「はっ」
ふと、誠隆は目が覚めた。
青空が見える。周囲を確認してみれば、そこは見慣れぬ森の中で。
何でこんなところにと誠隆は首を傾げる。
考え込むこと数秒。意識が戻って直ぐの脳がようやくフル回転をしはじめたと思ったら、色々と記憶が蘇って来る。
思い返してみれば、とんでもなく非常識で馬鹿らしくて簡潔だった。
職業安定所で出会った胡散臭い女に面接を半場無理やり受けさせられた挙句、監禁されて空から落とされた。終わり。
小学生でも信じないレベルである。でも、妄想ではなく本当にあったことな訳で。
正直、八雲紫を直ぐにでも見つけ出して拉致監禁で警察に突き出してやりたいところだが……今はそんなことよりも重要なことがあることに誠隆は気がついた。
何で生きているんだろうとか、ここは地球の何処なんだろうとか、家に帰れるんだろうかとか、それよりも心配しないといけないことがあるのだから。
「生きて出られるのかこれ……」
恐る恐る周囲を見回せば相変わらず、鬱蒼と覆い茂る森。
昼間なのに何だか薄暗く、辺りから動物のものとは思えない変な声もする。もう嫌な予感しかしなかった。
早く森を出た方がいいというのは誠隆も理解しているのだが、何処にどう行けばいいのか全く分からない。
携帯を確認してみるが、圏外の表示がされている。
サバイバル技術なんてない誠隆には文明の利器以外で場所を把握する技術なんてなく。
唯一分かることはこの状況で闇雲に動くのは、あまり良い判断ではないということくらいか。
だが何処に居るのかも分からず救助も呼べない以上、食料も何もないのでせめて飲水くらい探しておくべきかもしれない。
とりあえず目印でも置きながら慎重に探索してみよう。
そう判断して誠隆が起き上がろうとしたときだった。
体を起こしたら目の前でハラリと何かが落下した。
「これは……」
誠隆は、それを手に取る。それは水で濡らした布だった。
何となく落ちてきた後を追って、誠隆がそっと頭を触ると鈍い痛みが走る。
落下の時に何処かでぶつけたのか、前頭部に大きなたん瘤が出来ていた。
布はその部分を冷やすためのものだったらしい。
どうやら誰かが手当をしてくれたようだった。よく見れば他にも手当の後が見受けられ、所々包帯などが巻いてあった。
「あ……き、気がついたんですか?」
「っ!?」
不意に、背後からかけられた声に誠隆は身構えながら振り向く。
そこに居たのは、恐らく小学校中学年くらいの少女。
何となくオドオドしているのを見る限り、人見知りする性格なのか。
しかし、誠隆にはそんなことはどうでも良かった。
重要なのはそこではない。
重要なのは彼女の背中にある羽だった。
「えーとその……君がオレを助けてくれたのかな?」
「ひっ!?……は、はい」
少女は驚いて、木の影に逃げこむ。
声をかけただけでそんなに驚かなくてもと、誠隆は苦笑しながら彼女の羽を見た。
コスプレかと思いきや、その羽は時々動いている。
虫の羽のような華奢で透明な羽。
御伽噺に出てくる妖精の羽は、恐らくこんな感じなのだろう。
いや、最近の技術ならばまるで生きているような作り物の羽くらい簡単に作れることは誠隆だって理解している。
だが、誠隆にはその羽は明らかに生きているのが分かった。作り物などではない。本物なのだと。
と言うことは、彼女は妖精なのだろうか。
ありえない。だが、しかし目の前にいるわけで。
それに、もはやありえないことなんてないのかもしれない。
朝の体験を思い出して、誠隆は頭痛がし始めた頭を手で労わりながら少女に問いかけた。
「オレは白南風誠隆。君は?」
「わたしはその……大妖精です」
「そっか……」
そのまんまだった。
…
「つまり大ちゃんが友達と散歩してたら、オレが突然空から降ってきたと」
「は、はい、びっくりしました……」
それから何とかコミュニケーションをとるために試行錯誤しながら2時間ほど費やし、ようやくある程度話せるようになった大妖精から誠隆は色々話を聞いていた。
ちなみに大妖精は特に名前はないらしく、友達から大ちゃんと呼ばれているので誠隆にも大妖精ではなく愛称の大ちゃんと呼んで欲しいとのことだった。
「それにしてもオレ、よく生きてたよな……」
自分の姿を見ながら誠隆は、落ちる直前を思い出す。
