支配人はかりそめの顔   作:Kohya S.

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2. 支配人就任

 そのあとの練習はまったく身が入らなかった。二回もダイヤとぶつかりそうになり、そのたびに彼女は心配そうな顔をした。

 

 練習を終え、練習着から制服に着替えて施設を出た。冷たい雨の夜で私たちは傘を開いて歩いた。

 施設は沼津駅の北側にあって、内浦へのバス乗り場は南口。駅には連絡通路がないのでぐるっと遠回りする必要がある。

 私はパパからの電話を反芻(はんすう)しながらみんなの最後尾をついていった。

 

 厳しい条件が出たとはいえ、廃校がひとまず先送りされたのは喜ぶべきだろう。ただ、前途は多難だ。

 ホテルに戻ったら支配人の樫村さんに話を聞こう。ただこの時刻だと――もう八時近い――すでに帰っているかも。そうしたら明日になるけれど、なるべく早く話をしたほうがいい。

 

 沼津駅の西側で、道路は半地下のように深くなり線路の鉄橋(あまねガードと呼ばれている)をくぐる。私たちは傘を閉じた。

 車の音が鉄橋や壁に反射して、ごうごうと鳴っていた。

 

 ダイヤが歩く速さを落とし、私のすぐ隣まで来て口を開く。

 

「鞠莉さん」

 

 前を行くみんなに聞かれないくらいの声だ。

 

「もしかして、いよいよ廃校が決まったのですか?」

 

 車道からヘッドライトが反射して彼女の不安そうな顔を照らす。

 私は心の中をあわてて整理する。

 

「いいえ、違うわ」

 

 みんなにちらっと目をやってから、ダイヤに話した。

 

「パパからの電話なのはその通りだけど……学院の存続について、新しい条件が出たのよ」

「そうでしたか」

 

 ダイヤは一瞬顔を(やわ)らげるが、それはすぐに消える。

 

「鞠莉さんの様子を見ると、相当難しい条件のようですわね」

「ええ、そうね。そういわざるを得ないわ。年末までに、百人の入学希望者を集めること」

「百人……いまの十倍ですか」

 

 私はうなずいた。ホテルの経営の件は伏せておく。

 ダイヤは意外なことに、にこりと笑った。

 

「ありがとうございます、鞠莉さん。話をまとめてくださって」

「お礼をいわれるほどじゃないわ。こんなに厳しい条件なんだから」

 

 学校説明会が中止になり、千歌に詰め寄られたときのことを思い出す。

 

「でも、希望は(つな)がりました。鞠莉さんだって、諦めているとは思えませんわ」

「それは、もちろんよ」

 

 私も笑みを返した。

 

「電話のあと、すぐに皆さんに話せばよかったのに」

「それは……みんながやる気をなくさないか、不安だったのよ」

「それでしたら、鞠莉さんや(わたくし)と同じく、心配は無用です」

「みたいね。明日、話すわ」

 

 それがいい、というようにダイヤはうなずき、続ける。

 

「この前のこともありましたから、どうせもうすこし交渉しよう、そんなことを考えていたのでしょう?」

「……ダイヤには隠しておけないわね」

 

 そうしておくのが良さそうだった。

 

「ええ、そうですとも。私、もう遠慮はしないと決めたのですから」

 

 ダイヤは胸を張ってみせる。二年前のことを話しているのだ。

 

 遠慮をしているのは私のほう。胸が、ちくりと痛んだ。

 

        ・

 

 淡島のバス停で果南と一緒に降りた。私は彼女になにか聞かれないように、他愛(たあい)ない雑談をしながら連絡船に乗る。

 

 オハラグループ、ホテル淡島。七階建て、全六十室のリゾートホテル。水滴の落ちてくる黒い空を背景に、客室の窓の明かりが輝いている。

 朝、昼、夜。春夏秋冬。何度も目にした光景なのに、今日はいつもと違って見えた。

 

 連絡船の桟橋(さんばし)で果南と別れ、私はいつものようにホテルの通用口へ回る。

 ただし今日はそのままエレベーターで最上階へ行くのではなく、従業員用の廊下を通りフロントのほうへ向かった。

 樫村さんがいてくれれば良いのだけれど。

 

