CisLugI遺譚~残骸は安らぎを嘲笑う~   作:あんころもちDX

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【2019/9/17(火)】
 一部加筆修正しました。


後編

 渋谷・スクランブル交差点にて。

 現在の時刻は午後三時三十九分を少し過ぎたあたりか。少年が何者かによって刺殺されたらしく、警察による現場検証が行われていた。

 辺りもそれに伴って封鎖されており、人通りが少ない。

 あれから駅から降りたものの、特に行く宛もなく歩いていたところに遭遇した。それは果たして幸か、不幸か。

 当初の予定では最近産まれたパンダの赤ちゃんを取材しに行くために、東京から少し離れた動物園へと向かうはずだったが、予定変更だ。

 どうせ電車は運転見合わせでどう足掻いても間に合わないし、さすがに手ぶらでは会社には戻れない。

 封鎖されているテープの前に立ち、近くにいる刑事の中から一番口の緩そうな人物を見定める。

 僕は飛鳳先輩から譲り受けたミラーレスカメラを構えながら、気弱そうで若い刑事っぽい男に目を付け話しかける。

 

「すいません、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「え、あ、はい?」

 

 笑顔を浮かべながら手招きして呼び寄せると、彼は素直に僕の前まで歩いてきた。

 案の定、突然話しかけられたことで動揺しているのか、それとも僕の目的が分からなくて困惑しているのか。

 まあ、そんなものはどうでもいい。隙を見せた時点でこちらとしては関係ない。

 僕は相手が取り乱している間にこちらのペースに引き込もうと空かさず名刺を手渡す。

 

「申し遅れました。自分、こういうものでして」

 

「え。あ、はあ。これはご丁寧にどうも。……ええ、と。ブラックアリウム社の上地……なんて読むんです?」

 

「あ、『鍔乍』と書いて『つばさ』と読みます」

 

 若い刑事が「へえ、そういう風に読むんだ……」と感心している間に、肝心の事件現場の様子を横目で確認する。

 高校生のぐらいの少年がこのスクランブル交差点のど真ん中で刺されたという話だが。

 

「他殺事件みたいですけど、やっぱり例の連続殺人犯の犯行ってところですか?」 

 

「……まあ、そんなとこっすかね」

 

「因みに、目撃者は?」

 

「それが一人もいないんすよ」

 

 現在の時刻はまだ四時にも満たない。当然、まだ十分に明るい時間帯だ。それにも関わらず、目撃者がいないのは些か不可解と言わざるを得ない。

 現在、少年の遺体は回収され、これから科捜研にて検死がされるのだろう。コンクリートには少年が倒れた跡が白線で引かれていた。

 

「写真を一枚失礼しますよ」

 

「あ、ちょっと!?」

 

 ふと、何か違和感を感じて写真を撮った。慌てて止めに入られるが、上身だけ後ろに反らして避ける。

 宣言した通り、撮影するのは一枚だけだ。

 

「まだ現場検証中ですから写真を撮るのは……」

 

「すいません。記者としての(さが)みたいなものなので」

 

 ふと感じた違和感。写真を撮ってから、辺りを見渡す。

 写真には白線以外では、現場検証をしている青服の警官しか(・・)写っていない。たったこの、一フレームの中で。

 ……ああ、そうか。そういうことか。

 自分が記者として、そこそこ事件現場に赴いた経験が無ければこんな違和感はきっと感じなかっただろう。

 簡単なことだ。

 普通の事件現場にならあって然るべきもの(・・)が、そこにはなかっただけの話。

 それがきっと、違和感の原因だ。

 

「この辺り封鎖してはいますが、それにしたって人が少なすぎませんか?」

 

 多少の野次馬すら、ここにはいない。

 

「ああ……。たぶん、皆は電車での自爆騒ぎの方に行っちゃったからじゃないすかね? あれ起きてからのこれだし」

 

「……なるほど」

 

 それはそれは。

 ……道理で、目撃者がいないわけだ。

 

「貴重なお話、ありがとうございます。機会があれば、また是非お話を伺わせて下さい」

 

「あ、どうもっす」

 

 そろそろ引き上げた方がいいだろう。この若い刑事さんの上司らしき人物が般若のような形相でこちらを睨んでいるから。

 公務執行妨害で捕まる前にさっさと退散するに限る。

 

「……それにしても。なんともまあ、作為的な匂いがするな」

 

 まるで誰にも見られずに殺すために、ギャラリーを駅の方へ誘導したかのようにも感じられる。

 だが、そんなことはあり得るだろうか?

 駅での騒ぎは少女の自爆が原因だ。果たしてこんなにタイミングよく自爆するものだろうか。

 まあ、あり得ないことではないか。

 もしかしたら、殺人犯は「なんか知らんけどギャラリーがいないから殺せるラッキー☆」程度の感覚で殺したのかもしれないわけだし。

 だが、もしそうでないとしたら。

 意図的に少女が自爆させられ、その結果少年が殺された、ということになる。

 ……普通なら、絶対にあり得ない事象だ。

 だが。

 

――お前に向かわせた金剛寺大学附属病院だがな、実は前から結構キナ臭い噂話があるんだ。なんでも、自爆を試みて死にきれなかった人間を収容しているらしい――

 

 

 『尊厳維持装置の不具合』。結局また、あの病院にへと行き着いてしまう。

 永遠乘から渡された研究データにも、それを匂わせるような記述があった。

 これに関しては、永遠乘の所業を公表した際に社長さんが意図的に情報を伏せた。

 もしこれが事実だった場合、それを知ってしまった社長さん達の安全を確保するためだ。

 こんな国家の土台がびっくり返りかねない情報、下手したら消されるかもしれないわけだから。

 

 目を付けられていないことを祈るばかりだ。

 

「……それにしても、渋谷は人が多いな」

 

 さすが、若者達にとっての流行の中心地と言うべきか。

 人と人の肩がぶつかりそうになるぐらい密着しており、個人的には歩くのにかなり苦労する。

 ここまで多いなら、一人ぐらいダイダ・ロスの感染者が紛れていてもおかしくないが、あまり騒ぎになったことは聞かない。

 皮肉な話だが。連続殺人犯のおかげ、か。 

 ダイダ・ロスは自爆した場合に限り、ゾンビ化を引き起こすウイルス。

 自爆せずに殺された場合は、当然ゾンビ化はしない。

 連続殺人犯が人を殺せば殺すほど、自爆ゾンビの出現率はその分下がっていくと言える。

 だが、だからと言って、人の命を奪っていい免罪符にはなり得ない。

 

「あの、すいません!」

 

 すると、ブレザータイプの学生服を着た少年に話しかけられた。

 少年の顔を見るが、特に見覚えはない。生前の記憶が(いささ)か曖昧だが、知り合いではないと思う。たぶん。

 では、知り合いでないとするなら、一体何の用なのだろうか。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 首を傾げながら彼にそう問いかけた。

 

「ここら辺で、女の子を見かけませんでしたか? こう、髪が赤くて、サファイアのネックレスをしてて。なんというかその――とても美しくて」

 

 おお、聞いてるこっちが恥ずかしくなってしまう熱烈な言葉だな。

 それはそれとして、人探しか。

 生憎(あいにく)、不慣れな地で吐き気がするほどの人の群れに流されるように歩かされたせいでそこまで周りの人間の特徴を見てはいなかった。

 僕は首を横に振る。

 

「ごめん。見かけてはないね」

 

「そうですか」

 

 僕の言葉に対して、彼は特に落胆したような表情は見せてはいなかった。

 

「残念じゃないのかい?」

 

 思わず、そう聞いてしまった。

 しかし彼は「確かに残念ですけど」と言ってから、瞳の奥に何やら決意のようなものを秘めながら言う。

 

「きっとまた会えるって信じてますから」

 

 信じる。

 それは、何よりも強い言葉だ。

 

――あたしは鍔乍を信じるです。だから鍔乍も、信じてほしいです――

 

 飛鳳先輩の言葉を思い出した。

 ……そうだな。それならきっと大丈夫だろう。

 

「君が信じてるなら、きっと会えるよ。その子と」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 少年はそう言って頭を下げると、そのまま去っていった。

 女の子を探す生真面目な少年、か。

 まるで小説の題材のようなシチュエーションに巡り合わせたものだとついつい笑ってしまった。

 

 さて、そこからさらに時間をかけて渋谷という場所を満喫することにする。

 そのまま町を歩いていると、電化製品店の店先に並ぶ薄型テレビからニュースキャスターの声が聞こえてくる。

 

《ここで緊急速報です。本日午後三時三十一分頃に、渋谷のスクランブル交差点にて、男子高校生の衛方明史さんが何者かにナイフで刺されて死んでいるのが発見されました》

 

「え~、この前も通り魔で誰か殺されてなかった?」

 

「最近多いよね」

 

「あーあー、私も遭遇しちゃったらどうしようかな?」

 

「私なら、マフラー小僧に守ってもらうもんね~」

 

「あ、ずる~い! じゃあ、私は白兎に守ってもらおっと!」

 

 続いて聞こえてきたのは、女子高校生ぐらいの年齢の少女達はワイワイ騒ぎながらテレビを見ていた。

 

「連続殺人犯、マフラー小僧、白兎……か」

 

 最近の若者達の注目の的であり、うちとして記事のネタとして大変お世話になっているトップスリーと言ったラインナップか。

 世間を騒がせる通り魔殺人を行う連続殺人犯。

 女性を暴漢から助ける正体不明の謎の隣人であるマフラー小僧。

 その身を白いパワードスーツに包んだテロリストである白兎。

 

 ――ああ、でも、もう一人だけいたな。

 

 その場から顔を上げて阿賀野コーポレーションの看板を見つめる。

 

 この町を作ったと言っても過言ではない男、阿賀野コーポレーション社長。

 

 今、日本で最も話題になっている四人と言える。

 基本的にこの四人で特集を組めば、大体雑誌の売上は確約されたも同然と言える。

 

 そこで、ふと携帯を取り出して時間を確認する。

 現在の時刻は午後四時を少し過ぎたあたりだ。

 

 さて、これから一体どうするか。

 とりあえずあまり足を運ぶような機会がある場所ではないので、少し軽い観光気分で気軽に歩こうとする。

 ただ、個人的には悠長に留まらず、もっと早くこの場を離れればよかったと心底後悔することになる。

 何故なら。

 

 

「あら」

 

「――っ」

 

 背後から声をかけられた。つい反射的に肩がビクッと震えた。

 今の、声は、まさか……。

 いや、いやいやいや。そんなそんなバカな。

 そんな偶然が果たしてあるだろうか、いやないね。

 これはそんなレベルでの神の悪戯としか言い様がないほどの事象なわけで、そんな二年前に親族に会って、まさかまさかのその二年後に再会するだなんて、そんな。

 そんなバカなことがあるはずがない。

 いや、誰か嘘だと言ってくれ。

 

「貴方、もしかして……鍔乍くん?」

 

「……いえ、そんな」

 

 なるべく後ろを見ないように、口元を震わせながら(とぼ)けようと言葉を発した。

 だが、それがアウト判定だったらしい。

 

「その声、鍔乍くんよね。なに? もしかして、私のことを忘れたのかしら?」

 

 肩をしっかりと掴まれ、固定される。

 ……え、嘘。なんでゾンビの体なのに軋んでるの? おかしくない?

 しかもなんで? 痛覚なんてないのに、なんか凄い痛い感覚があるよ? ……なんで?

 

「あ、あはは。そんな、忘れたことなんて一度たりともありませんとも。……恭子先生」

 

 ついに観念して背後を振り返る。

 その先には、こちらをニコニコと綺麗な笑みを浮かべる女性がいた。

 

「久しぶりね、鍔乍くん。五年ぶりかしら?」

 

「はは……ご無沙汰してます」

 

 少し青みのある髪に、白いエプロン。

 我が武術の師にして、元自衛軍所属の女傑――風祭恭子、その人だった。

 恭子先生は一息吐いてから「元気そうで良かったわ」と呟いた。

 その言葉に僕は頭を下げて謝罪する。

 

「ご心配をおかけしてすみません。色々とゴタゴタしてたものですから」

 

「別にいいわよ。今日こうして会えたんだから」

 

 そう言ってくれることに嬉しさを感じつつ、彼女の持つビニール袋に目が行った。

 

「もしかして、お買い物の途中でしたか?」

 

「いや、ちょうど終わったところよ。姪っ子とその友達用にマカロンをね」

 

「姪っ子……すみれちゃんですか」

 

 自分で口にした名前に、少し気分が落ち込む。二年前、僕は彼女を救えなかった。

 彼女を救ったのは、まだ装甲が黒かった頃の白兎。

 僕の口からすみれちゃんの名前が出るとは思わなかったのか、恭子先生は「あら、意外」と少し驚いた表情を浮かべた。

 

「ちゃんと名前を覚えてたのね」

 

「いや、覚えていたというか何というか」

 

 正確には恭子先生の兄から聞いたというだけなのだが。

 そう曖昧に答えると、彼女は困惑したように首を傾げる。

 

「なんだがはっきりしないわね」

 

「面目ないです。……つかぬことをお聞きしますが、すみれちゃんは元気ですか?」

 

 二年前の脱線事故。聞いた話によれば彼女はかなりの重傷だったらしい。

 後遺症が残ってなければいいが。

 彼女も僕の言わんとしていることが分かったのか、頷いた。

 

「ええ、今は元気にしているわよ。……ただ、少し不安なところもあるけど」

 

「と、言いますと?」

 

 少し彼女の表情が暗くなったのが気になった。

 

「……最近、話題に挙がるマフラー小僧って知っているかしら?」

 

「はい、まあ……噂は予々(かねがね)。主に暴漢退治をしているらしいですが」

 

 自分の食い扶持(ぶち)だし、多少なりとも情報は持っているつもりだ。

 

「マフラー小僧の話が出てから、少しずつだけど彼女の体の重心にズレが出ているの。鍔乍くんはどう思う?」

 

 重心のズレは日頃の不規則な動きによって生じる。つまり、日頃から全く同じルーチンさえこなしていればそこまで逸脱したズレは生じないはずなのだ。

 それにも関わらずズレが出始めているということは、考えられる要因はおおよそ二つ。

 

「詳しいことは直接本人の体の動きを見なければ何とも言えませんが……考えられるとしたら、単純にトレーニングを怠ったことでバランスが崩れたか、それとも過度に肉体に負荷をかけたかですかね」

 

「やっぱり、そうなるわよね」

 

 そう伏し目がちに思案する恭子先生。恐らく、聞いてきた本人も同じ風に考えていたんだろう。

 僕だって鈍感じゃない。ここまでお膳立てされれば、彼女が何に対して疑惑の目を向けているのか一目瞭然だ。

 

「疑っているんですか。すみれちゃんがマフラー小僧だと」

 

「……そうでないことを、祈っているの」

 

 すみれちゃんに危険な道を歩いてほしくない。そんな思いが感じられる言葉だった。

 恭子先生らしい。

 すると、彼女は両手を叩いて「そうだ」とまるではしゃぎながら提案してくる。

 

「せっかくだから鍔乍くんもいらっしゃいよ。また三人で鍛練してみるのも楽しいわよ」

 

「え"……」

 

 いや、それはちょっと。二重の意味で。

 すみれちゃんに合わせる顔がそもそもないし、なにより、恭子先生のスパルタ指導はもう勘弁願いたいというか。

 

「その、僕、これから仕事なので……」

 

「あら、たしか鍔乍くんは医学生じゃなかったかしら?」

 

 ……ああ、そうか。そういえば、生前に言っていたな。

 彼女の元で武術を習い始めた理由も、母さんを守れるような男になるために、強くありたいと思ったからだったか。

 

「……はい、もう辞めちゃいました」

 

「……。そう」

 

 僕の言葉に何か思ったのか、彼女は「仕事なら仕方ないわね」と引き下がってくれた。

 それに内心ホッとしていると、「ただし」と付け加える。

 

「音信不通で心配させた罰として、話ぐらいは聞かせなさい」

 

「……はい」

 

 それは本当に申し訳なかったと思う。だから彼女の申し出を受け入れる。

 

「なら、仕事はいつ頃終わりそうなの?」

 

「そうですね。……あと三時間ぐらいですかね」

 