相当な高度だった覚えがあったのだが、包帯を巻くくらいの傷ですんだのは果たして運が良かっただけなのか。
「えっと、その、ですね。私の友達が下敷きになってクッションの代わりになったんだと思います」
「ちょっと待って。下敷きって、それは潰れてスプラッタなことに……それに、あの高さからならどう頑張っても普通は死ぬ気が。いやいや落ち着けオレ、気にするところはそこじゃない。その子、無事なの?」
「無事ではないですけど、大丈夫です。妖精ですから」
「え? そ、そうなのか?」
「はい、妖精は死んでもすぐに復活するんです」
「死んでも復活って。ちょっと待って不慮の事故とは言えオレ軽く殺人……いや、殺妖精してるよね?」
「しばらく復活するまで時間がかかるとは思いますけど、大丈夫ですよ」
「え? これ、普通なの? この辺りだと割りと普通? いや、大丈夫ならいいんだけども」
誠隆が大妖精からが聞くには、なんでもここは"幻想郷"という場所らしい。
人、妖怪、妖精、天狗、幽霊、鬼、神、その他もろもろ大勢の者たちが共に暮らす名前の通りまさしく幻想の里。
普通なら信じられない。そんなことを真面目に言う奴は精神科か脳外科に行くべきだ。
だが、誠隆は既に信じざるえないほどのことを体験しているのだ。
認めるしかないというのが、今の誠隆の素直な感想だった。
なお、大妖精には誠隆の知っている日本について幾つか質問してみたが、何も分からないとのことだった。
外国なのか。はたまた異世界なのか。とりあえず言語が日本語で通じているのは助かっていた。
それにしても誠隆が一番初めに大妖精に出会ったのは、正直運が良かったと言えるだろう。
人見知りはされたが、大妖精は温和で敵意を抱かれたりはしてない。
大妖精曰く危険な人食い妖怪もこの森に住んでいるらしいので、そんなのに遭遇していたら危なかった。
「人が住んでるってことを聞けて安心したよ」
幻想郷には人里という人間が住んでいる、比較的安全な場所もあるらしい。
そこでは、里の守護者もおり妖怪も滅多なことがない限り暴れないとか。
さらに言えば、誠隆のような外来人を助けてくれたりする巫女がいる神社まであるとのことだ。
とりあえず誠隆は、その辺りに行って落ち着いてからこれからどうするか決めるつもりでいた。
もちろん最終目的は帰ることだが、恐らくそれを八雲紫は許さないだろう。
料理人が欲しいとか言っていたが実際、本当かどうか怪しいものだ。
何にせよ目的があってこちらに呼んだ以上、簡単に逃がすつもりはないはず。
たとえ帰ったとしても、連れ戻されるのは目に見えている。
面倒なことだ。本当に面倒なことだ。
しかし、あんな化け物じみた存在を前にしてはどうすることも出来ないのもまた事実。
そもそも連れてきたのだったら、何故こんな場所に放置しているのか。
誠隆は、もうため息しか出なかった。
「じゃあ、ここから一番近い人がいるところまで案内しますね」
「助かるよ。落ち着いたら、何かお礼しないと」
「そんな、かまいません。たまたまですし」
今時、こんな素直で良い子は人間の子供でも滅多にいないだろう。
まあ大妖精は人間の誠隆とは天と地の差があるくらい長い年月を生きているはずなので子供扱いするのは失礼かもしれないが。
「さてと、早く森の外に出ましょう。あまり一箇所にとどまっていると本当に危ない妖怪とかに遭遇しかねませんから」
「確かにそうだね……そろそろ日も落ちてきたし」
「はい、本来この森は同じ妖怪や妖精ならともかく人間は余程の理由がない限りこんな場所までは絶対に入りません。特に普通の人間なら妖怪に遭遇したら逃げられませんから」
大妖精の言葉に誠隆も頷く。
日は大分傾いており、夕日に変わりつつあった。
あと1時間もすれば日が暮れてしまうだろう。
夕焼けの光が森に差し込み、まるで世界が血で染まったみたいに見えて何となく不気味だ。
逢う魔が時とでもいうのだろうか。
確かに何か出そうな気がするような妖しさが漂っている気がした。
「妖怪か……出会ったら洒落にならないな」
「そうなのかー?」
「ああ、だって遭遇したら勝てる気がしない。特に人食い妖怪なんてものに出会ったらオレなら速攻で逃げるよ」
「そうなのかー」
「あの……誠隆さん?」
「……ん?」
――今、オレは一体誰と会話していたんだ?
