「俺はお前であり、お前は光、俺は闇……コインの表裏のような関係に変わりはない」
「……何?」
俺の目の前に立つもう一人の俺。相対するように、水の上に立っている。見た目は髪色が銀髪であることを除き、寸分の違いもなく俺と同じ容姿だ。
なこの世界の奴らを許せとでも
目を空けた先に映ったのは
その前まで何をやっていたのかイマイチ思い出せない。状況を把握できないまま、目の前にいるもう一人の俺に視線を向ける。
ムカつくことに口調こそ違うものの、声質も完全に俺そのものになる。鏡以外で自分の生き写しを見ると妙な気分……いや、ここまで強い不快感に襲われるのか。
見た目こそ俺と同じでも中身が違うことに強い嫌悪感を覚える。
実際に相対するのはいつぶりだろうか、夏休みの……あぁ、思い出した、シャルロットとラウラがアルバイトしていたレストランで邂逅して以来か。
「だが、根幹は同じだ。分かるか?」
「分かるも何も生い立ちが同じだからな。そこからの育ちが別々なだけで、同じ境遇を味わった事実には変わらないだろう?」
「ふん……だったら話が早い。こっち側にこい」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すのかと思えば、奴の所属する組織への勧誘だった。
口元を少しニヤリと歪める以外は至って普通の表情をしており、それ以外の感情は何一つない。話が本気なのかどうかもよく分からないが、奴にとっては敵である俺に声を掛けてくる時点で多少なりとも本気の部分があるようだ。
「……断る。残念ながら俺は新しい世界の想像なんてものは興味無くてな。お前側につく理由が見当たらん」
「ふ、ふふ……」
「?」
「ふはっ、ふははははっ!!」
何がおかしいのか突然笑い出す姿に違和感を覚えた。
まるでこの回答は予想していましたと言わんばかりの反応に、俺自身が誘導された気分になる。
「予想通りだ、やっぱりお前は
そちら側の世界。
表と裏の世界で言い表すとするのなら『表』の世界になるのだろう。
に対して誘い込もうとしているのは『裏』の世界。一般的な日常とはかけ離れた世界、そしてほとんどの人間が決して望むことのない暗く深い闇が続く、血塗られた世界。
何事もなく平穏無事に暮らすことができる表世界と違って、常に命の駆け引きが行われている裏世界。表の人間が足を踏み入れようなら、生きていられる時間はほんの僅か。
理不尽という言葉がまかり通る、圧倒的に力ある者のみしか生き残ることは出来ない。
その世界に、こいつは俺のことを引き込もうとしているのか。
だとしたら、笑い草だ。
「染まるも何も、俺は別にそちらの世界で生き残「かつて……お前も恨んでいたのだろう?」……何?」
いきなり核心を突かれたかのように背筋がピンと張る。
恨んでいた、とは何を指すのか。
俺にとって恨みうる存在、それを具現化するとするのであれば。
「この存在を生み出した人間たちを、生きることすらままならないあの理不尽な世界を、人として扱ってもらえなかった過去を」
俺の言葉を代弁するかのようにツラツラと理由を述べていく。
俺は通常の出産で産まれてきた人間ではない。研究に研究を重ね、試験管ベイビーとして人の手によって
忠実に命令だけを遂行する人間兵器として、自分たちの欲望のために生み出された存在。自分たちの存在理由など、兵器として生きる以外に存在しなかった。
それ以外に生きる目的さえ無い。
役に立たないとなれば拷問に近い仕打ちを受けるだってある。人間の形をした化け物として扱われ、一人の人間として向き合ってくれることなんて一度もなかった。
そんな俺たちをゴミのように扱っていた
こいつの言う通り、俺は恨んでいた。
「お前は許せるのか?」
「……」
許したつもりはない。
今とて
既に研究所は破壊されて当時の証跡は何一つ残っておらず、足取りの一つも追うことが出来ない故に、復讐をしようにも探しようがない以上どうしようもなかった。
……だが、もうこの期に及んで復讐をしようとは思ってすらいない、復讐したところで自分の感情が整理されるわけでも無ければ、失った過去の時間が戻って来ることもない。
人類の理だ。
何をしても過去の事象を巻き戻すことも取り返すことも出来ない。
「それがまかり通るのか?」
まかり通るわけが無いだろう。
もし法律で裁くことができるのであれば極刑を免れることすら出来ないはず。
「この世界の奴らを許せとでも?」
許せるのか?