「失礼します」

 

 そう思いながらフロントの裏にある事務室へ顔を出す。

 

「お嬢様」

 

 ひとりで室内にいた中年の男性が、私に気づいて腰を上げた。

 

「こちらにおいでになるのは、珍しいですね」

「おひさしぶりです、佐々木さん」

 

 佐々木さんは樫村さんほどではないものの、やはり勤務は長い。今日のナイトマネージャーだろう。館内で会えば挨拶はするが、直接話したことはあまりない。

 

「申し訳ありませんが、樫村はさきほど帰らせていただきました」

「あら、どうして……」

 

 私の用件を知っているのだろう。

 

「お嬢様がいらっしゃるかもしれない、と樫村が。明日の夕方にお待ちしている、とのことでした」

 

 もうすでにパパから樫村さんには連絡が来ている、ということだ。ただ、この様子だと佐々木さんはまだ知らないらしい。

 

「ありがとう」

 

 明日の練習は休むしかなさそうだった。

 

        ・

 

 翌日の昼休み、私はAqoursのみんなに新しい条件の最初のひとつについて話した(ダイヤは初めて聞いたというような顔をしてくれた)。百人という高いハードルにも、みんなは(おく)することはなかった。それどころか具体的な目標ができて、むしろやる気が生まれたようだった。

 

 放課後、練習に行くみんなと同じバスに乗る。学校説明会のこと、ラブライブの予選のこと。話は(はず)んでいたけれど、私はこの先に待ち受けることが気になって、ひとり車窓を眺めていた。

 

「あれは……」

 

 私はつぶやく。信号のある交差点でバスが大きく左折した先。長浜城(ながはまじょう)(あと)の手前、左手、道路と海のあいだがすこし開けているところ。そこにある五階建てくらいの建物の周りに足場が組まれているのが見えた。

 少なくとも昨日までは、白いビルが建っているだけだったと思う。

 

 バス停にバスが止まる。

 県道を走ってきた「黒澤設備」と車体(わき)に書かれたトラックが建物の駐車場へ入っていった。

 建物のことなど、普段(ふだん)なら気にもしないのに、今日に限ってなんとなく気になった。

 

 ダイヤになにか知っているか聞こうとしたが、あいにく彼女は果南と話していた。

 そのまま機会は(おとず)れず、私は淡島で降りた。

 

        ・

 

 いったん部屋に戻り荷物を置いてから事務室へ向かう。ちょっと迷ったけれど制服は着たままにした。

 

 今日の事務室には何人かのスタッフがいて、失礼します、と入った私に視線が集まった。これから彼らと一緒に仕事をするかもしれない。そう思って私は精一杯の笑顔を浮かべる。

 

 一番奥の席にいた樫村さんが私のところへ来て、一礼した。

 

「お嬢様」

 

 私がなにかいう前に樫村さんは続ける。

 

「どうぞこちらへ」

 

 いったん部屋を出て案内されたのは事務室の隣の小さな会議室だった。(うなが)されて私は適当な椅子を選んだ。樫村さんも対面に座る。

 樫村さんは初老の男性で、いかにもホテルマンといった黒いスーツ姿だ。柔和(にゅうわ)な雰囲気は私が幼かったころから変わっていないが、ふと頭髪にかなり白いものが混じっていることに気づいた。

 

「すみません、お時間をとっていただいて」と私。

「いえ、こちらこそ、昨日はお会いできず申し訳ありません」

「たぶん、パパから話を聞いていると思うのだけれど……」

「はい、(うかが)っております」

 

 微笑む樫村さん。

 

「大変なことになりましたね、お嬢様」

「そうね。それは間違いないわね」

「私どもホテル従業員一同、協力させていただきます」

 

 樫村さんは頭を下げた。

 笑顔とその言葉で私はいくぶん、気が楽になる。

 