誠隆は、今の声が大妖精じゃないことに気がつく。
何だか嫌な予感がして、額を汗が伝った。
ゆっくりと声が聞こえた方を振り向く。
そこには、満面の笑みを浮かべて口の端から涎を垂らす金髪の少女が居た。
「……誰?」
「ルーミアよ」
見た目は幼い少女だ。
ルーミアと名乗った彼女は赤い瞳を爛々と輝かせていた。
この子は危ない。
誠隆は感情ではなく本能がそう警告していることを悟った。
「えーと……つかぬ事をお聞きしますが、あなた様のご職業は何でございましょうか?」
「しょくぎょう? んー人食い妖怪って呼ばれてることなのかしら?」
「へぇ、人食い妖怪とは変わったご職業で」
「ところで、アナタは食べていい人類?」
「……ねぇ、大ちゃん」
「誠隆さん、逃げてください!」
言葉を遮るようにして叫ぶ大妖精に、ふわふわしていた誠隆は我に返る。
本当に、人喰い妖怪に出会ってしまった。
それが、こんな可愛らしい少女だなんて誰が予想できただろうか。
だが、今は見た目なんてどうでもいい。大妖精が言うとおり逃げなくては。
それは分かっているのだが、誠隆は頭の何処かで逃げても無駄なんだということも理解していた。
そして、逃げれば決定的に何かが終わるということも。
――考えろ。
朝から色んなことがありすぎて、多少慣れたのか。
こんな状況であるにもかかわらず、誠隆は不思議と落ち着くことが出来ていた。
とは言え、何をどうすればいいのか。
誠隆はなんでもいいから何かないかとポケットに手を突っ込んでみる。
あるのは朝、家を出るときにポケットに入れたハンカチと財布、いつも持ってるお守りにコンビニに寄ったときに新商品だったので何となく買ったガムくらい。
所持品を見て、誠隆はふと思いついた。
「なぁ、お腹減ってるか?」
「凄く減ってる。もう、1週間も水と木の実だけなの」
「そっか、大変だな」
「大変だったわ。でも、獲物を見つけたからこれでお腹一杯ね」
「それは良かった」
「うん、良かったわ。いつもなら、わざわざ探したりしないんだけど今回は結構危なかったから探しちゃった。それじゃあ、早速いただきまーす」
「ちょっと待ってくれ。その前にいいものをあげるから」
そういうと、誠隆は口を大きく開けるルーミアの前にガムを出した
ルーミアは口を開けたまま、目の前にあるガムをマジマジと見つめる。
誠隆、ガムの包装を剥いやるとルーミアに一つ差し出した。
「これは、噛むと味がずっと続く食べ物なんだ」
「くれるの?」
「うん。だから、とりあえず先にこれを食べてくれ。あーん」
「あーん」
ひょいっ誠隆はルーミアの口の中にガムを放り込む。
しばらく真顔のまま口を動かしていたルーミアだったが、次第に驚きの表情に変わっていった。
ちなみにガムのパッケージには、ジャーキー味と書いてある。
ベーコン味のガムがあることは知っていたが、まさかジャーキー味とは。
大して変わらないところも含めて製菓会社の意図は確実にネタ。明らかに売れると思っていないことは明白。
ならば乗るしかあるまいと思わず購入した誠隆だったがある意味、運が良かったのか。
ルーミアには、それなりに好評のようだ。