 適当に答えた。というよりも、とりあえず彼女と共にすみれちゃんに会いたくなかったので。

 それに対して、恭子先生は眉間に皺を寄せて疑いの目を向けてくる。

 

「……鍔乍くん、今一体何の職に就いているの?」

 

「えーっと、一応出版社で記者やってます」

 

 そう言って懐から名刺を取り出して彼女に渡した。

 

「ブラックアリウム社……ああ、玄有くんのところね」

 

「社長を知っているんですか?」

 

「ええ。まあちょっとした知り合いってとこかしら」

 

 彼女は僕から渡された名刺を見て、それをエプロンのポケットに仕舞うと、納得したのか頷いた。

 

「ちゃんと働いているようで安心したわ。……鍔乍くん、記者なら何かメモ紙と書くものは持っているかしら?」

 

「あ、はい」

 

 彼女に胸元にあったボールペンとメモ帳を渡すと、彼女は名刺の裏に何か地図のようなものを書いていく。

 その後、メモ紙とボールペンを返してきた。

 

「そこ、私の行きつけの喫茶店なの。三時間後にそこで会いましょう」

 

「はい、分かりました」

 

 まあ、近況報告ぐらいなら構わないだろう。恭子先生の行きつけの喫茶店なら、味の保証は確約されているようなものだし。

 彼女は手を振りながら去り、再び一人となった。

 この広く人の多い町で三時間もどうしようか考える。

 

「地元じゃないから特に行く宛もないしなぁ」

 

 とにかく考えつかないので目的もなく歩き始めることにした。

 適当に歩くだけでも、いい暇潰しにはなるだろう。

 建物を見て、今勤めている会社の周りの風景と比較するだけでも個人的には楽しい。

 

「しゃぶしゃぶバイキングに601のビル、あの赤いのは薬局か……」

 

 特にしゃぶしゃぶバイキングは飛鳳先輩が喜びそうだなと思った。

 そうして歩き始めて数十分が経過した頃だろうか。

 

 

『やっほー!』

 

 

「……なんだ?」

 

 なんか、遠くの方からそんな少女のような声が聞こえてきた。

 ……この近くに山でもあるのかと思ってその場に立ち止まってから辺りを見渡してみるが、特にそういった様子は見受けられない。

 ここは都会のど真ん中。確かに少し歩けば住宅地だが、それでも敢えて山彦をやる意味はないだろう。

 

「大方、元気の良い女子高生が叫んだ感じか。……青春、ってやつか」

 

 自分には縁遠い言葉と思いつつ、再度歩き出す。

 ふと空を見上げれば、もう赤くなっていた。道往く人々の様相も、若者の割合よりサラリーマンやOLの割合の方がチラホラと多くなったような気がする。

 

「さっきまで青かったのになぁ」

 

 世界はこのように変化する。一日の中でこんなにも目まぐるしく変化しているにも関わらず、自分だけが変化せず、置いていかれたような感覚に陥る。

 

「……」

 

 時刻はもうすぐ午後五時近く。まだ約束の時間まで一時間半もある。

 今一度、周りを見渡してみれば、『“月の海”、大好評につき重版決定! 本日入荷しました!』という文字が見えた。

 そちらに意識を向けてみれば、よくある本屋だ。渋谷の町には珍しく、小ぢんまりとした店だ。

 

「月の海……作者不明の作品だったか」

 

 たしか飛鳳先輩がこれはいいネタになると正体を暴きに向かったが、本名どころか住所すら分からず全く手掛かりが掴めなくて敢えなく撃沈していた覚えがある。

 思わず店頭に置かれた月の海の本を手に持った。

 

「おい、そこのお前」

 

 すると、誰かから声をかけられた。……今日はよく話しかけられるなぁ。

 声をかけられたなら無視するわけにもいかないので、そちらに顔を向ける。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 高圧的な口調だったのでつい敬語で応対してしまったが、話しかけた人物を見れば帽子を被った学ランの少年。恐らく高校生ぐらいだろうか。

 先ほどの、女の子を探していた少年と非常に年齢も近く、あと少しだけだが雰囲気も似ている気がする。

 

「何か用で――っ!?」

 

 しかし、すぐに一歩後ろに下がって距離を取ってしまった。

 彼の学ランの右腕には、あの赤い腕章が着けられていた。

 

「腕章付きか……!」

 

「む、これのことを知っているのか。まあいい、そんな細かいことはどうでもいい」

 

 一歩下がった距離を埋めるように、彼はこちらへ踏み込んできた。

 

「お前、その本を読んだか?」

 

「……いや、まだだけど」

 

「そうか。失礼したな」

 

 するとまるで聞きたいことは終わったとでも言いたげに踵を返してその場から去ろうとする。

 僕は慌てて彼を呼び止める。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

「なんだ、お前にはもう用はないんだが」

 

「そっちにはなくても、こっちにはあるんだ!」

 

「なら、手短に話せ」

 

 早くしろと催促するその視線に、僕は少し溜め息を溢したくなる思いを抑えて彼に尋ねる。

 

「腕章付きなら桐谷という男を知っているだろう? 奴は今どこにいる?!」

 

「ほう。お前、あの男の知り合いか」

 

「知っているんだな!」

 

 手に持っていた月の海を店頭に戻してから、彼に詰め寄った。

 

「知っているのは名前だけだ。奴の素性については知らん。我々腕章付きは定期的に集まりはするが、俺はそもそもあまり参加しない口なのでな」

 

 この少年は桐谷のことを深くは知らないという。つまり、その所在さえも当然知らない。

 

「尊厳維持装置の保全という共通目的を持つ以外、俺達に共通点は何一つない。……その中でも、桐谷という男は度を越えた秘密主義者だ」

 

 つまり、他の腕章付きでさえも、桐谷という男の素性を知らないということか。

 やっと手掛かりが見つかったと思ったのに、奴に迫る糸口にはならなかった。

 少年は項垂れるに僕に一言かける。

 

「用事は済んだか? なら俺は行かせてもらう、小説の題材を探さなければならないんでな」

 

 そう言って、去ってしまった。

 僕はただただ、彼の背中を見送るしかなかった。これ以上彼に詰め寄ったところで、互いに何のメリットにもならないのだから、彼を追う意味はない。

 

 …………。

 

 ふと、脳内で飛鳳先輩から「バカもーん、です! そいつが作者だ、です~!」という抗議の声が聞こえた気がしたが、特に気にしないことにした。

 

 とりあえず、店頭に並んでいる月の海――そのお試し本を手に取って読んでみる。

 そう厚みもないので読んでいる内に約束の時間までの暇潰しになるだろう。

 

「……」

 

 話の内容は、恐らくこの作品全体のプロローグに値する部分だろう。

 主人公の祖母が主人公にかける期待の念。

 けれども主人公にとって、それは嫌悪の対象でしかない。

 主人公の母親を出来損ないと称し、その母親の世話と勉学の両立を強いてくる祖母。

 主人公が産まれた時から、寝たきりで徐々に壊れていく母。

 そんな母と祖母を置いて蒸発してしまった入り婿の父。

 主人公は思う。純粋な母は醜い祖母よりも何倍も美しいと。

 主人公は願う。回復の見込みのない母にはどうか美しいままでいてほしいと。

 

 だから。

 

 

 

――はやくしねばいいのに――

 

 

 

「――っ」

 

 思わず、お試し本を手から落としてしまった。

 回復の見込みのない寝たきりの母に、自分の母親を重ねた。

 そして、そんな母に死を願う主人公の姿に、自分自身を重ねた。

 

 僕もまた、願ってしまったからだ。どうせ死ぬのなら、楽な方がいいと。

 母さんも、そうあるべきだと。

 

 まるで、心臓を鷲掴みにされたようだった。

 

 なるほど、これは人気が出るわけだ。

 この本には――いや、この作者は一文字一文字に魂を籠めて執筆している。

 販売される際はこのようにワープロでの入力となるが、恐らくこの作者は今時珍しく手書きでこの作品を執筆したに違いないと感じた。

 いやはや、さすがプロが書いたものだと感嘆した。

 自分も記事を作成する際に文章を書くが、ここまでのものは流石に書けない。

 まるでその小説の場面に自分が存在しているかのような感覚が味わえるような臨場感が、この作品にはある。

 

 是非とも一冊は買っておきたいが。

 

「……無理なんだよな」

 

 小ぢんまりとした本屋を見る。そこには『電子マネー限定』の文字があった。

 自分の起爆リングを見つめる。

 何もこの起爆リングは自殺するための道具ではない、ベーシックインカムにより電子マネーが定期的にチャージされ、これで買い物ができるようになっている。

 しかし、僕のこれは既に失効しているため、当然そのような機能も使えない。

 社長さんにも無理を言って給料は現金支払いにしてもらった。

 このご時世、現金支払いをやっている店はかなり希少だ。会社の周りでも数件ぐらいしかないんじゃないだろうか。

 僕は落としてしまったお試し本を拾ってから店頭に戻して、時間を確認する。

 現在の時刻は午後六時十五分。そろそろいい時間だ。

 

「それじゃあ、行きますかね」

 

 個人的には、先生との面談に赴く生徒のような心境だが。

 

 

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 すこし間の抜けた声。

 目的地に着いた僕が扉を開けると、中からウエイトレスの少女の声が聞こえた。

 

「何名様ですかー?」

 

「ええと……」

 

 店内を見渡してみる。すると、少し奥の席で恭子先生が手招きをしていた。

 その様子を少女も見て、「なるほど!」と手を叩いた。

 

「恭子さんの彼氏さん――」

 

「違います」

 

 言い終わるのを待つまでもなく速攻で否定した。

 あらぬ誤解を与えるわけにもいかないし、何よりもそんな事象は誰も得をしない。

 真顔のまま表情を変えない僕に対し、少女は明らかに落胆したような声を出す。

 

「なーんだ、ちょっと期待したんだけどなー」

 

 何を期待しているのか知らないが、そのリクエストが叶うことはたぶん一生ないだろう。

 

「とりま、席へご案内しますねー」

 

 そう言って、少女は僕を恭子先生が待つ席まで案内した。

 そのまま座ってメニュー表を渡してくる。

 

「ダージリン一つお願いします」

 

「私にも同じものをお願いできるかしら」

 

 少女は「かしこまりましたー」と言ってカウンターへと戻っていった。

 

「ダージリン二つー」

 

「はいよー」

 

 なんとも緩いなぁと思いつつ、向かい合うように座る恭子先生に目を向ける。

 

「お待たせしてしまってすみません、恭子先生」

 

「いいえ、そんなに待ってないもの。気にしなくていいわ」

 

 彼女は「それよりも」と早速本題に移ろうとする。

 

「聞かせてくれないかしら。貴方がこの五年間、どんな風に過ごしていたのかを」

 

「……」

 

「お母さんの病気を治すために、貴方が頑張って医学生になったことを私は知っているわ。それなのに、貴方は医学生を辞めてしまった。それにはとても大きな事情があるんでしょ?」

 

「……。恭子先生は、五年前に起きた自爆ゾンビ事件を覚えていますか?」

 

 それから、少しずつ、自分が自爆ゾンビであることを伏せたまま、大体の事のあらましを話した。

 永遠乘命によってウイルスが散布されたこと、自分がその片棒を担いでしまったこと、その罪滅ぼしのために独自に活動し、永遠乘命の行方を探しながら、彼女から指導してもらった武術で自爆ゾンビを弔い、最終的に現在はブラックアリウム社で働いている。

 

 ひと通り話を聞き終えた恭子先生は、「なるほど」と頷く。

 

「それじゃあ、お母さんは……」

 

「死にました。……ただ、その死因について、記憶が朧気で」

 

「精神的なショックのせいね。無理もないわ」

 

「でも、だからこそ……永遠乘命を見つけ出して、奴に罪を贖わさなければならないんです」

 

 そう言って握り拳を作る僕を諭すように彼女は言う。

 

「それで、その永遠乘という人の行方は分かっているの?」

 

「……いえ、それが全然で。二年前にあと一歩というところまで迫ったんですが」

 

 そう、迫っただけで追い詰めてはいない。奴からすれば、嗅ぎ付ける者の影が見えたから逃げた。逃げられる余地があったから逃げたのだ。

 そうやって僕が悔やんでいる時と。

 

「ご注文のダージリン二つです。ごゆっくりどうぞー」

 

 ウエイトレスの少女がカップを二つ持ってきた。

 その軽いノリの声で、僕と恭子先生の張り詰めた空気が緩んだ気がした。

 互いにカップの取っ手に指を通してダージリンを一口飲む。

 

「……あ、美味しい」

 

 凄く温かく、それでいて体の芯の奥まで染み渡ってくるような深い味わい。

 香りは品のいいバラの風味で甘く、色は黄色味の強いオレンジであることから、恐らく秋の時期に摘まれたものであることが伺える。

 味は苦味と渋味が控えめで、後味がさっぱりとしたまろやかさだ。

 

「ダージリンなら個人的にはファーストフラッシュが好きですが、オータムナムもたまにはいいものですね」

 

「さすが鍔乍くん、お目が高いわね」

 

 不思議と笑みが溢れた。なんとなくだが、こうして彼女と紅茶を飲んでいると、まるで生前に戻ったような感覚に陥る。

 あの頃はとても楽しかった。目標があって、それに突っ走っていって……本当に、“生きてた”って気がする。

 

 僕と恭子先生はダージリンを口にしてその香りと味を深く噛み締める。

 

「「……」」

 

 とりあえず、過去の経緯は先ほどでおしまい。そう互いにアイコンタクトをした。

 

「そういえば」

 

 すると、恭子先生は話題を変えるように僕の体を見つめてから言った。

 

「五年間、鍛練の方は続けているの?」

 

「はい、一日たりとも欠かさずにやっています」

 

「そう……」

 

 彼女は何か腑に落ちない点でもあるのか、少し怪訝そうな表情をする。

 僕は少しだけ不安になり、彼女に尋ねた。

 

「あの、何か気になることがあるんですか?」

 

「ええ。さっき町中で貴方に声をかけて肩を掴んだ時に、ついでにきちんとトレーニングしているか確認しようと思って貴方の筋肉を少し診させてもらったの。……そしたら、まるで死人みたいに硬直しているからびっくりしたのよね」

 

 思わずドキッとした。彼女の勘の鋭さには目を見張るものがある。

 

「過度に体を動かしすぎているのかと思いきや、重心のブレがあるわけでもない。かといって、極端に筋肉量が変わっているわけでもないから不思議なのよね」

 

「……」

 

 これは、下手な言い訳をしたらあっさり見抜かれそうだ。

 ……仕方ない。あまりやりたくない手だが。

 

「それなら久しぶりに稽古をつけて下さい。そうすれば、理由も自ずと分かってくるんじゃないでしょうか?」

 

 ゾンビバレするよりマシだ。

 

「あら、久々だからって遠慮しないわよ」

 

 そう満面の笑みを浮かべる恭子先生に、なぜか寒気がした。

 

 

 

 

 

「はい、一本」

 

 気づけば地面に伏して空を見上げていた。

 あの後、場所を喫茶店から近くの公園に変えたのだが、この有り様だ。

 

――「もう遅いから、そうね。私から一度でもいいから一本取ってみなさい」――

 

 一度でもいいからって聞くと、案外簡単そうだけど、そのたった一度すら許されないと永遠に終われないんだよなぁ。

 

「ほら、鍔乍くん。次行くわよ」

 

「うぃっす」

 

 すぐに立ち上がって改めて向かい合う。

 

三戦(サンチン)!」

 

「はい!」

 

 三戦(サンチン)の型を取って、恭子先生の動きを見定める。

 向こうが踏み込んでくるならば、迎撃のスタンスに移行しようとする。

 だがそれもタイミングを一秒ほどずらされたことで崩され、腹に重い正拳突きを喰らう。

 

「――ぐぅ!?」

 

 痛みはない。が、腹から口元に伝わってくる衝撃が凄まじい。

 今度はこちらから攻めようとすれば足払いによって容易くバランスを崩され、再び腹に正拳突きを喰らう。

 ああ、これアカンやつだ。

 

「がはっ――!!」

 

 思わず先ほど飲んだダージリンを吐きそうになるが、気合いでそれをこらえる。

 それでも、うろたえている間にさらに喰らう。

 

「ごほぅ……」

 

 ……やっぱりこれ、無理ゲーでは?

