支配人はかりそめの顔   作:Kohya S.

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12. イベントを終えて

「あの、もしかして小原鞠莉さんですか?」

 

 残り三十分を切ったころ。いきなり名前を呼ばれて私はドキリとする。振り返ると中学生くらいの女の子が私を見つめていた。

 

「ええ、そうよ」

 

 にこっと微笑む。女の子はぱっと顔を明るくした。

 

「わあっ、やっぱり。沼津で金髪で、どこかで見たことがあるな、って思ったんです。その髪型が決め手でした!」

「あら、ありがとう」

 

 思わぬところで役に立ったわね、と思う。

 

「この前の予備予選、とっても素敵でした。それに学校説明会の動画も見ました!」

 

 きらきらと顔を輝かせる彼女。

 沼津の外で、いやほかならぬ東京で、こんなことをいわれるなんて。私は胸が熱くなる。

 

「今日はAqoursでイベントのお手伝いですか?」

「全員じゃなくて、私ひとりだけどね」

「いえ、私、鞠莉さんのファンですから!」

 

 それはありがたいことだ。

 

「あ、すみません。よかったらサイン、してもらえますか」

 

 彼女は鞄からルーズリーフを取り出し、ペンと共に差し出す。

 

「もちろん、ノープロブレムよ!」

 

 私は受け取ってサインした。

 

「ありがとうございます。宝物にします。Aqours、がんばってください!」

「ありがとう。今度、ぜひ沼津にも遊びに来てちょうだい」

 

 私は手を振って彼女を見送った。

 

 ふと、私は視線を感じる。

 

「結構人気なんだな」

「まだまだだけどね」

 

 それでも多少は私のことを、Aqoursのことを見直す――今どう考えているかわからないので見直すというのも変だけれど、印象が変わっただろうか。

 

「そのサイン、やっぱり練習したのか?」

「……あなたに関係ないでしょ?」

 

 あんまりな質問に私はがっくりくる。

 

「いや、妙に上手(うま)いしさ」

「……練習したわよ!」

 

 私は秦野に背を向けた。

 うしろで、やっぱりそうか、とつぶやくのが聞こえた。

 

        ・

 

 そのあとはなにごともなく、イベントは終了時刻を迎えた。

 もう一度スタッフ全員が集まり、(ねぎら)いの言葉が掛けられた。私たち応援要員はここで帰っていいらしい。

 

「ブースの撤収のあと打ち上げがありますんで、ヘルプに来たみなさんもよかったらご参加ください」

 

 最後に責任者はそう話した。

 

「おふたりはどうされます?」

 

 今日一日ですっかり打ち解けた、隣の南伊豆の人が聞く。

 私は秦野と視線を交わした。

 もちろん参加しても構わないけれど、まわりは私よりずっと年上でほとんどが知らない人だ。あまり楽しめそうにない。

 そんな気持ちは彼にも通じたのだろう。

 

「いえ、明日の予定もありますので、遠慮しておきます」

 

 彼は心底、残念そうに答えた。

 

 片づけが始まる。へんに手伝っても邪魔になるだけだろう。私たちは控室に戻った。

 途中、関係者に女子更衣室の場所を聞いておいたので、私はそこに行って着替えた。法被(はっぴ)とTシャツ、それにIDカードを返す。

 

 すべてを終えて複合施設の外に出たときには、すっかり暗くなっていた。

 

「正直、疲れたな」

「ええ、本当に」

 

 うんざりしたという様子の秦野。気持ちはわかる。考えていたのとはまるで違ったし、脚も棒のようだ。

 でも私はそれなりに楽しかった。そう、まるで文化祭みたいで。

 

「まったく、あらかじめもうすこし話してくれれば、準備したのにな」

「そうね。……でも、準備ってなによ?」

「いわれてみれば、特にないな。沼津のご当地Tシャツとかか?」

「むしろ内浦でもいいわね」

 

 まったく、といって秦野は乾いた笑い声を漏らす。

 

「……なにか食べてから帰るか?」

「いいわよ」

 

