「―――よし。これで授業を終わる」
「「ありがとうございました!!」」
授業終了の挨拶を済ませ、何事もなく無事に本日一発目の授業を終える。もう一回言おう、本当の意味で何事もなく終わった。
これから学生の三種の神器の一つである休み時間だってのに、お先は真っ暗。俺のテンションは全く上がらない。さっきのあれが原因で、授業中は異様な雰囲気だったし、クラスメイトはもちろんのこと、俺の目の前に座っている一夏ですら凄くまじめに授業を受けていた。
というよりも、常に手を動かしていた。
分かり切ったこととはいえ、実際にその現実を思い知るときついものがある。俺も俺で休み時間になった途端に、完全に魂が抜けた抜け殻のように、机の上で屈伏していた。発生した倦怠感というものには勝てず、ただただズーンと落ち込むだけ。
これでは話しかけようとしてくれた子も、話しかけることなんて出来やしない。取りつく島もないというのはまさにこのこと。今朝篠ノ之に食堂で思い描いていた記憶が、懐かしいもののようにも思える。
一回啖呵を切ってしまったらもう後戻りはできない。分かってやったことだし、悔いがあるかないかという問題ではない。ただもう何かやる気が起きなかった。
入学二日目にして廃人化ってか。勘弁してくれ。
皆が次の授業の準備に取り掛かる中、俺はそのまま再び顔をうつ伏せにしながら倒れこむ。横を顔を真っ赤にしたオルコットが通り抜けていった。
本人じゃないから気持ちを察することは出来ないが、少なくとも今この空間にいたいとは思わない。逆に行動しただけ、マシなのかもしれない。他の子たちに至っては、余所余所しい雰囲気を出しながら自分の席で固まっている。
倦怠状態にある俺に、前方から声が掛けられた。
「いつまでぐったりしてんだよ大和。らしくもないぜ」
「……んあ?」
上半身を寝かせたまま、顔だけ起こして声の主を見つめる。声をかけてくれたのは一夏だった。仕方ねぇなぁとばかりに苦笑いを浮かべながら、強引に俺の腕を引っ張り上げて、俺を立たせようとする。
さっきまで話しかけようともしてこなかったために、内心驚きが隠せないままだ。正直、入学初日から盛大にやらかしてしまったと思っていたから。
「ほら、さっさと気分戻せよ。そのままじゃ、席と同化しちまうぜ?」
「ん……あぁ、そうだな」
促されるまま俺は立ち上がり、うつ伏せになったことでよれた制服を手で軽く直す。騒動の後にもかかわらず、変わらず接してくれる一夏に感謝の言葉を述べる。
「ありがとな一夏。あの時もお前、俺の代わりに怒ってくれようとしたんだろ?」
「気にすんなって。俺もあんなこと言われたら絶対に許せないし、お前も家族を思ってのことなんだろ? だったらそれを責めるなんてことは出来ないし、皆だって分かっているさ」
「……みんな?」
みんなという一夏が発した言葉に疑問が浮かぶ。この場合みんなっていう言葉が意味するのは……
「「き、霧夜くん!」」
声がする方に振り向くと、怖がりながらも勇気を振り絞って話しかけてくれるクラスメイト達がいた。皆の表情は嫌悪感にあふれた侮蔑の表情ではなく、悪いことに謝罪をしたいといった申し訳なさそうな表情だった。
……どうやら、俺は思っていた以上にクラスのことを分かっていなかったみたいだ。皆が皆同じような人間ではない。でも全員が全員、男性を卑下するような人間ではなかったということを。
先ほど一夏を含めて"男性"というものを心の中でどこか馬鹿にしていた子たちも、むしろ俺に向かって頭を下げていた。
