CisLugI遺譚~残骸は安らぎを嘲笑う~   作:あんころもちDX

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前編

 この世界には『尊厳死の権利』というものがある。

 分かりやすく言えば『死にたい時に死んでもいい権利』と言うべきか。

 そのためのシステムとして採用されているのが、この手首に嵌められた起爆リング──『尊厳維持装置』だ。

 健康診断などで体内に小さな楔状の爆弾を入れられ、血液に乗った爆弾は脳に到達すると共に固定される。

 起爆リングに一言『死にたい』と伝えれば数秒後に爆弾が起動し、脳を破壊することで痛みを感じずに安らかに死ねるらしい。

 取り消すのならば『生きたい』と、死への覚悟を撤回すればいい。

 そして死んだ体は解体され、全世界のドナー待ちの患者へと提供される。

 そうだ、世界はうまく回っている。死にたい人間には死を提供し、彼らの死は生きたい人間の命を繋ぐ土台となっている。

 実にシンプルで合理的なシステムだろう。合理的すぎて気に入らないが。

 別に生命への冒涜だとか、そんな高尚なことを述べたいわけではない。

 ただ、『死』と『生』のバランスを『需要』と『供給』の関係に捉え、自身をあたかも神の見えざる手だとでも主張したい奴の澄ました顔に、一発拳を叩き込みたい衝動に駆られる。

 

 

「ぁ──―ぁぅ…うぁぁぉおおぉ」

 

 時間は夜。薄く光る街灯に照らされ、まだ昼の声が余韻として残った公園に似つかわしくないほどの呻き声が響いた。

 ……いや、似つかわしくないというのは少々語弊があるか。この公園は俗に言う『自爆推奨場』として認定されている。

 自爆するなら人前ではなくここへ。そんなキャッチフレーズが付く場所なのだ、ここは。

 ある意味、残骸の巣窟として相応しいかもしれない。

 

 そう、残骸。

 

 足を引き摺る音、不規則に揺れる影、目から流れ出る赤い血。

 命なき者の徘徊。それが三つ。

 個人的には、人通りが多い昼に自爆されなくて良かったと思いつつ、この人気(ひとけ)のない夜に自爆した意味を考える。

 単純に誰にも自分の死ぬ姿を見られたくなかったのか、帰るべき家すら失って絶望したのか、それとも……自分が感染者(・・・)だと悟ったか。

 

 どれでもいい。……どうせ意味なんてないのだから。

 

 そう思ってるのについつい考えてしまうのは、自分がそういう個人の事情に好奇心から気になってしまうからだろうか。

 やはり理由は分からない。

 それを考えるだけの脳を、命を、思考を、既に奪われてしまったのだから。

 だから今は、もう余計なことを考えず、ただただ目の前の現実に専念しよう。

 

「──仕事(ケジメ)開始(スタート)

 

 そう呟いて、自分の中でスイッチを切り替える。フードを深く被って、瞳を覆い隠すゴーグルの位置を調整する。

 その後はゴーグル越しに見える対象へと一気に距離を詰める。

 

「はあああああ!!!」

 

 勢いよく駆け出して飛び上がり、歩く残骸の頭を掴んで地面に叩きつける。

 僕という存在を認識した奴らはこちらに向かってくる。

 先ほどのようなゆっくりとした動きではない。獲物を見つけた野獣のように、猪突猛進にこちらへと突撃してくる。

 

「ぁぁぁうぉぁあっっっ!!!!」

 

 それはまるで死肉に群がろうとするハイエナのようだと感じた。

 向かってくるのは二人。地面に叩きつけた奴もジタバタと暴れ始める。

 赤い血の涙を浮かべてこちらを襲おうとする存在──世間ではそれを『自爆ゾンビ』と呼んでいる、らしい。

 

「まずは一つ」

 

 頭を掴む手に力を籠める。やがてミシミシと軋む音と共に頭蓋骨にヒビを入ったのが分かる。

 これで些か抜きやすくなり、確実に一体仕留められるようになった。

 

「────破ッッ!!」

 

 そのまま掴んだ手を一旦離しつつ、手首を捻らせてから親指を曲げる。その後、自爆ゾンビの顎先に向かって一歩足を前に出してから掌底で打ち抜く。

 

「ぁぅうぇっ?!」

 

 ぶしゅ、という何かが抜けたような音が聞こえ、一体目の自爆ゾンビが地面に伏す。

 横目で見れば地面に二つの赤い楔のような物体が転がっていた。

 続いてこちらに襲いかかってくる自爆ゾンビの内、向かって右側の方へ掌を向け、その顎先に打ち込む。

 

「おごぅぉえぅ!!」

 

「もう一発!」

 

 やはり頭蓋骨にヒビを入れないといまいち抜けないようだ。

 なので()かさず掌底を再度打ち込む。

 

「────ぅぅ……」

 

 沈黙して地に伏し、地面に転がる赤い楔を確認。力加減を弱く設定しているとは言え、二発打ち込んだためか顎先の骨が潰れてしまったのはご愛敬としていただきたい。

 さて、ついに最後の三体目だ。

 こちらに両手を伸ばして突撃してくるのを見て、まず相手の右手首に対して貫き手の構えで手刀を打ち込み、同時に骨盤に蹴りを入れる。

 これによって体のバランスが崩れたのを見て、相手の伸びたままの左手を掴んでこちらに引き寄せ、右手で頭を掴んで力を籠める。

 なるべく中身を潰さず、骨だけに亀裂を入れる。

 

「ぁうぇおぅぅ!!」

 

「良い安らぎを、ってね」

 

 最後の仕上げとばかりに右手で掌底を顎先に打ち込んだ。

 やはりぶしゅっという音と共に地に伏すのだった。

 

「ほい。本日の仕事(ケジメ)完結(フィニッシュ)

 

 公園に転がる三体の死体と六本の赤い楔。

 僕は三体の死体を担ぎ上げてから六本の楔を全て回収すると、それらを近くのゴミ処理場へと運び、夜間で警備が薄いことをいいことに無断で侵入する。

 

「夜間にお邪魔しますよー、っと」

 

 誤解しないでほしいのは、別にそのまま生ゴミと一緒に死体を違法投棄するわけではない。

 ただ、燃やすのだ。

 ゴミ処理場へ設置されている焼却炉に入れて、燃やす。

 彼らは燃やさなければならない。そうしなければ、パンデミックが起こるのだから。

 この世に自爆なんてものがなければそんなことしなくて良かったのに。

 それだけではない。

 

「僕には、義務がある」

 

 彼らの最期を見届けるという義務が自分にはある。

 彼らが燃える光景をしっかりと見なければならない。

 何故か。意味はない。

 だが、道理はある。

 

 自分の手に触れる。生物としての脈動はなく、生きているとは思えないほどに体温は低く、それでいて硬い。まるで死後硬直のようだ。

 およそ生物としての感触ではない。

 自分の安らぎは、止まった。自分の中の時間は、止められてしまった。

 

「僕達は安らぎを求めて自爆した。死者は生者の役に立つのがこのシステムのはずなんだ。なのに、僕達は生者を襲いたくて仕方がない」

 

 それに終止符を打つ。僕が打たなければならない。

 それが、唯一人としての自我を取り戻した自分に課せられた役目だと、彼らにはできない自分だけの義務なのだと、そう信じている。

 

「僕達に必要なのは『安らぎ』なんかじゃない、決定的な『終わり』だ」

 

 それだけを求めて手がかりを探し続けた。

 あの日から、あの三年前から、ずっとずっと死に恥を晒し続けて来たんだ。

 

 

 

 

────―   ────―   ────―

 

 

 三年前。

 あれは、そうだ。電車に乗っていた。

 確か、そうだな。全ての元凶たるあの女が開催したゼミの帰り道だったな。

 ──『永遠乘(とわの) (みこと)』。尊厳死反対派の筆頭にして、あらゆる命を救うという目標を掲げる女性の研究者。

 黒く長い髪を(なび)かせ、白衣を着た妖艶(ようえん)な人だった。

 彼女のゼミに参加すれば、母を救うヒントがあるのではないかと考えたんだ。

 ゼミはとても有意義だった。ただ、それでも直接的な収穫は得られなかった。

 しかしゼミの終わりに、彼女から紫のリボンでくるまれた一つの白い小箱を渡された。

 

──なるべく人の多い……そうだな、電車内とかで開きなさい──

 

 そう言われたが、その際には発言の意図がよく分からなかった。

 後から思い返せば、あんなものは絶対に受け取ってはいけなかった。

 その日は、ゼミが終わった後はすぐに母の入院する病院にへと向かわなければならなかった。

 そんな時の電車内で、僕は出会ったんだ。いや、出会ってしまったんだ。

 

「やあ、こんにちは」

 

 胸に青いドライフラワーを持つ男──自身を『桐谷』とだけ名乗った男。奴はどこか怪しい雰囲気を持ちつつも、人当たりの良さそうな笑みを浮かべていた。

 電車内は平日の昼だからか空いていて、ちょうど僕が座るシートに向かい合うように奴も座っていた。

 奴は僕に笑みを浮かべた後、すぐさま僕の手の中にある白い小箱を見つめる。

 小箱には優曇華(うどんげ)の花のシルエットが刻まれており、紫色のリボンで包まれていた。

 その観察するような視線に、どことなく不快感が体全体に走った。

 だが、奴はまるでこちらの心の隙を巧みに見極めながら、少しずつ少しずつ侵食してきた。

 最初は他愛のない話でこちらの警戒心を解き、僕の何気ない言葉から悩みを見抜き、それに対しての具体的な対処方法と……何よりもまるで僕のことをなんでも理解しているかのようにさえ思えた。

 

「そうか、君は医者になりたいんだね」

 

「はい。()の母が病気で、なんとしても助けたいんです」

 

 当時、母はまだ特効薬もなく発症事例も少ない極めて珍しい病気にかかっていた。

 父は僕に医学部を目指すように言い、そして自殺した。

 自殺しても保険金が支払われる珍しい会社だったので多額の保険金が降り、それらは母の入院費と僕の学費に充てられることになった。

 母は凄く泣いた。父が死んで、凄く泣いていた。

 その上で、僕に「絶対、お母さんを治してね」と言ってくれた。

 だから僕は、医者にならなければならない。そうでなければ、父の死に意味なんてなくなるから。

 

「それは素晴らしい。君のようなお子さんを持って、お母さんはとても幸せだろうね」

 

「ありがとうございます。桐谷さんは精神科医なんですよね」

 

 その時の僕は奴を羨望の眼差しで見ていた。僕が目指すべき姿が、奴なのだろうとこの時は思っていた。

 

「色々と話を聞いてもいいですか?」

 

「そう大したものじゃないよ。現に、俺の専門分野では君のお母さんを救うことはできないだろう」

 

 そう申し訳なさそうに言った後だ。

 

「だけどね」

 

 その言葉を皮切りに、奴の纏う雰囲気が切り替わったように思える。

 

「君になら、お母さんを救う方法がある」

 

「え……本当ですか?」

 

 奴はニッコリと微笑むと、僕に言い聞かせるように呟く。それはまるで、最高の方法であると錯覚させるような声音だった。

 

「簡単なことだ。自殺させてあげなさい」

 

「えっ……」

 

 言葉を失った。なんで、どうして。沸き上がる戸惑いに畳みかけるように、奴は僕の瞳を覗き込むように言う。

 

「君が医者になるまでに何年かかる? 研修期間も入れれば最短で七年。そこから特効薬ができるまで何年かかる? 基礎研究に二年、非臨床試験に三年、臨床試験に三年、承認申請と審査に一年、合計して九年だ。これは最短期間であり、一番長い場合はその二倍はかかると思っていい」

 

 つまり、ここから特効薬ができるまで最短で十六年、長くて二十五年。

 仮に留年してしまえば、もっとかかってしまう。

 

「俺は悲しいよ」

 

「っ!!」

 

 気づけば、奴は悲痛な表情を浮かべて涙を流していた。それは本当に、本当に痛ましかった。

 実際に痛みを感じているわけではない。だが他人の身を本気で案じているからこそ、奴はその誰かの痛みに涙を流す。

 

「君は確かに母親を愛している。だが君のお母さんは、それだけの期間、ずっと病魔と戦って苦しまなければならない。生かされなければならないんだよ」

 

 僕のやり方は母を苦しめている。必ず特効薬ができるかどうか分からないのに、そのために母を生かし続けるのは罪──いや。

 

「これは、拷問にも等しい。そうは思わないか?」

 

 僕も、そう思った。思ってしまった。

 僕が母をそれだけ病室のベッドに縛り付けるのは、病気で苦しませるのは、生かせるのは──きっと、度しがたいほどの身勝手さだ。

 でも。

 

「それでも、父は母のために自殺しました……」

 

 それじゃあ、父の自殺に意味はなかったのか?

 母が僕に言ってくれた言葉に、本当に意味はなかったのか?

 

「母にもっと生きてほしいと願うのは、そんなに悪いことなんですか……?」

 

 僕の言葉に一度頷くと、少しだけ薄ら寒い笑みを浮かべてこう言った。

 

「医者を志すのならば、一つ忠告しておこう。医師は常に患者の有益になる治療法を提供しなければならず、不利益を与えてはいけない」

 

 医師の倫理の一つ。当然のことだと認識している。

 

「特効薬──つまり新薬には、開発してからすぐに使用すると大きな落とし穴がある。……試験段階では見つからなかった副作用の存在だ」

 

 特効薬の影に隠れる副作用の存在。勿論、そのことだって分かってる。

 

「特効薬によって病は確かに治るかもしれない。だが同時に、致命的な副作用によってそれ以上のダメージを肉体に与えてしまうリスクも考えられる」

 

 奴は視線だけで僕に問う。お前に母親の命を背負うだけの覚悟があるのか、と。

 お前がやろうとしていることは、長い年月を待たせた母親を新薬のモルモットにするのと同義なのだ、と。

 

 

「自殺による安らぎと未知の特効薬、果たしてどちらがお母さんにとって有益なのか……それをまずは考えてみるといい」

 

 奴に言われた言葉に詰まる。どちらが母さんにとって本当に幸せなのか。

 もう母さんの人生にはこれから先、あれほど愛した父さんは存在しない。

 病気が完治したところで、父さんは決して帰ってこない。

 もしかしたら、取り返しのつかない副作用によって今よりもっと辛い人生を歩ませてしまうかもしれない。

 それなら、潔くその生命を終えて、────父さんの元へ送り届けた方が。

 

 そこでちょうど電車が止まってドアが開く。

 奴はニッコリと微笑むと立ち上がり、僕に言う。

 

「苛めてしまってごめんね。でも、これから医者になればこの手の問答は常に君の心を締め付ける。これは絶対に避けられない」

 

 「それと」と付け加えて、白い小箱を指差す。

 

「最後の忠告だが、その箱は早々に捨てておいた方が良い。……まあ、これから味わうであろう母親の苦しみを共有したいのなら、止めないが」

 

 そう言って奴はこちらを振り返ることなく、「君と君の母親に、死す安らぎがあらんことを」と告げて去っていった。

 それを眺め、やがてドアが閉まる。

 まだ母の病院まで遠い。再び電車が走り始め、ガタンガタンという耳慣れた車輪の音が聞こえる。

 

「これを、捨てろ……?」

 

 永遠乘から受け取った白い小箱に視線を落とし、軽く振るが特に何の音もしない。

 

──なるべく人の多い……そうだな、電車内とかで開きなさい──

 

──その箱は早々に捨てておいた方が良い──

 

 果たしてどちらの意見を優先すればいいのか、分からなかった。

 ただなんとなく中に何が入っているのか気になって、好奇心から紫色のリボンを解いてしまった。

 まさに好奇心は猫をも殺すというやつだ。

 

 次の瞬間。

 

《────ダイダ・ロス散布準備開始。五、四、──》

 

「なっ──」

 

 そんな電子音が電車内に響いてしまい、思わず地面に落としてしまった。

 

《三、二、一……散布開始》

 

 小箱から赤黒い煙が噴出し、電車内に広がる。

 

「うお、何だこれ──がっ、ごほっ、ごほっ!!」

 

「ちょっと、もしかして火事?!」

 

「隣の車両に逃げろー!」

 

 あっという間に電車内はパニック。煙を吸ってしまった客は皆一様に咳き込んでその場に倒れてしまう。

 僕もまた、煙を吸ってしまったことでその場に伏した。

 

「ごほっ、こほっ……!」

 

 喉が焼けるように熱い、肺が痒い、目が潰れるように痛い。

 苦しくて、一歩も動けない。

 自分のように泣き叫ぶ人々の声が聞こえる。見なくても分かる。

 たった数秒で電車内は阿鼻叫喚の地獄絵図となったのだ。

 脳内で響き渡るのは、あの男の言葉。

 

──まあ、これから味わうであろう母親の苦しみを共有したいのなら、止めないが──

 

 母さんの、苦しみ……?

