IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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揺れ動く心、初めての感情

 

 

 

 

 ベッドを背もたれに言葉を失ったまま俺の方を見つめる姿が目に入る。そこまで驚かせるつもりはなかったけど、自分の予想していた遥か斜め上の答えが返ってくればボーデヴィッヒの反応も無理はないかもしれない。

 

ずっと誰にも話せずに秘密にしていたこと。何故俺が生身の体でIS相手に立ち向かうことが出来たのか、その真実がこれだ。

 

戦うために生み出され、戦いのためだけに生きている試験管ベビー……遺伝子強化試験体。

 

今俺につけられている名前も本当の名前ではなく、全て千尋姉がつけてくれたもの。俺が生まれたのはドイツであるが故に、国籍も日本国籍ではない。

 

そもそも遺伝子強化試験体だから国籍の概念も無いのかもしれない。自分の体のこと知っているのは自分自身だとよく言うが、俺は自分の体のことすら分かっていない。

 

通常の人間よりも遥かに身体能力の高いハイスペックな体だ。テレビで見るような信じられない動きも、すごいと思ったことはない。

 

毎日がつまらない、人間は信じられない。そう思っていたのはいつ頃のことだろう。

 

初めて意識がはっきりした時に目に入ってきたのは両親ではなく、白衣に包まれた研究者たちの姿だった。

 

親の顔も知らずに育てられ、愛情を注がれずに育てられた人間が俺たちだった。だからこそ本当の親子の愛情を知らないし、仲睦まじい親子を見ると羨ましく思う。

 

それでも今は不思議と現状に満足出来ている自分がいる。

 

 

「そんなまさか、お前が……」

 

「何と言われようと事実は変わらない。正真正銘、俺は遺伝子強化試験体だ」

 

 

 信じられないと言った表情を浮かべられるのは予想通り。ボーデヴィッヒの中には様々な感情が渦巻いているんだろうけど、一番引っ掛かる部分に心当たりがある。

 

俺とボーデヴィッヒはドイツにいた頃に会ったことがない。俺はボーデヴィッヒと顔を会わせる前に霧夜家に引き取られたため、俺の存在を知る人間はごくわずか。それでも研究者たちに聞けば何人かは俺のことを知る人間が出てくるだろう。

 

だからこそ、ボーデヴィッヒは俺が強化試験体だったことに大きな驚きを感じているようにも見える。

 

 

「では何故ここにいる? 本当に遺伝子強化試験体だとするなら、お前もドイツ軍に所属しているはず……」

 

「あのままならそうだったかもな。それより先に俺は霧夜家に引き取られた……いや、拾ってくれたって言った方が正しいか」

 

「拾ってくれた……まるで捨てられたみたいな「みたいじゃない、捨てられたんだ」……え?」

 

 

ラウラの言葉に覆い被せるように言葉を続ける。

 

 

研究者達(くず共)にな……」

 

 

 当時のことを思い出そうとすると虫酸が走る。全てを吐き出したいという感情を噛み殺すように、拳を強く握りしめて冷静さを保つ。最も握りこぶしを作っている時点で、冷静かどうかと言われれば冷静とは言えない。

 

自分をゴミ同然の扱いで捨てた研究者たち……いや、人間全てを憎み、恨み、そして何度も頭の中で殺した。

 

元々邪険に、食事すらもまともに与えてもらえずにモルモット同然に扱われていたところへ、追い討ちを掛けるように捨てられた。当時まだ五歳になるかならないかの年齢で、生活する術などあるはずもなく、資金なんて一銭たりともない。

 

捨てられ、その命が尽きる前に俺は拾われた。

 

 

「お前ももしかしたら、聞いたことがあるんじゃないか。強化遺伝子が適合しなかった失敗作がいると」

 

「……その話なら聞いたことがある。通常の遺伝子よりも更に強化した遺伝子を組み込むことで、より強靭な試験体を作るつもりだったらしいが、どれも失敗で実験自体が無かったことになったと……」

 

「……」

 

 

 ボーデヴィッヒも聞いたことがあるんじゃないかと思って聞いてみると、予想通りの答えが返ってきた。

 

