IS‐護るべきモノ-   作:たつな

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想い伝えて

「本当にここまでで良かったのか?」

 

「うん、大丈夫。送ってくれてありがとう」

 

 

次の日。

 

朝起きた俺はいつも通り身体を動かした後、自宅に戻るとタイミング良く起きていたナギとバッタリ遭遇。昨日洗濯したナギの私服は乾いており、既に私服に着替えてまさかの洗濯機まで回してくれていた。どことなく新婚のような雰囲気に互いに赤面してしまうも、それ以外は特に何事も無く朝の時間が過ぎていった。

 

今は実家近くの駅の改札前、本来ならもう少しゆっくりしても良いのではと思う感情もあるが、あまり帰りが遅くなるとご両親に心配を掛けかねない。朝の出勤時を外しているのと、夏休みということもあって、比較的駅の人口は少なく、バラバラと人の移動が見られるだけだった。

 

最寄り駅まで送ろうかと尋ねるも、泊めて貰ったのにこれ以上は迷惑を掛けられないと言われ、譲歩することに。意外にナギは頑固な部分も持ち合わせているから、こちらが何を言っても退かなかっただろう。あまり深く問いつめるのも良くないし、彼女の言葉に素直に従うことにした。

 

何事も無い……といえば、朝見送るタイミングになっても千尋姉が起きてこなかったことが気になる。いつもなら俺と同じか、場合によっては俺よりも早く起きるハズの千尋姉に一切反応が無かった。仕事は休みなんだろうけど、休みだったとしても早起きである人物が起きてこない。

 

……十中八九、昨日の夜の一件で尾を引きずっているんだと思う。切り替えが早いと言っても、前例のないショックから立ち直るのは至難の業だ。更にかなりの量のアルコールを摂取していることから、起きようと思っても中々身体が言うことを聞いてくれない。

 

下手に起こしに行っても俺には何も出来ないことが分かっていたため、あえて触れずにナギを見送りに来た。

 

 

「千尋さん、結局起きて来なかったね」

 

「んー……飲み過ぎたのかな」

 

 

まさか本当の話をナギにするわけにも行かず、多くのビールを開けていたことに便乗して、酔いつぶれてしまったのではないかと伝える。が、どことなく納得がいっていないような素振りを見せると、俺に質問を投げ掛けて来た。

 

 

「普段から千尋さんってお酒は飲む方なの?」

 

「あぁ、仕事終わって帰って来た後なんかは結構飲んでるよ。もちろん毎晩って訳ではないけど」

 

「そうなんだ……」

 

 

質問に何か意図があったのかもしれない。下手に考えて答えてしまえば、裏があるのではないかと怪しまれるし、差し支えない言葉を選んでナギに答えたが、一体今の質問に何があるというのか。

 

……いや、ちょっと待て。

 

千尋姉は飲酒することはあっても、誰かが来るのであれば控えるはず。楯無のことをよく見ているせいで、同じようなタイプである千尋姉の仕草を見ても、そこまで驚くことはないが、

 

誰かが来ると事前に電話で伝えているわけだ。彼女が来る日にピンポイントで酒をあおることなど、千尋姉の性格を考えれば普通はない。毎日飲んでいる人間ならまだしも、千尋姉は多くても二日に一回。頻度としては決して多くはない、家庭によっては毎日のように晩酌する人間もいるのだから。

 

今の回答だと千尋姉は飲兵衛ではないと言っているようなもの。ナギの性格なら僅かな触れ合いでも、相手の特徴や性格を大まかに把握することは可能なはず。

 

……となると導き出される回答としては。

 

 

「うん、だったら尚更引っかかるんだよね。毎日飲むわけではない人が、誰かが来るのに潰れるまで飲んじゃうなんて」

 

「……」

 

 

案の定、あっさりと勘付かれるわけだ。

 

鋭い、鋭すぎる。もはやこの洞察能力は一般人のそれを遙かに凌駕していた。自身が言ってしまった手前、きっかけを言うなら間違いなく俺の一言な訳だが、一体どうすれば今の一言で察せるのか。

 

しかも言った後の俺の考察と寸分の狂いもなく合致しているという罠。もはや驚きのあまり言葉すら浮かばない。

 

 

「本当に何も無かったの?」

 

「……はぁ、何でこうも鋭いのか。ただただ驚きしかないわ」

 

 

隠しても気付かれる。

 

下手に誤魔化したら余計に拗れると考え、素直に話すことに決めた。言ったらマズい情報に関しては伏せ、あくまで話の外枠だけを話すに留めることにする。

 

 

「分かった、話すよ。ただ絶対に黙っていてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう……私がお風呂に入っている間にそんなことがあったんだ」

 

「確かにちょっと危ないスキンシップは何度かあったけど、ここまでのは初めてだったから俺もどう対応すれば良いのか分からなくて」

 

 

