出席したといっても今回の会場はオハラ淡島で、私は放課後、部屋に戻ってスーツに着替えるだけでよかった(今日は椅子だとわかっているのでスカートだ)。
秦野は来るのだろうか。ずいぶん会っていない。彼はこの前、電話でファンだといってくれた。そしてダイヤと会ってなにを話したのだろう。
大き目のレセプションルーム――宴会場としても会議室としても使える――で私は待った。
一応はホスト役だけれど各旅館の参加者に挨拶するくらいしか、仕事はなかった。
「Aqoursのライブ、行こうと思ってるの」
「ありがとうございます」
彼女にもしっかり伝わっているらしい。広報面でも企画チームはいろいろ動いていた。
彼がなかなか来なくて、私はそれからしばらくやきもきする。仕事が忙しいのかもしれない。東京の本社に行っているのかも。
結局、彼は時間ぎりぎりに現れた。
「こんにちは、秦野さん」
にこっと笑ってみせる私。
「おう、ひさしぶり」
秦野は、にやっと笑う。決して冷たい感じではなかった。
会合では年末年始の観光イベントの議題が出て、もうすぐ今年も終わりなのだと痛感した。ライブまであと二週間とすこしだ。
会合そのものはいつも通り、
帰り、ふたたび挨拶をしながら参加者をひとりひとり見送ると、なんとなく秦野が最後になっていた。
私は
「もし時間があれば、お茶でもどう。新作スイーツもあるわよ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
そういって肩をすくめる秦野。私は彼をカフェテラスへ案内して、窓際のお気に入りの席に座った。
「コーヒーでいい?」
「ああ」
私は従業員にコーヒーをふたつと、二種類の新作ケーキを頼んだ。
「眺めはあまり、うちと変わらないな」
「そりゃ、同じ内浦だもの」
外はもう真っ暗だ。
冬が近づいてさすがに庭への窓は閉めてあるけれど、控えめな照明の中、ガラス張りのそこからは黒い内浦の海が見えていた。沼津の
私は秦野に視線を戻す。
「ライブの企画、順調に進んでるみたいね」
「ああ、俺もあまり関わってないけど、特に問題なさそうだぜ」
私は微笑んで謝意を示す。
「Aqoursのほうも順調か?」
「そうね、ライブはたぶん大丈夫。ワンマンライブは曲目が多いから覚えることも多いけど、そこはなんとかするわ」
「ふーん、
「ありがとう」
さりげない言葉。でも私は嬉しくなる。
「それより、問題は予選よね」
「ふーん。よくわからないけど、大変なのか」
「そりゃもう。ライバルは大勢いるから、なにかパフォーマンスで圧倒する必要があるんだけれど……」
「うん」
「なかなかいいアイデアが浮かばないのよね」
私はふう、と息を吐く。みんなで必死に考えているが、なかなか難しい。
「……俺はそっちはアドバイスできないけどさ」
「あ、そうよね。ごめんなさい」
つい、話してしまった。ちょっと浮かれていたのかもしれない。
彼は口元を
「まあ、がんばれ」
「……ありがと」
本当なら新曲とか――私がセンターとか、いえればもっとよかったのかしら。そうしたら彼は――。
ちょうどコーヒーとケーキが運ばれてきて、私を気まずい沈黙から救ってくれた。
「どっちがいい? 冬らしく雪を表現したホワイトチーズケーキと、冬の夜と星空をイメージしたチョコケーキだけど」
「ふーん、そうだな……」
彼はじっくりとふたつのケーキを眺める。
「チョコケーキをもらう」
「わかったわ。はい」
私は皿を彼の前にスライドさせた。
しばらく私たちはスイーツとコーヒーを
さすがに彼は写真を撮ったりメモしたりはしなかったけれど、じっくりと味わうように食べていた。
半分ほど食べたところで、彼が話す。
「そういえば、この前、黒澤さんが来たぜ」
「ええ、ダイヤから話は聞いてるわ」
「そっか。ええと……」
彼は珍しく口ごもる。
「ダイヤは感謝していたわよ。Aqoursのライブを手伝ってくれて」
「お、そうか」
秦野は明らかにほっとしたようにうなずいた。
