竜姫伝説の滝   作:紫 李鳥

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前編

 

 

 

 その山には、竜に身を変えた美しい姫が棲むと伝えられる幻の滝があった。

 

 その滝を見つける事ができたら、願い事が叶うという噂を耳にした人々は、挙って挑んだ。

 

 だが、そこまでの道は険しく、誰もが(ことごと)く脱落し、引き返した。

 

 仮に辿(たど)り着いたとしても、その場で行き倒れ、野垂(のた)れ死にしたであろう。

 

 何故なら、一人として、竜姫を見たという話を旅の土産にした者はいなかったからだ。

 

 

 

 

 薫風の頃だった。絵図を片手に、一人の若者がその幻の滝に挑んだ。

 

 峨々(がが)たる山岳を目印に、密林に囲まれた険路を行き、深い森に着いた頃には、もう既に日が落ちていた。

 

 山の夜は寒く、先刻まで汗ばんでいた体の熱を急激に奪った。

 

 腰に結んだ薄衣を羽織ると大木にもたれた。

 

 笹の葉に包んだ握り飯を頬張り、竹筒の水を飲むと、徐に目を閉じた。

 

 

 

 

 

キュ゛ーキュ゛ー

 

 

 

 

 鳥とも獣とも区別がつかない鳴き声が漆黒の闇を切り裂いていた。

 

 若者は僅かに瞼を開けたが、闇に動く物はなく、すぐに目を閉じると眠りについた。

 

 

 

 ――空が白むと同時に、腰を上げた。

 

 

 高木に閉ざされた闇の森は、僅かばかりの天空を覗かせていた。

 

 得体の知れない魑魅魍魎(ちみもうりょう)(うごめ)く気配の中で、若者は腰の刀に手を置きながら、その見開いた(ひとみ)を目指す方に向けていた。

 

 

 

 

ガサッガサッ……

 

 

 

 深閑の森には、若者の歩みで擦れる草木の音だけがあった。

 

 

 

 やがて、天空が開けると、

 

 

パサッパサッ!

 

 

 

 生い茂る草の中から、一羽の鳥が飛び立った。

 

 若者は一瞬ギクッとすると、蒼天に羽ばたく鳥を見上げた。

 

 

 間もなく、何やら音が聞こえた。

 

 それは、足を進めるに連れて、音を激しくした。

 

 尚も進むと、

 

 

 

 

グゥオーーーーー!

 

 けたたましい瀑声が起こった。

 

「あっ、滝だっ!」

 

 若者は、草木で傷付けた血の滲む足を軽快に踏んだ。

 

 

 

 

グゥオーーーーー!

 

 (くさむら)を行き、雑木林を抜けると、更に瀑声が轟いた。やがて、蒼天に、紅紫の遠山が眺望できる崖下に、滝が白煙の如く、飛沫を上げていた。

 

 若者は、辿(たど)り着いた喜びに、その凛々(りり)しい顔を(ほころ)ばせた。

 

 

 流れる沢を(すべ)ると、滝壺のほとりに下りる事ができた。

 

 

ゴゥオーーー!

 

 洪水の如く激流を落とす滝は、滝壺のほとりに咲き乱れる百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の花々を涼しげに揺らしていた。

 

 若者は、瀑声に閉ざされた世界で、只管(ひたすら)、滝壺を凝視していた。

 

 白い飛沫は生き物のように暴れ、今にも飛び上がらんばかりであった。

 

 思い付いたかのように竹筒に滝の水を汲むと、渇いた喉に流し込んだ。

 

「ゴクッゴクッ……」

 

 と、その瞬間(とき)だった。

 

 

 

ウ゛オーーー!

 

 

 滝の音とも、獣の啼き声とも区別がつかぬ音が聞こえた。

 

 若者は慌てて水を飲み込むと、目を見開いた。

 

 そこにあったのは、前方から向かって来る白い大蛇だった。

 

 あまりの驚きに、若者は声を出す事はおろか、身動(みじろ)ぎすらできなかった。


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