ナギに夜の一件の流れを簡単に説明すると表情を歪めた。彼女にとっても意外だったようで、どう対処すれば良いのか分からずにいる。夜も酔いが回って寝付いたから良いものの、仮に起きていたとしたら今頃とんでもないことになっていたかもしれない。

 

 

「でもその……大和くんとは」

 

「あぁ、血は繋がっていない義姉弟の関係になる」

 

 

血縁関係のある姉弟ではない。

 

つまり結婚して子供を産むことが出来る。最も、この遺伝子強化試験体が生殖活動の出来る個体であるかどうかは俺には分からない。もしかしたらラウラ辺りが知っているのかもしれないが、センシティブなものをおいそれと聞くわけにも行かないし、そもそも何を考えているんだって話にもなる。

 

 

「難しいね。どの選択も傷つける可能性があるから、慎重になる必要があるし」

 

「だよなぁ」

 

 

特効薬が無いことを改めて認識し、ガックリと肩を落とした。

 

一人を選んで誰かが傷ついてしまった典型例。想定していたことが現実になると、何とも言えない気持ちになる。楯無に続き千尋姉まで、少なからず俺に対して好意を持ってくれた女性が涙を流していた。

 

臨海学校の帰りに出会ったナターシャさんに関しては、燃えるものがあるだなんて宣戦布告をして去っていったわけだが、全員が全員ナターシャさんのように割り切れるものでもない。臨海学校の後に個別で連絡が来たわけでもなく、彼女が今後どうするのか知らないものの、あの人の性格を考えると諦めなさそうな雰囲気は感じ取れた。

 

一方で楯無も楯無でまだ諦めてなさそうな雰囲気だったし、むしろ俄然燃えると息まいているくらいだ。

 

 

俺としてはたらしのように、何人もの女性に手を出すようなことはしたくない。が、こうなってくると考えなければならない。

 

 

「誰か一人と一緒になることで誰か一人が不幸になるなら、皆一緒で良い、か」

 

「それって……」

 

「あぁ、告白した時にナギが俺に言ってくれた言葉さ。前までは絶対にあり得ないって思ってたけど」

 

 

つい最近まではあり得ない、考えられないと思っていたにも関わらず決意は揺らいでいた。今までまともに女友達を作って来なかったこととが大きく影響しており、誰かが悲しむ様子を見ていられない。一般世間じゃ出会いと別れなど常識なのかもしれないが、俺にとっては全く逆の認識になっている。

 

何とかなると思ったのに、どうにもならない現実に、ただひたすら頭を悩ませてばかりだった。

 

 

「何だろうな、歳月を経て俺の心情が変わったとでも言うのか。それ以上に無意識に傷ついている人ばかりに目が行く」

 

「大和くん……」

 

「分からない。何が合っているのか、俺の決断は間違っていたのかどうかも」

 

 

本音を口にするとますます意味が分からなくなる。

 

俺の決断や考え方は間違っていたのか、そもそも根本がズレているせいで悲しませることになったのではないか。様々な憶測が脳内に飛び交い、合っているハズの思考まで狂わせていく。

 

これから千尋姉とどう接していけば良いのかと、考える俺のおでこに不意に衝撃が走った。決して痛くは無いはずなのに、予想しない衝撃が来ると反射的に痛いと呟いてしまう。

 

人間の不思議な心理だ。顔を上げるとそこにはクスクスと微笑むナギの姿、まるで何悩んでるのと言いたげな面持ちで。

 

 

「あでっ! な、何すんだよ急に?」

 

「らしくないよ大和くん! 誰よりも大和くんが千尋さんのことを見てきたんでしょ? それなら、誰よりも千尋さんのことを知っているハズじゃない!」

 

「あ……」

 

 

ど正論の一言に俺の身体は思わず硬直する。

 

そうだ、身内の中では俺自身が誰よりも千尋姉のことを知っているはず。そして誰よりも千尋姉のことを愛しているはず。血の繋がりなど、当の昔に気にしなくなったのに、何を今更気にすることがあろうか。

 

例えそれが血の繋がった姉弟であったとしても、血の繋がりのない姉弟だったとしても、俺たちは他人として接するのではなく、共に信頼し合って人生を歩んできた。歩んできた人生に失敗はあれど、間違いなど無い。

 

頼りになって、いつも優しくて、でもマズい道を歩みそうになった時は引き留めてくれて。時には厳しくも暖かく、そのくせ独りぼっちが大嫌いで甘えん坊で、偶に暴走することもある姉だけど……霧夜家に来てから、俺のことをずっと見守ってくれた事実は変わらない。

 

───だからこそ俺はそんな千尋姉が好きになった。

 

 

「それに、大和くんの中ではもう結論が出てるんじゃないの?」

 

「……」

 

「私はどんな選択をしても納得するよ。だってそれが大和くんの選んだ道だから」

 

 

ナギは両手で俺のことを抱き締める。胸元に顔を埋めて両手を背中に回すと、自身の身体をより密着させて来た。

 

