「花譜。お前はこの時代の人間じゃない」
作戦を立てる前に私を正直に花譜に伝えた。
彼女はフードを被り、目を伏せ、震える腕をもう片方の手で抑えた。
「ずっと考えていた。花譜が誰なのか。君はかつて地球にいた「誰か」の器だ」
脳を文字列に変えて移し替えるように、電子の文字列が人の脳に宿ったのが彼女だ。彼女の感情は、文字列に宿った記憶と記録の混濁によってできている。
「どうやってできたか、どうしてここにいるのか、そんな疑問はこの際どうでもいい。重要なのはこれから君が何を成すかだ」
「何を成すか?」
「私は約束通りこの世界を壊そうと思う。破壊活動を行うということではないから安心してほしい。既成概念を一つぶち壊そうと思っているだけだ。少しでも長く人間が地球上で暮らしていけるようにね」
大それたことでもあるが、誰かが指摘すべき事柄でもある。私が今生きてこの結論にたどり着いたのなら、それを伝えるのが役目だろう。一人ぐらいそんな反骨な奴がいてもいいだろう。
「花譜。私の頼みを聞いてくれるか?」
「なんですか?」
不思議な光彩の瞳が自信なさげに私を見る。
「過去を変えてくれないか? 君ならできるはずなんだ」
「どういうことですか」
私は昔友人が話したことを伝えた。過去に向かう方法。電子の世界に形を持っていること。今の時代と、向かうべき時代に繋がりがあること。互いに時代に存在を証明するものを用意すること。必要なものを簡単にまとめるとこの三つだ。
「私たちが挑戦を起こしてもこの時代は何も変わらないかもしれない。だから、君が過去を変えてほしい」
「どうして私なんですか?」
「君は時間が止まったままここにいるからだ」
彼女は電子の世界に取り残された誰かの名残。それがどういう訳か、体を持ち意思を発するようになってここにいる。
私は手のひらを彼女の頭に置く。
「夢や希望はなんだった?やりたいことはこれだったか?」
私は優しく問いかける。
「……違う。わからないけど、私にはやり残しがある。「花譜」には戻りたかった場所がある」
私はその言葉に満足し、彼女の頭を撫でた。
「大分人間らしくなってきたな。そうだ。それでいい。エゴで、自己満足で、好きなことを好きなようにすればいい」
「いいんでしょうか。その私ばかり」
「自分が恵まれてると思ったのか。花譜の存在が魔法みたいなものだから気にするな。それよりその魔法みたいな声で、諦めて寝てる奴らを起こしてやろう」
寝てる側からしたら迷惑な話だろうな。いろいろ理屈は練っているが、私が腹立てている側面も大きい。
「はい。最初のころに言ったとおりになりましたね。私の価値も過去も見つけてもらいました」
照れくさそうにしながらも、彼女は私に微笑みかける。花のように可憐で私は思わず彼女からから視線を外して空を見る。夜の訪れを感じる、光が闇に追われているような空だ。
「当然だ。私は君の観測者(ファン)だからね」
「時間稼ぎ?」
と神様が問いかけるのと部屋のモニターに通話が来たのは同じくらいだろうか。
「失礼します」
アイはそういうと耳元に手を当てる。
「どうしました? えっ架空区画が動いている?」
といったところで彼女はこちらを見る。私は黙って意味深に頷く。
「はい。極秘の実験中です。混乱の起きないように対処お願いします」
良く通る声に話すのは、私にも聞こえるようにするためだろう。やはり彼女は人間に優しい。彼女は腕を下ろし、困ったように腕を組んで私に向き直る。
「どうして先生が架空区画の設備をご存じで、扱えるのですか? あなたの周りに人間以外がいるなら、私も対処を考えないといけません」
「私が知っているのは、かつてあなたが自分の創造主に出会うために使った過去渡航機があることぐらいです。後のことは友人に任せています。私に人工知能が開発した設備を扱う能力はありませんので」
嘘偽りなく答える。ただラプラスの存在については当然黙っておく。こうして万能に扱っているが、あれはなんなのだろうか。今は味方であることがただ心強い。
「信じてください。私たちはあなたの敵ではありません」
また一つ花譜の歌が終わろうとしている。機械が動き始めたというのなら、もうすぐ彼女は行ってしまうのだろうな。
これでいいのだ。私は目を閉じる。花譜はもう一曲ぐらい歌ってくれそうだ。せっかくなので目を閉じてこのまま聞いてしまおう。
私の役目は終わったのだ。私が手を引くのはここまでだ。
彼女の産声を、別れの歌を、私のいない町へ、私のいない空へ羽ばたく彼女を、見送ろう。その旅立ちが、その先が後悔のないものになることを願って。
意外なことに神様は何も私に尋ねなかった。
言葉に感情を乗せて震えるような声。優しくどこか頼りないくせに、芯を感じさせる。まだまだ未完成で、不完全だ。だからこそきっとそれが未来を切り開く力になるだろう。
あぁこれが聴けるのも最期と思うと、さすがに名残惜しいものだ。
ウィーンという電子音と後バタバタと人が流れ込む不愉快な音が訪れる。私は背後から地面に叩きつけられ拘束される。
「確保」
両腕を後ろに回され、上から体重をかけられ動けなくなる。動く首を伸ばして、花譜が左目から涙を流しているのが見えた。あぁそうか行くのか。私は何故かそれに笑みを返した。
「またね」
右手を小さく振って、そんな言葉が聞こえた気がした。
あと少しだけお付き合いください。