IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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ラウラの葛藤

 

 

 

「日直な訳でもないのに荷物運びを手伝わせるなんて、千冬さんも人遣いが荒いよなぁ」

 

 

時は流れて午後。

 

バタバタなランチタイムを終えて残る授業もあと僅かなのだが、そんな時に限ってアンラッキーなことばかり起こる。授業終了後の休み時間のことだ。

 

本来学生にとっては憩いの時間とも呼ばれる休み時間が、何故か教師の雑用を手伝わされる羽目に。完全に名指しで呼ばれるところを見ると、確信犯的なものがあったんじゃないかと思ってしまう。段ボール一杯に入ったプリントを職員室に運ぶだけの簡単な作業……なのだが、如何せん段ボールが重たい。軽い筋トレにも十分使える代物だ。

 

教室の扉を開ける為に一旦荷物を下ろし、数回扉をノックした後に段ボールを抱え直して、職員室の中へと入る。前は入った瞬間に数多くの視線に見つめられていたというのに、皆が慣れたことで俺に対する興味も薄れつつある。今では好奇の視線も数少な、冷静に考えてみれば怖すぎだよな、入った瞬間に職員室にいる教師のほぼ全員が俺の方を振り向くって。

 

一斉に振り向く教師陣、なんて都市伝説が作れるんじゃないか。おー、怖い怖い。

 

さて、今回の目的はボケを決めることではなくて、この段ボールを届けること。えーっと……千冬さんの机は確か。

 

 

「霧夜くん。ご苦労様です」

 

「山田先生。ちふ……じゃなかった。織斑先生ってまだ戻ってきて無いですか?」

 

「織斑先生ですか? つい先程戻ってきたんですけど、外に出ていってしまって……もしかして何か用がありましたか?」

 

「あ、いえ。ただこの荷物をどこに運べば良いのかと思いまして。職員室まで持ってきてくれとは言われたんですけど、職員室のどこに置けば良いかまでは聞いてなかったので……」

 

「それでしたら、私がお預かりしますよ。授業で使ったプリントですよね?」

 

「えぇ。お手数掛けて申し訳ないですが、頼んでも良いですか?」

 

「はい! 何せ私は霧夜くんの副担任ですから!」

 

 

胸を張りながら笑顔で応えてくれる山田先生は教師の鑑だと思う。思わずその欲張りな上半身に目が行きそうになるが、そこを堪えつつ頭を下げる。元々のサイズがあれだから、上半身を張るとよりボリューム感が伝わって来てしまうため、もはやある一種の凶器だろう。

 

町歩く男が何人反応したことやら、加えて見た目も童顔で、実年齢より幼く見える。千冬さんの後輩だから、二十代前半なのは間違いないけど、制服を着れば学生と何ら変わらない。千冬さんが着ても似合わないとは思わないけど、違和感が強いのは否めない。

 

山田先生が生徒に人気なのは、優しいところや教え方が丁寧なだけではなく、同い年に話をしている感じもあるからだろう。気さくに話しかけれるという意味では、大きな武器にもなる。

 

からかわれているのは悪いことではない、やりすぎは良くないけど。たまにやり過ぎて山田先生も怒る時があるし。

 

 

そんな話はさておき、素直に引き継いでくれた山田先生に感謝しよう。

 

 

「すみません、ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 

 

 一礼した後、そのまま身を反転させて職員室から出る。あまり言いたくはないが、好奇の視線が減ったとはいえ、職員室の空気はどうも好きになれない。気が抜けないというか、張り詰めた感じが何とも言えない。

 

職員室から出た後、ふと時計を見て授業まで何分かを確認する。ここまで荷物を持ってくるまでに結構時間を使っているし、あまりオチオチしていられないのも事実。この前トイレに行った時に授業に遅刻しそうで走ったら教師に一喝されたため、それ以来廊下を走ることを控えている。

 

ただトイレに関しては、歩いて戻ったらかなりギリギリになるし、職員室もトイレと同じ方向、ほとんど同じ距離にある。故に歩いていると間に合わない可能性が高い。

 

人目につかない廊下を走るのが一番のセオリーだろう。

 

ってかもしかして俺をパシリに使ったのは、女生徒じゃどうあがいても間に合わないからか……?