「その、ごめんね。私達、自分たちが選ばれた人間だからって、天狗になっていたみたい」
「大切な人を守るって言える強い男性もいるんだって、さっき分かったの!」
「ちょっと怖かったけど。あれはオルコットさんも言いすぎだと思うし……」
俺に話しかけるまでは、俺が今どんな感情を持っていたのか。彼女たちも分からずに、恐怖を抱かせてしまっていたに違いない。なのにこうして、勇気を出して、俺に何を言われるかも分からないのに、彼女達は俺に謝罪の言葉を述べて来てくれる。
その言葉は、俺を男性操縦者としてではなく、純粋な友達としてみてくれる。差別や侮蔑、高圧的な態度は全くなかった。
だというのに、俺はいつまで過去をクヨクヨと振り返っているのか。そう考えると、急に騒動の後から今までの自分が恥ずかしく思えてきた。ただ同時に、彼女たちに対する感謝の気持ちと嬉しさが膨れ上がってくる。
「みんな……」
「家族を馬鹿にされても、こんな世の中であそこまで啖呵を切れる男の子って、あんまり居ないよね」
「何て言うかその……一人の男性として、カッコいいと思ったかな♪」
「うんうん。ホントに俺が守ってやるっていう感じがして……」
「あんな感じで言われたら、私何も言えないよ。逆にそこまで思われている家族の人たちが羨ましいわ♪」
あぁ、本当に俺ってどうしようも無いな……
俺の女性に対する意識っていうのも、少し改める必要があるみたいだ。もう金輪際、教室で怒りを周りにぶちまけるのはやめよう。
改めてこうして俺に話しかけてくれた子たちにはちゃんと感謝しなければならない。
「な? みんなちゃんと分かってくれているだろ?」
「ああ、本当に良いクラスメイトを持ったよ。俺は」
一夏の言う通りだ。全く、こういう友人関係に関しては鋭いんだからな……
「まぁ、とにかく、だ。皆……その……ありがとな?」
かなり照れているのが自分でもよく分かった。さっきは自分が本気で悪いことをした謝罪の意味合いが強かったために、照れくさくなることはなかったが、今回は感謝という形だ。
しかもこれだけの女の子たちに対して真正面からお礼を述べるとなると、どうしても恥ずかしくなってしまう。例えるなら告白しているみたいだ。
とにかく、これでこの話題に関しては一区切りしよう。せっかくこうして皆が許してくれたわけだし、俺自身がいつまで引きずってもただ見苦しい。
オルコットに対する借りはキチンと、代表候補決定戦でやり返せばいい。それまではこの話題に触れるのはやめる。
俺の謝罪を受け入れてくれたクラスメイトの子たちはそれを皮切りに自分の席へと戻っていく。それと同時に、クラスに失われつつあった活気というものが、再び戻ってきた。ガヤガヤと世間話に花を咲かせるその様子は、さっきまでの沈んだ雰囲気が無かったかのように思える。
「……サンキュな、一夏」
「気にするなよ。俺とお前の仲だろ?」
俺が思っている以上に、一夏とは仲良くできそうだ。
互いにニヤリと笑い合うと、そのまま席に着く。モヤモヤが取れたのか、俺にもいつものテンションというものが戻ってきた。先ほどとは打って変わって、固まっていた身体がスムーズに動いてくれる。次の時間の準備のために前の授業で使った教科書をしまい、次の授業の教科書を取り出す。
――――と、教科書を変えている時に、隣の席から視線が充てられていることに気がついた。一体何だろうと、隣に恐る恐る目を配ると、少し顔を赤らめさせた鏡がいた。
「……? どうした?」
「え!? う、うん……な、何でもないよ」
