IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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○必然の出会いと秘めた想い

「最終電車って……マジで?」

 

「う、うん。実はこの路線、最近少しダイヤが変わったらしくて……私も今の今まで忘れてて」

 

 

ナギに釣られるように電光掲示板を見上げると、まだ電車の本数はあるものの、ナギの乗換駅まで繋ぐ電車が無い。朝の内は始発から終点まで走っているものが多いというのに、夜遅くともなれば数はめっきりと減り、運転間隔も開く。

 

トドメにダイヤの改正。

 

確かに朝電車に乗った時も、いつもとは電車の来る時間が少しズレていた。現にナギが言っている時点で間違いは無いはず。とどのつまり、ナギは帰宅手段を失ったことになる。

 

 

「ど、どうしよう?」

 

 

多少距離が近ければ両親に迎えに来て貰うことも考えられただろうが、流石に乗換駅の前ともなれば距離がありすぎて、この時間から迎えに行くのは負担が掛かってしまう。

 

もし迎えに来るのが可能な距離であれば、すぐにでもナギは電話をかけている。それが出来ないということは、常識的に考えて迎えに来れる距離ではないことを証明していた。解決の糸口が掴めず、ナギは助けを求めてくる。タクシーで帰るには遠すぎるし、代金も馬鹿にならない。かといって歩けば朝まで時間が掛かってしまう。

 

満員電車から降りてしまったことが災いしたとはいえ、このまま何か打開策があるとも思えない。ウダウダと悩んでいる暇があるのなら、現実味のある可能性を話すほか無かった。

 

 

「じゃあ、うちに泊まるか?」

 

「え?」

 

 

脳内をフル回転させて、考えられる最良の選択肢を提示する。最良と言っても、もはやそれしか選択肢が無かったのが妥当か。いきなりぶっ飛んだ選択肢を伝えられ、ナギは目をキョロキョロと明後日の方向へと彷徨わせた。

 

 

「で、でも急に行ったら家族の人に悪いし……」

 

 

予想通りの反応である意味安心した。

 

以前よりも積極的になっても、元の遠慮しがちな性格は変わっていない。これでもし遠慮が全くない、ガツガツとした性格に変わっていたらなお驚きだったが、それは流石に無かった。

 

 

「家族……っても一人しか家に居ないし、俺から言っとくから安心してくれ。空き部屋もあるから、特に問題は無いと思うぞ」

 

「そ、そうなの? 本当に大丈夫?」

 

「あぁ、ウチはね。むしろナギの親御さんには連絡しておかないといけないか」

 

 

ウチとしては泊まる分には問題はない。

 

そもそも居るのが千尋姉だけだし、無駄に空き部屋もあるからホテル代わりに使うことも可能だ。だがナギの家族がどう言うかは分からない。彼女も年頃の女の子だし、一般的には渋られるケースが多いが果たして。

 

と、考え込む暇もなくナギから回答が返ってきた。

 

 

「あ、実は泊まるかもとは伝えてあるから、素直に終電逃して友達の家に泊まるって言えば大丈夫だと思う」

 

「さ、さようで御座いますか……」

 

 

奥の奥の手まで考えていたことに、苦笑いを通り越して乾いた笑いしか出てこない。用意周到とはまさにこのことを言うのか、まるで結末を知らされているようにも思えた。

 

というか、この事実をラウラが知ったらマズいんじゃないか。お姉ちゃんズルい! とか言ってきそうだし、今回ナギが泊まることに関しては内容を伏せることにしよう。

 

……冷静に考えてみれば、自分の家に女の子を泊めるのは初めての経験になる。今までにたった一度だけ、部屋に女性を泊めたことがあるとすれば、IS学園の寮の自室に楯無を泊めたことが最初で最後か。あの時は確か楯無と協定を結んでからの一番最初の仕事で、単騎で一夏の命を狙う敵勢力と戦った日のことだった。

 

無事に仕事を終えたわけだが、時間は今日よりも遅く、日付を既に跨いでいる状態。夜遅くに自室に戻ると、寝て居るであろうルームメートを起こしてしまうかもしれないといった理由で、半ば無理矢理泊まることになったわけだが、人の着替えを覗こうとしたり、朝起きたら寝ぼけて俺の布団の中に転がり込んだりと、色々な意味で嵐のような一時だったように思える。

 

おまけに人のジャージを借りるというおまけ付きで。

 

当然背丈と体つきが全然違うせいで、袖や丈はダボダボになっていたが、胸元と腰回りだけはその……これ以上話すと変に楯無のことを意識してしまうので、一旦話を止めさせてもらう。

 

 

今回は自分の家、つまり実家に泊めることになる。未だかつて男性も泊まったことのない我が家に、初めて人が泊まる、それも女性ときた。

 

 

「念の為に確認取るから、少しだけ待ってて欲しい」

 

 

ポケットから携帯を取り出し、千尋姉へと電話をする。既に家には帰っていて、ワンコールも経たずに電話に出たかと思うと、二つ返事で了承を貰い、改めて自宅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

