愚かなわたしに、罰を与えてくださいませ   作:オリスケ

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『竹箒日記』FGO1部6章/zeroの拡張IF小説。

円卓の騎士が互いに殺し合い、獅子王のギフトを貰い聖地を奪還するまでの間に
数か月の猶予があったというIFに基づく物語です。











第1話

 王の招集の声を聴いた。

 

 

 

 それは、有り得るはずのない号令。遠き昔の夢でしか聞くはずのない声。

 ブリテンが滅び、王が命を終わらせてから、もう幾百年も経っているにも関わらず、その招集の号令は、英霊の座にて揺蕩う彼等の魂を目覚めさせた。

 王の命とあれば従わぬ道理はない。有り得ないはずだという疑問を抱きながらも、即座に号令に従う。

 そして彼等――円卓の騎士が召喚されたのは、キャメロットの崩壊から数百年後の世界。

 不死のまま時を生き続け、神霊へと昇華したアーサー王の御前であった。

 出で立ちも、身に纏う雰囲気も明らかに異質な、獅子王を名乗る王。召喚される際に与えられた知識では測りきれない、世界の異常。

 混乱が冷めやらない騎士達に向け、獅子王は畳みかけるように、更に衝撃的な事実を突きつけた。

 

 

 

 曰く――この世界は、あと少しで消滅するのだと。

 その破壊から逃れる術は一つだけ。聖地エルサレムに建立した聖槍以外に無いのだと。

 焼却に対抗する策として、無垢で善良な民()()を匿い、人理の途絶を防ぐのだと。

 そして、その使命の為に――選ばれなかった全ての民を、見捨てるのだと。

 

 

 

 お前たちの力が必要だと王は言った。それと同時に、選択する権利があるとも言った。

 僅かの人を救うべく残りを全て抹殺するか、それとも滅ぶに任せるか。

 その方法しかあるまいと納得するか、それとも馬鹿げた悪逆だと非難するか。

 王に従うか、それとも背くか。

 

 

 

 かくして円卓は真っ二つに離反した。

 王に従う者と、反旗を翻す者。

 そして、道を別った円卓の騎士は、どちらの派閥にとっても――最も大きく、最優先で排除するべき宿敵だった。

 彼等は真っ先に、当然のように争った。二度目の生における数奇な出会いを喜ぶ間もなく、親しき友に刃を向けた。

 説得は無意味だと全員が知っていた。進むにせよ戻るにせよ、この世界は地獄だったからだ。

 嘆く訳にはいかなかった。互いに負ける事だけは許されなかったからだ。

 心を自ら砕きながら、彼等は親しき戦友をいの一番に殺したのだ。

 

 

 

 円卓第七席、ガレスは最後まで悩んでいた。

 心優しい彼女は、王の覚悟に背を向ける勇気も、人々を手に欠ける覚悟も足りなかった。

 怯えながら、辛い現実に思わずすすり泣きながら、それでもガレスは決断を迫られる。

 迷い、選べず、どうすればいいか途方に暮れて……その心の内に残ったのは、かつての親愛と後悔だった。

 

 

 ガレスは、ランスロットを敬愛していた。かつて不義により王に背いた彼は、今度こそ王の信頼に報いたいと願うはずで、自分はそんな彼の心を讃えたかった。

 また、ガレスは長兄であるガウェインを誰よりも頼もしく思っていた。忠に厚く最も王に近い彼は、王の言葉を信じると言った。だから自分も王を信じようと思えた。

 そして……敬愛し、大好きな二人と共に、最後まで王に仕える事。それこそがガレスの願いでもあったから。

 

 

 だから、ガレスは人理を守る側に立った。

 それが何を意味するか、最後まで真に理解できぬまま。

 自分の行く先に待つのが、どれほど血に塗れた地獄かを想像しきれないまま。

 何の覚悟もできないままにガレスは王の傍に立ち――その未熟な心のままに、彼女の槍は兄であるガヘリスの命をいの一番に食い破ったのだった。

 