「ありがとう。でも、ホテルを経営するといっても……私はなにをやればいいのかしら。聞かせてもらえる?」

「お父上からは、あまり具体的な話はありませんでした。ただ、お嬢様を運営に関わらせてほしい、今回の件で業績に影響があったとしてもお父上が責任を取る、と」

「パパが責任? うまくいかないことが前提、ってこと?」

 

 もしそうだとしたら、ずいぶん甘く見られたものだ。

 ただ樫村さんは首を振る。

 

「いえ、そうではないでしょう。むしろ、お嬢様や私どもを心配してくださったのだと思いますよ。これからお嬢様が副支配人になって、売り上げが伸びるどうか、わかりません」

 

 それはその通りだ。

 

「もし下がったときにお嬢様や私どもが、たとえばオハラグループのほかのホテルから責められたりする。そういったことを危惧(きぐ)されているのでしょう」

「なるほどね……」

「そういうことでしたので、佐々木たちとも相談して、ある程度こちらで検討させていただきました」

 

 樫村さんはどこからか数枚の書類を取り出して私の前に置いた。

 

「まず、週に一度、定例の連絡会があります。各部署のマネージャが出席しますので、まずはこれに参加していただきたいと思います」

「それは構わないけれど……時間は、大丈夫かしら」

「これは夜、あまり遅くない時間ですので、練習をすこし早めに切り上げていただければ大丈夫かと」

「わかったわ」

「次に、営業戦略の打合せがあります。こちらの時間は、お嬢様のご予定にあわせることが可能です。この打合せでは……」

 

 そんな調子で樫村さんは私が出席するいくつかの会議、読んで決裁(けっさい)する書類などを説明した。

 

「思ったよりも大変そうね」

 

 ふう、と私は思わず吐息(といき)()らす。

 やるべきことが具体的になってきて、それとともに不安も大きくなる。私に(つと)まるのだろうか。それもスクールアイドルと理事長の兼任で。

 

「経営に関わる、ということですと、最低限このくらいになりますね」

 

 樫村さんはそういってから同情するように続けた。

 

「もしよろしければ、お時間のあるときにだけご参加いただく形でも、私どもは構いません」

「それは、どういうこと?」

「お嬢様はお忙しいかと思いますので、ホテルの通常の運営は、引き続き私どもがやらせていただきます」

「つまり、私は名前だけ、ってことね」

 

 彼は否定も肯定もしなかった。

 きっとパパにもそれらしいことを伝えてくれるのだろう。それで済むなら正直、ありがたい。

 ただ今回は、最近低迷しているという売り上げの条件がある。

 私が沈黙していると樫村さんは話した。

 

「売り上げの点については、スタッフ一同、全力を尽くす所存です」

 

 樫村さんは深く頭を下げた。私はあわてて話す。

 

「いいえ、その心配はしていないわ。申し出は正直、とても魅力的。きっと私が口を出すよりもよほどうまくいくと思う。でも、それじゃ意味がないと思うの」

 

 自分が関わったなら失敗しても納得できる。でも任せきりでそうなったら、私は自分自身を許せないだろう。

 

「だから、やるだけやってみるわ」

「お嬢様……」

 

 樫村さんはうなずいた。

 

「わかりました。スタッフにはお嬢様の件はすでに伝えてあります。まずは次の連絡会でみなに紹介しましょう」

「よろしくお願いします」

 

 私は一礼して続ける。

 

「でも、私が副支配人なんて、みなさんに受け入れてもらえるのかしら?」

 

 最大の不安といってもよかった。売り上げうんぬんも、それが大前提になる。

 

「その心配はないと思いますよ。お嬢様はご存じないでしょうね」

「えっ、なにを?」

「ご自身が私どもにどう思われているか、ですよ」

 

 樫村さんは面白そうに微笑んだ。

 親の七光(ななひか)りで最上階に住んでいる生意気な娘だ、くらいに思われているのだろうか。怖くて聞けなかった。

 

 最後に連絡会の日時を教えてもらい私は席を立った。細かいことはそのときに佐々木さんから伝えると、樫村さんは話した。

 壁の時計はもう十時近い。

 

 部屋を出る直前、私は彼にお願いする。

 

