IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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二人を繋ぐエンゲージ

ざざん、ざざんと、波が海岸に打ち寄せては引くを繰り返す。朝は透明度の高かった海も、夜になれば朝の透明度はどこへやら。

 

空を飛び交う鳥たちの姿も無くなり、波の音だけが聞こえる海の別の姿。当然、この時間に人がいるはずもない。

 

 

「ぷはぁっ!」

 

 

いるはずもない時間に海面から顔を出す姿が一つ。髪は海水でクシャクシャになり、垂れる前髪を鬱陶しそうに掻き上げる。かれこれ小一時間ほど、ずっと海へと潜ったまま出てこない。

 

海面に顔を出したかと思うと、ようやく海から上がった。

 

整った容姿、バランスが取れながらも引き締まった、筋肉質な体付き、加えてオールバックな姿は野性味あふれていた。

 

右眼と左眼で非対称な瞳。陸から上がるとすぐさま、置きっぱなしにしていたタオルを手に取り、髪の毛に付いた水分を拭き取ると左眼に眼帯を装着する。

 

霧夜大和、十五歳。

 

一家の当主として君臨する。

 

 

当主とはいえ、中身は普通の高校一年生のそれと何ら変わらない。人と同じ生活もするし、同じように悩みも持つ。

 

 

「……夜遅くに一人で泳ぐのも悪くないな」

 

 

悩みは決して口に出さずに平静を装う。

 

気分転換にと海にやって来たわけだが、衝動を抑えきれずに泳ぐことに。少し海を見て、旅館に戻るつもりだったが、意外にも時間を使ってしまった。

 

髪についた水分を拭き取り、顔を軽く振りながら残った水分を飛ばす。

 

 

「さて、と」

 

 

タオルや着替えと一緒に置いた腕時計を手に取り、時間を確認する。

 

まだ完全消灯時間までは時間があった。旅館に戻ったところでやることは特に無いし、もう少しここで時間を潰すことが出来る。

 

荷物を持ち、近くの岩場まで移動すると物思いにふけたまま、遠くの水平線を見つめる。

 

 

「……」

 

 

落ち着く。

 

海の小波が、風の音が、あらゆる音が大和には心地よく感じられた。

 

臨海学校が終わればいよいよ、夏休みへと突入する。

 

長いようで短かった数ヶ月を振り返ると、とても一言ではまとめきれないほど様々な出来事が起きた。小学校、中学校と振り返って、ここまで密度の濃い一学期はなかっただろう。同時に今までで最も、仲間が出来た。

 

女性の園で頑張ろうと意気込むも、入学早々、セシリアの一言に堪忍袋の緒が切れて、クラスメートを怖がらせてしまった。

 

楯無には当主同士の協定を持ちかけられ、転校生の鈴と知り合い、無人機襲撃で改めて、大切な存在を認識した。

 

異性との初めてのデートで泣かれ、二度と同じ過ちはと決心するも失敗し、編入して来たシャルロットとラウラとも一悶着。

 

特にラウラとは事あることにぶつかっていた。

 

 

 

そんな様々な出来事があれど、いつの間にか、大和の周りには仲間が増えていった。

 

 

「ほんと、分からないもんだよ」

 

 

ポツリと呟く、大和の言葉の真意。

 

元々、下手に馴れ合う予定は一切無かった。あくまで彼に与えられた仕事は、卒業までの間一夏を守り抜くこと。最優先事項は一夏の護衛任務だった。

 

それがいつの間にか解きほぐされ、大和自身の考え方も大きく変わった。

 

当然、仕事のことを忘れた訳ではない。それ以上に人と関わり合う事の大切さを、皆に教えられた。

 

大和の中には感謝しか無かった。

 

一言で表すなら充実。本当の意味で、IS学園での数ヶ月は充実していた。

 

 

「でも、やっぱり足りない……」

 

 

彼の中で最も大きくなった存在。

 

今はそれが隣には居ない。紆余曲折を経て、付き合い始めた大切な存在が。

 

彼女が隣に居ないだけでこれほどに落ち着かないものなのかと、困惑する大和の表情は、恋愛に慣れていない男性そのものだった。

 

彼にとって初めての衝突。

 

誰かと付き合う以上、喧嘩をすることもあるし、泣かれることもある。場合によっては振られることだってある。あらゆる仕事に対する対処は出来ても、女性の扱いはまだまだ青いものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして悩んでいるのは彼だけではない。

 

 

「……大和くん」

 

「え?」

 

 

不意に聞こえるはずのない声が後ろから聞こえる。

 

聞き覚えのある声、大和にとっては最も会いたい人物であり、同時に彼女にとっても、大和は最も会いたい人物だった。

 

恐る恐る声の方へと振り向く。一体彼女がどんな表情で、どんな気持ちでここに来たのかは分からない。それでも彼女の顔を見たい、その一心で後ろへと振り向いた。

 

 

「……あっ」

 

「あ、あの……こ、こんばんは」

 

 

大和が今最も会いたい人間、鏡ナギの口から発せられたのは挨拶だった。

 

何故、このタイミングで『こんばんは』なのだろう。彼女の中で話題が見つからなかったのか、言われた大和はキョトンとしたままナギの姿を見つめている。

 