声をかけたがすぐにプイと横を向かれてしまう。顔こそ完全に前を向いているものの、たまに俺の方へチラチラと目配りをしてくる。
その視線に気がついて俺が横を向くと、またプイとそらしてしまう。
もしかしたら何か俺の顔についていてそれが気になるのか、ひとまず顔に手をやって何か変なものが付いていないか確認する。上から徐々に手を下していき、そして鼻に手をやる。
まさか鼻から毛が出ているとかだったら本気で泣きたい、いやホントに。異性に外面的なところで引かれたら、この先やっていける自信がない。
と、とりあえず一通り確認はしたが顔のどこかに異常というものは見受けられなかった。むしろ寮を出る前に部屋の鏡で散々身だしなみを確認したんだから、問題があった方が困る。
もはや身だしなみを確認した意味がない。
「あの……鏡? 俺の顔なんかついてたりするか?」
「う、ううん。別に、そういう訳じゃないんだけど……」
どうにも歯切れが悪く、たどたどしく話す鏡。もともと引っ込み思案なところがある子とは思っていたけど、今回のは少しばかり勝手が違うみたいだ。
とにかく顔に問題があるわけではなさそうだ。
あまり詮索するのも、問い詰めるのもやらかしてしまう可能性があるからこれ以上聞くのはやめておこう。下手に外して、ドン引きされたらたまったもんじゃない。せっかく皆に謝ったばかりだというのに、再びジェットコースターの急降下のように評価が下がるのだけは避けたい。
「大和、ちょっと前の授業のことで聞きたいとこがあるんだけど……」
「ん……ああ、どこだ?」
「ここのPICの項目についてなんだけど……」
「あぁ、基本システムのことな。これがあるから―――」
一夏の声に振り向き、先ほどの授業でやった項目についての質問を受ける。とりあえず見た目に問題ないことは分かったし、一夏の質問に集中することにする。
二人で授業に関する復習をしていると、授業のチャイムが鳴り響き、すぐに一般教養科目の担当講師が来て次の授業が開始された。
IS学園とはいえ高校生であることに変わりはない。赤点は取らないようにしないとな。残っている午前中の授業は一般科目のみ、とにかく集中して受けることにしよう。
来る昼休みに向けて、俺は午前中の授業を受けていくのだった。
「これで一般教養の授業を終わります」
二時間目以降の時間の過ぎるの早いこと早いこと、ずっと寝てたんじゃないかと思うくらいの早さだった。
そういう経験ってないか? 何気なく授業受けていたらあっという間に昼休みになっていたみたいなことが。
球技大会みたいな楽しい行事とか、楽な科目とかが続くと時間の経過って早い気がする。逆に語学だとか、歴史関係とか計算だとか、そういう類の科目はやったら長く感じる。
俺的には国語なんかは時間が長く感じたな。日常生活じゃ使わなさそうな漢文だとか古典だとかを読まされても、よく分らないし。読んでも時間が過ぎるのが遅い。
挙句の果てに辞書を引っ張り出して単語の意味を調べろだの、助動詞の意味がどうたらだの、反語だの……
学習内容自体が分からない訳じゃないけど、いちいち手間がかかる作業ばかり。もう正直一日体育でいいんじゃないかなって思う、授業時間ごとにやるスポーツ変えれば飽きないだろうし。
午前中の授業は無事に全部終えたわけだし、学生の諸君お待ちかねの昼休みだ。普通に腹を満たすだけでもよし、食事しながらコミュニケーションを図るもよし。
……いないと思うけど体力作りのために、走ったり筋トレするのもいいんじゃないか。毎日やればそこそこ体力もつくだろうし、健康にはいいと思うぞ。
