研究施設から外出してから三日ほどが経過した。私はその間仕事を慢心していた。単純に締め切りが近いのに、花譜の相手をしていたせいでもある。彼女はつまらなそうに部屋でデータを見ているか、フラリとどこかに出かけるようになった。どうやらたびたび外に出かけているようだ。施設から出るのには手続きとカードキーが必要なはずだが、どうやっているのだろうか。
「先生最近食事増えましたね?」
「そんなことはないよ?」
私にそう尋ねたのは私の助手だ。もちろん花譜の食事も取り寄せているから、この質問は予想していた。なので白を切ることにした。
「それよりどうしたんだい?」
「あのこの間頂いたレポートなのですが」
「何かあったのかい」
「その上の人が興味をもったようで話を聞きたいと」
先日と言えば、花譜を見ていて思った理論か。簡単に言うと人格の複写は可能なのかといった内容だった。
「そうかい。いつ?」
「できるだけすぐだと。できれば今すぐです」
「今すぐ?」
「はい。こちらがレールのチケットです」
レールというのは一人用のリニアである。
「わかった。じゃあ今から行ってくるよ」
「今からですか?」
「何か問題?」
「いえちょっと驚いて。先生やっぱり最近何かありました?」
「そうだね。少しだけ毎日が楽しいかな」
恐らくは彼女と出会ってから楽しいのだろう。
外出用の上着を用意して、チケットを片手に研究都市の地下に向かう。担当の職員にチケットを見せて、レールに乗り込む。奇妙な浮遊感のあとは静かなものだ。別に来るのは初めてではないので、到着の合図があるとすぐに降り目的の建物へと向かう。
それにしても本部に来るのも久しぶりだな。
「げっ」
受付で要件を説明し、案内人をつけると言われたがその人物に嫌なものを見たかのような声を上げられてしまった。
「お久しぶりです」
「なんでまたあなたなんですか?」
「有能だからじゃないですか?」
背の高く、髪の長い女性だ。彼女は本部の警備部門の主任である。私とはたびたび会う機会があるが、彼女は私のことを毛嫌いしている。理由としては、私が電子の神様に気に入られていると思っているからだ。あの神様はそんなつもりなどないというのに、無用に嫉妬をされ迷惑な話だ。
「こちらです」
キッと睨まれた後に案内されたのは見慣れた何もない小さなドームのような部屋だ。辺りは薄暗く、等間隔に並んだ壁のライトが怪しく光っている。
「では」
最後まで睨んでいて案内人の態度としては失格ではないだろうか。それだけ主人への忠誠が強いということなのだろう。
「お久しぶりですね先生」
音声のあと目の前に金髪の美しい女性が現れる。
「アイ」「アイン」と呼ばれる最初に魂を獲得したとされる人工知能。いや正確には人口知性と言うべきものか。彼女は自分の主人に与えられた「人間を幸せにする」という命題を抱え今日まで活動し続けている。その間およそ百八十年。今の時代を構築したのは彼女といっても過言ではない。
「君にとっては瞬く間だろう」
「いえいえ。先生のレポートを拝見してからは一日千秋の思いでしたよ」
「嬉しいことを言ってくれる」
柔和な笑みを浮かべる彼女はまるで生きているようだ。だが実際は部屋の装置によって目の前にいるように見せているだけだ。拡張現実という奴だ。ラプラスも同じ手段を用いて私の目の前に現れるが、本来は大掛かりな装置が必要なものだ。
私は早速レポートの内容を再度確認する。
問い。魂の複写は可能だろうか。脳をすべて文字化し、別の場所に保存。別の肉体を用意し、文字列化した脳を人口の肉体に搭載する。そうしたものは魂と言えるのかどうか。
「さてこれは書いていませんでしたが、神様そういった実験なさってますよね?」
そもそもこの時代は人工知能が機械や設備を生み出す時代だ。人間の扱える機械などそれこそ人の周りにしか存在していない。
「神様なんて言わずに「アイ」と呼んでください。あなたはいつもそうです。私のことを過大評価なさる」
「アイ。答えて頂きたい」
彼女は小さく頷くと、
「他言は厳禁ですよ」
と付け加えいくつかの資料を宙に浮かべる。私の手前にも手の届く範囲にデータが届く。
「近年人口の問題が言われているのはご存じですか?」
「ええ。少し前から研究者の中でも囁かれています」
人間の長寿化。生殖能力の低下。塔ができたことによる現実世界での生存の放棄。原因は定まっていないが、現在世界人口は減少傾向にある。このまま進めば人間という種は絶滅に至ると言う者もいる。
「その認識で間違っていません。そこで私はある実験を行っています」
彼女の言葉に合わせて、また別の資料が表示される。十歳ほどの子どもの写真が目につく。すべて水槽で培養されている様子だ。ただ今時こんなものは珍しくはない。
ただどこかで見たことがある気がする。
「これは?」
「私は次世代と呼んでいます」
「ほう」
彼女はそこから説明を始める。現在の人類、私たちのような人類ではいずれ数が衰え絶滅してしまう。人類滅亡を回避するために、彼女は次の人類を用意する計画をしているそうだ。
「私の研究とどう関係があるのですか?」
「新しい子どもたちは自分のことを人類と思わないでしょう。なぜなら機械によって生まれ、育てられます。それでは私の手足となって働いてくれている人たちと変わらないのです」