「あの、支配人。私のことを『お嬢様』と呼ぶのは、()めていただけますか。その、支配人の(もと)で働くことになるわけですから」

 

 今、どう思われているかはともかく、少なくともこれからは(えり)を正していけるだろう、と思う。仮にも私は副支配人なのだから。

 

「ああ、たしかに。スタッフの手前もありますね」

 

 心なしか嬉しそうな彼。

 

小原(おはら)さん、だと混乱しますから……鞠莉さん、でよろしいですか?」

「ええ、それでお願いします、支配人」

「それなら私からも。どうぞ私のことは、樫村とお呼びください。オハラグループには、役職で人を呼ぶ習慣はありませんから」

「わかりました、樫村さん」

 

 彼はうなずいた。本当なら彼には敬語も()めてほしいところだが、そちらは難しそうな気がした。

 

        ・

 

 翌日の放課後。車窓から昨日の建物を確認すると、今日は足場にぐるりと青い布が張られ、建物全体が幕で(おお)われたようになっていた。

 気になった私は隣の席のダイヤに話す。

 

「ねえダイヤ、あそこのビルだけれど」

「ええ、そういえばいつもと様子が違いますね」

 

 ダイヤはなぜ私がそんなことを聞くのか、といった風情(ふぜい)だ。

 

「あそこ、なにがあったかしら」

「ああ、鞠莉さんはご存じないかもしれませんね。一昨年、ホテルが開業したのです。たしか、東京のホテルチェーンのものでしたでしょうか……」

「私が留学したあとね」

「ええ。でも、理由はわかりませんが、今年の春に、いったん営業休止したはずです」

 

 ホテル業はそれだけ厳しい、ということだろうか。

 

「もしかして、ホテルを再開するとか?」

「さあ、それはどうでしょう。なにか別の用途かもしれません」

 

 ダイヤはもうずっと、うしろになってしまった建物のほうを見てから、私に視線を戻して面白そうに話す。

 

「ホテルオハラの経営者として、気になりますか、鞠莉さん?」

 

 私はドキリとする。具体的な経営のことではなく、私の家族のこと、つまりオハラグループのことを冗談めかしていっただけだ、ということにはすぐに気づいた。

 でも、私は完全に否定することも肯定することもできず、曖昧(あいまい)に答える。

 

「そんなことはないけど……。昨日、『黒澤設備』って書いた車が見えたから、ダイヤなら知っているかしら、と思っただけ」

「さすがにわかりませんわ」

「そうよね、ソーリー、変なことを聞いちゃって」

 

 ダイヤは微笑み、うなずいた。

 

 それきりだと思っていたのに、ダイヤは律儀(りちぎ)だった。さらに翌日、学院の理事長室で彼女と話していたとき、いま思い出したというように付け加えたのだ。

 

「そういえば、鞠莉さんが気にしていた昨日の建物ですが。お父さまに聞きました」

「あら、なにかわかったの?」

「はい。やはりホテルが営業再開するとのことでした。鞠莉さんの予想通りですわね」

 

 ダイヤの言葉にふたたび私は動揺する。なんとかそれを押し殺して彼女に笑顔を向けた。

 

「サンキュー、ダイヤ。わざわざ」

「どういたしまして」

 

 ダイヤは微笑を残して理事長室を出ていった。

 

 ホテルの営業再開。どうなのだろう。売り上げにとってプラスになるのかマイナスになるのか、わからない――でも、プラスになる、ということはあまりなさそうな気がした。

 

 そしてこれは、ただの偶然なのだろうか。

 ママはもしかしてこれを知っていて、廃校回避の条件にしたのではないだろうか。売り上げが下向くであろうことを予測して――。そしてパパは、知らなかったのかもしれない。

 

 逆のことも考えられた。去年まで営業していたホテルが休止している。今年は去年よりも売り上げは確保しやすいだろう。そう考えて、ママが――またはパパが、条件にしてくれたのかもしれなかった。実際には営業を再開することになったのだけれど。

 

 いずれにしても私にとって厳しい状態になったことだけは、間違いなさそうだった。

 

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