IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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誰が為、何が為

 

 

 

 

「あ、おかえりなさい大和♪ ……ど、どうしたのその顔!?」

 

「……何でもないよ。ただ転んだだけだから」

 

 

霧夜千尋、十八歳。

 

霧夜大和、九歳。

 

 

 

千尋は既に高校卒業手前、大和も小学校三年生と、初めて会った時に比べると共に大きく成長していた。千尋は年齢以上の落ち着きと、独特の色気。

 

ほぼノーメイクというのにパッチリと見開いた二重の瞳に、整った顔立ち。高校の制服の上からでもハッキリと伝わる重量感のあるソレが、苦しそうに制服の胸元を締め付けている。すらりと伸びた健康そのものを表す脚に、寒さから守るように履いたストッキング。

 

大和と初めて出会った時に履いていたタイトスカートとは、また違った色気を感じることが出来る。タイトスカートを履いていると一端の社会人としての大人の色気となるが、学校の制服であればあどけなさ残る学生の一人としての、幼くも大人っぽい色気となる。

 

彼女は三年という歳月を経て、一回りも、二回りも大きく成長していた。

 

 

学校がいつもより早く終わり、たまには早く作り初めても良いだろうと、夕飯の仕込みをしていたため、彼女は制服の上からピンクのエプロンを羽織っていた。

 

鍋が吹き零れないようにガスコンロの前に立っていると、玄関の扉を開ける音が聞こえたため、慌ててコンロの火を弱めて玄関へと出迎えに向かう。

 

愛しの弟の帰りだ。

 

いつもは自分が遅くかえって迎えられることが多いのだから、今日くらいは驚かせてやりたい。エプロンはそのままに、玄関で靴を脱ぐ大和の元へと向かうととびきりの笑顔で出迎えた。

 

 

「いや、転んだって……」

 

 

しかし大和から返ってきたのは素っ気ない返事。

 

大和も三年前にこちらに住み初めてからというもの、千尋の尽力により少しずつ心を開き始め、今となっては普通に会話を交わす程度なら難なく出来るレベルに成長していた。

 

まだ他人と話すのはどこか壁を張る節があるらしく、苦手にしているようにも見えるが、それでもこの三年間での成長を考えると大きな変化だ。

 

千尋のことを『千尋姉さん』と呼ぶようになり、二人の壁はほぼ無いも同然のレベルに来ていた。だというのに急な大和の変化に千尋は思わず首を傾げる。

 

極めつけは大和の顔。左頬に絆創膏が貼られ、怪我をしているのが伺える。怪我をしたのはいいが、問題なのはその箇所。

 

普段膝を擦りむいたり、工作で手を切ったりすることはあるものの、顔を怪我することはほとんど無い。顔を怪我するようなシチュエーションが何通りあるのかと言われたら、パターンとしては限られてくる。

 

遊戯から落ちた……いや、大和がそんなドジを踏むとは考えられないし、余所見していて壁に顔をぶつけたとも考えづらい。

 

ましてや転んで頬を怪我するだなんて、万に一つもない可能性なのだ。

 

 

大和は嘘をついている。

 

千尋にはすぐに分かった。

 

 

「ちょっと待ってなさい。すぐに消毒液と新しい絆創膏持ってくるから」

 

「い、いいよこれくらい! 放っておけば治るからさ!」

 

「何言ってるの! あんた普段怪我なんかしないんだから!」

 

「俺だって怪我くらいするって! これは本当に転んだんだってば!」

 

 

「何言ってるの! さっき先生から電話があったのよ!」

 

「え……」

 

 

千尋の投げ掛けた言葉に反応して顔色が変わる。一連の反応を見て千尋の中の疑問は確信へと変わった。

 

 

「嘘よ」

 

「はぁっ!?」

 

「……全く。どうして怪我なんかしたのかしら」

 

 

カマをかけられたことに驚く大和をよそに、救急箱を探しながら、千尋は何故顔に怪我をしたのかを考える。普段怪我をすることがないからこそ、顔に怪我をしたことが不自然に見えた。

 

救急箱を探し終え、中から新しい絆創膏と消毒液と脱脂綿を取り出すと、それを大和の元へと持っていく。

 

 

「ほら。絆創膏剥がして、傷口見せて」

 

 

