「えーっと、ここを左に曲がって……」
紙に書かれた住所を頼りに、一夏の自宅へと向かう俺と他二人。照りつける日差しは相変わらずであり、ほのかに額には汗が浮かび始めている。さほど駅から距離がある訳じゃないにしても、この暑さでは流石に周りを気にせずには居られない。
年々高くなって行くであろう平均気温も、夏の暑さに関しては関係ない。ただひたすらに暑いという一言に尽きる。後ろを歩くナギとラウラも暑さを気にする素振りを見せている訳ではないが、なるべく日陰になっているところを歩き、少しでも暑さが和らぐように配慮はしていた。
しかし家を教える方法が紙に書いた住所ってどうなんだろうか。このご時世便利になったとはいえ、それだけでは情報量に乏しいところ。前日にパソコンを使って駅からのルートを検索し、把握はしているがもし間違っていたらと思うと申し訳ない気持ちになる。
十中八九問題ないとは思うが、間違える可能性はゼロではない。
「大和くん大丈夫? もしかして道分からなくなったとか?」
「いや、道自体は合ってるはず。ただ一度も来たことのない道だから、少し探り探り向かってるんだわ」
「あ、そうなんだ。てっきり場所が分からなくなって途方に暮れかけているのかと……」
「おいこら、地味に酷いな」
何気ない一言にガラスのハートにヒビが入る、一ミリくらい。全長は一キロくらいだけど。
と、そんなことはどうでもいい。ゆっくりと確認しながら歩いているのは、一度も来たこと無い道で適当に進むほど、大ざっぱな人間ではないし、それが返って周囲を巻き込むことにったら目も当てられないからだ。
不安そうに顔をのぞき込んでくるナギに大丈夫だと伝え、先を歩いていく。そしてようやく突き当たりが見えてきた。目の前にある突き当たりを右に曲がれば、道路沿いに織斑家の標識が見えてくる。
無事に目的地へ到着、かつ二人を誘導できた事にホッと胸をなで下ろす。道間違えましただなんて失態は恥ずかしくて到底出来ないし、場合によっては相当なネタになるだろう。
そうこうしている間にも突き当たりに差し掛かり、最後の曲がり角を曲がる。すると視界の先にはっきりととらえる『織斑』の表札。かなり遠くだが、今の俺にははっきりとその二文字を認識する事が出来た。
「あ、あれか。あの一軒家がそうっぽいぞ」
「ホントに?」
が、何故か俺をはじめとして、ナギとラウラが同時に歩を止める。視線の先、織斑家であろう門の前に一つの人影が見えたからだ。
どことなく見たことがあるような横顔に、特徴的なブロンドの髪。小柄ながらすらっとした佇まいは、好青年を彷彿とさせる。手にセカンドバックを持ち、何度も人差し指を近付けては離し、近付けては離しを繰り返す。
何かの反復練習でもしているのか、それとも単純にどうすればスムーズなピンポンダッシュが行えるのか考えているのか。まるで一世一代の告白でもするのかと思うほどに、ビクビクとする仕草に思わず首を傾げた。が、それは当人にしか分からない。少し黙り込んだところで、先に見える見覚えのある姿に、隣に居るナギが声を漏らす。
「あれってデュノアさんだよね、何してるのかな?」
「……分からん。見た感じ一夏の家に遊びに来たって感じに見えるけど」
いずれにしても俺たちと同じく、一夏の家に呼ばれているのは分かった。しかしナギやラウラもそうだけど、シャルロットの私服姿も絵になる。紺色をベースにした襟立のTシャツに、赤くストライプが入ったスカート。シンプルな組み合わせだというのに、完璧に着こなしている。
写真を撮って雑誌にモデルとして売り出しても何ら違和感は無い。美少年にも見え、美少女にも見える。天から授かりし才能とはこのような事を言うのかもしれない。
さて、俺たちもこんなところで立っている訳にもいかない。相変わらずナギとラウラは暑がる素振りを見せないが、これだけの日差しと温度があるのだから、暑くない訳が無いだろう。
とりあえず用がシャルロットも織斑家に用があるみたいだし、声を掛けて一緒に尋ねるべきか。そう考えていると、俺たちと反対側の道を歩いてくる白いTシャツの、これまた見覚えのある男性が一人。
「あれ、シャル?」
「へ? うわぁああ!?」
背後から声を掛けられた形になり、シャルロットはぎょっとした表情を浮かべ、逆に織斑家の門の方へと後ずさる。彼女に声を掛けたのはもちろん、呼び方ですぐに分かった。
「い、いいい一夏!? ほ、本日はお日柄も良く……」
「はぁ?」
そう、一夏だった。両手にスーパーの袋をぶら下げているところを見ると、買い出しにでも行っていたのか。
いきなり意味の分からないことを呟くシャルロットに、若干引き気味の表情を浮かべながらも、続く言葉を待つ。まさかのタイミングで一夏が現れた事により、調子を狂わされ、柄にもない日本古風の言い回しが口からこぼれてしまい、どうしようとモジモジと考え込んでいる。
「あー、何か青春してんな」
「お兄ちゃん、何か昔を懐かしむ老人みたいな顔してるぞ」
二人のやり取りをどさくさに紛れて電柱に隠れながら伺う。俺の後ろにはナギとラウラが隠れており、俺の何気ない一言にど正論をぶつけてきた。今の一言がに若干哀愁が漂ってしまったことに関しては否定しない。
「あ、あの、シャルロット・デュノアです。織斑一夏くん居ますか?」
「何言ってんだ……?」
更に意味の分からない言葉を続けてしまったシャルロットに、唖然とした表情を浮かべながら口を開けて目の前の姿を見つめる。シャルロットの皮を被った別人じゃないかと、狐に包まれたままかのように呆然と立ち尽くす。
「そ、そのね? き、来ちゃった♪」
「いや、彼女やないかい!」
ズビシッ! と効果音がつきそうな突っ込みを陰で入れていた。一方のシャルロットはやってしまったと、場にうずくまりながら頭を抱える。これ以上見ていても進展が無さそうだし、目的は一夏に会いに来ることであるため、一旦は二人の元に向かおう。
