パパは私に目で合図して、スマートフォンを取り出す。
「ママだ」
「ああ、無事に着いたよ」
私は――秦野も、ダイヤと果南も、きっと樫村さんも――会話の
「うん、予定通りだ。……。いや、その……」
パパはちらっと私を見てから、また視線を戻す。
「なあ、ママ。その件はもういいんじゃないかな。鞠莉は真剣にやっているよ。ああ、うん……」
電話の向こうから私たちにも聞こえるような大きな声が響いた。
『鞠莉、そこにいるのでしょう!』
パパは振り向き、困り顔で私にスマートフォンを差し出した。私は受け取る。
「ママ?」
『鞠莉! またパパになにか吹き込みましたネ』
そこでようやく声のトーンを落とす。
『副支配人を辞めたいとは、どういう
「了見もなにも、そのままよ。もう廃校は決まった。それで満足でしょ」
『ええ、私の思った通りです。
私は唇をかんだ。絞り出すように話す。
「……なら、いいじゃない。もうあとは、私の好きにさせてよ」
『しかし、約束は約束デス、鞠莉。今日までの三カ月、ホテルの売り上げは前年を上回りましたネ?』
「ええ、それは約束通りに、ね」
『そこだけは
ママは昔を思わせる穏やかな口調でいった。
「ありがとう、ママ。……それならいいじゃない、私がやれることは、十分わかったでしょ」
『それとこれとは話が別デス。あと三カ月。スクールアイドルなんかに
「現を抜かすって……話が別なのは、こっちのほうよ、ママ」
『鞠莉には才能がありマス。それを無駄にするのは、私が、いえ世界が許しまセン』
才能……? なにが才能だっていうのよ。
「ねえ、ママ。さっき、褒めてくれたわよね。売り上げが上回ったこと」
『ええ、厳しい環境でよく頑張りましたネ』
「あれはね、私のせいだけど、私のせいじゃないの。みんなのせい」
『……ホワット?』
ああ、ママは知らないんだ。
「……ライブを企画したのよ。オハラ淡島主催でね。スクールアイドルのライブを」
『スクールアイドルの、ライブ?』
オウム返しするママに、くすりと笑ってしまう。
「ええ、そうよ。満員
『オハラ淡島の名前で……ライブを……オーマイガー……』
もしかしてそのまま気絶するんじゃ、なんて私は心配になる。
『鞠莉!』
スマートフォンが限界の音量でビリビリと震えた。
『あなたって子は! きっちり三カ月、やってもらいマス! もしそこで売り上げが去年より下回ったなら……』
「下回ったら?」
『いえ、二割以上、
そうはいってもママに出せる条件は、なにもないのだ。
『都合がつき次第、すぐに帰国しマス! 首を洗って待ってなサイ、鞠莉!』
盛大な音を立てて電話が切れた。
ふと気づくと、私を見つめる秦野、パパ、ダイヤに果南、樫村さん。
「……怒らせちゃったわ」
私はぺろっと舌を出して見せた。
秦野はびっくりした顔で、それでも楽しそうに微笑み、私も笑顔を返した。樫村さんはやはり笑顔。パパは
ダイヤが懸念の表情で聞く。
「どうするんですの、鞠莉さん。もしかしたら説得できたかもしれませんのに」
「あれが説得できたと思う?」
「しかし、もうすこし交渉の余地があったのでは……」
たしかに売り言葉に買い言葉になってしまったけれど。
「私にはもう、失うものはないわ。こうなったら副支配人なんて無視して、やりたいことをやるだけ」
「さすが鞠莉だね」
誇らしげな果南。一転して心配そうな声で続ける。
「でもさ、あの調子じゃ、またなにかいってくるよ。私たち、なんだかんだいってもまだ未成年だし」
「それは、そうだけど……」
私はパパにスマートフォンを返しながら聞く。
「ねえ、パパ。もう私は辞めてもいいわよね?」
「そうはいっても、ママはあの性格だからな」
そういってどこからか取り出したハンカチで汗を
「今までのように続けるしか、ないのではありませんか?」
ダイヤが困り顔で話した。
でもこれからいよいよラブライブの決勝だ。それに卒業を控えて、それ以外にもきっと忙しくなるに違いない。
「スクールアイドルと並行して、さらに売り上げを確保するのは相当厳しいわね」
最後、ママは
「私どもでよろしければ、サポートいたしますが」
「ありがとう、樫村さん。でも、ママは私自身がやらないと、許してくれないと思う」
樫村さんは残念そうに首を振った。
私は
「ごめんね、みんな。私のことに巻き込んでしまって。私、あとでもう一度、ママを説得してみる」
「それは構いません。でももし、うまく行かなかったら……」とダイヤ。
「そのときは、また考えるけど……逃げ出すのも、ありかもしれないわね」
私が大げさに肩をすくめると、ダイヤはくすっと笑った。
「わかりました。そうならないことを祈っておりますわ」
パパは「挨拶をしなくては」と逃げるように去り、樫村さんも付いていった。
ダイヤは果南を誘い、飲み物を取りに行く。
残された秦野が私に、どうも、という感じで目礼した。
・
「大変なことになってるな」
秦野が話した。
「見苦しいところを見せちゃったわね」
「いやいや。うちの家族よりマシだな」
秦野は首を振って続ける。
「お父さんもお母さんも、小原さんのことを考えてるんだろ」
「まあ、そうともいえるけど。自分の理想を押し付けてるだけ、だから」
「難しいな」