人前での大胆な行為だというのに、感覚が狂っているのか慣れて来ているのか、自然と恥ずかしさは無い。周囲からは相変わらず、好奇や嫉妬の視線が集中するが気にならなかった。

 

 

「ちょっとは元気でたかな?」

 

「ちょっとどころかリミット振り切った。ありがとう」

 

「そう、良かった♪ じゃあ私は帰るから、また夜にでも話聞かせてね。バイバイ」

 

「ん、またな」

 

 

俺から離れて踵を返すと、改札の方へと向かっていく。徐々に小さくなっていく後ろ姿を見守りながら、俺は来た道を帰ろうとした。 

 

数秒すると今度は背後からパタパタと足音が戻ってきた事に気付き、再度後ろへと振り向く。足音の正体はナギであり、やや息を切らせながら振り向く俺の前で立ち止まった。

 

何か忘れ物でもしたのか、いや確か昨日遊びに来る時に目立った持ち物を持ってきては居ない。それならまた別に言い忘れた事があるのかと、考えてはいると息を整えたナギが口を開く。

 

 

「ご、ごめんね。忘れ物……しちゃって」

 

「忘れ物? 何か持って……ふむっ!?」

 

 

不意にナギの顔が目前にまで迫ったかと思うと、二人の距離はゼロになった。

 

完全無防備状態の俺の唇に、何度か味わった柔らかな感触が伝わってくる。目を閉じながら俺の首に手を回して決して離すまいと、自らを押し当てる積極的な行動に、思わず数度瞬きをするも、甘い香りにただ受け止めるほか無かった。

 

幸い、あまり周囲はこちらを見ていない。数秒間ほどの短い時間を終えると唇を離し、照れる俺をよそにはにかみながら彼女は言う。

 

 

「上手く行くおまじないだよ。頑張ってね、大和くん。それじゃ!」

 

 

今度こそナギはICカードを押し当てて改札をくぐった。

 

俺と付き合い始めてから明るくなったのは紛れもなく事実、加えてやや押され気味というか尻に敷かれかけている現状に思わず俺は頭を抱える。

 

悶々とした気分から復活後、もう一度千尋姉と話をすべく実家へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大和」

 

 

自宅リビングのソファーに座りながら、物思いに耽る女性。起きたばかりなのか、着ている服装はパジャマのままであり、一点に視線を集中させたまま動かない。

 

幾分起きてから時間が経つというのに、妙にやる気が出てこない。失恋効果なのか、一時も無駄にしたくないと思う以前とは違い、どことなく憂鬱に感じる時間に思わず苦笑いが出てきた。

 

霧夜千尋、元霧夜家当主の肩書きを除けば、どこにでもいる普通の女性だ。目元には寝ている間にも涙を流していた痕が残っており、いつもは大きく見開いた目も今日はどことなく暗く、やさぐれているようにも見える。

 

分かっていたことなのに、気持ちの整理が追いつかない。当たり前、想定内の返答にも関わらず動揺していた。

 

 

「はぁ、私っていつの間にこんなに弱くなったのかしら」

 

 

あくまで彼は弟だ。

 

男性が絡むだけでこうまで自分をコントロール出来なくなるとは思わなかった。初めて大和と出会った時には持っていなかった感情が、歳月を経るにつれて現れ始めた。まるで一人の男性に恋をしているかのような感情が。

 

可愛い弟だと思っていた人間が成長し、いつの間にか年相応の立派な男性に。そして弟だという認識は消え去り、一人の男性、気になる異性として追うようになっていた。義理の姉弟だからこそ生まれてしまった認識に戸惑い、気付くのは大和が家を去ってからのこと。

 

しばらくは大和がいない生活を考えられず、生活の最中に彼の名前を呼んでしまう、無意識の内に料理も彼の分まで作ってしまうことが頻発。理解をしていても心の中では『大和が家を出た』事実を受け入れられずにいた。

 

姉弟同士の恋愛は近○相○なんて言われ、蔑まれることもあるが、根底として二人に血の繋がりはない。繋がっていれば我慢することなど十分に可能だった。繋がりがないからこそ、今までは隠していた大和に対する想いを隠しきれなくなり、その我慢も既に限界を迎えていた。

 

意中の男性を取られたくない思いが無意識に働き、昨日の夜のような行動に走ってしまった。彼女にとっては醜い感情であり、面には出すまいと封印してきたのに、ふとした瞬間に出てしまう。

 

 

「……はぁ」

 

 

何度目か分からないため息を吐く。

 

幸せが逃げるだなんて言い伝えがあるが、この時ばかりは付かずには居られなかった。肝心の大和は見送りのために家を開けていて、今は千尋しかいない。ただ見送りだけならそう時間は掛からないだろうし、もう少ししたら戻ってくることだろう。

 

戻ってきたらどう接しようか。

 

