支配人はかりそめの顔   作:Kohya S.

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4. 予期せぬ対面

 駐車場から県道へ出るとき、千歌たち四人がこちらへ歩いてくるのが見えた。結局、Aqours全員がプレオープンイベントに行くことになるらしい。

 明日、知らないふりをするのが大変そうだ。

 

 ダイヤがくすりと笑ってから私に聞く。

 

「いかがでした、鞠莉さん?」

「……贔屓目(ひいきめ)かもしれないけれど、うちのホテルのほうが上だと思う。設備も料理もね」

「オハラ淡島としては恐れるに足らず、ですか?」

 

 そういい切れればいいのだけれど。

 

「わからないわね。設備が新しいのは正直、うらやましい。それにたぶん、宿泊費は抑えてくるはず。雰囲気も今風。そうなると……」

 

 ダイヤはわかります、というようにうなずき、続ける。

 

「それにしても支配人、でしたか。ずいぶん若い方でしたね」

「そうね。接客は丁寧だった。でも最後のあれはちょっと」

「はい。あまり()められたことではありませんわ」

 

 支配人としての手腕はわからない。新規オープンの施設を任されるくらいだから評価されているのだと思う。ただ客に聞かれる可能性のあるところでは、つねに気をつけるべきだろう。

 

 ダイヤを降ろしてからオハラ淡島に戻り、樫村さんに会って今日のことを報告した。

 

「お疲れさまでした、鞠莉さん」

 

 きっと営業部長から、すでに話は聞いているはずだ。だからどこまで役に立つのかわからないけれど彼はそう(ねぎら)ってくれた。

 

        ・

 

 翌日、練習のときには案の定、ホテルの話題が出た。ダイヤと私は知らないふりをしたがメンバーたちにも豪華さや料理は好評だった。

 

 オハラ淡島の連絡会でも新しいホテルは毎回話題に()がった。

 営業部長からのプレオープンイベントのレポートがあり、私もいくつか付け加えた。デザートが自家製ではない、という情報は部長も知らなかったらしい。私は内心、すこし嬉しくなった。

 また樫村さんの話では、向こうのホテルの支配人はわざわざうちまで挨拶に来たらしい。礼儀を通したのか、それとも余裕を見せたのだろうか。

 

 そして翌週、ついにロイヤルアルダーホテルが開業した。新聞の地方版に記事が()り、改めてチラシも入った。

 とはいえオハラ淡島は予約も盛況で、影響はほとんどないようだった。ただ、いま入っている予約は向こうのホテルの開業前に入ったものだ。今後はどうなるかわからなかった。

 

 開業から数日後。私はひとり、早めに練習を切り上げて内浦に戻った。オハラ淡島の自室で素早くシャワーを浴び、フォーマルな服装に着替える。青基調のシンプルなワンピース。それにボレロを羽織って軽くメイクも整えた。

 

 暗くなったころ私は淡島から内浦へ渡った。呼んでおいたタクシーに乗る。

 ロイヤルアルダーまでは五分ほどだった。

 建物は夜空を背景に温かみのある電球色の照明でライトアップされていた。

 

 開館祝いの白い胡蝶蘭(こちょうらん)が並ぶロビーを抜けて、フロントに目礼し、前回は行かなかったレストランへ向かう。

 

「いらっしゃいませ。あいにく本日は満席となっております。ご予約は(うけたまわ)っておりますでしょうか」

 

 私は黒いベストに蝶ネクタイの従業員に迎えられた。

 

「小原と申します」

「小原様。お待ちしておりました」

 

 彼は深々と頭を下げた。

 

 ちょっとした思い付きだったけれど、昨晩、予約しておいて正解だった。

 案内された窓際の席からは、内浦の海の向こうに沼津市街の明かりが輝いて見えた。淡島は黒いシルエットとなって浮かび上がっている。いくつかの船の光がゆっくりと動いていた。

 

 食前酒は断って炭酸水を頼む。

 アミューズ――突き出しは(かに)のゼリー寄せだった。前菜、スープと進んでいく。

 

 予約したコースはメインが魚と肉の両方用意されていた。

 前者は白身魚のポアレで、ウェイターの説明によれば地元でとれたものだそうだ。たしかにほろほろと柔らかな身がおいしい。とはいえここ内浦のホテルなら当然だろう。もちろんオハラ淡島も黒澤水産から仕入れている。

 後者も試食のときよりさらに質が良いものだと感じた。

 

 そしてデザートはガトーショコラと苺のソルベ。味も食感も良かった。

 

 コーヒーを飲んで考える。

 

