そうして、とうとうその瞬間が訪れる。
聖都イェルサレムの奪還作戦。怪物リチャード一世の打破。
十字軍の幾度とない戦いを制し、長く困難な道のりを経て、とうとう円卓の騎士は、リチャード一世の前に立つ。
いざ目の前にしたリチャード一世は、『怪物』という題字の通りの、凄まじい存在であった。
最早ソレは英霊ではあるまい。人よりももっと悍ましい魔性の獣、魔神。
対峙した瞬間、円卓の騎士達に戦慄が走った。聖杯のギフトを授かっていながら己の死を悟らせる程に、リチャード一世は人の常理を外れていた。
唯一怯まずにいたのは、二人。
(二人……いや、三人、犠牲になるか)
『不夜』により太陽の加護を得ていたガウェインは、ただ一人、心底の畏怖を黙殺できた。彼は魔神の力と、竦む騎士達を素早く観察し、冷徹にそう勘定をとる。
その視線の脇で、不意に動く影が一つ。
ほとんど倒れ込むようにして、ガレスが前に足を踏み出していた。
――誰も、何も、反応できなかった。
ガウェインは呆然と、飛びだす弟を見ているしかできなかった。
意味が分からなかった。到底現実とは思えなかった。
その時の心境は、彼女自身にしか分かりはしないだろう。
悍ましい怪物を前にして。
途方もない威圧を向けられて。
「――」
ここだ、と思った。
ここしかないと思った。
魔神の気迫に押されて、『不浄』のギフトに、ほんの僅かに亀裂が走った気がした。
瞬間、その亀裂から、悲鳴が吹き出した。
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
声にならない絶叫を上げて、魔神の前に飛び込む。
身体が勝手に動いていた。後ろからかけられる驚きの声も聞こえなかった。
脳を埋め尽くしたのは、たった一言。
ここでしか死ねない。
「わあああああ! わああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!」
そうするべき、ではない。そうしたかった。
槍を突き出し、魔神に突貫する。
踏み込む足が、最後に使った勇気だった。
喉から振り絞った悲鳴が、壊れきってぐずぐずに腐った心に、それでも残った善性だった。
そうして、魔神の刃が、ガレスに突き刺さる。
鎧を紙細工のように砕き割り、腹の中心を容易く貫く。
ぱぁん、と。自分の中から、何かが吹き出した気がした。
風船のように弾ける。穴の開いた水槽のように溢れる。
『不浄』の檻に押し込まれていた、腐りきったどす黒い絶望が、噴水のように吹き出して、ガレスの世界を真っ黒に染め上げる。
「ああ、ああああああああ! ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
胴体を貫かれ、口から血を迸らせながら、ガレスは泣いた。誰にでもなく、世界の全てに向けて謝り続ける。
ようやく混乱から解放されたモードレッドが、驚愕の声を張り上げる。
「ガレス!? テメエ、一体何をやってんだ!」
「今です! 私が食い止めている間に、殺してください!」
「ッんなもん、テメエが犠牲にならなくたって当たり前――」
「この怪物と共に、私を葬り去ってください! 私を共に殺してください! どうか、どうか!」
「っ……!?」
血と涙を吐き出しながら、必死に懇願するガレス。
モードレッドは、目の前で豹変したガレスの発狂に、ともすれば先のリチャード一世以上の戦慄を覚えた。
潮時だと、ランスロットとアグラヴェインは静かに判じた。身を挺した覚悟を無碍にはさせないとも。しかしランスロットは友誼から、アグラヴェインは魔神に近づく畏れから、僅かに一歩を躊躇した。
その一瞬の間に、踏み込む影。
ガウェインは、既に剣を抜き、弟の下へ馳せていた。
頭上の太陽が更に煌々と輝き、彼の背を照らす。
涙に顔を歪めながら、ガレスは見る。
剣に煌々たる光を宿しながら突貫する、凜々しきままの、兄の顔。
そしてそこに深々と刻まれた――鋼よりも尚固い、決意。
「
光が、解き放たれる。
全力で放たれた宝具は怪物を焼き払い、聖都に煌々と輝く光の柱を産み出した。
余りの熱波に、円卓の騎士達は顔を覆い、ただただ圧倒される。
天を貫き地を焼いた、円卓最強の騎士が放った一撃。
それはまさしく太陽の輝き。
あらゆる不浄を滅する聖なる焔の前には、魔神さえ姿を保つ事は能わなかった。