この実験には数多くの成功例がある中で、強化遺伝子を組み込むことに失敗し、出来損ないの烙印を押されて捨てられた試験体たちがいる。

 

実験内容は通常の遺伝子よりも更に強化された遺伝子を組み込むことで、より強靭な遺伝子強化試験体を作り出すというもの。単純な話、人知を越えたスペックを持つという仮定の元に研究は進められたが、実際は上手く行かなかった。

 

肉体のベースは通常の人間と全く変わらないのに、そこに想定を遥かに越えた遺伝子を組み込めばどうなることくらい分かるだろう。

 

 例えば自転車に取り付けられているタイヤ。ここに空気を注入するとタイヤ自体が膨張して表面が固くなり、地面を安定して走ることが出来る。逆に空気がなければ表面は柔らかいままで体重を支えることが出来ずにバランスが安定しない。それで道を走ろうとすれば、当然転倒する可能性だってある。

 

では逆に空気を入れすぎたらより安定するかと言われたらそれもまた違う。物には体積がある。許容量を越えて積み込んだり、入れたりすれば動かなくなるし、タイヤの場合は入れすぎればタイヤのゴムが中からの空気圧に耐えきれずに破裂する。

 

人間だって同じだ。限界スペックを越えて強化し続けてれば、人の体は崩壊する。

 

 

 

 

その成れの果てが俺たちだ。

 

 

「……くくっ」

 

「?」

 

 

屈辱的で腹立たしいことなのに、何故か笑い声が出てきてしまう。

 

失敗作がいると伝えているのは既に俺も知っていることだが、まさかあの実験を無かったことにしているのは初耳だ。そこまでして自分たちの保身のために、俺たちは捨てられたのかと考えると命をどれだけ軽視しているのかが分かる。

 

人を、命を、何だと思っているのか。

 

ふざけるな……。

 

心ではそう思っているのにどうして笑い声が出てくるのが不思議でたまらない。このタイミングで笑い声をあげた俺を驚きの表情で硬直しながら見つめるラウラ。

 

ラウラに俺はどう映っているのだろう、言い表すのであれば『不気味』という一言が最適かもしれない。

 

 

 

 

 

 

「ははっ、はははっ! そりゃ傑作だ!! まさか実験自体を無かったことにするなんてな! 流石研究者様たちは考えることが違う!」

 

 

 怒りや恨みを通り越して笑いしか出てこなかった。何も思っていなかった、俺たちのことなんてただの使い捨ての駒にしか見てくれていなかった。やっぱりそうだ、口では綺麗事を述べようとも真実は変わらない。

 

あいつらが俺らを捨てたという事実はどう隠蔽しようが、俺たちが生きている以上は真実として残る。

 

 俺から人を信頼すること、信用すること。その全てを取り去ったのはあいつらだった。自分の心が弱かっただけなのかもしれない。心を開こうとしなかっただけなのかもしれない。捨てられてから何回か思い返すことがあった。俺たちが捨てられたのは仕方のないことだったのかもしれないと。

 

それがボーデヴィッヒの一言で疑問は確信に変わった。実験を無かったことにしたことが、俺たちの存在を無かったことにしたのと同じだと。

 

 

「……そもそも、あの実験は失敗なんかしてないんだよ」

 

「え?」

 

「失敗してないのに、俺たちは捨てられたんだ。危険因子としてな」

 

 

 失敗したというのはあくまで表面上の理由で、研究の実態は成功していた。逆に成功してしまったからこそ捨てられた、生まれつきハイスペックな能力を持つ試験体が他国に寝返るようなことがあれば、それだけで大損害を被る。

 

並みの人間よりもスペックが高い通常の試験体よりも、更に強大な力を持つ試験体の戦闘力は一人、二人いれば国の一つ、二つを容易に壊滅させられる程度のものがある。それでも自分たちの手で始末するわけにもいかない。

 

 もし軍にバレれば自分たちの明日は保証できない。だからこそ、物心がつく前に俺たちを捨てた。軍上層部にはしばらくは順調だったが、力を制御出来ずに実験は失敗に終わったとでも伝えてあるのだろう。

 