 どこでもいいか、と聞く彼に私はうなずいた。

 彼はすぐに歩き出した。どこへ行くのだろう。状況を無視して考えれば、食事のお誘いだ。

 私はほんのすこしだけ、わくわくしていることに気づいた。

 

 途中、私も名前を知っている超有名ホテルの前を通り、私は道路からロビーを観察する。吹き抜けにシャンデリアが輝いているのが見えた。

 秦野は見向きもせず通過して次の角を曲がる。

 

「ここでいいか?」

「……いいけど」

 

 彼が立ち止まったのは沼津でもおなじみの某ファミレスチェーン店だった。どこでも構わなかったし、ファミレス自体は(Aqoursを始めてみんなと行くようになって)むしろ好きだけれど、さすがにジト目で彼を見てしまう。

 彼は気にもせず扉を開けて先に私を通してくれた。

 

 席について、ふうっと息を吐く秦野。続いて店員が持ってきたおしぼりで顔を()いた。

 

「おじさんっぽいわね」

「余計なお世話だよ」

「ここにはよく来るの?」

 

 私は声色(こわいろ)にすこしの嫌味を込めて聞いた。

 

「まあな。近くに本社があるし」

 

 彼は私の顔を見て続ける。

 

「へんなところより落ち着くんだよ。ほい」

 

 彼はメニューを私にくれた。私はお気に入りのメニューを選ぶ。

 

「決まったわよ」

「了解。飲み物は?」

 

 入れ替わりに彼は今度はドリンクメニューを寄越した。私は選ぼうとして、選択肢がないことに気づく。

 

「私、未成年なんだけど」

「おっと、すまん」

 

 アルコールのメニューを裏返す秦野。裏面のソフトドリンクから私は無難にアイスコーヒーにする。

 

「こっちも決まったわ」

「わかった」

 

 彼が店員を呼び私たちはそれぞれ注文をした。

 

「アルコールにしなかったのね」

「ああ、今日は()めとく」

 

 それにしても、彼が私にアルコールのメニューを渡したのは、気が利かないだけなのだろうか。それともいつも――大人の誰かと一緒なのだろうか。もしかして、私が高校生だということを忘れていたのだろうか。

 

 私は秦野をじっと見つめる。

 不思議そうに見返す彼の顔からはなにもわからなかった。直接聞くわけにも、いかなかった。

 

 ハンバーグステーキは美味しかった。もちろんオハラ淡島とは比べるべくもない。それでもコストパフォーマンスは驚異的だ。

 

「ごちそうさま」

 

 秦野は私の様子を見て、ぼそぼそと「ごちそうさま」といった。

 

 店員が空いた皿を片付けていくと、(さえぎ)るものがなくなった私と彼の距離がすこし縮まった気がした。

 

        ・

 

 他愛ない雑談をいくつかしてから私は今日のことを話題に出す。

 

「さすがに勉強してるのね、秦野さん」

「ん? 昼間のことか?」

「ええ。沼津についてずいぶん詳しいじゃない」

「ま、誰かさんと違ってな」

 

 む。私だってかなり努力したのだ。それはまだ、彼ほどでないとしても。

 

「……といいたいところだけど、小原さんも結構、しっかり答えてたと思うぜ」

「あら」

 

 意外な言葉だ。

 

「ありがとう」

 

 私がいうと彼は知らんぷりして飲み物(やはりコーヒーだった)を口にした。

 

「そういえば、最後のほうでサイン、書いてたな」

「ええ、いっぱい練習したやつをね」

 

 彼は私の当てこすりを無視する。

 

「スクールアイドルってさ、小原さんのライブを見るまで、全然知らなかったんだけど」

 

 私のライブというよりもAqoursのライブだが。私はうなずいて続きを(うなが)す。

 

「意外に人気なんだな」

「意外ってなによ。まさかファンの子がいるなんて思わなかったわけ?」

「いや、そうじゃなくて、予備予選の動画も見たんだけど」

「見たの?」

 

 あの「MY舞☆TONIGHT」のライブを。ミニスカートでなくてスパッツだけれど。露出はむしろ多いくらいで――。

 

「ああ、見た見た。再生数もすごいしさ、こういう世界もあるんだなって……。ん、どうかしたか?」

「どうもしないわよ」

 

