IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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新たなる敵、越える一線

 

 

 

 

 

 

周囲から襲い来る五人全員に気を配りながら、瞬時に状況を把握する。実力はどの程度か、立ち振舞いだけで判断するならそこまでの脅威を感じることはない、だが全員の手にはそれぞれキラキラと光り輝く鋭利な刃物が握られている。立ち止まったまま、全員を無傷で捌き切ることは難しい。

 

それにこちらは丸腰、武器らしい武器など何一つ持ち合わせていないのだから、まずは一点突破で一人を早急に片付けることにする。

 

幸い周囲には一般人が居ないような場所だし、多少荒く対処しても大丈夫なはず。骨の一本くらいは覚悟してもらうことは前提になる。この際甘えたことを言ってたら俺がやられてしまうし、手抜きは一切不要。丸腰相手に複数人で襲い掛かってくるんだから、向こうも多少のリスクは覚悟の上。

 

情けは無用、全力で叩き潰す。

 

 

「死ねぇ!!」

 

 

突っ込んでくる一人に向かって走り出すと、持っていたナイフを顔めがけて突き刺そうとしてくる。最新の注意を払い、攻撃に上手く合わせるように体の軸をずらし、迫りくる攻撃をかわす。アタも簡単に避けているように見えても、常に死と隣り合わせだから内心ビクビク。バトルマニアでも無いし、こんなことで戦いたくはない。

 

攻撃をかわして付き出した右手を左手で掴むと、空いている右手を体に添え、ガラガラ抽選を引くように一気に引く。突っ込んできた勢いを利用したことで遠心力が働き、相手の体は反時計回りに宙を舞う。遠心力を最大限に生かした投げは破壊力十分。受け身も取れないままに地面へと叩きつけられる。体と地面がぶつかり合う鈍い音と共に、ナイフを握っていた右手から力が抜ける。

 

顔を見なくても分かる、肺から一気に空気が抜けて呼吸困難に陥り、ナイフを握るどころの話じゃなくなったか、もしくは気を失ったか。どのみち十数分は最低でも立ち上がることは出来ない。

 

力が抜けた右手からナイフを奪うと、一人をつぶしたことで空きが出たスペースへと後退し、体勢を整える。

 

 

「この役立たずが! みすみすやられやがって!」

 

 

罵声を浴びせながら気を失った相手に近付き、体を二度、三度と蹴り飛ばす。チームとは形ばかり、前回と同じように仕事をするためだけに組まれたチームであり、チームワークなど微塵も感じられない。やられたらお払い箱同然、戦えない人間はいらない、用済みになって捨てられるごみと何ら変わらない。

 

そうしている間にも怒りが収まらないのか、何度も何度も顔を踏みつけ、これ以上蹴られ続ければ体に大きな障害が残る可能性もあるし、最悪命を落とすケースも十分に考えらえる。周りのメンバーもその行為を見て見ぬふり、それが一切の信頼関係が無いことを証明していた。

 

先ほど奪ったばかりのナイフを反対に持ち直し、刃の部分を人差し指と中指で挟んで、ナイフ自体が回転しないように細心の注意を払い、相手の頭上目掛けて投げ返す。

 

ターゲットには当たらないが相手を威嚇するには充分過ぎる効果だろう。踏みつけていた足を止め、俺に向かって邪魔をするなと言わんばかりに、鬼の形相で睨んでくる。

 

 

「貴様は一体誰の味方だ。私たちの敵だろう! 敵の分際でこちらの領域に踏み込んで来るなっ!!」

 

「……あのな、頭に血がのぼってるみたいだから冷静に言うぞ? お前らのやってることは誰かを救うことでも何でもない。私利私欲の為に、自己満足の為だけに人を傷付けて優越感に浸るただの悪魔だ」

 

「だからどうした? こいつは貴様ごときにのうのうとやられたんだ。すぐに離脱するやつはうちにはいらん! バカに付ける薬は無いって言うだろう! それと同じだ!! やられたこいつはもうお払い箱なんだよ!!」

 

 

これ以上聞くのはこりごりだ、意味を全く持たないあまりにも身勝手すぎる行動に、ヘドが出てくる。多少なりとも事情があるのなら、同情の余地があると真っ先に思い浮かべてしまった。結果、何一つ同情の欠片も見当たらない。悪口一つで吐き捨てるとしたら、人間以下の何か。

