IS‐護るべきモノ-   作:たつな

80 / 129
第十章ーIndomitable Wingー
かつての私、これからの私


 

 

 

『作戦は失敗。次の指示があるまで各員は自室に待機。今後、身勝手な行動は禁止とする!』

 

 

釘を刺すかのような千冬の言葉を聞いた後、全員はバラけて自室へと戻った。

 

時は既に夕暮れ。

 

黄金色の夕日が一面を照らし、美しい夏景色を彩っているというのに、部屋はカーテンで仕切られ、僅かな隙間から光が差し込んでくるだけだった。

 

折角の景色だが、座り込む少女にとっては世界でもっとも綺麗な景色であったとしてもどうでもよかった。

 

畳の上に敷かれた布団に横たわる少年をじっと見つめたまま、身動き一つ取らない。作戦の後で衰弱しきっている体を休ませもせず、小一時間ほどただただ少年の顔を見つめたままだった。

 

完全に衰弱し、弱々しく今にも崩れ落ちそうな顔。

 

倒れている最愛の人がいるというのに何も出来ない。そもそも目の前の少年が……一夏が、このようなことになったのは全て自分の責任なのだから。

 

 

(私の……全て私のせいだ)

 

 

分かっている、そんなことは何もかも分かっている。悪いのは全て私であると。専用機を持ったことで力を手に入れたとうつつを抜かし、慢心していた自分が情けなく、惨めに思えた。

 

密漁船を見捨てようとしたことを一夏に指摘され、飛ばしすぎたせいでシールドエネルギーを使い果たし、箒を攻撃から守ろうとした一夏が盾に。

 

それだけならまだしも、一夏のことに気をとられて周りが見えなくなり、追撃から自身を守ろうとした大和までも、別の脅威の前に倒れた。 

 

自分の独りよがりの行動が、多くの人を傷付けてしまった。どう償い、接すればいいのか。

 

箒には分からなかった。

 

 

(私が……私がもっとしっかりしていれば……)

 

 

どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

新しい力を、強大な力を手にいれて優越感に浸り、簡単に遂行できると軽視していたのは間違いないし、一人でも何とかなると己の力を過信していたのも失敗した大きな要因だろう。

 

だがそれ以上に、周りを見てなかった。

 

作戦の成功ばかりを考え、万が一のイレギュラーを、作戦が失敗した場合の最悪の事態を、何一つ考えていなかった。

 

勝利の方程式が少しでも崩れた途端これだ、経験が少ない分土台は恐ろしく脆い。大黒柱を抜かれた家が簡単に倒壊するように、一つの作戦が上手く行かなくなった途端に、何も出来なくなった。

 

それだけではなく、一夏が密漁船をかばった行為を否定したことに対してらしくないと諭され、箒の頭の中は完全に混乱した。

 

揺るがない信念を持っていたはずなのに、それは薄っぺらい紙切れのように吹き飛んだ。

 

 

(どうして私はいつも……!)

 

 

もう少ししっかりしていれば、一夏も大和も撃墜されることは無かったはず。防げた損害を出し、想定外の被害を出してしまった彼女の精神的なダメージは計り知れない。

 

力を手に入れるといつもこれだ、これではあの時と何一つ変わっていない。

 

 

(昔から何一つ変われていない……)

 

 

中学三年生の時の、剣道の全国大会。

 

実力者だった箒は一方的な展開で相手を打ちのめし、全国の頂点に立った。表向きは誰もが欲するような栄光であり、十分に誇れるような偉業であったことは確かだった。

 

だが、箒にとっては違った。全国大会で優勝した喜びよりも、力に溺れてただの憂さ晴らしをしていた自分が酷く醜く、情けなく思えた。

 

彼女にとって全国大会で優勝することが目標ではなく、全国大会をただの憂さ晴らしのための場所として利用していた。決して同じ過ちを繰り返さないと、心身共に鍛えるために剣道を続けていたというのに、あの時から何一つ変わっていなかった。

 

心身共に鍛える。

 

『心』の強さも鍛えねばと思っていたのに、求めていたのは『心』の強さではなくただの強大な力だった。専用機を束に頼んだのも、少しでも皆に近付きたいからと思ったからであり、それは単純な『力』だった。

 

 

 

これは以前、強大な力に溺れてVTシステムに取り込まれたラウラにも強さの定義を大和が伝えている。本気で強くなりたいのなら力をつけるだけではなく、心の強さをつける必要があると。

 

