ガールズ&デイズ   作:MIZUTAMARI

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Moon さよならを教えて

 真夜中と夜明けの隙間のような時間の大洗を、一人自転車で走るのが好きだ。誰にも言ったことはないし、学園艦が数日間大洗に寄港している時でないと、なかなかできることではないので、滅多に無い機会を存分に楽しまなくては。

 

 私の乗っている自転車は、レンタルした普通の自転車。ロードバイクなんていう代物ではないし、スピードが出るわけでもない。ゆっくりと、じっくりと走る。のんびりと走る。大洗は庭だから、何処でも走っていける。見上げれば星空が、私を迎えてくれる。月も一人、私も一人。それがいいと思う。

 

 目的地は、磯前神社。もっと言えば、海岸にある鳥居をぼんやり見つめながら、日の出を待つの。で、皆が起きる前に学園艦に帰る、っていういつものパターン。そこに何の意味もないし、意味を求めているわけでもない、と思う。きっかけも今となっては思い出せないけれど、気付いたら、コンビニ巡りと同じくらいに、私にとっては必要不可欠な楽しみになっていた気がする。

 

 戦車を操縦するのは苦手だけど、戦車に乗ることは大好きだ。大好きになった、改めて。大洗に来てから。あんなに嫌になった戦車道なのに、人間って分からないものだな。数日前に熊本に帰郷した時、お姉ちゃんにII号戦車で送ってもらったことを思い出す。懐かしさと温かい感情がごちゃ混ぜになって、不思議な気持ちにはなったけど、きっと黒森峰にいた頃だったら、そんな風には思えなかったんだろうな。

 

 麻子さんの操縦する、私たちのIV号戦車。沙織さんがいて、華さんがいて、優花里さんがいる。皆と戦車に乗っていると、心が震え出す。今まで知らなかった感情が溢れ出す。何て素敵なんだろう。こんなに幸せでいいのかな、なんて。

 

 でも、今は一人だ。一人で、自転車に乗っている。沙織さんに知られてしまったら、物凄く心配されて怒られそうだなって思うし、そど子さんに見付かったら、それこそ大変なことになってしまいそう。でも、どうしても止められない。何故だろう? 大洗が、この街が大好きだから。きっとそうなんだろうなって。

 

 戦車は、皆と一緒にいたい。自転車は、一人がいい。私は大洗女子学園に転校してから、数え切れない幸せを、楽しさを、喜びを知って、どうやら少しだけ身勝手になってしまったらしい。

 

 

 静かな夜。つい数週間前に、エキシビションマッチで走り回ったことが信じられないくらい。そうだ、磯前神社に着いたら、戦車で階段を駆け下りてしまったことを神様に謝らなくては。

 

 ささやかな潮風の感触が、私と自転車をすり抜けていく。何処か、懐かしい匂いがする。転校してきてまだ一年も経ってないはずなのに。

 

 ふと、夜の暗闇と、一年前の暗闇とがリンクする。思わず飛び込んだ、川の中。水と暗闇。心の暗闇。たぶん、それは完全に晴れたわけじゃない。私が背負っていかなくてはいけないし、忘れることなんてできない。

 

 だけど、優花里さんが私を肯定してくれた。あんこうチームの皆が、大洗女子の皆が、私の戦車道を救ってくれた。お姉ちゃんには伝えることができたけど、いつかお母さんにも分かってもらえる日が来るのかな。「さよなら」が、「お帰り」に変わるときがくるのかな。

 

 

 

 

 ――二の鳥居を背に小道を抜け、海岸の側に自転車を停めた西住みほは、なるべく鳥居が近くに見える場所まで向かった。いつもの場所だ、迷うことはない。

 

 海岸に座り、神様が降り立ったという『神磯の鳥居』を眺める。既に空が白み始めており、荘厳とも言える景色は、いつ見ても厳粛な気持ちになってしまう、とみほは思う。同時に、自分がこの街に、大洗女子学園に受け入れられているという安心感を覚えるのであった。

 

 寄せては返す波の音に、目をつぶって耳を澄ましてみる。ここで見つけた私の戦車道。ここが、私の居場所。

 

「西住ちゃん」

「わ!」

 

 想定外の呼びかけに、心臓が止まるくらいに驚いたみほであったが、彼女をそんな風に呼ぶ人は、たった一人しかいない。その事に一瞬で思い当たり、やや冷静さを取り戻しながら、みほはゆっくりと顔を上げた。

 

「会長」

 

 大洗女子学園の生徒会長にして、みほを戦車道の世界に再び引き戻した――強引に連れ戻したとも言える―ー角谷杏は、いつものように不敵な表情を浮かべたまま、みほの隣に腰を下ろした。

 

「えっと、どうしてここに」

「素敵な景色でしょ」

 

 みほの疑問には一切答える気がないと断言するかのように、杏は話題の矛先を、厳粛な美を眼前にさらしている鳥居へと変えた。みほも、深追いはすぐに諦めて、はい、そうですねと呟く。

 

「ここから見る『神磯の鳥居』は、本当に素敵です」

「でしょー」

 

 まるで自分の手柄であるかのように話す杏の横顔を、みほはそっと盗み見た。元々、何を考えているかよく分からない人という印象は、ようやく大洗女子学園廃校の危機を完全に阻止した今となっても、あまり変わらない。