 料理は上々。でもスイーツは地元色を出すなら柑橘(かんきつ)を使ってほしいところね。それにやはり甘さが足りない。たぶんこれは――。

 

 視界の(すみ)にウェイターが映り、私は顔を上げてうなずく。

 

「小原様。支配人がご挨拶したいと申しております。よろしいでしょうか?」

「ええ、どうぞ」

 

 ウェイターは一礼して去った。

 ちょっと面白いことになってきたわね。私は背筋を伸ばし、すまし顔で待った。

 

「小原様」

 

 近づいてくる姿に気づいていたけれど、呼びかけられて私は初めて顔を向けた。彼はにこりと笑う。

 

「本日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます」

 

 そういって彼は深く礼をした。そのまま腰をかがめて、テーブルの上に一枚の紙を置いた。名刺だ。

 

「当館で支配人を務めさせていただいております。秦野(はたの)、と申します」

 

 もう一度微笑む。抑えられた照明のなかでも整った顔立ちが見て取れた。名刺には「秦野啓司(けいじ)」とあった。

 

「お料理はお口にあいましたか?」

「ええ」

 

 私は笑みを返し、考えながら続ける。

 

「どれもおいしかったですわ。お魚は……地元でとれた、というお話しだったかしら」

「はい。今朝沼津に水揚げされたアカムツで、今が旬です。こちらの(かた)には釈迦に説法かと思いますが、足が早いので、当地ならではですね」

 

 私はあまり魚には詳しくない。あとでダイヤに聞いてみよう。

 

「なるほど。お肉のほうもこだわりがありそうですね」

「すべて契約牧場の和牛で、さらに熟成にも気を(つか)っております」

「サラダの野菜も新鮮でした。これも地元のものを?」

「そうですね。西伊豆産のものを使わせていただきました」

 

 秦野と名乗った支配人は、よどみなく答えた。私は感心したようにうなずいて、続ける。

 

「デザートも前回と同じく、悪くないですわ」

 

 私のいいたいことに気づいたのだろう。彼は言葉に苦笑をにじませながら頭を下げた。

 

「申し訳ありません、パティシエの招聘(しょうへい)の手続きに時間がかかっておりまして」

「いえ、私には十分です。名古屋まで行くのも、こ――ここからでは大変ですから」

 

 危ない。高校生といいそうになった。

 

「そういっていただければ幸いです」

 

 彼はさっと笑顔になる。

 

「ぜひまたご来館ください。ご友人もお誘いいただければ幸いです」

「ありがとう。考えておきます」

「どうぞごゆっくりお過ごしください。失礼いたしました」

 

 秦野はまた深々と頭を下げてから、静かに去った。

 

 姿が見えなくなって私はふうっと息を吐く。

 

 まさか支配人が挨拶に来るとは思わなかった。

 秦野という名前はどこかで目にした気がする。ホテルのウェブサイトだったろうか。

 彼から聞いた話自体は、きっとホテルのサイトを再確認すれば書いてあることだろう。しかし直接、話ができたのは収穫だったと思う。

 

 デザートを除けば材料もレシピもうちのホテルと同じくらいこだわっている。秦野の態度は丁寧でスタッフの対応もそつがなかった。(あなど)れない相手になりそうだ。

 

 ただ思った通り、ケーキは前回と同じく、なんとかという洋菓子店から取り寄せたものだ。今、業界は人手不足で、オープンもかなり急いでいたようだ。ロイヤルアルダーグループといえども、よい人材が手当てできないのだろう。もしかしたら、オハラ淡島の差別化要素のひとつになるかもしれない。

 

 会計のとき、従業員は今回の会計とほぼ同額の、次回使えるというクーポン券をくれた。

 

 翌日、教室で。私はダイヤに聞いてみた。

 

「ねえ、ダイヤ。アカムツってどんなお魚なのかしら?」

「そうですね……別名、のどぐろとも呼ばれる、いわゆる高級魚ですわ。でも、どうして突然、そんなことを?」

 

 私は適当にごまかす。

 

「この前、食べる機会があったのよ」

「あら、さすが鞠莉さん。おいしかったでしょう?」

「ええ、とても。それでね、そのときに旬の魚、っていわれたんだけど」

 

 ダイヤは首をかしげる。

 

「旬にはすこし早いかもしれませんね。一年中、おいしい魚ですが。焼き物でしたか? それともお刺身ですか?」

「焼いてあったわね」

「焼き物も結構ですね。刺身がおいしいのですが、これは本当に新鮮でないとなりません。もし機会があったらぜひ、食べてみてください」

 

 さすが網元の娘だ。昨日もダイヤと一緒なら良かった。ただいずれにしても悪くない選択ということだろう。

 

