彼女と暮らす日々が始まった。彼女はよく歌っていた。ただ彼女はどうしてその歌を知っているのか、分からないと答えた。何かが欠けているというにはあまりにも大きすぎる気もする。
「この時代の人間は幸せだよ」
私は忌々し気に塔を見ながらつぶやいた。
「見えるだろ」
自然公園から少し離れた砂漠の真ん中に建てられた白い塔。世界で一番きれいな墓場だ。機械につないだ棺桶に、生きた人間が入り、残りの人生を謳歌する。花譜の言った通り、仮想世界は今や人類の最期の場所の一つだ。
「あれを壊すってことは困ったことにいろんな人間にとって不幸なんだよ」
私は自作の棒アイスを彼女と分け合いながら話を続ける。
「この時代は良い時代だよ。虐待、いじめ、病気に、戦争。政治、経済、すべて電子の神様が調整してしまっている。不死身の命に、安らかな死。私もこの時代に貢献してきたつもりだが、平和で息が詰まりそうなぐらいだ。知ってるかい。アイスも、コーヒーも今は人目を忍んで嗜むものなんだよ」
そう取り決めたのは人間で、実現してしまったのが神様だ。窮屈だ。
「難しい言い方しないで欲しいです」
「そうかい。それより何か歌ってくれ。得意だろ」
私の言葉に彼女はベンチから勢いよく立ち上がり、くるっと私に向いて反転する。得意げに目を細めてはにかむ。よっぽど歌うことが好きなのだろう。
すぅーと小さく息を吸う。少女の声が室内に響き始める。
笑うなら
描くなら今だ
言葉なんかじゃ伝わらない
空に放つライン
狂い合う愛
間違いさえ貫いた
道しるべはここだったのか
全ては君が学ぶのだ
notice notice
愛しいかな?別れは
散る煙草の明かりがサインだったんだ
Forget forget
忘れられない
すれ違う視線は知らない
気づけないから
…………
…………
彼女は歌を続ける。私はいつしか目を閉じ彼女の言葉に耳を傾けていた。
「泣いてるのかい?」
瞳の端に雫が煌く。思わずそう尋ねてしまった。
「分からないです。けど私は忘れてしまった。忘れたくないぐらい大切なことがあったことしか思い出せない」
歌い終わると彼女は胸を押さえて、もう片方の手で涙を拭う。
「そうかい。案外それが君の戦う理由なのかもしれないね」
「戦う理由?」
「未練だよ」
「どうしたら思い出せますか?」
「そうだね。戦うこと、抗うこと、歌うこと。今の君ができるのはそれぐらいだ。そうして君は自分の価値と過去を見つけて、自分を証明する。なあに花譜が見つけられなくても、私が観測してみせるよ」
「本当ですか?」
「あぁ証明して見せよう。花譜」
我ながら大きくでたものだ。
「なんとお礼を言えばいいんでしょう」
「いらないよ。また聞かせてくれればね」
「はい」
彼女は嬉しそうに答えた。
「ラプラス」
珍しく私のほうから巨大魚を呼ぶ。すっと手のひらほどの大きさのラプラスが視界に移る。どうやらラプラスの大きさは周囲の機械の数や性能が関わるようで、自然公園には環境調整装置以外の機械はほとんど置いていないため、サイズが小さくなるようだ。ラプラスの気分という可能性もあるが。
ラプラスに指先を噛ませる。もっとも痛みはないし、私の考えをラプラスに情報として食わせるだけだ。電気信号を読み取らせているというのが正しいかもしれない。
「よし出かけるぞ」
「どこにですか?」
「もう一つの現代かな」
私は意味深にそう答えた。
いつもの白衣姿からフード付きのラフな服装を用意する。花譜も普段の服装にフードを被らせて後ろに連れて歩く。
「あのどこに行ってるんですか?」
「まぁ適当に周りを見てろ」
老朽化したコンクリート。塵と埃が舞う町角。私の研究室のある都市とは雰囲気が違う。怖いのか花譜は私の服の裾を小さくつまんでいる。
建築物に無理やりつぎはぎをした建物。錆びた鉄。煤けたプラスチック。廃墟のようでここでも人は生きている。
「私たちがいた研究都市の周りにはこういった集落が形成される。ここもその一つだ」
「カンザキさん。公園で言っていたことと違う」
