IS‐護るべきモノ-   作:たつな

68 / 129
○伝える想い、伝わる想い

 

 

 

「────俺……ナギのことが好きだ」

 

 

自分の想いを、心の奥底の本心を、言葉に乗せて精一杯伝える。不器用で不格好で……女心なんて全く気にも止めなかった男の一言をどう受け止めるかは、彼女次第にもなる。

 

胸の高まりは依然として変わらないというのに、思考だけは嫌なくらい落ち着いていた。言うことは言った、後はどうとでもなれ。仮にこれで玉砕しようとも、一切後悔することなどないだろう。

 

 

「ふぇ……?」

 

 

小さく、か細い声を漏らすのが聞こえる。その声からは言ったことを把握しきれず、頭の中がショートし掛けているように見えた。

 

目線の先にはナギの顔がある。くりっとした大きめな瞳に、整った鼻。瑞々しく、柔らかそうな唇にはうっすらと口紅が塗られていることに今更ながら気付く。これだけの間近な距離で見てみると、改めて女性としての色っぽさを感じることが出来た。

 

 

「う、嘘。だって……」

 

 

信じられないといった表情のまま、視線を四方八方にさ迷わせる。

 

 

「どうした?」

 

「だって、大和くんは楯無さんのことが……」

 

 

消え入りそうな声で呟く『楯無』の二文字。

 

どうしてこのタイミングで楯無の名前が出てくるのかは、容易に想像出来る。ナギの中で俺が楯無に対して好意を寄せていたと思っていたから。

 

ここ最近は無かったが、以前は人のジャージを借りて部屋に泊まったり、ピッキングで勝手に侵入したりと悪い意味で目立つ行動も多く、端から見れば既に付き合っている恋人同士のようにも見えたのかもしれない。

 

だがそれは一般生徒に知られることはなく、知っているのはたった一人。運悪く俺を迎えに来た時に、部屋に泊まっていた楯無の出迎えを受け、俺と楯無が付き合っているものと勘違いした。またはそこまでは行かなくとも、俺が楯無に好意を抱いて密かに狙っていたと括られたか。

 

確かに楯無のことは嫌いじゃないし、好きか嫌いかと言われれば間違いなく好きだ。

 

俺にとって守ってやりたいと思える、大切な人間であることも否定しない。だが、それは本当に異性として、かつ本心から好きと言えるかと問われれば、肯定は出来ない。

 

二人とも魅力的な大切な存在なのは変わらない。だが心の底から断定して好きだと、一緒に居たいと思える人間は一人だけ。

 

 

「楯無のことは確かに好きだし、大切な存在だよ。そこは否定しない、でも好きの意味合いが違う。上手く言えないけど、俺の中で良い友達というか……」

 

「……」

 

「だから、さ。もう一度言うよ。自分の気持ちに嘘はつかない。俺はナギのことが好きだ」

 

 

口元を両手で覆い、俺の方をただ呆然と見つめる。

 

やがて顔を覆う両手を退かしたかと思うと、目元に涙をためながら出来る限りの笑顔を浮かべた。そんなナギの姿がたまらなく愛おしくなり、自然と両腕を伸ばす。こんな時男はどうすればいいのか、何一つ分からないが背中へと腕を回し、そのか弱い体を優しく抱き寄せる。

 

答えを告げられていないというのに、抱き寄せるだなんて何を考えているのだろう。腕の中にすっぽりと収まったナギの体。抱き寄せられたナギも顔を横向きにしたまま、左耳を丁度心臓辺りに来るように調節し、両腕を俺の上半身へと回した。

 

直に心臓の音を聞かれるのがすごく恥ずかしいはずなのに、今だけは心地よく思えた。

 

 

「……ズルいよ、本当に」

 

「何が?」

 

「全部だよぅ……私が、私が言おうとしていたことを全部先にいっちゃうなんて」

 

 

どこか拗ねたようなナギの口調。更に言葉を続けていく。

 

 

「私、諦めてた。絶対に私なんか釣り合わないって」

 

