た。
これまでに見たことが無いほどの心配そうな表情。眉は垂れ下がり、赤く宝石のような綺麗な目尻にはうっすらと涙がを浮かべて俺のことをじっと見つめてくる。
……涙を流してでも止める彼女を裏切ることは出来ない。ぐっと自分の中の感情を押し殺し頭の中を整理するとスコールの方へと向き直る。
「……今回は見逃してやる、さっさと行け」
これ以上スコールと戦う大義名分もない。彼女たちのしでかしたことは決して許すことが出来ない行為の数々ではあるが、既に俺はエネルギー切れでISを展開出来ない。
普段生身で戦っている時に使う刀もなく、残念ながらこれ以上戦うのはナンセンス。
相手をダウンさせたとはいっても気体のエネルギーをゼロにしたわけではない。エネルギーが切れた俺とエネルギーは残っているが、スコールの機体の防御を貫き切れなかった楯無。
楯無も機体の最大出力を出せば十分に戦うことが出来るとは言え、ここでさらなる勝負をしてこちらのダメージも増やしたくない。
この状態だったとしてもスコールは抵抗するだろう、そうなるともう戦闘は逃れられない。自分たち以外の周囲のことを考えてもこれ以上無理に戦い続けるにはリスクがありすぎた。
マスク越しで顔全体は見ることが出来ないが、俺からまさかの発言が飛び出して驚いている様子が見て取れる。
「あなた……正気で言っているの? 目の前に殺すほど憎い相手がいるというのに、この機会をミスミス逃すというのかしら。だとしたら随分と甘々な考え方なのね」
確かに甘いと思われるかもしれない、というよりも現実甘いのだろう。
憎き相手をダウンさせて逃すような温情を駆ける理由が無い。
大甘も大甘だ。
今回を逃せばこんな機会二度とあるかどうかも分からない。敵対組織の幹部クラスの人間を捕らえられる機会なんてまずないだろう。それを逃そうとしてる。スコールの言うように正気の沙汰ではない。
ただ、あくまでこれは意図もなく逃すものではない。
「勘違いをするなよ、これは俺からの温情措置だ。仕留めようと思えばいつでも仕留めることなど出来た。逃げられたんじゃない逃がされたと思え」
逃げられたわけじゃない、こちらが温情で彼女を逃がすのだ。申し訳ないが仕留めようと思えばそのチャンスはいくらでもあった。
チャンスを堪えてでも彼女を逃すという決断をしたということを、彼女に知らしめる必要がある。お前は決して俺たちから無事に逃げ切れた訳では無いと。
だが、それはスコール自身が一番良く分かっていることだろう。口ぶりからすると落ち着いているように感じるが、当初の余裕は微塵も感じられなかった。既に彼女自身も悟っているのだろう、今回は逃げ切れたのではなく逃がされたのだと。
それに俺としても今回の一件を許した訳では無い。自分の中で堪えただけだ。次見つけようものなら容赦無く叩く、その意識は変わらない。
それと彼女には一つ、伝えておかなければならないことがある。
「それと、ティオにも一言伝えておけ」
スコールではなくティオへ。
俺からの伝言だ。
「……何かしら」
ISを解除し、その素顔が明らかになる。
初めて見る顔だが浮世離れした美貌であることが分かる。道行く誰もが振り向くような整った顔立ちに、長身でスラッとしたモデル並みの体型。赤基調の派手なスーツに一般的な男性であれば思わず目を引かれる。
目の下に見えるホクロが特徴的だが実際の年齢よりも若く見えるというのが第一印象だった。実年齢はいくつなのだろうか。彼女の話し方や落ち着き方を見ると、見た目以上に年齢を重ねているように感じて見えた。
そんな彼女からは表情こそ変えなくとも、屈辱にまみれた負の感情がヒシヒシと伝わってくる。敵に逃されたというのは本人の中で相当に屈辱的なだったようだ。
「次その顔を見た時は遠慮無く叩き潰す、ってな」
「……まぁ、考えておくわ」
髪を靡かせながらくるりと踵を返すと場から去るスコール。その姿を俺も楯無も追いかけることはしなかった。
何を考えているかイマイチ読み切れない彼女だが、牽制が出来ればそれでいい。もし興味本位でIS学園に喧嘩を売ろうものなら、何倍にもなって返ってくるってな。
それにどんな理由であれ俺が本心から彼女たちやティオを許すつもりはない。悪人に情を割く訳では無いが、スコールは悪人の中でも比較的分別のあるタイプのように見えた。彼女が今回の事件の発端となった人体実験に絡んでいなかったのはあながち間違いではないのかもしれない。