一夏は皆を守るという信念を、大和は大切な人を命がけで守るという信念をそれぞれに持ち合わせている。言うだけなら容易いが、二人の場合は言葉だけで表せるほどの薄っぺらい信念ではない。

 

一夏の強さ、大和の強さを支える根幹の部分はぶれない信念……つまり『心』の強さだ。

 

二文字で言い表せたとしても、頭に別の文字が付くだけで意味合いは全く異なる定義になる。

 

 

 

『一個アドバイスをするとしたら、もう少し精神的な強さを持つことだな。最初に二回当てられて動揺しただろ?』

 

 

 

始めて大和と剣道場で手合わせをした際に言われたことを、箒は一字一句忘れずに覚えている。

 

イレギュラーが起きると脆くなる精神面を鍛えてみたらどうかと。あの一言は、自身の脆さを悟ったからこそ伝えてくれた大和なりの優しさだったと、今頃になってようやく気付いた。

 

何故あの時気付けなかったのか、修正出来なかったのか。

 

 

(何の為に修行をしていたんだ私は!)

 

 

目標が分からない、自分がどうありたいのか分からない。

 

一時のラウラのように強さのあり方が分からない。大きな損害を出し、頭が混乱しているといった理由もあるが、それ以上に精神面が脆いと指摘してくれた大和のアドバイスを、何一つ生かさなかった自身が無償に腹立たしかった。

 

何の為に今まで剣を振るってきたんだ……と拳に力を込めて握る。今後悔しても、あの時間が戻ってくることはない。

 

 

(一夏、霧夜。私はもう、ISには乗らない……)

 

 

手首に巻かれた金と銀が入り交じった赤い紐をギュッと握り締めたまま、二人の顔を思い描く。自身の信念を強さの定義を知っていた二人に対し、全てを履き違えた自身を照らし合わせる。

 

惨めだった、情けなかった。

 

強さの意味を履き違えた自分がISに乗る資格はない。箒なりの一つのけじめをつけ、口を真一文字に結んだ。何一つ理解出来なかった自分が、ISに乗っていては必ずまた同じ過ちを起こすことだろう。それならいっそのこと、ISに乗らない方が皆に迷惑を掛けなくて済む。

 

私はISに乗るべき人間ではなかった、乗る資格もない人間だった。

 

 

「私は……私はっ!」

 

「篠ノ之さん……思い詰める気持ちは分かりますが、今は来るべき時に備えて、部屋でゆっくりと休むべきではありませんか?」

 

「――っ! 山田、先生……」

 

 

突然の声にハッとして顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべた真耶が立っていた。本来作戦室に込もって次の作戦を考えているはずだが、彼女の本心が居てもたってもいられず、生徒の様子を見に来た。

 

先ほどの一件で、終始箒は落ち込んだまま、誰とも会話を交わそうとせず、虚ろな眼をしたまま下を向いていた。ラウラに胸ぐらを捕まれた時も反抗の一つもせず、ただ項垂れるだけ。

 

大和と一夏が墜とされたことが未だに信じきれず、現実から眼を背けていた。

 

 

「織斑くんも霧夜くんも怪我をして、辛い気持ちは分かります。それでも自分を責めるばかりでは何も解決しません。少し休むべきだと思いますよ」

 

「……そう、ですね。少しだけ……頭を冷やしてきます」

 

「あっ、篠ノ之さん……」

 

 

表情を合わせないまま、真耶の隣をつかつかと歩き通りすぎる。そんな篠ノ之を真耶も止めようとするも、思った以上に早く、篠ノ之は歩き去ってしまう。

 

その後ろ姿に一抹の不安を覚えながらも、真耶にはただ見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れを迎えた海水浴場。

 

だというのに砂浜には人っ子一人見当たらず、閑散とした風景が広がっている。波が押し寄せ、やがて引く。一連の動作を何度も何度も繰り返す誰もいない海は、昼間のような行楽地ではなく、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。

 

ほどよい温度まで熱の下がった砂浜に残るのは、一人の足跡だけ。多くの人間が踏んだであろう砂浜には、たった一人の足跡しか残っていなかった。

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

 

砂浜を走ったことで、適度な疲労感と息切れが箒を襲う。

 

膝に手をついたまま前屈みになり、乱れた息を整えようとした。

 

誰かに顔を見られたくもなかった。決して自分の顔が醜いというわけではない。誰かから視線を注がれることがたまらなく苦痛だった。

 

逃げてばかりでは何の解決にもならないというのに、ISに乗らないという自分勝手な考え方でしか、物事を正当化することが出来なかった。

 