私も彼とダイヤの
私の視線をどう思ったのか、彼は続けた。
「いや、さ、いろいろ聞かれたから、ちょっと気になって」
「ふうん」
もしかしてダイヤも彼のことを確かめに行ったのだろうか。樫村さんと同じように。
私は嬉しくなる。
でも、秦野はそれだけ信頼できない、と見られているのだろうか。そう思うと複雑だ。こんなに――いいところだってあるのに。
彼は私の気も知らずに話す。
「でも、小原さんもそうだけど、黒澤さんって高校生には見えないよな。最初に会ったときには社会人か大学生かと思ったぜ」
「私の作戦がうまく行ったってことね」
「ああ、すっかり
「そうね」
「やっぱり。それに、美人だしな」
「ええと、そうね」
ん? それ、私の前でする話? それは、ダイヤが可愛いというよりも美しいことは私も認めるけれど。
「今回もずいぶん大人っぽかったな、彼女」
私は無言でコーヒーを飲む。ソーサーに戻すとき、かちゃりと意外に大きく音が響いた。
「企画をどっちから持ち掛けたかってことは、適当にゴマしかしておいたぜ」
私はうなずく。
「あー、小原さん」
私は外を眺める。海面を横切っていく光は
「一応補足しとくと、俺は小原さんも美人だ、っていったつもりなんだけどな」
つまり、誤解したのは私のほう、ということだ。彼がわざわざ話してくれたのに。
別に、私は彼の言葉なんて気にしてなかったけれど。
「そのスーツも、大人っぽいし、な」
でも、本当のところは。
嬉しく思ってしまう自分に腹が立った。
頭を振って気持ちを切り替える。
「ケーキ、おいしいでしょ」
「ん、ああ、悪くないな」
彼はほっとしたようにうなずき、続ける。
「そっちのケーキはどんな感じなんだ」
「デコレーションは生クリームだけれど、本体はシンプルなレアチーズケーキよ。ビスケットは甘さ控えめね」
「ふーん」
私が「はい、あーん」なんてやると思ったら、大間違いなんだから。
彼はコーヒーを口に運ぶ。
そうね、でも、どうしても食べたいなら――。
「ん?
彼が聞く。もう、なにを誤解してるのよ。
「私は先週、試食したわ」
「そうか」
彼は、ぱくっと残りを食べた。私もゆっくりと自分のぶんのケーキをいただく。
「そういえばまだ、うちのパティシエのスイーツ、試してないよな」
「そうね」
「今度、ぜひ遊びに来てくれ」
「ええ、お邪魔するわ」
彼はよし、というようにうなずいた。
そろそろ帰るという彼を私は
空気はひんやりしていたけれど風もなく穏やかで、むしろ心地よいくらいだった。
連絡船の光が対岸を離れた。あと数分で彼とは別れることになる。
「今日も仕事、忙しかったの?」
彼が今日、ぎりぎりに現れたことを思い出して聞いた。
「ん? ああ。また東京まで呼び出されてさ。どうせ俺の意見なんか、聞きもしないくせに」
「あら、支配人なのに?」
秦野不動産との関係は聞かないでおく。もし彼がその気になれば、自分から話すだろう。
彼は対岸を見つめて腕を首のうしろで組んだ。
「ホテル事業は本流じゃないからな、立場弱いんだよ」
「へえ、そこはホテルオンリーのうちとは違うわね」
「そこはちょっと、うらやましいな」
彼は話しすぎたとでもいうように腕を解いて首を振った。
私を見て話す。
「予選が終われば、すこし落ち着くのか?」
「だと思う。浦の星の存続も、同じころに決まるから」
「わかった。……うまく行くといいな、いろいろ」
「ええ、いろいろね」
桟橋に着いた連絡船に彼はひょいっと飛び乗った。
船が離れて、私は
なんだか変な流れになってしまったけれど、でも今日、彼と会えてよかったと思う。
ダイヤのことは大したことではなく――でも聞かなければしばらく気になっていたに違いない。
そしてライブは、やっぱり楽しみにしてくれているようで、素直に嬉しかった。
もうすこししっかり、感謝を言葉で伝えればよかったかもしれない。オハラ淡島の副支配人としても、Aqoursのひとりとしても。