 そう思った瞬間、体全体が重くなり、その場に片膝を着いてしまった。

 

「あら、もう休憩するの?」

 

「……あの、もう少し手心をですね」

 

「これでも十分手加減しているわよ。本気だったらもう十回は貴方の身体は壊れているもの」

 

「左様ですか……」

 

 なにそれ、もうずっと稽古終わらないじゃん。泣きそうで吐きそう。

 恭子先生はそんな僕の姿に溜め息を吐く。

 

三戦(サンチン)の型はスタンス狭めの高重心だからこそ、あらゆる型への移行を可能とする。その代わり、非常に足場が不安定な場所では不利になる。私がこれを貴方に教えた際に言ったことは覚えている?」

 

「はい、それは勿論」

 

「なら、この型を貫く上で何が重要かも当然覚えているわね?」

 

「……正しい呼吸と、揺るがぬ精神力、ですね」

 

 恭子先生は「そう」と大きく頷く。

 

「非常にデリケートな型だからこそ、正しい呼吸による筋肉の調節と精神集中、どのような状況になろうとも決して揺るがない強い心が必要になる」

 

 彼女は言う。

 

三戦(サンチン)の極意とは、敵の攻撃を弾くことにあらず。敵の動きを見抜き、全身を以て防御することにあり。その心構えでもう一度やってみなさい」

 

「……はい」

 

 再度立ち上がってから規定の距離を取って彼女と向き直う。

 

「あまり長引かせるのもあれだから、これで最後にするわよ」

 

「はい」

 

 これで最後。これで結果を出さなければ、彼女に稽古をつけてもらっている意味がない。

 

三戦(サンチン)!」

 

「……はい!」

 

 足幅を狭く、やや内股に。腕を上げて重心を高くする。

 

「スゥ―――」

 

 息を吸って、全身の筋肉を弛緩させる。

 

「はああああっ!!!」

 

 恭子先生が迫ってくる。

 ……慌てるな。呼吸を乱すな。動じるな。

 見極めろ。彼女の動きを、見抜け。

 限界ギリギリまで、呼吸を、保て――――!!!!

 

 これまでの稽古で、彼女が狙うのは、全て僕の腹部。

 確かに彼女の言うとおり、手加減をしてくれている。自分が狙っている部位を変えてこない。

 それにも関わらず、僕が勝てないのは、ただ一つ。

 彼女の気迫に、自分の未熟さに、過去の因縁に。

 

 心が、揺らいだからだ。

 

 彼女の正拳突きが腹に触れたその瞬間。

 

「――――破ッ!!!」

 

 筋肉の緊張は、何も攻撃のためにあるわけじゃない。自身の拳の威力を強化するだけじゃないんだ。

 

「捕まえ、ました……っ!!」

 

「……流石ね、折れるかと思ったわ」

 

 僕は恭子先生の正拳突きを真正面から腹で受け止めた。喰らった衝撃は、半分は彼女自身に、もう半分は腹から足を通じて地面に逃がした。

 

 そう、彼女の正拳突きを喰らう直前に息を吐いて筋肉を緊張させ、天然の防弾ベスト並みの硬さにまで硬直させた。

 そのまま彼女の腕を掴んで拘束し、掌底を顎先に軽く付けた。流石に女性相手に叩き込むわけにはいかないだろう。

 

「どうして衝撃を半分地面に逃がしたのかしら。その気になれば全てこっちに返すこともできたでしょうに」

 

「いや、それだと恭子先生の腕が壊れると思ったので」

 

「あら、そんなに柔な鍛え方をしていると思ったのかし――ら!!」

 

「へっ?!」

 

 突然、拘束していた彼女の腕を基点として、逆にこちらが背負い投げを喰らってしまった。

 ……なぜに?

 

「ちゃ、ちゃんと一本取りましたよね……僕?」

 

「手を顎先に付けたぐらいで、一本取っただなんて片腹痛いわよ」

 

「さいですか……」

 

 やっぱりそう簡単にはいかないか。確かに元自衛軍所属の恭子先生からすれば、顎に手を添えるのは失笑ものだろうなぁ。

 

「でも、最後の心構えは十分合格点よ」

 

 そう言ってこちらに手を差し伸べてくる恭子先生。彼女の手を取って立ち上がってから、頭を下げて感謝する。

 

「ありがとうございました」

 

「また稽古をつけてほしかったら、いつでも言いなさいよ」

 

「はい!」

 

 正直言って、もう十分ですけどね。

 さて、辺りを見渡してみればすっかり真っ暗だ。

 恭子先生も腕時計を見て「あらいけない」と目を見開いた。

 

「もう買い物に行かないといけないわね」

 

「こんな夜遅くまで付き合わせてしまって申し訳ありません」

 

「別にいいわよ。私自身、楽しかったのは本当なんだから」

 

 そう言った後に「たまには顔を見せなさいよ」とこちらに釘を刺してから彼女は立ち去っていった。

 夜遅く暗く女性一人では危ないので、せめてスーパーの近くまで同行しようと思ったが、そんなことをしたら荷物持ちをさせられて家にまで招かれそうだったので申し出るのはやめた。

 あと、恭子先生ぐらい強ければ並みの男では勝てないだろうし。

 

「はあ……」

 

 我ながら、なんとも情けない。

 

「……帰るか」

 

 流石にもう電車も運転見合わせから直ってるだろうし、とりあえず渋谷駅まで目指すとしよう。

 ああ、早く帰りたい。

 そう思って歩き出すと、なんだか不思議な気がする。

 なんだろう、見慣れない景色も夜になるとまた昼間とは違った印象を抱くと言うべきか。

 それとも、昼間いない存在が動き出すからと言うべきか。

 

「……」

 

 町中を照らすネオンの光。しかしそれが強いほど、路地裏なので闇の部分が昼間より一層強調される。

 ここまで暗ければ、そういう裏の人間の活動場所としては好都合だろう。

 それに何より、僕にはそれが巨大な蟻地獄のようにも思えた。

 こちら側の人間が足を踏み入れるのを待ちながら、いざ踏み入れた瞬間に情け容赦なく喰らい尽くす。

 そんな気配を感じる。

 

 それともう一つ、気になるものもある。だが、それはできれば杞憂でありたい。

 

「……少しだけ寄り道しても、誤差の範囲だろう」

 

 そう言って立ち止まり、闇が口を開いて待つ路地裏へとその身を沈めていった。

 

 

 

 

「これはまた、予想外なものと遭遇したな」

 

《ここは重要警戒エリア。関係ない者は、速やかに立ち去りなさい》

 

 警備用のオートマトンだ。やけに高圧的な言葉でこちらを牽制し、赤い六つの瞳はまるでこちらに敵意を向けているようにも見える。

 とりあえずその場から一旦下がってオートマトンの認識外領域まで離れる。

 そうしたら思いっきり助走をつけてからジャンプ。壁を蹴るようにしてオートマトンの目を掻い潜る。

 

 本当ならここで素直に立ち去りたいが、僕の勘が当たってるなら、あれ(・・)の相手はオートマトンでは些か厳しいだろう。

 

「よ、っと」

 

 なんとか無事に着地成功。

 

「――見つけた」

 

 するとどうだろうか。ここは路地裏の結構奥のはずなのに背後から声が聞こえた。声からして少女だろうか。

 咄嗟に振り返ろうとするが、それより早くドンッという衝撃が自身の背中に襲う。

 地面に滴り落ちるのは、自分の赤い血。

 

「……ちょっとこれは、洒落にならないんじゃないかな」

 

「っ?!」

 

 そう言って、彼女の手を空かさず拘束してから地面に叩きつける。

 体がゾンビだったから特に影響はないものの、人間だったら間違いなく死んでいただろう。

 

「ぐっ!!」

 

 彼女の目的がどうあれ、僕を狙ったことは事実。

 詳しく事情を聞こうと彼女の顔を見ようとした瞬間、頭の中に人探しをしていた少年の声が響く。

 

――ここら辺で、女の子を見かけませんでしたか? こう、髪が赤くて、サファイアのネックレスをしてて。なんというかその――とても美しくて――

 

 目の前の少女は、その特徴が全て合致した。

 まさか彼が探していたのは、この少女だろうか。

 

「……どうして、死なないのよ」

 

 そう憎々し気にこちらを睨みつけてくる彼女に、溜め息が溢れる。

 

「生憎、もう死んでる身なんでね。それより、君はどうして僕を刺したんだ?」

 

「声が、聞こえたから。貴方を、殺せ、って……」

 

「それは一体、どういう……」

 

 

 

 

「ぁぅあぇあああぅ……」

 

 

 少女から詳しく話を聞こうとした瞬間、奴ら(・・)の声が聞こえて咄嗟に手を放した。

 どうやら、自分の勘は当たってたらしい。

 殺人鬼のおかげでここら辺一帯は自爆ゾンビはいないと思っていたが、やはりそれでも出現するにはするらしい。

 残念なのは、既にここまで感染者が存在していることか。

 聞こえてくる声は一つだが、足音からして計四体と言ったところだな。

 僕は少女に言う。

 

「すぐにこの場から離れるんだ」

 

「あれは一体……何なの?」

 

 彼女は奴らを見て目を見開いた。

 彼女の視線の先にあるもの――それは、目から血の涙を流しながら蠢く残骸『自爆ゾンビ』に他ならない。

 

「自爆ゾンビ。名前ぐらいは聞いたことないか?」

 

「し、知らない……そんなの、私……」

 

「ならこれで知ることができたな。あれはウイルスの感染によって引き起こされ、尚且つ自爆することで発症する」

 

 僕はすぐにここから離れるように言う。

 

「今すぐここから逃げろ。ここまで来る間にいたのは警備用のオートマトンだけだ」

 

「わ、分かったわ……」

 

 そう言って、彼女はすんなり逃げ出してくれた。……素直な子で良かったと思う。

 まあ、突然刺してきたことについては、また出会う機会があれば問いただしたいところだが。

 とにかく、今は目前に迫った自爆ゾンビ達を終わらせなければ。

 

「あぅあああ!!」

 

「こっちは、しこたまシゴかれて疲れてるんだ。一気に行かせてもらう!!」

 

 先に頭蓋にヒビを入れてから即座に掌底を打ち込むが、ここは先に全ての頭蓋をヒビを入れる。

 

「スゥ―――」

 

 止まらない。止まる気はない。

 鈍重な動きを掻い潜り、四つの頭蓋に掴んではヒビを入れる。

 

「――――破ッッ!!!!」

 

 弛緩から緊張へ、掌底で四つの顎先を打ち抜く。

 ブシュッという音と、倒れる四つの死体。

 時間にして二分足らず、個人的には新記録だな。

 

「……よし、帰るか」

 

「お待ちなさい」

 

 ……本当に、今日はよく話しかけられる日だな。さっきも言ったことだが。

 声をかけられたのでそちらに視線を向ければ、白い軍服に身を包む三つの人影。

 まず目を惹くのは、いつぞやの脱線事故の際に救出してくれた金髪の女性。

 背後には以前も見かけた細目で軽そうな印象の赤髪の女性と、以前は見かけなかった少し強気な印象を与える青髪の女性を伴っていた。

 

「貴女は……」

 

「ごきげんよう、お久しぶりですわね。会うのは二年ぶりかしら?」

 

「……その節はどうも。それより、腕章付きが僕に何の用です?」

 

 僕が言った『腕章付き』という言葉に、青髪の女性は警戒したように動く。

 

「こいつ、どうしてそれを……っ!」

 

「待ちなさい、メイカ。それよりも、貴方には少し伺いたいことがありますの」

 

 金髪の女性に窘められ、こちらに斬りかかってきそうなほどの剣幕だった青髪の女性は「失礼しました」と大人しく引き下がった。

 

「伺いたいこと?」

 

「ええ。その前に貴方には自己紹介をすべきですわね」

 

 そう言うと、「ンンッ!」と喉を整えてから捲し立てるように己の所属と名前を言い放つ。

 

「私は国際協和連合強制執行軍太平洋方面極東支部首都治安維持第101独立機動部隊隊長、ナインシュタイン・フォン・ナイチンゲールと申します。以後、お見知りおきを」

 

「……すいません、なんて?」

 

「あら、仕方ありませんわね。じゃあもう一度だけですわよ、私は国際協和――」

 

「いやもういいです。はい」

 

 とりあえず、聞き取れた部分からすると、この女性は国際協和連合――通称『国合』からわざわざこの日本に派遣された進駐軍で、その隊長であり名前はナインシュタインさん。そして腕章付きでもあると。

 後ろに控える二人の女性は、差し詰め彼女の忠実な部下と言ったところか。

 

「名前の響きからしてドイツ人ですかね。わざわざこんな島国までご足労お疲れ様です。日本での生活はどうでしょうか、やはり地元と比べると住みにくいものでしょうか?」

 

「そんなことありませんわよ。文化も空気も澄みきっていて、職務を除けば中々悪くはないものですわ。特にあれです、ビールをキンキンに冷やすというのは後世に語り継がれるべき偉大な発明だと私は断言しましょう」

 

「ソウデスカー」

 

 そう適当に流しつつ、さっさと帰ろうとすれば。

 

「逃がさないっすよ」

 

「観念することね」

 

 赤髪の女性と青髪の女性に退路を塞がれた。そう簡単にはいかないか。

 

「それで、その進駐軍の隊長さんが、僕に一体何を伺いたいんです?」

 

 雰囲気からして軽めの職質とかではないだろう。めんどくさいことになったもんだ。

 

「貴方、最近巷を騒がせている連続殺人犯をご存知かしら?」

 

「ええ、そりゃあまあ連日テレビで引っ張りだこですもんね」

 

「それなら好都合。その連続殺人犯による犯行が、最近この辺りで確認されるようになったので、私達――国際協和連合強制執行軍太平洋方面極東支部首都治安維持第101独立機動隊がこうして調査をしているのですわ」

 

 所属組織名を毎回わざわざ律儀に言うのね。

 

「それはまた、ご苦労なことで」

 

 連続殺人犯――。そこでふと、先ほど少女に背中から刺されたのを思い出す。

 彼女が連続殺人犯――いや、流石に考えすぎか。

 

「それでこの付近を警備巡回していたら、日本人の少女がこの路地裏から慌てて走り去るのを確認したので、こうして足を運んだ次第ですの。そうしたら、奥には四つの死体と貴方がいた、というわけです」

 

「……」

 

 マズイな、これは完全に疑われている。

 確かに状況証拠だけなら、僕が犯人という風に推測することもできる。

 

「何か申し開きはあるかしら?」

 

「僕は連続殺人犯じゃない……って言っても、信じてはもらえませんよね」

 

「ええ。仮に連続殺人犯の容疑が晴れたとしても、模倣犯の疑いが今度は浮上するだけですわ」

 

 そりゃあ、また、ずいぶんと取り調べが長くなりそうだ。

 地味に、これはピンチだ。下手に捕まって身体検査をされた際に、僕が自爆ゾンビだとバレてしまうかもしれない。

 なんとか切り抜けられないかどうか辺りを確認するが、完全に包囲されている。

 控えめに言って、詰んだとしか言い様がない。

 

 

「悪いがナインシュタイン。ここは我々に譲ってもらおう」

 

 すると、そこへ聞き覚えがある声が聞こえてきた。あと、鼻を突く防腐剤の臭い。

 視線を向ければ、そこに立っていたのは尊厳死者搬送医『ミミズ』を率いる男――ムクロが立っていた。

 相変わらず全身黒づくめのスーツにカラスのマスクを着けている。

 ナインシュタインさんは目を見開いていた。

 

「ヘル・ムクロ……。なぜ、貴方がここに」

 

 彼女が言った『ヘル・ムクロ』。それが彼のフルネームなのか。

 ……いや、それとも正式なコードネームだろうか。

 そのまま言うなら、意味としては『地獄の亡骸』と言ったところだが。

 僕がそう思案していると、ムクロはナインシュタインさんの問いに答えた。

 

「決まっている。死体を回収するためだ」

 

「それって――」

 

 ミミズが回収するのは尊厳維持装置を使用して自殺したものだけ。

 よって、連続殺人犯によって殺された他殺死体は決して回収しない。

 この状況で彼が現れたのは、まさに鍔乍にとって渡りに船だった。

 しかし、ナインシュタインさんは納得していないのか、ムクロを睨みつける。

 

「あれが他殺死体ではなく、自殺死体と貴方は判断していますの?」

 

「そうだ」

 

 ムクロはそう言うと、自身の起爆リングを見せる。

 

《目標、二メートル。尊厳維持装置の停止信号、五つ(・・)確認しました。早急に回収してください》

 

 そう、彼の起爆リングが告げた。

 

「五つですって……?」

 

 ナインシュタインさんは怪訝そうな表情を浮かべて四つの死体を見つめる。

 

「そちらのAIの故障ではなくて? 死体は五つではなく四つですわよ」

 

《あぅぅ……また間違えました》

 

 ……前回も思ったけど、やっぱりAIにしては人間味がありすぎるのでは? 僕の気のせい?

