支配人はかりそめの顔   作:Kohya S.

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28. 障害

 パパは私に目で合図して、スマートフォンを取り出す。

 

「ママだ」

 

 一言(ひとこと)、そういってから窓へ向かい、電話に出る。

 

「ああ、無事に着いたよ」

 

 私は――秦野も、ダイヤと果南も、きっと樫村さんも――会話の行方(ゆくえ)を見守る。

 

「うん、予定通りだ。……。いや、その……」

 

 パパはちらっと私を見てから、また視線を戻す。

 

「なあ、ママ。その件はもういいんじゃないかな。鞠莉は真剣にやっているよ。ああ、うん……」

 

 電話の向こうから私たちにも聞こえるような大きな声が響いた。

 

『鞠莉、そこにいるのでしょう!』

 

 パパは振り向き、困り顔で私にスマートフォンを差し出した。私は受け取る。

 

「ママ?」

『鞠莉! またパパになにか吹き込みましたネ』

 

 そこでようやく声のトーンを落とす。

 

『副支配人を辞めたいとは、どういう了見(リョウケン)ですか?』

「了見もなにも、そのままよ。もう廃校は決まった。それで満足でしょ」

『ええ、私の思った通りです。所詮(ショセン)、百人なんて無理だったのデス』

 

 私は唇をかんだ。絞り出すように話す。

 

「……なら、いいじゃない。もうあとは、私の好きにさせてよ」

『しかし、約束は約束デス、鞠莉。今日までの三カ月、ホテルの売り上げは前年を上回りましたネ?』

「ええ、それは約束通りに、ね」

『そこだけは()めてあげマス。鞠莉、よくやりましたネ』

 

 ママは昔を思わせる穏やかな口調でいった。

 

「ありがとう、ママ。……それならいいじゃない、私がやれることは、十分わかったでしょ」

『それとこれとは話が別デス。あと三カ月。スクールアイドルなんかに(ウツツ)を抜かしている暇があったら、しっかりホテルに専念しなサイ、鞠莉』

「現を抜かすって……話が別なのは、こっちのほうよ、ママ」

『鞠莉には才能がありマス。それを無駄にするのは、私が、いえ世界が許しまセン』

 

 才能……? なにが才能だっていうのよ。

 

「ねえ、ママ。さっき、褒めてくれたわよね。売り上げが上回ったこと」

『ええ、厳しい環境でよく頑張りましたネ』

「あれはね、私のせいだけど、私のせいじゃないの。みんなのせい」

『……ホワット?』

 

 ああ、ママは知らないんだ。

 

「……ライブを企画したのよ。オハラ淡島主催でね。スクールアイドルのライブを」

『スクールアイドルの、ライブ?』

 

 オウム返しするママに、くすりと笑ってしまう。

 

「ええ、そうよ。満員御礼(おんれい)だったわ。おかげで売り上げの目標はクリアできた」

『オハラ淡島の名前で……ライブを……オーマイガー……』

 

 もしかしてそのまま気絶するんじゃ、なんて私は心配になる。

 

『鞠莉!』

 

 スマートフォンが限界の音量でビリビリと震えた。

 

『あなたって子は! きっちり三カ月、やってもらいマス! もしそこで売り上げが去年より下回ったなら……』

「下回ったら?」

『いえ、二割以上、上回(うわまわ)らなかったら……覚悟するのデス!』

 

 そうはいってもママに出せる条件は、なにもないのだ。

 

『都合がつき次第、すぐに帰国しマス! 首を洗って待ってなサイ、鞠莉!』

 

 盛大な音を立てて電話が切れた。

 

 ふと気づくと、私を見つめる秦野、パパ、ダイヤに果南、樫村さん。

 

「……怒らせちゃったわ」

 

 私はぺろっと舌を出して見せた。

 

 秦野はびっくりした顔で、それでも楽しそうに微笑み、私も笑顔を返した。樫村さんはやはり笑顔。パパは(あき)れたように首を振っている。

 

 ダイヤが懸念の表情で聞く。

 

「どうするんですの、鞠莉さん。もしかしたら説得できたかもしれませんのに」

「あれが説得できたと思う?」

「しかし、もうすこし交渉の余地があったのでは……」

 

 たしかに売り言葉に買い言葉になってしまったけれど。

 