電柱から姿を出し、一夏に向かって歩き出した。
「よっ、一夏! 来たぜ」
「おー大和! 待ってたぞ!」
「えっ?」
一夏に向き合うような形で声を掛けたため、シャルロットからすると背後から急に誰かが現れたような形になる。ピクリと体を反応させると、背後にいる俺たちに顔を向けた。
突然の登場に最初は驚くシャルロットだったが、やがて顔を確認するといつものトーンで挨拶をしてくる。
「大和。それに鏡さんにラウラも。おはよう」
「あぁ、おはよう。偶然だな、こんなところで会うだなんて」
「うん、そうだね」
一夏の家に行くことが確信犯だとしても、俺たちが来ることは想定外だったはず。他のラバーズたちが着いてきて居ないところを見ると、シャルロットが出し抜いた形になるのか。
一夏が実家に帰るタイミングを見計らったんだろうが、逆に俺たちと日付が被ってしまった……ってところだろう。
いつも通りの調子で挨拶を終えると、一夏に招かれるがまま織斑家の門をくぐった。
「いやー悪いな。帰ってきたばかりで掃除やら何やらで忙しくて」
家の中に入ると、俺たちはリビングに通され、ソファへ囲うように座る。一夏は買い出した飲料やら食べ物を忙しなく、冷蔵庫の中に収納していった。我が家と違い、普段は家に誰も居ない。故に定期的に一夏が実家に戻った際に掃除をしているそうだ。
うちは基本的に千尋姉がいるし、俺も実家に戻ったときは家事を手伝うから、家に誰も居ない日はほぼない。あるとすれば、揃って旅行に出掛けている時ぐらいだが、俺がIS学園に入学してからというもの、共にどこかへ出掛けることはめっきりと減った。
小さい頃は長期休暇を利用して色んなところに連れて行って貰ったりしたが、もうそんなことを考える年ではないということか。どちらかと言えば、一緒に家でくつろいでいる事が多い気がする。
出掛けたくない訳ではないが、タイミングがあわない。それに割と家にいた方が、千尋姉は喜んでくれることを考えると、無理に時間を作って遠出しなくてもと思ってしまう。
「ねえ一夏、おうちのことって一夏がやってるんだっけ?」
「あぁ、千冬姉は忙しいし、長いこと帰ってこなかったしなぁ」
学園の中と違って始めてくる想い人との空間で、少しでも色々なことを知ろうと、シャルロットが一夏に質問をしていく。質問をするシャルロットに、想定内の答えを返すと。
「へえ……そうなんだ」
一言ボソリと呟いたところで、不意に黙り込む。黙り込んだかと思うと急に頬を赤らめながら「えへへ」と呟いているところを見ると、どうやら一夏が自分と結婚した先の未来でも妄想したのだろう。コロコロと変わるシャルロットの表情に、ピクリと反応をするナギが面白い。ラウラはきょろきょろと辺りを見回しながら、ここが教官の家かと非常に興味深げに観察している。
何だかんだあってもラウラが千冬さんのことを尊敬しているのは変わらない。ドイツ軍で失敗作の烙印を押されて、自分を見失っていたラウラに、一つの道しるべを作ってくれたのだから、ちょっとやそっとのことで嫌いになるわけはない。
ただその時は何かに依存しなければラウラも自分を保つことが出来ず、千冬さんの強さの部分だけに魅入ってしまったが故に、取りつこうとする全ての人間を拒絶するといった悪循環に陥ってしまった。
今では過去の自分は黒歴史だ! なんて言ってはいるが、かつてはラウラ自身も心に大きな闇を抱えていた。
人の家に遊びに行くことが無かったラウラが、こうして初めて一夏の家に遊びに来ている。それも近くに千冬さんという存在がいることで、ラウラの中には掻き立てられるものがあった。許可があれば真っ先に千冬さんの部屋に飛び込んでいるはず。
……些か部屋の中の状況が不安だけど。
「はい、四人とも。朝作ったばかりだからちょっと薄いかもしれないけど」
そうこうしている間にも、冷えたグラスに注がれた麦茶が俺たちの前に現れる。グラスマットをテーブルに敷き、テキパキと手際よくグラスを並べていった。この辺りは普段からやりなれているのか見事なものだ。
「お、サンキュ」
「あ、織斑くんありがとう」
「ありがと一夏」
「うむ、感謝する」
其々に一夏の感謝の言葉を述べると、グラスを手に取り口元へ飲み口を持っていく。それと同時に、タイミングよく織斑家のインターホンが鳴り響いた。
「はーい、今でまーす」
ディスプレイ液晶が無いため、入口へと向かい訪問者を確認しに行く一夏。そんな一夏の様子を追うようにシャルロットが、そしてその後ろを全員がついていく。一夏が訪問者の姿を確認し、入り口の扉を開けると。
「あ、一夏さん! 近くを通ったので、寄ってみましたの! 美味しいと評判のデザート専門店のケーキを……え?」
満面の笑みを浮かべていたはずの来訪者―――セシリア・オルコットは、中の様子を視界に入れた途端に、何とも言えない表情を浮かべ、立ち尽くしていた。
「……」
「……」
互いのさぐり合いをするように、先ほどと打って変わって静けさに包まれるリビングの一角。変わったことがあるとすれば、先ほどまでの人数にセシリアが追加されていると言ったところか。配置としては俺の両隣にナギとラウラが来ており、俺の対面にシャルロット、そして左側のソファにセシリアが座っていた。
如実なまでにしょぼくれるシャルロットに、ジト目でシャルロットのことを見つめるセシリア。恐らく抜け駆けをしようとしていたことを知り、改めて油断ならないと警戒しているんだろう。ただ一つ言えば、セシリアもセシリアで、帰省中を狙って偶然この場を通りかかったと言うのだから、いささか都合が良すぎるようにも思えた。
というより良すぎる。彼女も彼女でまた確信犯の部分があったと考えるのが妥当。