もしくは軍上層部も繋がっていて、事実を完全にもみ消したのどちらかか。いずれにしても捨てられた事実は変わらない。

 

戦闘力は高くとも生活スキルはほぼ無いに等しい。食べ物も飲み物も満足に取れない生活が続けば、勝手に飢えで死んでいく。道ばたに佇む人間に手を差し伸べる人間なんかいるわけがない。ましてや場所が貧困街であれば尚更だ。

 

暗い世界で一人孤独に生きていたことを思い出したくはない。ゴミ箱に捨てられた食べ物を貪り、人が到底食べないであろう生き物を生のままで食べる。何日も風呂にも入ってないから、身体中垢だらけだ。泥臭く汚く、誰もが俺たちを軽蔑し哀れみ、そして手を差し伸べようとはしなかった。

 

ボーデヴィッヒも周りから見捨てられたという点では同じだが、食事を与えられずに捨てられているわけではない。俺がまだ本当に遺伝子強化試験体なのかと信じられていないのも事実だろう。

 

 

「……それは、五百円玉か?」

 

「あぁ」

 

 

事実を飲み込めていないボーデヴィッヒに、ほんの少しだけ力の一部を見せるべくポケットの中から新品の五百円玉を取り出す。よくテレビで十円玉を折り曲げたり、リンゴを握り潰したりするチャレンジ番組を見たことがあると思う。

 

親指と人差し指で五百円玉を見せながら、レプリカではないことを確認させる。片方の人差し指で五百円玉をコツコツと叩き、固い物質である事実を証明した後に、それを手のひらに乗せて閉じる。

 

握りこぶしをボーデヴィッヒの目の前へ突き出す。

 

目の前で拳に力を込めて、手の中に包んだ五百円玉を握り潰す。特に力の加減は考えてはいないが、ある程度力を入れればつぶれてくれる。

 

手の中に固形物が形を変える感触が伝わってくる。元の大きさから小さくなったことを確認すると、手のひら側を上に向けてゆっくりと開く。

 

 

「……!!?」

 

 

手のひらの中にある五百円玉を見てボーデヴィッヒは完全に言葉を失う。無惨な形にひしゃげた五百円玉が手のひらに乗っている。詳しくは五百円玉だったものか、既に元々の形状は保たれていなかった。

 

この形を見て五百円玉だと分かる人間が何人いるのだろう。恐らくほとんどの人間がガムの包み並み程度にしか理解しないはず。

 

常識の範囲で考えるのなら、五百円玉を握り潰すのは有り得ない。

 

 

「もう、普通の人間って感じがしない。私生活だと力は押さえているけど、力を出せばこうなる。迂闊に握手も力を込められない」

 

「……」

 

「絶対に叶わないって分かってたけど、何度普通の体になりたいって思ったか。自分の体を恨んだよ、どうして俺は普通の人間じゃないんだろうって。こんな力があっても、皆怖がるだけで良いことなんて一つもない」

 

 

何をしても手加減をしないといけない。運動を楽しめたことは今まで一度たりともない。全力で体を動かすことが運動の最大の楽しみなのに、全力を出せば動き全てが人間じゃなくなる。……いや、人間では出来ないような動きになる。その動きを見ればたちまち周りは俺から離れていくだろう、化け物が現れたと。

 

このふざけた体を作り上げた奴らをいつか根絶やしにすると、何度考えて実行しようとしたか。

 

 

「視力も、聴力も。全てが人間のそれを超越した。何も望んじゃいないのにだ」

 

「一体お前は……」

 

「……悪い。完全に私情を挟んじまった。……まぁとにかく、そんなこともあって、昔の俺は人を信じられなかった。人間イコール研究者のイメージが染み付いていたから、誰にも心を開こうと思わなかったし、人のために何かをしてやろうとも思わなかった」

 

 

ボーデヴィッヒの言葉に徐々に感情が込められてくる。少なくとも先ほどまでの刺々しい感情はなくなり、どことなく俺のことを心配してくれているようにも見えた。

 

過去の話を交えつつ、俺が話せる範囲の部分をボーデヴィッヒに話していく。生まれてから酷い扱いを受けていれば、人は心を閉ざしてしまう。

 