 いや、それよりもどうして奴はあんなことを。まるで小箱の中身を知っていた(・・・・・・・・・・・)ような口ぶりだった。

 だが、屈するわけにはいかない。それだけはいけない。

 屈してしまえば、先ほどの自分の言葉を否定することになる。……母を、見捨てることと同義だ。

 そうだ、母さんだってこんなものより、もっともっと苦しい思いをしているんだ。

 精神的にも、肉体的にも。それなのに負けないで頑張ってるんだ。

 僕が医者になるのを、信じて待ってくれてるんだ。

 だから、きっと────。

 

 

──「死 に た い」──

 

 

 その呪詛が聞こえた。

 言ったのは僕じゃない。他人だ。

 今、自分以外の他人が、命を手放した。

 

《了解致しました。解除の場合は、再度音声での認証をお願い致します。起爆まで、十、九、八、七……》

 

 待て。待ってくれ。

 

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

──「死 に た い」──

 

 

《了解致しました。解除の場合は、再度音声での認証をお願い致します》

 

 あちらこちらで死を乞う言葉と、開始されるカウントで溢れかえる。

 やめろ、やめてくれ。

 そんな、死にたいなんて言わないでくれ。

 それが、大衆の意見なのだと。そんな風に勘違いしてしまいそうになる。

 この苦しみに対し、人は死を迷いなく選ぶと。そう言われたような気がした。

 それはすなわち、己が母すら、ある日ふとしたキッカケで死を選んでしまうという証明に他ならない。

 耐えきれなくなったら、もう……僕を置いて、簡単に逝ってしまうのだと。

 

《三、二、一……起爆します》

 

 そのアナウンスが流れてから次々に消えていく苦悶の声。

 苦しみから解放され、彼らを包むのは静寂な安寧である安らかな死のみ。

 

 

 

「──―ぁ……ぅぅ……」

 

 

 

 そんな時、うめき声が聞こえた。それも一つではない。

 僕の周りのあちこちからだ。

 ……なぜ? 皆、確かに自爆したはずだ。それなのにどうして。

 

「うぉえ……うぁうぅぅ」

 

 地に伏していた彼らの体は立ち上がり、不規則に左右に揺れる。

 瞳から頬を伝う赤い血の涙。

 ああ、この形相を見たことがある。大昔の映像媒体で見た──『ゾンビ』というやつだ。

 それらが一斉に、僕に襲いかかろうとしている。

 ……はは、冗談だろう?

 待てよ、意味分からねえよ。

 どういうことなんだよ、なんで……なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。

 もう、何が現実で、何が虚実なのか分からない。

 恐怖と戸惑いで頭がどうにかなってしまいそうだ。

 目の前のゾンビのようなものを見て思う。

 

 そういえば、ゾンビに襲われた者の末路とはどのようなものだっただろうか。と。

 

──ああ、そうだ。

 

「喰われて、死ぬ。……はは、生きてる奴の糧にすらなれやしないのか」

 

 もう、耐えるとかそういう次元の話じゃない。

 とにかく苦しくて苦しくて、でも死ぬには至らなくて。

 そんな生殺しに近い状態に加えて、未知の存在への恐怖心で足がまともに機能しない。

 こんな状態で、この自身を囲うゾンビの大群から逃げるなんて無謀としか言い様がない。

 だから、僕に残された選択は二つ。

 

 一つは、大人しくゾンビ共に喰われる。苦痛の中、喰われる恐怖に苛まれながら消えていく。

 

 もう一つは、……。

 

 そこで、起爆リングを見つめる。

 そう、『尊厳維持装置』。それにたった一言吹き込むだけで、苦痛を感じることなく死ねる。

 

 どうせ死ぬなら、楽な方がいい。母さんだって、きっとそうだ。

 きっと本当は、楽になりたいんだ。そうだ、そうに違いない。

 

 もう、僕の心は完全に折れていた。

 だからもう、起爆リングに付いたカードに触れる。

 たった一言、呟く。

 

死にたい

 

 僕は安らぎを求めた。命を手放した。未来を捨てた。

 死に、屈した。

 

《了解致しました。解除の場合は、再度音声での認証をお願い致します。起爆まで》

 

《十》

 

 いよいよカウントダウンが始まる。

 ああ、僕は選択してしまった。

 

《九》

 

 ゾンビ共が一歩ずつ、一歩ずつこちらへにじり寄ってくる。

 早く、早く死なせてくれ……。

 

《八》

 

 そんな鬼気迫る中、思い浮かぶのは父の顔。

 本当は死ぬのが怖いくせに、無理矢理笑顔を作って逝った。

 

《七》

 

 医者になれ。なって、母さんを助けるんだ。世の人々を、母さんみたいな人々を助ける立派な医者になるんだ。

 そう言い遺して、旅立った。

 

《六》

 

 続いて浮かび上がるのは、母。

 元々から体が弱い方で、それが原因で運悪く大病にかかってしまった。

 

《五》

 

 父さんが死んで泣いていた。きっと、本当はあの段階で母の心は壊れかけていた。

 治らない病魔からくる苦しみと、父さんが自分のために自殺した悲しみ。

 

《四》

 

 それでも、待ってくれると。僕を信じてくれた。

 母さんと約束をしたのに。

 

《三》

 

 なら、どうする?

 今更死を撤回するのか?

 お前の口にした『死』は、自分の都合で簡単にねじ曲げてしまえるほど、軽いものなのか?

 

《二》

 

 ……違う。

 そうじゃない。

 僕は、怖くなったんだ。

 奴に、桐谷に言われて。他人の命を預かることの重責に。

 自身の情熱に見合わない、それ以上の苦しみを母さんに強いてしまうということを。

 自分勝手に目指して、自分勝手に捨てたんだ。

 

《一》

 

 なら、やっぱり。

 (おまえ)は、医者には向いてない。

 自分の命にも、他人の命にも、どちらにも向き合えなかった(おまえ)じゃあ、誰も救えやしない。

 (おまえ)だ。他の誰でもない、(おまえ)が殺すんだ。

 

 

──ああ、それはなんて。残酷な話だ。

 

 

《……起爆します》

 

 

 頭の中が、弾けた。まるで風船が割れたような感覚だ。

 しっかりと目を瞑って祈るようにして、両親への謝罪を心の中で述べた。

 ただただごめんと、それだけを繰り返した。脳が弾けるその直前まで、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──どうして。

 

 

「自爆したはずなのに」

 

 

──どうして。

 

 

「死んでないんだ」

 

 

 ゾンビに噛みつかれている。痛みを感じない。

 首に手を当てる。脈なし。

 顔の前に手をかざす。呼吸なし。

 電車の窓ガラスに映る自分を見つめる。目から赤い血の涙が流れていた。

 

ぼく(・・)は、死んだ。はずなんだ。なのに、こんな……」

 

 思考ができない。口から出るものを理解できない。

 考えて喋れない。本能が口を動かす。

 起爆リングに向かって叫ぶ。

 

死にたい……」

 

《……》

 

死にたい……っ!」

 

《……》

 

死にたい!!!」

 

《……》

 

 尊厳維持装置は応答しない。それはもう、役目を終えてしまったとばかりに、僕を嘲笑ってる気がした。

 

「違う。ぼくは、死んだ。違う、死んでない。死んだ、死んでない。()は──……」

 

 

──「『死』に、置いていかれた……」──

 

 

 口にしてしまえば、吐き気が込み上げてくる。それでいて堪らないほどの飢餓感。

 とにかく、自身の体に群がってくるゾンビ達を引き剥がして逃げようとする。

 

《次は、──────────。──────────。お降りの際は、足元にご注意下さい》

 

 アナウンスが聞こえる。

 

──そうだ、母さんの病院がある駅だ。自分が降りようとした駅だ。

 

 開いたドアに向かって駆け出す。

 

「きゃああああああああああ!!!!」

 

 耳を刺す絶叫が聞こえる。視界の端で、電車から漏れでたゾンビ達がホームの人々に襲いかかっているのが確認できた。

 だが、そんなことになんて構っていられない。早く、早く母さんに──。

 

 そこで、また、あの男の声が頭に響いた。

 

──まあ、これから味わうであろう母親の苦しみを共有したいのなら、止めないが──

 

 これから味わう、苦しみ?

 これからって、いつだ?

 苦しみを、共有するって?

 それはつまり、これを母さんも、味わう?

 もし苦しんで、苦しんで、それで死を望んだら、どうなる?

 母さんも、ゾンビに──?

 

 そう思ったら必死に駆け出していた。

 道行く人々は、目から血を流す僕とすれ違う度に悲鳴をあげていた。

 そんなもの、気にしてる暇はない。

 

 それから、どうやって母の病室まで辿り着いたかは覚えていない。

 ただ、覚えている、のは──。

 

 

いぃ……くぃ……

 

 

 僕が、母さんを──。

 

 

「……おやすみ、母さん。父さんと、お幸せに」

 

 

 僕の腕の中で眠る母さんに、それだけ伝えた。

 

 

 

────―   ────―   ────―

 

 

 

 

 死体の焼却が、終わった。

 あの日、僕は全てを失った。将来への展望も、母の命も、自分の尊厳も……何もかもだ。

 だが、一つだけ残ったものもある。

 体はゾンビでありながら自我を取り戻した僕の手で、自爆ゾンビを終わらせる。終わらせなければならない。

 僕にあの元凶となる小箱を渡した、永遠乘。

 あの小箱の中身だけでなく母さんにまで被害が及ぶことを知っていた、桐谷。

 二人を必ず見つけだす。そして決着を着けなければならないんだ。

 

 それだけを糧に、僕はこの三年間、動かざるを得なかった。

 既に行方を眩ませた永遠乘の痕跡を追って、その過程で得られたウイルスのデータによってゾンビ化の発症メカニズムや、ゾンビ化を解くための方法を知った。

 

 人々がゾンビ化する要因、それは『Daed-(ダイダ・)Loss(ロス)』と呼称されるウイルスの作用によるものだ。

 ダイダ・ロスは血液によって脳に運ばれると、直ちに宿主の脳細胞に自身のDNAを打ち込む。そこからまるでドミノ倒しのように少しずつ体全体の細胞にダイダ・ロスのDNAが打ち込まれていく。

 その時点では特にゾンビ化は発症しないものの、尊厳維持装置の起爆による刺激がトリガーとなり、起爆時のエネルギーを吸収して活性化。活性化することでダイダ・ロスのDNAを打ち込まれた細胞は『ゾンビ細胞』へと変貌し、まずは脳の主導権を奪うことで宿主をゾンビ化させてしまう。

 その際、ウイルスの病巣は起爆し損ねた爆弾の残骸を根城にして集束する傾向にあり、これを脳内から取り除けばウイルスの影響力が弱くなり、ゾンビから死体へと戻ることができる。

 このように、自爆した場合にのみゾンビ化することから、一部メディアからは『自爆ゾンビ』と呼称されている。

 自爆ゾンビが人々に襲いかかるのは、慢性的に体を蝕む強い飢餓感によるためだ。ゾンビ細胞を維持するにはとにかくタンパク質が必要で、それを摂取するために目に映る生命体を手当たり次第に襲う傾向にあるわけだ。

 

 前述したように、ゾンビ化を解くためには頭の中に残留した病巣(ばくだん)を排除しなければならない。

 そのための方法なら、銃などを使って頭を吹っ飛ばすのも効果的だ。

 特に拳銃ならば、今の日本なら容易く手に入るため、手軽な対ゾンビ用の武装となるだろう。

 だが、それでも僕が徒手空拳にこだわるのには理由がある。(はた)から見れば下らない理由だが。

 とにかく、なるべく人の姿のままでゾンビから人へと戻したかった。それだけだ。

 そのための方法として、まず頭蓋骨にヒビを入れる。これにより爆弾が体外に抜けやすくなる。これを行わないと頭蓋を丸々潰すことになってしまうので非常に重要だ。

 必要があれば相手の手足を潰すが、前述した理由からできるだけ避けたい。

 このように下ごしらえが済んだのなら、本命である掌底を相手の顎先に打ち込む。正拳突きも試してみたが、同じ条件なら掌底の方が脳のより深い部位にまでダメージが届いて一番効果的だったので、現在のスタンスに落ち着いている。

 自分の体が死後硬直のように硬くなってくれたおかげで、爆弾を外に弾き出すほどの衝撃を出せるようになったのも大きい。皮肉なことだが。

 

 さて、死体が燃え尽きたのを確認してから、赤い楔──起爆済みの爆弾を最後に焼却炉に投げ込む。

 それを見つめながら、なんだかやるせない気持ちになってくる。

 あんな、シャープペンシルの芯にも満たないような物体で、容易く人が死ぬ。あんなものに、人々は自分の最期を委ねてしまっている。

 まさにそれは、人の命の価値を乏していると言っても過言ではないはずだ。

 そう思ったら、堪らなく悔しく、それでいて悲しい。何より自分の存在が、その理由を後押ししていると言える。

 

「……僕は生きているのか、それとも死んでいるのか」

 

 手首に反対の手を添えても脈動を触知できない。体温も冷たい。手の色はとても青白い。

 だがそれは決して心臓が動いていないことを意味しているわけではない。むしろ、僕の心臓は問題なく機能している。

 ただ、ゾンビ細胞に置き換わった皮膚の細胞が大きく肥厚して硬直しているが故に、血管の脈動や熱などが外にまで伝わらないだけだ。

 

 

 生きているとは、何だ。心臓が動くことを指すのなら、僕は該当する。

 死んでいるとは、何だ? 体が動かないことを指すのなら、僕は該当しない。

 

 生きているとは、何だ。尊厳維持装置が稼働していることを指すのなら、僕は該当しない。

 死んでいるとは、何だ。尊厳維持装置が起爆したことを指すのなら、僕は該当する。

 

「僕は生きてるように死んでいて、死んでいるように生きている。でもやっぱり、どちらでもないようにも思える」

 

──ああ、気味が悪い。

 

 吐き気がする。いつもの発作のような感覚だ。

 この体になってからずっと付きまとう不快感。一向に慣れる兆候はない。

 ……いや、きっと慣れてはいけないと本能が警鐘を鳴らしている。

 

「……よし、きちんと燃えたな」

 

 死体も爆弾も、最後まで燃えたのを見届けた。

 ダイダ・ロスは元々は空気感染するウイルスだが、生物の体液に触れると体液感染によって広がるウイルスにへと変わる。

 そんなダイダ・ロスだが、高熱に著しく弱い。大体300℃の温度で完全に死滅できてしまう。

 だからこそ、こうして次の感染者を出さないためにこのようにウイルスに汚染された死体と爆弾を燃やし尽くす。

 それと同時に、これは自分なりの彼らに対する弔いだ。彼らは死体としての尊厳を取り戻したのだと、そう自分に言い聞かせる。

 そうして一連の用事が終わったので、後は警備員に見つからないようにトンズラするとしよう。

 

 白いフードを深く被り、薄暗い夜の闇に紛れる。足音を立てないように門まで駆け、門を飛び越えるようにしてジャンプして外への脱出に成功。

 

「んじゃ、さっさと帰りますか。──おっと」

 

 (きびす)を返すようにその場から立ち去ろうとしたが、視界が気づけば赤くなっていた。

 てっきり先ほどの火のせいだと思っていたが、どうやら自分の想像以上に溜まっていたらしい。

 ゴーグルを手に取って瞳から外した。すると、瞳から絶えず流れ出る血の涙と、ゴーグル内に溜まりに溜まっていた血液がボトボトと音を立てて地面に落ちる。

 長いこと溜まっていた糞尿を出すかのような爽快感がある一方、この錆びた鉄臭さはなんとも言えない。

 

「あ"ぁぁぁ~~……気持ち悪っ」

 

 まるで浴びるように酒を飲んだ翌日のようだ。つまりは二日酔いのような気だるさ。

 地面に滴り落ちる血の池を見ながら、やはり自分は人ではないのだと嫌でも痛感させられる。

 ゾンビは赤い血の涙を流す。止まることなく、ずっと、ずっと────。

 

 その刹那。自分の身を閃光が包み込む。

 

「──っ」

 

 パシャッと、ついでのようにカメラのシャッター音も遅れて聞こえて来た。

 顔が歪むが、今の気持ちを一言でまとめるには非常に難しい。曖昧に述べるとするなら、舌打ちと溜め息で一曲セッションしたい。そんなところだろうか。

 光が発した方を見れば、こちらに向かってカメラを構える小柄な少女がいた。

 ただ、そんな小柄な体型に不釣り合いなほど大きいニュースボーイキャップが一際目を惹いた。

 

「うふふ~、やったです! これは特ダネの匂いがするですよ~!」

 

 心の中での舌打ちと溜め息のセッションは中止。これは舌打ちのターンだ。

 よりにもよって記者に写真を撮られるとは。それも、血を排出している瞬間を。

 最悪を通り越して、極悪だ。

 

「いきなり何でしょうか、お嬢ちゃん」

 

「お嬢ちゃんじゃなくてお姉さんを希望するで~す!」

 

 そう抗議する彼女に「食いつくのそこなんだ……」と漏らす。

 彼女は無い胸を張りながら、自信満々に言う。

 

「こう見えてもあたしは三十一のできる女なのです、フフン!」

 

「……え、僕より一回りも上なの?」

 

「……」

 

 こちらを無言で睨んでくる。……いや、確かにこちらも失言ではあったが、思わずそう漏らしてしまうぐらいに彼女の容姿は自分の目に幼く映る。

 僕の身長より四十cmほど低く、あらゆる部位が平坦。失礼ながら小学生にしか見えない。

 

「……ええと、すみません。……あの、お姉さん?」

 

「はい、なんですか!」

 

 めっちゃ目をキラキラさせながらこちらを見てきた。復活早い通り越してチョロすぎる。

 なんというか、こう実年齢と見た目が噛み合わない人を見ていると、自分の武術の師匠を思い出してしまう。

 ……だが、この分ならなんとか逃げ切れそうな気もする。

 僕はさりげなくゴーグルを着けて瞳を覆い隠す。

 