 

 

 

 

 

        ◇

 

 赤黒いものが、視界一杯に広がっている。

 ぼやけた視界に、むわっと焚き付けられる、ひどい臭い。

 ぐちゃぐちゃという水音が、暴力的に響く。

 

 両手が、酷く生ぬるい。

 勝手に動いて、生ぬるい何かに指を突き立てている。

 ぼやけた視界が次第に明瞭になり、一面に広がっていたものの正体を理解する。

 

 

 赤黒いそれは、ガヘリスだった。

 縦に割ったガヘリスの腹に両手を突っ込み、その中身を、必死に捏ね回しているのだった。

 兄はとうに死んでいた。見開いて白く濁る眼球に、蠅が卵を産み付けている。

 とうに腐り悪臭を放ち始めたガヘリス。

 兄の内蔵を、自分は掻き混ぜる。

 両手が赤く、黒く、汚れていく。穢れていく。

 ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃと。

 

 

 

 

 

「っは――!?」

 

 声にならない悲鳴と一緒に、毛布を跳ね除けて飛び起きる。

 早鐘のように鳴る心臓が痛い。血液が全身を激しく駆け巡り、身体が沸騰しそうな程に熱い。それなのにガレスの顔は青ざめ、ぐっしょりと寝間着を濡らす冷や汗で、細く小さな体は凍える程に冷え込んでいた。

 

「は、はっ……はぁ……っ!」

 

 浅く早い呼吸を止められないまま、体を折り畳み、痛む胸に手を当てる。

 ばく、ばく、という鼓動を聞く。生きている実感を得るように。それでいて、どうして生きているんだろうと自問するように。

 

「……起きましたか、ガレス」

 

 静かに開いたドアからかけられる、穏やかな声。

 寝室に踏み込んだガウェインは、持ち上げられたガレスの青い顔を見て、痛ましげに眉を下げる。

 

「また、夢を見たのですか」

「ごめんなさい、兄様……早く振り切るべきだとは、分かっているんです」

 

 力なく笑って、ガレスは自分の広げた両手を見つめる。

 白魚のような美しい手。一週間前、石鹸を使って何度も何度も、赤切れが起きるまで洗った手。

 

「血の匂いが、消えないんです。こうしている今も、ガヘリスお兄様の感触が、こびり付いている気がして……」

「……辛い経験でしたね。乗り越えるには、時間が掛かって当然です」

 

 ガウェインはガレスのベッドの傍に立ち、項垂れる彼女の、小麦のような金髪の髪を撫で、それから肩をポンポンと叩く。

 

「ですが、もう一週間になります。獅子王陛下も急がないとは仰て頂いたが、それでも待たせるべきではないでしょう」

「はい。そう……そう、ですよね」

「陛下の目的を為すには、私達が必要です。私達の力と、陛下より授かりしギフトが」

 

 ギフト。それは一週間前、王が静かに告げた言葉。王に離反した円卓の騎士を皆殺しにした絶望に暮れた彼等に、眉一つ動かさずに下した指令だった。

 

 

 ――お前達に、恩恵を授ける。

 聖杯の魔力を用いた、強力な魔術だ。大抵の願望であれば、叶う事ができる。

 望みを言え。

 向かう先の困難を打破するべく、一騎当千の力を求めるか。

 それとも待ち受ける絶望に狂わない為の、精神の支柱を求めるか。

 

 

 どう使うかは自由だと言われた。決断までに、しばらくの猶予はあるとも。

 人理焼却から民を守る聖槍は、然るべき場所に建立しなければ効果を発揮しない。そして適所である聖地は、リチャード一世なる怪物によって支配されている。

 最も厳しい戦いになるだろう。その為には十全な準備も必要とされた。

 だから彼等は、聖都近辺のイスラエルから西に後退し、そこで一つの城を占領した。

 伝説のアーサー王の来訪と、円卓の騎士達の圧倒的な力もあり、大した抵抗は起こらなかった。民は最初彼等を恐れたが、怪物リチャード一世を討つという目的を聞くと、一転して彼等を歓迎し、獅子王の威光を信奉した。