 

「……それでも俺に手を差し伸べてくれた人がいた」

 

 

殻に籠った状態の俺に手を差し伸べて引きずり出してくれたのは千尋姉だった。あの人に会わなかったら俺はずっと殻に籠ったままだっただろう。

 

殻を破って初めて、全ての人間が捨てたものではない、この世界はまだ腐り切ってはいないと認識を改められた。本当の人の優しさ、温かさを身をもって感じ、守られているだけではなく、誰かを守れる人間になりたい。

 

だからこそ戦うために得た身体能力を、今度は人を守るために使おうと思うようになった。

 

迷惑ばかりかけた分、俺はその恩を返したい。

 

 

そして……。

 

今俺の身近にいる大切な人を守りたいからこそ、俺は前を向ける。

 

 

「人間って、本当に不思議だよな。一つの行動で傷付けることもあれば、救うことも出来る。俺はその行動で救われて、自ら殻を破ることが出来た」

 

「……」

 

「過去のことを洗い流せとは言わない。それでも同じところに依存し続けていたらつまらねーだろ。新たな目標、生き甲斐を見付けてみても良いんじゃないのか?」

 

「生き甲斐……」

 

「ボーデヴィッヒ、お前に目標や生き甲斐はあるか?」

 

「それ、は……」

 

 

 質問に対して気まずそうに俺から視線を背ける。答えられない。ボーデヴィッヒの様子がそう物語っていた。本気で何も浮かんでこないんだと思う。

 

今までボーデヴィッヒの目標は生き甲斐は、千冬さんに依存した部分が大きかった。それ以外に何か目標があるか、信念があるか、生き甲斐があるかと言われると一つも思い浮かばないらしい。

 

毎日が退屈だと嘆いている人間はよくいる。特に目標もなく、毎日何もせずに過ごすだけの満足感の得られない生活を送っているのかもしれない。

 

 

 

 

しかし、どんな状況においても、最終的に自分を変えるのは自分だ。いくら周りがサポートを入れたとしたも、それらは全てきっかけにしか過ぎない。今ある現状から一歩踏み出すのは自分自身、この場合はボーデヴィッヒ自身。

 

もし彼女がここから一歩足を踏み出そうとするなら、俺はそれを全力でサポートしよう、全力で守ろう。

 

それは同類としての感情ではなく、一個人霧夜大和としての感情。俺がそうしたいからそうする。

 

間違ったっていい、今ならまだ取り返しがつくから。

 

一回しか無い、自分だけの人生だ。悔いだけは残したくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つからないなら、これから見つければいい。俺も見つけるまでに時間が掛かったけど、必ず見つけられる。もし見つからないなら、その時は俺も一緒に考えてやる」

 

「霧夜、大和……」

 

「何に縛られる訳でもない。今日からお前はラウラ・ボーデヴィッヒとして生きていけばいい」

 

 

俯いて言葉を一言も発することがないまま、時間だけが過ぎていく。

 

もうこれ以上俺が何かをすることもない、俺がやれることは全てやった。後はボーデヴィッヒがどう判断し、これからどう行動するか。それは俺自身が決めることじゃない。

 

あくまで俺が与えたのは切っ掛けで、それを土台にするかどうかはボーデヴィッヒが決めることだ。

 

……今は一人にさせてやろう。俺がいつまでもいても気まずくなるだけで、長い時間一人で考え込む時間も必要だろう。

 

 

「ま、何かあったらいつでも声掛けてこい。俺は先に部屋に戻っているから」

 

 

部屋を後にする時、後ろから何か小さな声が聞こえる。一瞬足を止めるも、振り返らずに俺は保健室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「あっ……」」

 

 

保健室から自室へと戻ると、俺の部屋の前でナギとばったりと出くわす。以前の一件から若干の距離感を感じるようになり、どうにも気まずい雰囲気になるのは否めない。

 

それでも俺の部屋の前をウロウロと徘徊していたのは、用があるから何だろうけど。鉢合わせた瞬間に少し焦ったような表情を見せたのは気になるけど、そこは気にしても仕方ない。とりあえず用件を聞こう。

 

有無を言わずに殴られるのだけは勘弁だけど。まさかそんなことはないよな?

