愚かなわたしに、罰を与えてくださいませ   作:オリスケ

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第6話

 

 

 コツ、コツという澄んだ靴音。

 徐々に近づくその音だけで、洞穴の陰鬱な空気が、熱風を当てられたように吹き飛んでいく。充満していた血の匂いが、遙かに強烈な神性によって清められていく。

 やがて牢獄に現れた獅子王を、ガウェインは恭しい一礼でもって出迎えた。

 

「獅子王陛下。このような場所までご足労を――」

「世辞はいい。貴殿の働きにより、事前の聖罰も滞りなく行われている。貴様の頼みであれば、どんな事でも徒労にはなり得まい」

 

 刃のように研ぎ澄まされた声が、陰気と絶望に満ちた拷問室でさえ凜と響く。

 獅子王が現れた瞬間、彼女の存在に空気が塗り潰された。

 血に濡れた拷問器具でさえひっそりと息を潜め、獅子王の言葉を聞き入るようだった。

 人も、物も、洞穴にこびり付いた苔の一片でさえも。

 あらゆる物が、獅子王に対しての畏怖を覚えていた。常理を逸脱した途方もない威圧に、押し潰されんばかりだった。

 

 

 獅子王は、輝く翡翠の瞳で空間をツウと眺めて、そうして部屋の中央を睥睨する。

 宙吊りから解放されたガレスが、死にかけの子犬のように地に蹲っていた。余すところなく傷つけられた裸体を掻き抱き、団子虫のように小さく身を丸めている。

 獅子王の威圧に晒され、顔を上げる事は愚か、指の一つを動かす事さえできない。ただ怯え、ブルブルと身体を振るわせている。

 惨めな傷だらけの身体のどこにも、誇りなどない。ガレスは人間の尊厳すらも失っていた。

 

「――ガレス」

「っ――!?」

 

 ガウェインの一声で、ガレスの全身に、電撃のように恐怖が走る。

 考えるより先に、身体が動いていた。

 ガレスは飛び起き、激痛に悶えながら身体を折り畳んで獅子王に土下座した。

 縛られて紫に膨れた指を揃えて、額を擦りつける。

 露わになった背中は、形容すらできないほどに、ずたずただった。何重にも切り裂かれた皮膚は捲れ上がり、ほつれた毛糸のように絡まって隆起している。剥き出しになった生肉に更に鞭を打たれ、一部は骨さえ覗いている。

 己の血と排泄物の染み込んだ床を舐めるように顔を押しつけ、ガレスはようよう言葉を絞り出した。

 

「っも……申し訳、ありませんっ……わが、王……!」 

 

 延々と鞭を打たれ、摺り下ろされた背中を露わに、生まれたての子鹿のように震えて、ガレスは謝罪する。

 

「わたしが、間違っておりました……不覚悟により、王の意向を、損ねました……! 度重なる不忠、恥ずべき愚行で、ありました……!」

 

 喉から振り絞る言葉が、果たして本心かどうか、もう自分でも分からない。

 己なんてもう残っていない。

 背中が焼けるように熱い。『痛い』が体のぜんぶを覆っている。

 

 

 心は――さっき、兄に砕かれた。

 

 

「お許し、ください……! もう逆らいません。もう抗いません。だから、どうか、どうか……!」

 

 

 痛くて。嫌で。

 苦しくて。虚しくて。

 嫌で。嫌で。もう嫌で嫌で嫌で。

 

 

「どうか――これ以上、わたしを壊さないでください……!」

 

 

 逆らう気力は微塵も残っていなかった。靴を舐めろと言われれば舐めたし、痛くされないなら純血だって捧げた。

 プライドも人間としての尊厳も何もいらない。

 自分の甘えた騎士道なんて、ゴミの価値さえ在りはしない。

 受けるべくして受けた罰だった。壊れるべくして踏みにじられた心だった。兄がそれを、完膚無きまでに知らしめた。

 

 

 土下座をするガレスに、冷ややかな目が注がれる。

 あの時ガレスは確かに、ガヘリスを殺し、この超常を讃えた翡翠の眼を選んだのだ。

 もう、逃げられないのだ。

 頭を垂れて許しを請う以外にないのだ。

 運命の茨が、自分を捉えて放さない。

 冷ややかに睥睨していた王が、冷たい声でガレスに言う。

 