言われるがまま、渋々絆創膏を剥がしながら傷口を見せる大和。ピンセットを使って脱脂綿を消毒液で濡らし、傷口から垂れないように的確な角度で消毒していく。

 

 

「いたっ!」

 

「我慢する! すぐに終わるから!」

 

 

消毒液が傷口に染み、思わず顔をしかめる大和だったが、千尋の一声により痛みを我慢しながら、消毒を受ける。手際よく消毒を終えると、新しい絆創膏を取り出して頬へと貼り付けた。

 

 

「はい、おしまい。もう良いわよ」

 

「……うん」

 

 

救急箱をしまう千尋に返事をする大和だが、どことなく元気がないようにも見える。何か後ろめたいことでもあるのか、千尋の目には大和が何を考えているのかまでは分からなかったが、少なからずまだ何かを隠しているのは把握出来た。

 

一体何を隠しているのか、下手に放置しておいても良いことはないだろうし、何があったのかくらいは聞いておいても良いかもしれない。

 

 

「ねぇ、大和。本当は何かあったんじゃないの?」

 

「いや、学校では特には……」

 

「……」

 

 

どうやら学校で何かあったらしい。千冬は大和の身の回りで何があったのかとは聞いたが、『学校』でと指定はしていない。なのに大和から返ってきた答えは、『学校では特に何もなかった』というもの。

 

これでは逆に学校で何かあったと、自分から証明しているようなもの。千尋としてはもし引っ掛かればと、さらりとカマを掛けてみたが、思いの外簡単に引っ掛かり、ボロを出す大和。

 

大和の表情はさほど変わってはいないが、口から発する言葉は正直そのもの。うっかり滑らせたのは仕方ないが、些細な変化を見逃すほど、千尋の感性は甘くない。

 

 

「なるほど、学校で何かあったのね?」

 

「え……ちがっ!」

 

「すぐ分かるような出任せを言わないの! 早くおねーちゃんに話してみなさい!」

 

「だ、だから本当に何もないんだってば!」

 

「嘘おっしゃい! じゃあなんでそんなに視線が泳いでるのよ? まさかいじめられてるとかじゃないわよね!?」

 

「ち、違うって!」

 

 

ワーワーと喚く二人を余所に、不意に家の備え付けの電話が鳴り響く。呼び出し音と共にピタリと止まる二人のじゃれ付き合い。

 

 

「もう……こんな時に何よ」

 

 

パタパタと電話の方へと駆けていく千尋、一方の大和はムスッとしたまま場に座り込む。今までの課程から、大和が学校で何かあったのは事実。

 

仮にいじめられたとしても、跳ね返すくらいの力を大和は備えているし、数人単位で束になって飛び掛かったとしても、決して負けはしないだろう。

 

気になるのは大和の頬に出来た傷。

 

喧嘩しても到底負けないような人物の頬に、傷が出来ているという事実。千尋自身とサシで戦って食らい付いてこれた人間がおいそれと怪我をするだろうか。

 

一抹の不安が千尋の脳裏を過る。

 

すぐにでも事情を聞き出したいところだが、掛かって来た電話を蔑ろにするわけにも行かず、渋々と受話器を取る。

 

 

「はい、霧夜です……」

 

 

 

 

まさか千尋も思わなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、先生。どうされたんですか?」

 

 

 

 

 

 

まさかその電話が。

 

 

 

 

 

 

 

「はい、はい……えぇ……はい?」

 

 

 

 

 

 

 

彼女の不安を。

 

 

 

 

 

 

 

「え? 大和が?」

 

 

 

 

 

 

 

 

的中させることになろうとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、だからね? 息子たちは君が一方的に手を出したから殴り返したと言っているんだよ。分かるかね?」

 

「えーっと、状況を整理しますと……」

 

 

ところ変わって、小学校の生徒指導室。

 

電話の後すぐに学校まで来て欲しいと呼び出された大和と千尋。大和は当事者として、そして千尋はその保護者として。

 

喋り続ける相手方の保護者に、同調するように頷く教師。

 

気に入らない。千尋にとって最も嫌いな光景だった。

 

一教師と、一保護者。

 

端的に捉えればそれまでの関係なんだろうが、二人の間には目に見えない上下関係がある。何でもしきりに騒ぎ立てている男は相当な権力者だそうで、この学校を運営するために多大な資金を援助しているとのこと。