 

「そ、俺の家」

 

 

家の門の前に広がる一軒家。家族が二人で住むには十分過ぎるレベルの広さを誇っていた。千尋姉が成人した時に建てたばかりの家のため、まだ建ててから間もないのだが、既に物件の支払いは終了している。

 

建てる際にいちいちローンを組むのも面倒だから一括で払いますと伝えたところ、業者の目が全員点になっていたあの風景は忘れられない。二十歳を迎えたばかりの女の子が、まさか物件一つを現金一括で買うなど、到底考えられなかっただろう。

 

そもそも俺は身内の人間だからこそ分かるが、ここ数年千尋姉は通帳記入こそするものの、口座にいくら入っているのかは全然気にしていないそうだ。二十代なら好きなことにお金を使って、金欠に陥っている人も多いというのに、千尋姉が家系のやりくりで困ったところは一度たりとも見たことは無かった。

 

どんな高いレストランや料亭に連れて行かれても気にしないでの一言で済ませられる我が姉。引く手あまたのはずなのに、色々と残念なのが玉に瑕だ。何が残念か……とは言わないでおく。後が怖いし。

 

実家を見て興味深そうに全体像を見るナギ。特に無駄なものは置いていないため、家の前はすっきりしている。あまり家の前でたそがれていても仕方ないため、ナギを引き連れて敷居に足を踏み入れた。

 

 

「ただいまー」

 

「お、お邪魔します……」

 

 

いつも通り淡々と家の扉を開ける俺と、緊張した面もちで家の中へと入るナギは完全に両極端。キョロキョロと視線を這わせながら後ろを着いてくる。廊下の電気が付いていることから、千尋姉が家にいるのは間違いないが、反応が一切無い。

 

確かゴールデンウィークに帰った時も、居留守をされて背後から驚かされたというオチだったが、今回はどんな登場をかましてくれるのか。

 

靴を脱ぎ廊下に立つと、一番近くにあるリビングへと向かう。一本連絡入れてからそんなに時間は経っていないことから寝てるとは考えづらいし、まさか酒やビールをあおっている訳ではあるまい。既に飲んでいるなら話は別だが、電話した時は酔っている様子は感じなかった。

 

仮に飲んでいたらダル絡みをされた挙げ句に、延々としゃべり続けて、場合によっては泣き始めることもある。俺がIS学園への入学が決まった日、十数本のビールを空けた千尋姉は、涙腺が緩みまくって小一時間ほど泣き続けられた。感極まってしまった部分も大きいとはいえ、実際本人が思いの外涙もろいのは知っている。

 

様々な思考を浮かべながら、リビングのドアノブを回した。

 

 

「……お?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、居ないなって思って」

 

 

リビングにいるかと思えばそれもまた違った。

 

が、先ほどまでリビングに居たであろう痕跡は残っていて、窓際に置いてあるテレビの電源は入れっぱなしで、机の上には溶けた氷の入ったグラスが置いてあった。朝着て出たであろうスーツは窓際のハンガーに掛けてあることだし、家に戻ってきたのは間違いない。

 

立ちっぱなしも疲れるし、一旦ナギだけソファに座らせて千尋姉を探しに向かおうとすると、廊下の突き当たりにある脱衣所から音が聞こえた。

 

 

「千尋姉、居るのか?」

 

 

物音のする方へ声をかけるとすぐに返答がきた。

 

 

「んー、大和? もう帰ってきたの?」

 

「うん。寄り道する場所もないし、駅から遠い訳じゃ無いからな」

 

「あらそう。ちょっと待っててね、すぐにそっちに行くから。可愛い彼女さんも居るんでしょ? 私も挨拶くらいはしないといけないわよね」

 

「ん、そうしてもらえると助かる。じゃあ待ってるから」

 

 

千尋姉の所在が確認できたことに安心した俺は、踵を返してリビングへと戻る。俺との会話の一部始終が聞こえたようで、ソファに座るナギはほのかに顔を赤らめていた。

 

 

「か、可愛いって。大和くんお姉さんに何を言ったの?」

 

「いや、ナギのことはまだ簡単にしか話して無いぞ。言ったのは彼女が出来たことくらいだし、常套句みたいなもんだと思う」

 

「そ、そうなんだ。でも可愛いかぁ……」

 

「……」

 

 

あまり言われ慣れていないのか、遠くを見つめながら自分の世界へトリップしてしまう。山田先生のように脳内であらぬ妄想を膨らませ、両手を頬に当てながらクネクネと身体を捩るまでは行かないが、それでも端から見れば一発で分かる。

 

本人は道行く人が振り返るレベルでの美少女だということを全く自覚していない。むしろレベルの高いウチのクラスでは、劣等感すら感じているほどだ。以前ナギは自らを、別段容姿が優れているわけでもなければ、何か一つが秀でている訳でもない平凡な人間と評していたことを思い出した。

 

確かに一年生の専用機持ちは全員容姿端麗、学業でも非常に優秀な成績を修めている生徒が多い。セシリアやシャルロット、ラウラなんかはその典型例になる。

 