「そんなことない。むしろ俺の方が……」

 

 

釣り合うはずがない。

 

霧夜家当主、男性操縦者という点を除けば、俺だって普通の人間と何ら変わらない。いくら男性が苦手とはいえ、これだけ分け隔てなく接してくれて、気落ちしている時はフォローに入ってくれる。

 

嘘一つない素直さ、誰にでも優しく、思いやりを持てる女の子。この世の中で果たして何人いることだろう。

 

 

「実はね。タッグトーナメントの前に楯無さんに会ったの」

 

「楯無に?」

 

「特に深いことを話してないんだけど、どれだけアドバンテージがあろうとも、私は負けないからって。最初は何のことか分からなかったけど、大和くんのことだってすぐに分かった」

 

「……」

 

 

その話は俺の耳に入っていない、当事者のナギと楯無の二人しか知り得ないこと。

 

どんな不利な状況下であれ、絶対に諦めないという固い意志、つまりは宣戦布告。同時に隙あらば、いつでも奪い取るからと暗黙の挑発の念も込められている。楯無らしいといえば楯無らしい。

 

思わぬ事実に、苦笑いを浮かべるしかない。

 

 

「今でも思うの、誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良いって」

 

「え?」

 

 

さらっと呟くナギの言葉に、抱き寄せた俺の体は固まる。女性誰もが……というわけではないが、相手には自分だけを見て欲しいと思うのが普通。人の恋路に第三者の介入など許されるはずもなく、二人以上になってくると一般的に浮気だとか、不倫といった扱いになる。

 

日本の法律では一人の夫に対して、一人の妻。一夫多妻は認められていない。

 

 

「もちろん二人きりの時は私だけを見て欲しいって思いはあるよ。けど一番でも二番でも良いから、私のことを好きでいて欲しい、愛して欲しい」

 

「ナギ……」

 

「私だけが幸せになって、他の人が知らないところで傷付くなんて、そんなのやだよ……」

 

 

どちらが正解なのかは今の俺には分からない。ナギにとってはそれが理想論。

 

外的なものであれ内的なものであれ、誰かが傷つくのは見たくない。仮に恋人同士になったとしても、誰かが介入してきても大丈夫だと言っている。だが今のところその案に賛成することは出来ない。ナギの言い分も良くわかる。

 

楯無のことを意味しているだと思う。どんなケースでも相手を気遣えるのは、彼女なりの優しさだろう。だが俺と楯無間の問題は、ナギが介入するべきものじゃない。

 

当人間で解決すべき問題だ。

 

 

 

 

 

 

「……でもね」

 

「ん?」

 

「私が大和くんのことを好きな気持ちは変わらない。今までも、これからも」

 

「そっか」

 

「大好きだよ、大和くん」

 

 

再度ナギの口から発せられた言葉は、先ほどまでとは真逆の告白に対する返答。不意な返しに収まったはずの胸の高鳴りが大きくなってくる。

 

胸元に顔を埋めていたナギが上を向く。

 

目と目が合う、こうも自然に互いの眼差しが重なりあったことは未だかつて無かった。心通わす……そんな言葉があるように、俺はナギの、ナギは俺の気持ちを悟ったかのように視線を外せなくなる。

 

普段なら恥ずかしがって視線を外すのに、一時も視線を外すことはない。

 

カタカタと観覧車が回る音が聞こえるだけで、周囲の音はそれ以外何も入ってこない。どれくらい回ったのだろうか、今となってはどうでも良いこと。

 

誰も見ていない完全な密室、この場には俺とナギ以外の人間は誰一人入ってこれない。

 

もう一度彼女に言葉を伝えるべく、抱き締める力を強める。身長差がある分、ナギが上目遣いになる。そんな彼女と少しでも視線を合わせる為に、オデコとオデコを触れ合わせる。こつりと痛くないように優しく合わせると共に、ナギが目を若干細めた。

 