しかしこの互いの内のさぐり合いのような雰囲気は何とかならないのか。ナギはどうしようかと俺に目で訴え、ラウラは我関せずと言わんばかりにお茶を飲んでいる。しかも二杯目を。
この暑い時期に、わざわざ温かいお茶を貰ったのには若干驚きだが、本人いわく日本といえば熱いお茶ではないのかとのこと。もちろんそれは分からなくは無いが、夏にもなると、俺たちの世代は冷たい飲み物を好んで飲むことが多い。コーヒーもホットコーヒーではなく、アイスコーヒーを飲むことがほとんど。
飲料に関しては温かい飲み物を敬遠しがちの中、淡々と飲み進めるラウラに感心すら覚えた。
「へぇー全部種類が違うんだな~」
重苦しい雰囲気を払しょくするかのように、一夏がセシリアの持ってきたケーキを眺めて呟く。万が一のことを考えていたのか、ケーキの数は今いる人数とぴったりの数が購入されていた。早速と言わんばかりに一夏は取り皿にケーキを分けていく。
「しかし凄いな。これ結構高かったんじゃないのか?」
買ってきたケーキは、どれもこれも普通のケーキ屋で購入すると比較的高い部類に入るものばかり。一端の学生が数多く購入するとなると、中々にハードルは高いもの。いくら代表候補生としての収入が多少はあるとはいえ、差し入れとして何個も買えるような代物ではない。相場を考えると、俺も何個も買う余裕はなかった。
「い、いえそんなことはありませんわ。人の家に出向くのであれば、わたくしにとってこれくらいは当然です」
おほほ、とそう言ってみせるセシリアだが、ケーキよりもシャルロットの存在にばかり目がいってしまい、それどころでは無い。話し方もどことなく余裕がないように思えた。
たわいのない会話を交わしていると、皿にケーキを乗せ終えた一夏が、各自にケーキを配っていく。普段はあまりケーキを食べることがないが、偶に見ると無性に食べたくなる。
ちなみに俺に配られたのは大きなイチゴの乗ったショートケーキであり、スポンジの間にも大きなイチゴが綺麗に連ねられている作りは圧巻だった。良くこれでバランスが取れるなと思えると同時に、作り上げた職人にただ感服するしかない。
一通り配り終えると、自身の取ったケーキを一夏は口に運んでいく。
「んっ、うまいなこれ!」
一夏の声を皮切りに、各々ケーキに手をつけ始めた。口に運ぶごとに綻ぶ表情を見ているのも面白い。冷静に考えてみると、大勢の女性に囲まれてスイーツを食べる経験はほとんどない。これはこれで新鮮な風景を見ることが出来たと喜ぶべきか。
皆の様子を観察するのも面白いが、食べている姿を凝視するのも良く思わないだろうし、早速俺も配られたケーキを食べるとしよう。
周囲を覆う透明のビニールを取り去り、フォークでケーキを一口サイズに切ると、フォークに刺し直して口に運ぶ。
「……うまい」
咀嚼を繰り返す度に口の中に広がる甘い香りに、絶妙にマッチしたイチゴの酸味。それぞれが合わさり、些細な幸福感に包まれる。あまり甘いものは食べないが、やはり偶に口にすると美味しかった。
もちろん一つだけなら問題ないが、これが二つ三つと増えていくと、俺の顔色が徐々に悪くなっていく。食事であれば相当量を食べることが出来るが、ケーキを初めとしたスイーツ系は割とすぐに限界がくる。
だからスイーツバイキングに行こうものなら、最初の一皿で割と限界が来て、無理に詰め込むと顔を真っ青にして黙り込んでしまう。これは以前、千尋姉とスイーツパラダイスに行ったときに判明したことで、千住観音のように皿を重ねていく千尋姉に対し、俺は一皿目を食べきったところでギブアップした。
笑顔で美味しいと凄まじい量を平らげた千尋姉は、終始ご満悦な表情を浮かべる。が、目の前に積み重ねられた大量の皿を見て、俺は尚更気分が悪くなり、開始十数分しか楽しめずに、残り時間をグロッキーで過ごすという地獄のような一時を過ごした。
それ以来、俺はスイーツバイキングに行ったことはない。
バイキングの後も、ケロッとした表情を浮かべたままの千尋姉を見ていると、一体その栄養は何処へ消えているのかと、不思議でたまらなくなる。身体を毎日動かして、ケアに努めているのは知っているものの、あれだけの量のスイーツを食べていて太らないのが仕方でならない。
本人は気をつけているとしか言っていないが果たして。
さて、そんな過去話と共に食べ進めるわけだが、何処かから視線を向けられていることに気付き、近くを見渡すと、チョコレートケーキを食べていたラウラが、じっと俺の方を見つめていた。
フォークを口にくわえたまま、物欲しそうにこちらを見つめる様子は、何かをねだっている証拠。あぁ、そうかラウラもこのケーキを食べてみたいのか。全種類美味そうなケーキだし、他の人のものを食べてみたくなるのは仕方ない。
ラウラの心境を悟った俺は、再度一口サイズにケーキを切り分け、フォークで刺して固定をすると、隣のラウラの口元へと差し出す。
「ん、食うか?」
「い、いいのか?」
「おう」
目をきらきらとさせつつも、驚きを隠せない様子のラウラ。まさかくれるとは思っても居なかったと言わんばかりの表情だ。そんなラウラの顔を脳内に保管していると、フォークをパクりと咥える。二人の様子をどこか羨ましそうに見つめるセシリアとシャルロット、そして何をやっているんだろうかと、現状を把握しきれていない一夏。
いつものことだと苦笑いを浮かべるナギと、十人十色の反応を見せてくれた。
恥ずかしがる素振りもなく口に含んだケーキをもぐもぐと食べるラウラだが、先ほどまで食べていたチョコレートケーキのクリームが頬に付いていた。一方で当の本人は全く気付かずに、貰ったケーキを満面の笑みで噛みしめている。
いつどうやってついたのかは分からないけど、流石に年頃の女の子がチョコレートを付けたままなのは頂けない。そのまま固まってしまえば、顔を洗わなければならない。
