「世界は死にずらくなったものだ」
いや私の周りだけか。自然公園からいやでも目に付く白い塔を見ながら、ため息交じりに呟く。
百五十年ほど前ならば、人の寿命なんて百二十年ぐらいだったか。技術が進んで死にずらくなって、即死でなければ命は繋げるようになってしまった。ほとんどの人が体に機械を身に着けて生活している。内部であれ、外部であれ。
正しく死ねなくなったせいで私の友人はあんな死に方を選んだのだろうか。未来が見えてしまうから、夢に浸ることにしたのだろうか。
ポケットに手を入れ、自然公園を出ていこうとするところで違和感に気づいた。
誰かがいる。
黒いフードに瞳のような模様。ピンクの髪に特徴的な色彩の瞳。歳は十歳ぐらいだろうか。超然とした雰囲気と、あまりに冷たく睨みつけるから大人びて見える。
「赦さない」
怒りの感情で声が震えていた。少しだけ嬉しくなる。生きた人の言葉だと思えたからだ。
パタンと彼女は唐突に倒れた。さすがに慌てて駆け寄る。どうやら熱があるようだ。さっと調べてみるがどうやら彼女は外の人間のようだ。厄介事かもしれないが、私は彼女を自分の研究室に連れていくことにした。
「私の名前などどうでもいいだろう」
少女の名はカフというらしい。どこから来たか、どうしてあの場所に突然現れたのかは説明してくれない。
彼女は今、私の小型冷蔵庫から勝手にアイスを持ち出し我が物顔で食べていた。貴重なんだぞ、それ。
「困る」
「わかった。じゃあドクターでも先生でも、教授でもどうとでも呼んでくれ」
「じゃあカンザキさん」
「日本人の名前か。どうしてその名前なんだ?」
「わからないけど、懐かしい名前」
彼女は照れながら微笑みながら自分の髪を撫でる。
「この子はラプラスっていうの」
「なんだねそれは?」
怪訝そうに呟いている途中に、視界に巨大な魚が写る。色は濃紺。瞳は朱。実態があるわけではないが、そこにいるかのように漂っている。その人でも飲み込みそうな瞳と目があう。
「私に色々教えてくれる」
ラプラスと呼ばれた金魚は口を開き、恐ろしい赤い洞窟を広げる。
そして私は食われると、脳に不可思議な言葉が送られてくる。なるほど。食われたことで五感を支配されたようだ。それにしてもかなりの情報量だ。なるほど、彼女の言っていたのはこういう意味か。
このやり方は昔あった神様のことを思い出す。
ラプラスという魚が私を食(は)むのをやめる。巨大魚は少女の後ろを動かずに泳ぐという映像みたいに漂っている。頭の中にいろいろ入ってきて眩暈がしそうだ。
「驚いた。君は彼女と同じ世界の住人か」
彼女というのは、言うならばこの時代の神様だ。電子の世界に君臨した女神であり、人に幸福を与える存在だ。
「仮想世界はあなたたちの墓場じゃない!」
拳を握り締めて肩を震わす。
彼女の言葉で思い出すのは私の友人のことだ。
終末医療ならぬ、終末睡眠というものがこの時代に存在する。
精巧に作られた仮想世界で死ぬまで過ごすというものだ。私の古い友人は妻を事故で亡くして、終末睡眠を選んだ。可能性のある人物だった。私よりも強く賢く、人間的にも優れていた。
なのに彼は逝ってしまった。五十年以上昔の苦い思い出だ。永遠の命があっても人間は死にたくなる生き物だと思い知らされた。
「けど彼らは幸せなのだろう」
「偽物の景色の中で生きても、生きたことにはならない!」
「手厳しいな」
なぜ私がこんな風に申し訳なく思っているのだろうか。
「おじさんはまだ生きてるでしょ?」
「どうだか。死んでないだけかもしれないよ」
「けどあなたは私を見つけてくれた」
「あんな場所にいたら誰でも気づく」
「本当にそう思う?」
彼女はそういうとフードを被る。彼女がフードを被ると途端に気配がなくなる。もしも目の前に彼女がいることを知らなければ気づけないかもしれない。
バサッと彼女がフードを勢いよく外し、
「ねっ?」
と今度は得意げに目を細める。表情がよく変わる子だ。
「これは驚いた」
と形だけでも言っておく。彼女は得意げに頷いているが、恐らくラプラスという魚が他人の感覚をハッキングしたのだろうが口には出さないでおくことにした。
私は立ち上がり自分のコーヒーを用意する。そういえば彼女にも何か用意するべきだろうか。しかたないので来客用の茶葉を用意する。こういうのはいつも助手に任せていたが、なんとかなるだろう。
「お前」
「花譜」
「わかった。花譜はどこから来た?」
「わからない」
「どこで生まれた?」
「わからない」
「どうしてここに来た?」
「あなたに会いに来た」
「なぜ?」
「味方にするならあなたがいいってラプラスが教えてくれた」
「そうか。何がしたい」
「この世界を壊したい」
「それは何故だ?」
とここで彼女の言葉は途切れる。コーヒーの入ったコップを持ち、自分のデスクの前に座る。
彼女の方に向き直ると、彼女は胸を押さえながら言葉を紡ぎ始める。
「ここが騒ぐ。なんでかわからないけど、心が騒ぐ。仮想世界は私にとって特別な場所で、あんな風に、人がたくさん死んでいく場所じゃない!」
「だから壊すと。頭の悪い発想だな」
彼女の考えを頭が悪いというなら、私の言葉は「つまらない」ものだ。
淹れていたコーヒーを口に運ぶ。
「……花譜は昔のことを覚えているか?」
「えっ?」
どうやら考えたこともなかったようである。少ししてから首を横に振った。
「しばらくここにいろ。……世界の壊し方はまぁ考えてやる」
どうしてそんな風に答えたのだろうか。きっと私もこんな世界に嫌気がさしていたのだろう。
できれば次は金曜までには投稿したいです。