もし本当に分別のあるタイプであればの話だが。
ただ根幹はテロリストであって、そこに対して情状酌量の余地はない。捕まれば相応の処罰が待っているに違いない。次会った時にはそれが最後の戦いになる、容赦はしない。
気付けばスコールは何処かへと消えていた。
「これで良かったか?」
念の為に隣にいる楯無に声を掛ける。俺としては逃すという選択をしたわけだが、彼女から見て認識が合っているのかを確認したかった。
「えぇ、この戦いに大義名分など無いもの。意味も無い戦いを続ける理由なんて無いわ。死者も出てしまっているわけだし、これ以上誰かが犠牲になる可能性がある戦いは辞めてしまったほうがいい……大和は納得出来たのかしら?」
「納得してなかったら今頃自分の個人感情をむき出しにして剣を振るっていたよ。これ以上戦いを続ける理由はない。続けたところで亡くなった人間の無念を晴らせる訳でも、亡くなった人間が戻って来る訳でもない」
もしこれで何故逃したのかと突っ込まれたら目も当てられなかったが、楯無と認識が合っているようで安心した。
納得するも何も我慢をするしか無い。俺一人が怒ったところで何にもならないのだから。それでも自身の恨みの感情に支配され、自分の手でスコールに手を下そうとしたことは反省しなければならない。
本当に情けない限りだ。
そんな俺を命懸けで止めてくれた楯無、彼女がもし側に居なかったら今頃は。楯無が言うように、俺の刀は人を傷つけたり殺めたりするためにあるものじゃない。大切な人を護るためにあるものになる。
自身の信念を改めて気づかせてくれたこと、そして自身がどうなるかも分からないのに身を挺して止めようとしてくれたこと、それは本心から感謝を伝えなければならない。
副作用もそこまで大きなものではなかったため、既に身体は問題ない。改めて楯無の方へと向き直ると、彼女の名前を呼ぶ。
「楯無」
俺の問い掛けに対して顔を見上げた。
何処か不安そうな悲しみが入り混じった瞳、それでも真っ直ぐと俺を見つめてくる。誰しもが認める学園最強の生徒会長、そして対暗部用暗部、更識家の当主。
あらゆる立場をこなし、生徒たちから尊敬され、何でも出来ると言われている彼女だが、実態は俺たちと変わらない人間であって一人の普通の女の子だ。他の人と同じよう喜び、怒り、悲しみ、楽しむ。周囲に見せないだけで色んな感情を持っている。だから弱みだってある。人が怪我すれば心配し悲しむし、堪忍袋の緒が切れたら怒ることだってある。
今回の件でかなり彼女の内心は掻き乱してしまったし、心配をかけてしまった。
だから俺は……。
「えっ……ひゃっ!?」
両手を楯無の両肩に伸ばすと、そっと自分の胸元へと抱き寄せた。突然のことに思わず上擦った声を上げながらも、すっぽりと身体の中に収まる。
ISスーツ越しということもあってあらゆる部位の露出が多い状態だが今の俺にはそんな下心は一切なく、目の前にいる楯無にただひたすら感謝を伝えたかった。
「―――ありがとう」
一言、たった一言ではあるが気持ちを込めて楯無に感謝を伝える。地震に降りかかる危険をそっちのけに人を優先することは決して簡単なことではない。
命をかけてでも止めようとしてくれたことはありがとうの一言で片付けられるものではない。それでも今すぐにでも何か出来ることがあるとするとこれだった。
「やま、と……」
顔を紅潮させて俺の方を見つめてくる楯無の目線は何処か俺の眼に向いているようにも見える。
そうだった、眼帯を取り去っているからいつもは隠している左眼がむき出しの状態になっているんだ。
この目を見れば誰だって驚くし、下手をすれば怖がるかも知れない。ただ特に反応が無いあたり怖がっているわけではないと思っていいのだろうか。
そうこうしていると俺の左眼に楯無は手を伸ばし、優しく指先で左眼のまぶたに触れる。あの時出来た胴体の傷は跡形もなく綺麗サッパリ無くなったにも関わらず、左眼の傷だけは塞がったものの、痕は残ったままになっていた。
気になるのだろう。嫌な感じはしないけどやっぱり触られると少しくすぐったい。
「ん……楯無、怖くないのか?」
「ちょっとびっくりしたけど……全然。この傷も大和が皆を守って出来た傷でしょ? それに左眼は色々あって出てきた偶然の産物だと思うし別に怖いなんて思わないわよ。それに……」
「それに?」
「―――好きな人の眼だもの。怖いなんて思わないし嫌いになるわけがないじゃない。その眼は大和の勲章だと思うわ」