 

裏世界ならいくらでもそんな人間はいるし、珍しい訳でもない。だがまざまざと実態を見せられ、開き直られると、沸き上がって来るのはぶつけようの無い怒りと、やるせない虚無感。

 

 

「そいつはお前らのチームではあっても、所有物じゃない。ましてや、タコ殴りにする権利なんてどこにある? バカに付ける薬は無い? お前ら自分自身の行動知ってて、んなこと言ってんのか」

 

「そのくらいで口を慎め! 高々一人倒したくらいで良い気になるなよ、この俗物がぁっ!!」

 

 

バカに付けるクスリはない。そっくりそのままコイツらに返す。もう話は終わりだ、容赦をする必要など微塵も無い。

 

今この場でコイツらは潰す。野放しにしたところで、またロクなことにならない。前提で俺と一夏の命を狙ってきている時点でどんな人間なのかは察しがついたが、ここまで腐っているとなると何も言いたくはない。

 

 

「何を言っても無駄なことはよく分かった。だが、お前らにもう一つだけ言っておきたいことがある」

 

 

もういいだろう。これ以上の間を持たせるのも勿体なくなってきた。さっさと終わらせて、俺はナギの元へと戻りたい。

 

あと一言言うことがあるとすれば……。

 

 

「最初に言ったよな? 喧嘩を売る相手は見定めろよって」

 

「……」

 

 

こいつらは真意に何一つ気付いていない。どうして俺が進んで一人になったのかを。皆を巻き込みたくないのは当然だが、それだけではない。

 

 

────最大の理由、一人であれば自分が戦っている様子を他の誰かに見られなくて済むから。

 

 

「勝ち目がない戦いを挑むように見えるか? 本当に詰んでるのがどっちかを考えてみろよ」

 

「この……クソがぁぁぁぁああああああ!! かかれぇぇぇええええええええ!!」

 

 

一人の指示で再度全員が一斉に飛び掛かってくる。挑発に挑発を重ねたことで遂に堪忍袋の緒が切れ、絶叫にも近い声を出しながら突っ込んでくる姿がたまらなく滑稽に思えてくる。

 

結局誰の差金で俺たちを襲いに来たのかは聞きそびれてしまったが、おおよその検討はつく。

 

男性操縦者。

 

名前の響きだけなら間違いなくいい響きだろう。だがその響きを良しと思わない人間もいる。特にその中でも過剰な反応を見せるのが、女尊男卑に対し異常なまでの執着を見せる人間だ。

 

ISの登場により女性優位になったこの時代。ISは女性だから動かせるからこそ優位に立てるのであり、男性が動かしたとしたら状況は一変する。

 

女性優位な社会へと築き上げたのに、また男女平等な世の中へと戻ってしまう。本来なら男女平等が理想であり、多くの人々が望むこと。

 

しかし、かつて亭主関白の時代があったように、今は何事も女性優位に進む。百人の男性が左と言っても、一人の女性が右と言えば右になる。

 

あまりにも不公平過ぎる世の中だ。

 

 

「……」

 

 

襲い来る四人の動きを把握し、俺に一番近い相手に向かって走り出す。ナイフを引いて突き出そうとした瞬間、体を屈めて低い位置から相手の手元に向かって回し蹴りを叩き込む。

 

蹴りはピンポイントで手の甲を直撃し、持っていたナイフは宙を舞う。同時に相手の顔が痛みから悲痛に歪み、僅かながらの隙が生まれた。一瞬でも隙を見せたらそれは命取り、素早く相手の後方へと回り込むと、右手を相手の首筋に向かって振り下ろす。

 

糸が切れたマリオネットのように、膝からガックリと崩れ落ちて動かなくなる。人通りはないとはいえ、すぐ近くにはレゾナンスの大通りがある。ここで戦い始めている時点で今更感は否めないが、出来る限り目立った行動は避けたい。

 

 

「……悪いが一瞬で終わらせてもらうぞ」

 

 

 

 

 

────……

 

 

 

 

僅か数分間の出来事だった。

 

俺の周囲には気を失って場に倒れ込む者、戦意を喪失し、腰が抜けて地面に座り込んだまま立てなくなってしまった者が散在している。

 