二人の距離はほとんどゼロに近い。額から伝わってくる温度は、普段よりも高く感じた。あと数センチ近付けば触れあってしまう唇、ナギの口から漏れてくる甘い吐息が顔に当たる。沸き上がってくる衝動をぐっと堪え、言葉を続けた。

 

 

「……これから楽しいこともあれば、楽しいこと以上に辛いこともあると思う。時には悲しませることもあるかもしれない。それでも俺はお前のことが好きだ」

 

「……うん♪」

 

 

俺の言葉にはにかむナギの姿。

 

もう言葉は要らなかった。

 

何一つ負の感情が込められていない瞳。信じ、慕い、敬愛する。彼女を眺めているだけで中に渦巻く黒い感情は全て消え去り、代わりにどうしようもないほどの愛しさが込み上げてくる。

 

おもむろに目を閉じるナギ。これからどうするのか、何を期待しているのか。それを理解出来ないほど、俺の脳内は退化していない。

 

これだけ俺のことを想い、好いてくれる子。目の前の行動を無下にすることは出来ない。

 

抱き締めていた両手をほどき、両肩を優しく掴む。

 

 

「あっ……」

 

 

ほのかに彼女の声が漏れる。ピクリと体を震わすその仕草は期待している部分もある反面、緊張と不安で一杯なんだろう。

 

全く裏の世界など知らない子を選んだのだから、相応の覚悟を持たなければならない。俺もナギに伝えていかなければならないし、ナギにも飲み込んでもらう。

 

仕事だ家柄だと、そんな小さな事情だけで彼女を振れるほど、俺の想いも弱くない。

 

目を閉じて唇を突き出すナギに吸い寄せられるように、自身のそれを近付けていく。

 

 

これからのことはどうしよう。いや、今から後のことを気にしたところで仕方ない。なるようになる、そう前向きにポジティブに考えられるのは恋のお陰かもしれない。

 

誰の介入もないのなら、乗っている間は二人だけの時間だ。誰にも邪魔されず、介入されず。今だけは……この十数分だけはナギだけの俺になろう。

 

唇と唇の距離は残り数センチ。

 

彼女の顔が視線一杯に広がる。トリートメントをしたばかりのようにサラサラな髪、誰もが見ても振り返るような整った顔立ち、ナチュラルメイクが、より大人っぽさを際立たせている。そして瑞々しく柔らかそうな唇。口から漏れる甘い吐息が俺の理性を刺激し、ナギ以外の全ての景色を俺の視界から消し去る。

 

唇が触れ合う瞬間、俺もゆっくりと目を閉じ────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、終了です! お疲れ様でしたー!」

 

 

長いようで短かった観覧車による空中旅行は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「おかえりなさい。随分と早いお帰りね」

 

「あ? お前が偵察だけにしろって言ったんだろ。胸糞わりぃ、あそこでアイツを仕留めておけば事は楽に進んだものを……」

 

 

とあるホテルの一室のような部屋で行われるやり取り。

 

不機嫌さを微塵も隠そうとしない人物は、先ほど大和の前に姿を現した男であり、丁寧口調な女性に対して敵意を剥き出しにしたまま、上着を乱雑にソファーへと投げつける。

 

敵前逃亡が彼の癪に障ったようで、行き場の無い怒りをどこにぶつければ良いのか分からず顔を歪めた。雰囲気やオーラからして高いプライドを持っている、それも誰にも負けないといった絶対的なプライドが。仮に彼が負けたことがないともなれば、戦いもせずに敵の前から去るのはあり得ない話。仕事とはいえ、自身のプライドを押し殺した形になる。

 

だが彼はそんな些細なことでも、我慢出来るほど沸点が高い訳ではなく、事あるごとにキレてしまう短気さを抱えているようにも見える。

 

男の吐き捨てるような言葉に対し、女性はあくまでいつもの調子を崩さないまま冷静に言葉を伝えていく。

 

 

「貴方の言い分は分かる。でも、現段階では情報があまりにも少なすぎる。素人同然とはいえ、複数人を相手にしてあっさりと無力化しているところを見ると、実力は計り知れないわ」