 

だが、本心からそう思っている訳じゃない。

 

 

「一夏、霧夜……」

 

 

絞り出すように二人の名前を言葉に出す。

 

あまりにも弱々しい言葉に悲壮感を隠せなかった。箒だって二人のことが心配で今にも胸が張り裂けそうなはずなのだ。それでも一人になりたいのは、二人が負傷する要因を作ったのは箒自身だから。

 

いくら二人の意識が戻ったとしても、合わせる顔など無い。これからどうすれば良いのか分からず、遠くの水平線を見つめながら呆然と立ち尽くす。

 

 

「……?」

 

 

立ち尽くしている箒の背後から、砂浜を踏みしめる足音が聞こえてきた。

 

足音の数からして複数人ではなく、多かったとても二人。だが重複する足音が無いから、一人と考えるのが妥当だろう。

 

 

「こんなところに居たのか……部屋にも居ないから探したぞ」

 

「……」 

 

 

声の主はラウラだった。

 

箒にしてみれば一番意外な来訪者だ。本来であればもっとも自身のことを恨んでいるはずの人間が、このように姿を見せているのだから。

 

一つの慢心のせいで肉親に近い存在を傷つけられ、意識が戻るかどうかも分からない状態になり、仮に意識が戻ったとしても左眼の視力は二度と戻らないとまで言われて、正気でいられるはずがない。

 

片眼を失ったのだから、しばらくは日常生活にも支障が出てくる。遠近感が掴めないから今まで通りの動きをすることも出来ない。

 

群を抜いた剣術、一回の飛行で代表候補生と渡り合う格闘センスはもちろんのこと、通常の歩行も初めのうちはおぼつかないはず。たった一回の失態で、大和から日常生活までをも奪ってしまった。

 

申し訳が立たないし、何を報復されても文句は言えない。

 

覚悟を決め、歯を悔い縛りながら後ろを振り向く。

 

 

(――ッ!!)

 

 

表情こそいつもの凛とした様相を装っているも、右目の目尻から頬にかけて、涙の痕が残っている。まぶたは赤く腫れ、先ほどまで涙を流していたことが分かった。

 

肉親同然の存在を傷つけられる悲しみ、それは想像を絶するものに違いない。涙を流すイメージが全く無いラウラが、人目も憚らず大泣きをしたのだ。どれだけのショックだったのかと考えると、居てもたってもいられなくなる。

 

 

「勝手な外出は禁止されている、教官から言われただろう」

 

 

あくまでラウラの言葉は業務的で、冷静そのものだった。

 

 

「放っておいてくれ……私は、お前に合わせる顔がない」

 

「何?」

 

 

僅かにラウラの眉が上がる。ラウラの変化を気にせずに、そのまま箒は言葉を続けた。

 

 

「私のせいで……私のせいで作戦は失敗した。それに、二人が怪我を負う羽目になったんだ!」

 

「……」

 

「だから私はもう「また逃げるのかお前は。そうやって、現実から」……何だと?」

 

 

意外な言葉にカチンと来た箒は、ムッとした表情のまま、ラウラのことを見つめる。半ば飽きれ気味にも聞こえたラウラの一言に、若干のイラつきを覚えたらしい。

 

お前に私の何が分かるのかと。

 

 

「ふん、どうせそんなことだと思った。任務の失敗で塞ぎ込み、挙げ句の果てには自身が欲しくて貰った専用機を捨てようとしている……」

 

「もう放っておいてくれ! 私には専用機に乗る資格なんて……」

 

 

そこまで言い掛けたところで、ラウラの堪忍袋の緒が切れた。

 

 

「いい加減にしろっ!! そんなワガママが許されると思っているのか!?」

 

 

鬼の形相で箒の元へと近寄り、胸ぐらを掴み上げる。

 

だがそれは兄を傷つけられたことによる恨みではなく、一件から何も学ぼうとしなかった箒の考え方に対してだった。これほどの損害を出して落ち込むことは当然であり、塞ぎ込む気持ちが分からないわけでもない。

 

分からないわけではないが、箒の言うISに乗らないという言葉は、ラウラにとって『私はもう何もしません』に聞こえたのだ。

 

自身の失態を人に押し付けるだけ押し付け、自分はただ現実から逃げるだけ……一体何様のつもりなのだろうかと。もし仮に箒が闘争心を失っていなかったとしたら、ラウラもここまで怒ることは無かっただろう。

 