否、見とれていた。

 

自分の彼女の姿に。

 

制服や浴衣姿ではなく、ナギも自前の水着だった。水着の上からは薄黄色のパーカーを羽織り、遠慮しがちに大和の様子を伺う。着ている水着は、以前買い物に出掛けた時に購入した水着ではなかった。薄青色の、どちらかと言えばセシリアとかが好みそうな色合いの水着であり、その水着を買う様子を大和は見ていなかった。

 

確かあの時買った水着は二着だったはず、大和自身が選んだものをナギはそのまま買っているため、見間違えるはずがない。

 

では今着ている水着はいつ買ったというのか。

 

 

「……その水着、どうしたんだ?」

 

「……ま、前水着を買いに行ったでしょ? 大和くんがいない時にその……」

 

 

元々、大和の前では恥ずかしがることが多いナギだが、どうも視線を合わせようとせず、四方八方に視線を這わす。

 

夕方の一件のせいで、未だ大和との気まずさが抜けておらず、どこか態度もよそよそしく、大和の出方を伺っているようにも思えた。

 

自分から拒絶してしまった手前、話しかけづらいのだろう。

 

 

「……」

 

 

話が止まってしまう。

 

本当はもっと話したいはずなのに、いざ本人を目の前にすると萎縮して何も出来なくなる。どうして大和はこうも平然とした表情のままで居られるのか。

 

こんなにも緊張しているというのに、自分のことを何とも思っていないのかもしれないといった不安感に苛まれる。もしあれがキッカケで大和の心がナギから離れたとしたら……。

 

そう思うと尚更話しづらい。

 

 

「そうか。まぁ、立っているのも疲れるし座れよ」

 

「う、うん……」

 

 

促されるまま、一人分の感覚をあけて座る。

 

流石にいつものようにすぐ隣に座る勇気は無かった。何もかもがマイナス思考に考えられてしまうが、話さない以上は何も変わらない。

 

ラウラとも約束したのだ、必ず仲直りすると、真実を聞くと。

 

手を握ったり開いたりと、とにかく落ち着かない様子のナギ。まずは話そう、と覚悟を決めて口を開いた。

 

 

「「あのっ!」」

 

 

まるで打ち合わせしていたんじゃないかと思うレベルで綺麗にハモる。

 

大和も平静を装うも、内心は穏やかなものではなかった。見たこともない水着を見せられ、興奮のあまりすぐにでも抱き締めたいくらいだった。

 

あまりにも可愛らしく、同時に美しい彼女の姿。ナギが大和のことを大好きなように、大和もナギのことが大好きだ。一度拒絶されたからって思いが揺らぐわけでも、諦めきれるわけでもない。

 

心の底から、彼女が、彼が、大好きだ。

 

二人の想いは再び交差する。

 

 

「わ、悪い。何か言いたいことがあったんだろ?」

 

「う、ううん。大したことじゃないから先にどうぞ」

 

「あ、あぁ。分かった」

 

 

互いに譲り合い、大和に発言権を譲る形で収束。

 

 

「……ごめん」

 

 

謝罪から入る大和、その姿に目を丸くするナギ。謝る理由は先ほどの件についてだと分かっているものの、大和の方から謝られたことに戸惑いを隠せない。

 

 

「俺がナギの立場だったら、少なからず良い思いはしない。何も知らないのであれば怒って当然だし、殴りたくなる気持ちもよく分かる」

 

 

お前は何も知らないくせにと言葉を荒らげるのではなく、あくまで冷静に事の次第を伝えていく。

 

彼女は何も知らない。大和の仕事を何一つ知らないからこそ、尚更傷付いて欲しくない。

 

 

「怖かったんだ、ナギが全てを知って俺を拒絶することが」

 

 

大和自身、それが最も怖かった。

 

傷付く姿を見たくないと言われてしまった以上、自分の全てを彼女に曝け出すわけにはいかなかった。だから何も伝えず、隠し通すことを決めてここまで来たが、それももう限界だった。

 

これ以上、隠し通せる自信がない。

 

彼の仕事上、怪我をしないというのはほぼ不可能に近い。怪我をする度に見られることを考えると、言い訳にも限界がある。それならいっそ、全てを話して楽になってしまおうと考えた。

 

自分を知られることが怖い。話すということは、彼女を巻き込むことにもなる。様々な感情が入り乱れ、決心がつかないままここまで来たが、鈴の一言でようやく踏ん切りが付いた。

 

 

「でも違う。知られて拒絶されるのなら、それまでの関係ってことだったんだ」

 

 

ナギと付き合うと決めた時から分かっていたこと。立場上、誰かと付き合うことになるのであれば、覚悟しなければならないと。

 

 

「―――全部話す。これ以上、ナギに隠し事をするなんて出来ないから」

 

 

そう切り出し、大和は話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ISを動かせたからだけで入学したわけではない。元々、入学する気なんてサラサラ無かった」

 

 

参加した適性検査で偶々ISを起動させ、二人目の男性操縦者として大々的に世界に打ち出された。が、俺は入学する気が無かった。興味はあったが、IS学園に入学してしまえば自分の仕事に弊害が出る。

