アリゾナさんは着任してからずっとうちのエースで、唯一のケッコン艦なんですが、「いまいちその可愛さが周知されていないのでは……?」と思い、書いた次第です。
皆さんで仕掛けましょう、可愛さの絨毯爆撃を……!!
「指揮官……?」
夢にまどろんでいた俺を、
うつ伏せていた机から身を起こす。どれ程うたた寝していたのだろうか。デスクワークを由来とした肩と首の痛みを解しつつ、俺は声の主に返事をした。
「今何時だい、アリゾナ?」
「十七時半です。もうすぐ、日没ですよ」
こちらを窺う秘書艦は、律儀に時刻を教えてくれた。
柔らかな目元と、エメラルドグリーンの瞳。長い睫毛には茜が差し、どこか伏し目がちだ。温和な顔立ちも相まって、透けてしまいそうな儚さがある。けれど、その瞳の奥に、並々ならぬ決意を秘めていることは、彼女に関わる者全てが知っていることだ。
アリゾナ。長きに亘って艦隊の秘書艦を務める、俺の相棒。最近はそこに、「公私ともに」という修飾語が伴われるようになった。
書類をまとめていたらしいアリゾナは、青いファイルを三つ抱えていた。寝る前までは「済」のケースに書類が山積みされていたから、夢を見ている間に彼女がやってくれていたのだろう。
「お疲れですか?」
「少しね」
この秘書艦に隠し事をしても意味がないので、俺は正直に答える。いつぞやみたいに倒れるほどではないにせよ、疲労が蓄積しているのは事実だ。大規模作戦が始まれば毎度のことなので、慣れてしまっている。
アリゾナもそれを承知してくれている。だから咎めはしない。本当に倒れそうになった時は、問答無用で休息を取らせ、甘やかしてくれるのが、うちの秘書艦流だ。
ファイルを棚へ差し込み、戸を閉じて鍵をかけたアリゾナが、節々を伸ばす俺を振り向いた。窓から差し込む夕陽が俺たちの間に横たわる。オレンジが揺れるベールの向こうで、アリゾナが微笑んだ。
「指揮官、息抜き、しませんか」
「今から?」
「はい」
それは……悪くない、かもしれない。正直、ご飯と風呂を済ませたらすぐにでも寝たい気分だったが、それで疲労が拭えた試しがない。人間、体力的な疲労は食事と睡眠でどうにかなるのかもしれないが、精神的な疲労がどうにもならない場合は多々だ。アリゾナと息抜きした方が、よっぽど有意義に違いない。
何より、ここのところ大規模作戦に向けた準備ばかりで、彼女との時間を十二分に取れていなかった。いい機会だから、アリゾナ分を補給しておかなければ。
「そうしようかな」
「……はいっ」
黄昏に大輪の花を咲かせて、アリゾナは頷いた。眦と眉を下げて笑うのが、彼女の癖だ。仕草に合わせて揺れる髪に、夕焼けオレンジが反射して煌めく。
「行きますよ、指揮官」
執務室を出るや否や、アリゾナは俺の手を取って、ぐいぐいと引っ張っていく。向かう先は最初から決まっているようだ。
ふと、懐かしさに胸をくすぐられて、小さな笑いが漏れた。出会ったばかりの彼女は、どこか身を引いて、遠慮ばかりしていたように思う。こんな風に、彼女の方から手を引いてくれるなんて、考えられなかったことだ。
些細な変化と思うかもしれない。けれどそれが、俺にとっては何よりも喜ばしいことなんだ。そもそも、大切な人に手を引かれて、嬉しくない奴はいないだろう?
