アルコール度数四八のウヰスキーロック。
グラスに氷塊を一つ入れ、その上から琥珀色の液体をなみなみと注ぐ。
グラスに口付けると舌先にアルコールの苦みが広がって少しばかりの痺れを感じた。
液体が口の中を満たすにつれて芳醇な香りが嗅覚を刺激する。
しばらく舌先で液体を転がしてから喉に流し込めば苦みはない。適度なアルコールの心地よさがお腹にストンと落ちる。
眠る前の一杯の楽しみだ。
アメリカ合衆国東海岸。サブプライムローン問題に端を発した金融混乱と不況の渦中で、工場経営者カーター・テイラーが格安で購入した一軒家に住みついてから何年も経ていた。
カーターと妻のアンジェラ、一人娘のパトリシア。パトリシアは引っ込み思案で人付き合いが苦手。成績だけは良く、その点だけは、カーターや妻、一族の誰とも似ていなかった。
パトリシアはヒーローの代わりに
一度も親の言うことに逆らったことがなかったのだ。
にもかかわらず、卒業後は打って変わって活動的になり、瞬く間に軍へ奉職してしまった。
根が優しくて頑固で手先が器用で運動が苦手、可愛くて仕方の無かった娘。帰国して久しぶりに帰ってきたと思ったらボーイフレンドができたと告げて、カーターは喜ぶ反面娘を取られたショックでしょげかえってしまった。
妻アンジェラは夫の落胆をよそ目に、一人娘のボーイフレンドが期待以上にエリートで将来を嘱望される青年だったことに気を良くしていた。
娘は家に帰ると仕事の話をほとんど口にしなかった。当初は守秘義務に阻まれて自由に話ができないことに焦れていたが、長期間家を空けてはふらっと帰ってくるようになるや環境に適応したのだろう。不満を漏らすようなことがなくなった。
前回、つまり去年、帰ってきたときにはどうやら昇進したらしく、勲章と階級章、そしてケーキを片手にご近所さんとパーティをした。娘はエリート街道を歩んでいるらしく
偉大なるアメリカ。
栄光のアメリカ。
カーターの親族で軍人と言えば、叔父が湾岸戦争に従軍したくらいだ。その叔父を除けば、幸運にも、従軍経験はなかった。
妻アンジェラはと言えば、彼女が小さい頃近所に住んでいたモンゴメリじいさんの奥さんの甥っ子が第四四二連隊戦闘団に所属していてヨーロッパ戦線で戦死したこと、祖父が海軍の
アフガン、イラク。
これらはテレビの向こうの話だと認識していた。軍人の本分は人命救助である。カーターは勝手にそう考えていた。
ある日、娘が帰宅するなり、アンジェラに抱きついて声を上げて泣いていたことがある。
友達が殺された。
カーターは昔のニュースを思い出した。
白騎士事件が発生し、アメリカ太平洋艦隊が壊滅したあの日。図ったかのように動いた国があったのだ。三八度線を越境し、肥沃な農地を求めて南下した。
結果、地上から南韓が消滅してしまった。
統一してからずっと、赤い版図を広げるべく、隣国の国境を犯して久しい。国連治安支援部隊を投入してようやく膠着状態へと持ち込めたくらいだ。
そういえば、とカーターは思った。娘の友人の名は一時期有名になったはずだった。
日本人らしいきめ細やかな白い肌をした女性だと記憶していた。
娘は今自室で休んでいた。友人の死からかなり時間が経っていて、話題に上ることはほとんど無くなって久しい。
娘は時折、日本でのハイスクール時代の事を懐かしむように話す。毎年押し花のしおりを送ってくる英国人の話題や史上初の男性パイロットの話題、大けがで入院した時の話をすることが多かった。
娘が入院したときは大慌てで休暇を取り、パスポートを片手に初めて
IS学園への訪問を申請したら入国審査よりも厳重に荷物チェックを受け、生徒の保護者だと理解してもらえたかと思えば大量の誓約書を書かされた。ようやく学園の敷地を踏み、娘が入院する病院へ駆けつけることができた。妻の祖父を追いかけ回した
あの教師の名前は何と言っただろうか。
まだ娘は起きているはずだ。聞いてみようと思い、席を立った。
カーターは半分に減ったグラスを片手に、自室の扉を開け、二階の娘の部屋に向かった。ドアの隙間から明かりが漏れている。まだ起きているのだろうと思った。
控えめに扉をノックしてからしばらく待つ。だが、返事がない。
仕方なく隙間から様子を覗き込もうと考え、ドアノブをひねる。どうせ本とパソコンとISグッズしか置いていない部屋だからと、軽く考えていた。
「父さんだ。開けるよ」
ドアノブをひねって恐る恐る娘の部屋の扉を開ける。そのときカーターの耳に糸が切れたときのような微かな音がして、すべてが爆ぜた。
