支配人はかりそめの顔   作:Kohya S.

29 / 30
29. Shall we...

 さすがに彼の顔には(かげ)が見えた。それでも私へ、にやっと笑う。

 

「秦野さん」

「残っててくれたんだな、小原さん」

「当たり前でしょ。帰る理由がないわ」

「この有様(ありさま)だぜ」

 

 彼は肩をすくめて室内に目をやる。客は半分、いや三分の一ほどにまで減っていた。

 

「私には関係ないわよ。だって、私はホテルに招待されたんじゃなくて、あなたに招待されたんだから」

「……ありがとう」

 

 私が微笑むと彼は頭を下げた。かたわらにあった扉を開いて私をうながす。

 

 扉の外は館内の通路だった。ロビーに通じる通路ではないためだろう、誰もいない。

 扉が閉まると通路は急に静かになった。

 

「話は聞いてるんだな」

「ええ、ついさっき、ね」

「そうか。……謝らないといけないな、小原さんに」

「どうして?」

 

 会社が倒産したからといって、もし秦野が支配人でなくなるからといって、私が謝ってもらう理由はないはずだ。

 

「小原さんの助けになるのは、ちょっと難しいかもな」

 

 そんなことはない。あなたがいてくれて、相談に乗ってくれれば十分。

 そういいたいけれど、彼がもし支配人でなくなるとしたら――今の彼には届かないかもしれない。

 代わりに私は尋ねる。

 

「ねえ、秦野さん。ホテル事業は悪くないんでしょ。これからこのホテルはどうなるの?」

 

 秦野さんはどうなるの、とは聞けなかった。

 

「さあ。本社ごとどこかに買われるか、債権整理の一環で別のところが経営権を引き継ぐか、それとも閉鎖するか。どれもありだろうな」

「もしホテルが営業を続けたら、秦野さんはそのまま……」

 

 彼は首を振った。

 

「いや、それはないな。俺は秦野の人間だから……親会社が変われば、居場所はないだろ」

 

 秦野の人間――つまり秦野不動産の関係者、おそらく親族ということだ。

 

「そう」

 

 私は短く答えた。いずれにしても秦野はいなくなる。

 

「でもまだ、決まったわけじゃないんでしょ。ホテル事業はそのまま残るかもしれないじゃない」

 

 私は一縷(いちる)の望みを託して聞いた。

 

「ああ、今のところは。一応、本社に近い連中は頑張って交渉してる。ただ、まあ、厳しいだろうな」

 

 彼は肩をすくめた。私は明るい声を出す。

 

「きっとなんとかなるわよ。だって……」

 

 私は浦の星女学院のことを思い出す。土壇場(どたんば)までもつれ込んで、あがいてあがいて、結局、廃校になってしまったことを。不意にそれが、今に重なって感じられた。

 あれだけ頑張ったのに、ライブも成功したのに、廃校になって秦野はいなくなるのだ。なんだかとても、とても理不尽すぎる気がした。

 

 きっと私は変な顔をしていたのだろう。彼が突然、私の右手を握った。

 

「おい、大丈夫か」

 

 はっとして顔を上げる。秦野が私の顔を(のぞ)きこんでいた。意外なほどに近い。それこそ彼の吐息を感じられるほどに。

 ぎゅっと胸の奥が痛んだ。

 

「ええ、大丈夫」

 

 私は微笑む。彼はさっと体を起こしすこし距離を置くと、わざとらしいさばさばした声で続けた。

 

「まあ、俺はこのホテルにたいして思い入れはないから、わりとどうでもいいんだ」

 

 私もあえて明るい声で応じる。

 

「あら、あんなに頑張ってたのに?」

「頑張ってた、というか、まあ義務だからやってたって感じだな」

 

 あれだけ内浦についても勉強して、スイーツに腐心(ふしん)して、東京でのイベントにも出て――そんな彼を意外に感じる。いや、きっと単なる言い訳だろう。

 

 彼はふうっと息を吐いた。

 

「いろいろ社内にもしがらみがあってさ。まあ、それももう、どうでもいいってことか」

 

 私に向き直る彼。

 

「むしろ俺は……今、俺が残念なのは……」

 