 

当主という立場上、勝手に行動をするわけにもいかないため、断りを入れようとした中、持ち掛けられたのは一夏の護衛任務だった。千冬さんの一教師としてではなく、一夏の姉としての依頼に二つ返事で承諾。入学予定では無かったIS学園に入学することとなった。

 

男性にとっては未知の学園に足を踏み入れることになる。完全に孤立していては仕事もやりにくくなるだろうし、最低限のコミュニケーションは必要になるだろう。

 

周囲と深いかかわりを持つ必要はないと思っていた。任されているのは一夏の護衛であり、最優先事項はアイツを何が何でも守り抜くことだからだ。多くの人間と関わりを持てばいずれ、自分の仕事に巻き込む可能性だって高くなる。

 

あえて距離を置くつもりだった。

 

 

―――だが実際は違う方向へと進んでいくことになる。

 

 

 

 

 

「でも、いつだったかな。ここでの生活が楽しいと、充実していると思い始めたのは……」

 

「……」

 

 

馴染んでしまった、IS学園に。

 

護衛対象だったはずの一夏は友達に、それを取り巻く周囲もいつの間にか仲良くなってしまっていた。

 

否、俺自身がそれを望んでいた。皆と共に触れ合い、高め合い、成長していくことを。何より学園生活を一学生として楽しむことを。

 

ないだろうと思っていた普通の高校生としての生活を、手に入れてしまった。

 

充実しているからこそ浮き足立つ。今回の作戦だって、誰とも関わりを持たずに自身を律していれば、変わっていた可能性だってあったかもしれない。

 

だが、外界と隔たりを持ち、壁を作ることが正解だったかと言われれば、それはノーだ。同じ業種の人間が人との関わりなんて持つなと言おうが、少なくとも俺はその意見を全力でねじ曲げる。

 

問題なのはそこではない。

 

 

「半年間過ごしてみて、つまらないと思ったことは一度もなかった。毎日が充実していて、まるで普通の高校生の生活を送っているようだった」

 

 

俺の一言に不意に疑念を抱いたのか、何を言っているのかと言わんばかりに、ナギは疑い深く首をかしげる。

 

 

「普通の、高校生? 大和くん……何言ってるの……?」

 

 

普通の高校生であることが当たり前……彼女の、ナギを初めとした一般的な考え方はそうだろう。ただ目の前にいる存在は、その常識が全く通用しない。

 

問題なのは充実した学生生活を送ることで、仕事の腕が落ちることだけではなく……。

 

 

 

「俺の果たすべきことは順風満帆に学生生活を送ることじゃない。俺の仕事は対象者を命懸けで守ることだ」

 

 

親しくなった人間まで無意識に巻き込んでしまうこと。

 

俺にとっては常識、ナギにとっては非常識。普通に考えればあり得ない。驚きを隠せないまま、じっと俺の顔を見つめて硬直する。

 

言葉の意味が理解出来ないほど、ナギの頭は弱くない。今の一言で何となく意味は察したはず。

 

対象者を命懸けで守り抜くこと、つまるところ誰かのボディーガードを引き受けているのだと。だがナギの想像するボディーガードとは違い、想像を絶する仕事内容であるということを、伝えていかなければならない。

 

常に死と隣り合わせの状況で戦っているからだ。

 

 

「対象者は言えない。でも俺は立場上、その人間を守らなければならない。命に変えてでも。だからこそ、無茶もするし危険な目にも合う」

 

「……」

 

「けどこれは俺が自分で選んだ道だし、後悔はしていない。この関係を続けていくとすれば、仕事の過程で何度もナギを心配させることになると思う。だから知って欲しい。全てを……俺の根幹を」

 

 

怖い。

 

自分の好きな子に、自分の醜い姿を見せることが。

 

決して見せまいと思っていた左眼の眼帯に手を掛ける。この眼帯を取り去った時、彼女はどんな顔をするだろうか?

 

同情か、軽蔑か。いずれにしても反応としてはどちらかになるだろう。

 

話を片時も視線を逸らすこと無く、聞いてくれたナギに最後の種明かしをしなければならない。俺は普通に生まれてきた人間ではない。

 

俺は―――

 

 

 

 

「俺は……作られた人間だ」

 

 

眼帯を取り去ることであらわになる左眼。右と違う異様な眼差しは、ギロリとナギの視線を射抜く。全てを凌駕し、あらゆる人類を超越した眼。

 

遺伝子強化試験体の本来の姿。ラウラを始めとした通常の試験体を遥かに超えた未知の存在。たった一人の存在で小国一つを潰すことが出来るほどの異次元離れした身体能力を持ち、全ての事象を見切る最強の眼。

 

 

「もう人間って感じがしない。身体能力の何もかも、人類の水準を超越した」

 

 

もはや人間の皮を被った化物と言い表すのが正しいだろう。プライドも言っていたように、正真正銘の化物と言い表しても過言ではない。

 

左眼を見た瞬間、ナギが下を俯く。その心は何を思うのか、俺には分からなかった。

 

 

「眼帯で隠していたのは潰れた眼を見られたくないからじゃなくて、この眼を見られたくないから。左眼の視力も失われていないし、むしろ今まで以上にはっきりと見える」

 