 

 

「おう、どうした?」

 

「あ、実は大和くんを待ってて……」

 

「俺? あー……悪い。もしかして結構前から待ってたりしたか?」

 

「ううん。来たのはついさっきだから、そんなに待ってはいないけど……」

 

 

待ってないと言いつつも、十数分前から待っていたのは分かる。ノックしても部屋の中から反応がなかったから、俺が不在なのが分かり、戻ってくるまでの間部屋の前で時間を潰していたってところか。

 

俺だったら不在と分かった段階で一旦部屋に戻るけど、戻らないのがナギなりの優しさなんだと思う。

 

本当についさっき来たのなら、それはそれで俺の勘違いってことになる。格好つけてて予想を外すことほど恥ずかしいことはない、故に誰にも言わないようにしよう。

 

 

「とりあえず部屋にでも入るか? 立ち話じゃ疲れるだろ」

 

「うん、ありがとう」

 

 

仲が良いから何事もなく招き入れることが出来るけど、これがもし初対面の女性とかであれば完全に口説いているようにしか見えない。

 

俺が女性を部屋に招き入れるところを誰かに見られたり、写真を撮られたりすることを考えると若干怖いが、毎回周囲を警戒しても妙なことをしている人間は居ないし、そこまで気を張っても仕方ないと割りきってはいる。

 

俺や一夏の私生活の写真なんかは当然高く売れることだろう。仮に今のシーンが誰かに撮られたとすれば、俺だけじゃなくて、ナギまで被害を受けることになる。それも二人きりで部屋に入ったとすれば、変な勘繰りをする人間も出るだろうし、ロクなことにはならない。

 

部屋の鍵を開け、先にナギを部屋の中に入れた後、俺もそれに続いてさっさと部屋の中に入った。

 

部屋の明かりを付け、手に持った鞄を机の上に置き、制服を脱いでハンガーに掛けた後、ベッドにどっかりと腰を下ろす。

 

続いてナギも隣のベッドにゆっくりと腰を下ろす。俺はワイシャツに制服ズボンといった如何にも帰宅したばかりの高校生みたいな服装だが、ナギはキャミソールにショートパンツといったラフな格好。

 

女性のプライベートの部屋着としては割りとスタンダードなものだが、中々にこれが際どい。腕を上げた時に横から見えるアレとか、スタイルのよさがより際立つボディーライン。同世代だと誰だろう、篠ノ之ほどは無くても、セシリアよりもありそうな気はする。

 

目のやり場に困る。年頃の男の部屋に来るんだから、もう少し目に優しい服装にしてほしいと思いつつも、絶対に手は出さないだろうといった信頼感があるのかと考えると、正直複雑なところがある。

 

何か話題は……。

 

 

「あれ、そういえば結局トーナメントってどうなるんだっけ?」

 

「聞いた話だと実力を見るために、一回戦だけはやるんだって。他の子から聞いた話だから確証は無いけど……」

 

 

 思い付いたことをそのまま口に出すと、間髪いれずに返事が戻ってくる。結局トーナメントは非常事態により中止。後の戦いはやらずに終わりかと思ったら、完全に中止にはしないらしい。予想はしていたけど、これだけ行事ごとに問題が絡んでくると、もう何もやらなくて良いんじゃないかと考えてしまう。

 

それでも学校行事として毎年行っているから、来年も同じように行うんだろうけど、いくらなんでも問題が起きすぎな気がしてならない。

 

先に行われた代表戦では無人機の襲撃、今回のトーナメントではVTシステムの暴走。

 

 

 

 偶然にしては色々と出来すぎている。未だかつてIS学園でこれほどに問題が起こる学年があったのか。過去のことを全て知っている訳じゃないから何とも言えないけど、無かったと思う。

 

もしかしたらどこかの誰かが一枚噛んでいるのかもしれない。俺としては外れてほしい杞憂だが、可能性としては十分に考えられるのが事実。

 

場の問題は解決していても、根本的な問題はこれからもずっと出てくるだろう。それをどれだけ手早く揉み消し、無かったことに出来るか。起きてからじゃ遅いから、何がなんでも未然に防ぐ必要がある。