まだしばらく大和はいるようだし、毎日顔を合わせると考えればいつまでも引き摺っているわけには行かない。せめて普通に話さないと、大和も気まずくなってしまう。いつ帰って来るのか、そう考えているとロビーの扉が開いた。

 

 

「ただいま。あ、千尋姉。おはよう、起きてたんだ」

 

「え……うん、おはよう」

 

 

当の本人が帰ってきた。

 

慌てて挨拶を千尋も返す。扉を開けて千尋の存在に気付くも、別段慌てたりテンパったりするような仕草は見られない。

 

それどころかいつも通りの淡々とした対応に、昨日のことはもう忘れているのかと疑問に思う。昨日今日で忘れているとは思えないし、あくまで表情に出していないだけなのか、様々な思考を張り巡らしていると、不意に声を掛けられた。

 

 

「朝食はもう食べた? 俺も食べてないから、まだならすぐ作るけど」

 

「うん……お願いしようかな」

 

「ん、ならちょっと待ってて。今日はパンでいいよね」

 

 

今から米を炊き始めると食べる時間も遅くなってしまうと踏み、棚から食パンを取り出すと、トースターの中へと入れる。

 

てきぱきとした動作で、十数分後には立派な朝食が机の上には並んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「隣、座っても大丈夫?」

 

「え?」

 

 

朝食後、食器を片付けた俺は千尋姉の座っている隣側に座る。突然隣に座られたことで一々ピクリと反応をする千尋が可愛いと思いつつも、表に出したい感情を抑え、平静を装ったまま座った。

 

いつもなら落ち着いたままの千尋姉が、今日は落ち着かない。妙にそわそわしながら人の顔を見て、こっちが見つめるとすぐにプイと顔を逸らしてしまう。会話の一つもあるはずの毎日から一点、全く会話が起きないこの現状はある意味面白い。

 

新聞を広げながら興味のある部分だけを流し見し、さっさと机の上に畳んで置く。話が無い時は何をしても続かない。朝食を食べていた時もそうだが、会話らしい会話は全く無い。

 

家に帰ってきてから小一時間が経つも、かつてこれほどに会話のない時間帯があったことはほとんどない。むしろ毎回千尋姉の方から絡んでくることが多く、今日に限っては一度もそれが無いことから、普段の心理状態とないことは明白だった。

 

一方の千尋姉は「あー」とか「うー」とか唸りながら話し出そうとするも、昨日あれだけ泣きじゃくった挙げ句に寝落ちしてしまったために、どう俺に話したら良いのか分からないでいる。困っている姿はあまりにも斬新であり、思わず笑い出してしまう。同時につい出来心から携帯を開き、ムービーモードのスイッチを入れて千尋姉へと向けた。

 

 

「な、何がおかしいの?」

 

「ははっ、いや、おかしくないよ。ただ困っている千尋姉は珍しいなって思ってさ」

 

「べ、別に珍しくなんか……って! 動画撮るのやめなさいよ! 恥ずかしいじゃない!」

 

「おーおー、これで俺のお宝秘蔵映像リストにまた一つ追加か。しかも困っている姿に加えて恥じる姿とかどんだけ俺得なんだよ」

 

「アンタそんな性格だったっけ!? ちょっと! 貸しなさいって!」

 

 

いつもと百八十度ぶっ飛んでいる俺につっこみを入れ、携帯を取り上げようと、先ほどまでの悲壮な雰囲気をかなぐり捨てて俺の方へと迫ってくる。ムービーのスイッチを入れたのは間違いないが、あいにく映し出されている映像はアウトカメラではなく、インカメラのものであり、千尋姉の顔は一切映っていない。

 

……流石にそれくらいの配慮はする。それにお姉ちゃんが愛しくてたまらないオーラ満載のシスコンでもない。普段から会える上に、わざわざ画質の粗いムービーで残す必要はなかった。本気で残すならちゃんとしたビデオカメラかデジカメを使う。

 

ただ千尋姉の方向からはディスプレイに映る姿を確認することは出来ず、本当に取られていると思って必死に取り返そうとしてくる。ソファの背もたれに足をかけて、持ち前の体幹でバランスを取りながら千尋姉の届かない位置まで手を伸ばす。

 

何とか携帯を取り上げようと俺に覆い被さりながら限界まで手を伸ばすも、体躯の問題でギリギリ届かなかった。が、どれだけ必死なのか、尚も手を伸ばそうとする。

 

本人は俺の携帯ばかりに夢中で気付いていないが、俺に多い被さるということは常に二人の身体が密着状態であることを意味する。パジャマの上からでもハッキリと分かる重量感のあるそれが顔に当たって潰れ、俺の顔面は絶賛千尋姉の胸の中に埋まっていた。

 

柔らかい感触が心地よい反面、顔全体が覆われるせいで呼吸が苦しい。まだ微かに残るボディーソープの香りが鼻腔を刺激してくると、正常な思考がログアウトしようとする。

 