 

「最近調子が悪いんだよ。技術顧問に見せても原因不明らしくてな」

 

 そう悪態を吐くが、「だがな」とムクロは続ける。

 

「尊厳維持装置の停止信号が出ているのは確かだろう」

 

「そんな不具合の出たAIの言葉を誰が信じられるものですか」

 

「ならば、自分の目で真実を確かめてみればいい。そうすれば自ずと納得もできるだろう」

 

 そう彼に促され、ナインシュタインさんは一人一人の目元を見て血を流していることを確認。それから起爆リングのカードが失効しているかどうかの確認をした。

 

「確かに、全員自爆していますわね」

 

「理解したなら、さっさと自分の持ち場に戻れ。回収の邪魔だ」

 

 彼のその言葉を合図として、彼の背後から無数の黒づくめの集団が出現し、四つの死体を黒いビニール袋に手際よく入れて担ぎ上げていく。

 その光景を見ながら、赤髪の女性がナインシュタインさんに話しかける。

 

「どうします、姐さん。せめて容疑者だけでも連行っすか?」

 

「……いいえ、死体には一切外傷はなかった。とすれば、彼を連行することはできないでしょう。彼は偶々(・・)自殺者の近くにいた……それだけですわ」

 

 容疑者ですらない。

 その言葉に今度は青髪の女性が抗議する。

 

「そんな、納得できません!」

 

「ですがこと自殺者に関しては、ここはもう我々の管轄ではなく彼等(ミミズ)の領域ですわ。私達は大人しく調査に戻るとしましょう」

 

 そう言うと最後に、ナインシュタインさんは僕に対して頭を下げる。

 

「妙な疑いをかけてしまったこと、謝罪しますわ」

 

「いえ、僕も夜遅くにこんな場所にいたのが悪いですから」

 

「……因みに、その理由を聞いてもよろしくて?」

 

「ええと……」

 

 自爆ゾンビを終わらせるため。そんなことを言えるわけがないので、最早恒例となったいつものやり方で乗り切らせてもらおうと思う。

 僕は懐から名刺を取り出して彼女に渡す。

 

「自分、ブラックアリウム社で記者をやらせてもらっている上地鍔乍というものでして。ここら辺一帯で例の連続殺人犯が出没するという噂を聞き付けたので、取材しようと思って本社から駆けつけた次第です」

 

「……そう、ですの。あまり無理はなさらないことね」

 

 ナインシュタインさんは少し呆気に取られ、名刺を受け取ると、再び「ンンッ!」と喉を整える。

 

「それでは、私も改めて名乗らせていただきますわ。私は国際協和連合――」

 

「もう勘弁して下さい」

 

 貴女、もうそれがただ言いたいだけでは?

 僕の言葉によって出鼻を挫かれた彼女は少し残念そうな表情を浮かべながら、赤髪と青髪の女性二人に声をかける。

 

「それでは調査に戻りますわよ、タンジー、メイカ」

 

「了解っす!」

 

「承知致しました!」

 

 嵐のようにやってきたかと思えば、これまた嵐のように立ち去ってしまった。

 残ったのは僕とミミズの方々のみ。既に死体の回収が完了したのか、作業は死体の搬送に移行していた。

 

「おい」

 

 すると、ムクロに話しかけられた。

 個人的には好都合。

 とりあえず、黙って立ち去るのもあれだから、一応お礼は言っておこう。

 

「助け船を出していただき、ありがとうございました」

 

「俺は自分の職務を全うしただけだ。それよりもお前、背中が赤くなっているぞ」

 

「あぁ……」

 

 そういえば、刺されていたんだったか。痛覚がないから忘れていた。

 背中に手を当てて傷口の深さを確かめてみるが、ここで一つ違和感が。

 

(……あれ、傷口が、ない?)

 

 いや違う。もう傷口が塞がってしまったのだ。こんなに早くくっつくだなんて。

 

「おい、返事をしろ。怪我をしているのなら救急車を手配してやっても構わないが」

 

「い、いえ。大丈夫です。これはあれです、ケチャップがついてしまって」

 

「……。そうか」

 

 声は明らかに納得していない。正直、自分だって納得できてないのだ。

 彼はそれ以上、このことについては言及せず、ただ最後に忠告するように言った。

 

「仕事熱心なのはいいことだが、仕事は昼の内に終わらせておくに限るぞ」

 

「……ああ、はい。おっしゃる通りで」

 

 何故だろう。こんな夜に活動しているから疑われるんだという意味なのだろうが、こう……彼の発言に違和感を感じる。

 その違和感が分からないままに、彼らミミズは四つのビニール袋を担ぎ上げながらその場から立ち去った。

 

 一人路地裏に残された僕は、空を見上げる。黒い空に数個の星と大きな月が輝いていた。

 十一月なので風は冷たく、世界は死んだように静かだった。

 そこに佇む僕は、もう一度自身の背中に触れた。

 

 

「背中を刺されたのは、夢か……?」

 

 いや、そんなはずはない。確かに白いジャケットは赤く染まっている。

 ナインシュタインさんも路地裏から走り去る少女を目撃している。

 ならば、背中を刺されたのは、紛れもない現実のはずだ。

 

「まあ、いいか」

 

 いくら考えても答えが出ないのなら、意味がない。

 なら、早く会社に帰るとしよう。

 

 そう思って、その日は帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

―――――   ―――――   ―――――

 

 

 

 

 翌日。

 

 

「おはようございまーす」

 

 時刻は午前八時。会社の扉を開けると、中では飛鳳先輩だけが既に作業をしていた。

 彼女は僕の姿を見ると、元気よく挨拶してくる。

 

「おはようです~!」

 

 相変わらず元気そうで何よりだ。

 辺りを見回してみるが、社長さんの姿が見当たらない。

 

「あれ、飛鳳先輩だけですか?」

 

「そうです~。ムーちゃんはお寝坊さんです~」

 

 そう言って「プンプン!」という風に頬を膨らませる彼女を見ると、まるでヒマワリの種を頬ばるハムスターを彷彿とさせる。

 身長も出会ってから二年経つが相変わらず成長しておらず、今年で三十三だと言うのに、未だに電車は子供料金で乗れてしまうという。

 ……こういうのも美魔女と言うのだろうか。

 

「飛鳳先輩は一体どんな仕事を――って」

 

 彼女が作業しているパソコンの画面を見たら、思わず目を剥いてしまった。

 記事を作成しているのではなく、動画サイトで動画を見ていた。

 

「何やってんですか……」

 

「今月の通信制限に引っ掛かったので動画見てるです~」

 

「いや、仕事して下さいよ!」

 

 しかも何の動画を見ているのかと思えば、ずいぶんと懐かしいものだった。

 

「これ、二年前に流れてた生放送のやつじゃないですか」

 

 時期としては僕が二年前に金剛寺大学附属病院に向かう前の時だ。

 あの時、飛鳳先輩が「なにこれすっごく可愛いです~」と騒ぎながら僕と社長さんを巻き込んで動画を見せてきたのは記憶に鮮明に残っている。

 視聴者も僕達三人を含めても一桁台のものだったが、なんというか……一生懸命動画を撮っているのは伝わってきた。

 白一色の背景の部屋の中で金髪で緋色の目をした少女がカメラに向かって右往左往していたんだ。

 

――「え、ええっとどうするんだっけ? あれ? これもうはじまってる?」――

 

――「あの、もしもし!」――

 

 テレビ電話かよ。そう突っ込んで僕はコメントしたんだったか。

 

『そうじゃない』

 

――「あ、こめんとがついた。『そうじゃない』? ごめんなさい初めてで……でもいっぱい勉強してきたのよ」――

 

 そうシュンと落ち込む彼女の姿に、飛鳳先輩は鼻息を荒げながら即座にコメントを打ち込んだ。

 

『かわいい』

 

――「あ、またこめんと。……『かわいい』!?」――

 

 顔面ゆで蛸のように真っ赤にしながら困惑して右往左往する動画の少女。

 そのリアクションに飛鳳先輩はすぐに骨抜きされてメロメロ状態だったが、社長さんは難色を示していた。

 そう一々コメント一つで表情がコロコロ変わる姿は見てて飽きないが、社長さんからすれば一向に進展がなかったのでイライラしながらコメントを打ち込んでいた。

 

『いいからなにかやれ』

 

――「ええ、『いいからなにかやれ』……そうね」――

 

 すると、彼女は何か意を決したような表情を浮かべた。

 ……何か、凄く嫌な予感がした。

 そう思ったのは僕だけじゃなかったらしく、先ほどコメントした社長さん自身が「やっべぇ」と後悔していた。

 

――「えっと、あの……今日は歌を歌いにきました!」――

 

 なんだ、歌か。それなら何も心配はいらないだろう。

 ……今から思えば、そう安直に安堵していた二年前の自分を殴り飛ばしてやりたい。

 

――「マイクは……あ、いま使ってるんだった。機材よし、接続よし……喉、よし」――

 

 とりあえず安心している僕、目を輝かせながら「ワクワクです~」と期待している飛鳳先輩、それでも尚不安そうにしている社長さん。

 

――「歌います。すぅ……」――

 

 ゴクリ。三者三様が息を飲んだ瞬間だった。

 

 

――「あ"ま"ぎ"ぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」――

 

 

 全員、一斉にパソコンの前から吹っ飛んだ。

 

『嘘だろ(です~)!?』

 

 三人全員満場一致の酷さだった。

 そんな、よく分からない思い出だった。

 

 飛鳳先輩は、そんな生放送時の動画を今でも保存して定期的に見ているのだ。

 個人的には歌を歌う場面からは見る気が一切しないのだが。

 

「まだそれ保存しているんですね」

 

「うん。この娘の動画を見てるととても幸せになって勇気づけられるんです~。でもこの娘、あれから動画を投稿してくれなくて悲しいです~」

 

「そう……ですか」

 

 そりゃあ、いくら見た目が可愛くてもあれでは中々ファンがつかないだろう。

 稀に飛鳳先輩のようなコアなファンがつくようだが。

 そこで、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。

 

「飛鳳先輩の幸せって、何ですか?」

 

「そんなの決まってるです!」

 

 彼女は胸をはって答える。

 

「あたしとムーちゃんと鍔乍、三人でこの会社で働いてる瞬間が、何よりも幸せなんです!」

 

「……」

 

 思わず、閉口してしまった。なんというか、ここまで真っ直ぐに自分の考えを主張できる彼女は、やはり凄い人間だと感嘆する。

 

 

 そうしていると、会社の扉が開いた。

 

「ふぅぁ~あ。おはよーさん」

 

 入ってきたのはすっかりくたびれた風貌の社長だった。

 大きなあくびをしていて、見ていてとても眠そうだ。

 飛鳳先輩は恨めしそうに社長さんを睨みつける。

 

「遅いです~、社長出勤とはムーちゃんの癖に生意気です~!」

 

「社長だからな。さーて、しっかり仕事してっかー?」

 

 そう得意げに言い放った社長さんは飛鳳先輩のパソコン画面を覗いた後、顔を「ゲッ」とあからさまに崩した。

 

「こ、こいつは……」

 

「……あはは。社長さん、朝の目覚めに一曲どうです?」

 

「……え、遠慮しておこうか」

 

 ですよね。

 僕だって遠慮したい。

 

「それにしても、そんなにお疲れでどうしたんですか?」

 

「ああ? ……まあ、色々あんだよ。出版社の社長ともなると、避けては通れない人付き合いってのがさ」

 

 そう言う社長さんに対して飛鳳先輩は「弱小出版社の社長です~」と小声で茶々を入れる。

 しかし、社長さんはそれを聞き逃さず、彼女を見下ろしながらニヤリと口角を上げて笑う。

 

「そういえば、いーっつも会社のパソコンを使って勝手に動画見てるバカがいた気がするなぁ。その分の通信料を給料から差し引くのは社長としては当然だよなぁ」

 

「…………ごめんなさいです」

 

 ただ頭を下げるのではない。両手両膝と(ひたい)を地面に完全に付けての本気の謝罪だった。

 というか、飛鳳先輩。貴女一体どんだけ動画見ているんですか。

 そう彼女に対して辟易していると、社長さんは仕切り直しとばかりに両手を叩く。

 

「それじゃあ、今日もはりきって仕事をしていくぞ!」

 

「「はい(です~)!」」

 

 それを合図にしたように、全員一斉に各々のパソコンの前に座り、僕は昨日撮った画像データを用いて記事の作成を行う。

 画像を指定された紙のサイズに合うように切り貼りし、そこに文章を挿入する。

 作業すること三時間。出来上がった記事のデータを社長さんの方に送る。

 

「社長さん、できました。記事の内容を送りましたのでチェックお願いします」

 

「了解。飛鳳、お前の方はどうだ」

 

「今度のオリンピック出場選手へのインタビュー、あと、昨日鍔乍が行けなかった動物園の取材。それらの記事を送るです~」

 

 その言葉を聞いて、僕は彼女に頭を下げる。

 

「すいません、忙しいのに」

 

「貸し一つです~」

 

 そうニカッと笑う彼女に笑みが溢れる。

 社長さんは「よーし」とキーボードを打っていく。

 

「この分なら、今月の雑誌は問題なく作成できるな」

 

 しかし、蓋を開けてみればオリンピック出場選手のインタビュー、動物園のパンダの赤ちゃん、昨日渋谷で起きた殺人事件と、何ともまあ掲載しているジャンルがバラバラな雑誌である。

 これにさらに社長自身の記事も加えるのだから、まるで闇鍋のような混沌さだ。

 

 さて、一応仕事が一段落着いても、次の仕事がある。具体的には来月掲載したい内容のための取材の申し込みと営業、ネタ探しのための散策、まあ色々だ。

 そして、僕の絶対に欠かせない仕事がある。

 

「永遠乘の手がかりを探しに行ってきます」

 

「おう」

 

 そう言って片手だけを挙げ、社長さんは僕を見送ってくれる。

 飛鳳先輩に関しては、少し不安そうな表情を浮かべていた。

 そんな彼女に、大丈夫だと笑みを向ける。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「……行ってらっしゃいです」

 

 僕は、取材に向かう。

 でも、何故だろう。今日は特に、あまりよくないことが起こる。

 そんな予感が、していた。できれば当たってくれないことを、祈るばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 場所は、先日と同じく渋谷のスクランブル交差点。

 もう封鎖も解かれ、殺人事件が起きたとは到底思えないほどに見渡す限りの人、人、人で埋め尽くされていた。

 昔の人は言った。人の命は地球より重いと。それだけ尊いものだと。

 それがこの光景を見てみるとどうだろうか。

 まるで、人一人の価値なんて大衆の前では何の意味も為さないかのように感じられる。

 所詮、我々が住む地球すらも、人にとってみれば小さなものに過ぎないということか。

 

 そう思うと、なんともやりきれない思いに駆られる。

 この尊厳維持装置は確かに死のクオリティを上げたのだろう。

 だが同時に、それは、命のクオリティを、そしてそれを育む地球というクオリティを下げてしまったようにも感じられる。

 

「……そういえば、ここはちょうど中央郊外地区か」

 

 中央郊外地区と言えば、二年前に逃走犯が進駐軍と戦闘を繰り広げた場所として有名だ。

 そして、その逃走犯が侵入して逃げ出したのが、金剛寺大学附属病院。

 

「……」

 

