草木の少ない痩せた平原を、三頭の馬が駆けていく。
戦闘をひた走る馬に跨るは、紅蓮の装飾を誂えた銀鎧に身を包む、叛逆の騎士モードレッド。その身に授かった『暴走』のギフトを体現するように、一秒でも早く暴れさせろと言わんばかりに荒々しく馬を駆る。
「……」
それに遅れを取らないよう必死に追い縋りながら、ガレスは内心で、今すぐに引き返したい衝動と必死に葛藤を繰り広げていた。
「大丈夫ですか、ガレス」
隣に併走するガウェインが問う。
彼はモードレッドの後を追いながら、弟のガレスの動向を常に注視していた。恐らくは、逃げ出さないように。
「ええ。大丈夫、ですよ。お兄様」
「現界して初めての遠征だ、緊張するのも無理はない……でも、心配ありません、今日は私が援護についていますからね」
心強い兄の鼓舞。胸の内の蟠りが彼女の心に起因するものだと知っていながら、ガウェインがそれに言及する事はない。
そこに静かな隔絶を感じながら、ガレスは兄に曖昧な笑みを返す。
ケッと吐き捨てるような嘲笑が、彼女達の前方からかけられた。
「兄妹仲睦まじくて結構なこった。友誼を引き摺って、オレの足を引っ張るんじゃねえぞ」
先頭を走るモードレッドが獣のような眼孔で振り返り、それから手にした剣で、見えてきた目的地を指し示す。
「あの村の殲滅が、此度の王の命令だ。備蓄している食料の献上を、不遜にも拒否しやがった」
「皆殺しですか?」
ガウェインの静かな問いに、モードレッドは「当然」と牙を見せ笑う。
「既に王は民を観察し、『残す価値なし』と判断なされた。ならやる事は一つ――収穫だ。備蓄を手に入れ、足元にたかる害虫を駆除する」
目的の村が目前まで迫ると、モードレッドは兜を展開させて全身を覆い、一も二もなく馬を蹴って宙を跳ぶ。
「獅子王の威光は、オレが知らしめる! 腰抜け二人は、外でオレの食い滓でも啄んでな!」
獰猛に吼え立ち、紅い魔力を纏った姿が村の中心に落ちていく。
すぐに紅光が瞬き、炎と悲鳴が立ち上る。蚊の鳴くような小さな音でさえ、ガレスの胃をきゅっと鷲掴むようだ。
「全く、手綱のつけようがない暴走ぶりですね――外周を回り、村の囲いに火を放ちます。逃げ道を塞ぎますよ……いいですね、ガレス?」
「っ……は、い」
淡々としたガウェインの指示に応えて、二人もまた速度を上げる。
火を放つのはガウェインの役目だった。太陽の騎士たる力で以て、たちまち炎の輪で村を囲む。
火を付けて回る間も、村のあちこちで輝く光と、つんざくような悲鳴が聞こえていた。男の絶叫も、女子供の金切声も、分け隔てなく。
その大半が……否、全員が、本当は今日死ぬはずのない、無辜の民だ。それを知っていながら、ガウェインは逃げ道を塞ぐ火を放つ。ガレスはただ、その背中を眺めつづける。
ガウェインの火は留まる所を知らず、モードレッドが打ち壊した家々に引火し、やがて村中を巻き込む大火になった。
世界はたちまち橙色に染まり、吹き上がる熱風が、人々の悲鳴をかき消してしまう。
炎の円が唯一途切れている、村の正門に当たる場所に二人が戻ると、ちょうど惨劇を生き延びた数人の村人が、血と炎に囲まれた道をひた走ってくる所だった。
「あ、あ、あぁぁ――助けてくれ! 助けてくれぇぇぇ!」
先頭を走っていた男が、とうに理性を失った声を上げて、ガウェインの膝に縋り付いた。悍ましい恐怖を目撃した顔は、見るも無残に崩れている。
「悪魔が! 悪魔が現れて、村の皆を襲ってるんだ! 誰彼構わず、嗤いながら殺しまわってる!」
「……」
「なあ、あんたは騎士様だろ? お願いだ、皆を助けてくれ! 頼むよ!」
一体その目で、どれだけの惨劇を目撃したのか。半狂乱状態で、藁にもすがる思いでガウェインの足に縋り付く男。
だが、しかし。
「ああミスター、大変申し訳ありません……私も悪魔の一人なのです」
ガウェインは静かに瞑目し、茫然とする男の首を跳ね飛ばした。
凍り付かせた表情の生首が、燃え盛る炎の中に消える。ガウェインは無慈悲に足を払い、足首を掴んでいた死体も、頭の後を追って炎に蹴り入れる。
ガウェインの姿に救いを求めていた数人も、瞬時に表情を凍り付かせ、悲鳴と共に逃げ出した。どこにも逃げ場が無い事には、愚かにもまだ気付けていない。
「少し前に出ます。後ろは任せましたよ、ガレス」
恐怖の悲鳴を一身に浴びて、ガウェインは返事も待たずに飛び出していく。
その剣の煌めきは、円卓の騎士を名乗るにふさわしい鮮やかさ。どんな強敵にも立ち向かい、困難を打破してきたその力が、何の力も持たない民に向けて振るわれる。
その剣戟は、美しくさえあった。圧倒的な殺戮は、何か神話の一幕を目撃しているようでさえあった。
ガレスが言葉を失う間にも、逃げ惑う悲鳴がどんどん大きくなっていく。炎に囲まれた住人達が、唯一の活路と見て、この通路に穴の開いた水槽のように押し寄せてきているのだ。
「モードレッドめ……敢えて打ち漏らして、私達に差し向けましたね」