だが、ナギには先に挙げた三人に無い良い部分も沢山持っていた。本人が気付いていないだけで、一夏を取り巻く面々が彼女のことを羨ましく思っているシーンは何度も見ている。

 

 

「ごめんねー、お風呂入ってたから全然帰ってきたのに気付かなかった」

 

「あー、良いよ。千尋姉だって仕事だろ? 急なお願いだったからそれくらいは仕方な……」

 

 

廊下から聞こえる声に返しながら、リビングの扉が開くと同時に後ろを振り向いた……までは良かったのに、視線の先に飛び込んできた千尋姉の姿を見て絶句。言葉を最後まで言えずに、ぽかんと口を開けたまま身体が硬直する。

 

風呂上がりというのは分かる、分かるけど今の千尋姉の姿は、男性が見てはいけないものだった。自分の家だからこそ、気にしなければならない部分に気を使えていない。

 

いつもはサラサラとしてストレートヘアが、水分を含んで湿って若干縮れた感じになり、風呂上がりの肌は全身から湯気が立つように紅潮していた。そう、そもそも肌が紅潮していると断言、言い表せることがおかしいのだ。

 

千尋姉は気を許した相手には、恥じらい無く接する。それは良いところでもあり、時には相手に見た目との印象を狂わせ、混乱させる。

 

現にナギは鳩が豆鉄砲食らったかのような表情を浮かべたまま、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返す。

 

 

バスタオルだけを巻き、颯爽と何事も無かったかのように現れるとは予想できなかったはず。モデルでもしているのかと思われるほど華奢な体躯であるにも関わらず、圧倒的な上半身の膨らみと引き締まった下半身を持つ抜群のプロポーションに加え、くりっとした大きく優しそうな瞳。年齢を感じさせない童顔で且つ、整った顔立ち。

 

女性が羨む、理想の女性を体現するかのような容姿に驚きを隠せないでいた。二十代にもなれば多少なりとも化粧をして、自分自身を少しでも良く見せようとするため、化粧をしている時と落としたときのギャップに驚くことは多い。ただし千尋姉に関してはその常識は全く通用しない。風呂に入った後なのに瑞々しくそして若々しい肌を化粧もせずに保てていた。

 

本人は化粧が面倒くさいからという理由でしないだけだが、実際しなくても十分すぎるくらいの美貌を持ち合わせている。だから家に居るときも、外に出るときも一切化粧をしない。

 

と、話が脱線しかけているところで本題に戻そう。この姉は何をとちくるってバスタオル一枚でリビングに来ているんでしょう?

彼女が来ることは伝えているため、俺が好きになる相手なら信用出来ると思って気を許しているのかもしれない。イメージを崩さない意味でも、残姉さんと思われないためにも、服を着るように指示した方が良さそうだ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……何でバスタオル一枚なんだよ」

 

「え、マズかったかしら」

 

「マズイに決まってるだろうが! 人の彼女が来ているのに、裸に近い状態で現れる姉が何処にいるんだよ!」

 

「ここに居るぞ♪」

 

 

駄目だこりゃ、ナギの中で千尋姉の悪いイメージが染み付いてしまったに違いない。染み付いてしまえば払拭するのは並大抵のことではない。千尋姉はある意味、楯無の上位互換になる。

 

楯無がやっている色仕掛けなど可愛いもので、裸エプロンに見せ掛けても中にはキチンと水着を着ているなど、マズイ部分は見えないように配慮するのに対して、千尋姉は小細工の一切もしない。

 

だからタオルの下は、本当の意味で一糸も纏っていない。ひん剥いたら素っ裸だ。それでもあっけらかんとして、あなたたちに見られるくらいなら別に大丈夫的な視線で得意げなウインクを見せつけて来る。

 

そこまで言うのなら大丈夫か……ってんなわけ無いだろ!

 

 

「アホか! 開き直ってるんじゃねぇ!」

 

 

力を抜いて千尋姉……もとい、残姉の頭を軽くチョップする。抵抗すること無く受け入れたが故に、意外に良い音がした。結構痛かったらしく、両手で頭を押さえる。

 

 

「いったぁ! 何でぶつのよ!」

 

「良いからさっさと寝間着を着てこい! 話はそれからだ!」

 

「ぶーぶー! 大和が冷たいぞー!」

 

 

お前は子供かと言いたい。ナギに関しては怒濤の展開に全くついていけず戸惑うばかり。なおも抗議を続ける姉の背中をグイグイと強引に押して、廊下に出そうと試みる。

 

 

「やんっ! もー何よ。別に「ならもう一生口聞かない」……分かったわよぅ」

 

 

非常に物わかりが良いことで、ブーたれながらも納得して引き下がってくれた。さすがにあの姿で自己紹介されても頭の中に入ってこない。むしろ悪い意味でのイメージしか植え付けないので、さっさと退場して貰った。来れに懲りて、次は寝間着を着てきてくれると信じている。

 

逆にそうあって欲しいと信じたい。

 

