「平和的」独裁者の手放せない相談役   作:高田正人

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第46話:縊死

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 唐突だが、カレム・ハウストゥーフは死ぬことにした。彼のプライドは、黄金の鷹とその腹心によって完膚無きまでに踏みにじられたのだ。カレフはこの傷を糧に成長することよりも、全てに背を向けてこの世界から逃避することを選んだ。彼にとっては、もう一度アシュベルドと会うよりも、死ぬことの方が怖くなかったようである。

 

 カレムが自殺の方法として選んだのは、山中での首吊りだった。彼は家にあった縄を持ち、軽食店で昼食を買い、ハイキングのような感じで山を登っていった。中腹まで登ったところで、彼は登山道から外れて少し歩き、空き地で昼食を取ることにした。座り込んで、リュックからサンドイッチとチーズとミネラルウォーターの瓶を取り出す。

 

 これが最後の午餐か、と思うと、カレムの口元に陰鬱な笑みが浮かんできた。実につまらない人生だった。がんばって働いて大手出版社の社長にまでなったのに、少しも幸せではなかった。いったい自分は何のために生まれたんだろう、という考えがぼんやりと浮かんできたが、答えが出るはずもない。

 

 そろそろ食べようか、と彼がサンドイッチに手を伸ばしたその時。

 

「私の分はないのですか?」

 

 いきなり背後から声がして、カレムは危うく跳び上がるところだった。大慌てで振り向くと、少し離れた場所にある大岩の上に、一人の男性が妙な形のあぐらをかいて座っていた。カレムは知らないが、結跏趺坐という形である。

 

(なんだこの薄汚い浮浪者は?)

 

 男性に対するカレムの第一印象はそれだった。実際、男性は浮浪者と大差ない格好をしている。汚れたよれよれのシャツとズボン。櫛が通ることを拒絶するような、くせの強い焦げ茶色の長髪。長く伸びた無精ひげ。何よりも、カレムは男性の目を嫌悪した。死んだ魚のように濁り、どこを見ているのか分からない。

 

「私の分はないのですか? と聞いたのです」

 

 結跏趺坐の体勢を崩さず、男性は再び口を開く。小汚い外見とは裏腹に、不思議とよく通る声だ。空気を通さず、心に直接語りかけてくるかのようだ。だが、その内容は厚かましいことこの上ない。出会った瞬間にたかろうとする男性に、カレムは嫌悪感もあらわに言い放った。

 

「ないよ、君の分なんか」

 

 なるべくそっけなく言ったのだが、男性はまったく動じなかった。

 

「分け合えばよいのです。『常に成果を人と分け合いなさい。あなたの成功を隣で誉め、失敗を隣で肩代わりするような友人を見つけなさい』とは私の金言です」

 

 驚いたことに、男性はカレフから何かもらえると信じて疑っていないようだ。

 

 これから死のうというのに、頭のいかれた変人に絡まれている。自分の現状に、カレムはこれ見よがしにため息をついた。男性はもっともらしいことを言っているが、どう考えてもおかしな話だ。成功したら誉めてくれる上に、失敗したら肩代わりしてくれるような都合のいい人間などいるはずがない。それは単なる奴隷だ。

 

「つまり、自分にとって都合のよいイエスマンを見つけろ、ということか。ふん、馬鹿馬鹿しい」

 

 カレムはいつも社員に言っているような、辛辣な棘のある口調で男性に反論する。男性の死んだ魚のような目が、ようやくカレムに焦点を合わせた。まるで夜空のような目だった。無数の星がそこに瞬いている。

 

「あなたは、そうしてこなかったのですか?」

 

 男性の静かな問いかけに、カレムは思わず後ずさりした。それはどういう意味なのか。いや、彼は気づいていた。ほかでもない自分こそ、男性の格言通りに行動していたのだ。部下の成功を横取りし、部下に失敗をなすりつけ、カレムは日々を苛つきながら生きてきた。一笑に付せるはずの男性の言葉は、鏡のように彼の人生を写していたのだ。

 

「わ、私は――」

 

 懸命になにか言おうとするカレムに、男性は関心を払わなかった。

 

「それよりも、早く私の分を下さい」

 

 一瞬だけ抱いた尊敬の念が、見る間に雲散霧消していく。やはり、この男性はただの浮浪者だ。

 

「ああもう。ほら、どうぞ」

 

 これ以上絡まれるのも面倒で、カレムは男性の要求を呑んでサンドイッチを差し出す。

 

「そちらではなく、ハムの方を下さい。私はハムが食べたいと思っていたので」

 

 何という図々しさだろうか。あろうことか、男性は感謝するどころかさらに要求してきたのである。

 

「勝手にしろ!」

 

 もはや反論する気さえ失せ、カレムはハムのサンドイッチを叩きつけるように男性に渡す。顔を真っ赤にして怒る彼を、男性は不思議そうに見てみた。

 

 

 

 

「君は誰だ? こんなところで何をしている?」

 

 その後も次々と他人のサンドイッチを胃の中に収めていく男性に、カレムは呆れ果てながら尋ねた。

 

「私は名乗るほどの者ではありません。ただ、人は私を〈メンター〉と呼びます」

 

 男性の返答を聞いて、カレムはせせら笑った。こんな浮浪者がメンター、つまり助言者とは聞いて呆れる。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




 ミゼル・オリュトン:「ああ、ついにあなたも会われたんですね。私たちのマジェスティックな師、偉大なるメンターに……」


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