近くにあるティッシュを二、三枚取ると、ラウラの肩に触れた。きょとんとした表情かつ、上目遣いで俺の顔を見上げる。ラウラ自身は未だチョコレートが付いている事に気付いていない。
口の中のケーキを飲み込んでいることを確認すると、取り出したティッシュで優しく、ラウラの口元にあてがった。いきなり何をするのかと、驚きの表情を浮かべながらジタバタと抵抗してくる。動かれるとやりずらい。
「んむぅ。お、お兄ちゃん、何を……」
「口にチョコついてたから、気になっただけさ。放っておくと固まりそうだし、ちょっと大人しくしててくれよ」
「うっ……そ、それくらい自分で出来るぞ」
「その前に付いていたことに気付かなかったんだから、まずはそこからな」
人前で口を拭かれるのが、純粋に恥ずかしいのか。余り自身も人に口を拭かれる経験もないだろう。故になれておらず、だが強引に抵抗することも出来ずに、渋々されるがままのラウラ。
「い、一夏! 僕も一夏のケーキ食べてみたいな!」
「い、一夏さん! わ、わたくしと食べさせあいしませんこと!?」
「は、はぁ!? 何で二人とも鬼気迫った顔してんだよ!」
俺たちの様子を見て触発されたのか、セシリアとシャルロットは物凄い勢いで一夏に詰め寄っていく。その表情に一夏は顔をひきつらせながらドン引きしていた。恐らくは何気ない感じで食べさせ合いを提案すれば、一夏なら快く了承しただろうに、少しでもアピールしようと焦った結果、逆に一夏に引かれるハメに。
ガツガツ系の肉食男子が、合コンで迫ってくるような威圧感に、冷や汗をたらしながら距離をとろうとする一夏をよそに、ラウラの口を拭き終えた俺は、また先ほどまでと同じように自身のケーキを口に頬張った。
「織斑くん、これだけやっても気付かないんだね」
「……というより、今回のは一夏が嫌がっているようにしか見えないんだが」
事の一部始終を見ていたナギがぼそりと呟くも、折角のチャンスをごり押しでダメにしてしまっているのは、セシリアとシャルロットの方だ。一夏が二人を初めとしたラバーズから寄せられる好意に何一つ気付かないのは問題だが、それ以上にチャンスに変に意識しすぎて暴走してしまう方にも問題はある。
某野球ゲームの特殊能力に例えるなら、『チャンス×』とでも言うのか。普通の人から見るとチャンスだというのに、後がないピンチのようになってしまうのは彼女たちが想像以上に素直になれず、また不器用だからだ。
一夏も一夏で良くないところはあるが、こればかりは本人が徐々に解決していくしかない。
「だ、だよね。止めなくて大丈夫なのかな?」
一連のやり取りを見て止めた方が良いかどうかを確認してくるナギだが、俺らが下手に介入しない方がいい。
「恐らくは。それに変に止めに入ったら巻き込まれそうだし、ちょっと様子を見てみるか」
と、百歩譲ったとしてもそれくらいしか俺からは言えない。まさかラウラにケーキをあげた行為が、ここまで発展してしまうとは思ってもみなかった。三人があーでもないこーでもないと言い合いをしていると、またもや織斑家のインターホンが鳴り響く。
そもそもこの暑い夏の日に、連続でインターホンが鳴ることなんてあるのか。確かに二人しか居ない男性操縦者のうちの一人だし、姉の千冬さんも初代モンドグロッソの総合優勝者。メディアの格好の的であるが故に、家に押し掛けるマスコミがいたところで不自然には思わないが、一夏に聞いたときはある時を境にマスコミの理不尽な押し寄せは止まったらしい。
謎の裏の力……あの人の力が働いたんだとは思うが、いつの間にか落ち着いていたと聞く。
さて、そして今日。
俺たちやセシリア、そして今のインターホンと合わせると数十分も経っていない間に三組の来訪と、明らかに多すぎた。また一夏関係者、とどのつまりしの……箒や鈴ではないかと推測出来る。
そしてその推測は当たる事となった。
「おまえらもか……」
インターホンが鳴り、玄関へと向かった一夏から溜め息混じりの言葉が聞こえてくる。リビングに残された俺たちにも、一夏の声をはっきりと聞き取ることが出来た。どうやら出迎えた相手は、一夏の顔見知りのようだ。
さすがに知らない人間に対しておまえらもか、などと失礼な口を聞くことなどしないし、一夏の口調がフランクになっている事から、来訪者はかなり親しい人物であることになる。
「はぁ? アンタは何同じシチュエーションを見たかのようなことを言ってるのよ」
溜息を付く一夏に対し、まるで抗議でもするかのように聞いたことのある、勝ち気な話し声が聞こえてきた。特徴的な若干幼さが残る芯の通った強い口調に、勝ち気な雰囲気に。
「今日の朝偶々時間が出来たんだ。仕方なかろう」
また別の、どこか凛とした雰囲気すら感じることが出来るトーン。こちらもまた、聞き覚えのある声だった。
玄関の前でのやり取りに、セシリアとシャルロットは何で全員集合するのかと頭を垂れ、俺とナギは地味に想像が出来たと苦笑い。ラウラは相も変わらず自分を貫いて、ケーキをつついていた。
「まぁ良いわ、あがるわよ」
「あっ、ちょっと待てって」
ずかずかとマイペースのまま、織斑家に上がり込んでくる様子が伺える。引き留めようとするも取り逃したんだろう、一人は一夏の許可があるまで待とうとしたようだが、もう一人は我が家のように一夏の横をすり抜けて家に上がっているイメージが容易に出来た。
二人の足音が近付いてくる。どんな顔をするのかは何となく想像できるが、この際言わない方が吉か。そしてあーでもないこーでもないといった押し問答の後、ひょっこりと、リビングの入り口から顔を出したのは。
「しかしまぁアンタの家に上がるだなんて何年振り……」
リビングにいるそうそうたる面々の顔を見た瞬間、ピシリという効果音と共に、鈴の動きが止まる。そう、二人の内の一人は鈴だった。遅れるようにあきれた顔をした一夏が戻り、更に遅れるようにもう一人の来訪者が、リビングに姿を現す。