「夜ももう遅いですし、駅までならエスコートしますよ」

 

「ありがとうです~。でもその前にお話伺うです~」

 

 ……前言撤回。この女、中々思い通りにはいかないらしい。

 彼女の瞳の奥から滲み出る『絶対に逃がさない』という執念が見て取れる。

 

「あたし、しっかりと見てましたですよ~! 貴方の目から血がドバドバと出てるのをです!」

 

「何かの見間違いでは?」

 

 僕は目元を見せる。

 

「ほら、別に血なんて出てませんよ」

 

「それはゴーグルを着けてるからです、取ってからものを言うです!」

 

「……」

 

 チッ、引っかからないか。一応、目元をきつく締める。どうか空気を読んで血が出ませんように。

 それからゴーグルに触れて再度目元から外す。

 

「……ほら、別に血なんて出てませんよ」

 

「どの口がそれを言うですか! もう逆にそれで言い逃れしようとしてるのが信じられないぐらい血が出てるですよ!?」

 

 取り繕うように笑みを浮かべるものの、彼女は空気も読まずに流れ続けてる血液を指差す。

 ……ですよねー。こんなことぐらいで止まるようなら、(はな)からゴーグルなんて身に着けませんわ。

 

「いやいやいや、これは、その……あれですよ。…………手品です」

 

「なるほど、なるほどです。手品なら仕方ないです──ってそんな苦し紛れの嘘に騙されるわけないです! 舐めてるですか!!」

 

「……」

 

 やはり、ダメか。……いや、僕もなんで押し通せると思ったのだろうか。

 

「僕のことを記事にするつもりですか?」

 

 そう観念したように尋ねると、彼女は「う~ん、どうしようかな~です~」ともったいぶるように僕の周りを歩き始めた。

 少しイラッとしたが、その気持ちをなんとか留める。

 

「勿論、記事するのも有りです~」

 

 自我を持ったゾンビなんて記事が出ても誰も信じはしないだろう。だが、多かれ少なかれ僕の活動の支障になることは間違いない。

 僕は渋々頭を下げた。

 

「頼みます。どうか、このことは誰にも口外しないで下さい。僕にできることならなんだってしますから」

 

「ん? 今なんだってするって言ったです~?」

 

 そう怪しく「ふふふのふ~です~」と笑うと僕の手を取って唐突に歩き出した。どういうことなのか、意味が分からなかった。

 

「あ、あの……?」

 

「新入社員ゲットです~」

 

 彼女の言葉の意味が理解できない。

 ただ、なんだろうか。繋がれた手から伝わる彼女の体温と脈動、それは酷く懐かしく、それでいて不快で、どうしようもなく──泣きたくなった。

 

 

 

 

 どれぐらい歩かされたか。恐らく体感で三十分も満たなかったようにも思える。

 唯一幸いだったのは、途中で職質されなくて良かったことだろうか。正直言ってヒヤヒヤした。

 

「到着です~!」

 

 そう元気よく彼女が言うので、それまで俯いていた顔を上げる。

 

──『株式会社 ブラックアリウム社』──

 

 そうプレートに書かれた小ぢんまりした建物が目に飛び込んできた。そしてその横には『社員募集中』の貼り紙もある。

 改めて全体像を見ると、少しボロい木造建築で室内から薄暗い光が漏れていた。

 

「ここは……」

 

「あたしが勤めてる会社ですよ~! よいしょよいしょです!」

 

 そのまま彼女に背中を押されて、まるで押し込まれて運ばれるかのように歩かされる。

 薄暗い廊下を歩く。およそ人の気配が感じられない。

 そう、この建物が自分のように思えた。

 最早あとは朽ち果てるのみだというのに、無理矢理建物として機能させられている。

 建物として、生命の息吹きが消えてしまったような。

 

 

「ムーちゃ~ん! 新入社員をお連れしたですよ~!」

 

 彼女が勢いよく開いた扉の先にはこれまた小ぢんまりとした部屋。

 その最奥には、顎ヒゲを生やしてくたびれたシャツの上に黒いスーツを着てタバコを吸う男がいた。

 男は背もたれのある椅子にその身を委ね、またご立派なデスクには何本ものタバコの亡骸が灰皿に押し込められている。

 男は、少女と僕を「あ~?」と目を細めて睨みつけた。

 

「ったく、こんな時間に何かと思えば。それになぁ、人を大昔のオカルト雑誌みたいな名前じゃなくちゃんと社長って呼べと何回言えば────……待て、今、新入社員と言ったか…………?」

 

 男は頭をかきながら目を見開いた。寝不足なのか、少し目元にクマができているのが分かる。

 それでも、少女の「新入社員」という言葉を聞いてその瞳にはいくらか生気が甦ったように思えた。

 少女は男に僕を見せつけるように「ジャジャーンです!」と紹介をする。

 

「そう! この自爆ゾ──」

 

「ちょい」

 

 僕は空かさず彼女の口を手で塞いだ。今、絶対、自爆ゾンビって言おうとしてたろ。

 

(おい、さっきと約束が違うだろ!?)

 

(え~? そんな約束してたですか~?)

 

 彼女に小声で話しかけると、そう意地悪な表情と共に返された。こ、この(あま)……っ!!

 

(あたしの言うことに話を合わせてくれるなら、口外しないことを約束するですよ)

 

(……分かった)

 

 どうやら彼女は僕の逃げ道を潰すつもりらしい。なんというか、見た目は小学生なくせして、性根は立派なマスコミの人間のようだ。

 一方、男は首を傾げる。

 

「自爆? 自爆がどうかしたのか?」

 

「いいえ! 八年前の阿賀野のご令嬢の自爆事件の取材をした際に知り合った人でして、その時に機会があれば是非とも我が社に入社したいと言ってたので連れてきたんです~」

 

 彼女の言葉に絶句した。僕が、是非ともこのボロ会社に入社したい? 何言ってんだ?

 というか、よくもまあそうポンポンと口からデマカセが出てくるもんだ。

 

「……おい」

 

「ねー? 入社したいですよねー?」

 

 物言いたげな視線を向けたが、即座に「うんって言わないとバラすですよ~」という一見笑っているもののうっすらと目を開いているのが見えた。しかも声もどこか無機質だ。

 ゾンビを脅すなんて、この女、ゾンビより恐ろしいのでは?

 

「は、はい。……入社希望、です」

 

「マジか! いや、本当に人手が少ないんで助かった!」

 

 心底嬉しそうな男と、乾いた笑みしか出てこない自分。

 なんというか、このデスクに大量に置かれた紙の束と顔に滲み出ている疲労感から、本当に人手が必要なのだと感じる。

 そう思うと、何故かいたたまれない気分になった。

 

「それにしてもうちの飛凰にこんな好青年な知り合いが居たとはなぁ」

 

「飛凰……?」

 

 耳慣れない名前だ。僕が首を傾げると、男は「うん……?」と首を傾げてから少女の方へ顔を向ける。

 

「飛凰、お前……自分の身元を明かしてないのか?」

 

「いや、その……あ、あはは……伝え忘れてたかもです~?」

 

 明らかに目が泳いで焦っている彼女の様子に、男の顔は少しずつ満面の笑みになっていく。ただし、同時にこめかみに青筋が浮かんでいる。

 一拍置いてから「ほう」と呟く。

 

「お前が自分の身元も明かしてないにも関わらず、彼は我が社への入社を希望したと?」

 

「…………奇特な人です~」

 

 少女の顔を見れば、口裏合わせとして完全に忘れていたといった感じだ。

 

「飛凰、大人しく彼をここへ連れてきた経緯を話せ。正直にな」

 

「……はいです~」

 

 借りてきた猫のように萎む少女はポツリポツリとここへ来るに至った経緯を話す。

 ただし、僕が自爆ゾンビだというのは伏せた上でだが。

 とりあえず、不法侵入していたゴミ処理場から出て来たところを写真に撮られ、口止めとして連れて来られたという話になった。それ以外の話の本筋は大体同じだ。

 

 男はスゥーと息を吸い。

 

「飛凰ああああああああ!!!!!」

 

「ごめんなさいです~!」

 

 怒声をあげて少女の頭を二つの拳で挟むようにしてロックした。

 

「ムーちゃん痛い、痛いです!」

 

「ムーちゃんじゃなくて社長じゃボケ!!」

 

 男が少女の頭をグリグリと力を籠めてお仕置きをする。

 

「たしかに人手を探して来いとは言ったがなぁ、脅迫してまで連れて来いとは言ってねえぞ!!」

 

「ム"ーぢゃ~ん"、ごめ"ん"な"さいでず~!!」

 

 涙を流して許しを乞う彼女の姿に、少し「ふふ」と笑ってしまう。

 少しだけスカッとした。

 

「はあ……」

 

 男は明らかに落胆したように溜め息を溢していた。まあ、このボロい建物じゃ新入社員は確かに入らないだろうな。

 

「……まあ、その。あれだ。うちの部下が失礼をした」

 

 彼は少し咳払いをしてから、黒いスーツの懐を探って名刺を手渡してくる。

 

「飛凰、お前も出しとけ」

 

「うぅ~。ムーちゃん、もっと容赦してです~」

 

「社長、な」

 

「あだっ!!」

 

 ゴツンとげんとつを落とされて少女は涙目を通り越して抗議の声をあげる。

 

「これはもうデーブイですよ!」

 

「新しいポ○モンか?」

 

「むきー! です!! そんなわけねえです~!」

 

 プンプンと頬を膨らませながらも、「はい、どーぞです!」と彼女も僕に自身の名刺を渡してきた。

 二枚の名刺に目を向ける。

 

「改めて自己紹介をさせてくれ。俺の名前は『玄有(くろう) 夢羽(むう)』。このブラックアリウム社の社長だ。そんで」

 

「あたしの名前は『灰咲(はいさき) 飛凰(あすか)』と言うです! 是非『飛凰先輩』と呼んで下さいですよ! ムーちゃんのことは、『ムーちゃん』でいいですよ」

 

「いいわけあるか! 社長と呼べって言ってんだろうが!」

 

 男の名前は『玄有 夢羽』、少女の名前は『灰咲 飛凰』。

 彼らの名前と顔を見て、自分の記憶にしっかりと刻もうと頷いた。

 生前の記憶は朧気でも、せめて死後の記憶ぐらいは心に留めておきたい。

 社長さんは懐から新しいタバコを取り出して口に咥えると、ライターで火を点けてから言う。

 

「うちは一応雑誌の出版がメインなんだが、このご時世、最低保障のベーシックインカムがあるとは言え、出版一本だけで食っていくのは中々厳しいんでな。半分何でも屋に近い仕事も請け負っている」

 

「何でも屋、ですか」

 

「ああ。お詫びってわけじゃないが、何かあればうちを頼りにしてくれて構わない。依頼料は割引サービスしとくぜ」

 

 彼の言う『何でも屋』という言葉で少し考える。正直言って、この三年間で自分の使える人脈と費用は全て使いきった。

 それでも桐谷と永遠乘に迫るための決定的な情報を手に入れることはできなかった。

 死人の自分が言うのもなんだが、これも一つの縁だ。

 

「なら、探してほしい人がいるんです」

 

「……ほう、人探しか。情報を扱う身としては得意な方だぜ。そんじゃ依頼料だが──」

 

「いえ。僕は無一文なので、その代わりここで雇っていただけませんか。僕への給料が、そのまま依頼料ということでどうでしょう」

 

「──……」

 

 僕の提案に社長さんだけでなく飛凰先輩も目を見開いた。

 どうせもう行く宛もないところだったんだ。

 

「「……」」

 

 突然のことに戸惑っているのか、二人は互いに顔を見合わせている。

 

「体力になら自信があります。ダメでしょうか?」

 

「いや、こちらとしては嬉しい限りではあるんだが。……本当にいいのか?」

 

「ええ、構いません」

 

 それに、目的はもう一つある。

 僕は横目で飛凰先輩を見る。彼女もまた、自分が脅迫して連れてきたとは言え、まさかの展開に右往左往しているようだった。

 

「ええと……つまりどういうことです~? 結果オーライってことです~?」

 

 散々食わせ者な彼女だが、口裏合わせを提案してきた割には自分の名前をこちらに伝え忘れていたりと、いまいち抜けている部分があるので、僕が自爆ゾンビだと口を滑らせないように監視するためにも、ここに留まった方がよさそうだ。

 

「……よし、分かった」

 

 社長さんは数秒ほど思案してから頷き、デスクの中から書類を取り出した。

 

「身元確認のための書類だ、書ける所だけでいいから記載してくれ。本来なら起爆リング内の個人情報を登録する方が遥かに手っ取り早くて楽なんだが……生憎うちは見ての通りの弱小会社でな、その類いの設備は無いんだ」

 

「分かりました」

 

 むしろ好都合だ。僕の起爆リングは自爆した際に既に失効されている。仮に起爆リングをスキャンされたら一発で故人だとバレてしまう。

 やはり予想通り、見た目がボロい会社なだけあって、そういう機材もないようで安心した。というか、未だに箱型の旧式パソコンが稼働しているのを初めて見た。

 ……まあ、仮に機材があったら故障だとかテキトーなことを言って押し通すつもりだったが。

 

「はい、書けました」

 

 僕は渡された書類から生年月日と性別、氏名、年齢の項目を書き連ねていき、それを社長さんに渡す。

 

「……この、名前は」

 

 書類を受け取った社長さんは僕の名前を見て眉間に皺を寄せた。……何か不味かっただろうか?

 書類を睨みつけること数分、「これは……」と呟いた。

 

「…………なんて、読むんだ?」

 

 思わずずっこけそうになってしまった。

 どうやら睨んでるとかではなく、ただ単に凄く目を凝らして書類を見ていただけだったようだ。紛らわしい。

 隣で飛凰先輩が呆れたような声を出す。

 

「フリガナ見ればいいですよ、ムーちゃん」

 

「しゃ・ちょ・う、な? ……いや、この年齢(とし)になるとフリガナとか小さな文字ってマジで見えないんだって」

 

「ブフォッ!」

 

 彼女は大笑いしながら社長さんを指差した。

 

「ムーちゃん、立派なオッサンです~!」

 

「うるせえ俺は社長なんだぞ! 飛凰、だったらお前はこの漢字見て一発で読めるのかよ、ああん?!」

 

「そりゃあ、ええと…………チラッ」

 

「一応言っておくが、フリガナは見んじゃねえぞ!?」

 

 たかが僕の名前の読み方一つでここまで騒ぐ二人に息を吐く。溜め息でも嘆息でもない。

 本当に、ただの息。

 呼吸してないのに息が漏れた。そのことに自分が一番驚いた。

 

(なんだろう。……この感覚)

 

 知らないようで、知っているような気もする。

 そう思ってから、書類に書いた自分の名前を見る。

 そう、名前。あまり深くは考えたことなかったが、そういえば確かに僕の名前を中々一発で読めた人はいなかったな。

 さて、そろそろ騒いでいる二人を落ち着かせるためにも、自分の名前ぐらい自分で言うことにしよう。

 

「僕の名前は、『上地(かみじ) 鍔乍(つばさ)』です」

 

 『上地 鍔乍』。およそ三年ぶりにその名前を他人に対して口にした気がする。

 

「────」

 

 たったそれだけなのに、どうしてこんなに泣きたくなるんだろう。

 失ったものを見つけた歓喜のようでいて、今まで失っていたんだという自覚からくる悲哀のようでもある。

 ただ、これだけは言える。

 

 出会ってから僅か数分ほどでここまで自分をざわつかせる彼ら。

 きっと彼らとの出会いは蠢く屍に成り果てた自分にとっての、最初で最後の救いだったのだろう、と。

 

──ああ、気味が悪い。

 

 相変わらずこの身を苛む不快感も彼らとなら、きっと乗り越えられると、そんな不思議な感覚だった。

 

 

 

 

────―   ────―   ────―

 

 

 

 それから数ヶ月後。

 

 

 僕は契約内容に則ってこのブラックアリウム社の一社員として働いている。

 この肉体になってから特に疲労を感じなくなったおかげか、労働時間は二十四時間の年中無休だ。ただし、時々社長さんからは休むように定期的に怒られる。

 個人的には働いている方が、自分が自爆ゾンビであることを忘れられるから構わないのだが。

 

 そうして、今日もまた僕は取材にへと向かう。

 それも、ただの取材じゃない。

 今から向かう先に、探し求めていた奴がいるのだ。

 

──「お前が探していた永遠乘命だがな、どうやら今はとある病院に勤めているらしい」──

 

 社長さんは、僕が三年間かけても見つけられなかった永遠乘の居場所をあっさりと特定した。

 特定方法は意外にもシンプルだった。

知り合いのオタクな外国人であるハッカーに依頼し、厚生省のデータベースをハッキングしてもらった。

 その際に、医師が二年毎に厚生労働大臣に届け出る現状届から、その居場所を割り出したとのこと。

 ただ、現状届から居場所を割り出すというのは、中々に盲点だった。

 

──「ちょうどその病院で騒ぎが起きてな。お前、取材に行ってこい」──

 

 さて、電車を乗り継いで、人の営みに揉まれながら足を動かす。

 今日も今日とて、沸き上がる不快感と戦いながら死んだ目で世界をゴーグル越しに見る。

 ゴーグル内に貯まる自分の血液のせいか、いつも通り赤く濁って見える。

 シートに座って揺られながらふと窓に目を向けた時だ。超高層ビルというものが見えた。目測で百階近くはあると思う。

 

