不安な気持ちを抑えこんでオハラ淡島を出る。日はすでに落ち西の空にわずかに残照が光っていた。
私たち三人は(ドレスなのでいつも以上に)慎重に連絡船に乗り内浦側へ渡った。樫村さんの運転する車でロイヤルアルダーへ。
白い建物は以前と同じくライトアップされて輝いていた。
「それでは、またのちほどお会いしましょう」と樫村さん。
「ありがとう」
エントランスの前で私たちは降りた。
受付に名前を告げて奥へ進む。会場は、最初ここに来たときと同じ大宴会場だった。
私たちは通路を進んだ。かすかに音楽が聞こえてくる。
係員が扉を開けてくれて、宴会場へ入る。
改装したのか、ちょっと
白いクロスの掛かったテーブルが壁際にずらっと置かれ、その上には今は
スーツ姿の男性、私たちと同じようにドレスの(ただ年齢層は高めだ)女性が、いくつかグループを作っている。
「うわ、豪華だね。私、こんなとこに来ていいのかな」
果南が話す。いつになく小さな声だ。
「
「そうよ。招待されたんだから、堂々としていればいいの」
「わかった。ダイヤと鞠莉みたいに、だね」
果南は微笑む。私たちも――少なくとも私はそこまで慣れていないのだけれど――果南を安心させるようにうなずいた。
やがて部屋の奥、一段高い場所に女性が立った。
「これより、秦野不動産ホテル事業部、十周年の記念パーティを開催させていただきます」
アナウンスの
壇の下にはホテルの関係者だろう、ダークスーツやタキシードの男が何人か並んでいた。
一番端には秦野の姿もあった。彼の視線がすっと私たちへ
おしゃべりを
「みなさん、本日は私どもの祝いの席にお越しいただき、
彼はいいよどんでから続ける。
「あいにく体調を
社長は来ないようだ。でも彼の言葉はどこまで真実なのだろう。
「思えば秦野不動産がホテル事業に乗り出したのは……」
それからの話は
次に重要な取引先だという
そのタイミングで銀色のトレイを持った係員が現れる。私は炭酸水をもらい、ふたりにも同じものを渡すように頼んだ。
「それでは、乾杯!」
事業部長が音頭を取って室内の全員が唱和する。不揃いな拍手が上がり彼は一礼して段を下りた。
楽団が演奏を再開して、そこかしこで会話が始まり、室内に
いつの間にか料理も追加されて、いい匂いがただよってきた。
ただ客の数に比べると、部屋の大きさ、用意された料理の量は、余裕がある気がした。ともするとがらんとした印象を受ける。
私は小声で聞いてみる。
「樫村さん、この会場はすこし大きすぎませんか」
「そうですね。部屋の都合かもしれませんが、それなら事前にもうすこし配置を工夫するでしょう。予想より参加者がすくないのでしょうね」
「それは、もしかしてあの噂の影響でしょうか」
「ええ、そう思います」
倒産の可能性を聞いてキャンセルした客がいる、ということだ。
そういえば社長だって来ていない。
樫村さんは「失礼します」と断ってから離れていき、挨拶まわりを始めた。
パーティにはホテルの関係者だけでなく地元、内浦からも呼ばれているらしい。そのうち挨拶するとして(地元ではダイヤだけでなく果南もわりと顔が広い)、私たちはもうすこしあとでもいいだろう。
ふたりを誘い料理を取りに行こうかと思ったとき、客の
タキシードに蝶ネクタイの彼は、にこかやに微笑みながら一礼する。
「本日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます」
私が代表してやはり笑顔で応じる。
「ご招待いただき、こちらこそありがとうございます」
「忙しい中、わざわざ恐縮です、小原さん」
私がうなずいて了解を示すと、彼は続けてダイヤへ話す。
「黒澤さん、ご
「いえ、先日は興味深いお話を、ありがとうございました」
「こちらこそ、
「ええ、お邪魔させていただきます」
秦野はもう一度頭を下げ、ダイヤはすまし顔でうなずいた。
「松浦さんは、直接お話しするのは初めてですね」
「はい、そうですね」
果南は背筋を伸ばして答える。
