玄関前で、今日の出席者のひとりと立ち話をしていた
私は小さく手を振る。隣で秦野も会釈した。
松月には数人の客がいたが、そのなかに知っている顔はなかった。
「なあ、お勧めはどれだ?」
先にショーウィンドウを眺めていた秦野が話した。
「そうね。パウンドケーキも捨てがたいけれど、まずはみかんどら焼きかしら」
「わかった」
秦野はうなずいてそれと、コーヒーを頼んだ。一瞬、おごるべきかと思ったけれど、向こうから誘われたのだと思い直して
私はパウンドケーキと紅茶にしておく。
注文のときに秦野がぶっきらぼうにいう。
「俺が払う」
「別に、いいわよ」
「経費で落とすつもりなんだけどな」
彼は肩をすくめたがそれ以上はいわなかった。
席に着いて私は尋ねる。
「取材って、どんな感じなの? 詳しい話を聞いたんでしょ」
「ああ、大したことじゃない。いくつかインタビューされるらしい。一応、広報に確認するけど、まあ俺が受けても大丈夫だろ」
彼は届いたコーヒーに砂糖を入れて、ぐるぐるとかき混ぜた。
ふむ、取材となると支配人でも
「全国紙に
「さあ、どうだか。東京の業界誌で、せいぜい半ページくらいだろうし」
首を振る秦野。取材ともなると私なら
「本社のやつに、またなんかいわれるかもな」
面倒くさそうにつぶやいてから、彼は私を見つめる。
本社。秦野不動産のことだろうか。
私がなにか聞く前に、彼が口を開く。
「ところで小原さん。学院ってなんなんだ? 説明会っていってたけど」
なるほど。それが疑問で私を誘ったのだろう。
「ああ、それね……。浦の星女学院は知ってる?」
「もちろん。あそこの丘の上の女子高だろ」
どこまで話したらいいだろう。私はうなずき、紅茶をポットから注いで時間を稼いだ。
「ちょうどその日、今の中学三年生への学校説明会があるの。来年の進学先を決めるためのね。そこで話さなきゃいけないのよ」
「ああ、先輩からのメッセージ、とかそういうやつか」
私は肯定も否定もせず、カップから紅茶を飲んだ。
幸い秦野はそれで納得したらしい。
「ま、それなら仕方ないか」
手を頭のうしろで組んで、背もたれに寄りかかる。私は知らんぷりしてパウンドケーキを切り取った。彼も別にお礼の言葉を期待しているわけではないだろう。
口に運んだケーキは、ふわふわでみかんの香り高い逸品だった。
私の様子を見て彼は体を起こす。
「さて、こいつはどうかな」
どら焼きをぱくりと大きくかじった。もぐもぐと
「あなたのホテルよりおいしい?」
「ああ。いや、どうだろうな」
彼はまた不機嫌な顔に戻った。もう一口食べて、今度は神妙にゆっくり味わう。
私は面白くなって、彼が落ち着いたところで聞いた。
「それじゃ、オハラ淡島にくらべたら、どう?」
「うーん、一概には比較できないな。方向性が違うから……」
そういいかけてはっとしたように口をつぐんだ。私はにこっと笑う。
「あのケーキ、うちのホテルの自信作なのよ」
「ふーん」
目をそらしてコーヒーを飲む彼。
「私は構わないのよ、わざわざ来ていただいても。でも、趣味が悪いっていったのは、どちら様かしら」
彼は黙り込み、やがてふうっと息を吐いた。
「悪かったよ。趣味が悪い、っていったことは謝る」
頭を下げた秦野に、私は
「部下に報告させたのか?」
「いいえ、それこそ趣味が悪いわ。あそこにいたの。ちょっと不注意だったわね」
「くそっ、ぜんぜん気づかなかったぜ」
彼は小さな声で毒づいた。なにかを思い出したように、にやっと私に笑う。
「そういえば、ホテルはなかなか盛況のようですね。週末なのにカフェは予約なしでもまったく問題なかった」
「そ、それは……ほら、せっかくのリゾートで混雑していたら、お客様に申し訳ないじゃない。わざわざ余裕を持たせてるのよ」
「ほう、さすが老舗ですな」
秦野は目を細めた。口からの出まかせは見透かされているらしい。
それなら私だって。