……っと、流石にこれはマズい、俺の理性が飛ぶ。

 

止めさせようとすると同時に、千尋姉は俺の手から携帯を奪うことに成功した。

 

 

「取ったわよ! さぁ消させてもらおうじゃな……あれ?」

 

 

達成感溢れる表情を浮かべるも、視界に飛び込んできたのは俺の顔が延々と映っている映像であり、千尋姉の顔は一切映っていない。まんまと一杯食わされたことを悟ると、ふるふると身体を震わせながら、俺の事を睨んできた。

 

顔が赤面しているせいで怖いを通り越して可愛い。おかしいな、俺の姉がこんなに可愛いハズがない。と、ふざけている場合じゃなかった。あまりふざけすぎると後々が怖いし、一旦締めるとしよう。

 

 

「ごめん、ふざけすぎた」

 

「……本当よ」

 

 

ムスッとあからさまに不機嫌な顔をする千尋姉だが、その顔には先ほどまで感じられた負の感情は無い。今のやりとりでだいぶ薄れてくれたのか、だとすればやった意味があった。

 

 

「あのさ、千尋姉。俺もずっと思っていたことがあるんだ」

 

 

ある程度テンションが元に戻ったところで、話を切りだし始める。唐突に話題を転換したために少し驚きの顔を見せる千尋姉だが、聞く体勢が出来ているおかげで、場から逃げようとはしなかった。

 

少し前から思い始めていたこと、それは俺と千尋姉の関係についてだ。かつては尊敬出来る姉、可愛い一人だけの弟といった、当たり障りのない普通の関係だった。あくまで千尋姉は()()()()()であって、それ以上でもそれ以下でもない、どこにでも居るような姉弟である。

 

そう思っていた。

 

 

「小学校の時だったっけ、いじめを受けていた子を助けたら濡れ衣を着せられて俺が一方的に悪いって呼び出された話。覚えている?」

 

「覚えているわ。今覚えば、大和もだいぶ小学生離れしてたわよね。証拠を押さえるためにICレコーダー使うとか、それを物怖じせずに相手家族の前で流すだなんて」

 

「それを言ったら千尋姉もだろう? 俺を飛ばそうとした父親にド迫力のメンチ切ったり、かと思えば淡々とした口調で相手を絶望の淵まで追い詰めていったり……とても高校生とは思えなかったよ」

 

「あ、あれは大和を守ることに必死で……!」

 

 

覚えている。

 

俺は当然ながら、千尋姉も昔あった出来事をしっかり覚えてくれていた。歳月は経っても、駆け抜けた思い出は色褪せない。思い出の中の一部として、俺と千尋姉の中に書き記されていた。

 

 

「知ってる、だって千尋姉優しいもんな」

 

「い、今更何言ってるのよ」

 

 

そんなの当たり前じゃない、とテンプレのような台詞を呟きながら言い返してくる。

 

 

 

 

 

 

そう、いつまで経っても千尋姉の優しさは変わらない。今も十年前の夏に初めて会った時と何一つ変わっていなかった。思えばあの時からずっと、千尋姉は俺の憧れであり、かけがえのない存在だったんだと思う。

 

好きを超越した何か。一言で言い表そうにも想像できないようなこの感情。楯無やラウラはおろか、ナギにさえない千尋姉だけへの想い。

 

意を決して、俺は全ての感情を集約した一言を伝えるべく、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───だから好きなんだよ、千尋姉の事が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ?」

 

 

意味が分からずに目を丸くしたまま、俺の方を見つめてきた。あまりにも消え入りそうな声、瞳に映る立ち居振る舞いからはどこか不安そうな感情を見て取ることが出来る。

 

俺の声を皮切りに、リビングにはしばしの静寂が訪れた。キッチンの蛇口からこぼれ落ちる水滴の音と、外で乗り響く夏の風物詩の鳴き声だけが室内に木霊する。

 

 

「何を言って……」

 

 

未だに受け入れられないのか、視線を四方八方に這わせながら、俺と目を合わせようとはしない。

 

 

「言葉通りの意味だよ」

 

「言葉通りって……大和にはナギちゃんが」

 

「あー……なんか何処かで既視感のある切り返しだな」

 

 

千尋姉の口から出てくる切り返しに既視感を覚え、思わず苦笑いが出てきた。既視感があるのは当然で、俺がナギに告白した際に彼女の口から出てきた言葉とほぼ同じ内容であり、名前を『楯無』と置き換えれば、完全に同じものになる。

 

 

「ナギは大切な俺の彼女だ、間違いはないよ。でも千尋姉の事を好きな気持ちに偽りが無いのも事実なんだ」

 

 

一件、こいつは何を言い出すのかと思われても過言ではない。これでは女性を取っ替え引っ替えしているたらしと何ら変わりなかった。ただし一つ勘違いをしてもらったら困るのは、この言葉の根底にはしっかりと意味があること。