「んー……確かにー噛んでるとお肉の味がしてきておいしいかも」
「じゃあそのうち味がなくなるからいくつかあげるよ」
「ホント? ありがとー」
そんなルーミアを確認してから誠隆は意を決した。
「実は、まだ色々あるんだけど欲しい?」
そう、誠隆は切り出した。
無論、持ち物は他に何もない。
この現状を打破するための今の誠隆に思いつく最善の方法。
嘘。
これはもはや賭けだった。生きるか死ぬかの二通りしか結果のない簡単な賭け。
成功しなかったら、どうなるかなんて想像もしたくない。
誠隆は、緊張しながらルーミアの出方を伺う。
ルーミアは周囲を見渡してから首を傾げた。
「欲しいけど、何処?」
「えーと……ちょっと、向こうに置いたままにしてるんだ。持ってくるから少し待っててくれるかい?」
「うーん、分かった。なら、待ってる」
「うん、ごめんな。じゃあ、ちょっと行って来るから――大ちゃん」
「は、はい」
ルーミアの期待を込めた視線に笑顔で返しながら、誠隆は平静を装いつつ大妖精に目配せをして走って逃げたい衝動を抑えながらその場を後にする。
それから10分くらい歩いただろうか。
「……まさか成功するなんて」
「あはは……」
無言のまま歩いていた誠隆は、不意に大きく息を吐いて地面に座り込んだ。
大妖精は、誠隆のそんな姿を見て苦笑している。
生まれて初めて感じた本当に死ぬかも知れないという極限状態に、誠隆は身も心も疲労困憊だった。
だが、思った以上に上手くいったようだ。
誠隆が思いついたのは実に簡単な作戦。
最初にルーミアは1週間も物をまともに食べていない極度の飢餓状態だと教えてくれた。
そんな状態のときに腹は膨れないとはいえ、珍しいそれも味のあるものを渡しておくことでルーミアに食べ物をくれる良い人と信じ込ませる。
その上で適当な理由をつけて余裕をかまして逃げる。
正直誠隆は絶対に無理だと思っていたのだが、予想以上に思った通りに成功して何か作為的なものすら感じていた。
「まあ助かったし良いか……森を抜けよう」
「でも、大丈夫でしょうか? こんな騙すようなことをして、後で復讐とか……人間の方達って食べ物の恨みは恐ろしいと言いますよね?」
「まあ、そのときは『森で迷った』とか適当に理由をつけて用意していたものを渡すだけだよ。ちゃんと食べられない対策もしておけば問題ないと思う。恐らく、たぶん、きっと……」
誠隆自身、心が痛まないと言えばそんなことはないがこっちは命がかかっているのだ。
多少の嘘を付いただけで、生き残れるのなら誰だって喜んで嘘くらいつくだろう。
力のない人間は、方法を吟味している余裕はないのだ。
ルーミアには悪いが、そのまま騙されてもらうことにした。
「とりあえず人が居るところまで連れて行ってくれるかい?」
「分かりました。では、ご案内します」
先行する大妖精の後に誠隆も続く。
ようやく落ち着けるところまでいける。
それがあと少しだと思うと、誠隆は心躍らずには居られなかった。
とはいえ、これはまだ単純な始まりに過ぎず。
この後、更なる幻想郷の恐怖の片鱗を味わうことになるのだが、今の誠隆はそれを知る由もなかった。