アリゾナさん短編   作:瑞穂国

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お久しぶりでございます。元気です。
外出自粛中のゴールデンウィーク!ということで、在宅支援兼エアコミケ原稿的な、アリゾナさんのお話です。
久々に仕掛けます、可愛さの絨毯爆撃!!


リンゴとチーズ

 笑わない人だと、思った。

 

 俺の艦隊に、初めてやって来た戦艦――アリゾナに対する最初の印象は、その一言に尽きた。

 それは、感情の起伏がないとか、そういう単純なことじゃない。アリゾナは、とても感性豊かな、KANSENだと思う。確かに、やや臆病で、遠慮がちで、奥ゆかしいところはあったけれど。とても鮮やかな感情を持っている。

 ただ、そこに、決定的に、笑顔が欠けていた。

 代わりに、涙の比率が高かった。アリゾナは、よく涙を流した。真珠のような輝きを、金剛石のような煌めきを、茜色の頬に伝わせる。他のKANSENの笑う中、彼女はいつも数カラットの雫を零した。

 朝陽を見れば、涙を流す。波間の瞬きに、涙を流す。美しいこの世界に、誰もが目を輝かせる中、アリゾナだけは、ぽたぽたと雫を滴らせる。

 アリゾナは、笑顔の代わりに、涙を零す人だった。だから最初から、俺はその横顔が――祈るような涙の人が、気になってしかたがなかった。

 ……思えば、いつからだろうか。アリゾナが、笑ってくれるように、なったのは。朝陽のような眩しさで、波間のような煌めきで、夕焼けのような輝きで、微笑むようになったのは。

 

――「指揮官」

――「指揮官?」

――「あなた」

 

 美しい涙の似合う君だけど。ここ最近思い出すのは、眦を下げる、君の微笑みばかり。ああ、やはり、君には笑顔もよく似合う。

 だから、最初から、俺はアリゾナに――

 

 

 

 

 

 

「指揮官?」

 

 感傷に浸りつつあった俺を、記憶の底から呼び戻す声がする。思い出のページをめくっていた俺は、一旦心のアルバムを閉じて、意識を現実へと戻す。

 こちらを覗き込む、翡翠色の瞳。春の陽を映す淡い輝きは、しかし秘めたる決意を内包している。よく涙を溜めていた瞳が、今は不思議そうに、俺のことを見つめていた。

 デート中の小休憩で立ち寄った、洒落たカフェ。二人分が置かれた紅茶のポットとカップ、二皿のお茶菓子。チーズタルトへフォークを入れるアリゾナが、妙に絵になっている。

 

「アップルパイ、食べないんですか?」

 

 俺の注文した網目模様の菓子を目で示して、アリゾナが尋ねた。

 我ながら、取り繕った笑みを作って、頷く。

 

「ああ、うん。いただくよ」

 

 自分のフォークを手に取って、アップルパイに先端を入れる。爽快な音がして、フォークはすんなり、パイ生地の中へ飲み込まれた。おいしそうな黄色い断面が現れる。

 

「指揮官、何か、ありましたか?」

 

 しかし、聡明な彼女にごまかしが通じるはずもなく、アップルパイを口へ運ぶ前に、エメラルドグリーンの双眸に捉えられてしまう。大丈夫ですか、と八の字になった眉が尋ねている。

 別段、ごまかすようなことでもないのに、何を言い淀んだんだろうか、俺は。浮かべるものが苦笑しかなく、俺は隠し立てすることなく、それまで考えていたことを、アリゾナに白状した。

 

「少し、昔のことを、思い出してた。アリゾナと出会った頃を、ね」

「私と出会った頃……ですか?」

 

 蒼海を宿す髪を揺らして、アリゾナは首を傾げる。

 

「君は、あまり笑わなかったから。――今はこんなに、よく笑うのに」

 

 俺の言葉が予想外だったのか、アリゾナは言葉を発することなく、パチパチと、瞬きを繰り返した。何か思い当たる節があるのか、やがてその頬が少しの熱を帯びた。

 

「そ、そうですか」

 

 一口に切られたチーズタルトが、アリゾナの唇の中へと消える。美しい層ができている断面を見つけて、後から一口貰おうと思った。

 タルトを咀嚼したアリゾナが、朱に染まった頬をそのままに、口を開く。潤んだ唇が紡ぐ言葉には、珍しく、言い淀むような迷いの間があった。

 

「あの……理由、知りたい、ですか」

 

 笑わなかった理由を、ということだろう。

 それを……聞いてもいいのだろうかと、思った。これまで、気にはなっても、尋ねたことはない。今、彼女が笑っていれば、それでいいのだと、思うようにしていた。

 

「――うん。君さえよければ」

 

 頷くと、アリゾナはそっと唇を紅茶で湿らせて、再び口を開く。

 憂いと儚さを帯びる、凛とした声が、テーブルの上に響く。

 

「……最初は、笑っちゃいけないと、思ったんです。私たちは、戦うために、呼ばれていて。それに、私は、戦艦〔アリゾナ〕だったから」

「……そっか」

 

 アリゾナ。その名前には――彼女の望むと望まざると関わりなく、多くの意味が付きまとう。かつての戦争で最初に沈んだ戦艦。真珠湾の惨劇を語る記念艦。平和を願う礎の象徴。誰もが共通して抱くのは、悲劇の戦艦、という一方的なイメージ。

 それは……誰だって、笑えない。一人で背負うには、あまりに大きすぎる。

 涙の人が、どれほどのものを、その双肩で支えていたのか。俺には全く、想像も及ばない。神妙な面持ちで、アリゾナの言葉に頷く他なかった。

 だが、そこでアリゾナは、もう一度言葉を切る。

 

「でも、その……笑わないでくださいね?」

 