 もし私がオハラ淡島のレストランで顧客に対応するとして、彼のように答えることができるだろうか――。

 なんとなく気が引けて、レストランに行ったことは自分だけの秘密にすることにした。

 

        ・

 

 二足の草鞋(わらじ)が三足になり、それでもなんとかスクールアイドルと理事長、ホテルの副支配人の兼業という生活に慣れてきたころ。

 

「ああっ、もう、どこに行ったのかしら」

 

 私は独り言をつぶやきながら自室のクローゼットを探していた。昨日は練習が遅くなり準備しておけなかったのだ。

 

「あった!」

 

 私はようやく目的のものを見つける。黒のパンツスーツの揃いだ。

 制服から手早く着替えていく。

 

 今日は平日。内浦の旅館組合で定例の会合がある日だった。いつも参加している樫村さんはオハラグループの別の会議に呼び出され、私が立候補したのだった。

 もちろん別の誰かにお願いすることはできた。ただ、このくらいやらなくては、という意識のほうが強かった。

 

「でも、やっぱり面倒ね」

 

 会合は幸い、学校が終わったあとの夕方からだがAqoursの練習も休まなくてはならなかった。

 軽く化粧をして鏡をのぞく。

 

「よし、上出来じゃない」

 

 理事長に就任したときにあつらえたスーツは、どこがとはいわないが、若干きつくなっていた。

 

 車を用意してもらって十千万(とちまん)旅館へ。会合の場所は会員の持ち回りで、今日はたまたま千歌の家だ。千歌は練習で、顔を合わせる心配がないのだけはありがたかった。もっとも今晩には家族の誰かから聞いて、千歌の知るところになり――明日は質問攻めだろう。

 

 千歌への言い訳は明日考えるとして、まずは目の前の会合だった。

 考えてみればホテルの代表として外に出るのは初めてだ。樫村さんは「情報交換というおしゃべりをするだけですよ」と話していたけれど。

 

 十千万は古くからの旅館で木造の建物はとても風情があった。かつては文豪も利用したとか。

 

「あら、鞠莉さん。千歌ならまだ練習から帰ってきていませんよ」

 

 玄関に迎えに出てきたのは千歌の姉、志満(しま)さんだった。

 

「いえ、今日は組合のほうです」

「もしかして、樫村さんの()わり?」

 

 志満さんはびっくりしたような顔をする。それはそうだろう。

 

「はい、社会勉強です」

「そう。もう三年生ですものね」

 

 志満さんはそれ以上、追求しなかった。私は口に出すことで心を落ち着かせる。

 

「初めてなので、ちょっと緊張しています」

「年寄りの寄り合いみたいなものよ。そんなに構えなくても大丈夫。みんな、鞠莉さんのことは知ってるし」

 

 志満さんは優しく微笑んだ。

 

「あ、でも……」

 

 思い出したようにいう志満さん。

 

「今日から新しい人が来るのよね。私が会に出るようになってから、初めてじゃないかしら」

 

 鞠莉さんは除いてだけれど、と志満さんは付け加えた。

 新しい人。はっ、と私は気づく。むしろどうして今まで、思いつかなかったのだろう。

 

「失礼します」

 

 玄関先で話していた私たちのうしろから、扉越しに聞き覚えのある声がした。

 ガラガラと扉が開き黒いスーツ姿の男性が入ってくる。最初に私に気づいた彼は戸惑(とまど)いを浮かべながら軽く会釈する。

 

「いらっしゃいませ」

 

 頭を下げる志満さん。声を掛けられた彼はあわてたようすで志満さんにお辞儀をした。

 

「ロイヤルアルダーホテルの秦野です」

「お疲れさまです。先日はわざわざありがとうございました」

「いえ、本日はよろしくお願いいたします」

 

 秦野はにっこりと、親しみの持てる笑みで(こた)えた。そして私のほうをちらりと見る。その目が語っていた。どうしてここに?

 私は彼に負けないような微笑みを浮かべてみせる。

 

「ホテルオハラ淡島の小原鞠莉です。どうぞよろしく」

 

 彼の目が見開かれる。

 

「……小原、鞠莉。なるほど」

 

 そうつぶやいた彼が一瞬だけ唇の端をゆがめるのを私は見逃さなかった。

 

「再会できて光栄です。秦野です。よろしくお願いいたします」

 

 さっと笑顔になり私を見つめる彼。しかしその目は、明らかに、笑っていなかった。

 

 意外なほど早く――いや、私が想定してなかっただけ。当然のことだ。ただもう、スイーツを確かめに行くのは難しいだろう。

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