 

「買いかぶりすぎだろ? 生身が強かろうが最終的に勝った奴が強いにきまってる。その仮定なんて俺にとっちゃどーでもいい」

 

 

情報が少ない上に、実力が高い水準にあれば手は出し辛い。大和の実力を見越しての発言だったにも関わらず、頑として自身の意見を曲げようとしない。

 

どのような仮定であれ、最終的に勝った奴が強いと豪語をする。面倒くさそうに頭をかきながら、ポケットからタバコを取り出して火を付けた。煙を吸い込むと同時にタバコの半分が灰となり、灰皿へと溢れ落ちる。その様子を眺めながら忌々しげに舌打ちをした。

 

 

「チッ……」

 

 

周りのことは一切気にしない自己中心的な考え方らしい。我が強いことは悪いことではないが、団体行動においては致命的な欠陥とも言える。

 

その場しのぎのチームだったにしても、元からこれでは取り付く島もない。

 

 

「ハァ、扱いに困るわ。この手のタイプは皆こんな感じなのかしら?」

 

 

鬱陶しいと思うのは男性だけではなく、女性の方も同じ。言い方こそ優しくても、彼女の中に渦巻くどす黒い感情は隠せない。

 

年齢こそ女性の方が上だろう。

 

何時間も掛けて手入れしたような癖のある金髪を纏い、人を魅了するであろう得意げな真紅の瞳は、雰囲気も相極まって大人の色気を感じさせる。端正だけでは言い表せないほどの、三次元離れした顔立ち。

 

誰もが目線を向けるであろう迫力あるプロポーションに、赤い水着のようなドレスを着る姿は、どこかの王妃を思わせる。年齢は二十代後半か、はたまた三十代か、四十代か。外見だけでは判断がつかない妙な雰囲気がある。

 

今の一言が気になったらしく、彼女の悪態にピクリと反応をする。

 

 

「おい、今の一言はどういう意味だ」

 

「言葉通りの意味。言ったはずよ、相手を見誤るなと。あの男、織斑一夏を守るために派遣された護衛人らしいけど、数々の噂があるわ……その噂の多くは私たちにとって良いものじゃない」

 

「はぁ? スコールともあろう人間が、んな根も葉も無い噂を信じんのか? 馬鹿馬鹿しい!」

 

 

これ以上考える必要もないと、吸っている途中のタバコを灰皿に力強く押し付け、ソファーから立ち上がり部屋の外へと出ていく。

 

 

「どこへ?」

 

「どこでも良いだろ! 散歩くれぇさせろや!」

 

 

語気を荒げながら力一杯に部屋の扉を閉める。バタンという大きな衝撃音ともに部屋に振動が走ると同時に、何事もなかったかのような静寂が訪れた。

 

スコールと呼ばれた女性は部屋に自身以外誰も居なくなったことを確認すると、大きなため息を一つつき足を組み直す。

 

 

「元々分かっていたとはいえ、あれはきついわね……実力があったとしても、とても一緒に居ようとは思えないわ」

 

 

口から出てくる偽りの無い言葉の全てが、彼女の本心全てを物語っていた。彼女もどちらかと言えば男性を見下すような立場にいるのかもしれない、だがそれを直接言わないのは性格か、それとも言い返す気力が無いほどにあきれているのか。

 

いずれにしてもろくな理由じゃない。

 

 

「百歩譲って()()と同種なら我慢はするけど、何とかならないものかしら」

 

 

彼女も管理する身ともなれば、頭を抱え、悩ますことも多い。今後あの男が自分の下に紐づくことを考えると頭が痛くてたまらないことだろう。

 

それより何より一癖も二癖もありそうな人間ともなれば、自分の言うことを全く聞かない、取り合おうとしないことなんてザラだ。現状のまま進んでしまえば、大きな衝突は免れない。更に凶暴な性格ともなれば尚更、女性優位の世の中であれだけ楯突けるのだから、タチが悪い。