「っ!!」
無垢に微笑む姿に思わず唾を飲み込むと同時に、顔全体が紅潮していくのが分かった。そんなつもりは毛頭無かったはずなのに、目の前にいる楯無の顔が今は誰よりも可愛く見えてしまう。
彼女も自分の想いを俺にぶつけて来ただけであり、いつもと違う対応をしているわけではない。
だがそっと胸元に手を置いて俺の両眼をしっかりと見つめながら、嘘偽りない想いをぶつけて来る健気な姿に、一気に引き込まれてしまった。
この感覚何か何処かで感じたことあるぞ。
確か俺とナギが付き合う前に……。
「あの、大和? どうしたの?」
「え……うわああああっ!!?」
顔を覗き込まれた瞬間、顔どころか全身の温度が一気に上がり、居ても立っても居られなくなって楯無から勢い良く距離を取った。
胸が締め付けられるようなこの感覚は間違いなく、ナギと付き合う前に俺がナギに対して抱いていた感情も寸分の狂いもなく一致する。ドキドキと胸の高鳴りが止まらない、少しでも楯無の顔を見ようものなら気が気でなくなる。
つまり俺は楯無のことを。
「大和ってそんなキャラだっけ? 急にどうしたの、キャラが安定しないわね」
「い、いや! その……なんだ……まぁ怖いって思われてなくて良かった。ありがとう」
このままではボロが出続けるだけだと判断し、無理矢理話題を変えた。
「? 変な大和ね。まぁでも私もその眼を見たら理由くらいは知りたいかも。もし大和が良かったら今度話してほしいな」
「あ、あぁ……それくらいなら別に」
ほとんどの人間に明かしたことのないセンシティブな内容であるにも関わらず、それくらいと言い切ってしまうあたり大分感覚が麻痺しているらしい。
「よろしくね。後は……っと」
「へ……ななななた、楯無!? き、急に何を!」
再び俺との距離を一気に詰めてきたかと思うと、俺の上半身目掛けて飛び込んで来た。
ただでさえ今楯無のことを意識してしまっているのだ、飛びつかれた瞬間に再び全身の温度が高騰していくのがよく分かる。足から頭まで一気に体温が上がっていくと、思考回路がままならなくなる。
こんなタイミングで言うのもアレだが、やはり女の子は何よりも良い香りがしてくる。鼻腔を燻る楯無の香りが正常な判断を鈍らせるが抱きついてきた本人から溢れてきた言葉は意外なものだった。
「……怖かった」
「え?」
俺の聞き違いだろうか、普段の楯無からはかけ離れた弱々しい声。そこで改めて俺は現実を理解すると共に、先ほどまで高騰していた体温が一気に下がっていく。
ふと抱き締める楯無の身体がほのかに震えていることに気付いた。
「怖かった。大和が何処かへ行ってしまうんじゃないかって。もしかしたら二度と私たちの元へ戻ってこないんじゃないかって」
「楯無……」
「大和があんな表情するなんて初めてだったし、あのままもしスコールに手を掛けていたらって思うと本当に怖かった」
「……ごめん」
「本当よ。凄く心配したんだから」
抱き着く力がより一層強くなる。
心配をしないわけがない、怖くなかったわけがない。
結果誰も俺は傷付けることは無かったが、楯無には心の傷を作ってしまった。例え理由がどうであっても人を傷付けていいわけがない。ましてや自身のリミッターを解除した手加減なしの一撃をスコールに加えようとしている。
彼女の言うようにもし手を出していたら俺も奴らと同様の存在になっていた。それを未然に防いでくれたのは楯無だ。本当に心配を掛けてしまったし怖い思いをさせてしまったと、償いの意味を込めて彼女の頭を優しく撫でる。
「ん……頭を撫でたって、しばらく根に持ってやるんだから」
「ホントにごめん」
何を言われようとも今の俺には謝ることと、楯無の不安を少しでも解消するために寄り添うことくらいしか出来ることがなかった。
手でゆっくりと楯無の頭を何度も何度も撫でる。
「……バカ、短気、女たらし、シスコン、性◯異◯」
「……」
続けて出てくるのは思いついたばかりであろう悪口の数々。
一方的な楯無からの口撃になっているが今の楯無に俺が言い返すことは出来なかった。いつもなら速攻で突っ込んでいるところだったが真摯に受け止めていく。
彼女の口から発せられる言葉の数々を黙って聞く。
ただし普段の俺だったら言い返してくる内容なのに言い返さないことが少し不満だったようで、少しムスッとした表情で俺の方を見つめてくる。
「……何で言い返さないの?」