すでにこいつらに戦意は無い。自分達を雇った人間が誰なのか聞き出したものの、こちらも用意周到に計算しつくされており、依頼人の顔も名前も全く分からないとのことだった。彼女たちにICレコーダーだけが送られて来たらしく、そこに残っていたメッセージから今回の一件を企てたが、未然に阻止される結果となった。

 

本来なら、警察につき出すべきなんだろうが、この手の連中は警察に直接引き渡したところですぐに出所してくるのが目に見えている。だがこいつらに関しては権利団体が直接関わっているとは考えにくい。

 

前回は直接依頼をしたが、返り討ちにあったことで多少は学習をしたのかもしれない。直接俺たちに関わることは、相当なリスクを伴うと。だからこそICレコーダーで身バレしないように対策をした、と考えるのが妥当か。

 

最初の一回は誤魔化せたとしても、何度も似たような事象が繰り返されれば、彼女たちの信用問題にも関わってくる。団体の強制解散は無くとも、上から圧力が掛かるのは逃れられないだろう。

 

 

さて、話は変わるが、こいつらの引き渡しは一旦更識家を挟んでからになった。

 

さっき楯無に電話したところ、『どーせナギちゃんとデート中なんでしょ?』と機嫌悪そうに電話に出たのは置いといて、事情を話したところすぐに関係者を向かわせるとのこと。

 

出来れば自分自身が向かいたいと言ってはいたが、楯無は楯無で別の仕事に追われている最中。

 

その仕事をほっぽりだして来いとは言えないし、これ以上は無茶をさせたくない。以前、無茶のし過ぎでぶっ倒れているし、弱々しい楯無をみたくない。

 

 

 

「思った以上に時間が掛かっちまったし、そろそろ戻りたいけど……」

 

 

 

すっかり忘れていたが、レゾナンスを離れてからすでに十数分が経つ。戻る時間を含めると二十分以上は掛かることになる。ちょっとトイレに行ってくると伝えたは良いものの、どう考えても時間か掛かりすぎている。

 

何をしていたのかと聞かれたら切り返せないレベルには焦っている。

 

 

「くっそ……こりゃ出てくるタイミング間違えたな」

 

 

この後色々と聞かれる未来を想像し、若干げんなりとした気持ちに苛まれる。

 

ただ飛ばしてくる殺気があまりにも強かったし、あのまま放置したところでロクなことになっていない。放置して全く関係ない人間まで巻き込まれるリスクと天秤にかけると、先に対処した方が得策なのは明らか。

 

少なくともタイミング的にはちょうど良かったはず。後手になればなるほど、こちら側の状況は不利にしかならない。

 

しかし困った、このままじゃ本当に動きようが……。

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

上空から感じる今までとは違う殺気、顔をあげる間もなく後ろにバックステップを踏んで回避行動をとる。飛び退いた瞬間、今までいた場所に大型のサバイバルナイフが落ちてくる。地面にぶつかり、大きな金属音をたてて転がる。

 

こんなところに何の理由もなく、サバイバルナイフが落ちてくる訳がない。第三者の誰かが狙って落としたとしか考えられない。相変わらず上空に漂う殺気に冷や汗があふれ出てくる。通常の殺気であればそこまで動じることは無かったが、伝わってくるのは殺意の中に秘められた強大なまでの狂気。

 

狂っている……読んで字の如くだ。通常、常人が向ける殺気は対象者に向ける感情であり、関係のない人間に向けられるものではない。

 

だがこれは違う。道行く人間、近くを通った人間、視界に入った全てのものを無差別に攻撃しようとするような非常に残忍かつ、残虐な殺気。

 

野放しにするわけにはいかない。

 

 

「おーおー、お見事! 視界外からの攻撃を感知し、的確に避けるか。やっぱり本物はちげぇなぁ、霧夜家当主さんよぉ?」

 

 

……今まで聞いた声の中でもトップレベルに耳につくほど忌々しい声だ。

 

目の前にいたら無意識に蹴飛ばしたくなるほどの、調子づいた人を見下した口調。ネジが一本緩んだといえば聞こえが良いが、そのレベルの問題ではない。

 

ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべ、建物の窓のヘリに腰掛けながら、上から目線でジッと俺を見つめる男性。