 兵士の中には獅子王に付き従うと名乗りを上げるものも少なくない。彼等はランスロットにより、後のキャメロット兵となるべく鍛錬を受けている。

 食糧を揃え、兵を鍛え、周到に準備を整え聖地を奪う。遠征が開始されるまでのおよそ数ヶ月が、ガレス達に許された時間的な猶予であった。

 ガレスは顔を上げ、赤く腫れた目で兄を見上げる。

 

「ねえ、お兄様。お兄様は決められましたか? いつギフトを授かるか。ギフトに何を望むか」

「いや、私もしばらくは保留するでしょう。もう少し状況を判断したいですし……何より兄として、落ち込む弟を放っては置けませんからね。貴方の心が決まるまでは、私も傍にいるつもりです」

 

 ガレスの不安を慰めるように、ガウェインは笑って見せる。時が許すまでだが、という付け加えられた呟きが、いやに不穏な響きになってガレスの鼓膜を震わせた。

 

「何を望むか、については……そうですね……私はきっと、力を求めるでしょう。獅子王陛下の威光を我が身に宿せるような、輝かんばかりの力を」

「そう……ですか」

「何か、不安があるのかい、ガレス?」

 

 いつもの慇懃な態度ではない、砕けた調子の声。自分と、自分が殺したガヘリス……弟達だけが知っている、彼の兄としての声。

 同胞の血を浴び、大きすぎる罪を背負って尚、彼は自分に優しくしてくれる。

 その温かさに甘えるように、ガレスは自分の膝を抱き、心の内の怯えを露わにする。

 

「お兄様……私は、怖いんです」

「獅子王陛下が、ですか?」

「はい。お兄様も覚えていますよね? 元々、陛下はどこか冷たい所のある人でした。大局を見て、私達の想像できない遠くを見つめていて。そのせいで時折、理解の追いつかない指示を出す事もあった……」

 

 そこでガレスは言葉を区切り、ふるふると体を震わせる。

 

「けれど、獅子王陛下は違う。もっとずっと、遥か彼方を認識して、それしか見ていない。あの目を向けられると、私達がただの風景に、道具になってしまったように感じるんです」

 

 例えば、そう。まるで歴史書をめくるような。

 戦争も、裏切りも、略奪も、書物には起こった事実だけが記され、流れた血の多さや、そこで生きた人の心を知る事はできない。

 世界の結末を見据える獅子王の眼は、今に生きているにも関わらず、記された文字を追うよう。

 澄み切った神秘を宿す翡翠の瞳は、とうに過ぎ去った過去を傍観するように、無感動に乾いて、凍える程に冷たくて。

 

「つい、思ってしまうのです。そんな王からギフトを賜って……果たして私は、私のままで居られるのかって」

 

 ガレスは両手の爪を立て、組んだ膝にぎゅっと食い込ませる。

 今も、血の匂いを錯覚する。

 兄を貫く槍の感触が、白くしなやかな手に染みついている。

 脳裏に焼き付いた最期の顔が眠る度に浮かび上がり、悲鳴を上げて飛び起きる。

 罪の重さは、押し潰され破裂しそうな途方もないものだ。しかしそれは、同時に背負うべき十字架でもある。

 どれだけ苦しくても、重たくても、忘れる訳にはいかない。背負いながら歩かなければいけない。

 しかし、あの神々しき獅子王は、人類の消滅を見据え、騎士一人の進退など見向きもしないだろう。

 果たしてこれから先の旅路に……この美しくも脆い心が、介在する余地はあるのだろうか。

 

 

 

 

「……ガレス」

 