 

だとしたらかなりタチが悪い。逆に絶対に間に合わないからかこそ任せないとも考えられるけど。まぁいいや、走るなと言われても今回ばかりは走らないと間に合わなさそうだし、バレないように走れば良い。

 

考えがまとまったところで俺は静かに地面を蹴り、教室に向かって駆け出した。廊下を道なりに直進して初めの曲がり角を右折、そのまま真っ直ぐ走れば中庭を突っ切れる。本来、この中庭を上履きで突っ切ることは禁止。当たり前と言えば当たり前だけど、さすがに時間がない。授業に遅刻するくらいなら、多少校則を破った方がマシだ。

 

初めの曲がり角を注意しながら右折する。人がいることも考えられるし、全力疾走をするわけにはいかない。曲がった後は真っ直ぐ進めば中庭の渡り廊下に出る。そこを突っ切ってしまえば、教室までは一気にショートカットをすることが可能。

 

小走りをしながら中庭へとと差し掛かる。静かにその場を去ろうとすると、どこからか聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

 

「なぜこんなところで教師など!」

 

「やれやれ……」

 

 

先に進もうとしていた足が無意識に止まる。この先の曲がり角に誰かいるんだろう、ごもっとも声の質から判断してボーデヴィッヒと千冬さんの二人か。感情任せに声を荒らげるボーデヴィッヒと、その様子を鬱陶しそうにしながら悪態をつく千冬さん。千冬さんの反応で、このやり取りが一度でないと容易に想像することが出来た。

 

このまま俺が廊下を突っ切れば二人にバレるのは必至、あらぬ誤解を招かれても文句は言えない。そもそも上履きで突っ切ることを禁止されている場所を堂々と通ってきた訳だし、今千冬さんに見付かるわけにはいかない。かといって廊下を引き返す時間など残されている訳もなく、二人がいる場所を通らないことには先に進めない。

 

柱の影に隠れて二人の様子に注意を向ける。

 

 

「何度も言わせるな。私には私の役目がある。それだけだ」

 

「このような極東の地で、何の役目があるというのですか!」

 

 

 よくよく話を聞けば散々な言われようだ。ここまで言われたのはセシリアがまだ高圧的な態度の頃か、もう二度とないだろうと思ってはいたがまさかこんなに早く二度目があるとは。巡り合わせとは怖いもの。

 

話から察するに、今の千冬さんのやっている仕事に対してボーデヴィッヒが不満をぶつけているみたいだ。千冬さんは確かドイツ軍で教官として働いていた時もあったんだっけな。教官として働いていた時と、教師として働いてる今とでは千冬さんのギャップに大きな違いがあるのだろう。

 

強くて凛々しい姿を見ているボーデヴィッヒにとっては、今の千冬さんのやっていることが気に入らない、認めたくない……そう思っているのか。

 

 

「お願いです、教官。我がドイツで再びご指導を。ここではあなたの能力は半分も生かされません」

 

「ほう」

 

 

ボーデヴィッヒの言い分に、千冬さんが短く答える。

 

一言で言うのなら子供のワガママにしか見えない。ここで教鞭をとるくらいなら、ドイツに戻って教官をした方が千冬さんの為になると。千冬さんがボーデヴィッヒの言い分に対してどう思っているかは分からないけど、いい気分はしないはずだ。

 

正当な意見を言っているつもりが、ボーデヴィッヒの私利私欲を満たすためだけの願望になっている。俺が思う以上に、依存度が強い。

 

 

「大体この学園の生徒など、教官が教えるに足る人間ではありません。意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションだと勘違いしている。そのような程度の低いものたちに時間を割くなど、無駄の何以外でもありません!」

 

 

ボーデヴィッヒの一方的な言い分に、目をつぶったまま黙って耳を傾ける千冬さん。言い返す気も湧かないのか、それともまた別の理由があるのか。

 