専用機を与えられるということはそれほどに重たいことであり、常に責任が付いて回ることを箒はまだ理解していなかった。セシリアや鈴やシャルロットやラウラが、どんな気持ちで専用機に乗っているのか。

 

専用機を与えられたから力を手に入れた、ではない。力を持っていたからこそ、専用機が与えられたのだ。だからこそ周りからの重圧も重たいものになるし、求められることも多くなる。

 

 

「貴様はもう専用機持ちなのだ! その専用機持ちが自分の蒔いた種を刈り取ろうともせずに、私はもうISに乗らないだと!? 甘えるのも大概にしろよ!!」

 

 

ラウラの怒りは収まらない。

 

ただラウラの言葉の節々に、誰かの面影を感じとることが出来た。言い方は乱暴だが、自分の感情任せに怒るだけではなく、相手を改善点を指摘し、更なる高みへと導くような怒り方。

 

ここ最近でラウラの心は確実に大きく、強くなっていた。

 

大和が倒れたからと言って下を向き続けるのではなく、まずは倒れた大和のために必ず敵を討とうと前を向いている。内心は今にも泣き叫びたいはずだ。悲しみを心の奥底にしまい込み、ただひたすら堪えている。

 

 

「専用機が欲しくて欲しくてたまらない人間が何人いると思っている! 専用機を与えられる実力がない者、実力があっても巡りあわせが悪くて与えられなかった者だっている!」

 

 

ラウラの言うことは正論だ。

 

ISのコア数は限られている上に、それを世界各国で割り振っている形になる。だからこそどれだけ欲しがってもそれに見合う力がなければ専用機は与えられないし、どれだけ実力が高かろうとそれ以上の実力者がいれば専用機は与えられない。

 

専用機を与えられるのは全世界の人口から算出してもほんの一握りだ。見慣れているものとしては現状、世界で最も手にすることが難しいものと言えるかも知れない。

 

欲しくても与えられなかった。その者たちの気持ちを考えたことがあるかと強い口調でラウラは伝える。一方でラウラの物言いに、言い返すことが出来ずに押し黙る箒。

 

 

「専用機が与えられるというのはそういう事だ! 誰かを傷付けるかもしれない、失うかもしれない。そんな覚悟もないままに貴様はISを欲したというのか!?」

 

「ッ!!」

 

 

言うとおりだった。

 

何一つ覚悟など持ち合わせていなかった。ただあの背中を追い続けたい、一夏や皆の隣に並び立つだけの力が欲しい。

 

最初は本当にそれだけの理由だった。だからこそラウラの言うことに言い返せ無い。言い返す言葉も見付からない。

 

理由は一つ、ラウラは覚悟をもってISに乗っている、箒は覚悟が曖昧なままにISに乗っているから。

 

 

「貴様は反骨心もなければ、戦うべき時にも戦えない臆病な人間なのか!?」

 

 

流石に最後の一言が箒の癪に障ったらしく、ラウラを掴み返す。

 

 

「ぐっ……この! 言わせておけば好き放題言いおって! そんなわけ無いだろう! 大体貴様とて何もしなかったではないか!」

 

 

私の何が分かる……少なくとも箒にはプライドがあった、一個人として決して曲げられないプライドが。ここまで好き放題言われる筋合いは無いと、啖呵を切っていく。

 

だが箒の眼には薄っすらと光り輝く水滴が付いていた。

 

作戦を失敗し、一夏や大和を負傷させたこと。特に再起不能レベルの大怪我をした大和のことを考えると、箒の良心が痛んだ。何故あの時、斬られたのが私ではなくて大和だったんだろうと。

 

出来ることならもう一度、もう一度あの時を取り返したいと何度思ったか分からない。

 

悔しくない訳がない、悲しくない訳がない、再戦出来るのであればとっくにやっている。

 

 

「だからこそだ! 私はもうこれ以上悲しむ人間を見たくない! 必ず私の手であの男を討ち取って見せる! それが私の覚悟だ!」

 

「何が覚悟だ! 私はこれから背負わなければならない! 一夏を、霧夜を傷付けてしまったという戒めを! 大体さっきから何だ! 一番重要なのは任務の遂行だと抜かしよって! お前は霧夜のことが心配ではないのか!」

 

「私が悲しんでないとでも思っているのか!!?」

 

 

ピシャリと言い放つラウラの言葉には今までのどの言葉よりも迫力があった。

 