これでもしネタに走ろうものなら、もう目も当てられない。今回のスタイルも多少緊張しているであろう、ナギの緊張を和らげる意味だったんだろうが、和らげるどころか自分の姉の認識をただの変態に変えるところだった。

 

 

「あ、あの大和くん。今のは……」

 

「一応俺の姉。悪いな、次戻ってくる時は普通に戻ってくれていると思うから」

 

「だ、大丈夫」

 

 

優しいナギも大丈夫だと言ってくれるものの、顔はやはり若干ひきつったまま。インパクトが強すぎて驚いているだけだとは思うけど、本当に株が急暴落するのだけは勘弁して欲しい。似たようなタイプの楯無を見ているナギでも、千尋姉のあのインパクトだけは噛み砕き切れなかったみたいだ。

 

……しかし何で今日に限って暴走するのか。自分の名前を覚えて貰おうと思ったのであれば、そんな回りくどいことをしなくても覚えてくれると言ってやりたい。

 

 

「でも凄い綺麗な人だよね、大和くんのお姉さん。」

 

「あぁ、ありがとう。千尋姉も喜ぶと思うから」

 

 

さり気無くフォローを入れるナギの優しさに感謝。

 

誰がどう見たところで正気の沙汰ではない出来事ではあったが、それから十数分後、キチンと髪の毛を乾かしパジャマを着た千尋姉が戻って来たところでようやく、まともに話をする土台が出来上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何をどうすればそうなるんだよ」

 

「大和の彼女さんも緊張してるでしょ? だから少しでも緊張を和らげようと思って」

 

「和らぐかっ! むしろ自分の姉の評価が急暴落しないか不安だったわ!」

 

 

髪の毛を乾かしパジャマを着て、身だしなみを整えて戻ってきた千尋姉は未だにぶーたれているも、裸に近い状態で話されるよりかはまだ良い。普通にしていれば誰もが振り向くほどの美人なのは間違いないのだから、下らないことは考えずに大人しくするべき……だと思うのに、本人は場をひっかき回したり、はしゃぐのが大好きなせいで、今日のようなことをすれば、ものの見事に残念な美人のレッテルを貼られてしまう。

 

が、残姉さん状態の千尋姉を見たことがあるのは俺と、ナギの二人だけであり、他の人間には一切見られていない。一緒に仕事をしたことのある千冬さんでさえ、冷静沈着で凛々しく強い方だったと評しているくらいだし、本当に気の許せる相手の前でしか暴走状態にはならないのが不幸中の幸いか。

 

何度も言うけど、黙っていれば絶世の美女と言われてもおかしくない。よくテレビや雑誌なんかで、職業の美少女紹介なんて良くやっているが、タイトルを付けるのならまさに『護衛業に舞い降りた天使』なんて言われたところで全く不自然は無い。

 

天は二物を与えずなんてよく言うが、ここ最近の俺の前での残姉さんっぷりはそんな定義をぶち壊してくれた。二物を与えたところで、駄目なものは駄目だと。

 

 

「ぶー、大和ってばかたーい。ねーナギちゃん?」

 

「え。は、はい……」

 

「むっ……」

 

 

おそらく流れで言ってしまったんだろうが、自分自身が堅いと言われたことに反応し、若干眉が逆への字になる。千尋姉は人を雰囲気に乗せてしまうのが抜群に上手い。営業なんかをさせたら常にトップの成績を取ってくるイメージが容易に膨らんだ。

 

加えて容姿も抜群に良いために、何人かの男性なんかは鼻の下のばして契約させられそうにも思える。

 

……そういえば千尋姉って今何の仕事をしてるんだろうか。護衛業の前線から退いてはいるものの、護衛業の仕事を請け負うこともある。が、頻度は少ない故にそれ以外の日には何の仕事をしているのか、純粋に気になった。

 

スーツを着て出て行くことから、普通のOLでもやっているのか。今の職業に関しては何一つ、千尋姉の口から語られることは無いため、そこだけが謎に包まれている。聞こうにも教えてくれないし、気にしなくてもいいのよの一言で済まされる。

 

別に変な仕事をしているわけではなければ何でも良いし、何も言わない。そこは千尋姉を信じている。

 

 

「あぁ、ごめんなさい。挨拶が遅くなって。私の名前は霧夜千尋、大和の姉よ。よろしくねナギちゃん♪」

 

 

そうこうしている内に、改めて千尋姉がナギに自己紹介をしていた。先ほどまでのふざけた様子では無く、柔らかで親しみやすい笑顔を浮かべてナギへと語りかけた。

 

 

「わ、私は鏡ナギって言います。大和くんのクラスメートで、その……お、お付き合いさせていただいてます。よろしくお願いします」

 

「ふふっ、そうみたいね♪ 折角だし、色々と聞かせて貰おうかしら?」

 

「え、えぇ!?」

 

「冗談よ、流石に当人同士の付き合いに細かく口を出すつもりはないわ」

 

 