 

「仮に織斑一夏に思い入れがあったとしても、あやつの存在は教官のために―――」

 

 

一夏の存在を全面否定しようとした矢先の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――そこまでにしておけよ、小娘」

 

 

 刹那、千冬さんとボーデヴィッヒの周りだけがまるで別空間にでもいるように、ガラリと雰囲気が変化する。ビリビリとした張り詰めた空気が一気に充満し、一瞬体が動かなくなる。少し離れている俺でこれだ、目の前にいるボーデヴィッヒは足が完全にすくんでいるかもしれない。

 

一線を越えて不満をぶちまけようとするボーデヴィッヒに、静かな威圧感ある声が響き渡る。あまりの凄みに、一言も発せずにその場に立ち尽くすボーデヴィッヒ。何かを言いたくて言葉が出てこない、考えることが出来ない。まるで金縛りにでもあったかのように、一言も発することが出来なかった。

 

確かにISを一種のファッションのように考えている子だっている。現に、ISスーツのカタログを開いて、どこのモデルにしようか悩んでいる生徒なんてごまんといる。見た目のデザインで選ぶ子、使いやすさで選ぶ子など様々。

 

無理もない、彼女たちは一度も戦場に立ったことがない上に、まともなIS起動を行ったこともない。だからこそ、戦場に立つ恐怖を、ISという兵器を動かす恐怖を知らない。

 

知らないのは決して悪いことじゃない、むしろ戦場を経験している人間の方がレアなくらいだ。軍事経験がある生徒なんて、それこそ全学年を探したところでボーデヴィッヒくらいしかいないだろう。

 

 

ボーデヴィッヒは軍人として、数多くの戦場を渡り歩いてきているからこそ、この学園の体質に不満も出てくる。一瞬の判断が命取りになり、昨日まではあんなに元気だった人間が、次の日には見るも無惨な変わり果てた姿になっているなんてざらにある。

 

彼女のいた世界は、常に命の危機との隣り合わせだ。明日は我が身……厳しい世界を生き抜いてきているからこそ、不満として出てきてしまう部分もある。

 

 

俺も全てを否定する訳じゃない。

 

ただ、今の千冬さんの役目は入学してきた生徒を一人前に育て上げることだ。ここはドイツではない。仮に千冬さんが本当に望んでいたのなら、ドイツ軍に教官として残っていただろう。それでも日本で教師として、教鞭を振るうことを選んだ。

 

これは紛れもない事実だ。

 

 

―――戻ってきてほしい。

 

それはボーデヴィッヒの一個人の願望にすぎず、千冬さんの気持ちではいない。自分がこうしたいから、叶えたいから。そんな簡単に、都合の良いように物事が運ぶのであれば、『理不尽』なんて単語は生まれてこない。

 

 

 

そして威圧の中に含まれる、家族を侮蔑されたことに対する怒り。誰がどう言おうが、自分の一人の弟を必要ないと遠回しに言われて、黙っている家族などいやしない。表情こそ変わりはしないものの、明らかに怒っている。

 

俺がもし千冬さんと同じ立場に立っていたとしたら、自分を抑えられたかどうか危ないところだ。ふと入学したばかりにセシリアに千尋姉をバカにされたことに対し、ブチ切れてしまった時のことを思い出して苦笑いが出てくる。

 

程度に違いはあれど、家族のことを思わない人なんていないと信じている。信じていても中にはものの見事に裏切ってくれるケースもあるけど、そこを気にしたところで仕方がない。

 

一方のボーデヴィッヒは既に下を俯いたまま、顔を上げられずに震えていた。ただ全ては自分のワガママな発言が招いた自業自得、同情する余地などない。

 

 

「人の家族のことに対して介入してくるとは、少し見ない間に随分と偉くなったものだ。十五歳で選ばれた人間気取りとは恐れ入る」

 

「わ、私は……」

 

 

あまりの威圧にボーデヴィッヒの口調が震える。千冬さんに対する恐怖と、見捨てられたくない感情が混ざりあって言い返せないままだ。

 