 

 

 

 

男が出ていったのと入れ違いに、今度は別の女性が部屋に入ってくる。

 

 

「スコール、今戻っ……あの男は?」

 

「おかえりなさい、オータム。ついさっき外に出て行ったわ」

 

 

部屋に入ってきたオータムと呼ばれる女性、男が居ないかどうかをスコールに確認したとたん、表情を一変させる。

 

「ふん! 一緒の空間に居るだけでも空気が淀む! あの男、自分が偶々I()S()()()()()()からって良い気になりやがって。すぐにでも潰したいくらいだ!」

 

 

彼の味方はこの場にはいないらしい。だがそれ以上にオータムの口から驚愕の事実が汲み取れた。

 

"ISを動かせる"

 

男性でこの事実が確認できるのは二人のみ、彼女の言うことが本当であれば三人目の男性操縦者の発見となる。どうみても二人の輪の中には混じれていない男性が、どうして彼女たちと行動を共にし、またそれを彼女たちも我慢をしているのか。

 

ISを動かせる人間ともなれば納得行く。男性操縦者ともなれば各国が喉から手が出るほどに欲しい存在でもある。一方で一部の女性からはその存在を危惧し、排除しようとする人間もいる。

 

二人の口ぶりから見て、協力の関係にあることは分かるが信頼関係は一切無い。力を持つからという理由だけで、共に行動をしているだけに過ぎない。

 

だからこそ彼の存在が無ければ悪態もつくし、罵声も飛び交う。

 

 

「あなたの気持ちはよく分かるわ。それでも目的を達成させるためには、あの男の力がどうしても必要なの。それは分かってちょうだい」

 

「それは分かるけど! どうしてあんな奴を引き入れたんだ!? 他にも人選はあるだろう!」

 

「本当ならあんなのを引き入れるつもりは無かったわよ、でもこちらの事情も分かって頂戴。貴方に辛い思いをさせているのは分かる。決して貴方を無下にはしないわ……」

 

「スコール……!」

 

 

目を輝かせながら近くまで歩み寄ると、スコールはその体を優しく包み込む。抱き寄せながらも、彼女の視線は先程男が出ていった方向を目を細めながら見つめる。

 

 

(私たちの野望のためにはまだピースが足りない。だからこそ、今はわがままを言っている場合じゃない。それでも足りないピースはもう少しで揃う。その時までの辛抱よ……)

 

 

彼女の思惑の意味を理解出来る人間など居ない。だがたった一つはっきりしていることと言えば、彼女たちの存在は一夏や大和にとって脅かす存在になりうることか。

 

会話の内容から察するに、一夏や大和を影から狙っているのは彼女たち。ただ、一番最初に矛先を向けてきた女性権利団体もまた、一夏や大和にとって脅威の存在になるだろう。

 

 

(会える日が楽しみだわ)

 

 

スコールは考えることをやめ、オータムとともに奥の寝室へと姿を消していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 

日は暮れ、既に時間は七時過ぎ。

 

並木道を煌々と照らす街灯。

 

夜風が周囲の草木を揺らし、夜独特の雰囲気を醸し出す。そんな静まった夜を二人きりで歩くのも中々に興味深い。

 

互いの両手には幾つかの買い物袋、そして持ち切れなかった商品に関しては後日寮へと送るように手配済み。やることもやったし、後はもう帰るだけ。門限は問題が無いけど、この時間からだと食堂はしまっている。故に夕飯を食堂で取ることが出来ない。

 

何を作ろうか……などとレシピを考えながら歩くも、想像が膨らまずにあーでもないこーでもないと頭を悩ませるだけ。

 

 

二人揃って無言なのは色々と理由があった。それでも握り締める手は決して離さぬように握っている。手を握ろうと声を掛けたわけでもなく、いつの間にか互いが同じ考えになり、自然と握りあっていた。

 