……これはあいつの恨み辛み?
それとも俺の心の奥底に眠る闇?
俺が心を許したきっかけを作ってくれたのは他でもない千尋姉で、それ以外の人間を直接許したわけではない……?
「……」
いや、違う。
相手の雰囲気に飲まれるな。
俺やこいつが酷い目にあったのは紛れもない事実であり、真実だ。
少なからずこの世の理不尽に絶望して周囲の人間……主に大人は全て敵だと認識していた過去もある。あれだけの仕打ちを受けただけでなく、丸裸で貧困街に叩き出されて命まで狙われた事実を無かったことになど出来るはずがなかった。
千尋姉と出会った時だって、今更裏切られたって痛めつけられたって変わらないと半ばやけくそ気味について行った記憶がある。脳の中枢機能もだいぶ弱ってたのか当時の記憶が断片的ではっきりとは覚えていないものの、これからの未来に希望なんてものは抱いていなかった。
「確かに許せるわけないわな。俺たちが過去受けてきた仕打ちを考えれば、全ての人間を許すことが出来ないのは事実さ」
でも差し伸ばした手を握りしめ、何日も風呂に入っていないボロボロに汚れた身体を何の抵抗感も無く抱き締めてくれた姿を見て、全ての大人が敵ではないかもしれないと思わせてくれた。
人間の全てが敵ではないのかもしれない。
少なくともこの人だけは裏切らないのかもしれない。
凍りきった自分の感情を動かしたこの人なら。
暗い闇から解放された光り輝く新たな世界を見せてくれるかもしれない。
「だがそれは、この世に存在する
俺には
だから。
「―――俺がお前たちに付くなんて万が一もあり得ないね」
「……」
この世界を創り変えようとしている側に肩入れするなんて万が一もあり得ない。
俺は周りの大切な存在を。
命懸けでも護っていくと誓ったのだから。
「ふふっ、ふはっ、ふははははっ!!! そうか、そうなんだな。どうあがいてもこっち側に来ることは無いってことか」
「あぁ」
「くくっ、ならば簡単だ。お前の描くその幸せな日常を俺は壊すまでだ……首を洗って待っているんだな、その青臭い信念が巨大な力の前では如何に無力かと言うことを骨の髄から教えてやる」
そこで俺の視界は暗転した。
「……」
すぅっと顔に差す眩しさに重たかった瞼が少しずつ開いていく。
カーテンの隙間から入ってくる光は朝の到来を知らせてくれていた。清々しい快晴の朝のはずなのに、気分がブルーに染まっているのは今しがた見ていた夢による影響だろう。
あぁ、そうだった。
俺は寝てたのか。
「夢?」
思わずそう口ずさんでしまうほど、夢としては嫌に生々しい夢だったように見える。
自分の心の中に入られたような、正直言葉で言い表そうとしても上手く説明が出来ないものだった。
本当にあれは夢だったのか。
俺そっくりの男はもう居ない。近くに居るなら話は別だが、俺が寝ているのは自分の部屋のベッドだ。そう簡単にこの部屋に忍び込めるようなセキュリティではないはずだしいる訳がない。
この部屋に誰かが立ち寄った形跡もないことから、少なくとも俺が寝てから起きるまでの間は誰も部屋に侵入をしてはないはず。
にも関わらず直近まで近くにいたのではないか、と思わせてしまうほどに嫌な夢である事実は変わりない。もう一度見たい夢かと言われたら、ノーと答える。
「ふぅ……全く、どんな夢だ。夢越しに人の核心に迫ってくるとか勘弁願いたい」
折角の睡眠が台無しだ。
はぁと一息付いて身体をムクリと起こすと両手を天井にぐっと伸ばして身体の血流を良くする。
嫌な夢ではあったものの、不思議と疲れと眠気は無かった。
それ以上にこれから可能性の一つとしてあり得る驚異の襲撃に一段と身が引き締まる。
ここはIS学園。
有事の際は専用機持ちが対応に当たることもある。