「いや、今日の俺だとどれだけ言われても仕方ないなって思って。何を言われようとも受け入れようと思ってた」
「うっ……そんなこと言われたらもう何も言えないじゃない」
「いや、好きに言えば良いよ。楯無には散々迷惑を掛けてきたわけだから」
「……そうは言っても大和の悪口なんて本心から言えるわけないじゃないの!」
何と言えばいいのやら、悪口を言おうとする楯無でさえも愛おしく見えてしまう。
普段から悪口をあまり言い慣れていないために言えるわけがないと、胸をポカポカと殴るが力を込めてないため全く痛くはなかった。
からかい半分で軽口を叩くことはあれど、本心から人の悪口を言うことはない。それは楯無の優しさ以外の何物でもない。
今、俺に投げ掛けてきた悪口もとりあえず言葉を羅列してみたは良いものの、全くと言っていいほど情がこもっていない棒読みだった故に俺へのダメージはほぼゼロに等しかった。
ムスッとしたまま俺の顔を楯無は見上げてくる。こんな時に不謹慎だけど、やっぱり楯無って。
「あ、あの……もしかして私お邪魔だったかな……?」
「へ?」
「え?」
不意に背後から聞こえてくる声に自分の中にある不純な感情が一気に消え去る。
二人揃って間の抜けた声を上げてしまったわけだが、聞き覚えのある声に、声の聞こえた方向へと顔を向ける。
すると何処か気まずそうな、申し訳無さそうな表情を浮かべたナギの姿がそこにあった。
どうやってここを探り当てたのかは別として、一体何処から話を聞いていたのだろうか。
ナギの姿を見ると俺よりも早く楯無がぱっと離れて俺と距離を取る。流石に人に見られるのは恥ずかしいのだろう。顔を赤くしながら何処となく抗議の目線を送ってくるがこれに関しては俺は何もやっていない。
たまたまナギがタイミングよくいただけであって、謀ったわけではない。二人だけの会話を聞かれたことに対する恥ずかしさが楯無の中で勝っているんだろう。
「な、ナギ? どうしてここが?」
「その、実は大和くんを探してて。控え室にも居ないしアリーナの外にも出てないってことだったから、色んなところを探し回ってたんだけど……た、たまたま立ち入り禁止エリアの方から物音が聞こえて来てつい……」
念の為確認はしてみたが、ある程度想像通りの回答が返ってきた。
ここは立ち入り禁止エリアということで、通路に鎖が掛かって通行しないように明示されている。
禁止の標識が書いてある故に普通なら立ち入ろうとする人間は居ない。
が、それは状況によって左右される。
ナギの口ぶりからレースが終わった後に選手たちの控え室に訪れたことが分かる。で、本来いるはずの俺の姿がない。多分室内の誰かに何処に行ったかを聞いているだろうけど、こっそりと場を抜け出しているせいで何処に行ったかを把握している人間は皆無。
離席をする時は誰かしらに理由を伝えるもの、理由も伝えずに何処かに行ったともなれば事情を知る人間からすれば何かあったと思うのは無理もなかった。
ナギの性格上、必ず俺のことを探すに決まっている。
アリーナ内を探し回っている間に通常、人が立ち入ることのない禁止区域から物音が聞こえたともなれば、確認しようと思うのは人間の性だ。
恐らく物音というのは戦闘時に発生する音のことだろう。物音とぼかして言ってはいるものの、実際は中々に大きな音、本来なら聞こえるはずのないような音が聞こえてきたんだろう。
「そ、そうか。ちなみにいつからそこにいたんだ?」
「え? あ、あの、そのぅ……」
随分と気まずそうに、言いづらそうにしていた。
俺と楯無を交互に見るあたり、多分見られてほしく無いタイミング……つまりはほぼ楯無が俺を止めようとした最初の頃から来ていたのではないかと勝手に推察している。
「その……楯無さんが『ダメよ大和』って言ったあたりからかな?」
「うぅ〜……」
「おう……ものの見事にほぼ全部だな。ただあの状況で表に出られるわけでもないし、影から見るしか出来ないのは仕方ないか」
予想通り、楯無が俺を止めようとした時から全ての光景を見られてしまっていたらしい。
スコールを追い返すまでは別としてそれ以降の光景を見られてしまったことに、楯無は耳まで赤くして俯いてしまった。
「何か……ごめんね?」
「あぁ、いや。ナギが謝ることはないさ。むしろ俺の方こそ色々と心配かけてしまって申し訳なかった」
「あ、ううん! 私は全然! やっといつもの大和くんに戻ってくれて良かった」
