星見が丘   作:茎わかめ

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02. 二重星

「……」

 

 秀星は暫く動けなかった。

 

 唐突に話しかけてきた女の子はずいっと距離を詰めて来ているし、今まで嗅いだことのないようないい匂いがして、心拍の速度がバクンと加速した。

 憧れの女の子が自分の秘密の場所に、自分のすぐそばにいるのだ。秀星の脳味噌は瞬間的に処理落ちしてしまっていた。

 

「……あ、そうですね」

 

 結果秀星の口から飛び出た言葉は何とも味気ないものだったけど、女の子は気にもしない風ににこやかな表情だった。

 パッと秀星から離れ、踊るような軽やかさで回るみたいに丘を見渡す。

 

「だよね。私、星が見たくなったらいっつもここに来るんだ!」

 

 星空を見上げながら、彼女の紫水晶は夜を写す。

 その横顔を見ることも、星に意識を集中させることも叶わないで、「はぁ」なんて愛想の悪い相槌が漏れて出た。秀星はまだ状況を咀嚼しきれていなかったのだ。

 

「キミ、よく駅で一緒になる人だよね?」

「えっ」

「あれ、私の勘違い!?」

 

 けれども彼女の発言が更に秀星の思考に混乱をもたらす。

 この子、俺のこと知ってるのか!? などと本格的に星見どころではなくなった秀星を他所に彼女は彼女で慌てだして、何とも可笑しな風体の二人を夜空が見下ろす。

 

「あぁいや、多分俺であってるよ。君は……よく駅で歌ってる……」

「聞いてくれてたの!?」

「うぉっ!?」

 

 少し落ち着きを取り戻して、勘違いであることを否定した秀星の言葉に再び少女が詰め寄る。

 キラキラと輝くつぶらな瞳が秀星をもう一度捕捉して、またもや顔に熱が集まるのを自覚させられる。

 秀星は女子に対して耐性がない訳ではないが、この少女となると話は別で、全くのコミュ障のような体をなしていた。

 

「いや! そんな聞き耳を立ててた訳じゃないんだけど……偶然聞こえた、みたいな! ほら、よく通る声だったから!」

 

 取り敢えず聞き耳を立てていた気持ちの悪い男と思われたくなくて(実際聞いていたという面ではそうなのだが)、秀星は勢いのままに捲し立てる。

 

「でもでも、聞いてくれてたんだよね?」

「……まぁ、一応は」

「えへへー、照れるなぁ」

 

 照れると言いつつも嬉しそうな少女を見て、引かれてなくて良かったとか可愛いなとかと内心で胸を撫で下ろす。

 

「あれ、私が自分で作った歌なんだ! 太陽がぽかぽかで気持ちいいとか、雨がパラパラ降ってていいリズムだなーとか、そんな感じで」

「やっぱりオリジナルだったんだ。聞いたことないのばっかだったから、そうなのかなって思ってたけど」

「聞いてみてどうだった?」

「よかったよ。楽しそうだったり、綺麗だったり」

「ほんと!?」

 

 頷くと、少女は跳ねるように喜ぶ。表情が豊かな子だなと、駅での印象と変わりない彼女の姿に秀星は軽く微笑んだ。

 彼女の親しみやすい雰囲気がそうさせているのかもしてないと、向き合っていてそう感じた。

 

「それでね、そういうメロディって星とか見上げてると思いつくんだ。キラキラ〜って」

 

 何となく分かるかもしれない、と思った。

 自分がこうしてこの丘にやって来たのも、在りし日の輝きのような、そんなものを追っているのかもしれないから。

 

「だから星が見たくてここに来たらキミがいて。いつもよく見るなぁって声掛けたんだ。その制服、城成だよね?」

「ああ。城成の三年だよ」

「それにしても城成か〜……頭いいんだね」

 

 感心するように言う少女に、秀星は苦い笑みを漏らす。ここに来る前の心地が思い起こされて、逃げるように視線が星に戻った。

 確かに通っている高校は都内でも名の知れた進学校で、曲がりなりにもここまでどうにかやってきた。でもそれだけ。首の皮一枚の継ぎ接ぎで手前の人生の岐路に立つ覚悟なんて、秀星にはまだなかった。

 

「いや、そうでもないよ。俺は落ちこぼれだし」

「そうなの?」

「そうなんだ」

 

 だから自嘲の言葉を責めて明るく吐き出す。

 遠くに見える赤色灯が、嫌に目に映った。

 

「じゃあ私と一緒だ! この前のテストもすっごく点数低くて有咲に怒られちゃって……。あ、有咲っていうのは私の友達で、一緒にバンドやってるの!」

「へえ、バンドやってるんだ」

「うん。Poppin’Partyって名前なんだけど、知ってる?」

「あー、ごめん。音楽はあんまり聞かないから」

「えー、そんなの勿体ないよ〜。あ、じゃあ今度ライブやる時に聞きに来て! すっごくドキドキするから!」

「そうだな。暇があれば聞きに行くよ」

 

