メンバーの同意を取り付けて私は本格的にライブの企画を練り始めた。
秦野からUSBメモリでもらった資料。受け取ったその日にざっと確認していたけれど、改めてじっくりと読むと「あとで必要になる」と彼が話した理由がよくわかった。
メモリにはあのとき紙で見たプレゼンの資料だけではなくて、企画に必要な数値やタスク、スケジュールなどがいくつかのファイルにきちんと整理されていた。
以前スイーツビュッフェの企画を苦心して作ったからこそ、これだけまとめることの難しさはよくわかる。
これを参考にすれば思ったよりもずっと早く提案できるだろう。
私は彼に感謝しながら、それでも自分なりに
・
「……大いに貢献することでしょう。……よし、できた!」
翌日の夜遅く。PCに向かっていた私は最後の一文を打ち終えた。
かなり遅くなってしまったけれど明日は土曜日だ。朝には樫村さんとアポイントがあるが、そのあとAqoursの練習まですこし昼寝してもいい。
「さて、と」
私は注意深くファイルを保存した。ここで消えてしまったら目も当てられない。
ウィンドウを閉じ、もうひとつ参照用に開いていた秦野のファイルを閉じようとして、口元を
最終ページのメモ欄。資料には印刷されないその欄に、
「いわれなくても、がんばるわよ」
なにもこんなところに書かなくてもいいのに。面と向かっていってくれれば、そのほうが嬉しいのに。
でも、そうしたら私は――さっきの
「ありがとう、秦野さん」
私は声に出してつぶやいた。
なぜか、恥ずかしかった。
・
翌朝、私はこざっぱりした私服に着替えた(制服もスーツもおかしい気がした)。チェックアウトで
「おはようございます」
すっかり顔見知りになったスタッフが「おはようございます」と返してくれた。ひとりが樫村さんに声を掛ける。
樫村さんと私は隣の小会議室へ移った。
「鞠莉さんから話を聞くのを楽しみにしていました」
樫村さんは笑顔でそういいながら私のために椅子を引く。
「ありがとうございます」
私は両方にお礼をいう。できれば
「どこまで書けているか、不安です」
「いえ、前回の企画もなかなかでしたよ」
私がPCをプロジェクターに
私はあらかじめ練習した流れに
なんとか説明を終えると、樫村さんは大きくうなずいた。
「いいですね。このまま戦略会議に出しても大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
「はい。前のときよりもぐっと詳細で、かつわかりやすくなっています」
樫村さんはにこっと笑い私は緊張を
「ロイヤルアルダーのほうには、話を
「はい、もしやるなら協力してもらえる、と。まだなにも、決まってはいませんが」
というか、本当は向こうから持ち掛けられたのだけれど。
「それなら問題なさそうです。……これは、鞠莉さんがすべて自分で?」
樫村さんはきらっと目を輝かせる。
「実は
「そうでしたか」
樫村さんはうなずいた。
「ただ企画そのものはオハラ淡島の事情に合わせて私がまとめたので……もし不備があれば、私のせいです」
「不備は、もしあったならこれからみなで直していけばいいのですよ。もっとも、それほど多くないと思いますが」
私たちはそれからしばらく話し合い、私のほうで細部を修正してから次の戦略会議に出すことになった。
プロジェクターの電源を切り、部屋が明るくなったところで樫村さんが話す。
「よいパートナーと知り合えたようですね」
「パートナー?」
樫村さんの顔は楽しそうだ。
「はい、ビジネスパートナーですよ」
そういわれて気づく。秦野のことをいっているのだ。
「ええと……あの、はい、内浦の旅館は助け合う立場だと
樫村さんは微笑みながらドアを開けてくれた。
・
翌週の戦略会議で私のAqoursのライブ企画案は承認された。
樫村さんとの話で、きっと間違いない、そう思っていたけれど、なんとかひとつの山を越えたと思う。嬉しさよりも
会議のあと、樫村さんと佐々木さんと私は会議室に残る。
早く秦野に、Aqoursのみんなに報告したかったけれど、もうすこしだけ決めることがあった。
「ロイヤルアルダーと企画を打ち合わせる必要がありますね」と佐々木さん。「いったん軌道に乗れば担当者同士で十分ですが、最初は向こうの支配人と会って話すべきでしょう」
「そうですね。私が行ってきます」
樫村さんがうなずいた。
「鞠莉さんは先方にアポイントをお願いできますか」
「わかりました」
彼に報告するのと同時に予定を聞こう。彼と会うときにはもちろん私も同席するつもりでいたのだけれど。
「私と佐々木か、
笹井さんは営業部長だ。もしそうできればありがたいことは、たしか。でも。
「いいんですか? 私が行かなくても」
私の横で佐々木さんも意外そうな顔だ。
樫村さんはいう。
「今回は鞠莉さんに企画のマネジメントをしていただくわけには、いきません」
「それは……」
たしかにそうかもしれない。負担が大きすぎるし、そもそも私に
樫村さんはうなずいた。
「はい。鞠莉さんが忙しすぎます」
「でも、私が考えた企画です。それなら私がやったほうが」
責任、というわけではないけれど。
「発案者がやる必要はありませんよ。スイーツビュッフェのときもそうでしたし、組織とはそういうものです」
微笑む樫村さん。
「でも、初回くらいは行きます」
「いえ、私も面識はありますし、鞠莉さんには十分、
「そういうことなら……わかりました」
私は感謝とともにうなずいた。樫村さんは続ける。
「もちろん向こうの支配人が希望すれば、鞠莉さんもぜひ」