 弟の怯える様子を痛ましく思い、ガウェインは慰める言葉をかけようとした。

 小刻みに震える肩に置こうとしていた手が、ふと止まる。

 顔を上げる。太陽の騎士は、空気に交じる異質な雰囲気を敏感に感じ取っていた。

 

「お兄様?」

「妙な気配がする……外ですね、行ってみましょう」

 

 気を引き締めたガウェインは、霊体化させていた鎧を纏い、混乱するガレスの手を引き、中庭へと足を運ぶ。

 近づく毎に不穏な気配は肌に張り付く程濃くなり、やがてガレスの耳も、中庭から聞こえるざわめきを捉える。

 中庭に出た二人が見たのは、押し込まれたようにひしめく大群衆だった。

 城下に住む人々だった。それも市民とは呼べない、位の低い階級の。皆一様に使い古しのボロ布を身に纏い、汗の匂いを立ち込めさせている。

 多くは奴隷。または物乞いや盗みで生計を立てる浮浪者だった。狭い場所に大勢押し込まれて、あちこちで怒号が響き、小競り合いが起きている。弱弱しい子供の泣き声と、それを守る母親の声も聞こえる。

 群衆の誰も、自分たちが集められた理由を解っていないようだった。困惑と、怒号と、恩赦を期待する浅ましい声。それらが交じり合い、中庭には薄暗い異様な雰囲気が充満していた。

 

「これは、一体何事ですか?」

「あ……お兄様、あそこに獅子王陛下が」

 

 ガレスが指差す方を見れば、王城の二階、中庭を見下ろすバルコニーに、獅子王が姿を現した所だった。傍らには、赤い髪を棚引かせたトリスタン卿の姿もある。

 獅子王が姿を見せた瞬間、中庭の空気は一変する。獅子王の存在感は、雨雲を切り裂き差し込む陽光のように強烈で神々しく、集まった人々の顔を持ち上げさせる。

 

「あれは……アーサー王だ」

「本当だ! 伝説の王、ブリテンの王だ!」

「あの怪物を倒し、我々を救って下さい、アーサー王陛下!」

 

 一人、また一人と頭上の獅子王の存在に気づき、謁見の光栄に表情を輝かせる。自らの国の王でこそないが、幻の国を治めた王の伝説は誰もが耳にする所。まして王の纏う人の域を超えた神秘は、相対したものに本能的に頭を垂れさせる、暴力的とも呼べる威圧を放っていた。

 

 

 

 にわかにざわめく貧民階級を、一言も発さず、涼しい顔で睥睨する獅子王。

 一体何が始まるのだと、ガウェインも、ガレスも、眉を潜める。

 その疑問は、至極当然の反応だった。

 これから始まる光景を想像できないのは、二人がまだ正気でいる証拠だった。

 

 

 

 冷ややかに群衆を睥睨していた獅子王は、やがて静かに目を閉じ、言う。

 

 

 

「やれ」

 

 

 

 放ったのは、たった一言。

 トリスタンもまた一切の躊躇を見せず、王の指令を遂行した。

 

 

 

「――痛哭の幻奏(フェイルノート)

 

 

 

 ポロン、と軽やかな音。

 弦が震え、音を発し、それが空気を切り裂く刃となる。

 瞬間、夥しい数の斬撃が雨のように降り注ぎ、中庭に集まった群衆を細切れにした。

 王に見惚れていた顔が二つに割れる。胸から腰に掛けてを斜めに絶たれて、胴が滑り落ちる。吹き飛んだ腕が次ぐ一撃で割かれ、挽肉になるまで分解される。

 斬撃の雨は反動で血肉を天高く巻き上げ……真っ赤な血と肉の雨が、ガレス達に降り注いだ。

 

「……え?」

 

 ガレスの喉から、ようよう絞り出すように、呆けた声が漏れる。

 自分が浴びる鉄臭い雨が何なのか、まだ理解が追い付かない。真っ赤に染まった中庭にびちゃびちゃと水っぽい音を立てて落ちる、瑞々しいピンクや白のそれを、正しく認識できない。