 もう、あの場所に永遠乘はいない。あそこに所属していたあの女は、まるで煙のように姿を消してしまったから。

 もう、あの場所に手がかりはない。それなのになぜだろうか。

 こうも事ある毎にまるであの場所へ運命が導いているかのように、あの病院との関連性を見出だしてしまうのは。

 

「現状で手がかりがないのなら、向かってみるのもありか」

 

 どうせ徒労で終わるぐらいなら、何かアクションを起こした方が収穫があるってものだ。

 そう思って、スクランブル交差点から金剛寺大学附属病院まで歩くことにする。

 

 

 

 

 

―――――   ―――――   ―――――

 

 

 

 同時刻。ブラックアリウム社。

 

 社内に響くのはキーボードをただ叩く音のみ。

 パソコンに座ったまま、その画面を睨むように目を細める者が二人。

 それが、社長である俺こと玄有夢羽とその部下の灰咲飛鳳だ。

 壁にかけられた時計の時刻を確認してみれば、午後一時。

 朝からずっと作業しっぱなしだったし、ここいらで一服するのがベストタイミングか。

 

「飛鳳、昼休憩挟むぞ」

 

「あ、大丈夫です~。これから取材に行くんで、ご飯はその途中で適当に食べるです~」

 

「……そうかい」

 

 なら、今日は久々に社内で俺一人で昼飯か。……いや、別に寂しいわけじゃないんだが、単純に珍しいこともあるなと感じただけだ。うん。

 

「あまり遅くなるなよ」

 

「もう、子供じゃないんだから一々言わなくて大丈夫です~」

 

 ブーブーと唇を尖らせる彼女の頭を撫でる。

 

「はいはい、お利口さんお利口さん」

 

「ムカ着火ファイヤーです~!」

 

 古っ。おばさんかよお前。……こう見えても三十三だからおばさんに片足突っ込んでたわこいつ。

 両腕をぐるぐる回転させながらこちらへ殴りかかってくるが、頭を押さえれば簡単に進軍が止まる。

 

「ほら、こんな下らないことやってっと、あっという間に一日が終わっちまうぞ」

 

「ムーちゃんのせいです! それじゃ、行ってきますです~!!」

 

 そう言い捨てるようにして子供用のリュックサックにありったけの機材を詰め込めると、それを背負って走る。

 

「いやだからムーちゃんじゃなくて社長だって――――もういねぇし」

 

 自分以外誰もいなくなった部屋。時計の秒針の音が響き渡る中で、少しだけ物思いに耽る。

 

「あれから五年、か」

 

 自爆ゾンビ事件が起きてから五年。恋人が死んで、その黒幕の跡を追って、そしてここまで行き着いた。

 三人から二人になって、また三人になった。

 そう思って、デスクの引き出しからとある一枚の写真を取り出す。

 写っているのは、自分と、飛鳳と、――。

 

「……」

 

 口元に力が入るのが自分でも分かる。

 長かったような、それとも短かったような。

 まあ、感慨深さなんて一つもないが。

 

 そこで、キーボード作業を再開した。

 記事を作成していたページを一旦保存してから閉じ、別のフォルダを開いた。

 それは五年前に自分が作成した記事。

 見出しには大きく『謎の自爆ゾンビ事件。尊厳維持装置を利用した新手のバイオテロか?』と書かれていた。

 

「お前がいなくなってから、もう五年も経つんだな。……雀萌」

 

 『灰咲(はいさき) 雀萌(すずめ)』。俺の恋人だった女の名前。

 そして同時に、飛鳳の妹でもあった。

 元気のいい姉の飛鳳と比べれば、妹の雀萌はいくらか主張が小さくて引っ込み思案で、その癖、体つきは姉とは反対に主張が激しくて。

 

 彼女と共にゾンビ事件に向かわなければ良かったと、今でも後悔している。

 あの日、金剛寺大学附属病院前駅に赴いた俺達は驚愕した。

 ゾンビが出たなんてただの冗談だと思っていた。季節も十月末から十一月の間だったので、てっきりハロウィンでゾンビのコスプレをして騒いでいるだけなのだろうと軽く考えていた。

 事態は、俺達が思う以上に悲惨だった。ゾンビに襲われ、喰われる市民、その激痛から自爆する者達、そして自爆者は新たなゾンビとなり市民に襲いかかる。

 まさに負の連鎖だった。

 そんな中だ、一体のゾンビが駅から飛び出してきた。

 

――「あ"あ"あ"! あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"う"う"う"!!!!」――

 

 高校卒業仕立てぐらいの、まだ少年と青年の間のような顔つきのゾンビだった。

 それが絶叫しながら俺の元まで走り――

 

――「逃げて、夢羽!」――

 

 最愛(すずめ)が、喰われた。

 首元を思いっきり持っていかれ、血が止めどなく流れていた。

 倒れた彼女を抱き起こし、俺はひたすら哭いていた。

 絶対に助ける、と。近くに金剛寺大学附属病院があるから、そこへ運んでやる、と。

 でも、彼女は首を横に振った。

 

――「夢羽、周りを見てみて」――

 

 ゾンビが人を襲い、襲われた人がゾンビにへと転ずる地獄絵図が広がっていた。

 

――「あたし、食べられた。きっと、みんなみたいにゾンビになっちゃう……そんなの、やだ。夢羽を襲いたくない。だから、せめて人として」――

 

 俺は、ダメだ、よせ、やめろ、と。ただそれだけを叫んだ。

 しかし彼女は。

 

 

――「死 に た い」――

 

 

 命を、手放した。俺との未来を、選んではくれなかった。

 

《了解致しました。解除の場合は、再度音声での認証をお願い致します。起爆まで、十、九、八、……》

 

 無機質に、無慈悲に、鳴り響くカウントダウン。

 取り消せ、生きたいって言え。生きることを諦めるな、頼むから……生きてくれよ!!

 そう、声が枯れるまで叫んだ。

 なのに、彼女は、目を閉じて。

 

《起爆します》

 

 彼女の頬を、一筋の血の涙が伝う。彼女はゾンビにならないために死を選んだ。

 それなのに。

 

――「うぅぅ……うぅぅぅ………」――

 

 彼女だったもの(・・・・・)は目を開いて、俺に牙を剥いた。

 俺は彼女の頭を拾った鉄パイプで破壊し、彼女を止めた。

 両手は彼女の血で覆われ、その生々しい感触に全身が震えていた。

 俺が、俺が彼女を、殺した。

 愛した女を、必ず守ってやると誓った女を、この手で――彼女を抱き締めた、この手で!!

 

 

――「―――――――――――――ッッッッッ!!!!!!」――

 

 

 声にならない悲鳴。それは誰にも届くはずがなく。

 

 結局、蓋を開けてみれば、彼女は自殺しなければゾンビにならなかったのだ。

 なら、あの時、死を選んだ彼女の決意は全くの無駄じゃないか。

 どうしようもないやるせなさが、全身を襲う。

 

 その日から、(おとこ)は、復讐を誓った。

 このウイルスを作った奴を、必ず見つけ出して、――――殺してやる。

 

 

 そこまで考えていた所で、思考を現代に戻す。

 ……危ない、危うく冷静さを欠くところだった。

 昔から灰咲姉妹に言われていた。俺という男は、一度熱くなると暴走が止まらなくなると。

 時計を見てみれば、時刻は午後三時。

 完全に昼食を摂るタイミングを逸してしまった。

 

「……とりあえず、茶でも飲むか」

 

 そう思って立ち上がると、ふと飛鳳のパソコンの電源が点けっぱのままなことに気づいた。

 ……あいつ、怒ったまま出掛けていきやがったな。

 

「ったく、これじゃまた無駄に電気代がかかるだろうが――……ん、なんだこれ?」

 

 彼女のパソコンのホーム画面。デスクトップの立ち並ぶ中に『つばさのひみつ』と書かれたフォルダがあった。

 

「『つばさのひみつ』って、鍔乍の秘密ってことか。……一体なんだ?」

 

 なんとなく、興味本位でクリックしてしまった。

 

「なんだろうな。あいつの酔い潰れた恥ずかしい動画か画像か?」

 

 そうニヤニヤしていたのも束の間。

 

「お、出てきた……――って……は?」

 

 思わず、目が見開いたまま、固まってしまった。

 なんだ、これは。脳が理解するのを拒んでいる。

 いや、まさか。そんなわけがない。

 

 そんな、わけが。

 

――「逃げて、夢羽!」――

 

 やめろ。

 

――「ムーちゃ~ん! 新入社員をお連れしたですよ~!」――

 

 やめろ……っ!

 

――「はい。僕自身の手で、必ず終わらせてみせます」――

 

 やめろ……っ!!!

 

 おまえは、ほんとうに……

 

 上地鍔乍なのか(・・・・・・・)っ……!!!!

 

 思いっきり、壁を殴り付けた。

 どうして、どうして俺は今まで気が付かなかったんだ!

 頭全体が、熱くなる。

 (ほとばし)る怒気を、抑えられそうに、ない。

 

 そんな、時。懐にしまっていた携帯電話が鳴った。

 

――ピピピ――

 

 すぐに出る。

 

「……なんだ」

 

《どうした、珍しく気が立っているじゃないか。普段、感情を見せないお前らしくもない》

 

「茶化すつもりなら、切るぞ」

 

《まあ、そう慌てるな。……永遠乘命の居場所を掴んだのでな。お前に連絡しておこうと思っただけだ》

 

「永遠乘……命……っ!!」

 

 何よりも許せない存在の名前に、頭は完全に沸騰した。

 

「どこだ……奴は、どこにいる……っ!?」

 

《……俺が案内しよう。そっちに迎えをよこす間、お前は準備をしておくがいい》

 

 そう言った後、一方的に切られた。

 準備……? そうか、準備か。

 

 デスクの引き出し、その一番下で鍵付きのもの。

 そこに起爆リングのカードをかざせば、ロックが解除されて開くことができる。

 

 その中にあるものを、俺は、身に着けた。

 

 

「今日で、この因果を、断ち切ってみせるっっ!!!!」

 

 過去は死んだ。ならば、その先の未来に意味などなく。

 あるとすれば、過去が置いていった土埃を、一つ残らず払いのけるのみ。

 

――ならば、その先は?――

 

 そう問いかける誰かの声はもう。

 

 俺には、届かない。

 

 

 

 

 

 

 

―――――   ―――――   ―――――

 

 

 

 

 時刻は午後四時近く。

 少し道に迷ったりもしたが、なんとか目的地である金剛寺大学附属病院に到着した。

 あの頃から変わることもなく、一時期は自爆ゾンビ事件の主犯を勤めさせていたことで世間で話題になったが、結局永遠乘を取り逃がしたことで事実確認ができず、それらの話題も沈静化しつつある。

 外観は相変わらず。そのままだ。

 

 いざ来てみるとどうだろう。特に何があるわけでもない。

 結局この日も、永遠乘の行方に繋がる手がかりなんて手に入るはずもなく――――。

 

 

 

「おや、そこにいるのは我が最愛(つばさ)じゃないか」

 

「――っ!?」

 

 背後から声をかけられ、振り返る。

 そこには、妖しく微笑むあの女が、手を振りながらこちらへ歩み寄ってきた。

 

「また会えると確信していたよ、鍔乍。二年ぶりの逢瀬と言ったところか」

 

「お前、どうしてここに……」

 

「君はボクの居場所を知らないだろ? だから毎日、こうしてここへ足(しげ)く通っていれば、いずれ君と会えると思ってね。ここは、君が始まった場所でもあるのだから」

 

「な……に……っ?!」

 

 そんな。答えは、すぐそこにあったって言うのか。

 

「……」

 

 だが、それよりも気になることがある。

 

「どうやって逃げ切れた。いくらあんたでも研究設備を抱えながら逃走するのは至難の業のはずだ」

 

「簡単だよ。ボクのスポンサーのおかげさ」

 

「スポンサーだと?」

 

「ああ、そうとも。ボクを守ってくれたスポンサー、それこそがアメリカ合衆国だ」

 

「あ、アメリカ……っ!?」

 

 アメリカ合衆国と言えば、国合と対立代表的な国として有名だ。

 

「なぜかと思うかい。いいや、これは必然さ」

 

 彼女はイタズラが成功した子供のように満面の笑みではしゃぐ。

 

「ボクの開発したダイダ・ロスは彼らからすれば尊厳維持装置に対する大きなカウンターであり、同時に大きなブレーキになり得る。それすなわち、この自殺社会が色濃く根づいた島国を内側から壊滅できるというわけさ」

 

 すると、彼女は真っ直ぐにこちらに駆けてきたかと思うと、そのまま僕の体を真正面からギュッと抱き締めてきた。

 敵意も殺意も感じられなかったため、体の反応が鈍った。

 僕はただ、彼女の抱擁を受け止めるしかなかった。

 

「ありがとう、鍔乍。君がボクを受け入れてくれて」

 

「ちが、これは――っ!!」

 

「ボクはそんな君が本当に愛してやまない。だから――ボクと一緒にこの国を捨てよう」

 

「っ――?!」

 

 そのまま後ろに回された手に隠し持っていた注射器を首元に刺され、薬液を注入される。

 

「な、こ……は……っ!!」

 

「ボクの今の根城は秘密でね、このような処置を取らせてもらった」

 

 薄れいく意識の中、その場に倒れながらも、視線だけはアイツを睨みつける。

 

「ゆっくりとお休み、鍔乍。次目が覚める時は、ボクと君の愛の巣さ」

 

 ……ふざ、け、る、なっ!!

 そう口にできないまま、視界は黒く染まり、意識は闇の奥底にへと沈んでいった。

 

 

 

 …………………………。

 ………………………。

 ……………………。

 …………………。

 ………………。

 ……………。

 …………。

 ………。

 ……。

 …。

 

 

 なんだろうか、とてもいい匂いがする。

 

――鍔乍――

 

 誰だろう、母さん?

 

 誰かが、あたまを撫でてくれている。

 

 母さん、ごめんよ。僕は、母さんを助けられなかった。

 

 それどころか、僕は、母さんを…………。

 

 

 

 

 

 

「おや、お目覚めかい鍔乍?」

 

 

「――――――っ!?」

 

 

 目が覚めて飛び込んできたのは、永遠乘の笑顔。

 どういうことなのか横目で確認すれば、僕は彼女に膝枕をされていた。

 ……。

 

「うわああああああああ!!!!!!?????」

 

 慌てて飛び起きてから彼女と距離を取る。

 くそ、最悪だ。よりにもよってアイツの膝枕で母さんを思い出すなんて。

 まるで思い出を汚されたようで腹立たしくて寒気がする。

 

「それにしてもボクに対して『母さん』とはなぁ、もしかして君はそういうプレイがお望みなのかい?」

 

「断じて違う!!」

 

 しかもこの女に寝言として聞かれているなんて末代までの恥だ!! ……あ、よく考えたら僕は自爆ゾンビなんだから僕自身が末代か。

 

「ふぅ――」

 

 一旦、呼吸を整えて平常心だ。こんな奴で揺らいでは駄目だ。

 そこで、改めて周りを見る。薄暗いが、どこかの倉庫だろうか。

 

「ここがどこか気になるようだね」

 

 首をキョロキョロと動かす僕の動きが面白かったのか、永遠乘は「ふふふ」と愛しそうにこちらを見つめて微笑んでくる。

 

「ここが、アメリカ当局がボクのために用意してくれた新たなラボさ」

 

「ここが、ラボだと……?」

 

 確かに金剛寺大学附属病院から持ち出された機材に加え、大きなモニターなども確認できる。

 

「場所はどこなんだ……」

 

「やっぱり気になるかい?」

 

「当たり前だ!」

 

 僕の解答に「そっかー」と彼女は意地悪そうに言うと、モニターを着ける。

 そこには世界地図と赤い点が太平洋上に浮かんでいる。

 

「この赤い点こそが、この場所の現在地さ」

 

「は……?」

 

 そう言われて改めてモニターに目を移す。太平洋上に浮かぶ赤い点だが、少しずつ、少しずつ、移動している。

 

「まさか……ここは……」

 

「そう。アメリカ行きの貨物船さ」

 

 太平洋上に浮かぶ一隻の船。それこそが、この女が二年間身を隠していた場所。

 そんな、見つけるなんて到底できるわけがない。

 