 

左眼も完全に潰れたわけじゃないことを伝える。

 

話せることは全て話した。

 

生い立ち、経歴、仕事。一夏の護衛をしているという目的を除いて全てナギに伝えたし、これ以上話すことは無い。後は俺の言葉をどう思い、彼女がどうアクションするか。

 

下を俯いたまま体を震わせる。怒っているのか、それともまた別の反応か。どちらにしても彼女のアクションを俺は受け入れるだけであって、何かを言い返すつもりはない。

 

今まで隠していた自分が悪いと言い聞かせた。何もかも後手に回り、悲しませてから事実を話す。自分の彼女に苦労を掛け、泣かせてばかりいる自分に彼氏を語る資格があるとは思えないと。

 

重たい話をした後だと言うのに、つっかえていたものが取れたお陰で、心は何処か清々しかった。

 

 

「これ以上、ナギを悲しませたくない。俺から伝えられることは全部伝えたつもりだ。もしこれでナギが俺を拒絶しても、俺は構わない」

 

「……」

 

「今まで隠していて、騙していて、悲しませて……本当にすまなかった!」

 

 

最後に俺が出来ることといえば、彼女に真実を伝えることだった。話を終え、俺は頭を下げる。

 

頭を下げたことで、俺の視線はナギの足元へと向く。ナギも俺と同じように下を俯いたまま、顔を上げようとはしない。

 

話もしたくないということなのか、それならそれで良い。彼女に伝えられることは全て伝えた。ならそれ以上俺は何も望まない。

 

どれくらい時間が経っただろう。一時間にも二時間にも感じられる時間の中で、ぼそりと小声でつぶやく声が耳に入ってくる。どこから聞こえてくる声だろうと耳を澄ましていると、声の発生源はすぐに特定することが出来た。

 

 

「……さい」

 

「?」

 

 

目の前のナギからの声であるにも関わらず、最後まで声が聞き取りきれない。

 

 

 

「……なさい」

 

 

徐々に大きく、はっきりと聞こえてくる声。俺の耳が衰えている訳ではなく、単純にナギの声量が小さかっただけの話。何を言っているのか、発せられる言葉の意味を悟るのに時間は掛からなかった。

 

 

「ごめんっ……なさいっ」

 

「えっ……?」

 

 

彼女の口から発せられたのは謝罪の言葉だった。予想もしない彼女の言葉に、体が硬直したまま動けなくなる。同時にナギも俯いていた顔をあげた。

 

顔を上げると同時に飛び込んできたのは、止めどなく涙を流すナギの姿。両目から絶え間なく溢れてくる滴は頬を伝い、やがて地面へと流れ落ちる。幾多もの水滴が、濡れるはずの無い足元を濡らしていく。

 

 

「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」

 

 

壊れたオルゴールのように謝罪の言葉を繰り返すナギが心配になり、体一個分開けたスペースを詰め、少しでも安心させるように、そっと手を差し伸べる。

 

 

「ごめんなさいっ……私、何も大和くんのこと知らなくて……!」

 

 

知らなかったのは当たり前だ。俺が何一つ事実を彼女に話さなかったのだから。しかし俺の告白により、酷く当たってしまったことを、突き放し拒絶したことを何度も何度も謝り続けてくる。

 

 

「大和くんは陰で苦しんでいたのに、私は酷いことばかり言って……! 大和くんの気持ちを何一つ、理解しようとしなかった!」

 

 

俺の気持ちをか。

 

それを言ったら俺もナギの気持ちを何も理解出来ていなかったし、彼女の気持ちは痛いほど分かる。

 

まただ、また大切な人を泣かせてしまった。

 

泣いている姿があまりにも痛々しすぎで堪えきれなくなり、肩に手を掛けてそっとナギの体を自分の方へと寄せる。

 

水着姿のため上半身は裸だったが、気にもならない。いつもなら裸体に顔を押し付けられれば、恥じらいがあるというのに、今回ばかりは下心を含んだ感情は何一つ湧いてこなかった。

 

彼女を落ち着かせるために、出来る限りのことをするだけ。

 

 

海で泳いだばかりの男に抱き寄せられてもナギが抵抗することは無かった。完全な拒否反応を起こされないだけ、マシだと思いつつギュッと華奢な体を抱き寄せる。

 

 

「私があの時病院に無理矢理にでも行かせていれば……!」

 

 

落ち着かずに謝罪の言葉を述べるナギ。もしかしたら病院に素直に行っていれば、左眼の痛みの原因が究明できたかもしれない。が、仮にどれだけナギが説得しようとも、あの時の状況だけで考えるのであれば、俺は頑として説得に応じなかったはず。

 

そう考えると、結末は変わっていなかったようにも思える。

 

結論、彼女が自身に負い目を感じる必要なんて微塵もない。

 

 

「大丈夫、気にしてないよ。知らなくて当然だし、怒って当然だと思う」

 

 

言われた時は流石に凹んだが、今となっては特に気にはしていない。こうしてまた俺の傍に来てくれたことが、少なからず俺のことを完全に拒絶したわけじゃないと分かっただけでも十分だった。

 

 