観覧車内での出来事は片時も忘れない。言っちゃなんだが、寸前のところで茶々が入り、それ以来ずっとこんな感じの雰囲気になってる。手こそ繋ぐも、互いの顔は明後日の方向を向いたままで、会話らしい会話が一つもない。現地を出て、モノレールに乗って最寄りにつくまで結構な時間があったにも関わらず、喋ったのは一言二言のみ。

 

観覧車での話題には一切触れないまま、今に至る。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

沈黙。

 

余りにも分かりやすいこの状況に話し出すことも出来ない。悪いわけじゃないにも関わらず、話すことが出来ないのはどうしてなんだろう。きっかけさえあればと話題を探そうとするも、すぐに見つかるのであればこんな苦労はしない。

 

あと少しで一日が終わる。寮まで数百メートルの道を一歩一歩、思い出を踏みしめるように歩く。

 

残り数分で終わる一日を終わらせたくなくて、わざとゆっくりと歩こうとするも確実にその距離は縮んでいく。帰り始めた時は何とも思わなかったのに、終わらせたくない、終わりたくない気持ちが一層強くなっていく。

 

そう思えば思うほどに無意識に握る手が強くなった。強めたことに驚き、俺の方へと視線が向く。ナギにとっては痛かったかもしれない。力の加減をミスったかもしれない、強めた力を少しだけ弱めてみると今度はナギの方から握り直してきた。

 

”このまま別れたくない”

 

強い気持ちが初めて一緒になったような気がして……。

 

 

「あと少しで今日も終わりか」

 

「そうだね。いつもより短かったような気がする」

 

 

本当に、本当に早かった。

 

気がつけば喋りだしていた。恐ろしいほどに思考もしっかりしているし、側にいるからという理由で舞い上がったり、どもってしまうこともない。短かった今日一日を振り返りながら、並木道を歩く。

 

普段なら、誰かに見られていないかを気にするところが、今日は特に意識することもなかった。慣れ……よりかは別のところに思考が向いているからだと思う。

 

好きな人と出掛けて、好きな人と買い物をして、好きな人と食事をして、好きな人と帰る。当たり前のことなのに、全ての行為が新鮮に思えた。

 

仕事に縛られて線引きをする必要もなければ、壁を作り自身の想いを封じ込む必要もない。俺がナギのことを好きだという事実は変わらない。

 

彼女の想いを知っていたのに、気付かない振りをして、曖昧な答えで誤魔化し逃げていた過去の自分を思い出すとヘドが出る。

 

答えを出すならまだしも、中途半端な関係を続けようと奔走し、彼女の本心を分かろうともしなかった。

 

でも、今は違う。

 

 

「ついちまった」

 

「うん……」

 

 

あっという間の数分間。早歩きをしたわけでもないが、こうして寮へと着いてしまった現実は変わらない。寮を見上げながら帰ってきてしまったことを再認識し、一つため息を漏らす。

 

離れたくない、離れたくないけど、離れなければならない。現実はあまりにも無情だ。名残惜しそうに握っていた手を離した。

 

門を潜れば一旦親友の関係へと戻る、特別な関係でいられるのは二人きりの時のみ。そう思うといてもたってもいられなくなる。

 

 

「あ、あのさ……」

 

「どうしたの?」

 

 

門を潜る直前に俺からナギへと声を掛ける。考え無しでの声かけだったから、何を話そうかも決めていない。それでもやっぱりもう少しだけ二人きりで居たいというも思いが強かった。

 

学校で会える、寮内ならいつでも会えるでは全く意味がない。

 

あくまで今日この場で一緒に居たいというのが俺の本心だった。彼女のことを一切考えない、ワガママな考え方だとは思うけど、一度溢れだしてしまった想いを抑え込めるほど、俺は大人ではない。

 

 

続けて言葉を言えずに黙っていると、苦笑いを浮かべたナギが俺の両手を優しく握る。何も言っていないのに、俺の思考全てが見透かされているような気がした。

 

 

「大丈夫、私も大和くんと同じ気持ちだから」

 

「へ?」

 

 