「――貴殿に、ギフトを授けよう」

「っ……!」

「聖杯の恩寵だ。我等を祝福し路を斬り開く聖なる器に、我が剣として何を望む、ガレス卿」

 

 傷だらけの身体も、無様な土下座も、ずたずたのプライドも、全てを無視して王は語る。

 畏怖に、全身が震える。鬱血した指で大地を引っ掻き、ガレスは声を絞り出した。

 

「……何でも、します。貴方に、忠誠を……誓います……!」

 

 ただただ怖くて。逆らう気力が起きなくて。

 血塗れの背中を晒し、額を擦って哀願する。

 

「っ……これ以上、穢れたくありません。どうかわたしのみじめな心を、これから先の罪から護ってください……!」

「――心得た」

 

 プライドも何もない願いにも、王は一切の反応を見せなかった。

 ふわり、と空気が脈打つと、王の手に煌々と光を放つ聖杯が握られる。

 

「これより貴殿を、正式に聖都の騎士に任命する。清濁の区別なく刃を振るい、人理を護る刃たれ、サー・ガレス」

 

 凜とした声が降り注ぐ。

 最後までガレスは顔を上げられなかった。

 寄る辺を失い打ち拉がれたまま、聖なる光がガレスを包み、後戻りのできない地獄へと彼女を引き摺り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ガウェイン卿」

 

 地下深い牢獄を抜け、外に出て直ぐの広間。

 実に数時間ぶりの日光を浴びるガウェインを、ランスロットが呼び止めた。湖の騎士は、ガウェインの鎧に付着した血を見てそっと表情を曇らせる。

 

「その、ガレスは……」

「委細問題ありませんよ。これで彼も、己の行いを恥じ入り、王に仕えることでしょう」

 

 言葉を詰まらせるランスロットに、笑顔で返すガウェイン。日差しを受けて、ガレスと同じ小麦のような髪が輝いて見える。

 

「貴殿にも迷惑をかけましたね。不肖の弟が、無礼をいたしました」

「……無礼では、無かったよ。ガレスの志は、我々が持つべき騎士道ではあった」

「ええ、そうでしょう。ですが我々は最早、世に誇るべき騎士ではない。ガレスはそれを受け入れられなかったのでしょう」

「……」

「純朴で、真っ直ぐな子ですからね。昔から、曲がった事が大嫌いでしたから……貴方も覚えておいででしょう、ランスロット卿。意固地になったガレスを説得する事は、試合であなたに勝利するほどに難しい」

 

 世間話のように、ガウェインは語る。

 昔を思い出すその微笑は、少なくとも弟の血を付着させながら作る笑みではない。

 拭いきれない異質に、ランスロットの表情が強ばる。僅かな戦慄を見抜き、ガウェインは更に微笑みを深くした。

 

「貴方がよければ、しばらく弟の傍にいてあげてください。慕われている貴方であれば、心を乱す事もないでしょうし」

 

 そう言い残し、ガウェインは血を落とすために広場を去って行く。

 その凜と立つ背中を見送りながら、ランスロットは問いかけた。緊張で、無意識に剣の柄に手を添えながら。

 

 

 

「ガウェイン……卿は、正気か?」

 

 背中が、ピタリと歩みを止める。

 燦々と照る『不夜』のギフトが、痛いほどの眩しさで二人を包む。

 触れれば切れそうな静寂を打ち破って、ガウェインは小さく吹き出した。

 

「ふふ。まさか、よりにもよって貴方に狂気を疑われるとは」

 

 そうして半身を傾け、ランスロットを見つめる。

 凜々しく澄んだ眼。毅然とした笑み。

 崇高なる王に仕える、太陽の騎士として。

 

「もちろん、正気ですとも」

「……」

「私は、決して狂いませんよ。それこそが、同胞を殺めて修羅の路を歩む我々に、たった一つ許された贖い(あがない)なのですから」

 

 

 一縷の迷いもなくそう告げる。

 ランスロットは、返す言葉を探せなかった。押し黙る彼に礼をし、ガウェインは今度こそ背を向けて去って行く。

 彼が彼のままであることは、何を言わずとも、その背中で理解できる。

 

 

 

 正気をもう一度問いただすのは、最大の無礼だった。

 彼は兄として、ガレスを壊したのだ。

 最愛の弟を穢した罪の大きさを真に理解しながら、それでも彼は太陽の下、王の威光を受け止める最強の騎士として君臨し続けているのだった。

 

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