IS同士のぶつかり合い、強大な力のぶつかり合いは生死と隣り合わせの危険な仕事だ。
いつ自分が生命の危機に犯されるかなんて想像出来ない。
「……」
ベッドから立ち上がってしまっているカーテンを勢いよく引く。カーテンを開けた先にあるのは、雲一つない快晴の空だった。この空のように自分の心が晴れやかになれば良いのだが、そうも言っている余裕はない。
俺とそっくりなあの男。
ちゃんと話したことがない故に真意も分からなければ、あくまで夢の中での話であり、本気で相手が思っていることなのかどうかは不明。
唯一レストランで会いたいした時に二言、三言話を交わしたものの、あれを会話も呼ぶかどうかは甚だ疑問なところだ。
自分と同じ過去の境遇を受け、誰からも救われることもなく生きてきたとするのなら自分以外の全てを悪と認識しても何ら不自然はない。
自分は完全に心が堕ちる前に救われた。
だからこうして今ここにいるし、人類全てに敵意を向けることなんてない。だって全員が全員悪人ではないと教えてもらったから、実感したから。
でも、アイツは?
俺の仮定が正しいとして、誰からも手を差し伸べられることなくこれまで生きてきたとしたら。
生きてきた年月イコール絶望を味わっているんだ。
かつては純粋な心を持っていたとしても、それが歪んでしまうことは十分にあり得る。
アイツが俺と同じ遺伝子強化試験体だというところまでは分かっている以上、夢の中でぶちまけられた思想を持っている可能性は否定出来ない……どころか高い、はずだ。
廃棄された遺伝子強化試験体たち。
個体ごとのその後は一切の足取りを追えていない。
残り何体の個体がいるのか、そして何体がこの世を去っているのか。
資料の一つも残っていないこの現状では足取りを追うことすら不可能だ。
もしその個体が一箇所に集まったと仮定して全員が一斉に動き出したとしたら、取り返しがつかなくなる。
一人だけで小国を揺るがす戦闘力を秘めている存在、だが戦うことにだけリソースを割かれた個体は決定的に一つの能力が劣っている。
一般常識。
通常では当たり前とされている法律やルール、それすらも守ることが出来ない個体も複数体いるはず。
つまり自制が利かない。
リーダーと認識した人間の命令は忠実に実行するし、善悪の区別など一切持たない。人を傷つけたり殺すことに何の抵抗も持たない存在を世に解放してしまったら……。
想像するだけで寒気がする。
だがこれは何の根拠もない俺の推察に過ぎない。
考え過ぎと言われたらそれまでだ。
「……考え過ぎで終わってくれたら良いんだがな」
―――その未来は。
「いやぁ、黛先輩! 今日は来てくれてありがとうございます!」
「言っておくけど私は高いわよ〜? 独占インタビュー……ううん、デート一回ってとこかな」
「ええっ!? か、勘弁してくださいよっ!」
簪の機体を完成させるためのピースを集めて行きたい。
一夏がまず考えたのは開発に割くリソースの増加……つまり人員を増やすこと。これまでは簪が全てを考え、構築し、という流れで来ていたものの、先日の飛行テストで一人の限界を感じた一夏は、まずは整備科のエースとも呼べる薫子に声を掛けた。
チョイスとしては決して間違っていない。
楯無も機体を組み上げる際に協力を仰いでいるのだから、既に機体の完成に協力して作業に立ち会ったという実績がある。今回のプロジェクトにはこれ以上ないアサインになるだろう。
付き合うかわりに、一夏とのデート権利を要求してきたわけだが、これに対して一夏もお願いした手前断ることが出来ずに困惑してしまった。
「にしし〜、これは皆に自慢しまくっちゃおうかな」
もしそれが周囲にバレたら、と思うと背筋が凍る。薫子としては至って冗談のつもりなのだが、一夏としてはバレた後の未来が容易に想像出来たことでやめてくださいと口止めをする。