本当に見透かされているとでもいうのか。いや、この際見透かされていることなどどうでも良かった。彼女の一言が堪らなく嬉しくて、思わず変な声を漏らしてしまう。

 

だがナギの一言で俺の中でも踏ん切りがついたらしく、徐々に落ち着きを取り戻す。同じように思っているのは俺だけではなかったという事実に、どこか安堵している自分がいた。

 

 

「そ、そうなのか?」

 

「そうなのです♪」

 

 

俺の疑問に対してきっぱりと答えてくれる彼女の明るい笑顔が眩しい。観覧車内から続いていた妙な雰囲気はいつの間にか消えてなくなり、いつもの雰囲気が戻る。ただ気のせいか、立場がいつもと逆転しているようにも思えた。

 

尻に敷かれる。

 

若干シチュエーションは違うかもしれないが、たまには女性に主導権を握られるのも悪くない。

 

この後はどうしようか。汗だくになったわけでもないが、一旦部屋のシャワーを浴びたい。シャワーの後、冷蔵庫内に備蓄されている食材を使って、簡単な料理を作れば良いだろう。

 

 

 

 

 

 

「あ、そろそろ部屋に戻らないとね。皆に見られちゃう」

 

「そうだな。それじゃあまた明日学校で」

 

 

また明日と、いつもと同じように別れる。名残惜しいがこればかりは仕方ない。

 

 

「うん。あっ、ちょっと待って! まだ忘れ物が……」

 

「忘れ物? そんなのあった……」

 

 

最後まで言葉を言い切ることは出来なかった。

 

 

忘れ物なんてしたのかと、俺が知らないところで起きていた事象に混乱しつつも、俺がナギの所有物を間違えて持っているのかもしれないからと、反射的にポケットに手を突っ込んだ。

 

ポケットに手を突っ込んだ瞬間、ほんの一瞬ではあるが、ナギから視線が逸れる。逸れた瞬間、僅かに視線にあったナギの足が()()()

 

現実的に考えて人の足が急に消えるなんてことは有り得ない。驚きのあまり急いで視線を戻すと、俺の双眼に飛び込んできたのは、はにかんだナギの顔だった。

 

驚く俺とは対照的に、くすりと微笑んだ顔は俺の顔にどんどんと接近し……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「んっ……」

 

「―――ッ!?」

 

 

視界一杯にほんのりと顔を赤らめたナギの顔が広がる。

 

同時に感じるのは優しくも暖かな体温。服越しに伝わる感触だけではなく、口を通して伝わる直な温もり。柔らかい何かで俺の口が塞がれている。その何かを判断するのにそう時間は掛からなかった。

 

甘く、蕩けそうな感覚に思考回路が纏まらない。女の子の唇ってこんなに柔らかかったのかと、それくらいしか考えることが出来なかった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

俺のファーストキスを、ナギはどう感じたのだろう。少なくともファーストキスだったなんて、知る由もなかっただろう。僅かな時間だったにも関わらず、とてつもなく長い時間に感じた数秒間。

 

ずっとこのまま一つになっていたい。

 

そんなワガママは通じなくとも、彼女の……ナギの内に秘めた想いはハッキリと、しつこいくらいに伝わってきた。

 

 

唇を離し、コツンと俺の胸へと頭をつけながら下を俯く。

 

 

「さっきの続き……まだ、だったもんね?」

 

「つづ、き……?」

 

 

続きの意味が分かるのは俺とナギの二人だけ。

 

 

「ば、バイバイ」

 

 

ほんの一瞬の二人だけの時間を噛み締める余韻もなく、ナギは俺を背にして寮へと戻っていく。

 

唇に微かに残る温もりを噛み締めながら、呆然と立ち尽くす俺に冷たい夜風が当たる。

 

ナギに遅れること数分、ようやく思考が戻った俺は後を追うように寮へと向かう。

 

部屋に戻ってからも何かをする気になれず、ひたすらベッドに寝転びながら一睡も出来ない夜を過ごすのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。