「では、私もお茶をしに
「あー、うん、いま満を持して準備しているところだ」
「へえ、なるほどね」
「なんなら宿泊に来てくれてもいいぜ。予約が取れればな」
視線が交錯し、しばらく私たちは無言でにらみ合った。
店のドアが開く音がして、私はそちらに顔を向けた。
ふたりの少女が入ってきた。見慣れた浦の星女学院の制服。ふたりとも小柄で――花丸とルビィだ。練習が終わる予定の時刻よりもずいぶん早い。
「おなか
「えへへ、たまにはいいと思うずら」
ショーケースに近づくふたり。イートインスペースは彼女たちの斜めうしろの方向なので、まだ気づかれていない。
私は必死にふたりに念を送った。こちらを向きませんように、と。いやしかし、ふたりが帰るときには
この状況はかなりまずい。
どう転んでも私が高校生であることが秦野にバレてしまいそうだ。
正面の秦野――ふたりには背を向けている――は不思議そうな顔をした。
そのとき花丸が、ふとこちらを向いた。彼女はびっくりしたように眉を上げた。私は、無視するようにと目で合図する。
私の思いは通じた。花丸はかすかにうなずくとパチッとウインクした。
直後、秦野が私の視線の先を追った。彼はふたりに気づいて、微笑を浮かべて軽く会釈した。
花丸は柔らかい笑顔で彼に応える。
私に向きなおる秦野のうしろで、花丸が隣のルビィに耳打ちするのが見えた。
彼女たちは菓子を持ち帰りにしたらしい。
店を出ていくとき花丸はまっすぐに前を向いていたけれど、ルビィの目はちらちらと、こちらを眺めていた。
ドアが閉まり、私は胸をなでおろした。
「可愛い後輩ってところか?」と秦野。
「そうね」
私は平静を
「ま、説明会はがんばってくれ。せっかくの取材だ、俺はせいぜい利用させてもらうさ」
彼はそういい置いて席を立った。
私は紅茶の最後の一口をゆっくりと味わってから松月をあとにした。
外は暗くなっていた。
私は頭を冷やすためにオハラ淡島まで歩くことにした。
ロイヤルアルダーはまずまず盛況らしい。オープン直後ということはひとつの理由に違いないが、それだけとは思えない。向こうと比較した、うちの弱みと強みを分析して変えていかなくては。また、どんな施策を打っているのかも調べたほうがよさそうだ。
どちらもきっと、樫村さんたちはすでに進めているだろうけれど。
今日、秦野と会ったのは正解だった。
秦野不動産との関係については聞けなかったが、次の機会があるだろう。いや、秦野がどういう立場なのかは私には関係ない。つまらない好奇心は封印しよう。
しかし、その秦野と会っていたのを花丸たちに見られてしまったのは――。
変な誤解をされてはたまらない。明日、お礼も兼ねて花丸に一言、いっておこう。
・
翌日の昼休み。私はいつもなら理事長室にいるか、部室に行くか、というところ。花丸ともよく部室で会う。でも今日はきっと――。
私は花丸が次にいそうなところ、図書室へ向かった。
扉を静かに開けて
入り口近くの閲覧席に、隣のクラスの三年生の子がひとり。そして奥のほうの席には――いた。花丸だ。
背筋をまっすぐに伸ばして手にした本を読んでいる。机にはさらに二、三冊の本。
花丸には本当に本が似合う。
私は静かに近づいた。気づいた彼女が顔を上げて、微笑んだ。
「鞠莉ちゃん」
「チャオ、花丸」
「今日はなんとなく、いつもと違う人が来るような気がしてたんだ」
「あら、私が図書室に来るのがそんなに珍しいかしら」
私は隣に座り、持ってきた紙袋を取り出す。今朝、用意してきたものだ。
もうひとりの閲覧者に聞こえないように小さな声で話す。席は離れているから大丈夫だろう。
「これ、よかったらもらってくれないかしら?」
「ずらっ?」
「うちのホテルの焼き菓子よ」
「そんな、マルだけいただく理由がないずら」
私はにこっと微笑む。
「新製品なのよ。甘いものに目がない花丸だもの、ちょっと試食して感想を聞かせてほしいのよ」