「私にはもう、失うものはないわ。こうなったら副支配人なんて無視して、やりたいことをやるだけ」

「さすが鞠莉だね」

 

 誇らしげな果南。一転して心配そうな声で続ける。

 

「でもさ、あの調子じゃ、またなにかいってくるよ。私たち、なんだかんだいってもまだ未成年だし」

「それは、そうだけど……」

 

 私はパパにスマートフォンを返しながら聞く。

 

「ねえ、パパ。もう私は辞めてもいいわよね?」

「そうはいっても、ママはあの性格だからな」

 

 そういってどこからか取り出したハンカチで汗を()く。もう、ママのことになると頼りないんだから。

 

「今までのように続けるしか、ないのではありませんか?」

 

 ダイヤが困り顔で話した。

 でもこれからいよいよラブライブの決勝だ。それに卒業を控えて、それ以外にもきっと忙しくなるに違いない。

 

「スクールアイドルと並行して、さらに売り上げを確保するのは相当厳しいわね」

 

 最後、ママは二割増(にわりまし)なんて言っていた。本気だとしたら無茶もいいところ。

 

「私どもでよろしければ、サポートいたしますが」

「ありがとう、樫村さん。でも、ママは私自身がやらないと、許してくれないと思う」

 

 樫村さんは残念そうに首を振った。

 私は(つと)めて明るい顔で話す。

 

「ごめんね、みんな。私のことに巻き込んでしまって。私、あとでもう一度、ママを説得してみる」

「それは構いません。でももし、うまく行かなかったら……」とダイヤ。

「そのときは、また考えるけど……逃げ出すのも、ありかもしれないわね」

 

 私が大げさに肩をすくめると、ダイヤはくすっと笑った。

 

「わかりました。そうならないことを祈っておりますわ」

 

 パパは「挨拶をしなくては」と逃げるように去り、樫村さんも付いていった。

 ダイヤは果南を誘い、飲み物を取りに行く。

 

 残された秦野が私に、どうも、という感じで目礼した。

 

        ・

 

「大変なことになってるな」

 

 秦野が話した。

 

「見苦しいところを見せちゃったわね」

「いやいや。うちの家族よりマシだな」

 

 秦野は首を振って続ける。

 

「お父さんもお母さんも、小原さんのことを考えてるんだろ」

「まあ、そうともいえるけど。自分の理想を押し付けてるだけ、だから」

「難しいな」

 

 秦野は言葉を切った。私たちはなんとなく窓際へ近づく。内浦湾が黒く広がっていた。

 彼が話す。

 

「いずれにしても副支配人は辞めるんだな」

「そうね。私は、両立できるほど器用じゃないわ」

「そうか? 副支配人もスクールアイドルも、理事長だって、立派にこなしてたと思うぜ」

「ありがと」

 

 私は彼に微笑む。今なら彼の言葉は心からのものだと理解できた。

 

「でもね、後悔はしたくないって思うようになったの。もしラブライブに優勝できなかったりしたら……集中していたなら、って」

「ああ、なるほど」

 

 彼はうなずいた。

 

「小原さんらしいな」

 

 それは最高の褒め言葉のように感じられた。

 私がどう答えようか悩んでいると、秦野がぽつりと漏らす。

 

「小原さん」

「なあに?」

「今日は……いつもと違う感じだよな」

 

 胸がドキリとする。

 

「その、よく似合ってると思う。ステージ衣装とも違う感じで」

「えっと、ありがと」

 

 私は思い切って続ける。

 

「秦野さんも、素敵よ」

「そりゃどうも」

 

 彼はボソッといった。

 私は熱くなった頬を冷やすために話題を変える。

 

「秦野さんは、最近忙しいの?」

 

 倒産の噂は気になるけれど、直接は聞けなかった。

 

「まあ、忙しいといえば、忙しいな」

「やっぱり大変なのね」

 

 私の言葉に彼は視線を()らしてぼそぼそと続ける。

 

「ああ、いや多少は時間はあるさ。できる限り、その、小原さんの助けになれればって思う。逃げ出したりしなくて済むように」

 

 そういう意味で聞いたんじゃないんだけど、と思いながら私は話す。

 

「ありがとう」

「おう。ま、このパーティが終われば落ち着くだろ」

 