 

学園の警護と一夏の護衛。まだ先は見えないけど、必ずやり遂げてみせる。

 

 

 

 

 

 

「そんなことよりも……ボーデヴィッヒさんとは」

 

 

ふと口に出してくるのはボーデヴィッヒのことについて。部屋の前で彷徨いていた理由は、賭けがどうなったのかを知りたかったからか。

 

ボーデヴィッヒに俺が約束を取り付けた時、すぐ隣にいた上に、その場ではっきりと賭けに負けたらIS学園を退学すると言い切ったから、心配をしてくれたのかもしれない。

 

万が一のことを想定しているらしく、あまり俺と顔を合わせようとはしなかった。聞きにくい内容なのは明らかだし、分かっているのならわざわざ部屋に来て確認するようなことはしない。

 

言い出しにくそうに恐る恐る尋ねてくるナギに、はっきりと回答を返す。

 

 

「ん? あぁ、賭けのこと? そもそもトーナメントが中止になったし、賭け自体も無効だよ。アイツもそれで納得してくれるはずさ」

 

「ほ、本当……?」

 

「おう。だから俺がここから出ていくことはないよ」

 

「……」

 

「どうした?」

 

 

ボソボソと呟いたような気がするも、あまりに声が小さすぎて聞こえなかったため、再度聞き直そうと耳を近付ける。

 

 

「……良かったぁ」

 

「へ?」

 

 

 今度ははっきりと聞こえた。同時にベッドの上に乗せた右手に暖かい何かが覆い被さってくる。視線を下げるとはっきりと瞳に映るもの、ナギの左手だった。暖かくもどこか震えている左手、もしものことがあったらと想像したせいで、不安に満ちていたんだろう。

 

俺が近くにいることを確かめるように強く、そしてしっかりと手を握ってくる。絶対にこの手は離さないと訴えかけるように。

 

 

「ずっと心配だったの……本当に大和くんが私たちの目の前から居なくなるんじゃないかって」

 

 

力を込める左手からは、ナギが胸の内に秘めた想いが伝わってくるように感じられた。暖かい……というよりは熱い。

 

俺自身は自信満々で啖呵を切ったものの、それを見ていたナギの内心は俺とは違う。少なからず良い方に捉えてはいない。俺も勝算があったかと言われれば確固たるものはなかった。

 

分の悪い賭けであることに変わりないし、一夏やシャルルに頼らなければ成り立たないものだったのも事実。一夏とシャルルが俺たちと当たる前に負ければ、作戦が成功する可能性は大きく下がる。

 

大げさに言うなら不可能に近い。そんなふざけた賭けを自分から持ち掛けるなんて、頭がどうかしているとしか思えない。

 

それでも俺を軽蔑するわけでも、見放すわけでもなく、最後まで俺のことを心配し続けてくれたことに対して自責の念に駆られる。

 

 

「ごめん。今思うと軽率だった……」

 

「今?」

 

「うっ……約束を取り付けた時からです」

 

 

痛いところをつかれてただ首を縦に振ることしか出来ない。声や雰囲気からして怒っているわけではなさそうだが、芯の通ったぐぅの音も出ないほどの正論に顔を逸らす。

 

気まずくなるのなら初めからやらなければと突っ込まれても、男には退けない時があるからとだけ言っておく。

 

でも、この学園を退学せずに済むと考えると、肩の荷が下りたように感じた。何だかんだで思い入れが強かったんだろう。仕事中にあまり私情を挟むことはないが、今回は三年間に及ぶ長期的な仕事になる。それに加えて俺自身は男性操縦者としてIS学園に三年間通うことになるわけだ。

 

一週間、長くても一ヶ月で終わる仕事ではない為、人と仲良くなるし、思い入れも強くなる。

 

 

「……でも」

 

「ん?」

 

「……本当に良かった」

 

 

 安心したかのように顔を俺の肩に乗せてくる。俺とナギの距離は最も近い場所にある。それこそ俺はナギに、ナギは俺に世界で一番近い場所に。実際に聞こえるわけではないが、ナギの心拍数が体を介して同調しているように感じられた。