「あれは、阿賀野コーポレーションか……」

 

 この世界に住んでいるならばその名前を聞いたことがない者は恐らくいないであろうという規模の大企業だ。

 世界中に支社が存在して取り扱う分野は多岐に渡り、物造りだけで見ても文房具からロケット、建築なら学校から病院までと、まさになんでもござれだ。

 そしてその中には、あの尊厳維持装置も含まれており、その生産も請け負っているらしい。

 たしか、現社長の名前は『金剛寺(こうごうじ) 春人(はると)』だったか。

 

「病院……、金剛寺……」

 

 ふと、何か頭の中で引っ掛かる感じがした。何か大切なことを忘れているような。

 ……駄目だ。いまいち意識がはっきりしない。

 とにかく話を戻そう。

 社長さんの話では、金剛寺社長はかなり個性が濃い人物であるらしい。

 飛凰先輩から聞いた話でも、二年前に行われた金剛寺社長による『国内生産部品のみによる純国産ロケット開発計画発表』の記者会見にて。

 

『おい、我が優秀なる秘書よ。我が社に小学生の迷子が紛れこんでいるぞ、丁重に出口まで案内したまえ。…………え、あれで成人、しかもれっきとした記者? マジか、合法なのか。それはもう絶滅危惧種に指定して保護すべきなのでは?』

 

 とか言われたのだとか。彼女は今でも大変根に持っているらしく、もう二度と阿賀野コーポレーションの取材には行きたくないらしい。

 まだ直接取材に行ったことはないが、飛凰先輩が拒否している以上は自分が駆り出されるのは想像に難しくない。

 それよりも、今日向かうのは二つ隣の町のとある病院だ。

 なんでも、病院の地下区画に侵入した男女がトレーラーに乗って逃走しただとか。

 

 幸い死傷者が出ていないようなので安心した。

 

──《次は、──────────。──────────。お降りの際は、足元にご注意下さい》──

 

「──っ」

 

 目的地にもうすぐ到着することを告げる車内アナウンス。

 頭にビリッとした電気刺激が流れ、ふと周りを見渡す。

 あの日とアナウンスした人の声は違うが、思わず顔を手で押さえてしまった。

 そうだ。ここは。これから行く場所は、あそこじゃないか。

 なんで、こんな大切なことを忘れていたんだ。

 再度、車内アナウンスが流れた。

 

《次は、金剛寺大学附属病院前。金剛寺大学附属病院前。お降りの際は、足元にご注意下さい》

 

 母さんが、入院していた病院じゃないか。

 そして、あの日……僕は。

 

──うぅ、あぁ……あぁ……──

 

 

 

 

 母さんを……、母さんは……、母さんが……。

 

 

 

 

 どうやって歩いてきたか、覚えていない。ただ、気がつけば目の前はパトカーの群れが病院の前に埋め尽くされていた。

 現在は警察による調査のため、立ち入り禁止らしい。外で立ち往生をくらった自分と同様の記者がカメラやマイク、さらには録音機の調整確認をしている。

 そんな時、自分以外の周りの起爆リングから通知が流れた。

 

《緊急警報です。只今、中央郊外地区にて、大きな事故が、発生しました。屋外にいる皆様は、直ちに屋内へ避難して下さい。また、お車で移動中の皆様につきましても、直ちに停車をし、誘導する警察機関の人間に従い、中央郊外地区からの避難をお願いします》

 

 内容からして、どうやら災害用アナウンスのようだ。このタイミングで流れるとすれば、もしかすると逃走犯が何かやらかしたのだろうか。

 周りも「特ダネは中央郊外地区の方か!」とか「でも避難しろってことは危険ってことだよなー」とか言ってるのが聞こえてくる。

 僕は、ただただ苦い思い出が残る病院の外観を見つめる。

 ああ、やはり三年ぐらいじゃ全然変わらないか。

 

──ピピピ

 

 すると、懐から携帯が鳴ったので表示を見ると、社長さんからだった。

 通話ボタンを押して電話に出る。

 

「……はい、もしもし」

 

《鍔乍か。今、そっちで大事故が起きたっていうのをネットで見たんで心配になってな。……無事か?》

 

「ええ、僕は大丈夫です。それより社長さん、大事故ってやっぱり……」

 

《ああ、十中八九、逃走犯絡みだろうな。そっちの警察に何か動きはあるか?》

 

 病院の前に陣取る警察を見るが、災害用アナウンスが流れても出動する動きはない。

 

「全く動かないです。まるで、災害用アナウンスなんてなかったかのように」

 

《なるほど。なら、この件は警察隊による避難勧告じゃねえってことだな》

 

「……まさか、自衛軍が出動したとかですか?」

 

《いや、それにしては些か早すぎる。……つまりは、それよりもっと厄介なのがお出ましなんだろうさ》

 

「自衛軍より、厄介なのが……?」

 

 一体何だろうか。よく創作物で見る秘密部隊とかしか思い浮かばない。

 

《んなもん決まってる、国合お抱えの『進駐軍』ってことだ。お前だって社会科の授業で聞いたことぐらいあるだろ》

 

 予想外な名前に思わず目が見開いた。 

 

「進駐軍って、多国籍軍じゃないですか。確かに政府の承認が必要な自衛軍より早く駆けつけられるでしょうけど……でも、どうして、たかが逃走犯如きに。……いや、それにしても駆けつけるのが早すぎじゃないですか?!」

 

《そこなんだよなぁ》

 

 自衛軍でこのスピードはまず難しい。警察隊が動かないならば、現状で可能なのはたしかに進駐軍しかいなくなる。

 数分の後、社長さんは一つの可能性を口に出す。

 

《もしくは、こういうことを見越して予め張り込んでいた、とかだな》

 

「それはつまり、侵入されることを知っていたと?」

 

《ああ》

 

「どうして、そんな……」

 

 何故か口元が震える。決定的な何かが、これから言われようといるかのように。

 

《お前に向かわせた金剛寺大学附属病院だがな、実は前から結構キナ臭い噂話があるんだ。なんでも、自爆を試みて死にきれなかった人間を収容しているらしい》

 

「それって──」

 

 まさか、自爆ゾンビ……?

 いや、それは些か早計か。ここまでの話の流れを見れば、起爆に失敗した人間と捉えるべきか。

 

「でも、尊厳維持装置に不具合なんて……」

 

《ああ、不具合なんて起きない。起きてはならない。だからこそ、奴らはこれを外部に漏洩されないために病院を監視していた。……辻褄は合うだろ?》

 

 確かに、それならばここまで対応が早いのも──

 

「──……っ!!!」

 

 手から力が抜け、携帯が地面に落ちる。通話先から社長さんの「どうした、鍔乍?!」という声が聞こえてくるが、その意味をもう理解できない。

 今はただ、目の前の事象にしか目がいかない。

 

「永遠乘、命……っ!!」

 

 全ての運命を狂わせた元凶の姿が、病院の入り口から見えた。

 何やら警察官と言い争いをしているようにも見えたが、そんなもの知るか。

 今すぐ奴の元まで駆けようとした次の瞬間────。

 

「鍔乍です~、会えて良かったです~!」

 

 ポンッと、何かが後ろから自分を抱き締めてきた。

 振り返れば、そこにはニコッと笑いかける飛凰先輩がいた。

 

「飛凰先輩……」

 

「そんな泣きそうな顔してどうしたです~?」

 

「いえ、その……」

 

 すると、彼女は僕の足元に転がっている携帯に目が行くと、拾ってから耳に当てる。

 

「もしもしです~」

 

《その声は飛凰か!》

 

「あ、ムーちゃんの声が聞こえるです」

 

《ムーちゃんじゃねえっての! ……まあいい、そこに鍔乍はいるか!?》

 

「いるですよ~。ただ、ちょっと元気ないかもです」

 

《……。とりあえず、鍔乍に代わってくれ》

 

「はいです~」

 

 飛凰先輩から携帯を手渡されて、社長さんとの通話に出る。

 

《何があった?》

 

「永遠乘命を、見つけました。そうしたら、もう──怒りが抑えられなくて」

 

 

 

 僕の声から何かを思ったのか、社長さんは「まあその、なんだ」と言葉を選ぶようにして言う。

 

《そう言えば、お前の入社式がまだだったな。今日の取材はもう切り上げて、飛凰連れて帰って来い。今晩は焼き肉奢ってやるよ》

 

「わーい、お肉です~! 奢りです~!」

 

《おーい、飛凰。奢られるのは新入社員だけだ。焼き肉代は、俺とお前で仲良く割り勘に決まってんだろうが》

 

「きーこーえーなーいーでーすー」

 

《おいゴラァ!》

 

 二人のやり取りを見て、なんだか少しだけ心が落ち着いた。

 そして改めて病院の入り口付近を見るが、そこにはもう永遠乘はいなかった。

 幻視、ではないはずだ。あいつの姿を見間違えるなんてない。

 それだけは、決してありえない。

 そう決意を込めて拳を握り締めていると、まるでそれを包み込むように両手で触れられた。それはとても、温かかった。

 

「さあ、鍔乍。帰るですよ~!」

 

 帰る。誰かと一緒に、自分の居場所に帰る。

 頭の中でノイズが走る。

 

──鍔乍、早く帰りましょう。今日は鍔乍が大好きなカレーよ──

 

 小さい頃、河川敷での母さんとの思い出。

 でも、その時の母の顔を、思い出せない。

 そう思うと、自然と手がゴーグルに触れてしまった。

 

「どうしたです~?」

 

「……いえ、何でもありません」

 

 そう言って、彼女に対して首を横に振ってから笑顔を浮かべた。

 

「帰りましょうか」

 

「はいです~」

 

 そう、何でもない。ただ、目から血とは別の何かが溢れでそうになった。

 それが何かは分からない。最初から分かってないのか、分からなくなってしまったのか、判断はできない。

 まあ、いいか。

 理解できないなら、考えるだけ無駄だ。それなら、今は分かる時まで置いておこう。

 彼女に手を引かれ、楽しそうに鼻歌を歌うその姿を後ろから見ながら、そう思ったのだった。

 

 

 

 

 二時間後。

 

 

「それじゃ、鍔乍の入社を祝しまして……遅くなったが、乾杯!」

 

「「乾杯(です~)!」」

 

 社長さん一人に対して、テーブルを間に隔てながら向かい合うように座る僕と飛凰先輩。

 ビールが注がれた三つのジョッキが耳心地よくぶつかった。

 ブラックアリウム社の近くにある焼肉屋。完全個人経営で、従業員は全て阿賀野コーポレーション製の機械──『オートマトン』達であり、彼らが全て客に対して注文から会計まで対応する。

 因みに、これらのオートマトンの名前は『ADACHI』というらしい。名前の由来は知らない。

 社長さんはまずはタン塩、飛凰先輩は豪快に特上カルビを、僕は無難にロースを、それぞれ頼むことにした。

 

《注文の確認をします。タン塩三人前、特上カルビ二人前、ロース一人前。以上でお間違いはないでしょうか?》

 

「ああ、それで構わないぜ」

 

《注文承りました。五分ほど、お待ち下さい》

 

 注文を取り終えると、ADACHIはすぐに次の仕事をこなすために早々に僕達の元から離れていった。

 その様子を見て、社長さんは溜め息を溢した。

 

「なんつーか、やっぱ機械は愛想がねえなぁ。これならまだうちの飛凰の方が可愛げがあるってもんだ」

 

「それ誉めてるですー?」

 

「誉めてる誉めてる」

 

 社長さんは僕の隣に座っている飛凰先輩の頭をぽんぽんと撫でる。

 彼女は最初は心地よさそうにするものの、やがて自分が子供扱いされてることに気づいたのか、すぐさま彼の手を払いのけた。

 

「ムーちゃんはそうやってすぐ子供扱いするです! あたしだってもういい大人なんです!」

 

「社長──は、今はいいか。無礼講ってことで。……いやはや飛凰は大人だな~、大人大人」

 

「絶対にバカにしてるです~!」

 

 顔を真っ赤にして頬を膨らませている彼女を「がはは」と笑いながらビールを煽る社長さん。

 これは最早バカにしているのではなく、単に酔っ払っているだけでは?

 自分も久々にアルコールを摂取するが、いまいち酔えない。この体になってからそういった感覚とは無縁だ。

 このビールも、炭酸入りの麦茶のような味わいで少し気持ち悪い。

 

《タン塩三人前、特上カルビ二人前、ロース一人前。お持ちしました。ご注文を追加する際は、呼び出しボタンを押して、お呼び下さい》

 

 ADACHIが運んできた注文の品々を受け取り、社長さんは肉を金網の上に乗せて焼いていく。

 それから焼いては食べて、注文を追加しては食べる。その繰り返し。その豪快な食べ方に感心しながら見つめる。

 僕は、最初に頼んだロースを口に含んでから言い知れぬ吐き気がしてそれ以降食べる気はしなかった。食欲はあり余るのに。

 ゾンビになってからはとにかく飢餓感に襲われている。とにかく、肉が食いたい。

 それを押し殺し、無理矢理飲み込む。その度に不可解な罪悪感が自分の中で沸き起こる。

 それ故に食事に手が進まない。

 

「おい、鍔乍~。もっと食ったらどうだ? ただでさえ、そんな死人みたいに顔が白いんだからさぁ」

 

「ええ、十分食べていますよ」

 

「嘘つけ~。こっちに遠慮するこたぁ、ないんだぞぉ? なんてったって、お前は奢られる側なんだからよ」

 

「……恐縮です」

 

 そう言いながら、自分の分をさりげなく飛凰先輩のお皿に乗せておく。

 彼女は自分の皿に肉がどんどん乗っていく様に特に疑問を抱かないのか、満面の笑みを浮かべながら口に運んでいた。

 

「あはは~、久しぶりの肉は美味しいです~」

 

「忘れんじゃねえぞ、飛凰。これは俺とお前の割り勘だからなぁ」

 

「ぐうぅぅ~~……ですぅ」

 

「寝たフリしてんじゃねえ~!」

 

 そうやって互いに戯れる姿を見て、僕は一人、今日のことを思い出す。

 永遠乘命。彼女を見つけ、ダイダロスに関する研究成果の一切の破棄と、ワクチン生成法を聞き出すことで、自爆ゾンビという存在そのものを終わらせる。

 

「鍔乍」

 

 すると、社長さんがこちらを伺うように見つめていた。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「飛凰は潰れちまったし、他に客はおらず、徘徊しているのはADACHIだけだ」

 

 そう言われて辺りを見れば、飛凰先輩は「もう食べられないです~」と寝言を言いながら突っ伏しており、他の客は会計を済ませて帰宅したようだった。

 

「話してくれないか。お前が永遠乘命と、桐谷という精神科医を追う理由をさ」

 

「……それは」

 

「訳ありなのは初めて会った時から感じてた。永遠乘命と言えば確かに尊厳維持装置の反対派の筆頭ではあるが、腕だけは確かだ。何人もの患者を救ってきた功労者でもある。あまり恨まれるような印象はないと言ってもいい」

 

 そうだ。社長さんの言う通り、永遠乘は世間一般ではそういう評価をされてる人だ。

 人の命を救う、医療者の鑑。どんな難病だって救ってみせる。

 だが。僕からすれば違う。

 

「社長さんは、三年前の事件を知っていますか?」

 

「三年前……。自爆ゾンビのことか」

 

「はい」

 

「その件は俺も取材をしてた。警察側からは、何者かによるバイオテロってことになったが。……主犯が誰なのかは、まだ掴めていないな」

 

 そこまで言ったところで、彼は「まさか」と怪訝そうな表情で漏らした。

 僕は一度だけ頷く。

 

「主犯は、永遠乘命です」

 

「……それは、確かなのか?」

 

「あの日、永遠乘に言われて電車内にウイルスを散布したのは僕ですから」

 

「……。それで、お前が奴を探すのは何だ? 罪を償うためだとでも言いたいのか?」

 

 社長さんは何か複雑そうに言葉を飲み込んでから、こちらに問う。

 

「自爆ゾンビを、終わらすためです。奴だけがきっと、ワクチンの生成法を知っている。それに」

 

「現在所属しているのが、金剛寺大学附属病院……か」

 

 進駐軍が密かに監視していたと思われる病院、そこにいたのが三年前の事件を引き起こした元凶。

 

「「……」」

 

 数分ほどの沈黙だった。互いに言いたいことを探り合うようにタイミングを伺う。

 先に口を開いたのは社長さんの方だった。

 

「突然だがな、俺って実はそこの飛凰より年下なんだわ」

 

「え"」

 

 横目で潰れている小学生体型の飛凰先輩を見てから、社長さんの方を見る。

 何と言ったらいいのか思案していると、彼は「まあ、そういう反応になるよな」と笑う。

 

「飛凰は三十一で、俺が三十。だからどうしたってわけだけどさ。……あの三年前に、俺の恋人はゾンビになった」

 

「……っ」

 

「しかも相手は、飛凰の妹でさ。……あ、一応言っておくが、妹の方はちゃんとした成人女性の体型だからな。勘違いするなよ?」

 

 彼はそう茶化すように口元だけは笑みを浮かべつつ、それでいて強く握り締めすぎた拳は白く震えていた。

 

「あの頃はさ、まだ自爆したらゾンビになるだなんて知らなかったもんだからさ」

 

 社長さんは語る、昔の映画ではゾンビに噛まれたらゾンビになるのが定番だった。実際、事件当時もゾンビに噛まれた人間が次々にゾンビ化しているようだった。少なくとも、自分と恋人にはそう見えた、と。