 

故に大抵の教師陣は頭が上がらず、保護者の中でも彼に意見する者はほぼ皆無に等しかった。事実を調べようとせず、一保護者の言うことだけを鵜呑みにし、へりくだる教師の姿勢。

 

また持っている権力を盾に、何でも思い通りになると力を振るう保護者、そしてその保護者にすがる子供。見ていて反吐が出るほど痛々しい。自分が何かをしたとしても、全て親が片を付けてくれる。

 

自分は絶対的な力を持っているんだと過信し、善悪の区別が付かなくなる。息子が着ている服を見てみると、同じ小学生としては随分グレードの高い服を来ている。よく見る『おぼっちゃま』をそっくりそのまま体現したかのような服装に、千尋は思わず表情を歪めた。

 

はっきり言って全く似合っていない。年不相応に七三分けで大人の雰囲気を醸し出そうと背伸びし、自分は如何にも出来ると見栄だけを張ろうとする。

 

 

「私たちが事実確認をしたところ、確かに霧夜くんが二人の少年を叩いたという目撃証言が出ておりまして……」

 

 

一体何を根拠に言っているのだろう。ところどころ目を泳がせて事情を説明する教師に一抹の苛立ちを覚える千尋。もし大和が先に手を出したことが事実なら、どうしてそこまで後ろめたい様子を装おうとしているのか。

 

後ろめたい気持ちがあるというのは、少なからず話している根拠に捏造があるということ。大和が先に手を出したのが百歩譲って正だとしても、二人掛かりで大和にやり返したのは正当化しても良いのか。大和の頬に出来た傷は、よほど強い衝撃が加わらない限り、あんな傷にはならないはず。

 

その場に倒されて、恐らくは蹴られた。蹴られたシーンを想像するだけで居ても立ってもいられなくなる。全く悪びれる様子もなく居る子供二人と、二人の父親。今すぐにでも蹴り倒したい。

 

千尋の中には言い返したいことが山ほどあったが、自身の感情を堪えて話を聞き進める。彼女に同調するように、大和も何一つ返答しようとはせず、淡々と話だけを聞いている。

 

 

「で、話をまとめますと。何をどうしてか急に霧夜くんが殴り掛った。二人共身の危険を感じて、自己防衛の為に霧夜くんにやり返した……それでよろしいですね?」

 

「はい、そうです」

 

「えぇ、先生の仰る通りです」

 

 

教師の言うことに頷く二人の少年。これでは一方的に大和が手を出したことになる。

 

確かに以前は情緒不安定な時期もあったが、大和が本当に自分から手を出すような事をするだろうか。今まで一緒に生活して、大和から相手に危害を加えるようなことは一度も見たことはないし、仮に出会う前にあったとしてもそれは遠い昔のことになる。

 

可能性は否定できないが、何の脈略もなく、誰かより先に大和が人に手を出すことが考えられなかった。絶対に何処かおかしい、本当の事実を息子たちが捻じ曲げて伝えているのではないかと疑問すら浮かんでくる。

 

確認しなければならない。

 

だんまりを決めていた千尋だが、その重たい唇をようやく開く。

 

 

「今回の件、多大なるご迷惑を掛けてしまったことを深くお詫び申し上げます。……ところで、先ほどの件ですが、うちの大和が先に手を出したというのは本当に事実なのでしょうか?」

 

「何を今更。うちの息子がそう言っているんだから、それが何よりの証拠だろう?」

 

「とはいえ、先生。目撃証言が出たということは、目撃者がいるんですよね? それならその方にも参考人として来ていただいた方が話が進むのではないですか?」

 

「それは……」

 

 

バツの悪そうに視線を逸らす教師、反応から察するに目撃者を呼びたくないのか、それとも目撃者はおらず、話のでっち上げの中で作り出された存在であるかのどちらかか。

 

いずれにしても呼べない事実は変わらないし、呼べない理由はろくなものではないのも明らか。目撃者は居るとは言っても、それは話だからこそ言えるわけであり、そこまでハッキリと言えるのであれば目撃者を呼べば良い。なのに呼べないのは理由があるのかと、問い詰めていく。

 

 

「確固たる証拠がない以上、私は何の理由もなく大和が殴ったという事実を受け取ることは出来ません」

 