「今すぐ船を日本に戻せ!」

 

「それはできないね。君は今から、ボクと共にアメリカへ亡命するのだから。大丈夫、安心したまえ。向こうには君が成功例であることをきちんと伝えてある。悪いようにはしないはずさ」

 

「そんなことはどうでもいい!」

 

 僕は彼女の肩を掴んで壁に押し付ける。

 

「お前には罪を贖ってもらう! あの事件を引き起こしたお前を、母さんを殺したお前を――僕は、絶対に許さない!!」

 

 僕の剣幕に対し、永遠乘はあくまで表情を崩さない。それどころか、こちらを諭すように語りかけてくる。

 

「君は大きな勘違いをしている」

 

「なんだと……?」

 

「確かに、君をキャリアにしてあの騒動を引き起こし、さらには金剛寺の病院にもダイダ・ロスを散布するように仕向けたのはボクだ。それは認めよう――だがね」

 

 コツンと、彼女の額と僕の額がぶつかる。

 

「君の母親を殺したのは、ボクじゃない。それは本当だ」

 

「嘘を、吐くな!!」

 

「嘘じゃないさ。君は、少し記憶が混濁しているように見える」

 

 すると、懐に忍ばせていたリモコンで彼女はモニターの映像を変えた。

 そこに映るのは、金剛寺大学附属病院前駅のホーム及び改札口の監視カメラの映像、さらには病院のものまで同時に再生される。

 

「これ、は……」

 

「君は悲しいことにボクの言葉に耳を傾けてくれないからね。真実は、自分の目で確かめてみるといい。あの日、あの時間、あの場所で、何が起き、誰が君の母を死に至らしめたのか」

 

 僕は永遠乘から手を放し、モニターに釘つけになる。

 監視カメラには、電車内の映像もある。

 

 僕が座席に座り、あの小箱を持っている。

 続いて、桐谷が入ってきて、僕の向かいに座る。数分話した後に、あの男は降りていった。

 ……ここからだ。

 

 案の定、過去の僕は小箱を開き、ダイダ・ロスを電車内に散布した。

 大勢の人々が苦しみ、やがて自爆者が出始めた。

 

「……」

 

 自爆者達は全員が自爆ゾンビとなり、電車内を徘徊、人間を襲い始めた。

 そして、そのゾンビの魔の手は、その場に蹲っている僕にまで延びた。

 僕は絶望し、「死」を望んだ。

 そして、僕は自我を持った自爆ゾンビとして―――

 

 

「……え?」

 

 

 映像の中の僕は、立ち上がった。だがその動きは、自我を持っているとは到底思えなくて、他のゾンビ達と同様に周囲の人間に襲いかかっていた。

 やがて、金剛寺大学附属病院前駅に電車は到着。ホームに大量の自爆ゾンビ達が雪崩れ込んだ。

 僕も道往く人々を襲いながら、どこかへと走っていた。

 僕が、向かっていたのは――母が入院している、病院。

 

「そんな、これは……」

 

 病院内もまた、ダイダ・ロスのガスが散布されており、大量の自爆者が出ているようだった。

 

「どうして……母さんの病院にまで散布したんだ?」

 

 僕がそう問いかけると、彼女はなんてことないように言う。

 

「あそこには既にボクの特殊ラボがあってね。君が万が一ダイダ・ロスを散布しなかったための保険さ」

 

 保険。その保険のせいで、母さんは。

 

「ほら、君のお母さんだよ」

 

「っ!?」

 

 そう言われて慌ててモニターに視線を戻す。確かに、そこには母さんが映っていた。

 しかし。

 

「そんな……母さん……」

 

 映像の中の母さんは、病室で他の患者や看護士と協力しながらバリケードを作って、ゾンビ達の侵入に立ち向かっていた。

 ガスを吸ってしまって苦しいのか、咳き込んではいるが、自爆せずに耐えていた。

 微かにだが、映像から声が聞こえてくる。

 

――「鍔乍が、頑張ってるのに、こんなところで……死ぬもんか!!!」――

 

 母さんは、絶望していなかった。

 母さんは、諦めていなかった。

 

 母さんは、僕を信じてくれていた。

 

 なのに、僕は――。

 

 バリケードを張っていた扉が破られる。破ったのは、他でもない僕だった。

 まさか、映像の中の僕は自我のない自爆ゾンビでありながら、生前に習っていた武術の型を本能で使っているらしく、それによってバリケードを破壊したらしい。

 母さんを守るために習った技が、母さんを傷つけることになるなんて。

 バリケードが破壊されたことで母さん達の病室がゾンビ達で埋め尽くされる。

 

 皆、皆喰われていく。

 

 ……そうだ、母さんは――。

 

 

――「鍔乍、なの……? どうしてここに……」――

 

 母さんは、ゾンビとなった僕と相対していた。やめろ、やめてくれ。

 

――「ああ、そっか。今日は面会日だものね……なら、私のせいね」――

 

 違う、母さんのせいじゃない。むしろ僕が、先に諦めたんだ。

 母さんを助けることを、諦めたんだ!

 

――「私がいたから、お父さんも死んじゃって、……鍔乍も、そうなっちゃったのね」――

 

 違う、違う、違う!!

 頼むから、そんなこと言わないでくれ!

 

――「できることならどんな形でもいい。お願いだから、せめて……」――

 

 母さんは(ゾンビ)を抱き締め、頭を撫でる。

 (ゾンビ)は、そんな、こと、お構い無しに。

 

 

――「つうぅ、ばあぁ……さあぁ……」――

 

 

 母の頭蓋をカチ割り、生きたまま、母は――。

 

 

――「生ぃ……きぃ……てぇ」――

 

 

 

「ああ……、ああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 

 

 

 僕が、僕が………。

 

 

 僕が、母さんを――その、脳を、食べたんだ。

 

 

「うっ……ごぉ、おぇ……っ!!!」

 

 僕は、その場で思わず吐いてしまった。

 

 共に鑑賞していた永遠乘は静かに拍手をしていた。

 

「いやぁ、素晴らしい。素晴らしい親子愛だ。母は最期の最期まで息子を信じ、その息子は母の脳を食すことで自我を獲得したというわけさ」

 

「脳を、食べて……自我を獲得しただと……?」

 

 永遠乘は「そうとも」と頷いてから解説する。

 

「二年前に君から採取した血液を調べたことで分かったことだ。君が自我を獲得したのは偶然じゃない。必然だ」

 

 そうして、モニターに手を向ける。

 

「人はなぜ類人猿の中で最も脳が発達したと思う? 簡単だ、それまでの穀物を摂取していた状態から肉を摂取することに成功したからだ。獰猛な肉食獣の監視を潜り抜け、手に入れた肉という神秘の宝。初めて肉を摂取した時、きっとそれは宇宙における超新星に匹敵し得る革命が起きたに違いない」

 

「つまり、何が言いたい……?」

 

「ダイダ・ロスも同じなのだよ」

 

 彼女は僕を抱き締める。僕はもう、無力感に包まれ、彼女を拒む気すら起きなかった。

 

「ダイダ・ロスはね、宿主が自爆しただけでは自我のないゾンビとなり見境なく人を襲わせるだけの出来損ないのウイルスだ。しかしね、近親者――それも恐らく一親等以内であろう人物の脳を食した場合に限り、その構造を大きく変え、肉体の再生力を高める性質のウイルスに変化する。結果的に、宿主の生前の自我さえも再生してしまうほどにね」

 

「……」

 

 嫌がらせにも、ほどがある。そう睨んでやりたいが、そんな気力すら沸き上がらない。

 ホントに、ダイダ・ロスというウイルスは最悪だ。まるで開発者のように、底意地が悪いらしい。

 

「君だって覚えがあるんじゃないかい? その身の再生力を」

 

「再生力………」

 

 考え付くのは二つ。

 一つは脱線事故の際、てっきり永遠乘が治療したからだと思っていたが、もしかするとあれはこの再生力による治癒効果だったのかもしれない。

 もう一つは、昨日刺された背中の刺し傷だ。これに関しては数分ほどで完全に完治してしまった。

 

「覚えが、あるんだね」

 

「……知るかよ」

 

 もう、そんなものどうでもいい。驚異的な再生力なんて、僕からすれば何の価値もない。

 それよりも、この五年間。母の仇討ちのつもりで駆け抜けた五年間。

 それが、全て粉々に砕け散ったのだ。

 母を殺したのは間違いなく、僕。

 散布されたダイダ・ロスに耐え抜いた母と、諦めて屈した自分。

 その自分が、母の命を奪い、ノウノウと動いている。

 

 それがただ、堪らなく情けなくて、悔しくて、――どうして、と行き場のない感情が押し寄せる。

 

 なんで、命を諦めて、踏みにじって、裏切って、喰い散らかした自分が、無様な骸として残ってしまったんだ。

 

「……」

 

 そのまま押し黙ってしまった僕を抱き締めたまま、彼女は再びモニターの映像を切り替える。

 

「ほら、見てごらんよ。鍔乍」

 

「……――っ!?」

 

 今まで以上に生気のない目でモニターを見つめた。だが、反射的に永遠乘の体を吹っ飛ばしてモニターに駆け寄った。

 それだけ、そこに映る光景は、僕の体を突き動かすほどの衝撃さだった。

 僕に吹っ飛ばされた彼女は尻餅をついて「乱暴だなぁ」と嬉しそうに僕を見つめている。

 

「これは……」

 

「ボクの仮説が正しいかどうかの最終試験だ」

 

 映像には、どこかの一面(いちめん)白い部屋の中央に置かれた椅子に腰掛け、手足を固定された飛鳳先輩がいた。

 その表情はどこか固く、でも、瞳の奥に確かな覚悟が見受けられる。

 

「何を、しようとしている……?」

 

「彼女にはね、自爆ゾンビになってしまった妹がいるらしいんだ。そして偶然にも、私が所属していた金剛寺大学附属病院の検体室にその死体があったものでね。彼女に尋ねたのさ、……妹をちゃんとした形で蘇らせたくないかと、そう、(つばさ)のように。そうしたらね、彼女は快くこの試験を引き受けてくれたんだよ」

 

「それは、つまり……」

 

 永遠乘はニンマリと笑い、その口元はまるで三日月のように綺麗な弧を描いていた。

 

「灰咲雀萌に、灰咲飛鳳の脳を食させるのさ」

 

「――――っ」

 

 気づけば彼女の胸ぐらを掴んでいた。

 

「……ふざけるな。今すぐやめさせろ」

 

「これは強制じゃない。きちんとインフォームドコンセントに則ったものだ。それをやめさせるということは、つまり彼女の意志を否定することになるよ」

 

 そんなの、関係ない。

 

「こんな非人道的な行為こそが間違っている」

 

「確かに非人道的かもしれないが、それでも、これは必ず人を救う道に繋がる。死んだ人間を蘇らせる医療を確立させるために必要なことなのだよ」

 

「そのために、飛鳳先輩には死ねと!?」

 

「二年前にも言ったはずだ。『試験に犠牲は多少なりとも付き物だ。一々騒ぐようなことじゃない』とね」

 

「そんなものは詭弁だ!!」

 

 いくら言っても、この女には通じない。この女には、倫理がない。

 結果だけを追い求めて、仮定を全て軽視している。

 ふと、モニターから彼女の声が聞こえてきた。

 映像では、まだ部屋には誰もいないことから、誰に対しての言葉ではなく独り言なのだろう。

 

《灰咲飛鳳、女は度胸です》

 

《これが、正しい選択なんです》

 

《こうすれば、ムーちゃんはきっと喜んでくれるです》

 

《雀萌ちゃんが戻ってくれば、ムーちゃんに笑顔が戻るです》

 

《きっと鍔乍も、自分が自爆ゾンビだと隠さずに済むです》

 

《……大丈夫、大丈夫です。怖くなんてないです》

 

《そのために、今朝ずっと、あの娘の動画を見たじゃないですか。勇気を、貰ったんじゃないですか》

 

《怖くない、怖くなんてない》

 

《妹と義弟の幸せのためなら、脳ミソの一つや二つ……っ》

 

《怖くなんて、ない……っ!!》

 

 

 そう、自分を追い詰めた表情で、ただ目を見開いて虚空を見つめながら、自分を鼓舞するように言い募っていた。

 それはあまりにも痛々しくて、見てるこっちが辛くなって。

 

「やめてくれ……やめてくれよ」

 

 そんなこと言うのを、やめてくれ。

 こんなことをするのを、やめてくれ。

 

 僕は彼女の胸ぐらを放し、すがりつくように乞う。

 

「頼む……頼むからさ……飛鳳先輩だけは、やめてくれよ……」

 

「……なら、君が実験を受けるかい?」

 

「じっ、……けん?」

 

 それが、唯一の救いだと、飛鳳先輩を唯一救える方法だとでも言いたげに、永遠乘は僕に語る。

 

「ああ、そうさ。彼女が受ける苦痛――それ以上の苦痛を君が代わりに受けるんだ。ボクと一緒に、アメリカ合衆国に向かうことで」

 

 それはまさしく、麻薬のように痺れる誘いだった。その言葉に身を任せることが、どれだけ楽か、僕は知っている。

 

「……それしか、方法が、ないのか?」

 

「ああ。これしかないね」

 

「…………そうか、なら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いが、その死体を回収するのは俺だ」

 

 そこで、堕ちかけた意識が一歩留まるのを感じた。僕は声の方へ誘われるように顔を上げた。

 次の瞬間、この倉庫の巨大な扉が開き、外の光が部屋中に差し込んでくる。

 そこに立っていたのは――ムクロだ。

 

「ミミズだと!?」

 

 想定外な客人の登場なのだろう。永遠乘は苦虫を噛み締めたような表情を浮かべて僕の手を握る。

 

「鍔乍、早く逃げるぞ!」

 

「そうはさせん」

 

 スーツは駆動音を鳴らし、右手に握った拳銃の銃口が僕と永遠乘の間で揺れる。

 

「狙いは女の方だ。補正をしろ」

 

《補正、了解。目標を、永遠乘命に設定》

 

 そのまま走り去ろうとする永遠乘の左胸を背中から撃ち抜くように狙いを定めてトリガーを引いた。

 

 火薬の弾ける音と臭い。永遠乘が倉庫の隠し扉を開いた瞬間に、それは着弾した。

 

「――ぐっ」

 

 銃弾は狙っていた左胸から逸れ、彼女の左腕に着弾した。白衣は赤く染まり、地面に血が滴り落ちていた。

 しかし、尚もその歩みを止めることなく、僕を外へ連れて行こうとする。

 

「おい、補正をしろと言ったはずだ」

 

《……ごめん》

 

 ムクロもまたその後を追う。

 

 

 

 

「さあ。これに、乗るんだ……。目標地点まで行けば、当局の輸送ヘリに回収してもらえるはずだ」

 

 永遠乘に手を引かれて歩かされること数分。

 彼女は僕を救命ボートをに乗せようとする。

 だが。

 

「そこまでだ」

 

 僕達に追いついたムクロは、再び彼女に向かって拳銃の銃口を向ける。今度は仕留め損なうつもりはないらしく、確実に頭部を狙っている。

 

「早く、鍔乍! ボクと共に、当局に! 共に人類の未来と繁栄を目指そうじゃないか!!」

 

「……」

 

 僕は、足を踏み出そうとする。飛鳳先輩を救うためには、こうするしかない。

 仕方がないんだ。結局、僕にできることなんて何もないのだから。

 それならせめて、と自分に言い聞かせながら。

 

 

 僕は、悪魔が待ち受けるその船に、自らの片足を――。

 

 

 

 

「そうやって、また逃げる気か?」

 

 足が止まった。

 振り返ってムクロを見る。

 

「その女の言いなりになって、また同じことを繰り返すのか?」

 

 繰り返す。また、僕は。

 あの日、小箱を渡されてウイルスを散布したように。

 あの日、結果的に自分が脱線事故を引き起こしたように。

 僕はまた、誰かを傷つけるのだろうか?

 何の進歩もないまま、ずっと、ずっと――――繰り返し続けるのか?