 

「だから、彼女は人間としての死を望んで自爆しちまった。それなのに、その瞬間、ゾンビになっちまったんだぜ……?」

 

 彼の目が赤くなり、一筋の涙が頬を伝う。怒りで歪む口元を手で覆い隠す。

 

「頭を飛ばして、俺の手で……殺した」

 

「そのことを、飛凰先輩は」

 

「勿論知ってるさ。何度も何度も、謝ったよ。彼女を殺したことを、地面に頭をぶつけながら土下座で」

 

 社長さんは「だけどよ」と言って、飛凰先輩の方へ視線を向ける。

 

「こいつ、何て言ったと思う? ……“ありがとう”って、言ったんだぜ」

 

 俯いて「ホント、参るよなぁ」と、溢した。

 

「記者として絶対に犯人を突き止めようと奮闘したのに、結局何一つ真相に繋がる情報を得られなくて、何も突き止められなくてさ。……この役立たずって、責めてくれてもよかったのに」

 

 そこまで言ったところで、「あーあ」と髪の毛を掻きむしるようにしてから顔を上げた。ずっと心の中に溜め込んでいたものを吐き出したからか、その表情は幾分か晴れ晴れとしていた。

 それでいて、僕を真っ直ぐに見据える。

 

「俺は、あのウイルスを散布したお前を許さない」

 

「……はい」

 

「でもな、ウイルスを作ったのが永遠乘命だって言うなら、俺はそいつがもっと許せない。お前が自爆ゾンビを終わらせるために動くなら、俺にも手伝わせろ」

 

 強い意思の宿った瞳、その奥からは「逃げるな」という声が聞こえてきた気がした。

 

「いいじゃねえか。俄然やる気が出てきたぜ」

 

「社長さん、僕は……」

 

 あの日、僕が好奇心で箱を開いた。そのせいで、苦しんだ被害者が、目の前にいる。

 あのウイルスが壊したのは人の尊厳だけじゃない。彼の日常すら壊してしまった。

 それを壊し奪った片棒を、僕は担ってしまったんだ。

 でも、彼は。

 

「それ以上、何も言うな。謝罪もするな。お前は俺を見ろ、俺という結果を見て、自分のやらかした過去を見ていろ」

 

 僕の言葉なんか、必要でもなんでもない。

 釈明も、同情も、謝罪も、何の意味もない。

 

「お前を見てれば分かる。お前は自分の意思でウイルスをばら蒔くような奴じゃない。……だがな、お前の行動の結果が、これ(・・)なんだよ」

 

 恋人を奪われて、死んだ目で毎日生きて、真実だけを探す。そんな毎日を、ずっと三年間生き続けた人間。

 そんな、残骸よりも惨めな奴がいるんだと。

 彼の目が訴えかけてくる。

 

「なあ、鍔乍。アリウムの花言葉を知っているか?」

 

「アリウム……?」

 

 社名にもなっている花の名前。その、花言葉。

 僕は首を横に振った。

 彼は一度深呼吸するように言葉を止め、ゆっくりと吐き出す

 

「“正しい主張”と“深い悲しみ”だ」

 

 社長さんのその表情は今にも泣きそうだった。

 

「正しさを追求しそれを発信する過程には、深い悲しみだけが伴い、またそれを受け止めなければならないってことさ。……その意味を籠めて、俺の恋人が社名に取り入れたんだ」

 

「……」

 

「お前はただ、受け入れればいい。それだけで、いいんだ」

 

 僕がウイルスを散布したことも、社長さんが僕を許さないことも、受け入れる。

 罪悪感を感じず、ただその事実を飲み込め。

 

──ああ、それはきっと、どんな罰よりも残酷だ。

 

 

 

 

 

 その後、僕の入社式と称した飲み会は早々に終わり、社長さんは仕事を片付けるために一度会社に戻ることになり、酔い潰れた飛凰先輩を家まで送り届ける役目を賜った。

 

──「とにかく、永遠乘命に関する作戦会議は明日やる。飛凰のことは頼んだぜ」──

 

 彼女をおんぶして、夜道を歩く。そして背負う彼女から聞こえてくる寝息と心臓の鼓動。

 すっかり営みが途絶えた夜には、僕の足音だけが響き渡る。

 彼女の家はブラックアリウム社からそう遠く離れておらず、歩いて十分程度の距離だ。

 

「……う~ん? あれ、鍔乍?」

 

「起こしちゃいましたか」

 

 どうやら目が覚めたらしい。あくびをしてから目を擦る動作が背中越しに伝わってくる。

 なんというか、小学生な容姿なためか、一つ一つの動作が大変微笑ましく思う。

 すると、やがて彼女はジタバタと暴れだした。

 

「おーろーすーでーすー! あたしは一人でも歩けるです~!」

 

「うぉっとと! 飛凰先輩、いきなり暴れないで下さいよ!」

 

「おーろーせーでーすー!」

 

「分かりましたから、ちょっと待って下さい!」

 

 そうして、歩くのはやめて立ち止まり、彼女を慎重に地面に降ろした。

 まだ酔いが覚めてないのか、少し顔が赤らんでおり、足取りもおぼつかない。

 

「先輩、少し休みましょう」

 

「う~ん……じゃあ、そこの公園のベンチに座るです~」

 

「……」

 

 そう言って彼女が駆け出した先は、自殺推奨場の公園。

 彼女と出会った日の夜に、僕が自爆ゾンビと戦ってた場所だ。

 ベンチに腰かけた彼女は自分の隣を叩く。

 

「ほら、鍔乍も座るです~」

 

「……はい。じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 彼女の隣に座り、互いに無言になる。

 僕からは、特に何かを話しかけようと思わなかった。

 先ほどの社長さんとの話にあるように、僕は社長さんの恋人を──飛凰先輩の妹さんをゾンビ化させる要因を作ってしまった。

 何も、言えるはずもない。

 

「ねえ、鍔乍。あたしが寝てる間、何かムーちゃんに言われたです~?」

 

「どうして、ですか……?」

 

「なんか遠慮されてる気がするです。年上だからそういう空気はよく分かるですよ~」

 

 自信満々に笑う彼女。

 何と答えようか迷い、視線が右往左往する。

 

「話して下さいです。鍔乍が元気ないと、お姉さんも元気なくなっちゃうですよ~?」

 

 そのままだと僕の頭に手が届かないため、一度ベンチの上に立ち上がってから両膝をベンチに着け、よしよしと僕の頭を撫でる。

 

「……僕は」

 

「うん」

 

「僕は、取り返しの着かないことをしてしまったんです」

 

 懺悔するように、彼女に言う。三年前の事件を引き起こしたのが、自分だと。

 自分が不用意に箱を開けたせいで、ウイルスはばら蒔かれ、彼女の妹は自爆ゾンビになってしまった、と。

 その一つ一つを、彼女は「うん」と相槌をうつ。

 僕は、社長さんに隠していることが一つある。そして彼女は、それを知っている。

 

「どうして、僕は、自爆ゾンビなのに、自我を持ってしまったんだ……っ!!」

 

 どうして、僕だけが。いっそのこと、自我も芽生えなければ、楽になれたのに。

 僕の嘆きを、彼女は悲しそうに首を横に振る。

 

「ねえ、鍔乍。パンドラの箱って知ってるですか?」

 

「パンドラの、箱……?」

 

「はいです」

 

 パンドラの箱。一度それを開けた瞬間、世界にはありとあらゆる災厄が広がる。

 だが、一つだけ、箱の底に眠る希望によって、世界は救われる。

 

「その希望が、鍔乍なんだと思うです」

 

「僕が、希望だなんて……」

 

 そんな、わけがない。そんなの、嫌がらせだ。

 

「ムーちゃんのデスクの上にたくさんの資料があるですよね。あれは全部、三年前の事件に関する資料です。ずっとずっと、ムーちゃんは犯人を探し続けてるです。あたしが“もう十分だ”って言ってるのにです」

 

 飛凰先輩は、「鍔乍のおかげです」と言う。

 

「鍔乍が人の心を持ってくれたから、三年前の事件を引き起こしたウイルスを作ったのが永遠乘命だって分かった。永遠に続くかもしれなかったムーちゃんの因縁を、終わらせてくれたです」

 

「違う……違う! そうじゃないんだ、そもそも僕が箱なんて開けなければ、こんなことにならなかったんだ! 世の中にウイルスが蔓延せず、平和な日常が!」

 

「そんな保障、どこにもないです。あのウイルスを作った人なら、きっと他の方法でウイルスをばら蒔くはずです。鍔乍がやろうとなかろうと、きっとウイルスは蔓延した。……なら、誰が元凶なのかを知ってる鍔乍が自我を持ったのは、紛れもない希望だと、あたしは信じるです」

 

 飛凰先輩は立ち上がると、こちらに手を伸ばす。

 

「あたしは鍔乍を信じるです。だから鍔乍も、信じてほしいです」

 

「信じる……?」

 

 僕は、死に屈した。死に置いていかれた。

 僕は、生を裏切った。生を信じることを、放棄した。

 両親の期待を、裏切った。

 でも。

 

「信じても、いいんですか……?」

 

 恐る恐る手を伸ばそうとする僕の手を、彼女は手繰り寄せるように力強く握り締めた。

 

「三十一歳、灰咲飛凰。女に二言はないです!」

 

 そう笑う彼女。

 彼女には、僕を憎む権利がある。

 彼女には、社長さんを責める権利がある。

 どうして妹は自爆ゾンビにならなければならなかったのかと。

 どうして妹を自爆ゾンビにした奴を見つけられないのかと。

 彼女は、相応しい権利がある。

 それなのに。

 彼女は僕を慰めた。自我を持ったゾンビを希望と称して。

 彼女は社長さんに感謝した。もう十分だと言って。

 

「憎んだり責めたりするのって、凄く疲れるです。凄く疲れるのに、何も報われないです」

 

 彼女は「だから」とベンチから立ち上がり、満月を背にしながら言う。

 

「鍔乍もムーちゃんも、信じるです。そっちの方が楽しくて、嬉しいですから」

 

「……」

 

 ああ、そうか。

 彼女は、本当は泣きたいんだ。誰よりも、ずっと。

 でも彼女は、強い人だから。皆を笑顔にしたいと、そっちを優先してしまうんだ。

 泣きたいのを、僕達が邪魔しているんだ。

 

「絶対に、絶対に終わらせますから……っ!」

 

「……うん」

 

 僕に彼女は守れない。彼女も、守ってもらうつもりはない。

 だからせめて、あの三年前に終止符を打ちに行こう。

 僕は立ち上がって、彼女と歩く。

 これ以上、社長さんや飛凰先輩のような人々を生まないためにも、終わらせなきゃいけない。

 

 

 

 

「ぁぅあああぇぇあぅ……」

 

 

 しかし、そんな空気を壊すかのように、あの呻き声が聞こえてきた。

 酔っ払いなんかじゃない。残骸の哭き声だ。

 ああ、そうか。ここは確かに自殺推奨場だったな。

 

「……飛鳳先輩、どこか安全な所に隠れてて下さい」

 

「はいです~!」

 

 僕の言葉を聞いて、彼女はすぐさま小さな茂みの中にその身を潜めた。

 ……こういう時には、体が小さいというのは中々利点だな。

 さて、あまり自分の傍にいては彼女を危険に晒すことになる。ここは彼女から距離を取るべきだろう。

 それじゃあ、目の前の仕事(ケジメ)を片付けよう。

 

仕事(ケジメ)開始(スタート)!」

 

 自分を鼓舞する言葉を口にし、こちらへと向かってくる自爆ゾンビに駆け出す。

 

「ぅごぅえぁいぅ……」

 

 不規則に揺れる影。確認したのは二つ。

 良かった。これなら短時間で対処可能だ。

 

「スゥ──―」

 

 息を吸い、足のスタンスを狭くやや内股気味に、腕を上げて体の重心は高く。まずはこれを心がける。

 およそコンクリートのような固い足場では不安定になる立ち方だ。

 だが、相手は自爆ゾンビ。元から人とは異なる動きをしてくる。

 ……ならば、この構えこそが奴らを相手取るに相応しいと言える。

 そう、状況に応じて一つの構えから他の構えへと変幻自在に切り替わるこの三戦(サンチン)立ちならば、奴らの動きを完全に対応することができる基点と成り得るのだ。

 

「──」

 

 息を吸ったまま、相手との距離を詰める。

 筋肉が弛緩した動きで淀みなく動き、相手の頭蓋を掴んでヒビを入れる。

 

「──破ッ!!!」

 

 息を吸っていた状態から一転、息を一気に吐いて筋肉を緊張させる。

 そのまま親指を曲げて、顎先へと掌底を当てる。

 

「がっ──」

 

 ブシュッという、相手の後頭部から爆弾が抜け出た音。

 まず一体目、次でさっさと終わらそう。

 

「あぅえぁ……」

 

 二体目の自爆ゾンビ。やることはさっきと変わらない。

 呼吸を整える。己の体力を、心拍を、精神を、己の筋肉と連動させる。

 弛緩させた瞬間に近づき、相手の動きを見てからそれに応じて自分の動きを──構えを変化させる。

 左右ならば騎馬立ち、前進すれば前屈立ち、後退すれば後屈立ち。

 

「破ッ!」

 

 隙など作るはずもなく。二体目の沈黙を確認。

 よし、これで──。

 

「きゃああああ!!」

 

「っ?!」

 

 背後で飛鳳先輩の悲鳴が聞こえた。慌てて振り返れば、彼女が三体目の自爆ゾンビに押し倒されていた。

 

「鍔乍、助けてです~っ!!」

 

「っ!!」

 

 まさか、隠れていたなんて!

 駄目だ、呼吸が乱れる。心が落ち着かない。

 動作が一歩遅れた。このままじゃ、間に合わない。

 彼女の元から離れるべきじゃなかったんだ。

 

 彼女の首を、自爆ゾンビが噛み付こうとした、その瞬間。

 

 

「──死体は、一つ残らず回収する」

 

 

 最初に感じたのは、鼻を突くようなエンバーミング用の防腐剤の臭い。

 続いて見えたのは固く握った拳によるアッパー。打ち出したのは、全身黒づくめのコートを着て、その顔を黒いカラスのようなマスクで覆う男。

 それでいて、右腕には赤い腕章を着けていた。

 

《目標を二つ(・・)確認。戦闘補助システム、正常。作戦目的、目標の沈黙を、実行します》

 

 男の起爆リングからそんな機械音染みた言葉が聞こえた。

 それだけじゃない、彼が動く度に妙な駆動音が聞こえてくる。

 

「──フンッ」

 

 そのまま男が繰り出したアッパーによって体勢を崩した自爆ゾンビに向かって、まずは足をトントンと二回地面を叩く。

 それはまるでリズムを取ってタイミングを合わせてるかのようだった。

 そして、相手の頭にめがけて回り蹴りを放った。

 

「あぼぇ──」

 

 月の光に反射する、銀色の一閃。男の革靴の側面についたナイフが煌めいた。

 ゴリ、という折れる音。グシュ、という肉の裂ける音。

 自爆ゾンビの首だけが空に舞い、首を失った胴体から血が吹き出す。

 

「……」

 

 その鮮やかすぎる手際──いや、足際の良さに言葉を失った。

 

《目標の沈黙を確認。続いて二つ目の目標を沈黙させて下さい》

 

 そう言うと、男の腕が駆動音を鳴らしながら僕の方に向かう。

 そのことに男自身が首を傾げた。

 

「故障しちまったのか。そいつは違うだろうが」

 

《情報修正、了解。……ごめんなさい》

 

 すると、こちらに向かっていた彼の腕がスッと降ろされた。

 なぜだろう、今一瞬だけ凄く人間味があったような。

 

《では、沈黙した目標を速やかに回収して下さい》

 

「AIに言われるまでもない。……そうだろ、お前達」

 

 男がそう言うと、どこに控えていたのかガスマスクを着けた黒ずくめの集団が出現した。

 

『了解しました、ムクロ隊長!!』

 

 そう一斉に敬礼を取ると、ビニール袋でできたケースに自爆ゾンビだったものを収納していく。

 その姿を見て思い出す。彼らは自爆した死体を回収することを目的とした尊厳死者搬送医、俗に『ミミズ』と言われている者達だ。

 

「……飛鳳先輩!!」

 

 一瞬呆然としたが、すぐさま飛鳳先輩の方へ向かう。

 彼女は僕の胸に飛び込むとわんわんと泣き出した。

 

「怖かったです~~!!!」

 

「ごめんなさい……僕の不手際です」

 

 泣き続ける彼女を落ち着かせるように背中を擦る。

 すると、男が近づいてきたので頭を下げた。

 

「ありがとうございます、助かりました」

 

「……一般人が死体の遊び相手をするな。これは全て、俺達が回収する。それが任務だ」

 

「……」

 

 つまりは手に余る行為は控えろと、そう言われたのだ。

 でも、これは僕のやらなきゃいけない義務で、それだけは譲れなくて。

 でも、僕は彼女を守れなかった。

 また誰かを、傷つける。

 

「助けてくれてありがとうです」

 

 そこで、ようやく落ち着いた飛鳳先輩が男に対して感謝を述べてから頭を下げた。

 その後、すぐに頭を上げて満面の笑みで言う。

 

「でも、鍔乍があたしを守ってくれようとしたことが間違いだったなんて、絶対に思わないです。そっちが任務なら、これは鍔乍にとっての仕事(ケジメ)なんです」

 