「お姉さん、弟のことを可愛がるのは勝手だが、被害を受けたのは私の息子たちだ。君が出る幕ではないことくらい分かっているだろう?」

 

「そのまま返させていただくようですが、私としても捏造された事実を押し付けられたところで受け取ることは出来ません。ましてや大和の話を何一つ聞いていない、貴方の息子さんの証言だけでの結論ではないですか?」

 

「ははっ、これはまた口がよく動くお姉さんだ。君は分かっていないようだが、君の弟さんが仕出かした一件で、うちの息子は怪我をしたんだ。心に大きな傷をね」

 

「っ!?」

 

 

不意に立ち上がったかと思うと、そっと肩を触られる。同時に千尋に押し寄せてくるのは猛烈な嫌悪感と、拒絶感。

 

第三者の、それも敵対している男に肩を抱かれて良い気持ちにはならないし、ひたすら気色悪い。大和以外の男性に体を触られるイメージをするだけで虫唾が走る。

 

誰も居ないのであれば即座に叩き伏せていたところだが、あいにく公衆の面前。湧き上がる気持ちをぐっと堪えて、平常心を保つ。

 

 

「それで、貴方たちの要望は何でしょうか?」

 

「ふふっ、何。要望だなんてそんな大それたものじゃありませんよお姉さん」

 

「……」

 

 

人をチラチラと観察する視線が嫌らしい。舌舐めずる態度が、ことごとく人の沸点を刺激する。

 

何だ、私の体を差し出せば全てを丸く収めるとでもいうのか。もしそれで丸く収まったとしても、自分を売ってまで騒動を沈静化させようとした自分自身が許せなくなる。

 

そしてそれは逆に、大和を辛い目に合わせてしまうことにもなる。自分のみを差し出すことは大和も望んでいない、それにこんな人間に体を差し出すくらいなら、自害した方がマシだ。

 

 

「貴方たちが想像しているようなことは全て却下します。私たちがそれをやる理由は、何一つ見付かりませんので」

 

「ほほう? 強気なお姉さんだ。だがまだ世界の広さを知らん。あんた、まだこの期に及んで自身の立場が分かってないみたいだから教えてやる。この学校の運営は全て私の寄付があるからこそ成り立っているようなものだ。つまりあらぬ噂を立てて余所者を追い出すことくらいは造作も無いわけだ」

 

「……」

 

「他の学校に根回しをすることもそう難しくはない。弟さんの将来を保証したいのなら、私たちのいうことを―――」

 

聞くんだ、と言いきる前に千尋の口が動いた。

 

 

「結構です。追い出したいのであればどうぞご勝手に」

 

 

凛とした、静かな怒りのこもった迫力のある一言に父親は押し黙る。今までの相手はこの一言で落としていたのだろう、だが千尋は頑として譲ろうとしなかった。

 

理由はただ一つ。

 

千尋の納得のいく理由が何一つ聞けていないからだ。話を聞いていればやれ急に殴られただの、息子から聞いた内容が何よりの証拠だの、あまりにも幼稚で下らないやり取りに付き合うことが徐々に面倒になってきた。

 

結局こちらが何を言っても全ては相手側の都合の良いように解釈され、揉み消されるのであれば、わざわざ下手に出てへりくだる必要は一切無い。だったら相手が思うようにやれば良い、今いる小学校を追い出されたところで、大和の心が折れることもなければ、千尋自身の心が折れるようなことはない。

 

何より怖いのは、大和を失うこと。

 

それを守れるだけの手筈が整っている以上、相手に何をされたところで怖くもなんともない。家族のことに介入してくるのであれば、私利私欲となってしまうが、家系を盾にとって潰すまで。

 

何一つ躊躇は要らない。

 

 

「本気で言っているのか!? 私が本気になれば貴様の弟なんぞ簡単に飛ばすことも出来るんだぞ!」

 

「えぇ。飛ばしたければ勝手に飛ばせば良い。でももしそれが間接的にでも大和に危害が加わるのであれば……」

 

「ひぃっ!」

 

「あわ、あわわわわわ……」

 

 

千尋の表情を見た二人の息子は、表情を恐怖に染めて後退りしようとする。後ろにあるのは椅子の背もたれであり、それ以上逃げようがない。

 