 

そう、男性だ。

 

年齢はどうだろう、俺と同じくらいか若干上のように見える。身長は俺よりも少し高いくらいだが、肩幅が広く、身に着けているタンクトップは張り詰めていることから相当体を鍛えていることが伺える。

 

ギョロっとした不釣り合いな近寄り難い目つき。何より纏う雰囲気は、さっきの五人組とは明らかに違い過ぎる。

 

分かりやすくするなら全くの別ベクトルにいると言い表せばいいか。雰囲気だけで常人よりも強いことが汲み取れるが、そこから先が見えない。

 

何かを隠しているのではないかと思うと、行動に起こすことが出来ない。一瞬の隙が命取りだ、実力が未知数である以上、瞬き一つ出来ないがゆえに、目が若干乾燥してきた。

 

 

「んでぇ? もう一人の男性操縦者とやらは何処にいるんだ?」

 

「はい、あそこですなんて教えると思うか? 答えるやつがいるのなら教えてほしいくらいだ」

 

「くくっ、はっはっはっ! そりゃごもっともだ! なら、お前を殺せばそいつも出てくるんじゃねぇのかぁ!?」

 

 

大袈裟に言うには何も行動を起こそうとはしない。これだけ殺気を垂れ流しているというのに、自制は出来ているらしい。

 

 

「やれるものならやってみろ。いくらでも相手になってやる」

 

 

挑発には挑発で返す。

 

あまり大事にはしたくはないが、一夏を含めた周りの人間に危害が及ぶのであれば、今のうちに片付けておくことが得策。右足を少し後ろへ引き、戦闘体勢へと移行する。俺の様子を見て、僅かだが相手の目が細くなる。

 

こちら側の思惑を悟ったのか。

 

だからといって相手が行動を起こすわけでもなく、ただ俺の顔を観察するように見つめるだけだった。だがこいつから感じる、この拭いきれないモヤモヤ感は何だろうか。

 

 

「……本当ならこの場でぶち殺してやりてぇが、あのお方からの許可が降りない以上、好きな行動は出来ねーんだわ。あくまで今日は様子見、俺に与えられた任務は、お前がどんな人間なのか見てこいってだけだ」

 

「……」

 

「くっくっ……少し残念だが、俺には時間が無い。あばよ!」

 

 

窓の縁から室内に戻るとそのまま姿を消す。

 

気配は完全になくなり、また元の裏路地の静けさが戻ってきた。一体どのような意図があって、何を目的に俺の元を訪れたのかは分からないが、少なからずここから先、俺たちの前に立ちはだかるであろう人物なのは間違いない。

 

一つ言えることがあるなら狂気の中に、どこか懐かしい感覚があった。現実に会ったわけでも生活したわけでもない。似ているかどうかと言われれば、似ていないし顔の作りから骨格まで何から何まで違う。

 

誰がどう見ても似ているとは言い難い容姿から、過去に何処かで会ったのでは無いかと思わせる懐かしい感覚。もし俺の感覚が事実であり、引かれ合う要素があるとするなら……。

 

 

「……まさか、な」

 

 

その後無事に更識家の人間が来て、俺を襲った五人組を無事に回収。

 

任務を終えた俺は、足早にレゾナンスへと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っていたぞ霧夜。遅かったじゃないか」

 

「あぁ、織斑先生。実はちょっとチンピラに絡まれまして」

 

「チンピラ……ね。片は付いたんだろう?」

 

「えぇ、何とか。でも正直油断は出来ないっす。最低、今日一日は鷹の目を持つ必要がありますね」

 

 

レゾナンスへと戻ってきた俺を一番最初に出迎えてくれたのはナギではなく、千冬さんだった。入り口付近に腕を組んで仁王立ちする姿があまりにも様になりすぎて、通りすぎる人間が次々と振り返っていく。千冬さんの凛とした美しさももちろんのこと、腕を組んだことで腕の上に乗った二つのたわわの存在感に釘付けになる。

 

やましい意味は一切ないが、ビジネススーツ越しにでも伝わるそれは男性人の視線を釘付けにするには十分すぎる破壊力を持っている。

 

 