 

―――暖かい。人間特有の温もりがすぐ側で感じられる。例えるなら家族のような安心感だ。他の人間だと特に何とも思わないのに、千尋姉とナギが近くにいると同じような感覚になる。不思議と嫌な感じはなかった。

 

ナギの顔は紅潮しているようにも見える。耐性が出来たからなのか、俺が鈍いだけなのかは分からないけど、自然と恥ずかしいと思うことはなかった。

 

むしろこのままずっと側に居たい、この温もりを感じていたい。

 

何故そう思えるのか。そもそもこんな感覚今まで思ったことなんて……ない。誰かにここまで気を許したことも無ければ、誰かを強く意識することも無かった。ましてや誰かに好意を寄せるだなんて考えたことすら無かった。

 

変わったのは周りじゃ無く、俺自身だ。

 

周囲が、皆がクラスメートが親友が俺と言う存在を変えてくれた。

 

そして……

 

 

本気で守ろうと思える人に出会えた。

 

 

「―――ありがとう」

 

 

ナギの一言に感謝の言葉を返す。今の俺に出来ることは彼女に対して感謝すること。俺のことを心配してくれたことが何よりも嬉しかった。

 

一緒にいるとこれほどに落ち着ける相手はいない、側にいてほしいと思える人はいない。

 

……今まで決して考えることも沸き上がることも無かった感情、これが人を好きになるってことなのか。

 

意識すると心臓の高鳴りが大きくなる。ナギの顔を直視できない。

 

 

「……あの、大和くん」

 

「……」

 

「大和くん?」

 

 

 声を掛けられているのは分かるのに声が出なくなる。返事が出来ない。入学して出会ってから何度も異性として意識している節はあった。それでも人に恋する、惚れているとまでは思わなかった。

 

一緒にいてこれだけ意識してしまう、無意識の内に体温が上がるなんて経験はしたことがない。全てIS学園に入学してからだ。

 

視線の端にナギの顔が映る。心配して覗き込もうとしているんだろうが、覗かれたら俺の顔が見られてしまう。さぞかし今の顔はだらしないものだろう。

 

 

 

見られるわけにもいかず、勢いよくその場に立ち上がる。

 

 

「……ちょっと顔洗ってくる」

 

「え? う、うん」

 

 

 

 

 

 

 

 顔を覗かれる前に素早く洗面台へと駆け込む。後ろでは突然どうしたのかと呆然とするナギの姿が容易に想像出来た。洗面台に駆け込み、壁に体重を掛けるように寄りかかり胸に手を当てるとハッキリと心臓の高鳴る音が聞こえてくる。

 

自分が思っている以上に意識しているみたいだ。一旦気持ちをリセットするために、顔に勢いよく水を当てる。ほどよい冷たさが火照った顔を冷すと同時に、心臓の高鳴る音が徐々に収まってくる。二回、三回と繰り返し顔に水をかけて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

 

蛇口を閉め、畳んであるタオルで顔についた水滴を拭う。

 

 

「や、大和くん。大丈夫?」

 

 

顔の水滴を拭い終えたところで、ナギが洗面所の入り口からひょっこりと顔だけを出す。心配そうな表情を浮かべながら控え目に声を掛けてくる姿は、本気で俺の体調を案じてくれているんだと思う。

 

 

「……悪い。ちょっとな」

 

 

拭ったタオルを洗濯籠の中に投げ込み、平常心で洗面台から出る。出口から少し離れた場所に立つナギと目が合う。

 

 

「あっ……」

 

 

 先に反応したのはナギの方だった。俺と視線を合わせたまま、互いに視線を逸らせなくなる。長い間見つめ合えば見つめ合うほどに恥ずかしくなるのに、不思議と恥ずかしさはなかった。

 

裏表のない純粋な瞳に、一本一本が毎日手入れされているかのようにサラサラな前髪、そして柔らかそうな唇。ナギが何を考えているのか俺にも分からないように、ナギにも俺が考えていることは分からない。

 

千尋姉に覚えるような安心感。絶対に重ねて見てはいけないのに、自然とナギと千尋姉を重ね合わせてしまう。

 