 

 

 

「その時は……」

 

 

みるみる内に強まっていく明確なまでの敵意、殺気。

 

もし私の弟に手を出してみろ、その時は誰であっても容赦はしない。対面している教師、父親、息子二人は、齢十八歳の女性に恐怖すら感じたことだろう。千尋としては相手が一般人である以上、全力で威圧することは出来ない。

 

絶対零度の威圧をしてしまった段階で、この話し合いは千尋たちの負けとなってしまうからだ。力だけで強引に押さえ込もうと思えば、最初から強引にでも押さえ込むことは可能だった。

 

それでもやらなかったのには理由がある。

 

 

仮に全員を恐怖で震え上がらせて、強制的に屈服させたとしても、それは根本的な解決にはならず、逆に大和を殴った事実を隠すためにやったと捉えられてしまう。

 

それではまるで意味がない。適度に牽制しつつ、事実を聞き出すことが最優先であり、専ら争うためにここに来たわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、もういいよ。千尋姉さん」

 

 

一部始終を見ていた大和がここで初めて声を発する。今までは完全に静観を決め込んでいた大和だが、やり繰りする内容があまりにも幼稚だと思って居ても立っても居られなくなったのか。

 

だが大の大人が権力を振りかざし、たかだが小学生の子供を飛ばす飛ばさないだの議論している時点で、その程度は知れている。権力はあっても頭は弱い。これ以上付き合っていられるかと言わんばかりに両手を上げた。

 

 

 

「大和……」

 

「結局、親が出てきて解決しようとする時点でこうなる事くらいは分かっていたよ。だからもうこれ以上、下らない話し合いをするくらいならさっさとケジメて欲しい」

 

 

鬱陶しそうに頭をかきながら、二人の少年を見つめる大和。視線は父親に合わせようとはせず、あくまで自身に暴力を振るったであろう二人に向けられていた。

 

 

「お前たちは俺を悪者に仕立て上げたいみたいだし、悪者にしたいのなら勝手にすれば良い。お前たちが言っていることが本当に事実ならな」

 

「……はぁ?」

 

「何言ってんだコイツ……?」

 

「ははっ、君は何を言っているんだ? 事実も何も私の息子たちがこう証言しているではないか。それが間違っているとでも?」

 

「あー、間違ってる間違っていないで議論する問題じゃ無いんですよおじさん。結局はどちらが真実なのか、それを明らかにすればいいだけの話だ」

 

「だからどうすると言うのかね?」

 

「ふん、この期に及んで俺の一言なんかには耳を貸さないだろう。でも……」

 

 

ポケットの中からペンライト状の何かを机の上に出すと、付いているボタンのようなものを押す。

 

初めの内はこれが何なのか分からなかっただろうが、ペンライト状の物体から流れてくる音声により、全てを悟る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーアンタらの声だったらどうだろうな?」

 

 

どうして大和がICレコーダーを持っているのか。レコーダーから流れてくるのは計画的に一人の生徒をイジメようとする二人の少年の声と、それを守ろうとする一人の男子の声。すすり泣く声は女の子だろうか。

 

二人の少年とは今、大和の目の前に居る父親の子供であり、真実が大衆の門前で明かされていることが信じられず、顔色を真っ青にしながら下を俯く。

 

 

『お前こんなウジ虫庇うのかよ』

 

『さぁ、どっちがウジ虫だろうな。お前たちのイジメに耐えてきたこの子の方がよっぽど人間として出来ているように思うけど』

 

『お、お前! 俺らに楯突いたらタダじゃ済まないからな!』

 

『勝手にしろ。俺はただ、お前たちがこの子にすることが許せないだけだ』

 

『このっ……! やれぇっ!!』

 

 

事の一部始終がハッキリと指導室内に響き渡る。

 

流れる会話は他でもない、二人組から手を出した証拠そのものだった。今流れた音声の中のどのシーンにも、大和から喧嘩を吹っ掛けた、もしくは大和が先に手を出した事実は記されていない。

 

むしろこの音声だけで判断するなら、先に手を出したのは二人の少年であり、大和は二人の暴力から一人の女子生徒を守っていたことになる。

 