 僕は目を見開いた。僕のせいで危険な目に遭ったのに、彼女はそう平然と言ってのけたのだ。

 

 

──ホント、参るよなぁ──

 

 

 先ほど、社長さんが言っていた言葉が頭の中で響く。

 ──ああ、全くもってその通りだ。

 これは本当に……参るわけだ。

 

 

「……」

 

 男が無言のまま飛鳳先輩を見つめること数秒。彼の部下が声をかけてきた。

 

「ムクロ隊長! 全ての自爆死体の回収が完了しました!」

 

「……引き上げるぞ」

 

 そう言って踵を返した。僕は慌てて彼に尋ねる。

 

「すいません、貴方は一体……?」

 

 歩みを止めて、こちらを見ながら、彼は言う。そのカラスのマスクの奥で、どんな表情で見ているのだろうか。

 

「………俺はこの『ミミズ』を率いる者。人は、俺のことをムクロと呼ぶ」

 

 それだけ言って、去って行く。僕はただ、それを見つめるしかなかった。

 

 

「ムクロ……」

 

 その名前は、なぜか心に残る響きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 時刻は朝の七時。場所はブラックアリウム社。

 飛凰先輩を家に送り届けた僕は、あの後適当に公園で野宿をして夜を明かし、社長さんの言う作戦会議のために会社へ訪れた。

 

「俺達の目的は永遠乘命が三年前の事件を引き起こしたウイルスの作製者であるという証拠と、ワクチンの生成法が載ったデータだ」

 

 白板に簡易的な図を描く。

 

「恐らく、俺達が求めているデータは永遠乘命が使用している地下区画の研究室にあるはずだ。だが、ここで一つの問題がある」

 

 大雑把に描いた病院の絵の周りを囲うように丸を追加していく。

 

「病院の周りにはたくさんの警察隊がいる。このままでは、関係者でなければ病院の内部に入ることは中々難しいだろう」

 

「なら、どうすれば……」

 

 僕がそう不安そうに尋ねると、彼は「まあまあ、そう慌てずに最後まで聞け」と笑う。

 

「ネックとなる警察隊だが、なんとこれが三日後の夕方に一度だけ全て撤退する。確かな筋から取り入れた情報だから信用していい」

 

「なるほど。……でも、たとえ内部に入れたとしてもどうやって地下区画に侵入すれば」

 

 それだけではない。仮に侵入できたとしても、多数の警備員の目を掻い潜る必要がある。

 下手すれば、昨日の逃走犯の二の舞になりかねない。

 社長さんも同じ見解なのか、「そこなんだよなぁ」と何度も頷いた。

 

「この間のことで恐らくセキュリティーはより一層厳重になったと言ってもいいだろう」

 

 ならば、僕達のような出版会社の社員が侵入するなんて夢のまた夢だ。

 そう思ったら、どうにも歯痒い思いに駆られる。

 

「あともう少し……もう目の前なのに」

 

「ああ、それは俺も同じ思いだ。……だから、侵入せずに堂々と入ろうと思う」

 

「堂々と……?」

 

 社長さんは「望み薄だがな」と断りを入れたから、地下区画へ入り込むための方法を語る。

 

「病院の経営者からの許しを正式にもらえばいい。そうすれば、取材という体で地下区画に入り込める」

 

「ですが、あの病院の経営者って……」

 

 金剛寺大学附属病院。その経営者と言えば一人しか思い浮かばないだろう。

 金剛寺春人。個性が濃いと噂の、阿賀野コーポレーションの社長だ。

 

 

 

 

 

 さて。

 結論から言おう。

 

 

「だが、断る」

 

 

 普通に断られた。

 思い立ったが吉日。その日の内に金剛寺社長に対してアポイントメントを取り、こうして直接、阿賀野コーポレーションの百九階にある社長室にまで足を運んだ。

 取材交渉の場に訪れたのは僕と玄有社長だ。因みに社長さん表記じゃないのは金剛寺社長と紛らわしいから。

 飛鳳先輩は絶対に行きたくないと拒否されたので、この場にはいない。

 隣に美人な秘書を伴う金剛寺社長はとても苛立っているようにこちらを見る。

 

「話を伺いたいと聞いて来てみればこれか。セキュリティーが破られた、ならばこれをより強固にするまで。今回のことはただそれだけの話だ、取材するまでもない。そんなことすら貴様らは考えられないのか?」

 

「ですが、逃走犯はなぜあの病院に侵入したのでしょうか? あそこには色々と黒い噂を耳にしますが」

 

「質問を質問で返すな、非文化人よ。それに、その問いを答えるのは私ではなく、警察だ」

 

 話を聞く相手を間違えていると、金剛寺社長はそう言いたいのだろう。

 しかし、玄有社長も引き下がるつもりはないようだ。

 

「警察は答えてくれませんよ。彼らが答えてくれるのはあくまでも侵入された方法と経路や推論の域を出ない動機のみ。我々は、あの金剛寺大学附属病院の実態を知りたいのです」

 

「ほう、実態と来たか……」

 

「貴方だって自分の建てた病院の中で妙な取り引きをされていれば、気分は良くないでしょう?」

 

 玄有社長の言葉を金剛寺社長は鼻で笑う。

 

「確かにそれが我が社の中で行われているなら(はらわた)が煮えくりかえる思いにもなるだろうが、舞台が病院となれば話は変わってくる」

 

「と、言いますと?」

 

「私はただ奴らに医療の現場を提供しただけだ。その中で何が行われていようが、私にとって知ったことじゃないんだよ」

 

 わざわざ自分が病院の方針に口を出す必要性がない。自分は経営者として出資してはいるが、病院の管理者ではないということか。

 

「なるほど。では今度は金剛寺社長ご自身のことについて尋ねてもよろしいでしょうか?」

 

「私のことだと?」

 

 眉間に皺を寄せ、明らかに不快な表情を浮かべている。なんというか、「早く帰れ」というのがとても伝わってくる。

 

「三年前のゾンビ騒ぎのことは存じ上げているかと思いますが、そのことについて少しほど」

 

 どうやら玄有社長もこのままでは取り付く島もないのか、話のアプローチを変えるようだ。

 

「三年前は私が社長に就任した日だったからな。よく覚えている」

 

 金剛寺社長は気が乗ったのか、豪華な椅子に座りその身を背もたれに任せると、「それにしてもなぁ」と感慨深そうに話し始める。

 

「ゾンビ……ゾンビか。ああ、勿論把握しているとも。まるで昔のB級映画でも見ているかのような気分だったよ。有名どころではバタ○アン、マイナーどころではゾ○ビの秘宝か。……いや、後者はB級を飛び越えて遥かZ級と言っても過言ではないが。“Z”ombieだけに」

 

「「……」」

 

 僕と玄有社長は思わず閉口した。ちょっと何を言ってるのか理解できなかった。

 金剛寺社長は首を傾げる。

 

「どうした、今のは文化人ジョークだぞ。この私自らが、この空気を少しでも軽くするために言ったのだから、特別に笑うことを許すぞ」

 

 すると、彼の隣に立っていた秘書である女性が「失礼ながら」と口を開けた。

 

「今のは端的に申しますと、社長のつまらないギャグが滑ったのだと思われます」

 

「ギャグではない、文化人ジョークだ!」

 

「因みに。今のはZ級のとZと、ZombieのZを掛けた安直なギャグでして──」

 

「解説をするんじゃあない!!」

 

 声を荒げる金剛寺社長と、澄まし顔の秘書さん。

 なんとなくだが、息のピッタリさからこれがこの二人の日頃のやり取りなように感じる。

 出鼻を挫かれた玄有社長は「コホン」と咳払いをしてから、金剛寺社長に問う。

 

「俺が貴方にお伺いしたいのは、貴方自身が、あの三年前の騒動に関わっていないかということです」

 

「……」

 

 金剛寺社長は無言で玄有社長を見つめる。

 数秒の沈黙後、金剛寺社長は徐々に肩を震わせながら、やがて「クハハハハ!!」と大笑いし始めた。

 

「やめろやめろ、貴様は私を笑い殺す気か! 聞いたか我が秘書、こいつらは私こそがゾンビを作り出した黒幕だと思ってるらしいぞ!」

 

「そうですね、金剛寺社長の見た目は確かにマッドサイエンティストですから疑われても仕方がないかと」

 

「そこは否定するところだろうが!!」

 

 なんというか、確かに金剛寺社長の個性は濃いのだが、それ以上に彼の秘書の個性が強すぎる気がする。

 若干押され気味な金剛寺社長は崩れた襟を整えてから玄有社長に言う。

 

「とにかくだ。如何に阿賀野コーポレーションがあらゆる分野に精通していようとも、そのようなウイルス開発まではしていないし、する意味がない。私にとって自殺とは睡眠の上位互換であり、各個人の生き死に関わりたいとは思わない。なぜわざわざ寝た子を起こさねばならない」

 

「しかし、現に件の病院に所属しているのですよ」

 

「……」

 

 金剛寺社長は何がとは言わない。恐らく、玄有社長が何を言いたいのか理解しているのだろう。

 理解はしたが、納得はしていない。そんな絶妙に複雑そうな顔をしていた。

 だが、合点はいったらしい。

 玄有社長は畳み掛けるように言う。

 

「貴方の思想は知っています。ですが、貴方にはあのウイルス開発に協力する動機があります」

 

「動機だと?」

 

「はい。……貴方は八年前に亡くなった婚約者を愛していた。彼女を蘇らせるために、ウイルス開発に協力したのでは?」

 

「…………」

 

 金剛寺社長は目を細める。それと同時に、隣に控える彼の秘書でさえ、纏う空気が冷たくなった気がした。

 それすなわち。

 

「つまり、そうか。そんなくだらないことを聞くためだけに、貴様は私の貴重な時間を無駄に使わせたということか。これは」

 

 恐らく、彼らの地雷を、踏み抜いたことを意味する。

 しかし玄有社長も引く気はないらしい。

 

「お言葉ですが、阿賀野コーポレーションは尊厳維持装置の生産を一挙に請け負っており、あのウイルスは自爆しない限りは人々をゾンビ化させず、そのウイルスの開発者が貴方が建てた病院に所属し、さらに貴方にはかつて愛した婚約者が自殺した過去がある。……ここまでの材料が揃っていれば、疑われない方が不思議かと思われます。逆に貴方が俺の立場なら、疑わずにはいられますか?」

 

「……確かに、些か話ができすぎてはいるな。腹立たしいことに」

 

 そこまで言ったところで、先ほどまでの軽蔑の顔はなくなり、金剛寺社長は玄有社長を興味深そうに見つめる。

 

「文化賢人を脅迫とは中々業腹だな。つまり、貴様はこう言いたいわけだ。“疑いを晴らしたいなら、病院の内部調査を許可しろ”と」

 

「俺のモットーは真実を明るみに出すこと。それが第三者にとっての好都合だろうが不都合だろうが、一切の容赦はしない」

 

「……なるほど。私もできるなら無駄な疑いは晴らしたいと思う。ならば敢えて、貴様にはこう言ってやろう」

 

 口元をニヤつかせながら、彼は再度言葉を紡ぐ。

 

「だが、断る」

 

 出てきたのは、先ほども述べられた拒否の言葉。しかし、同じ言葉でも少し意味合いが違っているようにも感じられる。

 

「中々面白い余興だったぞ、……ええと、月○ムーよ」

 

「玄有夢羽です。誰が月刊○ーですか」

 

 金剛寺社長は「そうだったそうだった」とこちらを茶化す。

 

「私は貴様らに協力はしない。なぜなら、私は私自身が自信を持ってウイルス開発に関与していないと強く言えるからだ。ならば、わざわざ疑いを晴らす必要がない。だって私は洗濯したシャツのように白い男だからな!」

 

「童貞ですものね」

 

「それは今は関係ないだろう!?」

 

 横槍を入れてきた秘書に相変わらず声を荒げつつ、座っていた椅子から立ち上がって宣言する。

 

「そもそも、私と貴様達はこれ以上交わるべきではないと文化の本能が告げている。謂わば、私が公式(オフィシャル)ならば、貴様達は二次創作(ファンアート)、なぜ公式が二次創作に従わねばならない! 公式は公式、二次創作は二次創作の中だけで完結してろっての。だからこの界隈は荒れやすいんだ!」

 

 なにやら凄くメタイことを言い始めたが、なんだろうか……この凄くしっくりくる表現は。

 彼の言うとおり、これ以上彼と会話しても事態は好転しないような気がしてきた。

 

「分かったら、本日のファンサービスはここまでだ。さっさと各々の仕事に戻るがいい。あと私は久々の仕事(かいわ)ですっげー疲れたから、これから部屋で寝ることにする。というわけで秘書よ、客人のお帰りだ」

 

「はい、承りました」

 

 そのまま彼の秘書に案内される形で社長室から阿賀野コーポレーションの入り口にまで戻されることとなった。

 

 

「……駄目でしたね」

 

「ああ。だがまあ、これで個人的なわだかまりは取れた」

 

 玄有社長──いや、もう金剛寺社長との会話は終わったから社長さん表記に戻そう。

 彼はタバコを取り出すと、ライターで火を点けて、一度吸ってからフゥーと吐き出す。

 

「実は、俺はずっと三年前の件で手を引いてるのは阿賀野の社長だと思ってた。それにケリが着いただけでも、今回の面会には意味があった」

 

「でも、結局振り出しに戻っちゃいましたよ。どうやって病院に入り込むんです? 」

 

「……そうだなぁ」

 

 僕の問いに対してそう考え込むようにして、スーツの内ポケットをまさぐって一枚のカードを取り出した。

 

「これを使うっきゃないか」

 

 僕は首を傾げた。

 

「何ですか、それ?」

 

「金剛寺大学附属病院のセキュリティーカードもどきだ。知り合いのオタクな外国人に頼んで作ってもらった。これさえあれば、地下区画への侵入自体は可能なはずだ」

 

「……社長さん、オタクな外国人ってなんですか」

 

「オタクな外国人、ってことだ」

 

 そうニヤリと笑う彼。違う、そうじゃない。

 

「元々、あの病院には色々と黒い噂があったからな。それを暴くために使おうと思って準備していた物の一つさ」

 

「はあ……。ていうか、それがあるならさっきまでの金剛寺社長との会談に意味はあったんですか?」

 

「リスクが減るならそれに越したことはないだろ」

 

「まあ、確かに」

 

 となると、残り達成すべき問題は、いかにして警備員の目を掻い潜るかにいよいよなった。

 

「……あ」

 

 一つ、案を思い付いた。とてつもなく脳筋な案だが。

 

「どうした、鍔乍?」

 

「いや。僕、これでも武術にそれなりの覚えがあるので……その、片っ端から警備員を圧していこうかな、と」

 

「…………」

 

 僕の提案に押し黙る社長さん。まあ、そうだよな。

 いくらなんでもそんな単純にいくわけがないか。一応、肉体はゾンビなので頭にさえ気を付ければ多少体に銃弾を喰らっても倒れることはないのだが。

 

「……よし」

 

 長い沈黙を破り、彼は俺にカードを手渡してきた。

 ………。え?

 

「あの、社長さん……?」

 

「俺には武術の心得なんてものはないからな。この件、お前に任せる。しっかりとデータを取ってこいよ」

 

「ええ……」

 

 いや、提案したのは確かに僕ですけど、そんな安易なやり方で果たして大丈夫なんですかね?