庁舎を飛び出した俺たちは、工廠を足早に抜けて、埠頭を海沿いに夕陽へ夕陽へと歩いていく。極々自然に、俺たちの足取りは早まっていった。コンクリート製の桟橋たちを通り過ぎた頃には、二人して駆け出す。その先は未舗装の砂浜だ。
さくりさくり、一歩を踏み出すたびに白砂が舞って、太陽光線に混じる。振り向き様に笑うアリゾナの表情を彩る。黄昏時の幻想に染められた横顔が、堪らなく美しかった。
庁舎が彼方に見えるほど走って、ようやく俺たちは足を止めた。どちらからともなく深く息を吐き、砂浜に腰を降ろす。童心に帰った気分だ。体を支配していた怠さはどこへやら、どうにも桟橋辺りで落として来たらしい。
「気持ちいいな」
「はい」
抱えた膝に頭を乗せて、アリゾナがこちらに微笑んだ。水平線の先に沈みつつある光が、その顔に重なる。
「ここの景色が、お気に入りなんです。風が吹いて。波が寄せて。海鳥は鳴いて。そして、光が射している」
アリゾナの言葉を黙って聞く。彼女お気に入りだという景色を、極力邪魔しないように。笑った彼女の想いを、遮らないように。
アリゾナは、浜辺の空気を、その胸一杯に吸い込んだ。深呼吸に合わせて、超弩級の胸が揺れる。俺もそれに倣って、肺の隅々まで、夕陽と潮風を行き渡らせる。
……まったくもって、我ながらだらしのない話だが。海軍の人間でありながら、いつの間にやら、この潮の香りを忘れていた気がする。
「指揮官……?」
夢から覚めた時と同じように、アリゾナが俺を覗き込んだ。つぶらな瞳に吸い込まれそうな感覚。いつか見た南海を思わせる翡翠色が、俺を捉えて離さない。
「ありがとう、アリゾナ。疲れが吹っ飛んだ」
「それは何よりです」
アリゾナは満足げにコロコロと笑った。
二人で肩を並べて、太陽の沈む海を眺める。寄せる白波には幾重にもオレンジが織り込まれていた。海水は砂浜を洗い、時折横歩きのカニたちを巻き込む。海は刻々とその姿を変えるのに、驚くほど平静に感じられた。それをただ眺める俺たちの間からも、時間という概念が薄らいでいく。
ふと、右肩に温もりを感じた。潮風に包まれる砂浜は、夏にも関わらずむしろ肌寒いくらいだったのに、だ。その正体には、すぐに察しがついた。
顔を真っ赤にしたアリゾナが、先程よりも俺に近い場所に――すぐ右隣りに座っていた。いつの間にか、こちらに身を寄せていたのだった。
「少し……寒かった、ですよね」
俯いたまま呟くその耳が赤い。思わず頬が綻んでしまう。
結婚から半年、恋人期間も入れて一年以上。奥ゆかしい彼女は、いまだにこんな感じだ。慣れて欲しいという焦れったさと、これはこれで愛らしいという、二つの感情。
居眠りの中で見た夢の続きを、今見ているような気さえした。
太陽も三分の一が沈めば、辺りは夜と言って差し支えなくなる。鎮守府の上空には、早くも一等星が顔を出し始めていた。少し気の早い瞬きが、新月の夜を待ちわびている。
……待ちわびていると言えば、もう一つ。疲労感が抜けた体は近づいた晩御飯を心待ちにしている。先程から腹の虫が活発化し始めた。頭の中を今日の献立表が何度もよぎる。
それは、となりのアリゾナも同じだったみたいだ。
「そろそろ、戻りましょうか」
「ああ、そうしよう」
先に立ち上がったアリゾナが、そっと手を差し伸べてくれる。その手に、俺の手を重ね、立ち上がる。
だが、その前に。
意図的に、アリゾナの手を強く引く。華奢な彼女は簡単にバランスを崩し、前のめりに倒れて来た。その体を片膝で受け止めつつ――
「っ!?」
そっと、唇を重ねる。感動とか、感謝とか、色んな感情が溢れ出る。それらは最後には、愛しさに集約されるわけだけど。
アリゾナという存在が、どれだけ大切で、愛しいことか。言葉にできない分の感情が、少しでも彼女に伝わるようにと、少し身勝手な願いを抱く。
ほんの数秒の口づけ。アリゾナを解放してやると、その表情はトマトよりも真っ赤になっていた。
「ありがとう。元気出たよ。アリゾナのおかげだ」
「……はい」
アリゾナの笑顔を合図に、今度こそ二人で立ち上がる。これからの夕食に思いを馳せながら、可能な限りゆっくりと。少しでも長く、繋いだ手が揺れていられるようにと。少しでも長く、その温もりが側にあるようにと。
あの夢の続きも、きっと君となら、素敵なものになるから。
いかがだったでしょうか?
勢いそのままに三時間くらいで書き上げたので、書きたかった要素とか、今回は書かなかった要素とか色々ありました。多分またどこかで書くかと思います(未定)。