「おい、鈴。止まってどうした。部屋に入りづらいではない……か?」
二人揃って全く同じ反応で面白い。同じように部屋の中を覗いた瞬間、想像していなかった事態に目を丸くしたまま固まったのは箒だった。
二人とも思うことは同じで、折角出し抜いたと思ったのに、全員が同じ日に全く同じ事を考えていて、結局はいつものメンバーと遊びに来たのと変わらないことにがっくりと肩を落とした。
……いや、鈴は完全にそうだが箒は少し違うな。本来なら一対一で会うはずが、皆で会うことになってしまい、がっかりしているところに関しては同じだが、どうも俺に対する申し訳なさが消えないのか、俺の顔に目を向けようとしない。
一ヶ月そこそこで例の一件を完全に忘れるのは難しいし、自身の行動が要因の一つにも組み込まれているとすれば、すぐに切り替えるのは容易なものではない。どうしても自身の行動が許せなかった箒は、最低限の生活が出来るようにサポートさせてくれと申し出るも、当たり前の如く俺は拒んだ。
理由としては、箒の行い全てが原因ではなく、独断でラウラを待機させ、単身プライドと戦ってしまった俺が根本の原因であると判断したこと。
後は箒が俺をサポートするあまり、自身の身体が潰れてしまうのではないかと危惧したからだ。彼女のことだし、言ったことは最後まで貫くだろう。恐らく自分の身を犠牲にしたとしても。
だからこそ、俺は箒に誓約を与えた。『俺自身の名前を守り抜け』と、俺と同じ境遇を他の誰かに見せないように、守れるように、もっと強くなれと。
一度は納得してくれたとは思ったが、切り替えは中々難しいようで、学園でも表向きは割と普通な感じで接してくれているようにも見えた。が、実際内心では俺に相当遠慮している様子が伺える。
「……!」
ふと目があった。やはり思う部分があるのか、浮かない表情を浮かべたままだ。折角来たというのに、ブルーな気持ちになられたら勿体ない。変な空気になる前に話題を変えるとしよう。
想像以上の大御所となってしまった織斑家。人数は合計で七人。極めつけは俺と一夏を除いて全員女性と言うところにあった。世の男性が見たら羨むこと間違いないが、俺たちからしてみれば地獄……だと昔までは思っていたが、今は悪い感じがしない。慣れたのももちろん、自分に取って大切な人が何人もいる。
大切な人が居て、嫌な気分にはならない。
「とりあえず何かするか? テレビゲームは人数が限られるし、何かないか探してこようと思うんだが……」
「なら俺も手伝うよ一夏。一人で持ってくるのは大変だろ?」
「お、助かるぜ! じゃあ大和、頼むわ!」
一夏の声掛けに応え、一人で運ぶの大変だろうとのことで、俺も席を立ち後を追う。部屋にいくつか心当たりのあるゲームがあるのか、組み合わせとしては珍しいが、女性のみを残し、俺と一夏はリビングを後にした。
「で、何でアンタたちがいるのよ。ナギとラウラを除いて」
男性陣が居なくなって真っ先に口を開いたのは鈴だ。何度も言うように、一夏が帰省したタイミングを狙って家を訪れたのはいいが、結局いつもと変わらないメンバーがここにはいた。鈴がナギとラウラを除いてと言ったのは、二人は一夏に対して明確な興味を持っていないから。
ナギに関しては大和一筋、ラウラは大和の妹として金魚のふんのようにくっついて歩いており、二人とも大和しか眼中に無い故に、自身の障害にはならず警戒をする必要がない。
一夏に呼ばれた大和にラウラが着いていき、ナギも巻き込まれたことが容易に想像出来る。元々大和が呼ばれていた事を考えると、二人が着いてくる可能性は十分に考えられた。
「だから言っただろう! 偶々時間が出来て、私も帰省中だったから顔を出しただけだ!」
「わたくしだって、散歩をしていたら偶々一夏さんの家の前を通っただけですわ!」
「あ、あの僕は元々どこかで顔を出そうとしてて……」
反応は様々、むしろお前も狙っていたんじゃないかと一同心に思うも、先を越されてしまい、自身の本心を隠して言い訳をつらつらと並べる。その中、本音を込めたのはシャルロットだけあり、箒とセシリアは彼女の声を聞きしまったと内心後悔したが、時は既に遅し。
「それなら鈴さんはなんで来たんですの!? いくらなんでも都合がいいのではなくて?」
ならばと今度はセシリアが鈴に対して、何故一夏の家に来たのかと尋ねた。これではもうただの同じ穴の狢である。少しでも真意を知られるまいと話題を別の相手に振ろうとするも、第三者視点で静観するナギとラウラには何もかもお見通しだった。これぞまさに余裕の静観である。
目的の相手が他の四人とは違うため、やり取りをどこか微笑ましく見つめていた。
「あたし? あたしは一夏の幼馴染なんだから、別に遊びに来るのは普通でしょ?」
セシリアの指摘に関してあっけらかんと答える鈴、ふふんと余裕すら感じさせる笑みは顔を引くつかせていたセシリアの糸を切るには十分だった。
「嘘おっしゃい! そんなチープな理由ではないでしょう!」
「それを言うなら私だって幼馴染なのだから、偶々時間が出来て遊びに来るくらい不自然ではないだろう!」
鈴の一言に触発されたのか、箒自身も幼馴染なのだから遊びに来るくらい大丈夫だろうと言い返すと、今度は冷静を装っていたはずの鈴までもが机に身を乗り出す。
「はぁ!? アンタのは後出しよ後出し! 急に何言ってんの」
ギャーギャーと静かだったはずのリビングが喧騒の場に包まれた。一夏を取り合う争いは、どこぞの昼ドラの修羅場を彷彿とさせる。流石にここまでくると止めないとまずいと悟ったのか、ナギはどうしようかと立ち上がるも四人を止める手立てなど見つかるはずもなく、慌てふためくばかり。
ラウラに関してはケーキを食べ終わり、一人静かにお茶をすすっていた。どこまでも礼儀正しい立ち居振る舞いではあるが、こんな時ばかりはナギの援護に回ってほしいところ。
