望月家十四代目当主、望月志郎は完全に異世界となったいる地下の倉庫の最奥に赴いていた。
地下と言っても最奥は言葉のままに異世界が広がる。地下倉庫の奥の奥の奥、最奥にぽつんと取り付けられた床下に繋がる扉を開けば天地が逆転して、青空が広がる日本屋敷の庭に出ることになる。
空は青空しか存在する事は無く風もなければ夜すらない。至って不変の世界が広がるのだ。そこには人間の常識が通用するというだけで、人間の常識が意味を成す世界ではない。
「まさか、こんな空間、いや世界と繋がっているとは……知識としては知っていたがこうも簡単に行き来が出来るとは思わなかった」
志郎にとって、この晴天だけの世界が本家の地下に繋がっているのは祖父から伝え聞いていたが、実際に訪れるのはこれが初めてのことだった。
この空間はあまりのも
「たしか蔵の中の地下室だったか……地下に潜って、地上に出て、更に地下に出る。まるで意味が分からんな、この空間は」
呟いてから、蔵の閂に手を当てた。閂に手で触れただけで、それが蔵の中を密封に近い状態で封印している鍵だと気づいた。間違いなくこの先に祖父が真似たという大聖杯がある事だろう。
閂は動かすだけで苦も無く蔵に掛けられた魔術が崩れ去っていく。蔵の門からは魔力が漏れ出ているのが、確かに感じられてた。
しかし漏れ出ている魔力の量が明らかに異常だった。既に通常であれば十分潤沢な魔力が流れ出ているのに、その量が減ることなく明らかに増しているのだ。
「一般人だったら確実に死ぬな」
そう言って志郎は門を押し開いていく。生憎だが志郎は一般人ではなく魔術師だ。それこそ名門であるエルメロイ家と比較しても負けない程の名家である望月家の魔術師だ。
もし望月家が極東である日本ではなくイギリス当たりの家だったら、魔術の最先端研究機関である時計塔のロードの地位を賜るくらいには優秀な血筋と歴史を重ねた家だという自負が志郎にはある。
たかだが普通の人間に害がある程度の魔力では魔術師、望月志郎を怯え怖がらせるには足りないのだ。
押し開かれた扉からは、風として質量を持つほどの圧倒的な魔力が晴天の世界に満ちていく。志郎は暴風に押され吹き飛ばされそうになるのをしゃがんで堪えた。
もったいない。素直にそう思った。あれほどの魔力をただ垂れ流すのは本当にもったいない事だ。もし然るべき準備を整えていたら絶対に先ほどの魔力を回収する為に動いていただろう。しかし晴天の世界に満ちさせることが無益に終わるわけではないのが、精神を落ち着かせる。
そうだ無駄ではないのだ。祖父が魔力を無駄で終わらせる訳ではないのだ。そう心に言い聞かせ、蔵の中に入っていく。夜目を聞かせる魔術を使用すれば、蔵中に溜まった僅かな埃すら歴然として視界に映る。
最奥の晴天世界の蔵には、実の所それほど貴重な物を置いてはいなかった。態々、それなりに遠い地下深くの世界に置いても不便なだけで、保管するには直前の蔵の異界だけで事足りるからだ。
そうして視界を動かしていけば、蔵の壁に場違いな洞窟の入り口があるのが見えた。天然の洞窟に手を加えたようなそれは間違いなく祖父によって造られた物だろう。確か祖父は円蔵山の内部に龍洞という大空洞があり、そこに大聖杯が存在すると語っていた。この洞窟もその再現なのかもしれない。
洞窟は空間を湾曲して押し曲げながら無理に造られたものというのは大した検分せずに分かった。おそらくだが、祖父が再現しきれなかった大聖杯が暴走を起こした際、空間が元に戻って大聖杯擬きを世界と世界の間に挟んで強引に破壊するために無理やり押し広げたのだろう。
おおよそ自分では思いつかない発想とそれを実現する手腕に志郎は感動する事しかできない。祖父は九割の確率で儀式は失敗すると言っていたが、この調子ではただの謙虚にしか思えない。祖父は間違いなく天才鬼才の部類の人間だ。
「――これが大聖杯だと? こんなモノで英霊が呼べるのか? ――それ以前にまともに使えるのかこれは!?」
確かに祖父は天才鬼才の人間だ。しかしそんな人間が九割で失敗すると言ったのだ。もしそれが謙虚でも何でもない真実なら、それは間違いなく本当の事だろう。
――それは例えるなら、そう、溶けた杯と風化した人型の像だった。
長い岩肌の通路抜けた先は広い空洞に出た。しかしそこに安置されているだろう模倣した大聖杯は、金と銀と銅が交じり合わずに形を成した巨大な西洋の杯で、その半分以上ががぐにゃぐにゃと折れ曲がり、柔らくなり交じり合うことなく溶けていた。その溶けて地面に広がる金属からは人型のようなモノが飛び出し、形の残った半分の杯に上半身を預けていた。
まず、間違いなく未完成の言葉で済ませていいものではないし、これで英霊をサーヴァントの枠組みに納めて召喚できるとは思えなかった。しかし、だからといって放置して帰るのは危険すぎる。このままこの模倣大聖杯が魔力を蓄え続けていったら最悪、望月家の地下異界を侵食する可能性がある。その可能性は僅かではないのだから始末が悪い。
しかし、望月志郎は遺書と呼べるものを書いてこの場にいる。英霊召喚に挑むために。正常に召喚できたのなら、しばらくは模倣大聖杯は魔力を蓄える時間を延ばせるはずだ。
失敗したのなら、祖父が造った保険が働いて空間ごと模倣大聖杯を潰して破壊するはずだ。当然、その空間の中にいる志郎は無事では済まないだろう。
不退転の覚悟は元より決まっていたのだ。
それは結局の所、当初の予定通りに英霊召喚をする事に他ならない。
先祖代々、血脈を広げながら掻き集めた貴重な歴史を無下にする程、望月志郎は外道でも親不孝でもない。自身の血を魔術で増血しながら、志郎は消去の中に退去、退去の陣を四つ刻んで召喚の陣で囲んだものを描き始めた。