合流したところで千冬さんに遠回しではあるが、事の次第を伝える。表情一つ変えずに淡々とした様子で話し掛けてくるも、あまり良くない兆候なのは薄々感付いているのかも知れない。右手を顎の下におきながら暫し考え込む。

 

無理もない。屋上での件に引き続き二件目、前が寝静まった夜に行われたことを考えると、今回は昼、それも比較的人通りがある近くだから、随分と大胆で強引な手口になっている。

 

それも俺たちの後をつけながら機会を伺っていたとなると、周囲の目を気にすることが無かったことになる。今回も未然に防ぐこと出来たが、今後どのような出方をしてくるのかは常にリサーチする必要が出てきた。

 

 

「……」

 

「何か思うことでもあるのか?」

 

「まぁ、多少は。少なくともこれからのことを考えると、先が見えなさすぎて」

 

 

先の見えない出口に苦笑いしか出てこない。

 

考えることばかりでどこから手を付けていいのか分からず、途方に暮れそうになる。出来ることが出来ないのは何とももどかしい。

 

あまり深く考えない方が良さそうだ。無理に考えても良い方向には進まないし、一旦頭を切り替えよう。

 

 

 

「ところで皆はどこへ?」

 

「一夏たちなら昼、鏡ならトイレ付近にくソファーに座っているぞ」

 

 

あぁ、やっぱり別行動になっていたか。

 

腕時計を見るとレゾナンスを出た時間から三十分くらい経っている。十数分で戻るつもりが、とんだ小休憩になってしまった。過ぎたことを気にしても仕方ないし、一旦ナギのところに向かおう。

 

むしろ三十分も待たせたのだから、詫びの一つでもいれなければならない。そのせいで愛想をつかれないだろうかと、一抹の不安が脳裏を過る。

 

 

「さっさと行ってやれ、後のことは私の方で何とかしておく。折角の休日だ、これ以上仕事のことばかり考えても仕方なかろう」

 

「……そうですかね」

 

「何、お前もまだ学生だ。一家を背負う重圧は計り知れないだろう。確かに仕事を依頼したが、私たちも動ける範囲でサポートしていく。だから一人で全てを解決しようと思うなよ?」

 

「お気遣い感謝します。それでは」

 

 

俺が何をやっていたのか、この人には全てお見通しだった。無理をしてるつもりは一切無いが、第三者からの視点ではそう見えているのかもしれない。ならここは多少ながら、ご厚意に甘えることにしよう。

 

千冬さんに指差される方向へと小走りで駆けていく。トイレなら、先ほどの服屋からさほど離れていない。

 

次の突き当たりを右に曲がればトイレの入り口だ。少しだけスピードを上げて、突き当たりの曲がり角を曲がる。

 

 

「キャッ!?」

 

「おっ……と?」

 

 

距離を少しでも短縮するために壁側ギリギリを走っていたことから、曲がろうとした瞬間死角から出てきた人物とぶつかりそうになる。

 

寸前のところで別方向へと飛び退いた為、衝突こそ避けられたが、いきなり見ず知らずの男が死角から飛び出てきたのだから、相当驚いたことだろう。声質的に女性だろうし怖い思いをさせてしまったかもしれない。

 

足を止め、ぶつかりそうになった女性に謝罪の言葉をかける。

 

 

「っと! ごめんなさい! 少し急いでいたもので……ってあれ?」

 

「や、大和くん! 今までどこ行ってたの?」

 

 

その女性の正体はナギだった。

 

どうして俺がここにいるのかと、表情から驚いている様子が見受けられる。本来ならトイレから出てくるはずの人間が何故か反対側の出口側から出てくる。入れ違いになったならまだしも、だったらナギが俺の存在に気付かないのもおかしいし、俺が気付かないのもおかしい。

 

トイレから出て、待ち合わせの場所に戻るならわざわざ遠回りする意味もないし、どこかですれ違っているはず。なのにすれ違いがないのは、俺が同じ階のトイレに行っていないこととイコールを意味している。

 

嫌な汗がたらりと額からあふれでてくる。この場をどう凌ぐか、それだけのために現在進行形で俺の頭はフル回転していた。

 

休日ということもあり、ショッピングモール内は人で溢れ返っている。各テナントには大勢の人が詰めかけ、ブリッジやテナント前通路にも隙間がないほどの人だかりが出来ている。