秦野は言葉を切った。私たちはなんとなく窓際へ近づく。内浦湾が黒く広がっていた。
彼が話す。
「いずれにしても副支配人は辞めるんだな」
「そうね。私は、両立できるほど器用じゃないわ」
「そうか? 副支配人もスクールアイドルも、理事長だって、立派にこなしてたと思うぜ」
「ありがと」
私は彼に微笑む。今なら彼の言葉は心からのものだと理解できた。
「でもね、後悔はしたくないって思うようになったの。もしラブライブに優勝できなかったりしたら……集中していたなら、って」
「ああ、なるほど」
彼はうなずいた。
「小原さんらしいな」
それは最高の褒め言葉のように感じられた。
私がどう答えようか悩んでいると、秦野がぽつりと漏らす。
「小原さん」
「なあに?」
「今日は……いつもと違う感じだよな」
胸がドキリとする。
「その、よく似合ってると思う。ステージ衣装とも違う感じで」
「えっと、ありがと」
私は思い切って続ける。
「秦野さんも、素敵よ」
「そりゃどうも」
彼はボソッといった。
私は熱くなった頬を冷やすために話題を変える。
「秦野さんは、最近忙しいの?」
倒産の噂は気になるけれど、直接は聞けなかった。
「まあ、忙しいといえば、忙しいな」
「やっぱり大変なのね」
私の言葉に彼は視線を
「ああ、いや多少は時間はあるさ。できる限り、その、小原さんの助けになれればって思う。逃げ出したりしなくて済むように」
そういう意味で聞いたんじゃないんだけど、と思いながら私は話す。
「ありがとう」
「おう。ま、このパーティが終われば落ち着くだろ」
彼は私を安心させるように微笑んだ。
彼はそういっているけれど、本当だろうか。やはり秦野不動産の社内でごたごたがあるのではないだろうか。
彼は私の表情をどう思ったのだろう。優しい目をして私の頭をポンと軽く叩いた。
「すまん、悪かったな。俺がどうでも、小原さんならやれる。次のライブに集中してくれ」
私はうなずいた。
彼は話を続けようとして、ふと私の背後に目をやる。彼の視線を追って振り返るとダークスーツの男性が頭を下げていた。私は一歩、横に移動する。
「失礼いたします。支配人、お話が」
「……わかった」
秦野は男にうなずいた。
「小原さん、すみません、いったん失礼します。どうぞ最後までお楽しみください」
彼は優雅に頭を下げてから、男とともに足早に去っていった。
・
私はダイヤ、果南と合流した。
「話は終わりましたか?」
ダイヤが目をきらめかせて聞いた。
「ええ、大した話じゃないけどね」
「ねえ、鞠莉。このあと、どうなるかわからないけどさ」
果南が話し、私はうなずく。
「今日は楽しまなきゃ損だよ」
「……そうね」
私はふたりに微笑んだ。
そのとき部屋の一角が騒がしくなる。たぶん秦野不動産の関係者が集まっている場所で――余興でも始まるのかと思ったが、そんな気配はなかった。
何人かはあわただしく部屋を出ていく。
すぐに客たちの間にも動きが生まれた。どこかに電話を掛けたり、数人で相談したり、帰り支度を始めたり。
私は嫌な予感に襲われる。スマートフォンをバッグから出して調べるべきだろうか。
「鞠莉」
掛けられた声に振り返る。
「パパ。どうしたの?」
「パパは淡島に戻る。オハラグループへの影響は限られているが、対応は必要だ。一緒に帰ろう、鞠莉」
「影響? 対応?」
意味がわからなくて聞き返す。
「ああ、秦野不動産が倒産した」
パパは淡々と話した。
まさかこんなに急とは。オハラ淡島を出たときから予想していなかった、といえば嘘になる。しかしその言葉は大きな衝撃を
ホテルが倒産したら彼はどうなるのだろう。ここを去るのだろうか。もちろん、そうだ。そうしたらもう会えなくなる。
当たり前のことが頭をぐるぐるした。
「帰らないのか、鞠莉?」
パパが重ねて聞いた。うしろから樫村さんが見守っている。
私には帰ってもやることなどない。それに秦野との話が途中だ。倒産したのならなおさら、秦野と話さないと。
「私は残るわ。パパ、先に帰って」
「しかし、パーティはもう終わりだろう?」
話が広まっているのか、部屋を出ていく客の姿が目立つ。
「それでも、よ。私には大事なの。最後まで残るわ」
いつの間にか樫村さんが私の隣に来ていた。心のなかで感謝する。
パパは複雑な顔でうなずいた。
「鞠莉さん。お顔が真っ白ですわ」
ダイヤが私に声を掛けた。果南が心配そうな表情でグラスを渡してくれる。
「気を落ち着けて、鞠莉」
「ありがとう」
またふたりを心配させてしまった。申し訳なく思いながら、受け取ったグラスを半分ほど開ける。冷たい炭酸水が私の心をすこし
小さな声でダイヤが話す。
「秦野さんは、どうなるのでしょう」
「さあ、わからないわね」
私は自嘲気味に答えるしかなかった。
本当にわからないのだ。彼が秦野不動産のなかでどんな立場なのかも、なぜあんなに若いのに支配人なのかも。
こんなことならもうすこし、彼に聞いておくべきだったのだろうか。
――いや、そうは思わない。彼が私について、なにも聞かないのだから。
顔を上げた私は気づく。部屋の隅に秦野がいて私を見ていた。彼は軽く手を上げた。
「ごめんなさい、ちょっと席を外すわ」
ふたりにそう話し、グラスを返してから私は秦野へ近づいた。