「それに例えナギが病院に行くように説得しても、俺は応じなかったよ。だから怪我をするのは必然だったんだと思う」

 

 

俺の説得に少しずつ落ち着きを取り戻して泣き止むナギだが、比例して抱き締める力が一層強くなる。いつの間にか手が首の後ろに回されて、離さないようにと力を込めてきた。

 

ギュッと体を密着させ、泣き顔を見せないようにと顔を隠す。パーカーの下には水着のみといつも以上に薄い服装のため、彼女の温もりが、高鳴る鼓動が直に伝わってくる。どんどん上がる心拍数と共に、顔に火照りが出てくる。

 

 

「今話した内容を前提に、もう一回聞きたい。こんな俺でもまだ、一緒にいたいと思ってくれるか?」

 

「……」

 

 

俺の質問に対して沈黙が続く。

 

答えるまでの間が、果てなく長く感じた。

 

結論はこの場で聞きたい。このまま悶々としたまま、中途半端な関係を続けるのはお互いのためにならない。ナギが嫌なのであれば手を引くし、望むのであれば新しく関係を築き上げていきたい。

 

何よりも俺自身、ナギのことが大好きなのだから。

 

 

「……嫌いになんて、なれるわけないよ」

 

 

ぽつりと呟く彼女の声に、俺の顔の温度が一気に上昇するのが分かる。

 

 

「大和くんのこと大好きだから。どんな理由があっても、大和くんの全てが私は好き」

 

 

胸から顔を離し、上目遣いで俺の顔をしっかりと見つめたまま、ハッキリと自分の想いをストレートにぶつけて来る。迷いのない真っ直ぐな解答に、逆に俺の方が恥ずかしくなってきてしまう。

 

普段は俺の顔を見てもすぐに横を向いてしまうくらい恥ずかしがり屋の彼女が、俺の目をじっと見つめたまま、片時も視線を逸らすことがない。

 

 

「これからも迷惑を掛けるかもしれないけど、私はずっと大和くんの側に居たい」

 

 

裏表のない笑顔に、偽りのない言葉。そこに涙は無かった。

 

はっきりと伝えてくるナギの姿は、俺が今までみた表情の中で、一番可愛いと思えた。一夏も俺にとっては大切な護衛対象であることは揺るがない、ただ目の前に居る彼女は、それ以上にかけがえの無い存在になっていた。

 

改めて伝えられる、ずっと一緒に居たいという言葉が俺の心に強く響き渡る。

 

 

 

 

「……ありがとう。こんな俺を好きになってくれて」

 

 

想いを確認し合うかのように、再度抱き締め合った。止めきれないほどの愛おしさが、心の奥底から込み上げてくる。

このまま押し倒してしまっても良いのかだとか、襲っても良いのかといった黒い感情が押し寄せて来た。

 

夜の海辺を出歩く人間は居ない。それなら多少、俺しか知らないナギの姿を、ナギしか知らない俺の姿を見せあっても良いんじゃないかと思ってしまう。

 

心の奥底に渦巻く願望を仕舞い込み、平静を保ちながら一旦ナギと距離を取る。

 

 

「あっ……」

 

 

名残惜しそうに、ナギは声を漏らす。

 

このまま抱き合っていたいのは山々だが、ナギと会う機会があったら渡したいものがあったことを思い出し、俺はタオルと一緒に置いていた小さなカバンからあるものを取り出す。

 

それは決して新しく買ったものでは無く、彼女が置いていった忘れ物。つい先ほどロビーでナギはリングを落としたことに気付かずに部屋へと戻った。

 

具体的にはネックレスの一部分であり、紐が壊れている以上はネックレスとして機能しないが、まだこのリングには使い道がある、俺も意味なくこのネックレスを買ったわけではない。

 

 

 

 

 

 

「実は渡したいものがあってさ。これ、ロビーで落としただろ?」

 

「あっ……うん。その……ごめんなさい」

 

 

リングを見せると、思い出したかのように壊れた理由を話し始める。

 

 

「昨日の夕方、部屋で待機している時に輪が切れて……」

 

 

昨日の夕方と言えば、俺がプライドに墜とされた時間帯だ。もしかしたら俺の身に起きた出来事を、ネックレス越しに伝えてくれたのかもしれない。

 

ただお陰様でプレゼントしたネックレスは真っ二つに切れ、買ってから一ヶ月も経たずにその役割を終えることとなってしまった。故意ではないにしても壊れたことは事実、バツが悪そうに視線を背けて落ち込むナギ。

 

 

「折角大和くんにプレゼントしてもらったのに……」

 

「いや、壊れるのは仕方ない。形あるものいつかは壊れる。それが偶々早かっただけさ」

 

 

結局、壊れたのは故意な過失ではなく、自然に壊れてしまっただけであり、何一つナギは悪くない。偶々運が悪かったと、そう括るしかないし、嘆いたところでネックレスが直るわけでもない。

 

しかしさっきも言ったように、まだこのネックレスには十分使い道はある。

 

 

「このネックレスの噂、初めて買い物に行った時に調べたんだ。これを付けると好きな人と結ばれるって」

 

「し、調べたの?」

 

「こっそりとな。ま、ネックレスは壊れたけど、使い道はあるし大丈夫だろう」

 