 私は赤くなった顔を隠すためにコーヒーを飲む。いつの間にかすっかりぬるくなっていた。

 

「曲もダンスも素人とは思えないし。わりと真面目に感心した」

「それは、その、ありがと」

 

 いつになく彼の表情、口調に感情がこもっていると私は感じた。

 きっと私たちのやっていることは伝わる。そう信じていたけれどやっぱり嬉しかった。

 

 ほかの動画は見たのだろうか。どの曲が良かっただろうか。そして、誰が――。もっと聞きたかったけれど、これ以上は恥ずかしい。私は露骨に話題を変える。

 

「あなたの受けた取材の記事、読んだわよ」

「ああ、読んだのか」

 

 彼はそれ以上、話を広げようとしなかった。

 

「反応、薄いわね」

「だって、なにを話せっていうんだよ」

「ちょっと感心したのよ。自分のところの宣伝だけじゃなくて、きっちり問題意識を持っていて」

「おう、そりゃどうも」

 

 彼が「なんか気持ち悪いな」というのを私は聞き逃さなかった。

 

 それから内浦のことやホテルのこと(ロイヤルアルダーの細かいことは彼は話さなかったし、私もオハラ淡島については注意深く避けた)をしばらく話した。

 ふたつのグラスが両方とも空になったころ。

 

「そろそろ出るか。帰り、遅くなるし」

「そうね」

 

 会計はきっちり、ふたりとも自分の分を払った。

 

        ・

 

 新幹線の自由席は行楽帰りの観光客が多いのだろう、行きよりも混んでいて、私たちは隣同志で座った。

 東京を出て早々、秦野は椅子を倒して寝てしまい、私は窓の外をぼんやりと眺めた。

 

 建物の明かりがいくつも流れていく。

 私は二年前、東京のスクールアイドルのイベントから帰ってきたときのことを思い出した。あのときは普通列車で、あの日を最後に私たちはスクールアイドルではなくなったのだ。もう二度とやらないだろう、そう思ったのに、今はふたたびスクールアイドルをしている。不思議な運命だった。

 

 ただ、二年前と共通していることもある。Aqoursが存続の瀬戸際だということだ。浦の星女学院が廃校になればAqoursは自然に消滅する。

 入学希望者は五十人を超えた。しかし、もうひとつの条件は。

 

 私はちらりと隣を見る。秦野は眠っていた。その表情はいつもよりずっと幼い印象だった。

 あのホテルが再開しなければ、彼がいなければ、もうすこし現状は違ったのだろうか。

 

 気配を察したのか彼が身じろぎする。

 

「ん、もうすぐ着くのか?」

「まだ小田原を出たところ」

「着いたら起こしてくれ」

 

 そのあともしばらく、私は彼の顔を眺めていた。

 

 三島への到着を知らせる車内アナウンスが流れ私は彼を起こした。

 

 三島駅のホームは東京よりずっと、寒い気がした。ここから東海道線へ乗り換えてすぐに沼津だ。

 地下の通路から東海道線のホームへ(あが)ろうとする私を、彼が呼び止める。

 

「おい、沼津に用事でもあるのか?」

「いえ、内浦に帰るだけよ」

「それじゃ、乗せてってやるよ」

 

 私は沼津駅までオハラ淡島の誰かに迎えに来てもらうつもりだった。秦野は三島で迎えてもらうことにしたのだろう。

 

「あなたのホテルの車に乗るのは、あまり気が進まないわ」

 

 仮にもライバルホテルだ。それは秦野とはすこし会話するようになったけれど。

 

「は? なんか勘違いしてないか。俺の車だけど」

 

 彼の車。私も免許を取る予定だし(夏休みから教習所に通っている)、社会人なら車くらい持っていて当然だ。

 しかし――仮にも年頃の女性を、いきなり誘うのはどうだろうか。

 

「どうする?」

 

 秦野が繰り返す。笑うでもなく静かな表情で事務的な口調で、でもむしろそれは私を安心させた。

 夜にわざわざホテルの車を出してもらうのに、気が引けることも事実だ。

 私は内心の動揺(どうよう)を押し殺して事務的に答える。

 