 肌にべっとりと張り付いたそれが何なのか、考える事を放棄する。

 現実味を失い遠ざかった聴覚が、泣き叫ぶ悲鳴を捉える。

 大半が何が起きたかも分からず絶命した中、生き延びた者もいた。

 悍ましい量の血だまりの中、千切れ飛んだ片腕を押さえ絶叫する男がいた。

 胴から上だけになって横たわり、血の海で溺れかかる男がいた。

 動かなくなった我が子の頭を抱いて発狂する母親がいた。

 血の雨に全身をびしょ濡れにしながら、悲痛に泣く子供の姿もあった。

 絶望の中、生き残ってしまったという幸運。それもまた、トリスタンの放った二撃目の雨で、形も残らず消え失せた。

 

「――」

 

 むせ返る程の生臭い雨に打たれながら、ガレスはブルブルと震える手で、頬に張り付いた物を摘まむ。

 痙攣した指に挟まったそれは、脛毛の生えた腿の皮膚だった。脂肪の黄色が混じった皮膚の裏側を目にし、誰とも知らないそれを取り落す。

 その軌道を目で追い、真紅に染まった草原を見下ろし。

 ころんと転がってきた幼児の片足に、ガレスの精神は限界を迎えた。

 

 

「っ――ぅ、げっ。げぇぇぇぇぇぇ!」

 

 

 ガレスは膝を折り、人の破片に嘔吐した。酸っぱい胃酸が滝のように零れ落ち、ガレスの喉を焼く。胃袋が殴りつけられるように何度も収縮し、喉を締め付ける。

 胃袋の中身を全て吐き出しても、不快感は止まらない。ずたずたになった神経は立つ事すら拒否し、ガレスは膝を折り血しぶきを巻き上げる。

 

「えっ――げ、ぇ――か、かぁっ――」

「ガレス! しっかりしろ……ガレス!」

 

 兄が背中を抱いてくれなければ、そのまま止まないえずきに喉を詰まらせて窒息したかもしれない。けれどどれだけ兄が声をかけてくれても、折りたたまれた身体に力は入らない。胃酸も全て出し尽くした胃袋が引き絞られ、粘つく胆液がガレスの小さな口に糸を引く。

 強烈な不快感にえずき続けるガレス達。その前に、トリスタンが降り立った。棚引く赤い髪を更に真紅に染め上げ、一息に数百人を殺しながら一切崩れない涼しい顔で、二人を見下ろす。

 

「おや、ガウェイン卿にガレス卿。もう調子は戻られたのですか?」

「トリスタン卿……」

 

 蹲るガレスを抱きながら、ガウェインはギリと歯を食い縛り、唸る。トリスタンを見上げるその目には、勇士たる義憤がありありと燃えていた。

 

「何だ。貴方は今、一体何をしたのですか……!」

「……私は哀しい。貴方程の方が、そんな短絡的な怒りを覚える事に、少なからず落胆してしまう」

 

 トリスタンの言葉は平坦に流れる。太陽の騎士の憤慨を前にして尚、トリスタンの心は氷山の如く冷え切っていた。

 ポロン、と、血みどろの中庭には不釣り合いな美しい音を奏で、トリスタンは言葉を続ける。

 

「何をしたか……あの日此方側についた時から、こうなる事は承知でいた筈です、ガウェイン卿」

「獅子王陛下の、用命ですか」

「ええ――掃除です。人理崩壊を凌ぐ上で、無駄にしていい時間などありません」

 

 トリスタンが語るのは、この悲劇の始まり、召喚された円卓の騎士達に、獅子王が説明した事。

 聖地イェルサレムに建立した聖都に、選ばれし民を匿い焼却を逃れる、罪深く悍ましい最善策。

 