 バンドをやっているからあんなに綺麗な歌声なのだろうか。それとも歌が上手いからバンドをやっているのか。卵か鶏かみたいなどうでもいい議論が脳内で一瞬起こった。

 丘の上に風がびゅうと吹く。頰を撫でて去っていった風は、チラつく都市の灯に向かう。

 

「でもいいね、バンドとか。カッコよくて」

「えへへ、でしょ? キミは何かやってるの?」

 

 自分のことを訊かれるとは思っていなくて、秀星は少し面食らう。その所為で返答に遅れたのだと、すぐに質問に答えようとして……何も返す言葉がないだけなのだと気づいた。

 

「……俺は特に何もやってないよ。部活も入ってないし、外で何かしてる訳でもない」

「そうなんだ」

 

 驚く少女。口に出したのではないが、意外だ、と思った。

 自分の周りでは、皆が皆やりたいことに目がけて一生懸命に頑張っている。バンド然り、各々の将来然り。だから少女には何もない、ということが想像し難かった。

 

 ましてそれが……。

 

「高校も親とか先生に勧められて入っただけでさ。しかも付いていくのに精一杯で、何とかやってきたと思ったら……もう高校生活終了寸前って感じ」

 

 おどけて言って見せた空元気が、少女には少し寂しく聞こえた。

 

「だから何をやるかとか、何をしたいとかは分からない。受験生だし、もっとしっかりしなきゃとは思うんだけど。……ってか、多分そっちも高三だよな? 君はどうなの?」

 

 再び話題を振られた少女は、もう一度空を見上げる。

 雲一つない紺碧に、散りばめられた星々の煌きが煌々と燃える。

 

 その輝きを仰いで。

 

「私も、よくわかんない!」

 

 少女は開き直るように元気いっぱいに言い放った。

 呆気にとられた秀星。何となく、目の前の少女は真っ直ぐな芯を持って突き進んでいるのかと思っていたから。

 空に手を伸ばしながら、少女は言葉を続ける。

 

 

 

「だってこんなにキラキラしてる星が沢山あるのに、あそこに行こう! って思っても一つの星にしか行けないんだよ?」

 

 

 

 幾つもの選択肢がある中で、選べる道は一つだけ。

 

 

 

「だったら、一番キラキラしてるところに行きたい。でも私は、今が一番キラキラドキドキしてるから! だから私は今なんだ!」

 

 

 

 ──だから自分は、一番輝く道を歩きたい。そして、それが今なのだと。少女はそう言ったのだ。

 

 

 

「……」

 

 

 

 秀星は全部を理解した訳ではない。少女の言い回しには大分突飛なものがあるし、近しい友人でも彼女の発言には振り回されることがしょっちゅうだ。

 

 それでも少女の一番言いたいことは、秀星にハッキリと伝わっていた。

 

「そっか」

 

 夜空を見上げる。確かに星はキラキラで、眩いくらいだった。

 

「なんか、いいな。そういうの」

「うん!」

 

 昔を思い出したように、秀星は微笑む。

 頷いた少女との間に、再び風が流れた。春先とは言え、まだ夜は冷える気候だった。

 

「……大分冷えてきたな。もうそろそろ帰らない?」

「そうだね。あ、でもその前に……」

「?」

 

 隣り合っていた秀星に、少女が向き直り。

 

 

 

「私、花女三年の戸山香澄! キミは?」

 

 

 

 確かに、そう名乗った。

 

 

 

「……」

「ん? どうしたの?」

「あ、いや。……俺は榊秀星。よろしくな、戸山さん」

「うん。よろしくね、秀くん!」

 

 

 

 星空を背に少女──香澄はにこりと笑って。

 

 

 

 そんな彼女は、どこまでも綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 丘から降りて最寄りの停留所で乗車した後、それぞれの降りる駅で秀星は香澄と別れた。

 降車口から出て人工的な街灯の白い光の下を歩きながら、ぽつりと呟く。

 

 とやま、かすみ。

 

 心中で反芻したその名前は、聞き覚えのある、いや秀星にとってどうしても忘れられないあの日のことを思い出させるものだった。

 それに彼女に感じていた既視感。

 

 きっと彼女と自分は、その時に一度会っている。

 

 

 

 でも、彼女が本当に香澄なのだとしたら──

 

 

 

 秀星は香澄の姿を思い浮かべる。丘で今を楽しむのだと話していた横顔。駅での楽しそうな歌声。そして、

 

 

 

『じゃあさ、俺も──だから、君も──』

 

 

 

 在りし日の約束。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ──俺は彼女に、合わせる顔がない。

 

 

 

 携帯が小さく震えた。取り出して見ると、先ほどメッセージアプリで連絡先を交換した香澄から通知が来ていた。

 

『今日はありがとう! また星見れるといいね!』

 

 通知を報せるブルーライトがそう照らして、秀星は未読のままポケットに携帯を戻す。

 

 もう一度夜空を見上げる。

 薄汚れた空気と機械仕掛けの光に侵されて、星々はもう見えない。

 

 広がるのは、ただの真黒だった。




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