 

トイレはそこから外れているものの、土日にもなれば利用者は大幅に増える。

 

心苦しい言い訳だが、そこを理由にするしか……。

 

 

「あっ……」

 

「ん、どうした? 人の指先ばっかり見て」

 

「大和くん。赤い液体が右手の人指し指に付いてるけど……」

 

「赤い液体?」

 

 

指差すナギに促されるまま、右手の人差し指を見つめる。ここにくるまで全く気付かなかったが、確かに指の肉のところが、二、三ミリほど切れており、そこから血が滲み出ているのが分かる。

 

軽く押さえると傷口から血が出てくるだけで、痛みは無いことから、傷自体は深いものではないらしい。だが問題はいつどこでこの傷が出来たのか。

 

あまり心当たりが無いため、ほんの少し頭の中で傷の原因を探る。つい先ほどまで、路地でちょっとした大格闘をしていた訳だが、原因があるとすればその時くらいしか思い付かない。

 

 

「……」

 

 

一つ心当たりがあるとすれば、一人目を倒した際に奪ったナイフを、相手の主犯格に向かって投げ返した時。本来なら取っ手を握って投げ返すものを、怪我を負わせないように刃側を人差し指と中指で挟んで投げ返した。

 

むしろそれ以外、こんな場所に怪我をするシーンが見当たらない。紙を触ったわけでも、どこかに指を挟んだ訳でもないならあり得るとすればそのシーンのみ。

 

 

「それって血だよね、どこで怪我したの?」

 

「それが全くと言って良いほど覚えがないんだ。トイレに行ってから帰ってきて、何か怪我するようなことはしてないし……」

 

 

怪我をしていることに気付いたナギは、どこで怪我をしたのかと尋ねてくる。先ほどまでは怪我をして無かった場所に黒ずんだ血が付いていれば、誰だって気になる。

 

当然、真実を語るわけにも行かず、俺は思い付く限りの単語を連ねていく。トイレにいく振りをして、実は密かに俺たちを監視していた人間を始末しに行きましたなんて、馬鹿正直に言えるはずもない。

 

 

「と、とにかく手当てしないと。大和くんもちょっとここ座って! 今日絆創膏持ってたかな……」

 

 

言われるままにナギの隣の椅子へと腰かける。

 

傷としては決して深くないが、思いの外出血量が多いことに、慌ただしくセカンドバッグの中から絆創膏を探し始める。痛みがあるかないかと言われれば無い。深刻に考えるような怪我ではないのは明らかだが、第三者が見ればどうして怪我をしているのか気になる。

 

理由はデート中に、指の腹を怪我する理由が見当たらないからだ。それこそ紙を持ったり、刃物を使ったりしない限りは。刃物なんてわざわざ人と出掛けている時に持つものじゃないし、紙に関しても貰うとしたら精々チラシくらいだから、怪我をする可能性は低い。

 

変な疑いを掛けないのも、彼女なりの優しさなのかもしれない。俺が皆のかげに隠れて何をしているのか、薄々感づいてる節がいる。知ってはならないことと彼女の中で認識し、あえて聞いてこないのだとしたら非常に申し訳ないことをしている。

 

 

「ごめん、今日忘れちゃったみたい。どうしよう……」

 

「あぁ、これくらい気にするなって。唾の一つくらいつけとけばすぐに治るよ」

 

 

鞄の中を探し終えたナギが、申し訳なさそうな表情を浮かべながら謝ってくるも、大丈夫だからと諭す。逆に俺のために絆創膏を用意してくれようとしたのだから、ナギが謝る必要など一切無い。

 

彼女的には役に立てないもどかしさがあるようで、眉毛が下がった言い表し難い表情をしている。人の手を両手で優しくとりながらどうにか出来ないかと考え込むも、絆創膏も無いのであれば治療のしようもない。

 

それこそさっき言ったように唾でも付けて放置するくらいしかないし、怪我に気付けただけでも良かった。近くのテナントに薬局があったはずだし、そこで絆創膏を買えば良いだろう。金額も高いものじゃないし、身バレを防ぐ意味合いでも役に立つ……と前回の無人機戦の時の自分に対して皮肉をのべてみる。

 

 

「……」

 