「先日のライブ、とても素敵でした。Aqoursの振り付けは松浦さんがお考えになったものが多い、と聞いていますが」
「あ、はい、ええと、私がアイデアを出すことも多いけど、最後は鞠莉とかダイヤ、あとみんなで相談して決めてる感じです」
私は隣から口を挟む。
「あら、果南。謙遜しなくてもいいのよ。果南がいなくちゃ、あれだけのダンスは絶対に不可能なんだから」
「ということは、Aqoursの魅力のひとつは、松浦さんのおかげですね」
秦野がいうと果南は照れたように頭をかく。
「いやー、それほどでもないですけど」
「いろいろ難しいこともあるのでしょうね。ぜひまた詳しくお聞かせください」
「はい、喜んで」
秦野は果南に微笑んでから私たちへ続ける。
「それに……こういうことを申し上げて失礼でなければよいのですが、みなさんよくお似合いです」
「もったいないお言葉ですわ」
さりげなく返すダイヤ。
「今日は皆さんへのお礼も兼ねてお呼びしました。退屈かもしれませんが……すこしでもお楽しみいただければ幸いです」
「ありがとうございます」
私がそう答えると秦野は一礼して離れていった。
彼が見えなくなり、果南が話す。
「なかなか感じのいい人だね」
「ええ、そうでしょ」
たぶん彼は果南が緊張してるのを見て、話しやすい話題を振ってくれたのだろう。
「鞠莉は、あの人とはもうずいぶん親しいの?」
単純に見えてなかなか答えにくい質問だった。親しいのだろうか。いや、親しくないとはいえないと思うのだけれど。
「ええと、そうね、仕事の関係でよく話すわね」
「ふーん」
果南は
「なんだか、おなか空いちゃったな。料理、取りに行こうよ、鞠莉、ダイヤ」
果南の誘いに私たちは同意した。
私たちは並べられた大皿の肉、魚、野菜のメニュー、さらにデザートからすこしずつ取り分ける。どれもさすがの美味しさで、特にデザートは明らかに以前より手が込んでいた。
秦野はホスト側のひとりとあって、その
そんな彼が、客のひとりと挨拶を終えたタイミングで私に気づく。彼はやれやれという感じで笑った。私もにこっと微笑を返した。
もうすこしして落ち着いたら、秦野さんと話をしよう。できればふたりだけで。
私たちは料理を食べたり、ときおり顔見知りに挨拶したりして、それなりにパーティを楽しんだ。
やがてグループが固定して壁際の椅子が埋まり始める。このあたりで余興が始まるのがよくあるパターンだ。私たちも他の客とすこし離れた壁際へと移る。
そろそろ彼も時間ができるだろうか。
そう考えていると、樫村さんがあわてた様子で近づいてきた。
「お嬢さま、お耳に入れたいことが」
どきりとする。私はふたりに目で謝って、すこし離れた。私は不安に駆られながら聞く。
「もしかして、倒産が決まったの?」
「いえ、そうではありません」
その言葉に私はほっとする。でも、それは一瞬だった。
「お父さまが、こちらにいらっしゃいます」
「パパが? こちらって……このパーティ、ってこと?」
うなずく樫村さん。
「ニューヨークにいるんじゃなかったの?」
「今日、帰国されたようです。さきほど本部から連絡がありました。私どもの知らないルートで、招待状が届いていたようですね」
同じ沼津に施設を持つホテルチェーン同士だ。たしかにそういうこともあるだろう。
「すみません、もうすこし早く把握していれば、お嬢さまに……心の準備をしていただく時間があったのですが」
「いえ、仕方ないわ。ありがとう」
樫村さんは深くお辞儀をした。
パパが来る。顔を合わせなくて済むように、早めに帰らせてもらおうか。いや、秦野とまだ話していない。それにオハラ淡島へ戻っても逃げられるわけでもない。
それならここで話したほうがいい。ダイヤと果南だっている。
「ダイヤ、果南」
私は呼びかけた。
「パパが来るわ」
「おじさまが?」
ダイヤが眉を上げた。私は樫村さんの話をふたりに説明した。そして副支配人を辞めたい、とパパに話したことも。
「前回はダメだったけれど、今日は必ずパパを説得するわ」