「はーい、はーい! 私も〜おりむーとデートがいいかもー!」
「ちょっ、のほほんさんも!?」
ダボダボの袖を振りながらデートを所望すると本音も言い張る。
まさに両手に花という言い回しが相応しい状況な訳だが、一夏には周りのラヴァーズたちに袋叩きにされるんじゃないかという心配の方が上回ってしまい、たらりと冷や汗を垂らした。
現に複数人とデートした、なんて事実が出回ったら想像が現実に早変わりすることだろう。
「さて、それじゃ追加人員を招集しましょうか。二人じゃ限界があるからね、京子とフィーを呼びましょうか」
聞いたことのない名前を呟いたかと思うと携帯電話を取り出して、おもむろに何処かへと掛け始める。
おそらく名前を出した二人を呼ぶに違いない。だが何の前提もなく、急に招集を掛けたところで手伝って貰えるかは微妙なところで、確実に手伝って貰えるように伝える必要があった。
では、どうするのか。
薫子と本音が言ったように、すぐ近くに格好の餌になる人物がいるのだからそれを利用する手はない。
「あ、もしもし京子? ちょっと機体の構築に協力してもらいたいんだけど……うん、うん、そうそう。え? あぁ、それなら織斑くんとのツーショット写真とかどう? 自費でいいなら学内デートとかも良いけど」
一体何の話をしているのか。
どこぞの◯ストク◯ブでも開業しているのかと勘違いされそうな内容ではあるものの、作業協力の見返りが一夏と呼ばれる鯛なだけであり、依頼としてはちゃんとしたものになる。
一夏も薫子からの提案に首を横に振ることは無かった。
『マジで!?』
電話の先から興奮地味た声が聞こえる。
報酬が想像以上に豪華だったことに驚いているようだ。もちろん何でもしていいというわけではないため、そこは一夏も説明に入る。
「え、えーと……その、か、可能な限りで」
『よし! よおおおおしっ! やる、やってやる! ずっちん、カメラは一番いいのにしてくれよ』
了承を得たことで俄然やる気を出す京子。
ずっちんというあだ名のネーミングセンスが独特過ぎてツッコミたくなる気持ちを抑える一夏。
はいはい、とサバサバとした対応で電話先にいるもう一人の人物に対して薫子は確認を取っていく。
「それと、フィーは?」
フィーと呼ばれた人物が電話先で口を開いた。
『えっとぉ、私はぁ、うわさのマッサージをきぼうしまぁす』
何とも間延びした、かつややカタコトな日本語を喋る声が聞こえてきた。
薫子が声を掛けていることから優秀な人材であることは想像がつくにしても、間延びした声を聞いているとこちらの全身の力が不思議と抜けてしまう。
同じように見返りとして求めるのは一夏、のマッサージだった。
「織斑くん、大丈夫よね?」
「は、はい! それくらいであれば。最近は派遣先の部活動でもたまにやっているので」
「よし! じゃあ皆急いで第二に集合! 遅れたやつはジュースおごりね!」
電話でそう伝えると終話ボタンで通話を切った。
既に電話先の二人を除き全員が第二整備室に集まっているため、実際は遅れもへったくれもない。
電話から数分後、二人が集まり改めて整備作業が始まるのだった。
「織斑くんそこに転がっているケーブル持ってきてー! あっ、全部ね!」
「後こっちに特大レンチと高周波カッター持ってきて」
「うーんにゅ、空中投影ディスプレイが足りないので液晶ディスプレイ持ってきてください〜八個ほど、後は小型発電機も足りないから追加で借りてきてね〜」
次々と作業を進める三人に合わせるかのように、一夏は部材や備品を抱えながら右往左往。
この部材や備品の一つ一つがとにかく重く、汗をかいて荒い呼吸をしながら次々と整備室へと運び込んでくる。ISは人の身長よりも遥かに大きい金属の集合体故に、使う部材の大きさも比例して大きく、そして重たいものになる。