 

 そんなの、嫌だ。

 

 

「……違う。僕は、ただ、飛鳳先輩を」

 

「彼女を言い訳に使うんじゃない!!」

 

 彼はそう激昂し、永遠乘に向けていた銃口をこちらに向ける。

 その手は、何故か震えていた。それは怒りか、それとも――。

 

「お前は、結局最後は色んな理由をつけて楽な方へ逃げているだけだ! その方が、自分が傷つかなくて済むからな。だがな、お前が逃げたことで、置いていかれる者の身にもなってみろ!!」

 

「……っ」

 

 僕は、逃げた。苦しみから逃げて、安らぎを得ようとした。

 その結果、置いていった母さんを、僕が殺した。

 

 置いていく。今度は誰を置いていく?

 飛鳳先輩や社長さん、恭子先生や、すみれちゃんや皆……。

 皆を、置いていく。

 皆を置いて、僕は、どこへ逃げる……?

 

 ああ、そうか。そういうことか。

 

 簡単な話じゃないか。僕は自分の都合のいいように改変してたんだ。

 あの朧気な記憶のように。

 

 僕は、『死』に置いていかれたんじゃない。

 

 僕が、『生』を置いていったのか。

 

 置いていかれた『生』は行き場を失い、こうして僕をこの世に縛り付けている。

 

 そこまで考えたところで、ムクロは再度僕に語りかける。

 その覚悟を、問いかけてくる。

 

「上地鍔乍……お前の誓いは何だ!?」

 

 僕の誓い? そんなものは決まっている。五年前からずっと、母さんの脳を食べて自我を得た時から、ずっと変わらない揺るがぬ意志。

 絶対に曲げてはならない、自分へのルールだ。

 だからそれを、今度は高らかに宣言しよう。誰にも恥じないように。

 

「僕の誓いは、自爆ゾンビを、終わらせることだ!!」

 

 そう宣言した瞬間、僕はそれまで着けていたゴーグルを投げ捨てた。

 赤く濁った世界はなくなり、見えたのはオレンジ色に染まる夕陽。

 目から流れる血が地面に落ちる。

 世界を今一度見る。自分の目で、直接見るんだ。

 今まで自分が目を背け続けてきた現実を、受け入れるんだ。

 

「ああ、……やっぱり、僕は」

 

 その空の赤さに、夕陽を映す海に、潮の香りを運ぶ風に、それらがとてつもなく美しく感じた。

 だからこそ思う。

 これは守らなきゃいけない。ねじ曲げてはいけない。

 人の合理で、世界の道理を改竄してはいけない。

 

「僕は、もう一度、この『生』をやり直したい。この気持ちを、諦めたくない!!」

 

 そのまま永遠乘に背を向け、ムクロの元まで駆け出した。

 

「ま、待て鍔乍!?」

 

 永遠乘は僕の腕を握ろうとしたが、あと数センチほど届かず、彼女の手は何も掴めなかった。

 そのままムクロの隣に並び立つようにして、永遠乘と相対する。

 それは彼女にとって、耐え難い苦痛だったのか。その表情は苦悶に満ちていた。

 いや、それとも自分の計算が狂ったことに対する怒りだろうか。

 

「ボクを、捨てるのか? ……あの女が、どうなっても構わないと言うんだな!? 分からない、どうしてだ……どうして、どうして………どうしてええええええええええええ!!!!!!!!」

 

 永遠乘は発狂したように絶叫した。

 彼女にとって、僕という存在はそんなに大きかったのだろうか。理解はできない。

 そんな彼女は呻きながら、懐から出したリモコンのボタンを押した。

 

「無駄な足掻きを!!」

 

 それから少し遅れてムクロは彼女の体をまるで蜂の巣にするように銃を連発した。

 

「がっ…あぁ……」

 

 そのまま、頭、胸、腹、足と、穴を開けられた彼女は四肢を震わせながらも、貨物船の縁に倒れる体を支えた後、それでも尚、こちらを睨みつけてくる。

 

「まだだ……鍔乍は、ボクの……もの、だぁ!!」

 

 彼女の瞳の奥から漏れでる異様な執着心。それはどこまでもドス黒く、見ていて吐き気がする。

 ムクロが再度銃口を構えようとした、その時。

 そんな時だ。

 

 

「死 に た い」

 

 

 聞き慣れない声が聞こえた。

 それは僕の声でもなく、ましてやムクロの声でもなく、かと言って永遠乘の声でもない。

 

 しかし、彼女は口元を歪め、自分の起爆リングを見つめる。

 その表情は恐怖に怯え、信じられないものでも見たかのように震える。

 

「あああ……うそ、どうして……、ボクは、死なんて望んでなんか……」

 

 そのまま絶望するように、縁にしがみついた体は力がなくなり、重力に付き従うかのようにゆっくりと貨物船の外へと――海にへと堕ちていった。

 

 

《起爆します》

 

 

 そのアナウンスと同時に着水する水しぶきの音が聞こえた。

 

 カウントダウンなしの起爆を告げるアナウンス。……何が起きた?

 僕はムクロの方へ顔を向けるが、彼も事態が飲み込めないのか、首を横に振った。

 

「尊厳維持装置が、勝手に起爆した……。いや、誰かによって強制的に起爆させられた(・・・・・)?」

 

 僕は恐る恐る海を覗き込む。

 果たして災害級のウイルスを開発した彼女は、如何なる死を辿ったのか。

 尊厳維持装置による自爆が先か、それとも出血多量による死の方が先か。

 あるいは、着水と同時に海の生物に喰われたかもしれない。

 

 どれにせよ、きっと彼女には『安らぎ』などというものは訪れないだろう。

 そんなあっさりとした黒幕の最期に、僕は何故か、涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 あの後、僕とムクロは慌てて倉庫室に戻った。飛鳳先輩の現状を把握するためだ。

 モニターに表示されているチャンネルは先ほどと変わりはない。

 だが、部屋の様相は明らかに変化していた。それを見て僕達は息を飲む。

 

「――っ!?」

 

 彼女の元に一体の自爆ゾンビが怪しい足取りで接近していた。

 永遠乘の言葉が正しいのなら、あの自爆ゾンビこそが飛鳳先輩の妹さんである、雀萌さんということになるが。

 

「……っ」

 

 一方のムクロは起爆リングに一度手を触れてから、グッと拳を握り締める。

 まるで、心の底で悲しみに暮れているようにも見える。

 互いに数秒の沈黙の後、ムクロが口を開いた。

 

「おい、自爆ゾンビ。まずは彼女の保護が最優先だ、ついて来い」

 

「はい!」

 

 猶予はない。雀萌さんの動きが鈍重とは言え、明らかに飛鳳先輩に狙いを定めて徘徊している以上、悠長にしている暇はない。

 ムクロの指示に従って一度倉庫室から出ると、上空から輸送ヘリがこちらに向かって下降してきた。

 

「あれは……」

 

「国合のヘリだ! 乗るぞ!」

 

 そのまま下降してきたヘリのドアが横にスライドして開き、僕とムクロはそこへ飛び乗った。

 すぐにドアを閉め、ムクロはこちらに問う。

 

「場所はモニターの映像を解析班に回して調べてもらっているが、それでは遅くて間に合わない。何か心当たりはないか?」

 

「心当たり……」

 

 この状況を作り出したのは永遠乘だ。

 ならば、場所の手がかりは必然的に彼女との会話の中にあるはず。

 彼女と交わした言葉を思い出せ。その中に、何か手がかりはなかったか?

 

 ……いや、あった。確か奴はこう言っていたはずだ。

 

 

――「そして偶然にも、私が所属していた金剛寺大学附属病院の検体室にその死体があったものでね」――

 

――「あそこには既にボクの特殊ラボがあってね」――

 

 

「金剛寺大学附属病院……、飛鳳先輩の妹さんの死体が、そこにあるって奴は言っていました。それに、特殊ラボがあるとも」

 

「金剛寺大学附属病院、か。よし、ここからなら、二十分足らずで着く。まだ間に合うはずだ!」

 

 

 今度こそ、間に合え。間に合ってくれ。

 もうこれ以上、誰かが傷つくのを、見たくないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十八分後・金剛寺大学附属病院。

 

 目的地に着いた僕達は駆け込むようにして病院内に入って行った。

 

「あ、あの……本日はどういった用件で?」

 

 受付の女性が困惑していると、ムクロは腕章を見せる。

 

「俺は国合軍に所属する者だ。この病院には非人道的な実験を行っている疑いがある。少し調べさせてもらうぞ」

 

「そ、そんな!?」

 

 そう言って有無を言わさずにセキュリティーカードを奪取して地下区画へと続くエレベーターへと急ぐ。

 場所は検体室のある地下五階だ。

 受け付けで揉めたせいでもう一刻の猶予もない。

 

 エレベーターを待つこと数分、ドアが開くと同時に駆け込むようにして乗ってから地下五階のボタンを押した。

 ドアが締まって一瞬だけ揺れると、エレベーターはそのまま地下五階へ向けて動き出した。

 

 エレベーターの中は、僕とムクロの二人のみ。

 僕は、なんとなくムクロに尋ねた。

 

「……あの、どうして飛鳳先輩を助けるのを手伝ってくれるんですか?」

 

「……」

 

 しかし、彼は両腕を組んだまま、僕の問いに答えることはなく。

 

「……着いたぞ」

 

 エレベーターの扉が開き、目的の地下五階へと着いた。

 二人で手分けして特殊ラボを探す。

 通路を一度右に抜けてから、左に向かい、その先の奥まで行く。

 途中の部屋は資料室だったりと全て外れ、ならばあとはこの通路を突き進むしかない。

 そうして走ること数分後。

 通路の奥に行き着いた――が。

 

「部屋が、ない……」

 

 通路の奥には白い壁だけであり、何もなかった。

 この病院じゃ、なかったんだ。

 

「そんな……それじゃあ、もう飛鳳先輩は…… 」

 

「……」

 

 しかし、ムクロは項垂れている僕を他所に、壁をノックし始めた。

 ノック音をいくつか聞き、こちらへ振り返る。

 

「おい、自爆ゾンビ。邪魔だから下がっていろ」

 

「な、なにを……」

 

 僕が困惑していると、彼は黒いスーツを翻すと、内部に仕込んでいたトンファー型で金属製な武装を取り出した。

 いや、あの武装には見覚えがある。たしか、生前に大学の武器マニアの間で話題になっていた――アレだ。

 

「それはまさか、パイルバンカー!?」

 

「ああ、知り合いのモミ上げ野郎から拝借した」

 

 ムクロはパイルバンカーを構えると、その矛先を通路の壁に向ける。

 

「この奥はスカスカだ、隠しが甘い」

 

 腰を低くし、重心を下げ、安定性を高める。

 

《パイルバンカーの使用、了解。スーツを衝撃分散モードに移行します》

 

 機械仕掛けのスーツから聞こえてくる駆動音。そのままパイルバンカーの先の杭を――発射した。

 

 

「「――っ!!」」

 

 爆風と爆音。その衝撃が、この狭い通路の中で僕達二人に直接襲いかかる。

 身を守るようにしていると、やがて土煙が収まる。

 目の前に広がるのは、大きな穴。

 その穴から見えるのは、目前に自爆ゾンビである雀萌さんが迫った飛鳳先輩の姿。

 

「っ!!」

 

 認識した瞬間、すぐに体が動いた。当たり前だ。

 ムクロがパイルバンカーを構えている間、ずっと自分は息を吸って筋肉を弛緩させていたのだから。

 一秒たりとも動きを止めるな。

 今はただ、目の前の守りたい者を守るため、真っ直ぐ駆け抜けろ!!

 

 

「はあああああ!!!」

 

「――え。つ、鍔乍?!」

 

 そのまま彼女が拘束されている椅子ごと持ち上げて、雀萌さんから距離を取る。

 

「おぅ…えぇぇあ…おおぅああああ……おぅぉんぅぅ」

 

 首にギブスを巻き、赤い血の涙を流す雀萌さんはこちらに……いや、飛鳳先輩に手を伸ばしていた。

 その姿は、まるで母を求める幼い赤ん坊のようにも思えた。

 

「鍔乍、放すです! 雀萌ちゃんが、雀萌ちゃんががあたしを待ってるです!」

 

「それは、できません」

 

「どうしてです!? 雀萌ちゃんが戻ってくれば、ムーちゃんは昔のムーちゃんに戻るです! あたしが、あたしがゾンビになればよかったです!」

 

 僕は椅子に拘束されていた彼女の身を包む縄を解き、彼女の両肩を掴んで言う。

 

「死んだ人が生き返れば、全部元通りになると……本当に思っているんですか?」

 

「だ、だって……です」

 

「何一つ変わりませんよ。雀萌さんが戻ってきて、飛鳳先輩がいなくなった。ただ、それだけなんです」

 

「……」

 

 僕は彼女に呼びかける。彼女に僕を見てもらうように必死に言葉を紡ぐ。

 

「あの日、飛鳳先輩は僕のことを『希望』と言ってくれました。でも、違うんですよ。いつだって僕と社長さんを支えてくれたのは誰でもない貴女なんです! 貴女がいるから、今の日々があるんです!」

 

「そんな、あたしは……」

 

「飛鳳先輩、言ったじゃないですか。僕達三人でブラックアリウム社で働いてる瞬間が好きだって――それが幸せだって……」

 

 僕達だって同じだ。僕達にとっても、それはかけがえのない幸福な時間なんだ。

 

「お願いですから、そんなささやかな幸せを、希望(あなた)を、奪わないで下さい」

 

 そう、強く彼女を抱き締めた。

 彼女は肩を震わせ、小さく泣いていた。

 そんな彼女の頭を撫でながら、こちらへ近づく雀萌さんに向き直る。危ないので飛鳳先輩を自分の後ろに隠す。

 

 すると、ムクロがゆっくりと歩みを進めてきた。

 

「……おい、さっさと逃げろ。ここからは俺の任務だ」

 

「ですが……」

 

「いいから。その女に二度も妹が死ぬ場面を見せんじゃねえよ」

 

「……分かりました」

 

 確かに、また雀萌さんが死ぬ姿を見せるのは、飛鳳先輩にとってあまりにも酷だ。

 そう言って、僕は彼の横を通って地上を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――行ったか」

 

 

 自分の横を通って彼女を連れていく少年の背中を見届ける。

 全く、泣かせるようなことを言ってくれる。

 

「むぅ……うぅ……」

 

「……っ」

 

 手が震える。落ち着け。

 いつも通りやればいい。これまでだって、何度だって自爆ゾンビを回収してきただろうが。

 だがら、今回だって同じだ。

 

「雀萌……」

 

 苦しいよな。死んでるのに無理矢理起こされてよ。

 

 放っておいてほしいよな。

 

 分かってる、分かってるんだよ。俺。

 

 だからさ。もう、悪用されないように。

 

 俺の手で。

 

 お前の。

 

 

「死体を、回収する」

 

 そんな俺の言葉に反応するように、起爆リング内に埋め込まれたAIが応答してくれる。

 

《目標を確認。目標、わたし(・・・)の身体、です。速やかに回収して下さい》

 

「……ああ、行くぜ! スズメ!!」

 

 そのまま駆け出し、恋人の首に回し蹴りをお見舞いする。

 革靴の側面に収納された刃が展開。首に刃先が触れる。

 

「オラアアアアアアアアア!!!!」

 

 Crow(カラス)は吠える。涙を仮面で隠しながら、再度、自分の手でもう一度恋人に終わりを与えてやる。

 どう足掻いたって安らぎがないのなら、せめて自分の手で、一瞬で終わりに導きたいのだ。

 

 赤い涙を流す恋人の首が宙を舞う、五年前と変わらない感覚だった。

 

《目標の沈黙を確認。……ありがとう》

 

「……おう」

 

 壁に背中を預けてその場に座り込む。

 だがまあ、自分の因縁はまだ終わってない。さて、第二ラウンドと行こうか。

 

「……鍔乍」

 

 そう言って、視線を向けるとそこには憎たらしい自分の部下の姿。

 鍔乍の表情からも、どうやら流石にこちらの正体に気づいているらしい。

 

「……彼女はどうしたよ」

 

「一階の待合室で待機しています。……社長さん」

 

 

「……ああ。…………ご名答」

 

 

 そう言って、俺はカラスのマスクを外してその素顔を晒す。

 

 腕章序列第十六席。

 

 尊厳死者搬送医『ミミズ』所属 統率隊長。

 

 玄有夢羽。

 

 他の奴らからは『ムクロ』と呼ばれている。……まあ、その理由はほぼナインシュタインのせいなのだが。

 俺のフルネームにドイツ語の敬称をつけた結果、『Herr(ヘル).Muu() Krou(クロ)』と呼ぶので、主な仕事が死体回収なのも相まっていつの間にか『ムクロ』というのが定着していた。 

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「驚かないんだな」

 

「……ええ。先ほどの永遠乘の時の叱咤激励の際に、気が付きました」

 

「そうか」

 

 まあ、あれは確かにあからさまだったな。バレても仕方ないか。

 

「……責めないのか。俺は、お前が探していた桐谷と同じ腕章付きで、なんなら頻繁に桐谷にお前の情報を渡していたりした。“お前のことを嗅ぎ回っている奴がいるぞ”ってな」

 

「別に構いません。……僕の方が、先に社長さんを騙していましたから」

 

「先に、騙していた……ねぇ」

 

 そうだ。こいつは自爆ゾンビ。……ずっと、ずっと。

 二年前から人間のふりをして俺と飛鳳の側にいやがったんだ。

 ……そうだな。

 

 

「ああ、そうだ。俺はお前にブチ切れている。ずっと騙されてきたんだからなぁ!!」

 

「……」

 

「最初はよぉ、訳ありだと思ったんだ。五年前に自爆ゾンビになって死んだ奴の名前を騙ってると思ってな。……それも、俺がずっと探していた奴の名前を使っててさぁ」

 

「……え?」

 

 すると、鍔乍は目を見開いて驚いていた。

 ……そうか、驚くか。

 記憶なんてございませんってか?