俺はやらないけどな。わざわざ昼休みじゃなくても放課後にやればいいし。皆との会話は肉体作りの極意について……あるとしたら悲しいな。
このまま教室に残っても特にやることはないし、食堂に行くとしよう。
「大和! 食堂行こうぜ!」
「ん、了解」
「じゃ、箒も誘うから少し待っててくれ」
「あいあい」
……勘違いするなよ、猿じゃないからな。
一夏は俺を昼飯に誘うと、篠ノ之を誘うために自分の席に座ったままの篠ノ之に声をかける。相変わらずぶっきらぼうというか不機嫌な表情を隠そうともせずに、窓の外を見つめたままだ。
まだ昨日のことを引きずっているのか、それでも誘おうとするところ流石一夏といったところか。
「箒」
「……」
一夏の声かけにも完全無視だ。流石にそれはひどいんじゃないですか、篠ノ之さん。
「篠ノ之さん、飯食いに行こうぜ」
呼び方を変えて篠ノ之を一緒の飯に誘おうとする一夏。そこでようやく、だんまりを決め込んでいた篠ノ之が口を開いた。
「……私は良い」
だが返ってくる言葉は拒絶だった。はっきりと言い切っているわけではないが、今は行く気分にはなれないのか。一夏と顔を合わせようとすらしない。
「良いから。ほら、立て立て」
そんな篠ノ之の態度など気にせず、一夏は彼女の手を掴んで、俺にやった時のように半分強引に立たせる。
一夏がイケメンじゃなかったら強○とかで無条件逮捕されそうだけど、まぁ突っ込むのはやめにしよう。強引に立たされたことでようやく一夏の方を振り向く篠ノ之だが、その顔はいたって不機嫌なままだ。
「あ、おい! 私は行かないと……!」
「何だよ、歩きたくないのか? おんぶしてやろうか?」
一夏は冗談半分、からかうつもりで言ったものの、それを篠ノ之は良しと思わなかったみたいだ。顔をやや赤らめながら、強引に自分の元へと一夏の手を手繰り寄せる。
「なっ!? 放せっ!!」
手繰り寄せたまま、今度は逆に一夏の方に自分の肩を当てて、勢いよく体当たりをする。女性とは言え、引きつける力と自分の向かっていく力を合わせれば、相手を転ばせることは容易になる。
予想外の反撃で反応できなかった一夏は、ぐらついた身体を支えきれずにそのまま床に倒れ伏した。
「うわぁ!?」
ドシンっという地面と身体が接触し合う派手な衝撃音とともに、一夏が床に倒れこむ。倒れこんでもきっちりと受け身を取っているのは、少なからず武道の心得があると判断してもいいのかもしれない。
そんな音にびっくりしたのか、教室で談笑していたクラスメイト達もその異変に気が付き、こちら側に視線を向ける。何が起こったのか理解していないもの、一夏が倒れたことを心配するものと様々だが、二人がクラスメイト達の注目の的になっているのは間違いない。
「あぁ!!」
一夏の派手な転び方が予想外だったのか、それともやり過ぎてしまったと思っているのか、篠ノ之も驚きの表情を浮かべる。
「うぐ、いてて……」
「大丈夫か一夏?」
「な、何とかな」
手を差し出して床に倒れている一夏を立たせた。ズボンについた汚れを振り払いながら、再び篠ノ之に向かって口を開く。
「腕をあげたな……」
「ふ、ふん! お前が弱くなったのではないか? こんなものは剣術のおまけだ」
「おいおい篠ノ之、少しは心配してやれよ。急にあんなことされたら簡単に反応は出来ないし、机に頭ぶつけたらそれこそ危ないだろ」
「う……その、すまん。一夏」
「え? ああ、気にすんな! それより、飯食いに行くぞ!」
「わ、ちょっと待て!」