根掘り葉掘り聞かれるのではないかと、一瞬身体をびくつかせるも、ニコリと微笑む千尋姉の表情がジョークであることを物語っていた。誤解をさせないように、言葉を続けていく。

 

本当にヤバいことにならなければ千尋姉も手を出すつもりは毛頭無いのだろう。

 

 

「でもあの大和が彼女ねぇ……まだおねーちゃんちょーっと信じられないかなぁ」

 

「俺もそう思う。まさかこんな可愛い彼女が出来るだなんて思わなかった」

 

「か、可愛い……」

 

 

同じような言葉の羅列にナギはまた顔を赤らめる。入学した時には彼女が出来るだなんて考えもしなかった。本当に偶然とは怖いもので、いつの間にか必然的なものとなる。

 

入学当初に、俺とナギが付き合うと予想できた人間は皆無のはず。そもそもクラスにそこまで溶け込む予定の無かった中、何だかんだ手を差し出してくれたのは一夏であり、ナギである。

 

一夏は俺にとって護衛対象者であり、クラスメートという関係を除けば、それ以上でもそれ以下でもない関係だった。が、いつの間にか良きライバルとして張り合い、目標とされている。

 

ナギは初日の夕飯の時に、偶々空いていた席に座ったことで会ったのがきっかけであり、それ以来常に共に生活を歩んできた。

 

 

「本当に俺は幸せ者だと思う。これだけ友達にも恵まれて、隣には大切な恋人がいる。当たり前のようで、中々出来る生活じゃないよな」

 

「うぅ……」

 

 

恥ずかしくなってしまい、ナギは耳まで赤くしながら俯く。それを見ながらケラケラと笑ってみせるのは千尋姉、ナギの反応が良すぎるせいで、見ていて飽きないらしい。

 

 

「さて、と。ナギちゃん、先にお風呂に入ってきたら。夜も遅いし、肌にも良くないだろうから。いつもはもっと早く入ってたんじゃない?」

 

「え。は、はい」

 

「あーそうだな。俺は後で大丈夫だし、先に入ってこいよ」

 

「それか二人同時に入ってくるって選択肢もあるけど」

 

「ぶっ! あのなぁ!」

 

 

……入りたくないと思うわけではないが、流石に身内がいる中で二人で風呂にはいるのは如何なものかと思い、吹き出してしまう。二人で入る状況を想像したナギの顔は完全にトマト、頭から湯気が出ているようにも見えた。

 

これ以上続けると、ナギの頭がパンクしてしまうかもしれない。俺の入った残り湯に浸かるよりかは、先に入った方がいいだろう。

 

 

「なら私が案内してくるわね。寝間着も貸すからそれを使ってもらって……今日来た服は明日に間に合うように洗濯しておくわ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「一旦席を外すから、おねーちゃんが居ないからって変なことしちゃダメよ?」

 

「するか!」

 

「……ふふっ♪」

 

 

ニヤニヤと冗談を述べてくる千尋姉に、幾度と無く突っ込みを繰り返す光景に、ポカンとしていたナギがクスクスと笑い始める。この家に来てからしばし緊張した様子だったのに、俺と千尋姉のやり取りを見てようやくナギが笑ってくれた。

 

裏表のない笑みに一瞬ドキリとしつつも、良かったとホッと息を吐く。笑顔浮かべるナギをよそに、何気なく千尋姉と視線が合ったかと思うと、ウインクをしてアイコンタクトで何かを伝えて来た。まるで作戦成功ね、と言わんばかりに。

 

……ほんと、この人もズルい。

 

何手も先を読み、少し話しただけで人の心理を把握してしまう。人心把握能力だけで言うなら、俺なんかより何倍も上になる。バスタオル一枚で現れたのも、残姉を演じるところも全て、ナギの緊張を解くためにやっていたのかもしれない。

 

中には地の部分も紛れ込んでいたんだろうが、それでも相当なものだ。到底、俺には真似が出来ないほどに。

 

その後、ナギは千尋姉に連れられるがまま、浴室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うー……それにしても良い子が彼女になったわね。あんな優しい子、中々居ないわよ?」

 

「本当に俺には勿体ないくらいだと思う。てか千尋姉、流石に飲み過ぎだって」

 

 

ナギを風呂へと案内した後、リビングへと戻って来た千尋姉だが、冷蔵庫からビールの缶を纏めて出したかと思うと、相当なハイペースで缶を開けていく。晩酌をしないことはないが、本数はそこまで飲むことは無く、精々二、三本空けるくらいに留まっていた。

 

が、今日は既にその倍近くの本数が空けられており、机の上には空になったビール缶が並んでいる。こう言っちゃ何だが、IS学園の入学が決まった日の夜を思い出す。気付かない間に十数本を空けた千尋姉は、寂しさのあまり俺からしばらくの間離れず、泣き続けていた。

 

本数こそ飲めるものの、決して特別アルコールには強くない。二、三本飲めば顔は赤くなるし、いつも以上にテンションが振り切れて寝る、酷い時は泣き始める。

 

 

「何でおねーちゃんじゃないのよぅ……」

 

