全国屈指の戦車道強豪校である聖グロリアーナ女学院の敷地内には、かの有名なケンジントン・ガーデンズを模した公園が存在する。東京ドーム約24個分近くの面積を誇る本家と比べれば、そのスケールはかなりコンパクトなものではあるが、「ピーターパン」の銅像やアルバート記念碑、サーペンタイン・ギャラリーなどが可能な限り再現されており、生徒達の憩いの場所として親しまれているのだ。
ケンジントン宮殿はさすがに設置されてはいないが、似たような建物として、聖グロリアーナ女学院の幹部クラスの生徒のみが立ち入ることを許されている、学園の別館のようなものがある。これは一種のクラブハウスとして機能しており、選ばれたエリートである少女達が、美しい庭園の散歩を楽しみ、別館に隣接したカフェで紅茶を嗜む姿は、一般生徒達にとっては憧れの的であった。
「まあ、アッサム様よ」
「相変わらずお綺麗でいらっしゃること」
オープンカフェに一人佇むアッサムの姿を、遠目で見ていた生徒達が口々に声を上げる。学園内におけるアッサムの立ち位置は、決して聖グロリアーナ戦車道の総隊長であるダージリンに劣るものではない。ダージリンと共に、入学当初から栄えあるニックネームを与えられ、エリート中のエリートとして、聖グロ戦車道の中心となって歩んできたアッサムは、その際立って美しい容姿と優れた頭脳、気品に満ちた佇まいと厳格な規律を重んじる態度でもって、多くの生徒達から羨望の眼差しを浴びる存在である。
この日、アッサムは先日からダージリンとオレンジペコが大洗訪問で不在ということもあり、彼女達の代わりに様々な雑務をこなし、ようやく一区切りついた自身を労わるべく、一人アフタヌーンティーが演出する、大いなる恵みの一時を楽しんでいる最中であった。
大洗訪問に関しては、本来ならばアッサムも同行すべき案件ではあったのだが、彼女自ら辞退した。勿論、彼女の明晰な頭脳がその答えを導き出したのだ。
――ダージリンのお世話は、オレンジペコ一人でも大丈夫でしょうけど……。
本家そのままの「ヴィクトリア・サンドイッチケーキ」を上品に口に運びつつ、アッサムは心の中でそう呟いた。聖グロが誇る完璧な淑女でありながらも、自由奔放な一面を持ったダージリンのお目付け役として、オレンジペコほど完璧にお役目を果たせる人材はいない。戦車道の才能も含めて、アッサムもオレンジペコには全幅の信頼を置いているのだ。
では、アッサムが一人学園に残った理由とは。
「アッサム様!! こんな所にいらっしゃったんですの!!?」
「ローズヒップ、園内を走り回るのはお止めなさいと何度言ったら」
「急いでたんですわ!」
「そういう事を聞いているのではないのだけど」
呆れるという感情の動きに、そろそろ飽きてしまうくらいに呆れた口調で呟くアッサムの心情を知ってか知らずか、突然吹き荒れ始めた嵐のように姿を現したローズヒップは、その勢いに若干のブレーキをかけて、アッサムの様子を伺うような表情を見せた。
「アッサム様……もしかして怒っていらっしゃいますですの?」
「喜んでいるように見えるかしら」
「いつも通りの、おっ綺麗なアッサム様に見えますですわ」
「っ……そういう事を面と向かって言うのが……もう」
謎めいたローズヒップ流の"聖グロリアーナ女学園的口調"を嗜めるよりも、綺麗と言われたことに反応してしまうアッサム自身が、ローズヒップと共に過ごす日常にすっかり慣れてしまったという証左ではあるのだが、その事実は決して認められない、否、そもそも
「私に何か用かしら……って、ローズヒップ! 貴女怪我してるじゃない!」
「え? 怪我ってなんですの?」
「え? じゃありません! ちょっと見せてごらんなさい」
アッサムは優雅な身のこなしで席を立ち、素早く腰を落とし、ローズヒップの膝に触れた。擦りむいたような傷が、アッサムの目に飛び込んでくる。
「あ、これですの? さっき転んだ時に……でもこれくらいは唾でもつけておけば治りますですの」
「いけません、黴菌が入って化膿でもしたらどうするの! ちょっとお待ちなさい」
スマイソンのコスメティックケースから、アッサムは手際良く絆創膏を取り出した。自分の為に用意しているのではなく、専らローズヒップの為に常に携帯しているものであり、その不自然な程の手際の良さも、こうしてローズヒップに甲斐甲斐しく世話をすること自体が、アッサムの日常に溶け込んでしまっているからである。
「わわ、アッサム様にそんな事をさせてしまうなんて」
「今に始まったことじゃないでしょうに……これで良し、と」
「ありがとうございますですわ!!」
何一つ反省していないと言わんばかりの、いっそ清々しい程のローズヒップの言葉に、そして笑顔に、アッサムは再びため息をついた。