「いいから! 黙ってついてこい」
「………」
食堂にはいかないといつまでもごねる篠ノ之に対し、今度は篠ノ之の手を強引に引っ張って連れていく。ったく、素直じゃないっていうかなんというか……許してるならもう少し一夏に優しくしてやってもいいのに。
こういうのをツンデレっていうのか。生で見るのは初めてだな。
……んで、俺はどうしようか。二人で先に行っちゃったし、あの雰囲気の中に俺がただ一人ぶち込まれるっていうのは色んな意味で拷問でしかないんだが。
とりあえず後を追えばいいか、気まずいと思ったら昨日のように別の席に行けばいいことだし。
一夏と篠ノ之の後を追うように、教室を出ようとするのだが……
「ねーきりやん。私達も一緒に行っていいかな?」
つまりは呼び止められたってことで。俺のことを呼び止めたのは布仏、その後ろには昨日知り合った二人がいた。
どちらにせよ俺に断る義理はないし、人数が多い方がこちらとしては安心する。
「あぁ。一夏と篠ノ之と一緒だけど、それでもいいか?」
「いいよー♪」
「私お弁当だけど、行きます!」
「よし、なら行くか」
少しばかり賑やかな御一行を連れて食堂へ向かう。あれだ、これが世に言うイツメンってやつか。周りからは相変わらず好奇の目が集中するが、一日居れば慣れたもの。気にはなるが、精神的ダメージが蓄積するだとかそんなことはなかった。
食堂へつくと、弁当持ちの鏡が席を取るために先に座席の方へと向かっていった。朝ゆっくりだったのに弁当を持っているってことは、前もって作っていたってことか。中々家庭的な女の子みたいだ。
たぶん俺が一夏と篠ノ之の名前を出したから、席は二人の近くを取ってくれるだろう。
食券を券売機で買い、そのまま調理台の上に置いた。ちなみに今日の昼は日替わり定食。毎日ランダムでメインのおかずが変わるらしく、規則的ではないために人気もかなり高いらしい。
ってなわけで、いつものように……
「大盛りでおねがいしまーす」
「あいよー!」
社交辞令のように挨拶をとばす。昨日のおかげで食堂のおばちゃんには俺の顔が知り渡っているみたいで、気前よく返事を返してくれる。会って三秒で第一印象が決まるっていうけど、まさにその通りだな。
三年間世話になるわけだし、印象ってものはよくしたい。クラスメイトや他クラスの人間からも一か月放置した生ごみを見るかのような目で見られるのだけは勘弁願う。
物思いに耽っているうちに、日替わり定食がお盆の上に乗せられる。メインの魚はサバか? 出汁が出てて、思わず食欲がそそられる。学生用の食堂だから低コストで、栄養満点の食べ物が用意されている。これは嬉しい恩恵だ。
トレーを持ち、先に席を陣取っているであろう鏡の姿を探す。昼時ということもあり、夜と違った別の雰囲気が食堂を賑わせている。夜はどっちかっていうと完全にオフモードなわけだし、女性陣の服装も軽装な部屋着になっている。
夜の雰囲気はアダルトっていうか、様々な意味を込めて色気が強いっていうか……
だからただ飯を食べたりコミュニケーションを図るとしたら、この昼の時間帯の方が気楽だ。
「ああ、いたいた」
周りを軽く見回して散策すると、すぐにその姿を確認することが出来た。
窓口を出て目の前の席に、すでに三人が陣取っている。なぜかご丁寧にど真ん中を開けてだ。いやいや、そこは普通詰めて座りませんかね?
女の子にとってはそれが一般常識なの! って言われたらそれまでだけど、そんなことはないはず。
いや、別に真ん中に座ることが嫌なわけじゃないよ?