 彼は私を安心させるように微笑んだ。

 彼はそういっているけれど、本当だろうか。やはり秦野不動産の社内でごたごたがあるのではないだろうか。

 

 彼は私の表情をどう思ったのだろう。優しい目をして私の頭をポンと軽く叩いた。

 

「すまん、悪かったな。俺がどうでも、小原さんならやれる。次のライブに集中してくれ」

 

 私はうなずいた。

 

 彼は話を続けようとして、ふと私の背後に目をやる。彼の視線を追って振り返るとダークスーツの男性が頭を下げていた。私は一歩、横に移動する。

 

「失礼いたします。支配人、お話が」

「……わかった」

 

 秦野は男にうなずいた。

 

「小原さん、すみません、いったん失礼します。どうぞ最後までお楽しみください」

 

 彼は優雅に頭を下げてから、男とともに足早に去っていった。

 

        ・

 

 私はダイヤ、果南と合流した。

 

「話は終わりましたか?」

 

 ダイヤが目をきらめかせて聞いた。

 

「ええ、大した話じゃないけどね」

「ねえ、鞠莉。このあと、どうなるかわからないけどさ」

 

 果南が話し、私はうなずく。

 

「今日は楽しまなきゃ損だよ」

「……そうね」

 

 私はふたりに微笑んだ。

 

 そのとき部屋の一角が騒がしくなる。たぶん秦野不動産の関係者が集まっている場所で――余興でも始まるのかと思ったが、そんな気配はなかった。

 何人かはあわただしく部屋を出ていく。

 

 すぐに客たちの間にも動きが生まれた。どこかに電話を掛けたり、数人で相談したり、帰り支度を始めたり。

 私は嫌な予感に襲われる。スマートフォンをバッグから出して調べるべきだろうか。

 

「鞠莉」

 

 掛けられた声に振り返る。

 

「パパ。どうしたの?」

「パパは淡島に戻る。オハラグループへの影響は限られているが、対応は必要だ。一緒に帰ろう、鞠莉」

「影響? 対応?」

 

 意味がわからなくて聞き返す。

 

「ああ、秦野不動産が倒産した」

 

 パパは淡々と話した。

 まさかこんなに急とは。オハラ淡島を出たときから予想していなかった、といえば嘘になる。しかしその言葉は大きな衝撃を(ともな)っていた。

 

 ホテルが倒産したら彼はどうなるのだろう。ここを去るのだろうか。もちろん、そうだ。そうしたらもう会えなくなる。

 当たり前のことが頭をぐるぐるした。

 

「帰らないのか、鞠莉?」

 

 パパが重ねて聞いた。うしろから樫村さんが見守っている。

 

 私には帰ってもやることなどない。それに秦野との話が途中だ。倒産したのならなおさら、秦野と話さないと。

 

「私は残るわ。パパ、先に帰って」

「しかし、パーティはもう終わりだろう?」

 

 話が広まっているのか、部屋を出ていく客の姿が目立つ。

 

「それでも、よ。私には大事なの。最後まで残るわ」

 

 いつの間にか樫村さんが私の隣に来ていた。心のなかで感謝する。

 パパは複雑な顔でうなずいた。

 

「鞠莉さん。お顔が真っ白ですわ」

 

 ダイヤが私に声を掛けた。果南が心配そうな表情でグラスを渡してくれる。

 

「気を落ち着けて、鞠莉」

「ありがとう」

 

 またふたりを心配させてしまった。申し訳なく思いながら、受け取ったグラスを半分ほど開ける。冷たい炭酸水が私の心をすこし(しず)めてくれた。

 小さな声でダイヤが話す。

 

「秦野さんは、どうなるのでしょう」

「さあ、わからないわね」

 

 私は自嘲気味に答えるしかなかった。

 

 本当にわからないのだ。彼が秦野不動産のなかでどんな立場なのかも、なぜあんなに若いのに支配人なのかも。

 こんなことならもうすこし、彼に聞いておくべきだったのだろうか。

 ――いや、そうは思わない。彼が私について、なにも聞かないのだから。

 

 顔を上げた私は気づく。部屋の隅に秦野がいて私を見ていた。彼は軽く手を上げた。

 

「ごめんなさい、ちょっと席を外すわ」

 

 ふたりにそう話し、グラスを返してから私は秦野へ近づいた。

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