不意に感じる孤独感、誰かに側にいて欲しい、誰かにすがりたい。ボーデヴィッヒにあれだけ偉そうに大人ぶって、自分だって誰かを頼らなければならない、すがらないと生きていけない。

 

目の前にあるものを何がなんでも自分のものにしたいし、絶対に離したくない。

 

 

 

 

 

 

 

―――あれ、俺一体何を言って……。

 

 

「ナギ」

 

 

 再度俺の頭の中に靄が掛かり、自分の行動に反するように、無意識に目の前にいる女性の名前を呼ぶ。俺ってこんな人間だったかと、自分で自分の性格が分からなくなる。

 

ここまで如実に誰かに傍にいて欲しいと思い、甘えたいと思ったことがあっただろうか。

 

逆にボーデヴィッヒに言ったことが、自分に返ってきているように感じる。ダメだと分かっているのに手が伸びる、頭の中で何度も何度も繰り返し呟き、歯止めを掛けようとするのに体が言うことを聞いてくれない。

 

ナギの何気ない仕草全てが、理性を飛ばそうとしてくる。本当にまずい、このままナギが俺の目の前にいれば間違いなく手をかけるだろう。

 

抑えきれない衝動を抑えようとするも、既に体は動いている。

 

 

「ほ、本当に大丈夫? 顔が真っ赤……」

 

 

 流石に異変に気付いてくれたらしい。俺の身を案じて顔を覗き混むナギだが、今はいち早くこの場から離れて欲しい。本当に何をするか分からない上に、自分自身でもどう対処すればいいのかが分からない。分かるのならそもそもこんなことにはなっていない。

 

身体中が熱い。胸の高鳴りはますます大きくなるばかりで収まる気配は全く無かった。胸が苦しい上に、上手く呼吸が出来なくなる。身体に出ている異常の原因が分からない以上、俺が出来ることは一つだけだ。

 

とにかく逃げて欲しい、それが俺の一番の願いだった。平静を装うことはもう出来ない、それなら俺から離れくれれば、少なからずナギに手を出すことは無くなる。

 

しばらく一人で冷たいシャワーを浴び続けていれば、いつかは収まってくれるはず。もし収まらなかったとしても、それならナギの前に現れなければいい。

 

今は現状を細かく説明してる時間も余裕も無い。

 

 

「―――ッ! だ、大丈夫だから……そんなことよりも早くっ……!」

 

 

声を絞り出すように投げ掛ける。思考がまとまらない、言葉がまとまらない。肝心な部分の単語が思い浮かばないせいで、用件が伝えきれていない。

 

早く何をすればいいのか、何処へ行けばいいのか。言わなきゃいけない内容のはずなのに、どうして言葉が出てきてくれないのか。分かる分からないではない、今ここから逃げてくれればそれでもう言い。例え嫌われたとしても、彼女を手に掛けるくらいであれば、嫌われて拒絶された方がマシだ。

 

 

「……」

 

「頼むっ……! もう……これ以上は……っ!」

 

 

もう抑えられない。自分でも自分がどうなるか分からない不安感、恐怖感に苛まれる。言葉に逃げてくれという単語が出てこない。言葉とは裏腹に側にいて欲しいという俺の強欲さから来るものなのか。

 

それでも俺の前から逃げてくれれば、もうそれ以上は何も望まない。興奮状態にあるのは間違いない、それも自分でも到底抑え込むことが出来ないような。

 

 

 

 

ぼんやりとする意識の中、不意に目の前からナギの姿が消える。単純に俺の反応が鈍くなってるのかもしれないが、俺の視界からナギの姿が消えたのは間違いなかった。

 

普通に考えれば危険を察知して、自ら離れてくれたんだろう。相変わらず身体中は熱いままだが、何も起こらずに済んだ事に胸を撫で下ろす。

 

―――良かった。これでナギに手を掛けずに済んだ。

 

 

 

 

 

 

 

心の中で安堵の溜め息をつきながら、これからどうしようかと考え始めた瞬間―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫だよ」

 

 

誰かの声と共に俺の周りが温もりで覆われた。


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