「正式な聖罰は、聖都を建立してから行われる。しかし、人は多い。余りに多い……救うに値しない下衆に限っても、それこそ掃いて捨てるほどに」

「だからと言って、これは……!」

()()()()()()()() ああ、ガウェイン卿。私は哀しい。獅子王に従う意を示し、仲間を手に掛けた。その穢れきった手と心で、今更何を躊躇うというのです」

 

 またポロンと琴を爪弾く。トリスタンの心は、奏でられる音色と同様に美しく澄み、それでいて余りにも残忍なものに変貌していた。

 言葉を失い、固まるガウェイン。その手を置かれたガレスが、また小さく身じろぎを始める。

 

「っく、ひ……ひぐっ、うぇ、えぇ……!」

 

 息も絶え絶えな、嗚咽。浴びた血を含ませた赤い涙が、血と胃酸の水たまりにぽたぽたと落ちる。

 打ちのめされた弟を見て、放っておける兄ではなかった。ガウェインは弱り切ったガレスの肩を抱き、中庭に背を向ける。

 

「覚悟は決まっている筈です、ガウェイン卿……後は、いつ剣を抜くかだけなのですよ」

 

 ポロンという琴の音と共に、背中に掛けられる声。

 振り返れば、バルコニーに立った獅子王が、ガウェイン達を見下ろしていた。

 目の前で起こった惨劇を全て目撃して尚、その目は一縷も曇りのない、畏れを抱かせる神々しさで、ガウェインの心の遥か最奥までを見透かしていた。

 

 

 

 

 

 獅子王の眼から逃げるように走り去り、人気のない城の裏手まで来ると、台所に繋がる小さな用水路の傍に、そっとガレスを降ろす。

 

「ガレス……ガレス。気をしっかり持ちなさい」

 

 ガウェインが顔を覗いた時、ガレスは既に心神喪失の状態にあった。肩を揺すり、昏い目に強引に光を戻すと、またその場に体を折り畳み、喉をしゃくり上げる。

 見ていられない、余りにも痛ましい弟の嗚咽は、何分も何分も、止むことなく続く。その間ずっと、ガウェインは彼女の背中をさする事しかできなかった。

 喉から何もでなくなって、ようやくガレスは喘ぐように呼吸を始め、それからぽたぽたと、雨のように涙を落とし始める。

 

「お兄様……私、あれ、あんなのって……そんな……!」

「思いつめるな、ガレス。貴方のせいではありません」

「母親も、子供も居ました。なのに皆、一瞬で……あんまりです。惨すぎます、あんなの……!」

「……」

 

 凍えるように体を抱き、蹲るガレス。

 ガウェインはかける言葉を探せなかった。

 酷いとも、許せないとも言えなかった。打ちのめされる弟を慰める事はできても、トリスタンの行いを非難する事は決してできなかった。

 人理を守るため、人類の大半を敵に回す。それが獅子王が示し、彼等が選んだ路だ。

 トリスタンの言葉は、揺るぎなく確信を突いていた。中庭で起きた出来事は、いずれどこかで、必ず起こるべき惨劇、それのほんの序章に過ぎない。

 その事を、ガウェイン自身が重々承知している。だから、ガレスに声を掛けられない。心配ないとは言えない。

 

 

 

 泣きじゃくるガレスの傍で、どうしたらいいか分からず途方に暮れる。

 その時、鎮痛な空気に割り込む、ガシャンと重たい鎧の音。

 それと同時に、新たに漂う、鼻が曲がる程の強烈な血の匂い。

 顔を上げた先には、真っ赤に染まった剣を肩に担ぐ、銀甲冑の夜叉が居た。

 

「モードレッド卿……」

「よお。奇遇だな、クソ兄貴」

 

 吐き捨てるような暴言は、いつもより遥かに獣じみている。

 

「テメエ等も仕事終わりか? ボーっと黄昏てるなら、先に沐浴させてもらうが」

 