 なんというか、不安しかないというか。

 そんなこんなで僕は作戦決行の三日後まで、他の取材に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

────―   ────―   ────―

 

 

 

 

 

 

 三日後。

 時刻は午後六時。

 場所は金剛寺大学附属病院。その前。

 ついに作戦決行の日を迎えた。

 

 病院から警官が一斉に出て来てパトカーに乗り込んでいくのが見て取れる。

 新米のような刑事が自身の上司っぽい男、さらに遅れてもう一人刑事が歩いてきた。

 

「柳先輩、一体どういうことですか。いきなり撤収しろだなんて」

 

「さあな。上からのお達しだ。ほら堤下、余計なこと言ってないで早く乗れ! 志渡、お前もだ!」

 

「……はいはい」

 

 そんな三人の会話が聞こえてくる。

 なるほど、社長さんの知り合いの情報網は確かに信用できるようだ。

 

「なら、僕もそろそろ行こう」

 

 そう言って、茂みに隠していた身を晒して病院の出入口に向かう。

 病院に入り込み、辺りを見渡す。

 病院内を歩く患者さんや看護士や医師。足早に地下へと続くエレベーターを探す。

 

「たしか社長さんから見せてもらったマップだと、この廊下の突き当たりだったはず」

 

 なるべく誰にも遭遇しないように、足音を立てずに廊下を歩き、突き当たりを左に曲がった所でエレベーターを見つけた。

 

「よし」

 

 目的地は、地下三階の資料室と地下五階の検体室に挟まれた地下四階の研究室だ。

 社長さんから預かったセキュリティーカードによってエレベーターが開いた。

 よし、あとは誰も乗り込んで来ないようにエレベーターの閉まるボタンを押す。

 

「あー! ちょっと待って下さい!!」

 

「あ、はい」

 

 外から慌てて駆けてくる足音と声。思わず条件反射のように開くボタンを押してしまった。

 ……しまった。

 駆け込んで来た人物を見れば、頭が寂しい医者だった。

 そのままエレベーター内には僕と医者の二人だけ。

 

「ふぃー。いやぁ、助かりました」

 

「いえ、お構い無く」

 

 息を切らす医者は懐から出したハンカチで額の汗を拭っていた。どこまでが額なのか疑問に思ったが、言わないでおこう。

 そのままエレベーターの扉が閉まり、そのまま下へと移動していく。

 ふと、医者がこちらを見た瞬間、目を見開いた。

 それはそうだろう。今の僕の格好はフード付きの白いジャケットを着て、瞳にはゴーグルを着けているのだから。

 どっから見たって医療関係者には見えないだろう。

 

「「……」」

 

 互いに押し黙ってしまう。

 

「ええと……」

 

 先に口を開いたのは向こうだ。明らかに困惑している。……というより、警戒だろうか。

 

「一体、どちら様でしょうか?」

 

「あの……自分、こういう者です」

 

 咄嗟に懐から名刺を取り出して医者に渡した。ここは何とかそれっぽいことを言って乗り切ろう。

 医者は僕が出した名刺を目を凝らして読む。

 

「ええ……、株式会社ブラックアリウム社……。ああ、あの出版社の」

 

「はい。先日の逃走犯についての話を伺うために、本日こちらに足を運びました」

 

「ああ、三日前の。……ただ、このエレベーターは我々関係者にしか乗れないはずなんですが」

 

「それに関しては、こちらに勤めていらっしゃる永遠乘先生に事前に許可をいただきまして、『話を伺うなら研究室に直接来てほしい』と言われたので」

 

 僕の言葉を聞いて医者は「なるほど」と頷いた。

 

「確かに永遠乘先生は滅多に研究室から出ませんからね。……まあ、この前の騒ぎには流石に出てきたみたいですが」

 

 ……だろうな。永遠乘は医者でありながら本質は根っからの研究者だ。

 それを理由に彼女は自分のゼミを研究室で開いていたのだから。

 というより、結構上手くいくものだな。もしくは単にこの医者がチョロいだけか。

 医者は納得したのか、それまでの緊張感を解いた後に自分の名刺を渡してきた。

 

「すいませんね、こちらも少し気が立ってたみたいです。こちらをどうぞ」

 

「……どうも」

 

 名刺を受け取って名前を見る。そして思わず目を見開いてしまった。

 その名刺に書かれていたのは、『風祭 宗司』。

 『風祭』という名前には見覚えがあった。

 

「どうかしましたか?」

 

 僕の反応に首を傾げる医者──風祭先生。

 

「い、いえ……実は『風祭』という名字に覚えがありまして」

 

「そうなんですか? 『風祭』はうちの一族しかないのでかなり珍しいはずですが」

 

「……ええ。あの、もしかしてご家族に『恭子』という名前の方がいらっしゃったりします……?」

 

 もしかしたりするのだろうかと、興味本位で尋ねてしまった。

 向こうも驚いたように目を見開いた。

 

「妹をご存知なのですか?」

 

「……はい」

 

 やっぱり関係者。しかもお兄様でしたか。というより、まさかこんな場所であの人の関係者に会うとは思わなかった……っ!!

 

「あの、恭子先生は僕の武術の師匠でして、その際は大変お世話になりました」

 

 ……ええ、本当に。生前に何度殺されかけたか分からないほどに鍛えられましたとも。

 まあ、その技術が今は自爆ゾンビに対して活かせているので、感謝しかないですが。

 一方の風祭先生は「ほう!」と顔が笑顔で輝いた。

 

「それはそれは、確かに妹は近所の子達にも護身術を教えていますが、まさか生徒さんと会うとは……世の中は狭いものですねぇ」

 

 そう、嬉しそうに笑う風祭先生。なんというか、お兄さんの方は妹さんと違ってずいぶんと性格が丸いらしい。

 てっきりあの人の親族だから、こちらを殺しにくるほどの覇気があるだろうと思っていたのだが。

 ……いや、これもこちらを油断させるための擬態だろうか?

 

「妹は、昔は自衛軍の方に所属していましてね、それはもう私はずっと気が気じゃなくて」

 

「……なるほど」

 

 それはそれは……あんなに強いわけだ。

 風祭先生は何かスイッチが入ってしまったのか、恭子先生についてかなり語ってくる。

 

「そのせいか中々貰い手がいなくて、いくら見た目が若くてももういい年齢だし。いや、凄く凄く可愛いんですがね」

 

「はあ……」

 

 とにかく、彼が凄く妹を溺愛していることは伝わった。

 そこまで語ったところで、ふと風祭先生は首を傾げた。

 

「おや。この話、三日前もしたなぁ」

 

 どうやら妹さんの話を定期的にするぐらい溺愛しているらしい。……いや、もうお腹いっぱいです、はい。

 師匠である恭子先生のことを思い出すと、毎回ご馳走になった紅茶の味を不意に思い出した。

 

「そういえば、恭子先生からは鍛練後に紅茶を振る舞ってもらいましたね。特にダージリンが美味しかったです」

 

「そうでしょうとも。あれは自衛軍にいた頃からの妹の日課のようなものですね。そのおかげか、腕前はそんじょそこらの喫茶店にも通用すると自負してますが」

 

「ええ、本当に。たしか姪っ子さんも鍛練に参加してましたね、彼女はよく鍛練後に出てくる羊羹(ようかん)を楽しみにしてたのを覚えてます」

 

「ああ、すみれちゃんのことですか。……そうですね、彼女は最近、色々と不安定らしいですが」

 

 不安定。どういう意味だろうか。何か複雑な事情でもあるようだが。

 僕が首を傾げていると、エレベーターが止まった。階層を見てみると、地下三階。

 資料室だ。

 

「おっと、失礼。私はここで降りますね。いやぁ、今日は話せてとても良かったです。また妹の話を聞かせて下さい」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 殆ど聞いてたのはこっちのような気がするが。

 そうして降りていった風祭先生を見送り、エレベーターの扉を閉める。

 ……思わず息を吐いた。そんなもの出ないけど。

 

「なんとか、乗り切った」

 

 安心するのはまだ早い。本番はこれからだ。

 エレベーターが再度止まる。

 表示されるのは地下四階。研究室。

 静かに扉が開いた。

 

「「あ」」

 

 早速警備員と遭遇。声が重なった。

 

「この感じ、この前も──」

 

 警備員にしては隙だらけ。不審者を見かけたらすぐに銃に手をかけて構えるぐらいはした方がいいのにそれも無し。

 なので軽く相手の顎先を横からスライドさせるように拳で擦るように叩く。

 

「──うっ」

 

 まず一人目、沈黙。

 続いて左右を確認、人の気配は感じられない。

 目標地点は廊下を右に曲がって直進、その後左に曲がった先の奥だ。

 一度落ちれば六時間ほどは起きないはず、それでも一度でも通報されたら終わりだ。油断はできない。

 

「し、しんにゅ──」

 

「何者だ、きさ──」

 

「だ、誰かいな──」

 

 とにかく素早く意識を落としていく。ここまで来るのに遭遇した警備員の数は四人。

 個人的にはオートマトンより楽ではある。

 現在、最後の曲がり角を曲がってから直進。ここの奥の部屋が目的の場所のはずだが。

 

「……あった」

 

 重厚感のある大きな扉。隣には『永遠乘 命』というプレートが付いている。

 扉に触れるが、案の定施錠されている。

 

「もう一回、こいつの出番か」

 

 懐からセキュリティーカードを出して無事に解錠。

 ……このセキュリティーカード、本当に万能だな。社長さんの話ではオタクな外国人から貰ったようだが。

 というか、オタクな外国人という意味がよく分からない。なんでその人がこんな凄いもの持ってんの?

 

 ……余談はいい。とにかく、室内に入ろう。

 開けた扉を閉めると、中は誰もいないのか無音。

 研究室だから、何かを培養しているフラスコや試験管の山ばかりだ。

 そんな中で、一つのノートブック型のパソコンが置いてあった。

 それに触れようとした瞬間。

 

「誰だい、君は」

 

「────っ」

 

 背後からこちらを咎めるような声が刺す。

 三年越しだ。三年越しに聞いた、女の声だ。

 僕はゆっくりと振り返り、自身の顔半分を隠すフードを取って見せる。

 

「君は……」

 

「忘れたとは言わせない……」

 

 彼女は相変わらず妖艶だった。記憶と違うのは、肩までだった黒髪が腰まで伸びていたのと、三年前にはなかった眼鏡をかけていることぐらいか。

 そんな女、永遠乘命は僕の姿を見て一瞬だけ驚いたような顔を見せたものの、すぐに満面の笑みを浮かべる。

 

「──ああ、勿論忘れたことなんてないさ。忘れられるはずもない。やっと会えたね、ボクの運命(つばさ)……ずっとずっと、探していたよ」

 

「探していたのはこっちのセリフだ。永遠乘」

 

 僕の険悪な雰囲気に彼女は「おや?」と首を傾げる。

 

「もう“先生”とは呼んでくれないのかい?」

 

「悪いが、あんたのことを慕う上地鍔乍は、三年前に死んだ」

 

「死んだ……? そんなはずはない、君は生きている。こうして、生きて、ボクの目の前にいる。君こそ、ボクの研究成果の成功例なのだから」

 

 そう言って一歩ずつこちらににじり寄ってくる彼女に対し、僕は思わず身の危険を感じて一歩下がる。

 

「君だけなんだ、君だけが唯一自我を保っている。それは何故なのか、何故他の個体では駄目なのか。君と他で何が違うのか。君を解明することでボクのダイダ・ロスは完成する!」

 

「それを僕が許すと思うか……?」

 

 悪いが、こいつの研究の礎になる気はない。

 僕のその言葉を、彼女は理解できないらしい。

 

「何故だい? 君も同じはずだ、人々を死から救いたいと、そのために医師を志したのだろう?」

 

「それは……」

 

「人は生きなければならない。医療とは、人を生かすために存在するのだ。ならばこそ、人類を救うのは断じて尊厳維持装置なる玩具ではなく、ボクの生み出す完全なるダイダ・ロスこそが相応しいと言えるだろう?」

 

「あれが、救いだと……?」

 

 三年前の日。人々を襲う自爆ゾンビ。あんなものが、救いだと、この女は言いたいのか?

 

「ふざけるな……っ!!」

 

 彼女の白衣の襟を掴んで睨み付ける。

 自爆ゾンビのせいで、多くの人々が傷ついた。社長さんも、飛凰先輩も、その妹さんも、僕の母さんも。

 それなのに、この女は……。

 

「何が不満なんだい?」

 

 どうしてこの女は、何も理解していないんだ。

 

「お前のやったことで、多くの人が負わなくていい傷を負ったんだぞ!!」

 

「試験に犠牲は多少なりとも付き物だ。一々騒ぐようなことじゃない」

 

 命を救うために犠牲を強いる。そんなことがあっていいのか、それが僕の信じた医療なのか。

 それが本当に、僕が目指した医者だとでも言うのか。

 彼女は僕を諭すように口を開く。

 

「君とボクが生まれるずっと昔の話だ。二次大戦中にナチスが行った生体実験。頭蓋を外し、剥き出しの脳に電極を刺した。一見非情な行為だろう。だがね、皮肉にもこれは医療の発展に大きく貢献したのだよ」

 

 医療の発展に、些細な犠牲は付き物。

 その犠牲が、三年前の、あの日の電車の乗車客だった。

 それだけの話。

 彼女はそう言いたいのか。

 

「君は何が目的でわざわざここまで来たんだい?」

 

「決まっている。ダイダ・ロスのワクチン生成法を聞き出すためだ」

 

「……ずいぶんつまらない理由で来たものだねぇ」

 

 やれやれと肩を竦めて彼女は言う。

 

「ワクチンの生成法なんかないよ。ダイダ・ロスが人類の救いである以上、必要ないからね」

 

「だったら研究データを寄越せ。あんたの所業を世間に公表してやる」

 

 ワクチンの生成法はない。ならば、三年前の事件に決着を着けるまでだ。

 それに、研究データさえあれば、時間をかければワクチンを生成することも難しくないはずだ。

 

「あんたのイカれた研究は今日で終わりだ。今の僕ならお前ぐらい簡単に殺せる」

 

「それが脅しのつもりかい?」

 

 だが、彼女はまるで何も意に介していないようだった。

 

「脅しって言うのは、こういうのを言うんだよ」

 

 そう言って、懐から小さな端末を出した。

 

「なんだ、それは……?」

 

「近くの電車に仕掛けた小箱の起動装置だ。今回は三年前と違って遠隔操作可能だよ」

 

 小箱、その単語だけでその端末が悪魔のアイテムだと理解できた。

 つまり、彼女の意思次第で三年前の惨劇がまた繰り返される。

 僕は、ゆっくりと掴んでいた彼女の襟から手を離した。

 

「いい子だ。……そうだね、交換条件といこうじゃないか」

 

「交換条件……?」

 

「そうだ。ボクに君の血液サンプルを採取させてくれ。その代わり、君にはボクの研究データを渡そう。悪い取引ではないだろう?」

 

「……」

 

 反論なんてできるはずがない。彼女の手には、僕にとっての爆弾が握られているも同然なのだから。

 もうあんな惨劇を繰り返さないためにも。

 僕は、彼女の取引に応じなければならない。

 

「分かった……」

 

「そうか。君が賢い生徒で嬉しいよ」

 

 そう言うと、彼女は採血の準備をするために僕を席に着かせる。

 すると、まるで僕の右腕を恍惚とした笑みを浮かべながら見つめ、まとわりつくように触れてくる。

 

「ああ、実に美しい。ボクには分かる、表面が硬化しているだけで、確かな脈動が君の体内を循環している。ボクには、それを感じることができる。君の体を、ボクは誰よりも理解している」

 

 アルコールを含ませたガーゼで表面を拭い、採血するなら必要であろう駆血帯をせずに、彼女は注射器の針を僕の肌に差し込んだ。

 思わずビクッと肩が震えた。痛みは感じない、でも生前の感覚から、体が反射のように動いてしまった。

 そのままスムーズに抜かれていく血液。確かに彼女は、僕の体を理解しているらしい。

 それが堪らなく憎たらしいことだが。

 時間としては数秒ほどだ。一本分抜き終わると、彼女は血液を試験管に移して栓をした。

 そしてその試験に、まるで恋人に対して行うような口づけをしたのだった。

 

「……ああ、温かい。君の熱だ、試験管越しでも伝わってくる」

 

「約束は、守ってもらうぞ」

 

「ああ、勿論だ。ボクは約束を守る女だからな。君もそういう女が好きだろう?」

 

「……僕は、お前が憎い」

 

 僕が彼女に向ける怨嗟の視線に頬を赤く染め、採血されたばかりの僕の腕に抱き付きつつ、手にUSBを握らせてきた。

 

「そうか、なら我々は両想いだな。愛情の反対は無関心。それ以外をボクに向けている時点で、ボク達は通じ合っていると言ってもいいのだから」

 

 傍から見れば、まるで恋する少女のようにも見える。

 だが、僕からすればこいつはただの狂った悪魔だ。

 

 僕は立ち上がって、彼女の手を払いのけた。そして、僕の手に握られたUSBを見つめる。

 

「これは……?」

 

「ツレないなぁ。……それには、ここ数年間のダイダ・ロスの研究データが入っている。勿論、ボクの名義入りでね」

 

「……」

 

 これで、社長さんと飛凰先輩の無念を晴らせる。この女の異常性を、世間に公表できる。

 そう思って安堵しかけたが、まだ早い。

 

「おっ、と。乱暴だね」

 

 僕は彼女が握ったままの小型端末を奪い取った。これをこの女に持たせておくわけにはいかない。

 

「だけど、いいのかい?」

 

「何がだ」

 

「だって、それ……」

 

 彼女が小型端末を指差した瞬間。

 

《登録者以外の指紋を検知。ダイダ・ロスの散布準備開始》

 

「なっ──」

 

 どういうことだ、どうして勝手に?!