「待て待て、今の発言はだいぶヤバいからな。人が居る前で言ったら一発アウトなやつだわ」

 

 

もう既にぐずり始めていた。

 

ビールを握りしめたまま、目をウルウルとさせて今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。

 

普段ならあやしてると寝てくれるのだが、あいにく今はナギが家に来ている。そんな醜態は当然見せるわけにはいかない。早めに部屋へ連れて行って寝付けさせようかと考えるも、本人が納得していない状態で無理矢理連れて行こうとすれば、当然抵抗されるだろうし、夜遅くに大騒ぎすれば近所迷惑にしかならない。

 

 

「うぅ……大和ぉ……」

 

「あーはいはい。俺はここにいますよ?」

 

 

仕方なく対面に座る千尋姉の横に移動した。下手に泣き出されても困るし、ナギが戻ってくる前に部屋に運ぼう。多少強引になるのは致し方ないし、一旦様子を見てタイミングを見計らって寝付かせれば、翌日には元通りになっているはず。

 

ゴールデンウイークに戻ってきた時もそうだったが、同居していた時に比べてスキンシップも激しいし、やたら人に甘えてくる。よほど一人きりでの生活が寂しかったのか、元々年齢不相応に幼げな顔立ちに仕草が加わるせいで、より幼く見えた。

 

……アニメやラノベでは弟のことを溺愛したり、可愛がったり、はたまた禁断の関係に発展してしまう姉弟は多い。二次元の世界でも見ているかのような光景に、思わず目を背けたくなる。が、背けるわけにも行かなかった。

 

 

「大丈夫?」

 

 

ぽんぽんと頭を撫でる。

 

最近、身近な存在としてラウラが居るせいか、無意識に人の頭を撫でてしまう。違和感しか湧かなかったこの行為も、今となっては何とも思わなくなった。やっぱり改めて思うけど、女性の髪の毛って凄く柔らかいし、同じシャンプーを使っているのに全然香りが違う。

 

頭を撫でる俺の顔を千尋姉はじっと見つめる。身長はもちろんのこと、座高の問題で俺の方が高くなることで、上目遣いになる。頬を赤らめて見つめる仕草は紛れもなく、幾多もの男を一瞬の内に虜にしてしまうほど、艶やかなものだった。

 

 

「……」

 

「千尋姉?」

 

「……」

 

「今日も遅いし、千尋姉も疲れただろ。そろそろ寝た方が良いんじゃない」

 

 

視線が止まったまま動かなくなる。心なしか、視線が朝の一時と酷似している。しかし朝に比べると、また別の感情が入り交じり、何とも言い表しにくいことになっていた。

 

 

「……大和が、私の旦那さんなら良かったのにな」

 

「え?」

 

 

何かを訴えるかのような眼差しで呟く一言に時が止まる。一体何を言っているのか、意味が分からず何度も瞬きを繰り返した。

 

 

「私だって女性よ。誰かを嫌いになることもあれば、好きになることだってあるわ」

 

 

俺が返事をする間もなく言葉を続ける。やがて言い終わったのか、再び少しの沈黙が訪れた。こちらから掛ける言葉も見当たらずに、視線をやや下げながら、何か話題をと考えるも何一つ話題が見つからない。

 

突然訪れた妙な雰囲気に飲まれ、正常な思考がままならなくなっている。どうするか考えていると、再び口を開いたのは千尋姉だった。だがその一言に、俺は完全に言葉を失うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私ね、大和のことを弟としても、男性としても愛してるのよ」

 

 

「は……?」

 

 

不意にこつんと胸元に頭を預けて来た。本来なら赤面する行為であるはずなのに、それ以上に発した言葉が衝撃的過ぎて、恥じらう余裕すらない。

 

千尋姉が俺のことを愛している?

 

家族としてではなく、一人の男性として?

 

意味が分からない。だって俺と千尋姉は……。

 

 

血が繋がっていない。

 

 

俺は千尋姉を姉を、千尋姉は俺のことを弟として見ていた。仮に血が繋がっていなくとも、私たちは本当の姉弟だと。でも蓋を開けてみれば、血縁関係上の繋がりは一切持ってはいない。細かい鑑定をすれば、紛れもなく他人ということが分かるだろう。

 

だが千尋姉の口から発せられる一言で認識する血の繋がり。

 

繋がりなどあるわけがない。それでも姉弟としての建前上、可愛い弟して俺を見ていた。ましてや異性として思われているだなんて一切考えたこともない。

 

 

「大和は……私のことどう思ってる?」

 

 

トロンとした視線で尋ねてくる千尋姉の声質からは、不安に思う気持ちが感じられた。嫌われることが、拒絶されることが怖いんだと。俺から返ってくる言葉が負の感情にまみれていたらどうしようと。

 

どれだけ仲睦まじい姉弟だったとしても、不安に思うだろう。ましてや俺たちは義姉弟(ぎきょうだい)であり、元は完全な第三者……とどのつまり赤の他人の状態だった。つまり千尋姉からすれば、弟にじゃれ合いのつもりで告白したのではなく、たった一人の男性としと胸のうちに秘めた想いを伝えてきた、例えそれが決して伝わることが、叶うことがないものだったとしても。