でもわざわざ座っている女の子をどかして、座るのは間違いなく手間が掛かる上に、男が女性達の真ん中に座るっていうのが、女性を取り囲んでいるホストみたいな感じがしてな。
「お待たせ、席取っててくれてありがとな」
「ううん。私だけお弁当だったし、たまたま近くが空いていたから」
「ささ、霧夜くん。真ん中に!」
「おお~、きりやん上座だぁ」
いや、君らが空けてたんでしょうが。それにやけに楽しそうだな。俺を真ん中に座らせるために、左端に座っていた鏡がわざわざ外に出てくる。席を取っててくれた鏡にここまでされたら、こっちとしても座らないわけにはいかなくなる。ただ男性としては女性に周りを囲まれることに慣れてしまった方が異常なわけで。苦笑いを浮かべながらも、空けてくれた席……つまりは真ん中の上座ポジションとやらに俺は腰をおろした。
俺が腰を下ろすのを確認すると、それに合わせて座席に栓をするように鏡も座る。これで完全に退路は断たれたわけだ。断たれたわけじゃないけど、外に出るとなると座っている人数が少ない方から出ることになる。だから必然的に左隣から出るわけで、そうするとその度に鏡は席を立たなければならない。
多分食べ終わるまで立つことはないと思うが、万が一ってこともある。その度に手間をかけさせるわけにはいかなかった。
ま、さっさと昼飯を済ませることにしよう。
「じゃ、いただきます」
「「いただきまーす」」
俺の掛け声でその場にいる三人全員が揃って挨拶をする。俺も自分の昼食に手をかけるが、少しだけ周りの献立を見てみる。鏡はお手製のお弁当で、谷本はBLTサンドイッチ。
で、布仏はというとサンドイッチの一種ではあるが……何だろう、何と言えばいいのか俺も分らない。物凄く甘ったるい匂いがするけど、中に何が入っているのか。分かっているのはサンドイッチだということ。
パンから溢れている薄茶色の液体は蜂蜜で、白いのはホイップクリームだよな? で、見慣れたことのある柑橘系のオレンジ色の物体とか、黄色のアレとか名前で言うならフルーツサンドイッチってのは分るんだけど……
問題なのはかかっているシロップの量だ。明らかに見ているこっちまで胸焼けする量が詰め込まれている。
さすがにあれを食べる勇気はない。むしろ良く食えるな、布仏。とにかく胸焼けしないうちに、食事を済ませるとしよう。
「なぁ、箒……」
「何だ?」
「ISのことを、教えてくれないか? このままじゃ何も出来ずに、セシリアに負けそうだ」
「下らない挑発に乗るからだ」
「そこを何とか! 頼む!!」
俺達の隣の席、厳密にはガーデニングを挟んで隣の席から、篠ノ之と一夏が会話する声が聞こえる。
威勢良く啖呵を切ったはいいものを、いざ現実をみるとどう考えても勝てる見込みが少ないことに気がついたようだ。
篠ノ之に何とかISのことを教えて貰えないだろうかと懇願する一夏だが、篠ノ之は自業自得だと言って一蹴する。そこを何とか! とばかりに手を前で合わせながら懇願するも返答は戻ってこないまま。
確かにこのままだったら勝つ見込みは少ないだろうな。
相手がどれだけの時間ISを起動させているのかは知らないが、代表候補生ということを踏まえると、実力は間違いなく高い。ぶっつけ本番というのは一夏や俺にとっては自殺行為にも等しいこと。せめて何らかの知識を持っていれば、多少はましにはなるはずと一夏は考えているみたいだ。
当然、二人の会話はこちら側にも聞こえており、話は一週間後に行われるクラス代表決定戦のことになる。
「きりやんは大丈夫なのー? 一週間後に、決定戦だけど……」
「IS動かしたのも、適性検査の時と実技試験の時だけだし、正直厳しいかもしれないな」
負ける気はないとは言ったものの、ISを起動している時間というのは大きな経験値の差にはなる。ましてや代表候補生、少なくても俺達なんかよりもはるかに長い時間、ISを起動しているはず。
「でも霧夜くんも、何らかの対策はするつもりなんだよね?」
BLTサンドと一緒に頼んだ紅茶を啜りながら、谷本が俺に語りかける。
「あぁ。とはいっても、ISを動かす時間なんてほとんどないだろうし、地道に身体を動かせるように準備するしかないかな」
もちろん戦う前は相手の機体のことも調べるつもりだ。自分にとって相性がいい相手なのか、そうではないのか。
これを知るだけでも幾分違うだろうし、攻撃方法なんかの動きなんかも含めて変わってくる。後は身体を動かして本番に備えること、自分の動きとISが連動してくれれば、戦いやすくはなるはず。
「一夏も勝つつもりで戦うだろうし。あれだけ言ったんだから、勝たないとな」
サバを切り分けて口の中へ運ぶ。IS素人は素人らしく足掻いてみせるさ。ISに関しての知識を詰め込もうにも一週間しかないんだから、勉強なんてものはたかが知れている。
「ほ、本当に勝つ気でいるんだね」
「試合に負ける気で挑む人間なんていないだろうしな。とにかく、やれるだけのことはやるさ」
「そうだよね。……私、応援しているから」
「ん、ありがとな鏡」
「はぅ……う、うん」
「「……(ニヤニヤ)」」
味噌汁をずずっと啜り、鏡に感謝の気持ちを述べる。応援してくれることに関して、素直にうれしいい。
……感謝する中、谷本と布仏がニヤニヤ笑みをうかべていることに関して少し引っかかりを覚えたが、今はいいとしよう。
鏡にも言ったように、負ける気で行くやつなんざ最初から戦う資格はない。スポーツの試合で初めから負けるつもりで戦う人間がいないように、ISだからっていうのは関係ない。
やるからには絶対勝つつもりでいかないと。
「ねぇ、君って噂の子でしょ?」
(ん、何だ?)