もうひとつの嬉しかったことは――大人っぽいといわれたことは、とりあえず置いておくとして。
あとはライブでやりとげて、売り上げを確保し、予選に
改めて挙げてみて、やることの多さには
・
翌日、放課後。
浦の星女学院からの長い下り坂を下りていると、果南が私の隣に並んだ。
「ねえ、鞠莉」
「どうかしたの、果南」
彼女は私に、にこっと笑う。
「なんだか嬉しそうだね、今日。なにかいいことでも、あったんじゃない?」
「んー、心当たりはないわね」
本当に思い当たらない。――いや、もしかして。まさか。それは、ときどき思い出したりもしていたけれど、果南にいわれるほど外に現れていたのだろうか。
「なんだかわからないけどさ、鞠莉が嬉しいと、私も嬉しいよ」
果南はそういってポンと私の背中を叩いた。
沼津の施設に着いて、いつものようにみんなで練習を始めようとしたとき。
「みなさん、準備はいいですか?」
ダイヤが聞いた。私以外の全員がうなずく。昨日、私が欠席したときになにか新しいことでも決まったのだろうか。でも、それなら私にも教えてくれるはず。
私が
「梨子さん?」とダイヤ。
「はい」
梨子はなにかを手にして前に出た。その
梨子がスピーカーにそのなにかを――オーディオプレイヤーだ――繋いだ。
ダイヤが梨子に目配せした。梨子がうなずいてプレイヤーを操作する。
聴き覚えのあるイントロが流れた。アップビートのギターソロにドラムスが乗り、ベースが加わる。この曲は――。
「懐かしいでしょ」
果南がそういって笑みを深くする。ダイヤの目がきらっと輝く。
忘れもしない。二年半前、ラブライブ予選のために三人のAqoursで作っていた曲。私が作曲して、ダイヤが作詞し、果南が振り付けを考えて――結局、途中までしかできなくて、披露する機会もなかった曲。絶対に完成することのないはずの曲。
スリリング・ワンウェイ。
「どうして、この曲が……」
私は口元に両手を当てる。それだけいうのがやっとだった。
「私は
「それはちょっと違うんじゃない、ダイヤ」
果南が苦笑いする。
「でも、ダイヤがCDを持っててよかったよ。鞠莉に頼んだんじゃ意味ないからね」
あのときギターでワンコーラス、演奏したメロディを、作詞してもらうためにダイヤに渡して――それを今まで彼女は取っておいてくれたのだ。
「ダイヤ、果南……」
ふたりの面影が、二年前のそれに重なった。今よりもいくぶん幼くて、いろいろ未熟だったけれど。
でも、変わっていないことのほうが、ずっとずっと多いのだ。
両腕で果南とダイヤをぎゅっと抱きしめる。
「
「ホテルのこと、ずっと黙ってたことへの仕返しだよ。鞠莉」
「それを出されると、なにもいえないわね」
「これからは、なしだからね」
「わかった」
「ようやく曲になったのが、昨日だったのですわ」
「ありがとう」
ふたりがうなずくのがわかった。
私は
「ダイヤちゃんと果南ちゃんがね、提案してくれたんだ。オハラ淡島のライブにも、新曲を作りたいって」
「初めは無理だって思ったんだけど、初代Aqoursの曲があるから、それを元にすればって」
千歌と曜が微笑む。
「千歌ちゃんと曜ちゃん、梨子ちゃんは予選の曲で忙しいから、残りのみんなで分担して」
「歌詞は私と花丸で仕上げたのよ」
「ルビィも衣装、考えてみたんだ。完全に新しいのは難しいから、なにか小物でアレンジできればなって」
花丸と善子、ルビィ。
「振り付けは九人向けに変えるだけだから、そんなに難しくなかったよ」と果南。
「曲は鞠莉さんには任せられませんから、最後は梨子さんに編曲をお願いしました」
ダイヤがいうと梨子が微笑む。
「すこしまとめただけです。もともと、しっかりできていたから」
私は、幸せだ。
「ありがとう、みんな。まさか、ここでこの曲と、再び会えるなんて思ってもみなかった」
あふれそうになる涙をこらえる。
三人より九人で歌うほうが、いいに決まってる。
「絶対に、絶対に、シャイニーなライブにしましょうね!」