安斎千代美ことアンチョビは、ひどく困惑していた。一体この状況を、どう説明すればいいのか。目の前に広がる光景を、どう認識すればいいのか。
「やあやあ、おめでとう! ほらチョビ子、今日は主役なんだから」
いつも以上に小悪魔めいた表情を浮かべた角谷杏は、所謂お誕生日席へとアンチョビを誘導する。
「主役って」
平時のアンチョビであれば、旧知の仲であるとはいえ、杏が口にする自身に対する呼称の訂正を求めたはずだが、その余裕すらないようだ。杏はその事を察したのか、悪戯が上手くいったときの子供のように笑った。
「アンチョビさん、少しだけお久しぶりです」
杏に無理矢理座らせられ、戸惑いを隠せないアンチョビの心情を察したような口調で、隣に座っていた西住みほが話しかける。
「あ、ああ西住さん。この前は大変だったね」
「皆さんが助けに来てくれたから、何とか頑張れました」
「それは良かった。……良かったんだが、とりあえずちゃんと説明してくれないかな……この状況を」
「えーっと、それは」
「お誕生日会と言っているだろう」
あくまで厳格な、生真面目な口調で簡潔に事象を言語化したのは、みほの向かいの席に座る西住まほであった。
「西住……お前が言うと、何だか軍法会議にかけられているような気分になるぞ」
「何故だ安斎」
「いや、だってさ」
「……?」
本当に何も分かっていないようなまほの表情を見て、アンチョビは小さなため息をついた。
――全国の戦車道強豪校・有名校が即席の合同チームを結成し、大学選抜メンバーを打ち破った戦いから数日後のことである。大洗女子学園の生徒会長、角谷杏から、各高校の隊長クラスの面々に「大洗に来たれ(来れる人だけでいいよ)」と招集がかかったのだ。名目としては、今後の高校戦車道の為にも、隊長クラスでの親睦を深めていくのも良いだろう、というものである。
突然の打診であったので、大洗連合チームの全員が集まることは叶わなかったが、この日特別に貸し切りとなった『サザコーヒー』のテーブルの席に着いているのは、大洗女子学園から角谷杏と西住みほ、黒森峰女学園から西住まほと逸見エリカ、聖グロリアーナ女学院からはダージリンとオレンジペコ、プラウダ高校からカチューシャとノンナ、という面々である。
「今日は、隊長同士の親睦会って話じゃなかったのか?」
テーブル席に座る錚々たる面子に、アンチョビは至極当然の疑問を投げかける。
「アンチョビさん、貴女にこんな格言を贈るわ」
優雅かつ際立った気品を保ちながらも、現在の状況を一番楽しんでいるように見えるダージリンが言った。
「『砂漠が美しいのは、どこかに井戸をひとつ隠しているからだ』」
「サン=テグジュペリの『星の王子さま』ですね」
「さすがね、オレンジペコ」
「いや、そういうことじゃなくてさ……」
「えっと、あの、アンチョビさん! 明日がお誕生日なんですよね」
意を決したようにみほが放った言葉は、紛争地域における非武装地帯の如き価値をアンチョビに与えた。
「確かに、9月23日は私の誕生日だが」
「せっかく皆さんが集まってくれるから、一緒にお祝いしたいなって。誕生日当日は、きっとアンツィオ高校の皆さんとお祝いしますよね」
「そうそう、だからサプライズってこと。ほら、あの時の約束通り干し芋パスタも作ってやったから」
「! 本当か!?」
自分の誕生日を祝ってくれるという事実よりも、杏によるパスタという言葉に目一杯反応してしまうアンチョビは、徹頭徹尾アンツィオ高校の戦車道メンバーの隊長に相応しい存在である。校風に染まった結果、とも言えるが。
「意地汚いわねえ、偉大なるカチューシャは食べ物なんかでそんなに喜ばないわ」
「カチューシャ、口元に生クリームがついてますよ」
「う、うるさいわね! この店のケーキが美味しいのがいけないのよ!」
「知ってます」
カチューシャの悪態に、母親のようにたしなめるノンナ。二人を知っている者であれば、安心感さえ覚える見慣れた光景であろう。アンチョビは、数週間前の大学選抜戦で行われた、大洗連合チームの作戦会議を思い出していた。
「こうして集まると、大学選抜戦を思い出します。ケイさんと西さん、ミカさんがいないのは残念ですけど」
まるでアンチョビの心の内を代弁するかのように、みほが呟いた。まだそれほどの日数が過ぎたわけではないのに、あの灼熱の記憶が少しずつ思い出へと変わりつつあることは、少女達に時の流れというものを嫌でも認識させるものであったのだ。
「ふん、感謝するといいわ。あの時、私達が助けに来なかったらどうなっていたか」
今に至るまで不機嫌そうな顔を隠そうともしなかった逸見エリカが、ここぞとばかりに口を開いた。が、即座に返されたみほの言葉は、エリカにとって想定外の破壊力を伴ったものであった。
「うん、ありがとうエリカさん。今日も来てくれて嬉しいよ」
「!? あ、あんたの為に来たわけじゃないから!!」
慌てふためく、という文言を体現するかのように、エリカは必要以上に大きな声で反論してみせた。際立って整った顔立ちに、恥じらいという名の紅が差している。
「逸見ちゃん、ツンデレだね」
「ああ、逸見さんはツンデレだな」
「エリーシャはツンデレね!」
「その通りです、カチューシャ」
「こんな言葉を知ってる? 『戸惑えば戸惑うほど、それは愛しているということ』」
「アフリカ系アメリカ人の作家、アリス・ウォーカーですね」
「ああもう! うるさい!!」