壁に強く背中を打ち付けてからどれだけの時が経ったのだろう。
鈍痛が走る全身の痛みに驚きながら頭を振って周囲の状況を確かめようとした。
目の前に座り込む背中が見える。見慣れた鳶色の髪に中年太りした身体。妻のアンジェラだった。
娘の部屋は黒く焦げていて瓦礫に埋もれていた。
ちょうどアフガン戦争の時に迫撃砲で破壊された住居のような惨状だった。
「パティ……パティ、よかった……無事だったのね」
アンジェラの前に娘がいるらしい。よかった。無事だったのか、とほっと一息ついて痛みに耐えながら立ち上がった。アンジェラの背中、その向こうにある物を目にする。いや目にしてしまった。
おお……神よ。
祈らずにはいられなかった。
現実を直視したくはなかった。
アンジェラが抱きかかえているのは娘だった。正確には
「パトリシア痛くなかった? ほら今手当てするからね」
カーターは叫ばずにはいられなかった。
「
アンジェラは娘の引きちぎれた上半身を抱きかかえている。内臓が飛び出し、あたり一面に肉片が散っている。
妻は未だ、娘の身に起きた出来事を理解できずにいる。
カーターは再び大声で怒鳴った。
「パトリシアはもう死んでしまったんだ!」
▽
最悪の目覚めだ。
パトリシアは毎晩のように見る悪夢に慣れっこになっていて、陰気な笑い声を上げながら寝ぼけ眼をこすっていた。
タンクトップにショーツというラフな格好のまま、ベッドから起き上がると冷蔵庫から作り置きのコーヒーを取り出し、マグカップに注ぎながら一口であおり、鏡に映る自分の顔を見た。
「いつもながらひどい」
自分の顔に対して感想を述べて、そして悪夢の原因について記憶をたどったら思い当たる節があった。
昨日実家に衛星電話を掛けた。
深夜物音がして目が覚めたらパトリシアの寝室が爆破されたという話。
妙に現実味があって、仲間内ならば、あるある、などと言って笑えない冗談に拍手をしてやる気になるのだが、身内にやれば精神疾患を疑われるだろう。
とはいえ
パトリシアの仕事場はアメリカ国内ではなく、海を渡った異国の地である。
俗に言う紛争地帯。国務省が退避勧告を発出していて、いかなる目的であっても渡航滞在を見合わせるように求めている場所だ。現地の人が普通に暮らしているが、本国の日常とはほど遠い。
パトリシアは仕事の詳しい役割について両親に話すことができずにいた。
「両親に
パトリシアは仲間から尊敬を受け賞賛されていた。勲章と階級章とケーキを片手に実家に凱旋したこともあった。
上官から表彰状をもらったことが幾度もあった。
休暇を取る度に実家に帰るのは、両親に心配を掛けまいと本当のことを言わない罪悪感のためだ。爆弾処理をする、しないにかかわらず前線にいるので結局心配を掛けてしまう。衛星電話で話すたびに基地での生活で困っていることはないか、危ないことはないかと聞かれた。心配するのは親なら当たり前だ。
地球の裏側にいるはずの恋人には呆れられた。時々彼はこう言った。
「僕と仕事、どっちが大事なんだ!」
パトリシアにとってどちらも大事だ。どちらも失いたくなかった。
舌なめずりして、彼との情事を思い出す。
口づけして舌を絡め、強く抱き合ってお腹で彼を受け入れる。腰から沸き起こる快感で頭の中がとろけそうになる位、濃厚な時間だ。彼を
パトリシアは過労気味でカウンセラーからもっと休暇を取るように勧められていた。
要するに気分転換が下手なのだ。
ストレスは解放される気配がないのでそのうち本当に精神を病みかねない。彼と結婚して、本とパソコンが友達だったあの頃のように退屈な日常に生を求めるべきなのだろうか。
任期が終わり、本国に戻って再志願して舞い戻る。繰り返していくうちに基地が居場所になっている事に気付いていた。
パトリシアと同じ事を考えて危険な前線に舞い戻る兵士は少なくない。長く前線にいたためか、基地にいる兵士を家族のように感じていた。カウンセラーから危険依存症だと注意を受けていたが、簡単に止められるものではなかった。
パトリシアは、ISに夢中だった昔はこんな風ではなかったと感じていた。
愚かな自分は、両親に心配を掛けることをもっとも恐れていたはずなのに、と。
時間が作れるようになってきたので、相川さんが終わったら、佐倉桜とかと並行して完結させようと思ってます。
この話は七割書き終わっています。
5年くらい前の文章ということもあり、とんでもなく下手くそです。
何かありましたら感想欄にどうぞ。