 

 

「……」

 

「考えたんだ、あれから」

 

 

昨日の出来事の後、無い頭を使って考えた。自分自身の考えがあっているのか、間違っているのか。少し前までの自分だったら、多くの人間と付き合うなんてあり得ないと断言している。一人と付き合うことで起こりうる弊害が少ないと考えていたからだ。

 

だが楯無に続き、千尋姉までもが涙を流す現状に、俺自身が耐えられなくなりつつあった。否、耐えられなかった。

 

周囲からしてみれば、俺は軟弱な男に見えるかもしれない。現に一人の女性も選ぶことに苦労し、挙げ句の果てには付き合っている女性以外にまで想いを伝えている状況。誰がどう見ても軟弱な男でしかない。

 

一人だけを選ぶことが出来ない、男性としては致命的だろう。

 

 

もちろんナギを愛する気持ちは何一つ変わらない。彼女への気持ちとはまた別に、千尋姉にも同じくらいの想いを持っていた。

 

 

「本当に一人を選ぶことが正解なのかって」

 

 

俺の一言に千尋姉は黙り込む。

 

誰もが一度は考えるであろうことに興味を引かれたのか、逸らしていた視線を再び俺の方へと戻した。

 

 

「当然、一般世間では淘汰される考え方だとは思う。でも俺が千尋姉を好きな気持ちは変わらないし、これから先変わることもない」

 

 

考えることではあっても、実現しようとする人間はいない。少なくとも日本国内では複数の女性が一人の男性の周囲を取り囲む様子を見たことはなかった。サークル帰りの大学生や会社帰りのサラリーマンでもなら見たことはあるものの、所詮関係の踏み込んだ男女の関係ではない。

 

だからこそ改めて教えて欲しい。今まで通りの姉弟としての関係で終わるのか、それとも一つ踏み込んだ異性同士の関係になるのか。ナギもそこに関しては納得しているし、そもそも誰かが悲しむならと提案して来たのは彼女だ。俺についてくるとなったとしてもとやかく言うことはないだろう。

 

どちらにしても最終的に決断するのは千尋姉本人であり、俺が決断に対して口を挟むようなことはしない。

 

 

「もし千尋姉がこんな俺でも良いのであれば……これからもついてきて欲しい」

 

 

千尋姉がずっと俺と共に居たいというのであればそれに応えてみせる。俺たちが姉弟であった根底は変わらない。

 

 

「姉弟の()()()ではなく、一人の女性の()()()()として」

 

「あっ……」

 

 

俺の一言に、自然と視線が動かなくなる。向けられる眼差しはいつもの千尋姉ではなく、まさしく一女性としての千尋姉だった。先ほどまでソファについていた手が自然と俺の手の上に被さる。心なしか頬もほのかに紅色がさした。

 

 

「大和」

 

「うん」

 

「……もう踏み出したら戻れないわよ。母さんたちにどう説明するの?」

 

「あぁ、神流(かんな)さんにか」

 

 

元は自分から想いを伝えて来たのに、家族にどう伝えるのかを考えてなかったらしい。まぁ考えてみれば素面では言いづらいことを、アルコールの力を借りて言ってしまった以上は仕方ない。自爆覚悟で飛び込んでくるのに、わざわざ後のことを考えはしない。

 

困惑しながらも人の手を握ったまま、これからのことを考えようとする千尋姉だが、俺からすれば別に何てことはなかった。

 

自分で言うのも何だが、そもそも俺が後先考えずに想いを伝えるわけがない。

 

 

 

───霧夜神流。

 

千尋姉が就任する前の霧夜家当主になる。併せて実の母親であり、千尋姉が戦いに秀でているとするなら、彼女は知略に秀でている。聞いた話になるが、最も長く当主を努めていたらしい。

 

ここ最近、神流さんと話すことはめっきり減り、不定期的に行われる定例報告の場で会うだけだ。が、会う度に言われるのが千尋姉との関係であり、何かあった時はよろしく頼むと何度も伝えられていた。

 

故に事細かに話の道筋を立てて説明する必要はない。

 

もしも姉弟を越えた関係になるのであれば、二人で話し合って納得するのなら、こちらからは口出しをしないとも言われている。つまり完全に俺たち任せの放任状態になっている訳で、よほどのことが無ければ何が起きても介入してくることはあり得なかった。

 

当然、場に居合わせることのない千尋姉は知る由もない。だからこそ慌てたんだろうが、それは全て杞憂に終わることとなる。

 

 

「大丈夫。そこは上手く説明出来るし、多分反対しないと思う。ま、何とかなるだろ」

 

 

俺からの回答にキュッと口を結び、どう答えを返せば良いのか分からずに混乱するばかり。僅かに潤む瞳を見るからに不安なのだろう。少しでも安心させられる方法があるのか、そう考えた時に思い浮かぶ手段は一つしか思い浮かばなかった。