「違わないさ。なぜならここの住人でもあの塔に入ることはできる。しかも多額の給付金を頂きながらな」
「どういうことですか?」
「終末睡眠を希望することで家族に飯を食わせられるんだよ」
実際には研究協力してくれたから謝礼を支払っているという制度だ。脳についてはまだ解き明かされていた部分もあるし、ドナーの登録をしていれば誰かの肉体のスペアとして肉体を提供することもある。貧乏人が自分の体を資源として売り出せてしまえているのだ。
「お陰であの塔への希望者は尽きないよ」
塔では幸せな人生がシュミレートされている。辞退者なんてそうそう出るわけがないのだ。
崩れた町から見える柱のような塔から視線を外し、歩くのを再開する。
大通りを避けつつも、賑わいの大きい場所に進む。花譜の様子だが、興味深そうにあたりを見渡している。
「こんなところもあったんだ」
「花譜が仮想世界の住人というのなら、この場所は知らないだろう。同じように神様がいくら凄くても、あの人はあくまでも人工知能だ。機械の発展していない場所にはあまり介入はしない」
言いながらおかしな話だとも思った。花譜は私の後ろを中身でついて来ている。だが初めて会った時に、彼女は仮想世界からやってきたという言い方をしていた。
「ラプラス」
私が呟くと相変わらず手のひらサイズの青い魚がヒレを揺らしながら現れる。私は指先を噛ませて、情報を共有する。
「最近仲良しですよね?」
「そうだな」
「私は仲間外れですか?」
ちょっと怒っているように頬を膨らませる。
「いやそういう訳ではないのだ。言語化が上手くできなくてな」
「私が馬鹿だって言いたいんですか?」
ぐっと彼女の顔が一段と近くなる。
「いやまてそうじゃないんだ」
「じゃあなんですか?」
まだ未確定の事項だ。理論も定まっていないし、ラプラスに任せたほうが結論は早い。
「大したことじゃない。私自身正しい答えを持ち合わせていないんだ」
「語彙力ないんですか?」
「怒るな。仲間外れのつもりはしていない。そうだな。英気を養うついでにラーメンでも食べるか?アーカイブを覗いていたのは知っているぞ」
花譜は私の研究室にいる時いつも過去の記録を見ている。やはり音楽が多いが、次に食べ物が多い。私は普段仕事中なので、一人で黙々としていてくれているのは助かっている。
「この時代にあるんですか?」
「まぁついてこい」
どうやら追及を逃れることには成功したようだ。入り組んだ路地を抜け、馴染みのラーメン屋に向かう。時間帯的に少し早い晩御飯といったところだ。
「いらっしゃい。おや先生じゃないか?何かあったのかい」
「別に何も変わらないよ。ただちょっと外の空気を吸いに来たついでだ」
馴染みの店主に答える。なんだかんだで彼とは付き合いが長い。二十年か、三十年ぐらいか。
「おや先生その子は?」
私がフードを外したため、花譜もフードを外したようだ。外ならば子どもは珍しくはないが、突然現れたのは周囲を驚かせてしまったようだ。花譜も私の背に隠れて様子をうかがっている。
「預かっている子どもだ」
「そうですか。まぁ座ってください。いつものでいいでしょ?」
「助かるよ。少し多めで、小皿を頼む」
「あいよ」
店主はそういうとカウンターから離れる。私たちも店の前から奥へと移動する。
席に向かい合うように座ると、花譜は落ち着かないように周囲を見ていた。
「気になるか?」
彼女は小さく頷く。
「この店は食品文化指定を受けている。なんでもかんでも規制しようとする人間が多いが、文化を残そうとする人間も多いということだ」
と説明するがどうやら彼女の興味は別の場所のようだ。
ラーメンが運ばれてくると二人とも会話はなくなり、ただ黙々と食べていた。花譜は少しだけ嬉しそうに、慌てて食べていて喉に詰まらせそうにしていた。取り分けた分では足りないのか、私の方を見ていたのでもう少しだけ分けてやる。
若干十歳だが、どこにそんなに入るのだろうか。
次は週末に投稿できるように頑張ります。