 

「言い忘れてたけど。それ、ボク以外が触れた瞬間に即散布されるように設定されているんだ。もしもの時のことを考慮してね」

 

「そんな……」

 

《五、四、三、二、一……散布開始》

 

 それはまるで死刑宣告のような絶望だった。

 結局、僕はまたあの惨劇を繰り返してしまった。

 

「っ」

 

 今にも駆け出そうとした瞬間、彼女の尊厳維持装置からアナウンスが流れる。

 

《緊急速報です。只今、金剛寺大学附属病院前駅にて、原因不明の爆発によって電車が脱線し火災が発生しました。駅構内にいる方は速やかに駅係員の指示に従って避難し、近隣の方は危険ですので現場には絶対に立ち入らないようにして下さい》

 

「電車が、脱線?!」

 

「おやおや、これは少し見誤ったね」

 

 彼女は「残念だなぁ」と溢して問題点を丁寧に列挙して解説していく。

 

「空調設備からダイダ・ロスが車内に流れるようにしたのだけれど、どうやらその過程で何かに引火し爆発。その衝撃で脱線してしまった、というところかな? やはり専門分野以外は下手に手をつけるべきではないな」

 

「……っ」

 

 思わず駆け出すと、後ろから「良かったじゃないか」と声をかけられて一旦立ち止まった。

 

「ダイダ・ロスはちょっとの高熱で死滅する。そして火災の際に発生する熱はおよそ千度。つまり今回は感染者はいないということになる」

 

 嬉しいだろ。そう言いたげな彼女に、僕は思わず奥歯を噛み締めるように顔を歪めた。

 感染者が出たか否か、これはそんな問題じゃない。

 

「……やっぱり、僕はあんたが憎いよ。無関心でいろだなんて土台無理な話だ」

 

「ボクからすれば、史上最高のプロポーズだね。心の底からゾクゾクするよ」

 

 悪趣味な女。そう視線に籠めて僕は走りだした。

 途中で脳震盪を起こして倒れさせた警備員達を避けながら、エレベーターに乗って病院の受付まで昇る。

 

 扉が開いた瞬間、一気に外に向かって飛び出した。途中、看護師の人から注意されたが、そんなの無理だ。

 一刻も早く向かわなくては。今度こそ、救わなければならないんだ。

 

──ピピピ

 

 携帯が鳴り、相手を見ずに通話に出る。

 

「はい、もしもし!」

 

《鍔乍、研究データは取れたか!?》

 

 相手は社長さんだった。

 

「はい、それは入手できました!」

 

《そうか、よくやった! これで三年前の事件に──》

 

「でも、僕、またやらかしたんです!!」

 

《なに? どういうことだ?》

 

「すいません、今急いでるんです! 詳しいことは後で言います!」

 

《お、おい鍔乍──》

 

 そこで通話を切った。

 走る、ひたすらに走る。

 また携帯が鳴るが、相手はきっと社長さんだろう。

 今は一分でも早く現場に着くことに集中し、それら一切を無視する。

 

 走ること十分。金剛寺大学附属病院前駅に着いた。

 外からでも線路が燃えているのが分かる。横転した電車の元に向かうために混乱している人混みに乗じて改札口を通る。

 そのままホームから線路まで、一気に駆け降りる。

 

──見えた。

 

 はっきりと、横転した電車を視認した。

 その電車の元まで走り、硬い扉を正拳突きで破壊して内部に侵入する。

 外から見えるのは煙だけだったが、中はもっと酷かった。

 肉の焼ける臭いと赤い火の波、そして死体の山々。

 三年前と、同じだ。

 見える光景は違っても、本質は何一つ変わらない。

 地獄。

 ここは、まさに地獄だった。

 

「誰か、生きてる人はいませんか!?」

 

 必死に生存者を探す。だが、誰も反応しない。

 誰か、いないのか。生きてる人は、いないのか。

 

 

 

「誰か……誰かいないの……すみれ…まゆちゃん……」

 

 声が、聞こえた。

 生存者だ。生存者がいたんだ。

 

「ここに、ここにいるぞ!」

 

 そう声を出すが、相手は気づかない。遠目から、恐らく少女であることは分かる。

 こっちの声が聞こえるように、もっと彼女との距離を詰めようと試みる。

 だが火の手が強すぎて、中々先に進めない。

 

「……くっ」

 

 周りの熱のせいで、意識が朦朧とする。

 一体どうして、いくらなんでも、ここまで頭が働かなくなるなんて。

 思わず体がもつれて倒れそうになり、電車のつり革に掴んだ時だった。

 右手の皮が裂けた。

 

「どうして……」

 

 あれほど、硬く丈夫だった皮膚が、まるで溶けた蝋のように脆い。

 ふと、あの女の声が脳内に響いた。

 

──ダイダ・ロスはちょっとの高熱で死滅する。そして火災の際に発生する熱はおよそ千度。──

 

 ……まさか、僕の体内のダイダ・ロスが死滅しているのか? だから、こんなに体が脆く……。

 

「くそ、なんなんだよこの体は。肝心な時に、役に立たないじゃないか!!」

 

 あの娘だけでも助けられれば──。

 そう思った瞬間だった。

 

 

「もう──『死にたい』──」

 

 

 死を乞う、声が聞こえた。

 待て、待ってくれ!

 ここに、僕がいる。僕がいるんだよ!!

 

 無理矢理にでも、火の海を掻き分けて進む。

 ほら、もうすぐだ。もうすぐ、辿り着く。

 佇む少女の肩に触れる。

 

《起爆します》

 

 少女が、倒れた。

 少女には、目がなかった。

 空っぽの穴から静かに流れ出る血の涙が、僕を責めているかのようだった。

 

「あああああああああああああ!!!!!!」

 

 どうして、どうして僕は、どうして間に合わないんだ。

 僕の嘆きさえ、電車が崩れる音にかき消されて──。

 

──その希望が、鍔乍なんだと思うです──

 

 違うよ、飛凰先輩。僕は、希望なんかじゃない。

 僕はどう足掻いても、災厄しか呼べないんだ。

 

 

「……うあ、あ、あ」

 

 声が、聞こえた。

 自分の声でも、自爆した少女の声でもない。

 

 枯れたような女の子の声。でも、聞き覚えがある。

 そうだ、この声は。

 

──たしか姪っ子さんも鍛練に参加してましたね──

 

──ああ、すみれちゃんのことですか──

 

 

「すみれ……ちゃん?」

 

 

「あ、かひ、に、っ」

 

 

「待っ──」

 

 彼女の元に行こうにも、足が動かない。どうやら、この熱のせいで足にまでダメージが来ているらしい。

 そのまま為す術なく倒れる。

 

「し、ひ、っ」

 

 ダメだ、君まで『死にたい』なんて、言うな。

 君に死なれたら、僕は、恭子先生に合わせる顔がなくなる。

 せめて、君だけでも。

 なのに、どうして──。どうして!!

 

 

──「死にたい」──

 

 

 どうして僕の足は、前に進まないんだ!!

 

 

「死にたいっ! 死にたいっ!」

 

 

 彼女の慟哭が聞こえてくる。

 

 頼む誰か、誰でもいい。

 僕の体はもう動かない。

 頼むから、彼女を──。

 

 

「「助けて──」」

 

 

 

 

 

 

「ああ、俺が助ける」

 

 

 

 一気に、目が見開いた。

 それは、黒いパワードスーツに身を包んだ何者か。

 武骨ながらも、電車を難なく破壊し、炎の道を突き進むその姿に僕は思った。

 きっと人々は彼のことをこう言うのだろう。──『希望(ヒーロー)』と。

 そうだ、彼こそ、彼こそが本当の希望なんだ。

 すみれちゃんが伸ばした左手をしっかりと掴み取り、彼女を救ってみせた。

 ああ、どうして。僕は、ああいう風になれなかったのだろう。

 

 

 

「ちょっと、貴方! 大丈夫ですの!?」

 

 

 あまりの絶望にうちひしがれて、意識を失ってから数分後。

 頬を誰かに叩かれた。

 薄く目を開くと、目の前にいるのは金髪の少女と、赤髪の少女。

 特に金髪の少女が慌てた様子でこちらの肩を揺さぶる。

 ただ、僕には彼女が着けている赤い腕章に気を取られてしまって反応ができなかった。

 あれは、この前会ったムクロという男が着けていたものに似ていた。

 

「姐さん、そいつもう死んでるんじゃないっすか?」

 

 すると赤髪の少女が、何やら物騒なことを言っている。だが中々的を射る発言だ。

 

「……一応、処分しないでくれると助かります」

 

「うわ、生き返ったっす!」

 

 肉体的には死んでますけどね。

 まだ体がふらつくが、どうにか動かせそうだ。

 辺りを確認してみれば、ここは駅のホームか。

 

「良かったですわね。金剛寺大学附属病院の近くでしたから、永遠乘先生が貴方の治療をしてくれたんですのよ」

 

「永遠乘、命が……?」

 

 ……くそ、とんだ死に恥を晒してしまった。

 ということは、奴が死滅した分のダイダ・ロスを僕の体内に注入したということか。

 凄く複雑な顔になっていることは自分でも想像に難しくないが、とにかく二人にはお礼を言わなければ。

 

「救出していただき、ありがとうございます」

 

「ええ、私も貴方が助かってくれて良かったですわ。……その、とても凄惨な状態でしたから」

 

 伏し目がちに、金髪の少女がそう言った。

 凄惨な状態……、そうだ。

 もっと大切なことを確認しなくては。

 

「そういえば、その……すみれちゃんは、もう一人、生存者はいませんか?」

 

「すみれ……? ああ、あのテロリストに救出された少女ですわね」

 

「その口振りだと、無事なんですね……?」

 

「ええ。彼女の方はもっと重傷で、今は病院の方に搬送されましたわ」

 

「そう、ですか。……良かった」

 

 心の底から安堵していると、金髪の少女は「コホン」と咳払いをしてからこちらを指差す。

 

「他人の心配より、まず自分の心配をしたらどうかしら。永遠乘先生が応急処置をしているとは言え、貴方、目から血が出てますわよ?」

 

「え……あ……」

 

 そういえば、やけに視界がクリーンだと思えば、ゴーグルが外されていた。

 僕は目元の血を拭ってゴーグルを装着した。

 

「お構いなく。生憎と、今は持ち合わせの金がないものでして」

 

 それじゃと笑みを浮かべてその場から駆け出した。

 背後から、「ちょっとー?!」という素っ頓狂な声が聞こえたが、無視してブラックアリウム社に戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 結果から言おう。

 凄く怒られた。

 

 

「お前は……っ! お前って奴は、こっちは死ぬような思いで心配したんだぞ!!」

 

「そうです! そうですよ!!」

 

 社長さんと飛凰先輩の双方からそう怒鳴られ、僕はただただその場に正座せざるを得なかった。

 僕は一言、頭を下げて謝罪する。

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

 

「謝って済むなら進駐軍はいらないです!」

 

 いらないのは警察なのでは? ……いや、どちらも必要ですけど。

 とりあえず、僕は懐からUSBを取り出して社長さんに差し出す。

 

「研究データを手に入れました。……ですが、また僕、やらかしました」

 

「ああ、脱線事故の様子はこちらもニュースで確認したさ。……それで、今回はあの女狐はどんな手で事故を起こしたんだ?」

 

「空調設備にダイダ・ロスを仕込んだところ、それが何かに引火して爆発。結果、横転したようです」

 

「……なるほどな」

 

 社長さんは納得したように頷いて、僕からUSBを受け取って作業に取りかかる。

 

「さて、今晩は徹夜確定だ。あの女の化けの皮を剥いでやるさ」

 

「……はい」

 

 これできっと、三年前の事件に決着が着いた。

 謎の自爆ゾンビ事件の全容が明らかになり、いずれは相応の研究組織によってワクチンが開発され、ダイダ・ロスはこの世から跡形もなく消え去ることだろう。

 

 何もかも因縁が綺麗に終わる。

 

 

 

 だが。そんなことはなかった。

 

 

 

 

「──くそ!!」

 

 社長さんの尽力により確かに研究データは公表された。翌日、警察が事情聴取のために金剛寺大学附属病院に勤めている永遠乘の元に訪ねたが、時既に遅し。

 永遠乘は一部研究設備を病院から持ち出して綺麗さっぱりに消えていたのだ。

 これにより事実関係の証明ができず、警察の方も全力で永遠乘の行方を探しているようだが、今日に至るまで見つかっていない。

 

 だからこそ、僕達は永遠乘の行方を見つけるために、もう一つの手がかりを求めた。

 そう、僕が社長さんに依頼したもう一人の探し人についてだ。

 

 

 

 

「鍔乍。知り合いのツテを色々と当たって情報を集めてみたが、精神科医の中で『桐谷』って名前の人物は全国で三千人弱いるみたいだ。もっと何か特徴的なものは無いのか?」

 

 ブラックアリウム社の事務室にて、旧式のパソコンによる作業をしている僕と社長さん。飛凰先輩は外に出て取材に行っている。

 社長さんに言われ、僕は記憶の中の桐谷の特徴を挙げていく。

 

「少し色素の薄い髪色、柔和な表情、落ち着いた所作……とかですかね」

 

「うーん、どれも精神科医なら当てはまりそうなイメージばかりだな。もっと具体的なのはないのか?」

 

「それ以外だと……独特な死生観を持ってて、あとは……」

 

 そこで一度言葉を切って、思い出そうとするが、何か記憶に霧のようなフィルターがかかったようにはっきりしない。

 この体になってから、時が経過すればするほどに人間だった頃の記憶が朧気になっている。

 まるで徐々に何者かによって脳が侵されているかのような感覚だ。このままいけば、僕も自我を失っていずれは──。

 

「……」

 

「どうした、鍔乍?」

 

「……いえ、なんでもないです」

 

 最悪の結末を振り払うように首を振って、もう一度記憶を辿る。

 あの日、自分は桐谷の何を見た? 桐谷を最初に見た時に何を思った?

 そこで、奴の胸元にあったものを思い出した。

 

「たしか、青いドライフラワーを胸に着けていました」

 

「……。独特な死生観に、青いドライフラワー……か」

 

 何か思い当たる節があるのか、キーボードで何かを打ち込んだ後に「おい」とこちらに声をかけながら手招きをしてくる。

 席を立って玄有さんの横へと移動して、彼のパソコンの画面を覗きこむ。

 

「ひょっとして、こいつじゃないか?」

 

「──っ」

 

 画面に映る姿を見て、目が見開いた。

 

「……はい、こいつです。こいつが、僕の探している桐谷です」

 

「そうか……。よりによってこいつか」

 

 画面に映るのは、冷たいほどに無表情な男。まるで自分と会った時とは別人のように感じるが、母を自殺させるように勧めてきた時の雰囲気を彷彿とさせる。胸には記憶にある通りの青いドライフラワーがある。

 

「社長。こいつは一体誰なんです? 本当にただの精神科医なんですか?」

 

「……こいつの名前は『桐谷(きりや) 革恭(あらたか)』、詳しいことは知らん」

 

「桐谷……革恭」

 

 それこそが、自分が長年追っかけていた人物の名前にして正体。これが分かっただけでも、僕からすれば一気にゴールにへと辿り着けた気がした。

 だが僕がそんな感嘆にも似た衝撃を味わっている中、社長さんは付け加えるように言葉を重ねる。

 

「まあ、精神科医であることに間違いはない──が、ただ者ではねえなぁ」

 

 社長さんは神妙な顔つきのまま、懐から出した箱からタバコを出そうとするが、どうやら空箱だったのか少し苛つきながらデスクを人差し指で叩く。

 

「鍔乍、悪いが奴からは早々に手を引いた方がいい」

 

「え……。どうして、永遠乘に繋がるかもしれない手がかりなんですよ!?」

 

 突然の突き放すような言葉。

 僕が責めるような視線を社長さんに向けると、彼はうんざりしたように溜め息を吐く。

 

「お前は知らないだろうが、奴は腕章付きだ」

 

「腕章……?」

 

 社長さんが顎先をクイッと上げて画面をよく見るように促す。

 再度視線を画面に戻す。

 画面の中の奴の腕には、確かに赤い腕章が着いていた。

 見覚えならある。死体回収のミミズを率いるムクロという男と、電車の脱線事故の際に出会った金髪の女、両名ともが着けていた。

 だが、一体それがどういう問題があると言うのだろうか。

 

「腕章付きの行動理念は“尊厳維持装置の保全”。そのためならどんな手段も厭わない。それだけの権限を、国合から与えられている」

 

「……」

 

「こいつを敵に回すってことはよ、世界を敵に回すのと同義ってわけだ」

 

 だから、手を引いた方がいい。

 社長さんは何も悪くない。何なら、僕は三年かけたのに奴の本名にすら辿り着けなかったのだ。それを僅か数ヶ月で突き止めた社長さんには感謝こそすれど、恨む道理なんて一切ない。

 分かっては、いるんだ。

 拳を強く握り締めて俯く僕に、彼は諭すように話しかける。……いや、提案する(・・・・)と言った方が正しいか。

 

「おいおい、鍔乍。俺にこんな風に言われたぐらいで黙っちまうのか?」

 

「……。社長さんも、人が悪いですね」

 

「世界を敵に回すには、何か一つ揺るぎないものがいるんだよ。それがお前にあるか試しただけだ」

 

 たとえ世界を敵に回しても揺るぎないもの。

 勿論、自分にだってある。

 そう。僕があの時、不用意に箱を開けなければ、こうはなってなかった。

 あの男──桐谷に言われているように早々に捨てていればよかった。

 

 ……だからこそ。

 だからこそ、誓ったんじゃないか。

 

「はい。僕自身の手で、必ず終わらせてみせます」

 

 自爆ゾンビも、永遠乘も、僕自身も。全てを終わらせるために。

 そう言い切った僕に、社長さんは紙の束を渡してきた。

 

「……これは?」

 

「ここから先は、俺とお前は共犯だ。だから、俺が持つ資料の半分をお前に託す」

 

 彼は僕の肩を叩いた。

 

「たとえどんだけ悲しい道になろうとも、正しさだけは、曲げちゃいけねえんだ」

 

「……はい」

 

 僕は、その言葉に強く頷いた。

 必ず、成し遂げてみせる。たとえこの身が滅びようとも。

 

 

 

 

 

 

 

────―   ────―   ────―

 

 

 

 

 時は、さらに経過して二年後。

 

 

「『安らぎ』を得られなかった君を、俺は救えない。それがただただ、悲しいよ」

 

 

 場所は渋谷駅。

 電車のホームで、奴に、桐谷にそう言われた。僕からすれば宣戦布告以外の何物でもない。

 それは本当に偶然だった。偶々取材先に向かおうとした電車で、見知らぬ少女が自爆し、それをまるで観察するように、人混みの中にあいつの姿があったのだ。

 だからなんとなく、この場所にはきっと何かある。僕の勘がそう告げる。

 もう僕は逃げない。絶対にケリを着けるとそう誓った。

 だから。

 

 

「──仕事(ケジメ)開始(スタート)

 

 

 永遠乘(おまえ)を、逃がしはしない。

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