 

握られている手を自身の元へと手繰り寄せ、両手で千尋姉の身体を優しく抱き締める。女性特有の柔らかな感触は言わずもがな、加えて思いの外すっぽりと収まってしまったことで、こんなに小さな体躯だったのかと驚きを隠せないでいた。

 

確かに男性の俺と比べると紛れもなく俺の方が高くなるが、女性の中で見れば千尋姉も160台後半と十分に高身長だ。女性としては大柄な体格になるにも関わらず、胸に納まる千尋姉は小さく思えた。

 

 

「……るい」

 

「ん?」

 

 

ほのかに声を漏らしたような気がしたが、最後まで聞き取れずに耳を傾けると、ポカポカと胸を殴ってきた。

 

 

「ちょっ、痛えって! 人の胸を叩くなよ!」

 

「う、うるさいバカ! 大和のくせに生意気なのよ!」

 

 

どこぞの二次元キャラが呟きそうなテンプレ台詞を発しながら、駄々を捏ねる子供のように何度も何度も殴ってくる。

 

ナギのような一般の女の子が殴るのであれば大して痛みを感じることは無いものの、相手が千尋姉のせいで一発一発が非常に重たい。どれくらい重たいかというと鉛で殴られているような感じだ。華奢な体躯のどこにそんな力が眠っているのか、本来なら駄々を捏ねるか弱い女性が非常に可愛らしく映るワンシーンであるのに、千尋姉がやってしまうと全くの別物になってしまった。

 

 

「ど、どこが生意気なんだよ!」

 

「全部よ、全部! 何がこんな俺でも良いのであればこれからもついてきて欲しい、よ! 私はアンタだから好きになったの!」

 

「は……え?」

 

「好きよ、大好き! どーせ好きよ! 悪かったわね!」

 

 

最終的に俺が逆ギレされる始末。が、千尋姉の口からヤケクソ気味に出てくる本音、普段らしからぬ千尋姉の慌てふためく姿がいつも以上に可愛いと思ってしまった。

 

顔を耳まで真っ赤にし、泣きそうになりながら『好き』の単語を連発する姿に、俺の方が恥ずかしくなる。ここまで想ってくれていたのかと思うと同時に、本当に俺の姉なんだろうかと思うほど別人に見えてしまった。

 

 

「好き……」

 

 

好き放題言って多少の落ち着きを取り戻すも、未だ千尋姉は俯きながら小さな声で好きと呟く。

 

ポリポリと、照れ隠しのように頬をかきながら俺は千尋姉へと声を掛けた。

 

 

「あの、千尋姉? その……うわっ!?」

 

 

顔を上げた千尋姉の瞳には大粒の涙が貯まっていて、顔を上げたせいでポロポロと頬を伝っていく。何とか堪えよう、我慢しようと思っていたみたいだが緊張の糸がプツリと切れてしまい、顔を赤くしたまま泣き続ける。

 

 

「うぅ……グスッ」

 

 

ここで俺も油断をしていたのがいけなかった。

 

 

「へっ? ちょっ、千尋姉まっ……!」

 

 

一定の距離があったはずなのに、急に千尋姉の顔が近付いてくる。本能が反応して避けようとするも、俺は肝心なことを忘れていた。

 

俺が座っているのはソファの上であり、当然ながらリラックス出来るように柔らかい背もたれが設置されている。普段なら快眠へと誘う癒やしのツールとして重宝するが、今回は背もたれがあるせいで背後に逃げることが出来ない。加えてクッションのように沈んでしまうため、身動きそのものが取れなくなってしまった。

 

それなら、無理矢理千尋姉を押し退ければいいのではないかと考えるも、両手をロックされていて動かすことが出来ない。足を使うなんてもってのほか、仮に使おうとしたところで足の間に膝を入れられているせいで動かせない。

 

まさに両手両足の自由を封じられた俺はまさに絶体絶命。振り解こうにも見た目以上に力があるせいで力が入らない。加えて力を入れられないよう抑え込まれているために何も出来ない。

 

 

策を考えている間にも、刻々と千尋姉の顔は近付く。もうここまで来たら観念するしかない。取って食われる訳じゃない……とは言えないが、抵抗したところで結果は同じ。

 

観念して目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

───唇同士が近付き、触れ合う刹那。

 

 

「いっ────っっつ!!?」

 

 

ゴンッ! と、とても唇同士が触れ合うような音ではない音がリビングに響くと共に、おでこにも衝撃が走った。完全に気を抜いた最中の不意打ち気味の一撃に、脳震盪でも起こしたかのように頭がクラクラする。

 

想定できるところからの攻撃であれば何てことはないものの、想定外からの攻撃は防ぎようがない上に、強烈な痛みが襲う。自身が信頼を置いている人間であるなら尚更だ。

 

当然痛かったのは俺だけではなく、頭突きをした張本人もしかり。頭を押さえながら、ウルウルと瞳を潤ませて、泣きそうになるのを堪えていた。

 