「……ふぇ?」

 

 

既にネックレスとしての利用価値はない。

 

俺の言っている意味が分からないと首を傾げるナギをよそに、彼女の左手首を握る。

 

確かにネックレスとしての利用価値はないが、何度も言うようにネックレス以外にも利用価値はある。プレゼントをした時にナギには一切言わなかった秘密がある。

 

ダメ元で確認してみたところ、偶然に偶然が重なって手に入れることが出来た一品。

 

実はネックレスに付いている指輪は従来の大きさのままでももちろん、大きさや形等がオーダーメイド出来るものになっていた。在庫が無い場合は一から作ってもらうことになるため、時間が掛かってしまうが、在庫がある場合はその場で別のリングと入れ替えてくれる。

 

そしてこのリングの大きさは……。

 

 

「よいしょっ……と」

 

「……え?」

 

「良かった、ピッタリだ。俺の目も捨てたもんじゃないな」

 

 

ナギの薬指の大きさとピッタリと一致した。

 

そう、仮にネックレスとしては使えなくても指輪として利用することが出来る。

 

ガラスケースの中に残っているネックレスを買った時、指輪の大きさを変えることも出来ると言われ、大体のナギの指の大きさを伝えて作って貰った世界に一つしか無い、ナギだけのネックレスだ。

 

好きな人と結ばれるというのは、世界に一つしか無いネックレスと、彼氏彼女は唯一無二の存在といった部分を掛けた言葉のアヤだった。

 

薬指にハマらなかったらどうしようかと内心ヒヤヒヤものだったものの、無事にピッタリと当てはめることが出来たのは運が良かった。いくら眼が良いと言っても、確実な大きさを測るにはメジャーを使わなければならない。

 

目視だけでちょうどいい大きさを当てられたのは、正直嬉しかった。

 

目を何度もパチパチとさせながら、目の前の事態が把握出来ずにいるナギに、再度俺の気持ちを伝える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから何度もナギに心配を掛けると思う。でも君に対する気持ちは変わらない。……だからその、俺で良ければずっと一緒に居て欲しい」

 

 

あまりにも不器用で不格好な俺からのプロポーズ。恥ずかしさから最後は声が裏返り、目線もナギから逸してしまう。

 

俺もナギも今年で十六歳、結婚するには早すぎる年齢だ。俺に関しては結婚出来るような年齢ではないし、二人共IS学園に入学したばかり。

 

どれだけ早くても、卒業するまで結婚出来ないことを考えると、あまりにも早いプロポーズにも見える。

 

でも俺は自分の気持ちに嘘は付きたくない。

 

ただ一人の人間、霧夜大和として鏡ナギのことを心の底から愛している。彼女を思う気持ちは誰にも負けるつもりはないし、俺の内に隠しておく自信は無かった。

 

呆気に取られたまま俺の事を見つめるナギだが、やがて口に両手を当てて、涙を流し始める。

 

 

「ほんと……何もかも突然過ぎるよ」

 

「否定はしないよ。でも何かをする時は毎回突然だっただろ? 時間は待ってくれないし、俺も自分の気持ちを偽るつもりはない」

 

「いつもいつも突然で……心配ばかりかけて……」

 

「むしろ心配と苦労しか掛けていなかったよな」

 

 

何度心配や苦労を掛けたか分からない。ナギに与える負荷も計り知れないものがあったはず、だがそれを許し、受け入れてくれた。

 

今回も一度はすれ違えど、またこうして分かり合い、再び手を取り合うことが出来る。

 

ずっと一緒に居たい。

 

その気持ちは揺るがないし、揺るがすつもりもなかった。

 

一度拒絶されて初めて分かる。俺には彼女が、ナギが居ないとダメなんだと。

 

 

「バカ……」

 

「あぁ、たった一人の大切な存在すら守れない大馬鹿者だ」

 

 

裏切り、結局一度は守れなかった。

 

ナギ、ラウラ、千冬さん……そしてクラスメイトたち。

 

自分が傷付くことで心配する人間が、悲しむ人間が居ることを今更自覚した本当の意味での大馬鹿者だ。

 

どうしようもほどの男を、彼女は好きだと言ってくれる。

 

 

「そういうところがホントに……大嫌い」

 

「知ってる。俺も自分で自分が嫌になる」

 

 

本当に反吐が出る。

 

仕事だからとは言っても、明らかに心配を掛けすぎだ。一体どれだけの負荷を彼女に掛けていたのか、想像もつかない。俺が裏で何かをしていることについて、一切の言及をせずに我慢してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――でもそんな大和くんだから……私は好きになった」

 

「……」

 

 

全ての罵倒を打ち消すかのように、自身の思いを率直にぶつけてくる。飴と鞭とはこのようなことを言うのだろう、ナギから視線が一切そらせなくなる。

 

聞きたい、続く言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私を……大和くんのお嫁さんにしてください♪」

 

「……喜んで」

 

 

飛び付くように、俺に抱きつくナギを優しく受け止める。

 

人に愛されることがこんなに幸せだと思わなかった。意識せずとも勝手に上がっていく心拍数、抱き寄せるほどに伝わってくる彼女の温もり。

 