悲しんでいないわけがない。それは誰よりも場に居た全員が知っていたはずだ。

先ほど千冬から大和の状態を言い渡された時のラウラの絶望に染まった表情、人目を憚らず号泣した姿を見れば、誰よりも兄の負傷を悲しんでいることは分かるはず。

 

事実を再認識して視線をラウラから背ける。

 

 

「……」

 

「このまま悲しみに暮れていればどれだけ楽か! でもそんなこと望んではいない! 少なくとも箒! 貴様が下を向いて塞ぎ込む姿を、お兄ちゃんが望んでいるとでも思うか!? 何の為に助けた! 何の為にお兄ちゃんは倒れたんだ!? その想いも踏み躙ったら、それこそ貴様はただの畜生に成り下がるだけだぞ!!」

 

 

大和自らが箒を責めるなと言った理由、それは本人しか知り得ないこと。

 

ラウラも本来であれば、箒の犯した罪を決して許してはいない。慢心をするような場面ではない、命の掛かった重要な国家任務なのだ。

 

それを軽視して作戦を失敗し、負傷者を二人出している。更に負傷者の一人は自身が最も慕う兄とも呼べる存在。

 

血は繋がっていないかもしれない。だが、そんなことはラウラにとってどうでも良かった。兄妹という括りに血の繋がりなど関係ない。家族の一員のように敬愛し、たった一人の存在として愛している。

 

唯一無二のかけがえのない存在を傷つけられ、ラウラが怒らないはずが無いのだ。しかし、箒のことを恨んでいるわけではなかった。

 

 

 

大和に責めるなと言われた時は、それはおかしいと反抗した。ただ冷静に考えて、大和の負傷した理由は箒の慢心によるものだけではない。

 

大和も言っていたが、そもそも相手に一人で無理して立ち向かおうとしなければ、大怪我をすることも無かったかもしれない。強大な一撃を持ち合わせている相手だったとしても、二人で掛かれば何とかなった可能性だってある。

 

それにあくまで負傷したのは結果論であって、二人で戦ったとしても何らかの損害は覚悟すべきでもあった。楽観視するわけではないが、今回の作戦失敗を一人の責任にすることは出来ない。一つの要因としては考えられるが、それが全てかと言われたら違う。

 

だが、作戦の失敗を一人で塞ぎ込み、ISに乗らないと現実から逃げるのはありえない。入手経路はともかく、仮にも専用機持ちの一員となったのだ。そんな甘えた思考は決して許されるものではない。

 

大和が伝えたかったこと、そしてラウラが伝えたかったこと。それを箒はどう判断したのか。

 

 

「……決めるのはお前だ。どうしても嫌だと言うなら強制はしない。選ぶ権利があるからな。だが本当にそれで良いと言うなら、お前は二度とISに乗る資格はない。覚悟が無い人間が、今後成長できるとは到底思わん」

 

 

本当にこのまま逃げ続けていて良いのか。

 

相手にも負けて、自分にも負ける。本当に今のままで良いのか。

 

逃げることは簡単だ。やらなければ、現実から目を逸らせば逃げることが出来る。しかし人間として最も大切なことを失う。

 

剣道で全国優勝した時、自身の行為がただの憂さ晴らしだと思って自己嫌悪した。力を持つといつもそうだった、改善しようにも改善出来なかった。その結果が今回の事態を招いた。

 

 

もうこれで二度目だ。三度同じことを繰り返してはならない。既に大切な何かを失い掛けているのだ。だからこそ、自身で蒔いた失敗の種は自分の手で刈り取る必要がある。

 

もう一度、もう一度チャンスがあるのであれば……。

 

失いかけていた闘志の炎が、再び箒の眼に宿った。

 

 

「……というんだ」

 

「何だ? 小声では何も聞こえんぞ?」

 

「どうしろと言うんだ! 敵の場所も分からない! 戦えるなら私だってまだ戦う! 戦って必ず勝つ! そして一夏と霧夜にもう一度謝るっ!」

 

 

感情任せに荒々しい口調で捲し立てる箒の様子を見ながら、ラウラの口元が僅かに納得したかのように歪んだ。

 

やれやれ、ようやくかと言わんばかりに、ラウラは満足そうな表情を浮かべた。彼女だって辛いだろう、だがこうして前を向いている。

 

このような事態になってしまったのは結果論であって、未然に防げたかとは言えない。様々な偶然が混ざり合い、たまたま今回の事態を引き起こした。

 

以前のラウラなら全くそのようなことを考えず、怒り任せに相手を追い詰めていたに違いない。初めこそ兄を傷つけられた怒りから、箒を詰めるようなことをしてしまったが、今は違う。