 彼にまっすぐに見つめられて、動悸が速くなる。

 

「小原さんをこうやって応援できなくなる。いや……」

 

 首を振って続ける。

 

「小原さんに会えなくなる、ってこと……かもな」

 

 ふわっと温かいものが私の胸に広がった。

 顔を()らした彼に私は小さな声で話す。

 

「かも、ってなによ」

「いや、まあ」

「……私も、残念だわ」

 

 彼は視線を合わせないままうなずいた。

 

 やっぱり、秦野が、いなくなる。

 胸のなかでぐるぐるするこの想いを、伝えたかった。でも、なんていったらいいのか、わからなかった。

 

 せめて来年三月、卒業のときまで。それまでの時間があれば、私はスクールアイドルとしての活動も終えて――きっと彼への想いを言葉にして、伝えることができるのに。

 

 今は彼の言葉が、もっともっと聞きたかった。

 彼だってきっと、私のことを憎からず想ってくれてるんじゃないかしら。もし、今はまだでも。可能性はあるんじゃないかって思う。

 

 私はじれったく感じながら話す。

 

「ねえ、秦野さん。まだどうなるか、わからないけど……これからも、その、会えるわよね」

「そうだな……いや、()めといたほうがいいだろ。そうなったら俺は、ただの無職だし」

 

 ちらっと顔を上げる。

 

「内浦にも、居辛(いづら)くなるしな」

「秦野さん……」

 

 私は、なにも気にしないわよ。そういいたかった。でも、私が気にしなくても、彼は気にするに違いない。

 彼はぐーっと伸びをする。

 

「そろそろ戻るか。俺はともかく、小原さんのご友人が気にするだろ」

 

 私は後ろ髪を引かれる思いで、うなずいた。

 

「それじゃ、元気でな」

 

 それは最後通告のように聞こえてならなかった。

 秦野が扉を開いた。

 

        ・

 

 私たちはダイヤと果南、樫村さんのところに戻った。あんなことをいったパパもまだ残っていた。

 パパへの秦野の紹介は樫村さんに任せて(たぶん私が紹介するよりもパパは気が楽だろう)、私はダイヤ、果南と話す。

 

「ごめんね、席を外しちゃって」

「鞠莉さん、倒産の話はいかがでしたか?」

 

 ダイヤが小さな声で聞いた。私は唇をかむ。

 

「残念だけど、本当みたい」

「それじゃ、このホテルは?」と果南。

「まだわからないって。どこかに売られるか、閉鎖するか」

 

 ふたりは顔を見合わせた。ダイヤが目に懸念を浮かべて聞く。

 

「それでは、秦野さんは……?」

「おそらくだけど、支配人は()めることになりそうね」

「……鞠莉」

 

 果南が私の手を取った。私は彼女たちに無理に笑顔を作ってみせる。

 

「大丈夫よ。ロイヤルアルダーが閉鎖すれば、すくなくともオハラ淡島は、安泰だから。……私はスクールアイドルに集中できるってこと」

「そういうことじゃないでしょ、鞠莉」

 

 私は首を振り、彼女の手をぎゅっと握ってから離す。熱くなった目元をハンカチで押さえる。

 

「なにかないのですか。その、鞠莉さんがもっと、シャイニーになれる方法が」

 

 ダイヤが真剣な表情で話した。私はこんなときでもなければ吹き出していただろう。

 その代わりに私は黙って首を振った。

 

 パパとの会話を終えた秦野がゆっくりと私たちへ近づいてきた。

 

「黒澤さん、松浦さん、小原さん。すみません、最後はバタバタしてしまって」

 

 頭を下げる秦野。

 

「いいえ、とても楽しかったです」

 

 果南が笑顔で応じた。

 

「それなら幸いです」

 

 秦野は果南にうなずいて続ける。

 

「残念ですが、こうしてみなさんとお会いできるのも、これが最後になりそうです。内浦でみなさんに会えて、本当に幸せでした」

 

 秦野はにこりと微笑んだ。最初、この宴会場で会ったときと同じ――いや、それよりもずっと、素敵な笑顔だった。

 私と目が合って、彼はかすかにうなずいた。ずきり、とまた胸が痛む。今日これっきり、もう彼とは会えないのだ。

 