「それじゃ、お言葉に甘えていいかしら」

 

 秦野は無言でうなずき改札へ向かった。

 

 南口を出てすぐ近くのコインパーキングに秦野の車は止められていた。黒い国産車だ。

 

「どうぞ」

 

 秦野がロックを解除したので私は後部座席のドアを開ける(さすがにドアを開けてもらうのを待つほど非常識ではない)。

 

「あら?」

 

 座席には段ボール箱や丸めた紙筒などが雑然と置かれていた。

 

「あー、営業車も兼用だからな。助手席にしてくれ」

「わかったわ」

 

 私はいわれた通りにする。

 私がシートベルトを締めたのを確認して秦野は車を出した。

 

「ほんと、お嬢さまなんだな」

 

 声に面白がる気配が混じっている。

 

「えっ、どういうこと」

「普通、助手席だろ」

 

 そんなものなのだろうか。わからなかった。

 ダイヤにあとで聞いてみようかと思ったけれど、こればかりはきっとダイヤの意見は参考にならない気がした。

 

 国道に出る。夜の道は()いていて車は信号にも引っかからずに流れるように走った。

 

「Aqoursの動画、全部見たわけじゃないけどさ」

 

 唐突(とうとつ)に秦野が口を開く。

 

「ええ」

 

 相槌(あいづち)を打つ私に彼は前を向いたまま続けた。

 

「相当、練習してるだろ。あれだけのパフォーマンスをやるの」

「そうね。まあ、お世辞にも楽とはいえないわね」

 

 だろうな、と秦野はうなずいた。

 

「ホテルの経営に理事長。オハラグループのご令嬢、っていうのも大変だな」

「あら、私は結構、楽しんでいるつもりよ」

「そうか? まあ、そうなのかもな」

「それはもちろん、大変なこともあるわ。でも、私にしかできないことがあるから」

「ふうん」

 

 それきり彼は黙り込む。

 

 彼の横顔を見ながら思う。私も聞いてみようか。彼と秦野不動産の関係を。もしかしたら私と似たような立場なのかも。

 

 いや。

 

 私は彼に、ひとりの女性として見てもらえたのが嬉しかったのだ。

 

 私は別に、オハラグループとの関係を秘密にはしていない。すこし調べれば――内浦の誰かに聞けばすぐにわかる。でも可能ならオハラグループとは切り離して評価されたいと思う。

 スクールアイドルは、まさにそれが(かな)う場所だった(だからこそママは、私を止めさせたいのかもしれない)。

 

 それなのに私は彼をわざわざ色眼鏡で見ようというのか。

 

 私は視線を前に戻す。

 そのとき彼が、ぽつりともらした。

 

「まあ、小原さんはよくやってると思うぜ」

「……ありがと」

 

 簡素な言葉だけれど、嬉しかった。

 

「それに、Aqoursで一番、小原さんが……」

「私が、なあに?」

「すまん、これは個人的なことだ」

 

 彼はふたたび口をつぐみ、今度はずっとなにもいわなかった。

 

 彼はなにをいいかけたのだろう。考えてみても、わからなかった。聞きたかったけれど、聞けなかった。

 

 それでも今日一日で彼のことがずいぶんわかったと思う。人当たりはいいがどうやらそれは彼一流の演技で、本当の彼は――自信家でふてぶてしく、言葉(づか)いも悪ければ(はす)(かま)えたところもある男だった。

 ただそれも一面の真実でしかなくて、真面目で努力家で誠実なところだってある。そんな気がした。

 そしてそんな彼だからこそAqoursへの、私への一言(ひとこと)が嬉しかった。

 

 いつの間にか車は見覚えのあるところを走っていた。右手に黒々とした内浦の海が広がる。

 

「そろそろだぜ」

 

 私はうなずいた。

 もうすこし会話を続けたい。なぜかそう思った。

 

 淡島への船着き場の駐車場に、車は止まる。

 

「どうもありがとう。送ってくれて」

 

 彼は肩をすくめた。

 私がドアを閉めると車は県道に出て、すぐに見えなくなった。

 

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