「全く、貴女も我が聖グロリアーナ女学園に入学して半年近く経つのですから……少しは自覚を持ちなさい」
「はいですわ!」
「返事だけは一人前なのだから……」
「やったですわ! アッサム様に褒められましたですの!」
褒めてるわけじゃないのよ、という言葉はあえて飲み込んだアッサムであった。純粋無垢、という言葉をそのまま体現しているかのようなローズヒップを見ていると、嫌味を言う気力も無くなってしまう、というのも実情ではあったが。
「では改めて……ローズヒップ、私に何か用かしら?」
「ピクニックするんですわ!」
「……」
「マジでピクニック日和の午後だと思いますですわ!」
「……ローズヒップ、マジで意味が分からないのだけど……」
優秀極まりないからこそ、常にイレギュラーなローズヒップの言動に振り回されてしまうアッサムの頭脳は、それでも思考することを放棄するのを許しはしなかった。データを取り出し、幾つもの思考パターンを回転させて、何とかローズヒップの意図を掴もうと努力を続けてみせる。
「――つまり、その海外ドラマを観ていたら、ケンジントン・ガーデンズでピクニックをするシーンがあったと」
「そうですわ! どっかで観た場所ですわね……と思ったら、我が聖グロの公園に同じような場所があることに気付いたんですの!」
「あのドラマは、私も以前観たことがあるのよ。確かに、そんなシーンがあったような……クリスマス・スペシャルだったかしら。アルバート記念碑の前でピクニックを」
「そう! そうですわ! さっすがアッサム様、『ダウントン・アビー』観ていらっしゃったんですわね!」
無邪気に喜ぶローズヒップを見て、頬が緩んでいる自分に気付いたアッサムは、そんな自分自身を
「とりあえず座りなさいな」
「そんなの駄目ですわ! 私なんかがアッサム様のお隣にお座りするなんて」
「お座りって貴女、ペットじゃないのだから」
そう言いながら、ローズヒップに接している時は、まるでペットの躾をしているような気分になるという本音に近い思考を、アッサムは必死に押し殺す。
「まあいいわ。……とにかく、ドラマを観ていたらピクニックをしたくなった、ということでいいのかしら」
「その通りでございますですわ」
「確かに、今日は午後の授業はありませんし、あと1時間もすればダージリンやオレンジペコも大洗から戻ってくるはずですけど……」
え、マジですの! それならますますタイミングばっちりでございますですわ、とはしゃぐローズヒップに、マジで勘弁してちょうだい、とアッサムは淑女らしからぬ返答で応じる。
「ダージリン様、アッサム様、オレンジペコさん、ルクリリ様……皆でピクニックしたら絶対に楽しいですの」
「それはそうかもしれないけれど」
突然言われても、と続けようとしたアッサムを遮るように、ローズヒップは一際大きな声でこう言った。
「アッサム様、最近はとても大変そうでしたの。私は何のお手伝いもできなかったんですわ。だから、アッサム様お疲れさまでございますわ会がしたいんですわ!」
「……」
何の裏表もないローズヒップの言葉は、アッサムの心にどのように響いたのか。どのような効果を与えたのか。今度こそ、アッサムは自分で意識した上で、その端正な美貌に素直な微笑みを浮かべてみせた。
「ありがとう、ローズヒップ」
聖グロリアーナ女学園の戦車道にあるべき気品が、優雅さが――アッサムが信望し続ける淑女としての態度の中で、新たに生まれた想い。その小さな小さな想いは、日を追うごとに、まるでローズヒップの駆るクルセイダーのスピードと重なり合うように、その勢いを増していくことを、アッサムは認めざるを得なかった。
――それでも私は、ダージリンのようにこの子を甘やかしたりはしないけれど。ええ、甘やかしたりはしないのだから。きっと。
「やったでございますですわ! アッサム様がお笑いになられましたの!」
「私、いつも怒ってるかしら」
「いっつも、おっ綺麗でございますですの」
「だから、それはいいから……」
淑女の心をかき乱す、純粋無垢かつ自由奔放な風。データで制御できない想いを抱えることの意味を、今のアッサムはまだ知ることはない。その複雑な鈍感さが、微妙な感情の揺れが、少女という儚くも美しい永遠の季節を保証する。
お気に入りのティーカップに口をつけたアッサムは、すでに冷めてしまった紅茶の味さえも、いつもと違うように感じている自分自身を冷静に分析していた。
――この事象を解析するには、情報だけでなく私自身の経験も必要のようね。
「ところでアッサム様。その美味しそうなお菓子って」
「……お一ついかが?」
「マジですの!? いいんですの!? 召しあがりますですわ!!」
「マジで落ち着きなさい、ローズヒップ」