それを固定するために使う機材も、相応に大きく重たいものばかりだった。
故に体力勝負になる。
単純な筋力や体力であれば男性の方に分があるのは明白であり、持ち運び要員として一夏はまさしく適任だ。
そんな中簪は打鉄弐式を纏ったままその場に佇む。必要に応じて新造したパーツを組み込んだ後、すぐに試験稼働をさせるためだからだ。
データチェックの上で軽微な修整で済むものはその場で即座に修整し、稼働上問題があるものに関しては新たに作り直している。これを場にいる数人で回しているのだから、一人一人の技術力は計り知れないものがある。
「織斑くーん! 配線ケーブル追加で三本お願い〜!」
「インパクトのスペアを追加で頼んだ!」
「みゅ〜、低周波装置もよろしく〜」
着々と進んでいく構築作業だが、整備科から飛び交う幾多もの要望に一夏は機材室と整備室の往復を繰り返した。
整備室は一グループだけが独占して利用できる訳では無く、あくまで共同利用になる。
本来は必要になりそうな備品などを事前にある程度持ち込んでおく、というのも方法の一つにはなるが、それを許してしまうと本来別のグループが使おうとしていた場所が備品の保管場所として使われてしまうため、原則必要備品以外の持ち込みは禁止というルールが設けられていた。
「はぁはぁ、ISの開発に俺が携われるなんて思ってはいないけどこの往復は中々にしんどいな……でもやるっきゃねぇ!」
荒ぶる呼吸を整えてもうひと頑張りしようと意気込む一夏だが、更に整備科から要望が飛んでくる。
「こらー! 織斑くん何サボってるの! こっちにレーザーアームちょうだい!」
「後こっちにデータスキャナ! ダーッシュ!」
「こっちにはぁ〜超音波検索装置もおねがいしますねぇ」
「は、はいっ!」
汗だくになりながら再び整備室を飛び出して機材室へと駆け出した。直近はずっとこんな感じであり、これを毎日繰り返していれば体力アップは間違いないだろう。
非効率的と言われるかもしれないが、己の鍛錬のためと割り切るならありかもしれない。
さて、言われた機材を抱えて整備室へと戻る一夏だが、三度オーダーが飛んできた。
「織斑くん! 髪留め直して!」
「織斑! ジュース飲ませろ!」
「お菓子をとってくださぁい〜」
すぐさま言われたことを実行しようとする一夏だったが、ちょっと待てと足が踏みとどまる。
これまではISに関するお願いだったがよくよく聞いてみると全く関係ない私的なお願いが入っているような気が。
「あ、シャンプー切れてるんだった。購買で買っといて! ハーブの匂いのやつね!」
「織斑、この本図書室に返してこい」
「んんー今日の日替わり定食のめにゅーをみてくてくださぁい〜」
気がするじゃなくて完全な私的なお願いだった。
「だああああああああもうっ! あれもこれもどれも全部関係ないでしょうがああああっ!!!」
ISと全く関係ないお願いの数々に一夏は自身のキャラを忘れてこんなもんやってられるかーっ! と言わんばかりに心の底から叫び声を上げる。
普通に考えたらやってられないだろう。
簪の機体を完成させるという名目で作業を手伝っていた中で、機体に関係ないお願い事をされても困ってしまう。
そもそも薫子がお願いをしてきたハーブの匂いのシャンプーについては大まかな指示をされても、IS学園の購買のレパートリーはそこそこな規模を誇っているため見当のつけようがない。
ハーブの匂い、のシャンプーなんて何種類もあるわけで、薫子が使っている種類を聞いた情報で探し当てるには無理があった。
まぁ前提として、ISと関係のない自分たちのプライベートに纏わるお願い故に聞く必要もないわけだが、そこを一度受け止めるのは一夏の優しさだからに違いない。