 そのとき、隣でしばらく考え込んでいたダイヤが顔を上げた。

 

「秦野さん。支配人はお辞めになるのですか」

「はい。不本意ながらその予定ですね」

 

 秦野は肩をすくめた。

 

 ダイヤは私を手招きする。不思議に思いながら近づいた私に彼女は耳打ちした。

 彼女の話は、あまりに意外な内容だった。でも。

 

「……たしかに、そうかもしれないわね」

 

 聞き終えて、私はうなずいた。彼女はきらっと目を輝かせる。

 もしかしたら、行けるかもしれない。いや、これしかない。

 

「ねえ、パパ」

「なんだい、鞠莉」

 

 パパは早く帰りたいのか気もそぞろといった様子だ。

 

「私は、今も副支配人よね。来年三月までだけれど」

「ああ、そういう約束だな。鞠莉さえよければ、もっと伸ばしてくれてもいいが」

「考えておくわ」

 

 私は軽く微笑んで続ける。

 

「副支配人なら、もちろん私は新しい従業員を雇ってもいいわけよね」

「それは、もちろんだよ。鞠莉がいいと思えば」

「ありがとう、パパ」

 

 にこっと笑うとパパは戸惑(とまど)いながらもうなずいた。

 私は秦野に顔を向ける。彼も気づいたのだろう、にやっという感じで笑った。

 

「オハラ淡島は今、大変な人手不足なのよね。業界経験者がいたら、ぜひ雇いたいのだけれど。副支配人代理として」

「それは奇遇だな。ちょうど俺も、明日からどうしようかと考えていたところだ」

 

 ダイヤが大きくうなずいて、果南がにんまりと笑う。

 

「鞠莉、それはちょっと乱暴だろう」

 

 遅ればせながらパパが声を上げた。

 

「あら、さっき問題ないっていったじゃない」

「いや、しかし、ママがなんというか……」

「約束は守ってる。ママになにかいわれる理由は、ないわ」

「それはそうだが……まったく、鞠莉は鞠莉だな」

 

 パパは諦めたように天を仰ぐ。

 

「樫村さん、問題ないかしら?」

「ええ、私からはなにも申し上げることはありませんね」

 

 樫村さんも楽しそうに微笑んだ。

 私は一礼してから秦野に向き直る。

 

「秦野さん。お給料は安いわりに仕事は大変よ。なにしろ副支配人の仕事は、全部やってもらうことになるから。それでも構わない?」

「覚悟の上です、副支配人」

 

 彼は真剣な眼差しで私を見つめる。でも唇は今にも笑い出しそうに、変な形に歪められていた。

 私もすました顔で(こた)える。

 

「それでは、お願いできるかしら」

(つつし)んで、お受けいたします」

 

 秦野は深く頭を下げた。

 私の胸を(おお)っていた不安がゆっくりと溶けていき、代わりに温かいものがあふれてくる。

 

「ありがとう、秦野さん」

 

 彼は肩をすくめて話す。

 

「採用試験は、なしでいいのか?」

 

 あなたのことなら、よくわかっているわ。

 そういいかけて思う。彼にそう伝えるなら、もっと相応(ふさ)しい場所と時間が、きっとあるはずだ。

 

 代わりに私は、ダイヤを呼び寄せて小声で伝える。彼女は最初びっくりして、次に笑いをこらえて、うなずいた。

 彼女が早足で立ち去る。

 

 秦野は眉を上げて問いかけるように私を見ていた。私はすぐにわかるわよ、というように微笑む。

 

 ずっと静かに流れていた曲がぴたりと()んだ。

 すぐに再開する。ただし、別の曲だ。誰もが知っているウィンナ・ワルツ(円舞曲)

 

 秦野がわざとらしく目をぐるりと回した。私は彼に耳打ちする。

 

「これが、実技試験よ」

 

 彼が苦笑しながら私へささやく。

 

「すまん、俺はダンスは苦手なんだ」

「私に任せてくれれば、大丈夫」

 

 彼はやれやれという感じでうなずいた。

 

「……踊っていただけますか?」

「ええ、喜んで」

 

 差し出された彼の手に、私は自分の手を重ねた。





次話、エピローグにて完結予定です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。