 内心で首を傾げた。よく見れば、アリゾナの頬は、それまでにも増して、朱を強くしている。両手で頬を隠すように俯いた彼女は、今にも泣きそうな、潤んだ瞳で、上目遣いにこちらを窺った。

 笑わないで、という前置きに再び頷くと、アリゾナは深呼吸を一つ。やや目を泳がせながら、ゆっくり、語りだす。

 

「一か月くらい、した頃には……その……し、指揮官のこと……か、かっこいいなぁ、って。素敵だなぁ、って、思って。い、一緒にいると、どうしても顔がにやけてしまって。だから、一生懸命、笑わないように、してました」

 

 ついに言ってしまった、とでも言いそうに、両手で顔を覆い、アリゾナは益々深く俯く。体の揺れた拍子にハラリと髪が落ちて露わになった耳は、その先端まで熟れたリンゴみたいになっていた。

 なんだ、この可愛い生き物は。拍子抜けしてしまった俺は、穴があったら入りたいという様子のアリゾナに、そんな感想を抱くほかなかった。

 途端、どうしようもなく、可笑しさが込み上げてきた。さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。今はただ、目の前で悶え震えるアリゾナが、愛しくてしかたがない。

 堪えきれず、笑い声が漏れた。何とかアリゾナとの約束を守ろうと、必死に奥歯を噛み締めるが、この衝動を抑えるには至らない。俺の意志と関係なく、腹筋が震えてしまう。

 指の隙間から、小さな雫を溜める抗議の目を、俺へと向けるアリゾナ。

 

「も、もう。笑わないでって、言ったのに」

「ごめんごめん。――でも、それじゃあ、どうして笑うようになったの?」

 

 笑いを抑えようと努力しながら誤り、さらに続きを促す。

 笑わないって約束したのに、と控えめに頬を膨らますアリゾナは、それでも最後まで、話を続けてくれた。

 

「サンディちゃんが、私が笑ったら、指揮官も笑ってくれるって、言ったんです。――私は、指揮官に、笑ってほしかった。指揮官、全然、笑わなかったから」

「……そう、だったか」

 

 それは、初めて指摘されたこと、だった。俺は、笑わない指揮官だったのか。

 赴任したての頃のことは、今思うと曖昧だ。一日一日、ちゃんと笑えていたか。帰投する彼女たちを、笑顔で迎えられたか。年頃の少女たちに、少しでも微笑みを与えられていたか。よくは、思い出せない。

 憶えているのは、あの頃は初めてのことばかりで、毎日とにかく必死だったこと。

 だとしたら……もしかしなくても。俺に笑顔を取り戻させてくれたのは、目の前の、アリゾナだったのか。

 

「あ、改まって言うと、恥ずかしい、ですねっ」

 

 真っ赤な顔をごまかそうと、アリゾナが二口目のチーズタルトを口にする。やや大きく切られた欠片を、俯きがちに咀嚼していた。ちらりと合った目が、まだ照れくさいのか、すぐに逸らされた。

 俺の顔も、きっと、彼女と同じくらい、赤くなっている。

 

「……アップルパイ、食べないか?」

「……い、いただきます」

 

 ようやく赤みの引き始めたアリゾナが、ようやく顔を合わせてくれた。俺の勧めに頷く。

 アップルパイを、一口の大きさに、フォークで切る。鮮やかなリンゴの、一番大きなところ。今にも蜜が滴りそうなリンゴが、サクサクのパイ生地の間で、トパーズのように光っていた。

 

「はい、あーん」

 

 フォークに差したアップルパイを、アリゾナの方へと差し出す。

 差し出された方のアリゾナは、ようやく朱の引いてきた頬を、またも染めている。二、三と、俺とパイの間を行き来する、翠玉の瞳。やがて、意を決したように、薄い唇が開いた。

 控えめに紅の引かれた唇が、俺の差し出すアップルパイに触れる。口に含んだパイを咀嚼する、シャクリシャクリという音。頬を抑えたのは、ほっぺが落ちそうだからか、それともやはり照れているのか。

 コクリと、アップルパイを嚥下して、白い喉が動く。アリゾナは、それはそれは幸せそうに、笑っていた。

 

「とっても、おいしいです」

「――うん、そうだね」

 

 その笑顔に、一瞬、息ができなかった。

 

「指揮官、こちらのチーズタルトも、おいしいですよ」

「それじゃあ、もらおうかな」

 

 アリゾナの勧めに頷くと、彼女は微笑んで、フォークをチーズタルトに入れた。一口大に切ったタルトを、すっとフォークで刺し、そのまま俺の方へと差し出した。

 

「あ、あーん」

 

 熟れた顔に、エメラルドが輝く。照れて恥じらいながらも、真剣そのものの瞳に、目が離せない。

 震えるチーズタルトへ、顔を近づけた。開いた口に、アリゾナがタルトを押し入れる。

 レモンが混じっているのか。柑橘系の、爽やかな香りが抜ける。チーズの濃厚さを、その酸味がさっぱりとまとめている。程よい歯ごたえのタルト生地も絶品だ。

 

「おいしいですよね」

 

 コテンと首を傾げるアリゾナに、俺は力一杯頷く。それに、アリゾナが大輪の花を咲かせた。つられて、俺も自然と、頬を綻ばせる。

 かつて笑えなかった俺たちは、今は揃って、幸福一杯に、笑い合えていた。




アリゾナさんは、美しい涙を流す方だと思います。
〔アリゾナ〕という戦艦が背負っている物は、きっと彼女から笑顔を奪うほどに、大きく、重い。
だからこそ、いつか素敵に、笑ってくれるのだろうなと。そう思う次第です。
つまりアリゾナさんは可愛い。
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