食事を取っていると、どこからか誰かに対して声を投げかけるのが聞こえた。
その声の発信源は隣から、つまり一夏と篠ノ之がいる席からだ。食事を続けながら視線を向けると、そこには茶髪のショートヘアの女性が立っている。
他の子たちに比べると、幾分大人っぽく見える。よく見ると周りの子とリボンの色が違う。一年生のつけるリボンやネクタイの色が青に対して、その女性がつけているリボンの色は赤色。二年生のつけるものは黄色らしいから、この女性は三年生ってことか?
その女性に対し、篠ノ之は観察するかのような視線を送る。つまり何のためにこちら側に近付いてきたのかというのを確認したいみたいだ。
「代表候補生の子と勝負するって聞いたけど、でも君。素人だよね? 私が教えてあげよっか? ISについて」
「え?」
一夏が反応した途端、篠ノ之の視線はより厳しいものへと変化する。元々日本人らしい凛々しく武士娘のような顔立ちをしているため、眼光というものは鋭い。不機嫌さを滲み出しながらも、篠ノ之は口を開いた。
「結構です。私が教えることになっていますので」
「え?」
篠ノ之の口からその言葉が発せられた途端、ハトが豆鉄砲食らったような顔になる一夏。当然と言えば当然の反応、先ほどまで頑なに断っていた相手が、突然手のひら返しをしたのだから。
さっきのあれは何だったんだとばかりに篠ノ之を見つめる一夏だが、それをよそに篠ノ之と三年生で軽い言い合いになる。展開に全くついていけずにオロオロする一夏。
……しかし今の一夏の顔面白いな。よし、これは写メってネタとして永久保存しておこう。
「あなたも一年でしょう? 私三年生。私の方が上手く教えられると思うな」
一年生と三年生、二年という時間は傍から見ればかなり長い時間だ。ISの知識、ISの稼働状況を比較しても、代表候補生でもなければ何十時間もの差が付いている。教えるのに適任かどうかといわれると何とも言えないが、少なくとも教えられる引き出しは三年生の方が多く持っているのは間違いない。
自信満々に言い切る三年生だが、それに対して篠ノ之も反論する。
「私は、篠ノ之束の妹ですから」
「え!?」
その発言にたじろぐ三年生。綺麗な大人びた雰囲気はどこへやら、余裕の表情は焦りの表情へと変化する。分かりましたと了承されるかと思えば、IS創造者の妹であるという事実が発覚したのだから無理もない。
苦し紛れの反論が返ってくると思ったら、返ってきたのは核弾頭並みの防御不可能な反論だった。
ISに関しては篠ノ之束……あの天災博士の右に出るものはおらず、ISのコアを製造できるのも、彼女だけ。その妹が「私が教えます」と言ってきたら、いくら三年生といえども引き下がる他ない。
「ですので、結構です」
「そ、そう。それなら仕方ないわね!」
三年生は渋々その場を去って行った。俺に興味がないのか、俺には目もくれずにズカズカと俺達の席の横を通り過ぎていく。そのこめかみには血管が浮き出ている。女性が何かを取り合うのって怖いな、おい。
しかしまぁ、ネームバリューを使って追い返すとは、篠ノ之もなかなか大胆な行動に出たものだ。
「えっと……教えて、くれるのか?」
「……」
動機はどうであれ、篠ノ之が一夏を教えることが決定した。一夏は一夏でやや困惑しているものの、教えてくれることに関しては、ある意味三年の人には感謝するべきなのかもしれない。
