愚かなわたしに、罰を与えてくださいませ   作:オリスケ

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第2話

 

 

 無駄にしていい時間は一つとしてない。

 そう口にする事こそなかったが、獅子王の施政は極めて迅速で、同時に徹底的に慈悲を欠いていた。

 近隣の村を焼いては資源を簒奪する。鉄を奪い武具を作って兵力を蓄える。聖都建立に先んじて行われている聖罰では、日に数百人、時には千を超える民が集められ、血の雨を降らせていた。

 

 あらゆる場所で虐殺が起きた。兵に志願する者や、選定されるべき無垢な民を除き、誰も生かすなという命が降りた。

 その指令にどこまでも忠実に、円卓の騎士は己の足を動かし、剣を振った。

 無慈悲に、機械的に、心など要らぬと吐き捨てるように。

 止まる事は許されなかった。一切の躊躇なく、進み続ける他なかった。

 ただガレスだけが、刃を握る事を拒否し、一度も戦場に出る事をしていなかった。

 

 

 

 

 王城の裏手に位置する、厨房。

 数十人が一同に入る事ができる、とても広い空間だ。本来ならばそこは王家の腹を満たし来賓を歓待する為に、大勢の調理師や給仕が一同に介し、熱気や活気と共に美味な香りを運んでいる事だろう。

 そのあるべき筈の喧噪は、一つとして残っていない。

 浮浪者や下級市民の選定を終えた獅子王の眼は、とうとう城の勤め人や町人にも向けられた。罪のない民が躊躇いなく殺され、恐れ戦いた民は一人また一人と逃げ出した。この街の人口は、もう当初の半分を切ろうとしている。

 火も焚かれていない厨房は薄暗く、人っ子ひとり、鼠一匹の気配さえない、廃墟も同然の寂しさを湛えている。

 

「……」

 

 ガレスは一人、無言で皿洗いに勤しんでいた。

 銀の食器を桶に溜めたきめ細かな砂に浸け、食べ滓や油汚れを落とす。別の桶に張った水に浸けて砂を落とすと、曇りの残らないようシルクで磨く。それを延々、繰り返す。

 さざ波に似た零れる砂の音。シルクで磨く時のきゅっきゅという小気味いい音。だだっ広い厨房に、それらは泣きたくなるくらい寂しく響く。

 

「……」

 

 桶に溜めた砂に手を差し込むと、水のようにサラサラと波打ち、指の隙間をすり抜けていく。

 何も起こらない静寂。このままずっと続けばいいのにと、夢見心地に似た暗い気分で、砂を掻き、手を引き上げ。

 

 

 

 その手が、血で真っ赤に染まっていた。

 

「ひっ――!?」

 

 悲鳴を上げ、食器を取りこぼす。銀食器が床を叩き、耳に痛い激しい音を反響させる。

 喘ぎながら己の手を見れば、そこには真っ白な自分の手があるばかり。

 血の赤は、錯覚だ。

 当たり前だ。槍も握らず、こんな場所に引き籠っておきながら。

 

「汚れる訳がないじゃないか……馬鹿だなぁ、私」

 

 絞り出すような、力ない微笑。それが広い厨房に溶けて消えた頃に、石畳を打つ靴音。

 

「またここに居たのですか、ガレス」

「あ……お兄、様」

 

 入口に立った兄が、硬く張りつめた声で呼ぶ。

 ガレスは笑いかけようと顔を上げるも、彼の鎧に付着した血糊が目に入り、すぐに砂桶に視線を逃げさせた。

 弟の怯えた目の動きを見て、ガウェインは沈痛げな表情で話を切り出した。

 

「……ランスロット卿が、ギフトを受け取りましたよ」

「……そう、ですか」

「ギフトが無くとも、彼の覚悟が揺らぐ事はなかったでしょうが……良心の呵責があっては、王の期待に応えられないと判断したのでしょう」

「ランスロット卿は……今、何をなされて……?」

「王の命を、忠実に遂行していますよ……それ以上は、聞かない方がいい」

 

 俯いたガレスの顔に、更に暗い影が落ちる。

 ランスロットがギフトを受け取った。王に仕える覚悟を決めた。ガレスにとってそれがどれ程大きな影響を与える出来事か、兄であるガウェインは良く知っている。

 窒息しそうな程に、重苦しい沈黙。少しでもそれを紛らわそうと、ガレスの手が、積み重ねられた皿を手に取り、砂桶に漬ける。

 

「……昔の事を、思い出していました。お兄様を追いかけてキャメロットの門を叩いたのに、ケイ卿に厨房働きを命じられて、そんな綺麗な手で槍を持てるのか、なんて茶化されて」

 