「え?」
「レース前の大和くん、口調とかいつも通りなんだけど表情がずっと強張っていたしいつもの優しい雰囲気じゃなくて何処か殺伐とした感じだったから……」
改めて俺の顔を見ながらホッとした表情をナギは浮かべる。
前日の一件からずっと気を張り詰めていたせいで、それが自分が気付かない内に雰囲気として現れてしまっていたようだった。
なるべく自分の本心を出すまいと気をつけてはいたものの、やはり普段から近くにいるナギの目は誤魔化すことが出来なかった。レースに出る前から俺の異変にはとっくに気が付いていたのだろう。
「そうか。本当にごめんな」
「いいよ、私は全く気にしてないから。いつもの大和くんに戻ってくれて本当に良かった」
いつも通りに戻ってくれて良かったとナギは優しい笑みを浮かべる。
ぐっと惹きつけられるほどの裏のない屈託な微笑みに、心の奥底に眠る闇が全て浄化されていくようだった。
少し時間が経ったことで少し落ち着いたのか、楯無が声を掛けてくる。
「こほん……じゃあ話を総括するわね。今回大和がした行動全てを褒めるわけじゃないけど、全てがマイナスに働いている訳じゃないわ。本来亡国機業が企てていた計画を未然に防ぐことが出来たし、相手の幹部であるスコールに精神的な痛手を負わすことが出来たし、その取り巻きは逮捕することが出来た」
自分本位の行動は決して許されるわけではない。それでも全部がマイナスに働いている訳ではないと言う。
スコールは結果逃がすことにしたが、彼女の取り巻きの操縦者たちは捕まえることに成功した。今どこまで調査が進んでいるのかは分からないけど、取り調べ含めて諸々実施している段階だろう。
実働部隊の中でも末端の存在になるだろうし、組織の重要情報など対して知らないだろうが奪われていた訓練機は二機とも回収出来ているしマイナスにはなっていない。
「取り巻きから得られる情報なんて微々たるものだろうけど、結果としてこれで亡国機業は二回連続で作戦に失敗したことになるの。大和の行動のおかげで守られたものも沢山ある。だから自分だけを責めないこと……いい?」
自分の行動が間違っていたことは明らか、それでも行動をしたことで守れたものだってあると諭すように伝える。
人生の先輩のような一言。
もちろん生まれたのは楯無の方が先であり人生の先輩であることに間違いないのだが、普段のキャラややり取りのせいでその定義が色々と崩れてしまっていた。
それでも改めてこう言ってもらえると凄く救われるものがある。本当に楯無と出会えてよかったと、心から思えた。
「あぁ、分かった」
「ん、よろしい。じゃあそろそろ戻りましょうか、皆の元へ。三年生のレースも終わったことだし、もう少ししたら表彰式始まっちゃうから」
「ん、表彰式?」
「大和くんレースで二位になったじゃない。だから織斑くんと、デュノアさんの三人で表彰台に立つことになってるはずだよ」
「あ〜……そうだったな」
皆の元へと戻ろうとした時に楯無の口から出る表彰式の単語。それに続けるようにナギが補足説明をしてくれた訳だが、完全に存在を忘れていた。
一応、一年生の専用機持ちたちとのレースで二位になっている。ちなみに一位は一夏、三位はシャルロットだ。最後の最後まで一夏に追いすがったが、
最初に盛大な妨害にあったことを踏まえると比較的健闘したとは思っているが負けは負けだ、そこは素直に悔しいと同時に一夏の成長を感じることか出来て嬉しかった部分もある。
「何か大和、あまり嬉しそうじゃないわね。実力者揃いの一年生の中で準優勝なんだから十分誇っていいと思うわよ?」
「いや、そんなことはないよ。稼働時間が少ない中二位に滑り込めたのは普通に嬉しいんだけど、やっぱり出場するからには優勝したかったなって少し悔しいだけさ」
多少なりとも勝ち切れなかった悔しさはある。
ただその分一夏の力が上回ったということで、自身の実力が不足していただけだ。
来年、再来年と順調に行けばキャノンボール・ファストは残り二回行われることになる。そこで負けないように、勝てるように……自身を磨いていくしか無い。
下を向いている暇はない。
「さ、戻ろう。皆のところへ」
考えなければならないことは山積みだ。
でも今は……皆の所に戻るとしよう。
先日のことは時間を掛けて少しずつ、自分の中で整理していけば良い。
俺のことを守ってくれた二人を裏切らないためにも、前を向いて進んでいく。