「あっ、引っ掛からなかった」
「ちっ、賢いやつだ」
「うふぅ、ちょっとしたじょうだんですよぉ」
ケラケラと笑う三人の反応にガックリと肩を落とす一夏。年上の女性はこうも扱いに疲れるものなのかと、ゲンナリしてしまう。普段周囲の女性陣や楯無に掻き回されているから多少なりとも耐性があると思っていたものの、それとこれとは話が別のようだ。
慣れるものではないと、そういうことらしい。
それに加えてずっと整備室と機材室を反復横跳びしているわけで肉体的にも疲れがたまっている中で、今のやり取りをしたことで更に疲れが押し寄せていた。
「……くすっ」
そんな様子を見てひとりくすりと微笑む簪。
普段彼女が心の奥底から笑うなんてことはほとんどないが、目の前で起きている振り回されている姿が微笑ましく見える。少し前までならばただの鬱陶しいやり取りにしか見えなかったかもしれない、だが今はすんなりと受け止めることが出来た。
自分に余裕が出来たのか、確かにそれもある。
だがそれ以上に簪の中で織斑一夏という存在が大きくなっていた。
そのダイヤモンドのような微笑みは、これまで浮かべた表情のどの表情よりも穏やかに見えた。
「春斗、お前はどうしたいんだ?」
篠ノ之束が去った後、二人残された一室で千春は尋ねる。
それは今後の自分たちの身の振りについて。
この世界は楽しいのかと、束は聞いてきた。発言から察するに彼女はこの世の中の現状について疑問を抱いているのだろう。
少なくとも彼女にとって今のこの世界は面白いものではない。それであれば自らの手で変えてしまうのも手ではないかと。
確かに彼女が本気を出せばこの世界のパワーバランスなんてものは簡単に覆る。インフィニット・ストラトス……通称ISの存在がこの全世界のバランスを保っているが、これはいつ崩れてもおかしくないギリギリの塩梅となっている。
もし片方に荷重が乗ればあっという間にそのバランスは崩れる。
そのバランスを容易に崩すことができる存在、篠ノ之束。
彼女の提案に乗るべきなのか、それとも自分たちは自分たちでと断るのか。その相談を春斗と呼ばれた大和と瓜二つの存在に投げ掛けた。
見れば見るほど、同じ存在にしか見えない。
見た目は完全に大和そのものだが、唯一の違いとしては髪が黒ではなく銀色であるということ。髪染めで人工的に染められたものではなく、生まれつきのものだった。
他に細かい違いがあるとするのであれば、その瞳に光が宿っているかどうか。
「どうしたい……とは?」
「ここに留まるか。それとも篠ノ之束について行くかどうするかという話だ」
「……奴との再戦と、同胞とこの世の人類全てへの復讐が出来るのであれば正直どうでもいい」
奴との再戦。
それは紛れもなくもう一人の自分とも言える存在である霧夜大和との戦いのことを示している。
「……復讐、か」
千春は小さく呟くが、春斗は何も答えない。
ただ、窓の外へと視線を向けている。その横顔は大和と瓜二つでありながら大和とは決定的に何かが違っていた。
大和ならこんな言葉を口にすることはない。
自身の目的のために第三者が傷付くことを何よりも嫌う大和、仮に同じ言葉を吐いたとしてもそこに戸惑いであったり、躊躇とも言える感情が混じる。
だが春斗には、その戸惑いがない。
「この世の全ての人間は俺の同胞の存在そのものを否定し、そして捨てた。ならば俺もこの世の全てを否定する、全てを壊す。それだけの話だ」
目には目を歯には歯を。
淡々とした声だった。
そこには激情もなければ、怒りに震えるような感情もない。ただ、春斗にとっては当然の理屈だった。
自分たちの存在を否定した者たち。
自分たちを生み出したくせに、都合が悪くなれば存在そのものを切り捨てた者たち。