「ど、どうしよう。私じゃ止められないし……そ、そうだ。ラウラさん!」
「うん? どうしたんだお姉ちゃん?」
「ど、どうしたって……ど、どうしよう?」
「???」
日本語のような日本語じゃない言葉の羅列に、首を傾げるしかないラウラ。ナギとしては今にも一触即発状態の四人をどう鎮めようかとラウラに相談するつもりだったのに、焦るあまり言葉を省きすぎてしまい、ラウラに伝わり切らなかった。
最もやり取りを見ていたのならラウラにも多少は伝わったはずだが、全く見ていないラウラにとって現状を把握する術など無く、何をいがみ合っているのだろうと思うことしか出来ない。
と、その時。
四人のうちの誰かが机に触れたのか、僅かに動きラウラの腕に触れた。見えないところの動きは反応しようがない、腕に伝わる机の感触に対する驚きが、手先のコントロールを狂わす。僅かな揺れであっても、茶碗の中のお茶を飛び出させるには十分だった。
飛び出た液体は、そのままラウラの顔面を直撃。入れたばかりのお茶ではないことから温度的には下がっているものの、ラウラの顔ははびしょ濡れであり、前髪からはポタポタと水滴が零れ落ちた。最初は何が起きたか分からずに無反応のままのラウラだったが、時間が経つにつれて状況を把握する。
「あっ……」
「……」
どうして自分がびしょ濡れになっているのかと。現状を把握し、やや青ざめ気味ながら小さく声を漏らすナギと事態を把握せずにバチバチとにらみ合う四人、シャルロットだけは半分巻き込まれたに近いが、目の前の事で精一杯で、ラウラの様子には全く気付いていない模様。
心の奥底から沸々と煮えたぎる何かが、せり上がってくる。何もしていないのに周囲とドタバタに巻き込まれ、びしょ濡れになったこの状況は、誰がどう見てもラウラは悪くない。
仮に自身の行動が引き金で、今回の事態を引き起こしているのであれば何も言ってはいない。今のラウラなら感情をコントロールすることくらいは容易だろう。が、自分以外の第三者が原因ともなれば話は別。
そしてその原因となっているのは、一夏の家に来たことに対して未だにらみ合いを続ける四人。
「や、大和くんっ!」
ラウラの表情が怒りの表情に染まっていく。如実な変化に気付いたナギは顔を真っ青にしながら、部屋の外へと大和を呼びに行く。こうなると大和くらいしかラウラを抑える手段が無いからだ。
小さな体躯とはいえ、大和を除けば最も戦闘力の高いラウラ。暴走したら止められる人間は限られてくる。最も以前のような触れたら切れるような性格では無くなったが、いざという時に垣間見える冷徹さや怒りは常人を凌駕する。
いざという場面でも無いのだが、突拍子も無く自身がびしょ濡れにされている事には、納得行くはずもない。近くに大和というリミッターが居ない今、ラウラを抑える者は誰も居ない。
ゴゴゴゴッ! といった効果音が聞こえそうな雰囲気とともに、眉間しわを寄せたラウラが椅子を立つ。静かな、だが確かな怒りがラウラを纏う。この怒りをどこへ向けるべきか、そもそも目の前に引き起こした張本人たちが居るのだから、そこに向ければ良いのではないか。
勝手にそう置き換える。
「この……」
今まで黙っていたはずのラウラが声を出す。すると唯一巻き込まれていたシャルロットが顔を向ける。
この時にラウラの表情が視界に入ったようで、血の気が引いていくのを感じた。慌てて残りの三人を止めようとするも、既に時遅し。
「いい加減にしろっ!!!」
争いの輪の中に飛び込むラウラ。
一人の男を取り合うがために起きてしまった今回の一件は、結局大和と一夏が戻ってくるまで続けられた。
「何故こうなった……」
「知るか、本人に聞くしか無いだろう。ほら、ラウラはまず顔を拭いて」
俺の目の前には正座する箒、セシリア、鈴、シャルロットの四人。やりすぎたと思っているのか、四人の表情は優れない。一方で俺の隣にはナギと、真っ正面には顔を水浸しにしたラウラがいた。一夏はどうしてこうなったと頭を抱え、俺は借りたタオルで、ラウラの顔を拭いていく。
何をどうすればこうなるのか、慌てて呼びに来たナギについて行くまま、戻った先に映ったのは取っ組み合いをする箒、セシリア、鈴、ラウラの四人と、止めようとするシャルロットだった。恐らくシャルロットは巻き込まれ、ラウラは最初こそ黙っていたが、自身にも被害が及んだせいで堪忍袋の緒が切れたというところか。
じゃなければラウラの顔がお茶でびしょ濡れになるなんてあり得ない。流石に他の面子が怒り心頭だったとしても、人の顔面に飲み物を掛けるとは考えられなかった。
残り茶だったために温度は下がっていたものの、下手をすればやけどをする可能性もある。顔を拭きながらやけどがないかを入念に確認すると、顔には目立った傷は見られない。どうやらやけどをしている可能性は無いようだ。
「大丈夫か?」
「うん……」
「大変だったな、一旦顔を洗ってこい。一夏、洗面所借りても良いか?」
「あ、あぁ。洗面台なら部屋を出てすぐ左に曲がった突き当たりに……」
一旦顔を洗ってくるように指示をするとこくりと頷き、部屋を出ていく。顔を拭いたとはいえども、匂いを含めて完全に拭い切れた訳ではない。気分転換するにも丁度良いと考え、ラウラを洗顔へと向かわせた。
さて、残ったのは問題を起こした核心のラバーズな訳だがどうしたもんか。一夏の家に来た理由を探っている内に事が大きくなったような気がしなくはない。むしろその理由しか思いつかないんだが、他の理由は考えられるか。
「んで、一体何が原因だ?」
あえて俺は正座している四人に聞く。別に怒っている訳ではないが、彼女たちからすると怒っているように思えたのだろう。ほぼ同時にぴくりと身体を震わせながら、俯いてしまう。
あれ、何かこれ俺がいじめているみたいじゃないか?