「そろそろ手を放してもらってもいいか? この状況結構恥ずかしいんだけど」

 

 

あえて触れないようにはしていたが、さっきからずっとナギが俺の手を掴んだまま放そうとしない。

 

何故放そうとしないのか、彼女の心理は分からないが、マジマジと手を見つめられると背中がむず痒くなる。

 

それも傷を負っている以外の部分の指の肉をムニムニと押すもんだから、まるでナギが物心がついたばかりの子供に見えてしまう。本人に直でこんなこと言ったら怒られるだろうけど、一つ一つの俺に対する仕草がいつもよりも幼く感じた。

 

 

「えーっと、ナギさん? 大丈夫か? さっきから我ここにあらずみたいな顔をしているような気が……」

 

 

幼いというよりかはもうなんか視点が一点に集中しているような気がするんだけど。

 

主に俺の人差し指に。

 

それに気のせいか、どことなく俺の腕をホールドする力が強くなっているような気がしてならない。いや、明らかに強い、どこからその力が湧いてくるのかと思うくらいには。もっと力を込めれば引き抜けるだろうが、そこまでしてしまったら俺がただ嫌がっているだけの人間に映ってしまうことを考えると、力を込めることすらままならない。

 

 

「……今なら、誰も見てないよね?」

 

「はい?」

 

 

 

 

 

 

 

――――刹那、俺の右手人差し指をどこか生暖かく、安心するような感覚が襲った。

 

 

「一体何を……ぅえ!!?」

 

「はむ……んむ?」

 

 

一瞬の静寂、頭の中を一筋の電撃が走ると共に真っ白な風景が目の前に広がる。日常というものが直視出来ず、簡単な思考ですら働かなくなる。目の前で何が起こっているのかなど、想像に容易い。だが俺の脳内はその現実をどうにも受け入れることを拒み、薄くも硬い壁を張っているようにも見える。

 

周囲から見たこの光景はどう映っているのだろうか。羨望か嫉妬か、それともはたまた別の感情か今の俺には判断がつかなかった。周りを見渡せばすぐに分かることがどうして分からないのか、理由は簡単で俺の視線はナギの方を向いたままで、全くと言っていいほど周囲を見渡そうとしないからだ。

 

単純なことにも気付けない俺の思考能力は明らかに落ちているし、前を見ているのにナギが何をしているのか分からない。いや、分かろうとしない。分かっているが、それを信じることが出来ない。

 

 

「ちょっ、あの、ナギ! いくらなんでもそれは……」

 

 

あわよくば夢だったらと思いつつ空いている方の手で頬を抓ってみるが結果は変わらず、結果から言えば俺の目は節穴でも何でもないという事実が証明された。

 

怪我をしているはずの俺の人差し指、それをまるで子犬が心配して舐め回すように口にくわえている。

 

小さい頃。大体幼稚園か、小学校の低学年くらいか。小指とかを怪我すると、学校の先生……女性の先生が口にくえて止血してくれたことを思い出す。

 

中にはそれが自分の母親であったり、同級生であったり、はたまた姉であったりとシチュエーションは様々だが、何人かの人間は体験していることだろう。

 

それを今目の前でやられているのだ。

 

 

「んっ……んぅ……んぁ」

 

「ちょっ……っ!!」

 

 

口から伝わってくる温かさと、独特な柔らかい感触。口の中でうねうねと動いているのは舌だろうか。相当恥ずかしい行為をされているというのに、瞳に映る健気な姿を見ると、彼女の行為を止められない。

 

口の中で何度も傷口を舌でなぞられているうちに、頭が蕩けて気分まで変に高ぶってくる。ゾクゾクと背筋を走る妙な感覚が、平常心を装う俺のタガを外していく。

 

好きな女の子に傷口を舐められているのを見ているだけで興奮する。時たま上目遣いで俺のことを見つめるナギが可愛らしくて、今すぐにでも抱き締めたくなる。胸の高鳴りが止まらない。

 

加えてチラチラと上目遣いで見つめてくるナギの姿と、口からこぼれる声がたまらなくエロチックな様相を醸し出しているせいで、俺の脳内温度が勝手に高まっていく。

 

そうは言ってもここは公衆の面前だ。いくらなんでも人前で抱き締めたりなんかしたら……。

 

人前?