同胞を人として扱わず、失敗作だと決めつけ、最初から存在しなかったことにした人間たち。
春斗が憎んでいるのは、その一人や二人ではない。
この世に存在する、人間という種そのものだった。
「……そうか」
千春はそれだけを口にした。
否定もせず、怒鳴りもしせずにただ春斗の横顔をじっと見つめる。
「お前は本当に、一切の例外なく人間全てを憎んでいるんだな」
「くどい……前も同じことを聞いただろう。それ以外にない」
彼の返答に対して、千春は小さく息を吐いた。
春斗がこうなった理由を、彼女は知っている。
自分たちが何者なのか。
なぜ生まれたのか。
何のために造られたのか。
そして……どうして捨てられたのか。
それを知っているからこそ、千春には春斗の憎しみを否定することができなかった。むしろ、その憎しみを抱いてしまうことこそ当然なのだと思っている。
「……なら、答えはもう決まったようなものだ。利用出来るものは全て利用する、その目的の達成のために。篠ノ之束を利用すれば良い」
「……」
「奴が何を考えているのかなんて、今はどうでもいい。私たちと奴の目的が一致している間は手を組めばいいだけだ。残念ながら亡国ももう頭打ちだろう。ここ最近の戦闘結果も芳しくないどころか、生身の人間に負け続けているという状況だからな。それも専用機を持ったトップの実務部隊がこの有様だ」
千春は耳に入ってきた情報を淡々と吐き捨てる。
実働部隊に所属する、オータム、エム、スコール。オータムとエムに関しては大和と千尋に自身のプライドを完全にへし折られる程までに追い詰められ、スコールもISの部分展開状態の大和にあわやの所まで追い詰められていた。
IS学園には生身でISに相対出来る人間が織斑千冬以外にも複数人いるという情報が出回っており、亡国機業内でも迂闊に手を出せなくなったと混乱を招いている。
二人にとって今の亡国機業に身を寄せる理由など無く、返って自分たちの足手まといにしかならない。であれば、自分たちの足枷になる存在など切って捨ててしまえば良いだけだ。
「春斗、お前の目的を叶えるためなら私はいくらでも協力する。だがその上で一つ聞きたい。お前は自分の目的を達成したらどうするつもりなんだ?」
「……」
春斗には二つの目的が存在する。
一つは大和と再戦し、勝つこと。
自身の存在が大和よりも上であると証明させるためだ。
二つ目は自分をこんな目にあわせた全人類への復讐をすること。
春斗は人間そのものに対して一切の信用をしていない。あくまで恨みの対象であり、あくまで利用するだけの価値しかない。
だが彼は唯一、千春の言うことだけは耳を傾ける。
同じ遺伝子強化試験体という境遇からなのか、それとも。
その目的を達成したとして彼は、春斗は、これからどうしていくつもりなのだろう。
二つの目的は彼にとって至上命題になる。
つまりこれ以上ない目的となる。
では、この目的を達成した後は何を生きがいにしていくのか。
「……ない」
「ない?」
「……そんなものはない、さっき言った事が全てだ。そこから先のことなど知ったことでは無いし、考えるようなものではない」
「……」
「俺にとって全人類への復讐は全てだ。のうのうと生きている廃れた人間に俺たちと同じ絶望を。真に強い人間のみが生き残る世界を……その全てを一から作り変える。それが出来るのなら俺が死のうが消えようがもうどうでもいい」
自分の悲願を達成出来るのなら自分の命など惜しくはない。
春斗は更に続ける。
「
顔を千春に向けるとその目をすぅっと細目、これまで見せたことの無い獰猛な笑みを見せる。
そのあまりの恐ろしさに、千春は思わず顔を強ばらせて自身の腕を掴んだ。
狂気に染まる彼の野望を止められるのは。
「―――IS学園はその第一歩だ」
もう、誰も居ないのかもしれない。