一夏に視線を向けても苦笑いを浮かべるだけ、ナギに関してもうーんと歯切れの悪い返答をするだけだ。もし異論があるのなら、真っ先に鈴辺りが反抗してきそうだがそれすらないということは、自身が悪いのを分かっている、かつあまり理由を探られたくないということ。
理由の根元が隣に居るともなれば、知られたくないのはごもっとも。一夏は何が起きたのかをまだ把握出来ていない様子。が、今回ばかりはこれが正解か。把握したらしたで後々面倒な事になるし、今は俺の口から離す必要もない。
「……とにかく、気をつけてくれよ。どっかの誰かさんが気になって仕方なかったのは分かるけど」
「は、俺?」
視線を一夏に向けると、案の定分かってませんといった表情を浮かべる。タイミング同じく、四人全員がほのかに顔を赤らめた。
「な、何を言っているのかしらね!」
「か、勘違いも甚だしいですわ!」
「ぼ、僕はそんなつもりは!」
「……」
皆それぞれに否定の言葉を連ねるも、表情と言葉がまるで一致していない。所々つっかえながら言っている辺り、恥ずかしさから思考がまとまっていない証拠だろう。
が、その中で箒だけは表情が優れないままだ。もしかしてさっきの一件を引きずっているのか、それとも下手に以前の失敗と照らし合わせているのかは分からないが、やはり俺がいる前での行動を気にしているように見えた。
臨海学校が終わってからは、以前のように一夏に対する暴力的な行動も控えるようになり、言葉尻も幾分丸くなったようにも思えたが、それでも何かの拍子に前の自分が出てしまうようにも思える。そして事を起こした後に、自身の行いを悔い、マイナス方向へと考えてしまうといったネガティブな感情をぬぐい去れていなかった。
正直なところ俺に気を使っているとはいえ、箒の立ち居振る舞いが変わってきているのは間近で見ている人間がよく分かっているはず。何度も言うように確実に前進はしている。
それでも急に何もかもを変えるのは無理だし、簡単なら人間ここまで苦労することはない。箒の性格上、鈴のように常にポジティブに考えられる性格ではないため、軌道修正するには多少の時間が掛かるのは致し方がなかった。
今日時間があれば少し話してみようか。
「ま、こんなところか。ところで俺が現れた途端に正座をしたのか分からないんだが……何でだ?」
話は変わるが、何故か俺が戻って来て顔を見た瞬間、全員一斉に正座をするという奇妙奇天烈な風景を目の当たりにした。
別に怒っているわけでも、何かに対してイラついて居るわけでもないのに、まるで授業が始まる直前まで騒いでて、急に千冬さんが現れた時のような反応である。ちなみにラウラは、俺が近寄ったら我に返ったようで、しゅんと落ち着いた様子を取り戻した。ナギに呼ばれることが無ければ、織斑家は半壊していたかもしれない。
「それは……ねぇ?」
「えぇ、その……反射と言いますか」
「本能がマズいと悟ったんだ」
「何かあのまま続いてたら、生きた心地がしなかったと言えば良いのかな」
「お前ら揃いも揃って失礼すぎじゃねーか!?」
思っていた本心が言葉として出てしまう。生憎、そこまでされるようなことはした覚えが無いつもりだが、彼女たちの言い分はこうだ。
箒とセシリアに関しては、入学した時にセシリアが言った一言が原因で俺が激昂。しばらくセシリアにとってトラウマになっていたそうだが、今でも怒らせたらマズいと、無意識に反応してしまったらしい。
シャルロットはまだ男性操縦者、シャルル・デュノアとして在席していた頃に、俺が何かデータを隠しとっているんじゃないかと、探るために深夜の部屋に進入。後一歩のところで待ちかまえていた俺に捕まって以来、俺のことをただ者じゃないと思っているようで、やはり何かある度に反応してしまうとのこと。
鈴はラウラと敵対していた頃に、生身のまま打鉄の近接ブレードを振り回す仕草を見て、こいつに喧嘩を売ったら終わると悟ったそうな。
むしろあの場では箒以外、俺が近接ブレードでラウラのプラズマ手刀を受け止めているシーンを見ているはずだが、ひょっとして火事場の馬鹿力とでも認識されているのか。どんな馬鹿力であったとしても、生身でISと渡り合う人間など、早々居たら困る。
「まぁでも、その気持ちは分からないでもない気がする」
「待てやコラ」
一夏にトドメを刺されたことに納得が行かずに抗議の意志を示すが、周囲の視線が一夏の言っていることはごもっともであると肯定をしているせいで、俺には反論の余地もなかった。
……ちくせう。
と、一同が正座を解いて各自席に戻ったタイミングで、不意にリビングの扉が開かれた。
「何だお前たちか」
我らがラスボス千冬さんの登場。
一夏を除いてほぼ全員の背筋がぴんと伸び、一瞬のうちに緊張感が走る。千冬さんの服装は黒のインナーに、白い襟立ての上着を前で結び、青いスキニーといった何ともカジュアルなスタイル。が、上半身の膨らみだけは隠しきれないのか、上着が苦しそうに歪んでいた。
肌の露出に関してはそこまで抵抗が無いようで、無駄な肉の一切着いていないへそ周りが露出した何ともラフな着こなしをしている。