何も言えなくなったボーデヴィッヒに対し、再度口を開く。

 

 

「まぁいい、一つだけ良いことを教えてやろう。探そうと思えば、いくらでも強い人間はいる。クラスにいる霧夜なんかもその代表例だろう」

 

「わ、私はあんな男に不覚を取ったりなど!」

 

「ふっ、その男に転校初日に手玉に取られたのは誰だ?」

 

「くっ……」

 

 

単純に一夏が殴られそうになったのを防いだだけで、手玉に取ったつもりはなかったんだけどな。悔しそうに声をあげたってことは、手玉に取られたと認識しているってことみたいだ。

 

 

「さて、そろそろ授業が始まるな。さっさと教室に戻れ」

 

「……」

 

 

 千冬さんの声に促されるように足音が遠ざかっていく。何も言わなかったところを見ると、ぐぅの音も出ないほどに言いくるめられたらしい。柱を背もたれにしながら、千冬さんがその場から離れるのを待つ。今出ていったら待っていた意味がないし、通り抜けたらいけない場所を俺が通り抜けてきたことがバレる。授業はギリギリだろうけど、少し待とう。

 

 

「……?」

 

 

千冬さんだってこの後授業があるはず、なのに足音がその場から遠ざかっていかない。

 

おい、このパターンはまさか……。

 

 

「そこの男子。盗み聞きか? 異常性癖は感心しないぞ」

 

 

掛けられた声に思わず背筋が凍る。完全に隠れたつもりだったのに、千冬さんにはバレていたというのか。本来なら上手く誤魔化して逃げたいところだが、そうは問屋が下ろしてくれない。逃げたとしてもすぐに捕まる未来がはっきりと見える。

 

ここまで諦めがつくケースも珍しい。いつまでも隠れていれば授業にも遅刻する。さっさと諦めて姿を出すとしよう。

 

ふぅと一つため息をつきながら、柱の影から出ようとする。

 

 

「な、何でそうなるんだよ! 千冬姉!」

 

 

前に、またもや聞き覚えのある声がその場に響き渡った。千冬さんに対する親しみが最も籠った独特の呼び方、この呼び方をするのはIS学園でただ一人しかいない。進もうとする足を止め、再度柱に隠れ直す。

 

俺も気配を消して隠れてはいたため、まさかバレるとは思っていなかった。もちろん偶々一夏が場に居合わせたたけで、バレたのは俺の方だって可能性もあるけど、もう一度様子を見ることにする。

 

というか一夏、こんなところで公私混同したら……。

 

 

「いってぇ!!」

 

「ここでは織斑先生だ。馬鹿者が」

 

 

案の定、千冬さんに叩かれる音が聞こえた。心地よい乾いた音が鳴り響く。出席簿でここまで良い音が出るんだから、叩きどころを分かっているんだろう。チラリと二人の様子を目視で確認すると、叩かれた頭を押さえながらしゃがみこむ一夏の姿が。反応からして分かる、すげー痛そうだ。

 

 

「……それと、もう一人居るな。出てこい、今なら無罪放免で許してやる」

 

 

一夏に夢中になっている間に、結局俺が隠れていることがバレてしまった。これ以上隠れていてもあれだし、今なら無罪放免って訳だ、隠れている意味がない。観念したように両手をあげながら、千冬さんと一夏の前に出る。

 

 

「流石ですね、織斑先生。バレない自信はあったんですけど」

 

「これくらいならすぐに察知できる。もう少し隠れる術を磨いてみたらどうだ?」

 

「……精進します」

 

 

相変わらず手厳しい意見だ。誉めるところを見たことがないけど、人を誉めたことがあるのか気になるところ。それにこれくらいならって言われても、今の隠密行動には結構自信があったんだけどな。

 

察知されたのはこれで二回目、早々バレるものじゃないとは思うけど、更に精度をあげなければならない。それこそ一般人を基準に来たところで意味がない。折角千冬さんっていう達人がいるわけだし、この人が気付かないくらいにならなければ。

 

 

「や、大和! お前こんなところで何してんだよ?」

 