ようやく光が収まり、視界が戻った時、そこにもう、リチャード一世の姿は無かった。一片も残さず焼け朽ち、跡形もなく塵に消えている。
黒焦げになりあちこちに炎を灯す大地に、蹲る彼女の姿があった。
驚いた事に――否――不幸にも。ガレスは生きていた。
体内の聖杯の力が、円卓の騎士の魔力に対して耐性を有させたのかもしれない。彼女は爆心地の中心で足も手も擲ち、身体をか細く痙攣させている。
ガレスの腹には、巨大な風穴が開け放たれ、そこを潜った熱波が断面を炭化させている。全身を覆った鎧はガウェインの焔によって赤熱し、ジュウウと痛ましい音を立てて、内側の皮膚を焼いている。
焼け焦げる肉の、苦い香りがした。
無事な所など、一つもない。
ガレスは、死んでいないだけだった。聖杯のギフトは、ガレスの死さえも撥ね除け、現世に魂を縫い付けようとしていた。
『……』
誰も、かける言葉を探せない。取るべき行動を考えられない。
水を打った静寂の最中、ガウェインが静かに一歩を踏み出した。ガラディーンを抜いたまま、ガレスの目の前に立つ。
「……ごめんなさい」
小さくか細い、迷子の幼子のような声で、ガレスは言う。
瀕死の身体が痙攣し、炭化した指が擦れてカサリと黒い砂になって風に溶ける。
「ごめんなさい。ごめんなさい。わたしは、こちらを選んだのに」
俯き隠れた顔から、雫が落ちる。
『不浄』のギフトから解放された心から、押し込まれ続け腐敗した悲哀が、どろどろと流れ落ちてくる。
今まで振りまいてきた死の種が、途方もない罪悪感になって胸を締め付ける。
見捨てた沢山の命と、これから奪う事になる沢山の命が、針のように魂に突き立てられる。
積み上げ続けた罪で、心はもうぺしゃんこだった。
「もう耐えられません。もう戦えません。どうか、どうか」
この時を逃せば、『不浄』はまた自分の心を閉じ込める。
正気を保ったまま、死神として手を血で染める事になる。
地獄だ。無限に続く拷問だ。
抜け出す事はできない。己を壊す事さえ許されない。
救いの手は、召還されて真っ先に、自分の手で殺した。
全て、自分の愚昧が招いた結果だった。
獅子王より、これから起こる惨劇を告げられて尚、何の覚悟もしなかった。
愛する騎士が共に居る事を子供みたいに喜んで、馬鹿みたいにはしゃいで。
本当に護るべきものが何なのかを、見誤って。
短絡的に、考え無しに、決断して。
何もかもが手遅れになって、ようやく気付いて。
子供みたいに駄々を捏ねて。嫌だ嫌だとぐずって。
捨てるべきだった無価値な宝物を、意固地にも持ち続けて。
濁りきった騎士道を、無様にも誇示して。
現実を見やしない。在るべき姿さえ思い描けない。
馬鹿だから。餓鬼だから。救いようのない屑だから。
過ちを覆すだけの力もない。
非道を為すだけの心もない。
罪を償うだけの善性もない。
王への忠誠さえも誓えない。
ただ、ただ、耐えられない。
これ以上罪を重ねられない。
許しを願う事さえできない。
だから。
せめて。
どうか、どうか――
「愚かなわたしに、罰を与えてくださいませ」
同胞を殺した責任からも、王への忠誠からも、自らの正義からも背を向け。
歩み続ける事からも、生涯罪を背負い続ける事からも逃げて。
終わりを願う。
最も卑怯な結末を請う。
「……」
その愚かな願いを、最愛の兄は叶えてくれた。
ガラディーンが持ち上がり、ガレスの肩に乗せられる。
聖なる焔を宿す、太陽の聖剣。
あらゆる邪悪を浄化する焔が、自分の醜い胸の内を煌々と照らす。
ガレスは顔を上げ、兄を見る。
燦々と照る太陽を背に、ガウェインは弟の無様な姿を静かに見下ろしていた。
揺るがない、凜々しき顔。
一縷の曇りもなく王への忠誠を誓う、自分には決して作れぬ覚悟。
愚かで卑怯な自分とは何もかもが違う、本物の王への忠誠。
無理だ、と悟った。
何もかも未熟な自分では、決して届かないと思い知る。
兄の輝きと、自分の醜さ。その圧倒的な隔絶が、何より彼女の決断を尊重していた。
ガレスは静かに眼を閉じ、炭化した指で、ガラディーンの刃を掴む。
首筋に、刃がつぷと埋没する。鋭い痛み。焼け焦げた肌に、温かい血が伝う。
「……」
ああ、私はどうしようもないグズだった。
残された騎士達は、私を軟弱者だと罵るだろう。
先に逝ったガヘリスは、私を卑怯者だと誹るだろう。
騎士道も護らない。王の使命も果たせない。
中途半端に、何も為さないまま、ただ愚昧を晒して。多くの人を殺して。
地獄の業火でさえ、この罪は拭いきれない。