 

「鍔乍。俺がこんなコスプレ紛いの格好をして死体回収をやってた理由を教えてやろうか?」

 

 そう言って、指でピースサインを作る。

 

「一つは、何者かに持ち出された雀萌の死体を回収するため。もう一つはなぁ!!」

 

 ピースサインを崩し、強く拳を握り締める。

 

「雀萌を襲った自爆ゾンビである上地鍔乍の行方を掴むためさ!!」

 

「っ?!」

 

 鍔乍は後退り、言葉に詰まっている様子だった。

 ああ、そうだ。そうだろうよ。

 お前が自分の意思で雀萌を襲ったわけじゃないことぐらい、分かっているさ。

 お前がそんな畜生なら、既に永遠乘命と共にアメリカにトンズラこいてただろうよ。

 ……だけどな。

 

「頭では分かってても、お前に非がないことぐらい分かってても……どうしようもなく、お前を殺したくて堪らねえんだよぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 そう言って、俺は爪先で軽く飛んで鍔乍との距離を詰め、思いっきり殴り飛ばした。

 

「ぐっ!?」

 

 咄嗟に受け身を取って難なくノーダメージか。流石、武術の心得とやらがある人間は一味違うわけだ。

 

「鍔乍、今から俺は気が済むまでお前を本気で殺しにかかる。……だから、お前も俺を殺す勢いで受けやがれ!!」

 

「でも、それは……」

 

「二年前にも言ったよなぁ! お前はただ、受け入れればいいんだよぉ!!」

 

「ぐっ―――」

 

 そう言って、まずは右ストレート。さらに一撃を加えては向こうの迎撃を回避するために一度離れ、再度攻撃するヒットアンドアウェイ戦法で行く。向こうの戦闘準備が整う前に一気に刈り取らせてもらう。

 

「スズメ! 戦闘補助システムを起動しろ!」

 

《目標を確認。戦闘補助システム、正常。作戦目的、目標の沈黙を、実行します。……本当にいいの?》

 

「余計なこと聞いてんじゃねえ!!」

 

 革靴の刃を展開し、決め手となる回し蹴りをこいつの首目掛けて放つ。

 

「――――破ッッ!!」

 

 だが首を刈る直前、肘打ちで革靴のナイフを破壊された。……おいおい、どんだけ硬いんだよ。

 

「スゥ―――」

 

 息を吸い、呼吸を整え、何やら独特の構えを取る。

 

《映像解析、完了。データベース、参照完了。目標の構えは三戦(サンチン)の型であると判明。……サンチンって何?》

 

「俺が知るか」

 

 だが、動かないなら好都合。

 

 スーツを翻し、先ほど使用したパイルバンカーを取り出して構える。

 

《武装パイルバンカー、使用可能残弾数、一。目標に向けて照準補正、完了。……ふぇぇ、ちょっと夢羽、これは流石にやりすぎだって》

 

「俺は言ったはずだぜ。殺す気で行くってな!」

 

《ぅぅ……》

 

 そのまま足先を二度ほど蹴り、軽く滞空するようにジャンプ。パイルバンカーの先を奴の頭に目掛けて打ち込む。

 ガコンという金属音、炸裂する爆音と火薬の臭い。

 およそ、スーツに染み付いた防腐剤の臭いは既に上書きされたと言っても過言ではないだろう。

 

 土煙が晴れ、その奥に佇む人影に思わず笑い声を出しちまう。

 

「おいおい、パイルバンカーを打ち込んだんだぜ……無傷とか化け物かよ」

 

「……ええ。僕、ゾンビですから」

 

 頭に打ち込まれたパイルバンカー、しかし奴は寸でのところを右手で受け止め、吸っていた息を一気に吐いて筋肉を緊張させることで、パイルバンカーの衝撃に耐えうるだけの硬さを得た。

 やべえ、文章にまとめるとマジ意味分かんねえわ。つーか、攻撃を喰らうまで動かないとか正気の沙汰じゃねえわマジで。

 

「どうしたよ、鍔乍。お前ももっと殺しにこいよ。俺ばっかりじゃフェアじゃないだろ」

 

「……貴方は僕にこう言いました。ただ、受け入れるだけでいいと」

 

「ほう、じゃあ俺の怒りを、全部受け入れるってことか? 舐めてんじゃねえぞ。俺はな、お前のそういう所が――気に入らないんだよっ!!」

 

 そう言って俺はパイルバンカーを投げ捨て、目の前の自爆ゾンビに掴みかかる。

 

「オラァァァァッッッ!!!」

 

 そのまま押し倒し、マウントを取って奴の顔面を固く握り締めた二つの拳で交互に殴っていく。

 

「お前の! せいで! みんな! 死んだんだ!」

 

「……っ」

 

 殴ってるのに、こいつは抵抗しない。

 痛ましい表情だけ浮かべてなされるがままだ。

 

「お前が! お前が、みんな、殺したんだ!!」

 

「……」

 

 なあ、なんで何も言わねえんだよ。

 

「お前がいたから! お前がいたせいで! お前が、雀萌を喰わなければぁぁぁ!!!」

 

「……」

 

 なんか言え。なんか言えって。

 

 殴る、殴る、殴る。

 二つの拳からどれだけ血を流そうとも、心から溢れ出る溶岩のような怒りが、俺の体を突き動かす。

 目の前の自爆ゾンビを決して許すなと、潰せと、殺せと、壊せと。

 ひたすらに俺に言い募る。

 

 それなのに。

 

「なんでだ……」

 

 

 なんで、こいつは、抵抗しないんだ……。

 

 自分は永遠乘命に利用されただけだと、雀萌を殺したのは他でもない俺だと、どうして、反論しない。

 俺がやっているこの行為が、ただの八つ当たりに過ぎないと。

 なんで、言ってくれないんだ。

 

 鍔乍は、俺の問いかけに答える。

 

「何も、間違ってないからです。……社長さんは言いました、僕は楽な道に逃げているだけだって。……その通りです」

 

 奴はそこまで言ってから一度言葉を切り、「だから」と口を開く。

 

「もう、逃げません。……いや、逃げたくない。置いていったものを清算するために、逃げずに、受け入れます。社長さんが僕に向ける怒りを、全て受け入れます」

 

「は……はは……」

 

 なんだよ、それ。

 意味分かんねえ……。

 

 そんなの、ずるいじゃねえか。

 

「そんな風に言われたら、もうよ……過去に囚われっぱなしの俺自身が、惨めなだけだろうが……」

 

 俺はすがりつくように、鍔乍に言う。叫びながら懇願する。

 

「なあ、殺せよ……お前も俺を殺せよ! そうしたら俺も、お前を殺してやるからよぉ!!」

 

 だが、こいつは悲しそうに首を横に振る。

 

「それでも、僕は貴方を殺せません。貴方に殺されるわけにもいきません。……そんなことをしたら、飛鳳先輩の幸せを奪うことになりますから」

 

「飛鳳の……幸せ……?」

 

 どうして、こいつが、そんなものを知っている?

 

「今朝、彼女が言っていたんです。三人であの会社で働いている時間が、何よりも幸せなんだと。……だから僕は、貴方と一緒に、絶対に飛鳳先輩と三人揃ってブラックアリウム社に帰ってみせます」

 

「……はは」

 

 そうかよ。飛鳳が、そんなことをな。

 あいつもあいつだ。あいつが一番怒る権利があるって言うのに、なんで――。

 

「くそ……」

 

《お姉ちゃん……》

 

 すっかり俺は戦う気が失せて、鍔乍から離れてから座り込んでしまった。

 鍔乍の野郎がこちらへ掛けてくる。

 その後、俺の起爆リングを見つめる。

 

「やっぱり、その起爆リングのAIは……」

 

「……ああ、スズメだ」

 

 別に隠す必要なんてないからこいつには話しておくか。

 

「五年前、俺は俺自身の手で雀萌の頭を吹っ飛ばした。首はその際に回収したんだがな、首から下の体はミミズじゃない何者かに回収されていた」

 

 すぐに、今回の件には何か政府を巻き込んだような大きな裏があると感じ取った俺は、きっといずれ雀萌の首も回収されるだろうと見越した。 

 

「そこで俺は、知り合いに頼んで回収していた雀萌の首から、脳を取り出して雀萌の人格をデータ化し、この起爆リングの中に隠しておいたってわけさ」

 

 その後の首の所在に関しては、火葬する直前に誰かに回収されてしまったわけだ。

 

「そんなわけで、俺は消えた雀萌の死体を見つけ出すため、死体回収を生業とするミミズに所属し、気付けば腕章付きなんてものになっていた」

 

 俺は起動リング――いや、スズメに話しかける。

 

「ほら、お前も挨拶しとけ。俺と飛鳳の部下だぞ」

 

《こんにちは、上地鍔乍くん。今はこんなだけど、飛鳳お姉ちゃんの妹の雀萌です。よろしくお願いしますね》

 

「あ、はい。こちらこそ、上地鍔乍です」

 

 そこで互いに顔を見合わせて、何とも言えない表情を浮かべる。

 先に口を開いたのは鍔乍だ。

 

「帰りますか、社長」

 

「……だな。折角だ、今日は久しぶりに焼き肉でも行くか」

 

《焼き肉、了解。特上カルビを要求します》

 

「いやお前食えねえだろ?!」

 

 そう言って三人の間で笑いが起きた瞬間だった。

 

――パチ、パチ、パチ

 

 何者かの拍手。だが、この地味に間を空けるねちっこい叩き方は一人しかいないだろう。

 

 

 

 

 

 

―――――   ―――――   ―――――

 

 

 

 

「桐谷、革恭」

 

 僕は、目の前の男を見て眉間に皺を寄せる。

 黒いスーツに、胸には青いドライフラワー、生気を感じられない表情。

 彼は僕達を称賛するように言い放つ。

 

「いや、実に観察し甲斐のあるいい見世物だった。見ていて飽きなかったよ」

 

「そりゃどうも」

 

 社長さんは睨みながら桐谷に応対する。……なんとなくだが、この二人はそりが合わなさそうだ。

 しかし、あれほど称賛していた自分の言葉を否定するかのように、桐谷は首を横に振った。

 

「だがやはり、駄目だ。これではあまりに彼が報われないだろう。……だからこそ、夢羽。お前の手で彼を回収し、終わらせてやれ」

 

「嫌だね。こいつは俺の部下だ。どうしてもって言うなら、てめえの手でどうにかするんだな」

 

「それはできない。……鍔乍、君なら分かるね?」

 

 突然、こちらに向けられる視線。なぜ桐谷が僕を終わらせられないのか。

 答えは決まっている。

 

「貴方にとって……いや、医者にとって、殺人とは許してはならない悪だから」

 

「その通りだ。故に、俺は人を自殺に導きはするが、殺すことは絶対にしない」

 

「……なるほど、それが貴方の考え方か」

 

 この男の歪んだ思考。なんとなくだが、読めた気がした。

 その上で、やはり僕とこの男は決して相容れないだろう。

 

「ならば貴方に問いたい。人は生きるべきか、それとも死ぬべきかを」

 

「……。答えるまでもない。人はどうあれ、必ず死ぬ。ならば、その死を少しでも負担を与えずに安らかなものとする。それが尊厳だ」

 

「人は必ず死ぬ……なら、やっぱり『死ぬ権利』なんてものは間違ってる」

 

 この男が抱える理想。そして尊厳維持装置の役割。

 

「人は必ず死ぬ、つまり人にとっての死とは避けようのない事象であり、それは『権利』ではなく、『義務』のはずだ。……だからこそ僕は、『死』ではなく、『生』にこそ『権利』があると信じる!」

 

 人は『死んでもいい』し、『死ななくてもいい』。

 この表現は間違っている。

 僕達にとっての正しさ、あるべき形は別にある。

 

「僕達には権利がある。だからこそ、人は『生きなくてもいい』し、『生きてもいい』んだ!!」

 

 僕は、それを信じる。

 

 母は僕に言った。どんな形でもいいから生きてと。

 

 飛鳳先輩は言った。こんな僕でも信じると。

 

 なら、僕はこの『人を死なせようとする世界』から、大切な人達を守ってみせる。

 僕はどこまで言っても自爆ゾンビだ、生きているように死んでいる。

 でも、それでも僕は、もう一度生きたい。

 人として、上地鍔乍として。

 もう一度、生きることを“やり直したい”んだ。

 

「貴方は尊厳維持装置が人々に安らぎを与えると言ったな……?」

 

「ああ、確かに言った」

 

「根拠はどこだよ」

 

「なに……?」

 

 ずっと、ずっとこの男に言いたかったことがある。

 たぶん、これを言えるのは世界中を探しても僕ぐらいしかいないだろうから。

 大きく息を吸ってから、声を限界まで張り上げる。

 

 

「死んだことない奴が、いっちょまえに死を語ってるんじゃねえ!!」

 

 

「……」

 

 桐谷は呆然としながら、僕を見つめ、隣に佇む社長さんは「ブッ!」と吹き出して肩を激しく上下させていた。

 

「くくく。桐谷、これは一本取られたな」

 

 社長さんは茶化すように言うが、桐谷はあくまで冷静に僕という存在を見据える。

 いや、僕という個人を初めて認識したと捉えるべきか。

 

「なるほど。……改めて君という存在の危うさを再認識したよ」

 

「僕が危うい存在? いいや、違うね」

 

 遥か高みの見物で物語を見ているお前を、舞台に引きずり降ろすのは僕じゃない。

 

「僕は既に死んだ身だ。これ以上、生者の物語に介入するつもりはない。――だから」

 

 お前を打倒するのは、僕じゃない誰かだ。

 

 

 それはもしかしたら、罪を抱えた兎かもしれない。

 

 それはもしかしたら、愛を知らぬ少女かもしれない。

 

 それはもしかしたら、時を刻む道化かもしれない。

 

 それはもしかしたら、言葉を喰らう獣かもしれない。

 

 

 いずれにせよ、言えることはただ一つ。

 

 

「今度は、貴方が観察される番だ。僕達という存在が、貴方と彼らの戦いを見届ける! それを、覚えておくんだな!」

 

「……」

 

 心底不快というその表情。

 いつもの澄まし顔な彼には似つかわしくない表情。

 それが見えただけでも御ノ字と言える。

 

 僕達に革命は起こせない。

 だからこそ、僕達は歩き続ける。

 たとえこの先、僕達の繋がりが生と死によって別たれようとも。

 何度だって僕達は、この『生命(ものがたり)』に立ち向かう。

 

 僕達は『死』を尊いと(うそぶ)く者達を、一人残らず嘲笑ってみせる。

 それがせめてもの、この世界への、僕達なりの反逆なのだから。

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