この場に女の子を呼ばなかったのは、彼女の存在が二人が先に手を出したという動かぬ状況証拠となってしまうから。念には念をということで口止めはしているんだろうが、実声が残っている以上、二人が何を言ったとしても、跳ね返せるだけの証拠を手に入れたことになる。

 

 

これでは少年二人は何一つ言い返せない。

 

事の大きさを悟った二人の少年は、下を俯いたまま顔を上げられなくなる。また先ほどまでは二人側についていた教師も、観念したかのように持っていた書類を机の上にぶち撒けた。

 

これほどしっかりとした状況証拠はない。仮に声紋鑑定に出したとしても、二人の声と大和の声が作り物ではないことくらいは分かる。

 

一方で顔を真っ赤にしたまま震える父親。まだ言い訳を考えているのか、その言い訳すら浮かばずに顔を赤くする様子が堪らなく不格好で、滑稽な姿だった。

 

 

……何故ICレコーダーを持っているのかは、正直どうでも良い。徹底的な証拠を突きつけ、逃れられないようにする手際の良さ。千尋の想像以上に、大和は大きく成長していた。

 

 

「さて、これでハッキリしたと思いますが……まだ、何か言うことはありますか?」

 

「……」

 

「……」

 

 

何も言い返せる訳がない。

 

言い逃れが出来ない程の証拠を突き付けられているのに、この劣勢をひっくり返せる訳がない。大和が先に手を出したという事実は全くの捏造であり、二人の少年が一人の少女に手を出した挙句、それを守ろうとした大和にまで手を出したという新事実が発覚した以上、彼らに何かを言い返すことは出来なかった。

 

 

「ぐっ……このっ、小娘がっ!! 分かっているんだろうな!? この後まともな生活を送れると思うなよっ!!」

 

「どうぞご自由に。最も、貴方一人に生活が脅かされるほど、私も大和も弱くはないですから」

 

「ぐぅ……!」

 

「あらぬ事実を押し付けられ、あまつさえ事実を捏造したということで、市の方に訴えさせて頂きます。幸い音声データも残っていることですし、二人のいじめも明るみに出ることでしょう。これからが楽しみですね?」

 

「……」

 

 

言い逃れが出来ない事実がある以上、逃げることは出来ない。少し探りをいれれば、二人が常習的にいじめを行って居たこともハッキリする。

 

そうなれば世間の見方は一斉に変わる。特に二人揃って学校では有名人であるために、今まで隠していた事実が一斉に拡散することだろう。

 

下手をすれば、おめおめと登校することすらままならなくなる。今後の未来を、半ば棒に振ってしまったのだ。

 

 

「あぁ、それと先生。今後のことはしっかりと対処をお願いしますよ?」

 

「は、はい……」

 

「それでは私たちはこれで。大和、行くわよ」

 

 

大和を引き連れて、生徒指導室を後にする千尋。先ほどまで喧騒に包まれていた生徒指導室は今や静寂のみが支配する空間であり、場に居る誰もが口を開こうとしなかった。

 

二人の父親も既に何かを言い返す気力もなく、今後どのように言い訳をして逃げるかばかりを考えていた。今回ばかりは自分の力ではどうしようもないことは既に悟っている。

 

喧嘩を売った相手が一枚上手だった。そう思うとどうでも良くなる。

 

父親、息子共々、いつか必ずやり返してやろうと息巻くも、この後すぐ、大和は転校して姿をくらましてしまうことを、誰一人知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やーまーとっ!」

 

「な、何だよ急に!」

 

 

自宅に戻り、机の前でゆったりとしている大和を千尋は後ろから力一杯抱き締める。

 

鬱陶しそうに跳ね除けようとする大和だが、満更でもないらしく頬を赤らめたまま焦り気味の表情を浮かべる。この時千尋は十八歳、大和は九歳、大和も十分性的なことに関心を持っても良い年頃だ。

 

背中でグニャリと潰れる凶悪な何かのぬくもりが、服越しにハッキリと伝わってくる。千尋も大和に対するスキンシップに抵抗感を全くと言っていいほど持っておらず、大和だったらむしろ裸すら見せられると豪語するレベルで、積極的に体を押し付けてくる。

 

世の男性が本気で羨む光景だろう。彼女が大和のことを心の底から大切にし、愛している様子が伺える。

 

 

「おねーちゃんはうれしいぞぅ! 女の子を庇うだなんて、さすが私の弟だぁ!」

 