ただ……
「一夏にとって放課後は地獄になるかもなぁ……」
「え? それってどういうこと?」
「いや、まぁ色々とあってな。これから一週間、一夏にとってきつい毎日になるかもしれないっていう俺の想像」
皆に追いつくための勉強に加えて、篠ノ之による特訓がこれから一週間は最低続く。頭は痛いし、身体も痛いってこれはどんな拷問だろうか。もちろん、一夏も自分から頼んでいるわけだし、これからどんな特訓だろうと根はあげられないはず。
戦う覚悟ってやつを決めないと。
「あ、そうだ箒。俺放課後大和と復習もあるんだけど……」
「……なら呼べばいい。特訓が終わってすぐに取り掛かれば問題はないだろう」
ってあれ、いつの間に俺まで巻き込まれてんの?
呼べってことは最悪、俺も一夏の特訓に付き合わされるってことだよな。おい、これじゃ最初の意図と全然変わってくるじゃないか。俺は俺で何とかするから別に良いんだが……
断ったとしてもごり押されるのがオチか、ハァ。
やや意気消沈気味の俺の机に、昼食を食べ終わった一夏と篠ノ之がトレーを持ってやってくる。篠ノ之はいつも通り、厳しい表情は変わらず。そして一夏は申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「さっき聞こえたとおりだ、霧夜。放課後私と一夏の特訓をするからお前も来い。ついでに鍛えてやろう」
「……分かった」
「あれだ、その、何だ。……すまん、大和」
挙句の果てに俺までついでで篠ノ之に鍛えてもらう始末に。どうすんだこれ、もう収拾つかないじゃねーか。というかやっぱりさっきの会話は俺に聞こえる前提でしていたのか。
だったら軽く挨拶の一つもしてほしいものだ。
一夏に夢中だったってのはよく分かるし、俺まで気に留めている余裕がないのはよく分かるけどな。
「まぁ、とにかく放課後な。どこに行けばいいんだ?」
「剣道場だ。私達は先に始めているから、何か用事があるのなら遅れても構わない」
「了解」
「行くぞ、一夏」
「あ、あぁ……」
歩き去っていく二人の後ろ姿を見つめながら、ただただ、溜息をつくしかなかった。はぁ、不幸だ。
ISを教えるのに剣道場に行く必要があるか、いや無い。間違いなくないと思う。完全に肉体運動する気満々だ、何がどうしてこんなことになったのか。
残っているご飯をかきこみ、昼食を済ませる。俺の表情がさっきと違って明らかな落胆の表情に変わっているのは、この場の三人もすでに分かっていること。聞きづらそうに、俺の左隣にいる鏡が口を開く。
「その、えっと……が、頑張ってね? 私今日日直だから、残らないといけなくて……」
「ああ、頑張るよ」
「私達も応援してるからさ!」
「頑張ってね~きりやん!」
もはやカラ元気しか出てこない。肉体的に疲れたわけでもないのに、この疲労感は何なんだろうか。
ただよく似た疲労感を、俺は覚えている。初日……あの女性の視線の中にいた疲労感とよく似ている。つまりはそういうことで……
「……っとに、振り回されてばかりだな」
悪態をつくものの、数々起こるドタバタに振り回されることをどこか楽しんでいる自分がいる。
そんな自分が不思議に思えて仕方なかった。