 

十年、十年だ。一生から算出すると短い期間だが、俺はこれまでの人生の大半を、千尋姉は半分近くを共に過ごしてきている。あまりにも姉弟として過ごす時間が長かった、長すぎた。

 

口振りから察するに、ずっと隠してきた感情だったのかもしれない。そう考えると、無意識のうちに千尋姉を苦しませていたことになる。本人や俺が自覚していなかったとしても、だ。

 

 

『今でも思うの、誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良いって』

 

 

ふと、俺がナギに告白した時の一言が脳裏を過ぎる。細かい意味は語らなかったものの、一人を選ぶことで、親しい人間が不幸になってしまうのなら、皆で幸せになりたいと俺は解釈した。

 

当時は楯無のことを思ってナギが発した言葉であり、千尋姉に当てられたものではない。ただシチュエーションが似ており、フラッシュバックするかのように、幾つものコマが視界を過ぎると、すんなりと現状に置き換えることが出来た。

 

結論、全く同じシチュエーションであることに気付くまで、そう時間は掛からなかった。

 

俺は千尋姉のことをどう思っているのか、答えなどとうに決まっていた。

 

 

「俺も千尋姉のことは好きだよ」

 

「!」

 

 

思いもよらない答えだったに違いない。

 

明らかに千尋姉の表情からは驚きを感じ取ることが出来た。たった十年、さえど十年。千尋姉に何の感情も湧かない訳がない。それでも俺と千尋姉は姉弟だった、これからも関係は続いていく。

 

 

「ただそれと同じ……ううん、以上にナギのことが好きだし愛している」

 

 

もし告白される順番が逆転していたら、色々と変わっていたに違いない。千尋姉のことを思う気持ちは何一つ変わらない、好きであることに偽りもない。ただそれ以上にナギのことを愛していた。

 

 

「……そうだよね」

 

 

返答をすると俺から視線外す。想定をしていたのかもしれないが、伝えられる事実は思った以上に本人へと負荷が掛かる。ふるふると身体を奮わせながら、感情が溢れ出るのをぐっと我慢しているように見えた。

 

 

「うん、安心した。大和が変に気を遣って中途半端な答えを返してきたらどうしようかと思ってた」

 

「……」

 

 

出来る限り笑顔取り繕うとしているみたいだが、言葉に力がない。素面ではないのも影響して、我を維持するだけの余裕は無くなっていた。

 

 

「お似合いよね、二人とも。不器用な付き合い方をしていたら、ちょっとからかおうと思ってたんだけど…そうだよね」

 

「千尋姉」

 

 

言葉に余裕は皆無。言ってしまった手前、何とか会話を続けて話題を逸らそうとする魂胆が丸見えで、見るからに痛々しい。

 

辛い感情を押し殺そうとする仕草をこれ以上見ていることが出来ずに声を掛けるも、千尋姉は止まらずに話し続けた。

 

 

「あ、今のも冗談だから気にしないでね。もしかしてドギマギして……」

 

「千尋姉ッ!!」

 

「―――ッ!!」

 

 

千尋姉の前で声を荒らげたことなど未だかつて数えるくらいも無いというのに、柄にもなく声を荒げた。

 

突然の変貌に身体を震わせ、千尋姉はキュッと目を瞑る。瞑った目からはほんの僅かに涙が溢れていた。

 

 

冗談のハズがない。千尋姉なりに悩んで、それでも素面では言えなかった。紛いなりにも酒を飲んでも本心を言わなかった春先に比べ、確実に俺に対する想いが大きくなっている。少なくとも今の告白が冗談には思えなかった。

 

それを冗談の一言で済ませようとしたことに、俺は思わず声を荒げてしまった。

 

 

「ごめん、言い過ぎた。でも冗談だったら何で泣いてんだよ」

 

「別に泣いてなんか……」

 

 

自分を偽れる訳がない。

 

必死に否定をしようとするも、目の奥底からこみ上げてくる滴が一つ、二つと頬を伝ってこぼれ落ちる。何が起きているのか分からず目を擦るも、一旦決壊した涙腺はそう簡単に戻らなかった。

 

 

「なんで……なんで止まってくれないの?」

 

 

止められない涙に何度も止まれと呟く千尋姉だが、そんなことで止まってくれるほど、小さな想いではない。流れる涙が、千尋姉の俺に対する想いそのものを物語っていた。

 

俺が今彼女にしてやれること、出来ることは何があるか。そう考える間もなく、俺は千尋姉の身体を引き、自身の胸元へと引き寄せた。するも抵抗することもなく、すっぽりと収まり顔を埋める。身体の震えは変わらず、俺のTシャツにシミを作っていった。

 

 

「う……うぇぇ……」

 

 

声を押し殺して涙を流す姿に、頭を撫でて落ち着かせることしか出来ない。

 