「ちょっ、分かったから! 分かったから離れぇー!」

 

 

嬉々とした表情を浮かべながら、何度も自身の懐に大和を抱き寄せる。お酒も入っていないのに何をやっているのか、自身の感情を体を使って全面に表す。

 

大和を引き取ったあの日から、どれくらい彼は成長していたのか。

 

当時千尋は十五歳。

 

自分一人で大和を育ててきたが、毎日が不安で仕方なかった。本当に自分の育て方は合っているのだろうかと。

 

何回、何十回自問自答したか分からない。子育てなどしたこと無い人間の初めての子育て。不安で眠れない夜もあれば、一人隠れて涙を流すこともあった。

 

それでも今日の大和を見て、確信した。

 

 

 

 

 

少なくとも自分の育て方は間違っていなかったと。

 

確信すると同時に込み上げてくるのは、真っ直ぐ大きく育ってくれた大和に対する喜び。今日くらいはいつも以上に愛情を注ぎ込んでも良いのではないかと、判断したらしい。

 

 

「……でも本当に良かった。大和が大事に巻き込まれなくて」

 

「千尋姉さん……」

 

「私にとって一番怖いのは大和が目の前から居なくなること。貴方を守るためなら何だってするし、命だって掛けてみせるわ」

 

 

それは千尋の覚悟。

 

大和を引き取った時から、必ずこの子は自分で守り抜いてみせると。

 

それに、と千尋は言葉を付け足す。

 

 

 

「私嬉しかった。大和が正しい力の使い方をしてくれて。貴方の持っている力は強大だし、場合によっては人を傷付けることだってある」

 

「……」

 

「これからもこれだけは忘れないで欲しい。大和の力は誰かを恐怖に陥れるための力じゃない、誰かを護るために使う力だと。大和にもいつか大切な人を護るべき時が来ると思う。絶対にね」

 

「……うん」

 

 

小さく返事をする大和。

 

何気ない会話で交わした約束だが、大和の心にはしっかりと、千尋の言葉は結び付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見せてやるよ。絶望的なまでの力の差って奴を」

 

 

 

 

 

 

―――今はその時じゃないかもしれない。

 

千尋と交わした約束を、片時も忘れたことはなかった。

 

己の力は誰かを恐怖に陥れるものではなく、大切な人を護るためのものだと。

 

何度も何度も唱え、信念としてずっと抱えてきた。

 

これを使ったら、大和自身どうなるか想像もつかない。

 

でもこの場でラウラを、皆を護るためにはこうするしか方法がない。ここで完膚なきまでにプライドを叩き潰すこと、それが今すべきことである。

 

 

「悪いな。これを使うのは俺も初めてだから手加減なんか期待すんなよ。最も、初めから俺の辞書に手加減なんて文字は無いがな」

 

「さっきから減らず口ばかり叩きやがって! だったらさっさと掛かってこいよ! 返り討ちに……!?」

 

 

そこで初めて、プライドは大和の周囲を取り巻くエネルギーの異変を感じ取った。膨大なエネルギーが渦巻くだけではなく、エネルギーは大和に向かって集まっている。それこそとても制御できないほどに強大なものが。

 

ISのシールドエネルギー量は大体どの機体も大差なく、均一になっている。だというのに大和の周囲を纏うこのふざけたレベルの膨大なエネルギーは何なのか。

 

こんなエネルギーを収束されて攻撃に使われたら……。

 

プライドの額から、冷や汗が滴り落ちる。

 

 

「……あいにく、お前に受けた攻撃のダメージがゼロになっているとは到底言えないんだわこれが。正直いつ傷が開くかなんて分かったもんじゃないし、常に死と隣り合わせと考えると嫌になってくる」

 

「……」

 

「だから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで終わりだ」

 

 

周囲のエネルギーが一旦収束したかと思うと、轟音と共に膨大なエネルギーが、炎のように大和の周辺を取り囲む。エネルギーがハッキリと黙視で確認できる。

 

桁外れのシールドエネルギーが大和の機体から放出されているのだ。

 

 

《Limit Break Mode……gear first open……》

 

 

「……護るべきモノのために俺は戦う。例えこの身が滅びようともな」

 

 

そして、二人の最後の戦いが始まった。


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