 

悲しみを心の奥底に隠しながら、周囲がしっかりと見えている。それがしっかりと出来るようになっただけでも、この僅かな期間で彼女が成長できた証にもなる。

 

 

「ふん、ようやく自分の声で言ったか」

 

「な、何だと!?」

 

「言葉通りの意味だ。私とて演技が上手い訳じゃない。こうでも言わないと、お前はいつまでたっても塞ぎ込んでいただろうからな」

 

 

演技? 一体何の話かと首を傾げる。理解が追い付いていない箒に対し、ラウラは背を向けながら言葉を続ける。

 

 

「昔までの私なら、お前のした行動全てを決して許していなかっただろう」

 

「!」

 

 

かつてはそうだった。

 

物事の真意を考えず、ただ怒鳴り散らせば良いと思っていた時期がラウラにもあった。

 

人間、嫌なことをされれば嫌な気分になるし、怒ることもある。それでもラウラは必要以上に追い詰めず、悲しみを心の奥底に仕舞い込んだ。

 

それが出来るようになったのは他でもない、大和のお陰だった。

 

元々ラウラは一般常識に疎い。でもそれは生い立ちを考えれば必然でもあるし、周囲の環境も相極まって知らないことが人より多かった。

 

だが今は違う。兄として大和の側に寄り添い、大和から様々なことを学ぶ。生い立ちが全く同じの大和が出来て、自分に出来ないことはないと前向きに考え、吸収出来るものは全部吸収しようと努力している。

 

小さな子供が些細なことに興味を持つように、ラウラも人として些細なことに興味・関心を持ち、それを身近な人から学ぶ。たったこれだけのことなのに、僅かな期間の内に、誰もが驚くべきスピードで人として大きく成長している。

 

箒を必要以上に追い詰めなかったのも、大和が箒のことを責めるなと言ったからだけではなく、ラウラが自分で箒の状態を判断し、彼女が本気で反省し、自身の浅はかな行動を後悔していることを汲み取ったからだ。

 

 

「もちろん、私だって人間だ。いきなり全てを許すことは出来ない。それでもお前が自らの行動に対して悔いていることはよく分かった」

 

「……」

 

「……さっきは悪かったな、胸ぐらを掴んでしまって。いくら頭が混乱していたからといって、お前だけを追い詰めて良いわけではなかった。この場で謝らせて欲しい」

 

「そ、それは!」

 

 

お前は悪くないと言いたいのに、言葉が出てこなかった。気付けば両頬にまぶたから止めどなく涙が溢れ出てくる。

 

これだけのことをして許されている自分が情けない。いっそのこと恨み続けてくれた方が楽だったと、自虐的に考えたこともあった。

 

かつては自身よりも精神的に幼いと思っていたラウラに、自分が諭されている現状。いつの間に彼女はこんなに強く、たくましい存在になったのか。ラウラがタッグトーナメント以降、心を入れ換えて生活しているというのもあるだろう。

 

ただそれ以上に、ラウラを変えてくれたのは他でもない『霧夜大和』という人間だった。

 

 

(霧夜……お前はこんなにも、慕われているのだな……)

 

 

同時に羨ましいとすら思えてしまった。

 

もう少し大和に早く出会えていればと思いつつも、現実は変わらない。

 

目についた涙を拭い去り、気持ちを一旦リセットする。

 

 

「さて話を戻すか。お前にもし戦う力があるのであれば、この後の作戦に参加してもらう。既に福音の大まかな位置については偵察済みだ」

 

「……」

 

「再度確認するぞ。行くか行かないかを選ぶのは自由だ。お前はどうする?」

 

 

腕に巻かれた赤い紐を、箒は力強く握りしめる。これ以上の間違えはしない、必ず作戦を達成してみせる。確固たる決意の現れが、箒の瞳に宿っていた。

 

大和の意識も必ず戻る。自らの過ちを全て許してもらおうとは思わない。事が済んで、大和が目を覚ましたら、その時は自分の口で謝罪をしよう。

 

もう、過去からは。

 

――否、自分からは逃げない。

 

 

「行く。今度こそ必ずケリをつけてみせる!」

 

「ふん。ならさっさとついて来い。もう皆準備を済ませてお前の帰りを待っている」

 

「……ああ!」

 

 

再度見開いた瞳に迷いはなかった。

 

ラウラの後を着いていく箒。確固たる決意……覚悟を胸に、再度状況を開始する。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。