 

一夏が驚きながら声をかけてくる。普通ならまさか他に聞いている人間がいるとは思わないし、逆に気付けたら千冬さん並みの気配察知能力があることになる。

 

 

「職員室に荷物届けた帰りだ。特に理由はないよ」

 

「ところで織斑と霧夜。今の話をどの辺りから聞いてた?」

 

「俺は何で織斑先生が教師をやってるのかと、問い掛けていたところくらいからですかね」

 

「お、俺もそのくらいです」

 

「ほう、そうか……」

 

 

都合の良いことに俺と一夏の聞き始めたタイミングはほとんど一緒らしい。顔を交互に見ると、微かに笑みを浮かべる。千冬さんの笑みの理由が分からずに、俺と一夏は顔をあわせながら、首をかしげる。

 

 

「織斑先生がボーデヴィッヒに俺の名前を出すとは思いませんでしたよ。ま、認めてくれてることが分かって俺は嬉しいですよ」

 

「ふっ、あれは言葉のあやだ。このくらいで満足されては困る」

 

「手厳しいですね。結構プロの軍人を相手にするのは骨が折れるんですけど……」

 

 

生意気を言うなと釘を刺される。意地でも褒めないのは千冬さんだからだろう。俺も簡単に褒められるとは思ってないし、名前を出してくれるようになっただけでも喜びたいところ。

 

 

「しっかし、ボーデヴィッヒは随分と織斑先生のことを気にかけているみたいですね」

 

「あぁ、正直、あまり褒められたものではないがな」

 

「でもちふ……織斑先生は、どうしてそんなにラウラに気に入られているんですか?」

 

「……まぁ、昔色々あってな。さぁ、お前らもさっさと戻れ。走るな……とは言わん。授業に遅刻だけはしてくれるなよ?」

 

「了解です」

 

「は、はい!」

 

 

 これ以上俺たちをここに引き止めると次の授業に間に合わないと悟り、千冬さんは話を切り上げる。……というよりそもそも次の授業の担当が千冬さんなわけで、遅刻イコール死を意味することになる。

 

それでも走るなと言い切らないところを見ると、走ってもいいから私の授業には遅刻してくれるなよ? と遠回しに伝えているようにも思えた。そうだとしたら尚更遅刻する訳にはいかなくなった。仮に遅刻しようものなら……やめよう、想像すると何故か身震いがしてくる。

 

おかしいな、千冬さんに殴られたことは今までないというのに、自分が出席簿で殴られる未来しか見えない。

 

話を終え、教室に向かって走り出そうとするも一夏はどうにも反応が遅い。ゆっくりしている時間はもうないし、さっさと連れていくために肩を掴んで軽く揺する。

 

 

「おい一夏、早く戻ろうぜ。授業に遅れたくないだろ?」

 

「あ、あぁ」

 

「……? じゃあ織斑先生、また後で」

 

 

体を揺すったことで一夏も我に返り、教室に向かって歩き始める。後に続くように俺も千冬さんに一礼し、その場から立ち去ろうとする。

 

 

 

 

 

 

 

「―――頼んだぞ」

 

 

 立ち去ろうとした瞬間に、後ろから小さな声が聞こえてきた。微かな声ではあるが間違いなく、千冬さんの口から発せられた言葉だった。その言葉に込められた意味は分からないが、何かを意味しているのは分かる。一夏の護衛について念押しをされたのか、それともまた別のことを頼んでいたのか。

 

今の俺には、千冬さんの言葉を理解することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーっと……ここがあれで、絶対防御は……」

 

 

 午後の授業を乗り越え、長い一日を終えた俺は図書室にて課題を片付けていた。机に向かって左側に参考書を広げ、右側に数枚のプリントを広げて、穴埋め部分及び記述式の問題を解いていく。参考書は一冊では足りず、数冊ほど使いながら問題を解いている。本来なら真っ直ぐ寮まで戻れると思っていたのに、とんだ仕打ちだ。

 