俺より年上の千尋姉が泣いている。どんな困難や苦難があっても泣かなかった姉が、声を漏らしながら大粒の涙をこぼし続けた。止まることなく流れてくる涙が、俺の心を鷲掴みにするかのように締め付ける。

 

一度染み着いた姉弟の関係をリセットすることは出来ない。もし俺たちが姉弟ではなく、偶々出会っただけの関係だったら。共に生活することのない、完全な第三者であったらこの様なことにはなっていないと言い切れるか。

 

───それは、否だ。

 

むしろ姉弟だったからこそこうして共に生活出来ている。そもそも千尋姉がドイツに来なければ、俺と出会うことは間違いなくなかった。天文学的数値である偶然の可能性をたぐり寄せ、今このように共に居られる。

 

あの時知り合わなければ一般的な男女の関係で付き合うことが出来たかと言われれば、その可能性もほぼゼロに近い。

 

故に俺にも千尋姉にも、第三者であったとしても神様ではない限り、運命を変えることなど出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろう。体感では一時間か、はたまた二時間か。それほどまでに長く感じた一時だったが、不意に寄りかかったまま身動きを取らなくなった。

 

酔いも回ってしまったのか、ほどなくしてスヤスヤと寝息を立て始める。千尋姉が寝付いたと同時に、まるで頃合いを見計らったかのようにナギが戻って来た。正直、悪いと思ってもタイミングとしてはベストタイミングだとガッツポーズをしたくなる。

 

つい先ほどまで人生の修羅場と化していたリビングに、ナギが来ていたら、より混沌とした状態になっていたに違いない。

 

 

「あ、大和くん。お風呂ありがとう、千尋さんは……ってえ?」

 

 

この状態がどうして起きているのか分からず、ナギの思考が止まってしまった。目の前には幾つものビールの空き缶が、そして酔いつぶれた千尋姉が俺に寄りかかっている。

 

自分が居なかった二、三十分の間に何が起きたのかと疑問に思うのも無理もない。だが、話すには時間が遅すぎた。

 

いつまでも寄りかからせている訳にも行かず、起こさないように右手を千尋姉の首付近に回して頭部を固定し、左手を膝の間接に回して、出来るだけ優しく持ち上げる。

 

俗に言うお姫様だっこになった。未だかつて千尋姉をお姫様だっこをしたことなど一度もない。今回が初めてなんだが身長とスタイルに合わないほど軽く、ちゃんと食事を取っているのかと心配になってきた。

 

しっかりと固定されていることを確認し、未だ状況を把握できずに呆然としているナギに簡単に状況を伝える。

 

 

「実はナギが風呂に入っている間に飲み過ぎてな。酔いが回って寝ちゃったみたいだ」

 

「そ、そうだったの? でもこんな短時間でってことは相当飲んだんじゃ……」

 

「ここに転がっている缶全部だしな。このまま放置も出来ないし、一旦部屋まで運んでくるからゆっくりしていてくれ。ご両親に連絡は大丈夫か?」

 

「うん。粗相無いように気を付けて泊まるんだぞってお父さんが」

 

「ははっ、そりゃ良いお父さんだ。悪いな、変に気を遣わせて」

 

「ううん、大丈夫。待ってるね」

 

 

ナギも深くは詮索しようとしてこなかった。把握し切れていないのももちろんのこと、仮に聞いたところで気まずくなってしまうのは明白。それとなく現状を悟ったかのような表情を浮かべると、小さく頷いた。

 

こちらもありがとうと一言伝えると、抱えた千尋姉を部屋へと運んでいく。寝室は二階にあるため、足を踏み外さないように慎重に上っていく。もっとも階段くらいで足を踏み外すことなどないのだが、一応人を抱えていることでより慎重になる。

 

部屋に到着し、ベッドに優しく下ろすと薄手の掛け布団を身体に掛け、室内にある小型の扇風機を回した。

 

 

「う、ん……大和」

 

 

だらしなくならないように千尋姉の周りを整えていると、千尋姉は不意に寝言を漏らす。寝言であって意識的に言葉を発している訳ではないのは分かるものの、自身の名前を呼ばれると、無意識でも反応してしまった。

 

顔だけを千尋姉の方へと向けると、やはり目を閉じたまま寝息を立てているだけで、覚醒した様子はない。周囲を整え終わり、部屋を出ようと立ち上がろうとすると、再び千尋姉から声が発せられた。

 

 

「大和……ずっと、一緒……」

 

 

昔の夢でも見ているのかもしれない。気持ちよさそうに寝息を立てる千尋姉の側にしゃがむと、前髪をかきあげて、無防備なおでこに軽く口付けした。

 

 

「あぁ、そうだな。おやすみ、千尋姉」

 

 

そう呟くとどこか満足したかのような表情を浮かべる。起きたときのことはまた起きたときに考えればいい。

 

 

「自分だけが幸せになって、他の人が知らないところで傷付くのは嫌……か」

 

 

俺の何気なく発した一言は暗闇に消えていくのだった。


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