超絶美人の千冬さんだが、今の着こなし方を見ていると、そんじょそこらの男性よりも遙かに格好よく見えた。
「お帰り、千冬姉」
「織斑先生、お邪魔してます」
「あ、おはようございます。織斑先生」
出迎える一夏に続いて、頭を下げる俺とナギ。一同は相も変わらず固まったままだ。
「おう、霧夜と鏡も来ていたか。私は何もしてやれないが、まぁゆっくりしていけ。泊まりはダメだがな」
上着を脱ぎながら、振り向きざまにそう呟く。
泊まる可能性が万に一つもないとは限らない。男性のみでの寝泊まりならまだしも、異性同士での寝泊まりは教員としての立場上、容認出来ないのは致し方のないことだった。それに教師である自分の家で何か問題が起きたら、それこそ目も当てられない。
が、逆を言えばそれ以外なら寛容な目で見ると言った、別の意味も込められているんだとは思う。
何だかんだ厳しくしつつも、間違った方向に行かないようにと見守ってくれている。一夏が何を飲むか尋ねているところ、リビングの入り口から顔を洗い終えたラウラが姿を現した。
「お兄ちゃん、顔洗って……ふぇ?」
当然だが千冬さんが戻ってきていることは知らず、俺に対するいつもの調子で戻ってきたせいで、千冬さんの知るラウラのキャラは崩壊。
ハンドタオルで顔を拭きながら、ボサボサになったままの前髪で登場。初めてみるラウラのキャラに一瞬だが千冬さんは目を丸くし、ラウラはぽかんとした表情のまま、間の抜けた返事をする。
「は……えっ、き、教官!?」
ようやく目の前の人物が誰かを判断したのか、ワタワタと慌てながらだらしない表情と、盛大に崩れた前髪を整え始めた。色々と手遅れな気もするが、一旦スルーしておこう。
「きょ、教官! ほ、本日はお日柄もよく!」
どこかで聞いたことのあるような言い回しだ。ビシッと敬礼をしながら軍人のように……そうだった、ラウラはプロの軍人で階級まで与えられているエリートだったわ。ここ最近のキャラ崩壊のせいですっかりと忘れ去られていたが、紛れもなく佇まいや雰囲気は軍人そのもの。
場所にそぐわぬ敬礼をするラウラに、ここでしなくともと呆れる千冬さん。
「ここでは織斑先生と……あぁ、いや、今日はプライベートだったな。好きに呼べばいい」
いつもなら鉄拳か出席簿による一撃が入っていただろうが、既にIS学園は夏期休暇中。休みの最中まで自身の呼び方に拘る必要も無いと判断したようで、フッと柔らかな笑みを浮かべた。
IS学園ではあまり見ることのない、柔らかな表情は貴重だ。何気ない仕草を見ていると、学園ではかなり外面を被っていることが分かった。そう考えると、教師の仕事も中々大変なものがある。
思っていたような反応ではなく、キョトンとした表情のまま俺の元へと駆け寄ってくる。以前俺がラウラに言った、強いばかりが千冬さんではないという言葉。どうやらまさに今、普段の凛とした千冬さんとは違う一面を見たことで、驚いているように見えた。
上着をハンガーに掛けながらこちらを振り向くと、リビングにいる面々に視線を這わせていく。表情が変わらないせいで、何を考えているか分かりにくいが、何かを悟ったのか。不意に踵を返すと、ハンガーを持ったまま部屋の外へと出て行こうとする。
「すまない、一夏。すぐ出るから飲み物はいい」
「え? もう出るのか?」
「夏休みといえど教員は忙しいくてな。あぁ、夕飯は出先で済ませてくるから不要だ。後は騒がしくしても良いが、近所の迷惑になることだけは止めろよ」
大丈夫だとは思うが、と念を押されてしまった以上、もう下手なことはしないだろう。特に先ほどまで一夏のことで騒いでいたメンバーは耳が痛いに違いない。
部屋を出ていこうとする千冬さんだが、部屋を出る直前にちらりとラウラの方を見る。もしかしたらラウラが私服を着ているのを、初めて見るかもしれない。移動中は制服で十分くらいにまで言っていた彼女も、知らない内にこうも変わる。
ある意味我が子の成長を見守っているようなものだ。
「……変わったな」
それだけ言い残すと足早に部屋を出て行ってしまう。何というか、篠ノ之博士とはまた別次元の意味で嵐のような人だ。
ラウラには言葉の真意が伝わっていなかったのか頭上にハテナマークを掲げ、何となく意味を悟った俺は思わず笑みを浮かべた。
「行っちまったか。あ、そうだ。皆で遊べそうなゲーム見つけたからやろうぜ」
「あれか、久しぶりにやるのもいいな」
一夏の部屋で見つけたゲームの中から、大人数で出来そうなものにいくつか目星を付けたところで、ナギに呼ばれたものだから手ぶらで戻ってきてしまった俺と一夏。
取りに行かないとなと目で合図をすると、合図を理解した一夏は再び自身の部屋へと戻る。
後に続くように部屋を後にする俺だが、部屋を出る直前にナギに向かって両手を合わせて謝罪の気持ちを伝える。毎回面倒ごとに付き合わせてしまい、申し訳ないと。
そんな俺に対して、ニコリと微笑みながら大丈夫だと伝えるナギ。あぁ、本当に俺には勿体ないくらいの女の子だ。
その後は特に差し支えなく時間は進んでいき、ついに夕方を迎えることになる。