地上にも、死後にも、私の居場所はない。
本当に、どこまでもどこまでも、私は愚かだった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「お兄様……本当に、ごめ――」
ざん、と振り抜かれた一閃が、惨めな謝罪を途中で断ち切った。
宙を舞ったガレスの首がたん、たんと転がり、やがて吹き上がったガラディーンの焔に包まれる。
首を失った身体がぶらりと揺れて、地面に倒れた。ぱたた、と、飛び散った血がガウェインの鎧を叩く。
どろりと粘ついた黒い血が地面に広がってガウェインの足を濡らし、それもまた、浄化の焔によって焼却されていく。
騎士達は息を飲み、ガウェインの背中を静かに見つめている。
「……王に報告しましょう。我等の勝利と――一人の騎士の殉職を」
鉛のように重たい空気を振り切って、ガウェインは振り向かずに告げた。
「我々は聖地の奪還に成功。ガレス卿の尊き犠牲が、獅子王の盤石たる治世の、最後の旗印を立てました」
誰も、何も言わない。
モードレッドは歯を食い縛り、忌々しげに地を蹴って、真っ先に背を向けた。
アグラヴェインは短く嘆息し、欠けた穴の埋め方に思索を巡らせながら、モードレッドの後を追った。
ランスロットはしばらくガウェインの後ろ姿を見つめていたが、とうとうかける言葉を探せないまま、沈痛に顔を伏せてその場を後にした。
兄はずっとその場に佇み、弟の遺体が焼け朽ちていくのを眺めていた。
火の粉と共に最後の塵が風に溶けていくのを見送って、ガウェインは静かに彼女の名前を呼んだ。
「……ガレス」
たった一度、袖で顔を拭う。
そうしてガウェインは焼け焦げた大地に背を向け、それから一度も、振り返る事をしなかった。
やがて、リチャード一世を下したその場所に、獅子王は聖槍を突き立てる。
盤石の防壁と豊かな国土を誇る、聖都が建立される。
彼女が役割のままに蒔いた種が芽を出し、民が救いを求めて聖都を訪れる。
そうして、始まる。
人理を護るための、大虐殺。
僅かな民を尊び、それ以外を敵に回す最悪の非道。
唯一絶対の獅子王による、聖罰。
円卓の騎士達は、最後まで王に忠実に仕え続ける。
王の使命を実直に果たし、あらゆる悪逆を粛々と為す。
鋼のような心で、王の剣で在り続ける。
――そして。
永劫の繁栄と安寧を約束された白壁の城、その象徴。
頭上に燦々と輝く太陽の担い手たる騎士は、常にその陽光に恥じぬ立ち振る舞いで正門に立ち、民を罰し続ける。
彼は常に、人を超越した獅子王の、最優の剣で在り続けた。
やがて人理の守り手が現れて。
獅子王の願いが突き崩されて。
歴史の中に葬られるその時まで。
決して誰にも涙を見せず、彼は重すぎるものを背負ったまま、己の宿業を見事に果たしきるのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ガレスちゃんが実装された時、誰もが脳内に想い描き悶絶した彼女の最期を、妄想拡張&ブラッシュアップしてストーリー仕立てに仕上げてみました。
やっぱりガレスちゃんはかわいそうかわいくて最高だね!
外道神那須きのこ氏に改めて敬意を表させて頂きます。
感想、評価、何でも大変喜びます。飛び上がって喜びます。
読者様の「面白かった」「心に残った」という言葉が原動力になります。
何卒よろしくお願いいたします。
本作は10月6日(日)に開催されるCOMIC☆1にて文庫本として発刊・頒布いたします。
文庫版には、エピローグとして、本作の後味の悪さを払拭する清涼剤ストーリー『カルデアの一日』を収録しております。
グロ・鬱全て/zeroのわちゃわちゃコメディです。
また、前作『もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活』に引き続き、もず様に表紙・挿絵イラストを描いて頂けることになりました!
ありがとうございます! エグい話でごめんなさい! ありがとうございます!
モードレッドとのイチャラブの権威であるもず様に、頑張ってガレスちゃんの可憐かつ悲壮な、心をドリルで抉り抜く、かわいそうかわいいなイラストを描いて頂いております! 是非Twitter等で続報をお待ちください!
次は『もう二度と剣を持てないモードレッドとの優しい隠匿生活』後編、いよいよ完結です。
今後ともブリテン姉妹をよろしくお願いいたします。