「最近中国拳法を習い始めたんだ」
何の脈絡もなく、急にスネ夫はそう言った。
場所はいつもの空き地、のび太、しずか、ジャイアン、スネ夫のいつもの四人が揃っている。
四人は特に何をするわけでもなく、ただ集まり、夏休みという長い期間を持て余し、くだらない雑談で暇を潰していたところだった。
「中国拳法?」
のび太は間抜けな顔で小首を傾げる。
「そ、スネ吉兄さんの知り合いに中国拳法が凄い人がいてね、最近鍛えてもらってるんだ」
「へぇ」
「いやぁ、身体を動かすのは良いよ。体力もつくし、気力が溢れてくる。君らも始めてみるといい。ま、君たちには中国拳法を教えてくれるような先生はいないだろうけどさ」
また自慢話か。
スネ夫以外の三人は呆れたようにそう思った。
「そうだ! ジャイアンも僕と一緒に中国拳法をやらないか? 実は先生が有望な人材は是非紹介してくれと言っていてね。ジャイアンなら身体も大きいし強いからばっちしだよ!」
「おおっ!! 良いぜ! 格闘技には興味があったんだ」
「そうだ。しずかちゃんもどうだい? 最近は物騒だからね。覚えておいても損はないと思うよ」
「えー、でも……大変じゃないかしら」
「大丈夫! 先生は優しいし、しずかちゃんならきっとできるさ」
「そう? じゃあやってみようかしら」
「決まり! じゃあ明日、みんなで行こうか」
トントン拍子に話が進む。
が、もちろんのび太は誘われなかった。
「ねぇ、僕は?」
「のび太? ダメダメ、お前にできるわけないだろ? 体育でもびりっけつなんだからさ」
「そんなぁ、僕もやりたいよー」
特に中国拳法に興味があるというわけではないが、みんながやるとなれば、単純なのび太はすぐにやりたくなってしまった。
「可哀想じゃない。やらしてあげたら? きっとみんなでやった方が楽しいわよ?」
すると、そんなのび太を見かねたのか、しずかはそう言って何とかのび太を入れてあげようとした。
「うーん、しずかちゃんが言うなら……。あ! そうだのび太!」
しずかに言われ、しぶしぶ承諾しようとしたところで、スネ夫は何かを閃いたような表情になった。
「ほんやくコンニャク持ってきてくれよ。そしたら入れてやってもいいぜ?」
「ほんやくコンニャク? なんで?」
「先生はまだ完全に日本語を覚えていないからさ、説明が分かりにくいんだよ」
「なるほど、先生にほんやくコンニャクを食べさせるんだね!」
「そういうこと」
じゃあ早速取ってくるよ! そう言ってのび太は走り出した。
「あー、行っちゃった。明日で良かったのに」
スネ夫は呆れたように呟いた。
「待ちましょうか」
しずかの言葉に二人は頷き、三人はのび太が来るまで適当にまた雑談で時間を潰すことにした。
ーーーーー
「はっ、はっ、はっ、はっ」
息を切らしながら、のび太は走る。
夏ということもあり、もう全身汗まみれで走り続ける。
「ただいまー!」
言いながら玄関のドアを開け、さっと靴を脱ぎ、いつものように階段を駆け上がる。
のび太の母、たま子の怒る声が聞こえるが、のび太はそれを気にもせず、自分の部屋へと向かう。
「ドラえもーん!」
いつものように親友ドラえもんの名を呼びながら、のび太は部屋に入った。
「あれ? なんだ、ドラえもんいないのか」
しかしそこにドラえもんの姿はなかった。
どら焼きでも買いに行ってるのだろうか、それとも未来に用事でもあったのだろうか、のび太はドラえもんの行方をいくつか考えながら、キョロキョロと周りを見渡す。
「まぁどうでも良いか」
切り替えてのび太は押入れからスペアポケットを取り出した。
「ほんやくコンニャク〜っ!」
ドラえもんの真似をして、スペアポケットからほんやくコンニャクを出した。
二個も持っていけば十分だろう。
後は……。
「タケコプター!」
のび太は少し考えてタケコプターを出した。
走って疲れたからこれで移動しようというわけだ。
よし行くぞー! のび太はいつものように窓を開け、頭につけたタケコプターで飛び出した。
しかし、少し飛んだところでタケコプターの回転が止まりかけていることにのび太は気づいた。
「う、うそ!? こんな時に電池切れ?」
自分の身体がドンドン落ちていくのを感じる。
やばい、このままじゃあ落ちる!
そう思った瞬間、
「わあぁぁぁぁぁぁあっ!!」
タケコプターの電池は切れ、のび太は一気に落下した。
ゴツンと音を立て、地面に激突する。
「し、死ぬかと思った……」
のび太はフラフラになりながらも立ち上がり、そそくさと三人の待つ空き地へ向かった。
ーーーーー
「遅いぞのび太!!」
のび太がやっと空き地に着くと、ジャイアンが圧のある声でそう言った。
普通の人なら思わず萎縮してしまいそうになるが、のび太はこの程度ならもう慣れてしまっているので、ごめんごめんと軽く謝ってみんなに合流する。
「あれ?」
そこでのび太は違和感を感じ、空を見上げた。
「ん? どうしたんだよのび太」
「いや、なんか空……」
「空?」
のび太以外の三人もいっせいに空を見上げる。
「え?」
「な!?」
「んー!?」
しずか、ジャイアン、スネ夫と続いて、驚きの声を上げる。
空には、ブラックホールのようにドス黒い穴があった。さらに、その周りは竜巻や雷が渦巻いていて、穴の中にはタイムマシンを使った時の時空間の流れのようなものがチラホラと顔を見せていた。
「ドラえもん……呼ばないと」
のび太は静かに呟く。
すると、三人は黙って深く頷いた。
それを見てのび太は走り出す。三人もこの場にはいられないとのび太に続いて走り出した。
あれはマズい……!
全員が本能的にそれを感じていた。
「お、おい! 近づいてきてないか!? あれ!」
スネ夫は後ろを振り向き、焦ったように言った。
「後ろを振り向くな! スネ夫! 今はとにかく走れ!!」
「わ、わかったよジャイアン!」
四人はとにかく走った。
しかし、そんなことは無駄だとでも言うようにそれは近づいてくる。
「きゃあっ!!」
しずかが足を滑らせ、こけた。
「しずかちゃん!?」
思わずしずか以外の三人も足を止める。
その瞬間、全員が背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。
「あっ……!」
四人が消えた町に、その声だけが静かに響いた。