「それは……ないと思います」
だって私がいなくても平気なのは向こうも同じ。でも、一応、アポイントを取るときに聞いたほうがいいのだろうか。
・
樫村さんと佐々木さんに挨拶をして別れ、私は自室へ戻る。
会議は夕方からだったので、もう電話をしていいかどうか悩む時間で――私はまずAqoursのみんなにメールを送った。
その次にしばらく文面を考えて、結局シンプルに企画が
その
秦野からはなにも反応がなく――いや、たまたま読んでいないだけだろう。
その証拠に梨子と果南からもまだ返事がない。
私はPCを机の上に置いてコーヒーをいれる。
ポットからドリッパーを外したところでスマートフォンがまた音を鳴らす。ふたりから返信が届いていた。
コーヒーをゆっくり味わって飲んだ。
うん。シャワーでも浴びてこよう。
カップを片づけてシャワールームへ入り、シャツを脱いだところで通知音が小さく聞こえた気がした。
私はバスタオルを羽織り部屋へ戻る。
スマートフォンのLEDが点滅している。
彼からメールが届いていた。
私のものに負けず
「えっと、どうしようかしら」
最後に電話をしてもいいか、という文があった。ここでアポイントまで決められればこんなにありがたいことはない。
ただ、この格好では
私は十五分後にこちらから掛けると返信し、急いでシャワールームに戻った。
シャワーを浴びてパジャマに着替えた私は、暖房の温度を上げて椅子に座る。髪を乾かしていたら結局、二十分近く掛かってしまった。PCも立ち上げておく。
私は深呼吸してから秦野に電話を掛けた。彼はすぐに出た。
「ごめんなさい、遅くなって」
『いや、大丈夫。こっちこそ悪いな、なかなか返信できなかった』
「いいのよ、別に。それこそ明日だって構わないし」
『ちょっと会議が長引いてさ。すまん』
彼はふたたび謝る。私の口調は、そんなに厳しかっただろうか。私はなるべく丁寧に話そうとする。
「遅くまでお疲れさま」
『どうも。小原さんだって似たようなものだろ』
「まあね」
電話の向こうから物音と、どこかで聞いた声――新幹線の車内アナウンスが小さく聞こえた。
「もしかして、移動中? あとで掛けなおすけど」
『いや、デッキに出たから気にしなくていいよ』
「私よりずっと、大変みたいね。本当にお疲れさま」
『ありがとう』
彼は
『それより、おめでとう。企画、
「ありがとう。行けるとは思っていたけど、正直ほっとしたわ」
『まあ、前回、偉そうなこといってたからな。ダメでした、っていわれたらこっちも困るぜ』
私はくすっと笑う。
「そうね。本当に良かった。資料も参考になったわ」
『そりゃどうも。うちとしても失敗されたら困るからな』
肩をすくめるのが見える気がした。
「それで、メールに書いた打ち合わせの件だけど」
『おう、そうだな』
私たちは予定を詰める。なるべく早いほうがいいだろうと意見は一致したので、明日の夕方、ロイヤルアルダーでと決まった。
「仕事、忙しいんじゃないの?」
『いや、内浦にいる間はそうでもないさ。それよりAqoursの練習は大丈夫なのか?』
「ええと、ごめんなさい。私は、その、予定が合わなくて。支配人ともうひとりお
『わかった』
彼の返事は
支配人が希望すれば、という樫村さんの言葉がよみがえるけれど、無視する。
「企画が進めば、きっと会わなくちゃいけなくなるわ。嫌でも」
あれ、私はなにをいっているのだろう。
『ま、そうだな』
彼は心なしか優しい声でそう答えた。
『俺も、小原さんはAqoursに専念したほうがいいと思う』
「そうね。そうさせてもらう」
『まあ、俺もイベントの細かいことは部下に任せるから……こればかりに関わってられないしな』
「でしょうね。お疲れさま」
『あとは、いいライブにしてくれよな』
「ありがとう」
プレッシャーでもあったけれど嬉しかった。
『うちの儲けもそこに掛かってるわけだ』
「あら、それが目的?」
『最初からいってるだろ。で、新曲はないのか?』
みんなと同じことをいう彼。Aqoursにそれだけ期待してくれているということだろうか。儲けの面で、かも知れないけれど。
「今のところ予定はないわね。残念だけど」
『そうか』
彼はやれやれといった口調で話した。
『小原さんがセンターで歌ったり、しないのか?』
「私?」
それはもちろん、可能なら歌いたいけれど曲がない。
「無茶いわないでよ、時間もないんだし」
『まあ、そうだよな』
「それに、Aqoursの曲はあまりセンターって意識してないわ」
これは
『なるほど。それじゃ、明日は準備しとく』
「よろしく」
壁の時計はもうかなり遅い時間だし彼は車内だ。そろそろ切り上げないと。
「そうだ。USBメモリ、今度会ったときに返すわね」
『んなもん、返さなくてもいいよ』
「ま、一応ね。借りを作りたくないわ」
『借り、ね』
私は付け加える。
「私、頑張ったわよ。ありがとう、秦野さん」
『あー、うん』
彼は言葉に詰まり、私はちょっとおかしくなる。気づかれると思っていなかったのだろうか。それとも私が素直に話したから?
『じゃ、おやすみ』
「おやすみなさい」
ぷつっと電話が切れる。
私はしばらく、暗くなった画面を見つめていた。
この時間に移動中とは、きっとまた本社に呼ばれたに違いない。彼も彼で忙しいのに、資料を作ってくれたことを改めて感謝した。
でも、どうして彼はセンターで歌うか、なんてことを聞いたのだろう。私の想像が当たっているなら――もしそうだとしたら、とても嬉しいのだけれど。