「甘いものに目がない、というのは引っかかるけど、そういうことなら……。ありがたくいただきます」
花丸は嬉しそうに両手で受け取った。そして私に問いかけるような目をする。
花丸は鋭い子だ。きっと私が来た理由にはすでに気づいているだろう。
「花丸、昨日はずいぶん早かったわね」
「うん。鞠莉ちゃんがお休みで、あと、ダイヤさんも用事があったみたいで……早めに終わりなったんだ」
「そうなのね」
なるほど。私はうなずき、続けた。
「昨日はサンキュー、花丸」
「マルはお礼をいわれるようなことは、なにもしていないずら」
「うん、それでもね」
花丸は微笑んだ。
「ルビィちゃんと一緒に食べるね」
「ええ、そうしてちょうだい」
でも、鋭い花丸も知らないことがある。私が高校生だと彼に知られたくない、ということ。
だから花丸があのときなにもいわなかったのは、ルビィを止めてくれたのは本当にありがたかった。
その花丸は私をきらきらと輝く目で見つめている。
「鞠莉ちゃん、もしよかったらでいいんだけど……」
なにかに
ふと、気づく。
花丸は私が話しかけてもらいたくなかった理由を知らない。いや、誤解している。
彼との関係をなるべく知られたくない。そう彼女は思っているに違いなかった。
「あのね、花丸――」
「教えてほしいずら。あの人とは、どういう関係ずら?」
やはり。特別な関係だと、少なくとも可能性のひとつだと考えている。
彼女にすべて伝えようか。彼はホテルの支配人で(これは花丸も知っているかもしれない)、私は情報交換していたのだと。
でもそうすると私がホテル経営に
それなら、誤解させたままでいればいいのだろうか。
秦野の顔が頭に浮かび、私はあわてて打ち消した。
私は表面的な事実だけを伝えることにする。
「彼、ホテルの関係者なのよ。新しくオープンした」
花丸はうなずく。
「ほら、私は一応、小原家のメンバーでしょ。だから彼が挨拶に来たのよ。ホテルには関係ないって話したら、拍子抜けだったみたい」
「あっ、そうなんだ」
花丸はちょっとがっかりしたようだった。
よかった。これで納得してくれるだろう。そう思った矢先、花丸は可愛らしく首をかしげた。
「そっか、鞠莉ちゃん、昨日は用事があるからお休みで……」
「ええ、ちょっと小原家のほうでね」
「あの人が挨拶に来たんだね」
「そ、そうね」
「それなら別にマルたちに隠さなくても……」
「えっと、ほら、紹介するようなことになったら、花丸たちも面倒でしょ」
「マルは構わないけど、たしかにルビィちゃんはそうかも」
こくりとうなずく花丸。今度こそ納得するはず。
しかし彼女は続けた。
「あれっ、でも、なんでわざわざ松月で……。まるでデ――」
「花丸、新しいホテルのプレオープンイベントに行ったわよね」
私は彼女の言葉を
「うん、行ったけど」
「スイーツ、どうだった?」
「急にいわれても……。えーと、でも、覚えているずら。美味しかったけど、いまひとつピンとこなかったかな」
さすが花丸だ。私はうなずいた。
「そう、それよ。彼ももうすこし質を高めたくて、スイーツを研究してるんだって」
「あ、だからふたりで松月に行ったんだね」
「ええ、話の流れでね」
ふう。ようやく話がそれらしくまとまり、私は落ち着きを取り戻した。
「でも、マルはどうしてこれをいただいたのか、わからなくなってしまったずら」
花丸は手のなかの紙袋を見つめてつぶやいた。
しまった。
「あっ!」
ひとり合点したようにうなずいて、花丸は私に輝く笑顔を見せた。
彼女は私のあわてぶりをみていて、なにを思ったのだろうか。
もしかしたらこれは、誤解したままなのかもしれない。
「それはあくまで、試食のお願いよ」
「うん、そういうことにしておくね。ふたりだけの秘密だよ」
にこにこと笑う花丸を見ながら、私は心のなかでため息をついて――いや、真実を知られるよりはマシよね。そう思った。