帰りのホームルームも終わってさぁ帰ろうと思っていた矢先に、してやったりのドSな表情を浮かべながら俺に手渡された数枚のプリント。渡されたプリントの内容を俺が理解するのには、そう時間は掛からなかった。この後はアリーナで訓練をするつもりだったんだけど、その予定は完全に潰れることに。共に訓練する予定だった面子は心配そうな顔を浮かべていたものの、この件に関してはどう考えても俺が悪い。

 

ナギや布仏には後から行くと伝えてあるけど、果たしていつ行けるのか、分かったもんじゃない。ちなみに気まずい雰囲気はいつの間にか解消されており、普通の受け答えをされて俺の方が拍子抜けを食らった。もちろん、あの時の話題は一切話に出していない。

 

で、終わるのを待ってもらう訳にもいかず先に行かせたけど、案の定、分からない問題に関しては調べざるを得なくて、時間が掛かっている。

 

というよりこの問題の難易度がおかしい、教科書開いて答えが載っていない問題ってどういうことだよこれ。問題に関しては完全に千冬さんがオリジナルで作ったらしく、知らないことに関しては暗号にも等しい。更に追い打ちなのは、まだ授業での取り扱いが無い部分の出題があること。そうなれば基本的に参考書に頼らなければならない。

 

苦痛だ、自業自得とはいえこれは苦痛以外の何者でもない。

 

プリントをやらせる理由が、時間的に厳しかったとはいえ、中庭を上履きで走り抜けたことを見逃すわけにはいかんとのこと。それよりも罰だ何だと言う割に、千冬さんの表情は楽しそうなものだった。

 

幸い、カンニングせずに自力で全部やれって言われるよりましだけど、参考書を使った量と全問正解の状態での提出という条件は十分なくらいタチが悪い。

 

と、愚痴を並べたところで問題が解き終わるわけでもない、目の前から消失するわけでもない。渋々、プリントの問題を解いていく。

 

 

図書室の中には生徒たちが何人かいるが、ほとんどは読書を楽しんでいる。課題を片付けている、もしくは自主学習をしている者はほんの数人だ。俺はこのプリントの他に、クラス全体に課された予習復習も片付けなければならない。

 

後どれくらいの時間が掛かるのだろう、それを考えただけでも気が遠くなる。

 

 

 

 GWも明けて夏真っ盛りと言わんばかりに、この図書室内には冷房が効いている。そのお陰で制服を着ていても十分に涼しい状態が保たれている。ちなみに俺は制服を着ていると堅苦しいから、脱いでるワイシャツの袖を捲っているわけだが、特に寒いとは感じない。

 

あまり暑がることもないし、かといって寒がることもない。割りと便利な体だけど、だから何って話だ。

 

もらったプリントの一番最後の項目を埋め終えて、ようやく一枚が終わった。残るは三枚、ここまで終わらせるのに約三十分、学校が終わったのは三時過ぎだから全部やろうとすると、最低でも五時くらいまでは掛かる。

 

それも全く同じペースで解き続けた場合で、残りのプリントが同じように解けるとは思えないから、時間がずれ込むことは十分に考えられる。むしろずれ込む可能性しか考えられない。

 

そう考えると家に帰ってやるとしても、自分が自由に動ける時間は少ない。はぁ、泣けてくるなここまでくると。とはいっても泣き言を呟いたところで現実は変わらないし、目の前のことに集中しよう。

 

一枚目をファイルの中へ仕舞い、二枚目を取りだして問題と向き合う。静かなものだ、毎日何もなく静かに過ぎてくれれば良いのにと常々思う。

 

 

「何だ今の音? それに急に騒がしくなったような気が……」

 

 

 図書室は室内だけではなく、入出の際も静かに入ってこなければならないのは当たり前である。誰かに言われなくても、雰囲気だとか自分がいつも読書をしている時のことを考えてみればすぐに分かることだ。

 

バタンと固い物体がぶつかり合う音が鳴り響いたかと思えば、今度は慌てて走る足音が室内に響き渡る。こんな放課後に一体何だよと文句の一つを頭の片隅に思い浮かべつつ、再びプリントの方へと目を向ける。