 獰猛な、興奮を滲ませた声。それと同時に薫り立つ、強烈な匂い。

 モードレッドの全身は、ガウェイン達に勝るほど劣らない、悍ましい量の血を浴びていた。

 

「貴方……その血は、何をしてきたのです?」

「あァ? んなモン決まってる、獅子王陛下の勅命で、村を一つ滅ぼしてきたんだよ」

 

 懊悩に剣で肩を叩くと、乾いた血がパリパリと剥がれて灰のように散る。

 幾重にも積み重なり、グラデーションを見せる赤い色。

 乾いた血の上から更に血を浴び、それを何度も繰り返す事で産まれた色。

 それはモードレッドが行った凄惨極まる殺戮を、何よりも雄弁に物語っている。

 何百人を斬れば、それほどの返り血を浴びられるのか……戦慄するガウェインに、モードレッドは苛立たしげに唸る。

 

「何だその目。テメエ等も似たような恰好しておいて、まるで咎めるみたいじゃねえか……って」

 

 そこまで言ってモードレッドは、ガウェインが抱くガレスの存在に気付く。

 蹲り、雛鳥のように震えるガレスを見て、モードレッドはおおよその状況を察した。

 

 

 

 

「……へん」

 

 その上で彼女が放ったのは、嘲笑。

 次の瞬間、モードレッドは赤雷を吹き上げながら飛び掛かり、血染めの剣をガレスに向けて振り下ろした。

 ギィン! と目覚ましい金属音。瞬時に剣を抜いたガウェインが、モードレッドの鬼神の如き特攻を受け止める。

 触れあった鋼がチリチリと鳴り、火花が散る。

 本気の鍔迫り合いだった。殺す気の一撃だった。

 

「貴様……何のつもりだ、モードレッド卿!」

「そりゃこっちのセリフだ腰抜け共が! 獅子王の膝元で、メソメソと醜態を晒しやがって!」

 

 大上段に振り下ろした剣に更に力を籠めながら、モードレッドは真っ赤に濡れた兜を展開する。

 曝け出された顔に浮いていたのは、狂気。

 瞳孔は小さく窄み、唇を割ける程に吊り上げている。牙を見せびらかす笑みは、内から迸る怒りに完全に塗り潰されていた。

 

「血を浴びる覚悟もねえ奴は、居たって邪魔だ! べそ掻いて泣きじゃくるんなら、今この場でオレが殺して、テメエの分のギフトを貰って、更に暴れてやる! そうすりゃ獅子王だって、オレに眉の一つくらいは動かしてくれるだろうさぁ!」

「が――あぁ!」

 

 油断すれば、首筋を食い破られかねない。それほどの鬼気迫る様相で、モードレッドは吠える。

 ガウェインは体格差に物を言わせて、モードレッドを振り払った。

 着地したモードレッドは、赤雷を吹き出し獣のように唸りを上げたが、未だ蹲るガレスと、彼女を庇うように立つガウェインを見て、やがて炎のような闘志を吹き消した。

 

「……けっ」

 

 興醒めだ、と言外に語り、モードレッドは心底見下げ果てた、侮蔑を籠めた目でガレスを見下す。

 

「下らねえ。苛つくぜ。誰を殺めようと、今のテメエに泣く資格があると思ってんのか?」

「……」

「覚悟がねえんなら、今の内に死んどけ。テメエの為にも、世話焼きな兄貴の為にも、それが最善だ」

 

 容赦のない罵声を浴びせて、モードレッドは血濡れの体で王城へと入って行った。

 後にはただ、言いようのない重苦しい静寂だけが残る。

 抜いた剣を鞘に納める事さえ忘れて、ガウェインは茫然と立ち尽くす。

 空気に交じる濃密な血と死の香りが、彼等が踏み込んだ、後戻りできない悪逆非道の旅路が、いよいよ始まった事を静かに告げていた。

 

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