「わかりました。なにかあれば応援いたします」
「私もね」
ふたりはうなずいた。
ちょうどそのとき、入り口のあたりに動きが見えた。遠くからでもすぐにわかる。パパだ。
客の何人かと挨拶を交わしている。
「それじゃ、話してくる」
「鞠莉、無茶しないでよ」
果南の言葉を背中に、私はパパに近づいた。
・
挨拶を終えたパパが、私に気づく。
「鞠莉……」
「ひさしぶり、パパ。元気だった?」
「あ、ああ。元気だよ。しかし鞠莉、どうしてここに?」
そういって私のドレスをまじまじと眺める。
「ああ、そうか。オハラ淡島のほうで――」
「いえ、違うわ。副支配人は
パパは複雑な表情でうなずいた。
「ママは、元気? まだ向こうにいるの、それとも一緒に……?」
「ママも元気さ。今回は、私ひとりで帰ってきた」
それを聞いてすこしだけ気が楽になる。――ママに
「ねえ、パパ。すこし話ができるかしら?」
「ここでかい? 淡島に戻ってからでも、いいんじゃないか?」
「すぐに終わるわ」
私の決意が伝わったのだろうか、パパは
私たちは目立たないように窓のほうへ移動する。ダイヤと果南は微妙な距離を取っている。樫村さんも聞いているはずだ。
「パパ、この前も話したけれど、やっぱり私はきっちりしたいの。約束なのはその通り。でも、私はもう片方の条件をクリアできなかった。なら、もういいでしょ」
「鞠莉の気持ちはわかるよ。しかし、廃校は決まったんだ。どうしてスクールアイドルにそんなにこだわるんだね。もはや続けても意味がないんじゃないか?」
「意味がない、ですって?」
どうしても語気が荒くなる。いけない。冷静にならないと。
パパは居心地悪そうに身じろぎして続ける。
「存続できなかったのは残念だが、学院の存続のために始めたんだろう?」
私は嫌々ながら認める。
「それは、理由のひとつね。でもそれだけじゃ――」
「だとしたら、次に進んでもいいんじゃないか。オハラ淡島で経験を積むことは、きっと鞠莉の役に立つはずだよ」
「……スクールアイドルよりも?」
パパはうなずいた。
言い返そうとしたとき、視界の隅に秦野の姿が映った。パパが来訪したという知らせを聞いたのだろう。私がちらっと顔を向けると、彼は元気づけるように微笑んだ。
ここで話すことにしてよかった。
私は慎重に言葉を選ぶ。
「ねえ、パパ。この前のラブライブの予選、見てくれた?」
「リアルタイムでは、無理だったがね」
パパは表情を
「鞠莉もな、よく頑張ったと思うぞ」
「ありがとう。その前のワンマンライブは?」
「もちろん。最後の曲は素敵だったよ」
秦野がうなずくのが見える。くすっと笑って私は続ける。
「あのライブ、満員だったのよ。Aqours単独なのに」
「それは当然だろうな。みんなすごいし、なにしろ私の鞠莉がいるんだからな」
「ええ、パパの娘の、ね」
私は微笑む。
「だからね、パパ。わかってくれるでしょ。私はもう、学院の存続のためにスクールアイドルをしてるんじゃない。みんなのため、自分のためなのよ」
パパを見つめる。
「あと三カ月、みんなと一緒にスクールアイドルでいられるのは、たった三ヶ月。卒業までの、ね」
私はダイヤと果南に視線を送った。ダイヤはいくぶん恥ずかしそうに笑い、果南はウインクした。
「パパだって、昔、なにかに夢中になったことはあるでしょ」
「パパは……いや、そうだな。まあ、ないとはいえないか」
「だからね、私は副支配人を辞めたいの。スクールアイドルに集中したいのよ」
「鞠莉……」
パパは、ふうっとため息をつく。
「そこまで真剣なんだな」
「当然よ。私のこと、わかってるでしょ」
「そうか。そうだったな」
パパは「まったく、誰に似たんだか」とつぶやいた。
私を見つめて話す。
「パパは、鞠莉の好きにすればいいと思う」
わかってもらえた。私は胸が熱くなる。
「……ただ」
パパは首を振る。
「ママがなんというか、だな」
ああ。そうだ。その問題があった。
そのとき、パパの胸元から着信音が鳴る。不吉な予感がした。