「落ち着け、エリカ」
今にも立ち上がって、地団太を踏みそうなエリカの肩に、まほがそっと手を置いた。
「た、隊長。すみません」
「大丈夫だ。ところで安斎」
「何だよ」
「さっきの続きだ。私はお前をちゃんと祝いたいと思っているが、軍法会議とはどういうことだ」
「……気にしてたのか」
――楽しい時間は、不思議なほどに一瞬で過ぎ去っていく。ましてや、何処までも煌びやかな青春を過ごす、可憐な少女達が共有する瞬間であれば、尚更であろう。
「はー、食べた食べた。食事の時間はこうでなくっちゃ」
「安斎は料理上手なんだな」
感心したようなまほの言葉に、アンチョビはこのくらい大したことないぞ、と笑った。杏の作った手料理だけでは足りなかったので、急遽アンチョビも追加の料理作りに参戦したのだ。今日は主役だからと杏には止められたところ、無理矢理作らせてもらった、とも言えるが。
「誰かに料理を作ってもらうのも嬉しいけど、誰かに料理を振る舞うのが一番楽しいな。こうして皆で楽しく食べてもらえると、こっちも嬉しくなるよ」
「そういうものか」
「ああ」
今、この場に残っているのはアンチョビとまほの二人だけだった。杏とみほは片付けの手伝いを、ダージリンとオレンジペコは出港時間の関係で既に場を辞している。夕暮れが近付いたことを示す空の変化に視線を移して、アンチョビはほんの少しだけ目を細めた。
「逸見さんは?」
「カチューシャ、そしてノンナと大洗女子の自動車部に会いに行くと言っていた。他校の生徒との交流が深まるのは、こちらとしても望ましい」
「そうか、確かに試合中ではライバルでも、そうじゃないときは仲良くするのが一番だよ」
「そうだな」
『サザコーヒー』の名物でもある"将軍カフェオレ"を飲み干して、小さく笑うまほの目元を、アンチョビは意外そうに盗み見た。
「ふーん、そんな顔もするんだな」
「どういうことだ?」
アンチョビの言葉に、まほは怪訝な顔つきで問い返す。
「西住さん……みほさんの方な。西住がみほさんを見ているときの顔。まほ姉さんって感じの顔。もっと逸見さんにもそういう顔見せてあげなよ」
「安斎、それはどういう」
「西住だって、分かってるんじゃないのか?」
同じ戦車道の隊長として、まほは言葉も足りないし表情の変化に乏しいとアンチョビは考える。とはいえ、西住まほという存在が担う責務の重さ、想像を絶する運命を思えば、それも致し方ないと言えるのかもしれない。
それでも、隊長職ではなく
「……自分が周りからどのように思われているのか、私なりに少しは分かっているつもりだ。戦車道は一人で戦うものではない。仲間たちの心の変化も理解せねばならないだろう」
少しの間を置いて、まほはそう切り出した。
「一年前も、私はみほの気持ちを分かっていても何もできなかった。いや、今となっては何も分かっていなかったのかもしれないが」
「……」
「想像でしかない誰かの心の動きに戸惑っていては、戦車道は強くなれない。私は、私として進むしかない。それが西住流の名を継ぐ者の使命だから」
「西住、でも」
それは違うんじゃないか、と言いかけてアンチョビは口を閉ざした。価値観の違い、隊長としての見ている世界の違い、といった様々な理由が、世話焼きな性格のアンチョビを何とか自制という選択へと促していく。
「私は近いうちに、ドイツへ向かう。留学だ」
「そんなこと私に話していいのか」
「すぐに分かることだからな」
「それなら、尚更逸見さんに伝えなきゃいけないこともあるんじゃないか」
「そう……かもしれないな」
珍しく、まほは次に語るべき言葉を探しているようだった。運命を見据えた厳しい眼差しは、彼女の持っている天才性と、たゆまぬ努力とに裏打ちされたものではあるが、瞳の奥に、大学選抜戦を経て生まれ得たのであろう、柔和な表情が揺れていることを、アンチョビは見逃しはしなかった。
「安斎、お前はお前の道でアンツィオ高校の戦車道を立て直した。尊敬に値する」
「そうだろうそうだろう、恐れ入れ」
「ああ、恐れ入る」
「……本当か?」
「冗談だ」
真顔で返すまほを見て、アンチョビは大いに笑った。そうそう、それくらいの冗談が言えれば上出来じゃないか。
「西住さん、……みほさんは知ってるのか?」
「今日言おうと思っている」
「姉妹の絆は固いね」
「そうだろうか」
「そうだよ」
逸見さんにもちゃんと言うんだぞ、とアンチョビは念押しする。お節介な奴だな、とまほは呟く。
同じ戦車道という武道に携わる者として、それぞれが歩むべき道があり、それぞれのやり方で、後輩にその道を示していかなくてはならないのが、隊長として果たすべき役割であろう。アンチョビは、改めてまほが背負う運命に思いを馳せる。同じ立場であるはずなのに、何だか世話を焼きたくなってしまうのは、アンチョビにしか分からない、西住まほという少女が僅かに見せた、小さな「隙」のせいだろう。
「私は弟がいるけど、アンツィオの戦車道メンバーは皆、妹みたいなものだからさ。まあ何というか……お互い苦労するな」
そう言ってまほの肩を叩くアンチョビに、まほは今日一番の真顔でもって、戦車道において完全なる勝利を確信するが如き口調で、絶対的な説得力と共に、こう切り返した。
「苦労? 妹の為なら、苦労などとは思わないだろう」
「あ、はい……すみません」
――西住のこういうところ、もっと皆に知られてもいいのにな。アンチョビは心の中で呟いた。