 

気のせいか足音が俺の方に近付いてきている気がするんだけど……。

 

 

「あっ、霧夜くん! よかった、ここにいたんだ!」

 

「あれ、鷹月? って、何でISスーツのまま!?」

 

「そ、そんなことはどうでもいいの! 今大変なことになってて!」

 

 

 私語厳禁な図書室だというのに、血相を抱えながら入って来たのは鷹月だった。余程全力疾走してきたのか、息も絶え絶えになりながら両手を膝の上につき、顔だけをこちらに向けながら、俺が図書室に居たことに安堵の表情を浮かべる。

 

当然、周囲は何事かと一斉にこちらを振り向く。仮に大声を出さなかったとしても、今の鷹月の服装を見れば、あまりにもこの場に不釣り合い過ぎて、誰もが何かあったんだと悟るだろう。今の鷹月の服装は何故かISスーツを着たままなのだ。

 

基本ISスーツで外に出ることはしない。着替えずに出てきたってことは、着替える余裕がないほどの事態に陥っていることになる。ただ事じゃないのを把握し、手に持っているシャーペンを机の上に置き、体を鷹月の方へと向ける。事情が何にしても話を聞かないことにはどうしようもない。

 

 

「とりあえず落ち着け。主語がなくて全く分からないし、簡単で良いから現状を説明してくれ」

 

 

もし鷹月の口から出てくる言葉が俺が一切介入しなくても解決出来ることであれば、教師に任せよう。逆に俺が入ったことで、事態が複雑化したらそれはそれで面倒なことになる。そもそも俺が介入する事自体間違っているんだから。

 

それでも俺を呼びに来たってことは、どこかで俺に関連することが起きていることになる。介入しなくても解決するとは考えにくい。しかし一体何が起こったというのか、誰かが怪我でもしたのだろうか?

 

あまり大袈裟なことになっていなければ良い。

 

 

「い、今第三アリーナでボーデヴィッヒさんが二組の代表候補生とセシリアに模擬戦を仕掛けてて! そ、それで……」

 

 

杞憂が外れてくれればと願えば願うほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナギがその戦闘に巻き込まれたの!」

 

 

嫌な予感は当たる。

 

あぁ、今鷹月何て言ったっけ?

 

確かボーデヴィッヒが二組の代表候補生……要は鈴か。それとセシリアに模擬戦を仕掛けたんだっけか。あいつらのことだ、一夏関連で侮辱され、それにカッとなって挑発に乗ったところだろう。相手は想う気持ちは分からないでもないけど、自分から手を出したら元も子もない。

 

先に手を出したら悪いには悪いけど、同情の余地はある。自分にとって大切な人間をバカにされたことに対して怒れるのだから。

 

……まぁ、今そこに関しては俺にとってまだ深く気にすることじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――最後、鷹月何て言った?

 

俺の聞き間違いじゃなきゃ、ナギが戦闘に巻き込まれたって聞こえたんだけど。どうすればナギが巻き込まれる? 自ら手を出すような子じゃないだろ。

 

 

相手が一夏じゃなければ手を出して良い?

 

相手が一夏じゃなければ巻き込んで良い?

 

 

んなわけあるか、許されるわけがないだろ。例え仕事としての俺が許しても、一個人として霧夜大和がそんな理不尽でふざけたことを許せるわけがない。

 

 

「それで……え?」

 

「悪い鷹月、そこまででいい。残った話は俺から聞いた方がいいだろう」

 

 

席を立ちあがり、荷物をそのままに一目散に図書室を出る。鷹月が他にも言いたそうにしているものの、今は時間だけが惜しい。

 

……何、話くらい後でいくらでも聞くことが出来る。だからこそ現状に時間を割いている暇はないし、そんな余裕もない。

 

 

一回、アイツには根本から分からせた方が良いみたいだ。自分のしていることがどれだけ常識知らずで、自分勝手で、我儘で、人としてふざけた行為なのか。

 

その身を以てきっちりと分からせてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が直々に……だ。


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