 

「あの、千尋姉?」

 

「いだぃぃいいい……」

 

 

そりゃ痛いだろう。

 

先ほどまでの雰囲気はどこへやら、弱々しく萎れる姿を見ていると、何も言えなくなってしまう。そこであぁ、そういえばと悟る。

 

千尋姉は人前でお色気やら、迫ったりすることはあれど、恋愛事に関しては疎い。そもそも一緒に生活してきて彼氏が出来たことはなかったし、男女の交流に積極的に参加することも無かった。

 

見た目とフレンドリーな立ち居振る舞いから、言い寄る男性は非常に多かったらしい。告白は全て断り、合コン等の異性との交流も極力避けるようにしている。理由ははぐらかされていたが、もしかしてその時から……。

 

と、こんな(なり)をしていても、俺以上に恋愛事には鈍感であり、またいざという時にどう対応すればいいのか分からない。今の状況を見てくれれば一目瞭然のはず。

 

勢いを付けすぎておでこ同士がぶつかり合うとか、ギャグにしかならない。

 

 

「勢いをつけすぎだっつーの。頭突きでもかますつもりかよ」

 

「うぅ……ごめんなさいぃぃ」

 

「……」

 

 

しょんぼりと如実に落ち込んでしまう千尋姉の姿に思わず笑みが出てくる。そう、俺が見たかったのは暗い表情の千尋姉ではなく、こうして喜怒哀楽がハッキリとしている表情豊かな千尋姉だ。

 

紆余曲折があったとはいえ、元に戻った姿を見れて本気で嬉しい。目の前で凹んだ様子の千尋姉に、今の俺の気持ちが伝わることは無いかもしれない。それでも今ならハッキリと言える。

 

 

 

───俺は千尋姉のことが好きだ。

 

 

「千尋姉」

 

「ふぇ……え?」

 

 

顔を上げた瞬間を見計らい、千尋姉の顎に自身の手を添えると、クイッと上を向けさせた。何が何だかと事態を把握できずに、千尋姉は間の抜けた声を漏らす。

 

視界に広がる千尋姉の顔。

 

くりっとした大きな瞳に、ほんの僅かに残る涙の後。泣いた後だというのに、一切崩れない顔立ち。元々メイクをせずにすっぴんを貫く千尋姉だからこそか。

 

瑞々しく柔らかそうな唇。身体の一部に触れているだけで、伝わる温もりが俺のことを癒してくれた。

 

姉弟だなんだの、そんなものはもう気にしなくていい。

 

 

 

千尋姉は姉であると同時に、大切な俺の女性でもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やま……んぅ!?」

 

 

いつもやられてばかりは性に合わない。

 

ニヤリと小悪魔のように微笑む俺に、声を掛けようとする千尋姉の唇に優しく蓋をする。驚き目を見開く千尋姉も、徐々に蕩けるような目をしたかと思うと、恥ずかしさから見られたくないのか目を閉じた。

 

伝わる想いが一滴の滴となり千尋姉の頬を伝う。その滴の意味を理解できるのは、世界中でただ一人、俺だけだ。

 

 

 

 

 

 

どれくらい時間が経っただろう。

 

苦しそうになって身を捩る姿を確認し、そっと唇を離す。千尋姉は酸素を欲して小刻みに肩で呼吸を繰り返した。

 

 

「大丈夫?」

 

「うん……」

 

 

唇を触りながら、ポーッと頬を赤らめる千尋姉の姿に妖艶さを感じてしまう。

 

それと同時に先ほどよりも自分の身体に体重が掛かっていることに気付く。意図的にくっつけているというよりかは、自身の身体の力が抜けてしまい、俺の身体を支えにしているといった感じに思えた。

 

 

「ごめんね、大和。その……腰が抜けちゃって……」

 

 

消え入りそうな声で恥ずかしそうに呟く。予想通り、意図的なものではないことが判明した。無理矢理起きあがらせる訳にもいかず、互いの身体が最も近い距離で触れ合っている。

 

上目遣いで見上げる千尋姉の瞳が視界に入った。小刻みに揺れる肩、口からこぼれる甘い吐息が顔にかかる。年齢を感じさせるどころか、年不相応に幼く見える振る舞い。

 

大きく見えていたはずの姉の背中は、いつの間にか小さく、護りたい対象になっていた。

 

立てないままの姉の身体を優しく抱き締める。思いの外、華奢で小さな身体はすっぽりと胸元に収まり、気持ちよさそうに顔を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

姉と弟。

 

一般的な常識を覆して繋がった二人。波瀾万丈の人生を歩んできた俺たちにとって、これからも更に困難な人生が待ち受けている。

 

十年先、二十年先の人生において、どうなっているかなんて全く想像も付かない。

 

それでも今は目の前の幸せを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そんな、一夏(ワンサマー)の出来事。


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