腕の中にすっぽりと収まる、か弱い存在。頭を撫でながら、また抱き締める。幸せそうな、気持ち良さそうな表情を浮かべながら俺の胸に顔を埋めた。

 

先ほどまで着ていたパーカーはいつの間にか脱いでおり、水着のみの状態で抱き合っている。傷一つ無い綺麗な四肢、均一の取れた……いや、一部が人より育った抜群のプロポーション。癖のないサラサラな髪型。一般的にも美少女と言い表せるレベルの整った顔立ち。

 

女性特有の甘い香りが、俺の鼻腔を刺激する。

 

 

「……あの、大和くん」

 

「どうした?」

 

「その……お願いがあるんだけど」

 

「お願い? おう、いいぞ」

 

「その……えっと……」

 

 

あくまで応えられる範囲でだが、理不尽なお願いをしてくるとは思えない。遠慮しがちに、言いにくそうにしているしているナギの姿に笑みが溢れる。

 

照れながら、上目遣いで見つめてくる彼女の姿が愛おしい。不意に意地悪をしたくなった俺は彼女の耳元に顔を近付け、そっと呟く。

 

 

「……何かやましいことでも考えているのか?」

 

「―――っ!! ち、違うよ! そ、そうじゃなくて……うぅ……」

 

 

主導権を俺握られている手前、何かを言い返すことも出来ずに耳まで赤くしながら下を俯く。

 

もし俺が彼女の立場だったら何をして欲しかったのか。少し考えると一つの結論にたどり着いた。果たしてそれが正解なのかどうなのかは分からないけど、やってみる価値は……あると思う。

 

もっとも、間違っていた場合は全力で殴られることも覚悟しなければならない。

 

実際初日は邪魔が入ったし、雰囲気がそういう雰囲気じゃないのは百も承知。

 

でも俺だって我慢できないことはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナギ」

 

「な、何……んっ!?」

 

 

顔を上げるナギの肩を掴むと、その無防備な唇を優しく塞いだ。

 

未遂に終わった二回目の口付けのリベンジ。主導権を握られ、不意打ち気味にされた前回とは違い、今度は俺が主導権を握り、逆に不意打ちで返す。

 

 

甘く、そして想像以上に柔らかい感触。

 

心の奥底から湧き上がってくる得体の知れない幸福感。ナギが目の前に居る、繋がっていると思うだけで体温が上がっていった。

 

あまりの気持ちよさに頭の中が蕩けそうになる。たった数秒間の事だったというのに、俺の心のモヤを取り去るには十分だった。

 

突然のことに、驚きで何度も瞬きをするナギを見つめながら笑みを返す。

 

 

「……っ、前回の続き、まだだったもんな」

 

 

それはいつぞや、ナギが俺に言った言葉。

 

ようやく仕返しが出来たと笑みを浮かべる俺に、どこか不満そうな顔をナギは浮かべる。

 

 

「それで……終わりなの?」

 

「えっ……うわっ!?」

 

 

してやったりと思ったのも一瞬。

 

いきなり視線からナギの姿が消えたかと思うと、次に俺の視界に映ったのは真っ暗な夜空だった。そして急に体が浮遊感を覚えたかと思うと、次の瞬間海に真っ逆さま。

 

水しぶきを立てて、俺の体は海へと浸かる。折角拭いた髪の毛もびしょ濡れ。どうして俺がこんなことになっているのか、その理由はすぐに分かった。

 

俺の気が逸れた瞬間、ナギが体を押したからだ。仁王立ちの状況ならばビクリともしない体でも、腰掛けているだけの状態であれば、女性でもバランスを崩すことも容易。流石に全く意識をしていない状態で体を押されれば、俺でもバランスを立て直すことは不可能。

 

重力に引っ張られるがまま、海へと転落。

 

 

「ぷはぁっ! ちょっ、いきなり何を……うわっ!?」

 

 

幸い水深はそこまで深くはなく、俺の胸元くらいまでしか高さが無い。海面から顔を出し、未だ近くに居るであろうナギに抗議をする。

 

と同時に、勢い良く俺の体に飛び込んでくるナギの体。受け止めるタイミングが遅れ、そのまま二人仲良く海へと沈んだ。

 

 

「お、お前! ちょっとやり過ぎだって!」

 

 

お陰様で俺もナギもびしょ濡れ。ナギは初日と同じようにゴムで結わえたポニーテール姿のため、そこまで髪の毛が乱れている様子はないが、こんな夜遅くに二人揃ってびしょ濡れにならなくてもと思ってしまう。

 

 

「大和くん」

 

「な、何だ?」

 

「もう一回、して?」

 

 

顔を上げるナギの表情を見て、俺の表情は固まる。

 

上目遣いのまま頬を赤らめ、何かを懇願するかのように体を押し付ける。力を込めることで胸は体に当たって潰れ、視線が下を向いている俺には、あり得ない方向に潰れる二つのメロンが見える。

 

こ、これはいけない!