 英霊として受けた二度目の生に於いても、昨日の事のように思い出せる。懐かしい、輝かしい思い出。

 

「こんな感じの厨房で、じゃぶじゃぶお皿を洗いながら……必ず騎士になってやるって思ってました。お兄様やランスロット様と共に戦える、立派な円卓の騎士になるんだって」

「……」

「お兄様と肩を並べたかった。ランスロット様の背中を追いかけたかった。共に、王のお役に立ちたかった……私は、最後まで、皆さんと一緒に居たかったんです」

 

 心から願っていた夢。叶う事の無かった願い。

 結局円卓は離反し、最愛の兄とランスロットは決定的に決別した。

 ランスロットはブリテンの明確な敵となり、ガレスもまた対立を余儀なくされた。

 けれど彼女は、選べなかった。王に背く事はできず、けれども敬愛するランスロットに刃を向ける事もできなかった。

 だからガレスは死んだ。

 武器も持たずに立ちはだかって。狂人と化したランスロットに無残に頭部を砕かれて。

 

「召喚された時……私の願いが、叶うと思いました。お兄様も、ランスロット様も、陛下を裏切るような行いはしないと分かっていたから」

 

 最愛の二人と、肩を並べて戦える。愚かにもガレスがいの一番に思い浮かべた事は、そういう楽観的な希望だった。

 王の側に立ち、地獄の道を進む険しさを、ガレスは己の甘い考えでごまかした。兄を、民を殺す覚悟なんて、その実ちっともできていなかったのだ。

 

「ねえ、お兄様……陛下の行いは間違っていると……そう思う事は、罪でしょうか」

 

 震える声でそう言って、ガレスは兄を見つめる。その手で民を殺してきたばかりの兄を。

 揺れる瞳に見据えられたガウェインは鎮痛に顔を伏せ、乾いた血のこびり付いた拳を握る。

 

「……否定は、しませんよ。思いやりを向けられるのは、貴方の美徳でもあるし、何より我々の行いは、善行では決してない」

 

 言いながら歩み寄り、ガレスの隣に並ぶ。

 膝を落とし目線を低くして、弟の瞳を覗き込む。

 

「けれども、ガレス。貴方が抱くその心は、これから先、貴方に苦しみ以外をもたらす事はないでしょう。美しい輝きは、すぐに貴方自身を焼き焦がす熱になる」

「でも……でも、こんなのおかしいです。民を守る、何か他の方法があるのでは……」

「無いのですよ、ガレス。獅子王陛下は、幾百年もの間悩み続け、この答に辿り着いた。我々が思い描けるような淡い希望は、とうに陛下が思案し、破棄されているでしょう」

 

 言葉は優しくも、固い。聞き分けのない子供に言い聞かせるように、ガウェインはガレスの肩に手を置き、瞳を覗く。

 

「誰もが助かる都合のいい道なんて、ありはしない……そして、そんな方法が仮にあったとしても、もう手遅れなのです。陛下はもう行動を起こされた。我々は、陛下に従うと誓ったのですから」

「でも……でも……!」

「いけませんよ、ガレス……その心は、優しさは、陛下に対する裏切りに他ならない」

「っ……!」

 

 言い聞かされるそれは、感情や道徳よりも優先されるべき、王への忠誠と決断に対する責任。

 兄の大きな手で両肩を掴まれ、議論の余地のない正論をぶつけられ、ガレスはぎゅっと唇を噛んで項垂れる。

 溢れそうな感情を必死に堪え、涙が零れないようにするのが精いっぱいだった。

 

「分かってる……みっともない駄々だって、分かっているんです。けれど私は、できない。例え心をギフトで塗り潰したとしても、あんな行い……わたし、私、一体どうすれば……!」

「……ああ、ガレス」

 

 とうとう堰を切って流れ出した涙を、ガウェインは彼女を抱き締める事で覆い隠した。弱弱しく震える肩を叩き、耳元に静かに囁く。

 

「大丈夫ですよ、ガレス。私が居ます。ランスロット卿も付いています。陛下だって、貴方の忠義を讃えてくれる筈です」

「っう……うぅ……!」

「頑張りましょう、ガレス。私達が必ず、貴方を傍で支えますから」

 

 優しい言葉を囁いて、兄としてあらん限りの愛情をガレスに与える。

 

 

 

 ――けれど彼は、決してガレスを肯定しなかった。

 逃げていいとも、ガレスは正しいとも、一言も言わなかった。

 兄の決意はとうに鋼のように硬く、無機質な冷たいものに変貌していた。

 ガレスがどれだけ嘆いても、時は戻らない。彼女が選んだ決断は覆らない。

 槍を握らないという選択を、運命は決して許しはしなかった。

 

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