悪趣味な腹違いの弟に舌打ち一つ。ガウェインは血の滴る剣を再び構え、粛清の刃を奔らせる。
辺りを炎に囲まれ、鬼が暴れまわり、唯一外に繋がる道には別の鬼。
無慈悲で、徹底的な死の授与。
「あああ、うわああああああ! いやだいやだ、嫌だぁぁぁぁ!」
「死にたくない、死にたくない死にたくないぃぃぃぃ!」
村人はたちまち狂乱し、溺れながら水面を目指してもがくように、ガウェインの立つ通路に、大挙して押し寄せてきた。
無論、どれだけの人数が暴徒として襲い掛かろうが、太陽の騎士の前には塵も同然。ガウェインは少しも怯むことなく、迫る村人を斬り伏せていく。
首を跳ね、腰を断ち、あるいは足を切って炎の中に放り込む。そのいずれも振るうは一太刀。
武器も持たない無辜の市民を、それこそ埃でも払うかのように、淡々と。
炎の爆ぜる音に、悲鳴と、命乞いと、断末魔が重なり合う。
「……」
ガレスは、ただ、兄が人を殺していく様を眺めていた。
やめろと言う事は許されず、かといって助太刀をする勇気もなく。
ただ、血を滴らせる剣を握った、焔に照らされる背中に、言いようのない畏れを抱き、瞼を強張らせるばかり。
ガウェインは剣に魔力を宿し、それを炎として、一斉に飛び掛かった十人ばかりを薙ぎ払った。生皮を炙られる音と激痛に、けたたましい悲鳴が重奏になって響く。
「ああ、うわぁぁぁぁぁ! くそ、くそぉ! 死んで堪るかぁぁぁぁぁっっっ!」
その地獄から、絶叫と共に一人の男が飛び出した。
衣服と体のあちこちに炎を纏わせ、もんどりうつようにしながら、それでも死にもの狂いで逃げてくる。
「ガレス!」
兄が自分に檄を飛ばす。逃げる男が自分を見つけ、絶望にさっと顔を青ざめさせる。
その感覚が、やけに遠い。槍を手にした腕が、足が、石像のように動かない。
固まるガレスの前で、男は絶望に染まっていた顔を、次第に憤怒に変えていく。
「ふ……ざ、けんな。ふざけんなぁぁぁぁ畜生ぉぉぉぉぉぉぉ!!」
絶望と怒りでぐしゃぐしゃになった顔で咆哮し、男は燃え立つ体でガレスに飛び掛かった。
腰も入っていない、殆ど転がるような、みっともなく無様な姿勢。
本来なら恐るるに足らないそれは、けれどもガレスにとって、悪夢が形を為して襲い掛かってきたような恐怖を覚えさせる。
結局ガレスはあっけなく押し倒され、大地に強かに背中を打ちつける。
「っ――!」
「なんだ、何なんだよお前等は! いきなり現れて、俺たちの村を焼いて……ッ俺の兄も、妻も! 子供も! みんなみんな殺しやがって!」
馬乗りになった男の顔から、煤混じりの涙が落ちる。胸倉を掴む手はガウェインの炎に焼かれ、殆ど炭化していた。
「ッ俺の子供はなぁ、やっと両足で立ったばっかりなんだぞ! それをアイツは……っあの悪魔は、頭から踏み潰しやがった! どうしてくれんだ! こっちはまだパパとも呼ばれてねえんだぞ!」
「っ……」
「なあ、何で殺した? 普通に生きてた俺たちを、どうして殺す必要があった? テメエ等に心はねえのか!? オイ何か答えろよふざけんなよ! 俺の幸せを返せ! 返せぇぇぇぇぇぇぇ!!」
炎に焼かれた腕で掴まれ、凄まじい力で揺さぶられる。悲痛な絶叫が鼓膜を震わせ、魂を揺さぶり、ガレスの心を千切れる程に引き絞る。
金縛りにあったように身体が動けない。炎に塗れた男の、憤怒に満ち満ちた顔が、悪夢に見るガヘリスに重なる。
呼吸が荒くなり、瞳孔が窄まり、このまま自分も火に焼かれ燃やされるのではと恐れを抱いた、その時。
「がぺっ」
男の絶命の音は、ひき蛙の鳴き声に似ていた。
吼え立つ男の喉が縦に割けて、血に濡れた切っ先が飛び出した。声にならない空気が裂け目から飛び出し、滝のような血がガレスの胸に落ちる。
狂気の面を張りつかせたまま、男はぱたりと息絶えた。だらんと垂れた手が、喉を貫いた剣によって引き上げられる。
「ガレス、大丈……」
男の死体を放り投げたガウェインは、弟の顔を確認し、息を詰まらせる。
ガレスの窄まった瞳孔は、ガウェインが投げ捨てた男を追いかけていた。首筋からだくだくと血を零す男は、やがて身体に灯っていた火に全身を覆い尽くされ、黒焦げの炭へと変貌していく。
呆然とそれを眺める表情には……限界まで張りつめた弦のような、今直ぐに喉を掻ききっても何らおかしくない危うさを感じさせた。
「――ガレス」
「ひっ……」
再びの呼びかけでガレスが浮かべた表情は、怯え。
以前トリスタンの非業に大して嘆いていたあの顔が、今自分に向けられている……それに気付いたガウェインは、差し出そうとしていた手を仕舞った。
「……もう大丈夫だ。後は、私に任せるといい」
淡々と言って、ガウェインはガレスに背を向ける。
血染めのマントが棚引く。剣が大地に滴を落とす。
悲鳴はまだ、僅かながら響いている。
死ぬはずの無かった、けれど決して今日を生き延びる事を許されない民を屠るため、ガウェインは立つ。
その背は、死の炎の中でさえ、太陽のように気高く凛々しく。
兄が悪魔と呼ばれる覚悟を固めた事を、ガレスは確かに理解した。