現在でも子どもは少なからず生まれているが、機械の手は多く母子ともに負荷は少ないものとなっている。人から生まれたら人なのか、人として生まれたら人なのか。判断に迷う話だ。
「そこで生きた人間の脳を乗せると?そんな単純なものでもないでしょう」
「ええ。しかし今の人類の多くは四十年ほどで終末睡眠を望む傾向にあります。人類滅亡はもはや悠長に構えられない問題なのです」
「少し聞きたいのですが、ならばなぜあなたは塔なんてものを作ったのですか?」
終末睡眠を行うための施設となるとそれなりの規模が必要である。にもかかわらず、それは今や世界中に存在している。塔に入ることを夢見て人が集まるほどだ。
今の私は仮想世界を墓場にした意味を問わないといけない立場だ。
「必要だったからです。私は人を幸せにするために存在しています。あの塔は必要で、死の恐怖を忘れて穏やかに眠ることを望んだ人がいたのです」
百点の回答だ。傷ついて眠ることを選んだ友人がいた。私に反論の言葉はない。ただ彼女なら、花譜ならなんと答えるのだろうか。逃げてるだけだと、怒りそうな気がした。
本部から戻りその話を花譜にしたら案の定怒っていた。
「どうして死ぬの! 家族は! 友達は! 大切な人はいないの!どうして今を手放してしまうの! 生きているのに!」
目の端に涙を浮かべながら、すごい剣幕で私に迫る。
「そうだな。どうしてなんだろうな」
私は彼女の言葉を抱きしめるように優しく返した。
花譜は肩を震わし怒りを露にしているが、私は対照的に冷静でいつも通りコーヒーとアイスを用意する。
「カンザキさんは怒らないんですか?」
「そうだな。私は寂しかった。いや絶望したのかもしれないね」
苦い思い出として残っているのはそのためだろう。
「私だって本当はいなくなりたくなかった!あれ?」
彼女は自分の言ったことに驚いているようだ。
「昔のことを思い出したのか?」
アイスを花譜に渡しながら尋ねる。
「知らない。だけど胸が苦しい」
言葉の後にアイスを口に運ぶ。
「あなたの友達はどうして死んでしまったんですか?」
「さてね。彼にとっては彼の妻が世界のほとんどだったのだろう。想いの大きさなど他人が軽々しく考える者じゃないよ。痛みも苦しみもその人の財産だ」
「財産?」
「あぁ。前に言ったろ。人間の生きるってことは、戦うことであり、抗うことだ。決して幸せに浸ることを人生とは呼ばない」
「カンザキさんは何と戦っているんですか?」
「私か?私は簡単だよ。死にたくないから生きているんだ。戦ってなどいないが、無駄に苦しむ生き方だよ。苦しいなら逃げればいいのにね」
別れのたびに何度も自問自答したものだ。啜ったコーヒーが余計に苦く思えてしまう。ただ今更そんな理由でこの生き方をやめようとは思わない。
花譜は何も言わなかった。代わりに唇を固く結んで、悲しそうにこちらを見ていた。
「アイスを食べたら公園に行こう。気分転換が必要だ」
私は彼女に提案すると小さく首を傾け頷いた。
「過去に行く方法を知らないか?」
今思えばそれが私の友人との最期の会話だった。
「SFだな。神様なら知っているかもな」
神様にどんな手段を使っても会いたい人物がいることは一部の研究者の間では有名だった。
「そうか。じゃあ僕は塔に行くよ」
「死ぬのか?」
「違うよ。彼女に会いに行くんだ。アインは過去に行ったことがあるらしい。ただしそれは一方通行で肉体があると戻ってこられないんだ」
私は何も答えず、訝しげに聞いていた。喪失によって狂ったのか、現実逃避なのか。日に日に弱っていく彼に私は何と言葉をかけるべきだったのだろうか。
……
……
隠しても
壊しても未だ
言葉なんかじゃ言い切れない
肌を交わす夕日の並木道を
何も言わず貫いた
遠くにいるあなただけが
全ての意味を抱くのだ
I Believe I Believe
何もかも許して
あなただけを感じて生きて来たんだ
forget forget
全部嘘だよ
すれ違う視線は消せない
認めないから
閉ざした意味を探し合うように
お互いの今を気づかぬように
あなただけはわからぬように
全てが
君を殺すから
……
……
花譜の歌を聴いていたら不意に昔のことを思い出した。散りばめられた言葉が、私に過去を想起させたのだろうか。
例えば本当に過去を変えられたら、今を変えられるだろうか。
花譜は歌い続ける。私の知らない言葉を紡ぐ。目を開くと塔が見えるから、私はベンチに座って目を閉じている。
次世代の偽物の子どもたち。減少していく人類。花譜の願い。仮想世界の目覚めぬ夢。脳の文字列の転写。塔で眠る人たちの幸福。過去に行くと言った友人。
「あはははは」
すべての点が奇妙に繋がり、私は笑いを堪えることができなかった。
「どうしたんですか?」
歌うのをやめた彼女が私の元に駆け寄ってくる。
「いいやなんでもない。もしかしたら私は狂ってしまったのかもしれない。ラプラス、花譜。私の話を聞いて欲しい」
理論は定まってなどいない。可能性の話でしかないのだ。自分が興奮していることには自覚的だが、抑えられそうにはない。
もしもそんなことが可能なら、世界が変わるなら、私はそれを見てみたいと思った。