 

 

「ま、待て! ここ人前だからさすがに不味い!」

 

「ふ? ふぁあ……」

 

 

口にくわえる力と手をつかむ力が弱まった瞬間に、人差し指をナギの口から引き抜く。

 

一瞬名残惜しそうな表情を浮かべるも、自らがやらかしたとんでもない行為に、一気に顔がトマトのように真っ赤に染まり上がる。耳まで真っ赤かにしながら、魚のように口をパクパクと開閉したまま硬直する。 

 

勢いでやったは良いけど、実際に自分が何をしたのかを自覚し、強烈なまでの羞恥心に襲われているらしい。普段は真面目で優等生で通っているナギが、どのような思考になれば人の、それも異性の指をくわえるなんて行為に走るのか。

 

 

「わ、わわわわわわわわわ私、一体何を!!?」

 

「今さら!? むしろ一番恥ずかしいの俺なんですけどぉ!?」

 

 

恥ずかしい、一言述べるとするなら恥ずかしい、それ以外に何を言い表しようがない。

 

くわえていた時の感触が未だに忘れることが出来ず、モヤモヤとした気分のままだ。顔もいつも以上に暑くなっている気がする。

 

幸い人前とはいえ、誰かがこちらを見ているわけでもなければ、知り合いが近くにいることも無かった。IS学園関係者に知られなかったのは、不幸中の幸いだろう。

 

つーか色々とタイミング悪すぎ、嬉しいけど限度はある。頭の回転が追い付いてない。

 

 

「だ、大体、同年代の女の子に指をくわえられるなんて経験は一度もないんだから。そ、そういうのはやるならやるって言って貰わなきゃ困る。俺にだって、心の準備はあるんだからな!」

 

 

脈略無く、女性に自分の指をくわえられる不意打ちを経験している男子が、この世の中でどれだけいるのか聞いてみたい。顔を直視できないほどではないがやっぱり意識もするし、人並みの恥ずかしさだってある。意識しているんだから尚更、せめて心の準備くらいはさせてほしい。

 

変な空気に当てられて若干気まずくなった二人を、静寂が包み込む。口を押さえたまま顔を逸らすナギと、顔を赤面させて人差し指で頬をポリポリと掻く俺。

 

 

「う、うぅ。舐めとけば治るっていったから、つい……」

 

「行動が随分と大胆過ぎやしませんかね!? 確かに言ったけど、びっくりするわ!」

 

 

このままうだうだやっててもキリがないな。ちょっと恥ずかしいけど、時間も無限じゃない。

 

 

「ほら、行くぞ!」

 

「ど、どこに行くの?」

 

「どこにって、昼まだ食べてねーだろ? 時間も良い時間だし食事にな。……それと、待たせちまったから特別に好きなデザートも頼んで良いぞ」

 

 

ポカンと呆気に取られた表情を浮かべるも、それがすぐに照れ隠しだと気付いたのか、クスクスと口元を押さえながら笑い声をあげる。

 

 

「笑うなって」

 

「ふふっ、ごめんごめん。ちょっと面白くなっちゃって……うん、それじゃあ行こ?」

 

「うわっ……と。そこまで引っ付かなくても良くないか? これじゃまるで────」

 

 

恋人みたいだ。

 

と呟こうとするも、その一言はナギの笑顔によって止められた。人差し指を口の前に出しながら、イタズラっぽい笑みを浮かべて、それ以上は無粋だと。

 

俺の右手を引き寄せる力がぐっと強くなる。密着する体と体、直に伝わる暖かな感触。手入れされた髪からほのかに香る女性特有の良い匂い。

 

彼女は俺に対してどのような感情を抱いてくれているのか。

 

 

『生涯を共にする伴侶を見付けたのなら、それ相応の覚悟を持ちなさい』

 

 

いつぞや俺が言われた言葉だ。

 

伴侶、伴侶か。早いとは思うけど、可能性だって十分にありえること。いつどこで、どのように出会い、そして生涯を共にするのか。そしてその相手が誰になるのかは分からない。

 

少なくとも一緒にいたいと思える相手であることは間違いない。

 

 

 

一日はまだ折り返し。

 

この後は平穏に一日が終わるように。そして少しでも良いことがありますようにと、切に願うのだった。


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