 

 杏はいつも、飄々としていて、気まぐれでとんでもない事を要求してきたり、横暴な態度を見せたり。でも、そこには全て理由があって。人の真意なんて、全てが理解できるわけじゃないけれど。

 

「凄い戦いだったね」

 

 隣にいるみほに対してなのか、誰に対してでもない独り言なのか、判別し辛い口調で、杏はそんな言葉を口にした。日の出を迎え入れようとしている世界の中で、波の音はやや激しさを増している。一定のリズムで、波が去っていく。その刹那、僅かに訪れた静寂は、杏への返答の代わりにはなってくれなかったようだ。みほは、少し考えてから口を開いた。

 

「はい、凄い戦いでした。皆で戦って、私達の学校を守れたことが、本当に嬉しくて」

「そうだね」

「皆で頑張って」

「皆、頑張ったよ」

「皆がいてくれたから」

「皆がいたからね」

 

 再び、みほは杏の横顔を見た。視線がぶつかり合う。杏も、みほを見ていた。驚きはなかった。二人はお互いの視線に、気付いていたから。

 

「西住ちゃん」

「はい」

「私らは、来年で卒業だ」

「そう……ですね」

「前にも少し話したけど、大洗の戦車道は任せちゃっていいのかな」

「全員の総意です」

 

 戦車道を続けるという選択肢は、みほやあんこうチームだけでなく、大洗戦車道メンバー全員にとって()()()()()()()()()()()()ということは、先日判明している。それぞれ違う想いがあって、他にやりたい事もあるだろう。それでも、少女達が持つ無限の可能性の中で、戦車道という武道が、大切な「道」となっていたことは、みほにとっては最上の喜びであったのだ。

 

「もう廃校なんてことはないと思うけど……私達は全国優勝校で、大学選抜にも勝ってしまった。次からの戦いは、まるで注目度も違うし、来年以降はもっと大変だろう」

「はい」

「だから、うん……苦労をかけるね」

「前も同じようなことを言ってました」

「そうだっけ」

「はい」

 

 こんな事言うのは似合わないか、私には。そう言って笑う杏に、みほはそっと否定の意を示した。

 

「会長はいつもそうです。ずっと本当のことを言っていたのに、ずっと嘘をついているみたいで」

「西住ちゃん、哲学みたい」

「……」

 

 杏はみほに対して、()()()()()()()()を背負い続けている。その事をみほは知っているし、みほが知っているということを、杏は理解しているのだ。

 

「それに、私は一人で戦っているわけじゃないですから。皆がいれば、何処へだって行けるんです」

「そっか」

「カメさんチームも一緒に」

「そうだな」

「会長も一緒に」

「……ああ」

 

 でも、来年でさよならなんですね。みほは、聞こえないくらいの声で、小さく呟いた。戦車道から逃げるように大洗に来て、きっかけはともかく、大切な仲間に受け入れられて、()()()()()()()()。大切なものが増えるほど、別れの辛さが増していくという人間心理の不思議は、10代の少女が冷静に分析できるようなものではない。数々の不可能を可能にしてきた西住みほと言えど、それは同じであった。

 

「さよならって、全部終わっちゃうみたいだな」

「あ、すいません……そんなつもりじゃ」

 

 分かってるよ、と杏は言った。トレードマークのツインテールが潮風に揺れて、みほの身体にそっと触れる。

 

「さよならだけど、まだ続くかもしれないし」

「続く……?」

「さよならだけど、また会える。それが戦車道なのか、何なのかは分からないけど」

「会長は」

 

 一呼吸置いて、みほは問いかけた。

 

「会長は、大学に行っても戦車道を続けるのでしょうか」

「んー、分かんない!」

 

 杏は大げさに笑って、ほんの1センチ、いや2センチ、3センチ。みほの側に近付いて、物理的距離を縮めていく。

 

「分かんないけど、さよならは終わりってわけじゃないことだけは言えるよ」

「……」

「私も」

 

 終わりを望んでいるわけじゃないから。そう、杏は言った。いつもの表情で。言葉の真意も、意図もみほには分からない。でも、何故か安心していた。それでいいのだろう、とみほは一人納得する。

 

「誰かが言ってたね。西住ちゃんは不思議な人だって。皆が、西住ちゃんの味方になる。大学選抜戦が何よりの証拠だよ」

「……」

「皆が、西住ちゃんを好きになっちゃうんだな。こんな私でも」

 

 だから、もう嘘はつかない。さよならは、まだ言えない。

 

「さあ、そろそろ戻ろうか」

「はい。えっと、あの……」

「分かってる、誰にも言わないよ。西住ちゃんの真夜中の秘密」

「そ、そういう言い方はちょっと恥ずかしいかも……です」

 

 みほの感じている頬の紅潮は、杏にはどのように見えていたのか。みほを見つめる杏の、ほんの少しだけ寂しげな微笑みは、みほにはどのように見えていたのか。

 

 

 

「よーし西住ちゃん、二人乗りで行くよ!」

「が、頑張ります!」

「二人で」

「はい」

 

 

 

「家に帰ろう」

 

 ――それぞれの重責を背負っていた二人の少女達の秘密は、月と海だけが知っている。

 

 

 

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