 

ワイシャツ越しならまだしも、布切れ一枚しか無い状態で胸を押し当てられるのはキツイ。その間にも俺の理性の糸は一つ一つ、確実に千切れていく。

 

もう一回……というのはさっきと同じことをもう一回して欲しいとの意味だろうが、そんなことを考えられないレベルで目の前の刺激が強い。

 

このままでは……そう思った時に再度、ナギから声を掛けられる。

 

 

「私なら、大丈夫だから……ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甘く囁かれる一言に、俺の中で何かが弾けた。

 

 

「好きなだけ……んむぅっ!!?」

 

 

言葉を言い終わる前に今度は強引に、ナギの唇を奪う。

 

それでも彼女が嫌がらないように時間を掛け、俺の吐息を伝えていく。

 

ナギは俺の首に腕を回し、より貪欲に俺の唇を貪ろうとする。今までのような軽く唇をくっつけるだけのソフトなものではなく、お互いを本気で求め合う、激しく、情熱的なもの。

 

未だかつて経験したことのない感覚が俺の脳裏を支配する。水滴で湿った前髪が月夜に照らされ、より彼女の妖艶さが増し、赤みの差す頬が堪らなく俺のS心を刺激する。

 

 

「ん、んぁっ……んちゅっ、大和く……んむっ」

 

 

恥ずかしさなど忘れて唇を貪る。

 

今まで溜まっていた想いをぶつける様に、その様子は二回目のものとは思えないほどに情熱的で、頭の中は蕩けそうになっていた。誰も近くにいないのを良いことに、より積極的に、よりいやらしく、彼女を求めている。

 

 

「んぁっ、全然足りない……からぁ。もっと、ちょうだぁい」

 

 

淫らな音が鳴り響く。くちゃりとかぬちゃりとか言い表せば良いのか。口の中でまぐわう舌先。互いの唾液を交換し合うように、何度も何度も口付け合う。

 

初めての深く、激しい口付けだというのに、恥ずかしさなど全くない。恥ずかしさの代わりに、彼女に対する愛情が脳を支配する。

 

 

十数秒間ほど互いを求め合ったところで、酸素が無くなり掛けたのか、俺よりも先にナギが唇を離す。二人を繋ぐ銀色の糸は、一定以上の距離が開くと同時に、プツリと切れた。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

「わ、悪い。つい夢中になって」

 

 

我を忘れるというのはまさにこういうことを言うのだろう。

 

酸素を取り入れようと荒い息遣いを繰り返すナギだが、その行動さえも俺にはたまらなく色っぽく見えた。ナギはナギで頬を赤らめ、ぽーっと昇天したまま俺の顔から視線を逸らそうとしない。

 

 

「や、大和くん……もっと……」

 

「お、お前……」

 

「今は貴方を、貴方だけを見て居たい。この場だけは誰のものでもない、私だけの大和くんであってほしい」

 

 

 

甘えるようにねだる姿に、もはやいつもの面影はなかった。

 

大人しく、遠慮しがちで、消極的な彼女と同一人物だと、誰が思うだろう。皆が知る鏡ナギではなく、俺だけに見せる新たな一面。

 

先ほどの口づけで完全にスイッチが入ってしまっているらしく、今は俺のことしか頭に入ってこないのかもしれない。

 

それは俺も同じだ。

 

彼女を大切にしたい。心配を掛けてしまった分、少しでも彼女の傍に寄り添っていたい。

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

「んうっ……」

 

 

再びナギの唇を自分の唇で塞ぐ。ほのかに吐息を漏らすナギの姿を見た後、俺も目を閉じた。

 

先ほどの激しい口づけではなく、相手を思いやる優しい口づけ。マシュマロのように柔らかい唇から伝わってくるのは確かな想い、優しく愛おしい、好きだという本心。

 

一緒にいる以上、何度も唇を交わしていくことだろう。彼女と愛し合うことに、家系だとか生い立ちだとかは関係ない。俺がナギを好きであるという気持ちだけがあれば十分だ。

 

随分と自分の気持ちに素直になるまで時間を掛けてしまったけど、決して無駄な時間では無かったはずだ。

 

少しでも長くナギと一緒にいる以上、様々な壁が立ちふさがる。ただ二人一緒ならきっと、どんな壁でさえも乗り越えていける。

 

普通の生活を送る一人の少女と、裏世界に暗躍する護衛の少年。

 

全く正反対の道のりを歩む二人は、奇跡的な確率で出会い、そして想いを繋いだ。

 

二人の生活はこれからより、厳しいものとなっていくはず。

 

護衛として生きていくと同時に、一人の少女のパートナーとして生きていくことを選んだ時点で、覚悟をしなければならない。ナギには覚悟をしてもらわないといけない。

 

常に生死と隣り合わせの自分と一緒にいることがどれだけ大変で、時にはつらい現実を目の当たりにすることがあるということも。

 

 

俺の問いに彼女ははっきりと答えた、これからも一緒に居たいと。

 

それなら俺から言うことは何もない。ナギがそういうのであれば、俺はそれでいい。

 

彼女が口にした覚悟、その覚悟を俺があれこれ言うものではない。

 

 

 

 

ナギが俺を好いてくれたように、俺はナギのことが好きだ、好きであることに理由なんかないのだから。

 

 

 

 

 

 

―――月夜が二人を照らす。

 

二つの影は一つとなったまま、しばらく離れようとはしなかった。


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