星見が丘 作:茎わかめ
掻き鳴らされたギターの弦が、下地に伸びるベースに被さって調和を生み出す。ドラムの規則正しくかつ力強いリズムが、続くキーボードへの軽やかな旋律を補強する。
そこに響く歌声。真っ直ぐに突き抜け、染み渡るようなその声が楽器の音色たちと合わさって──彼女たち、Poppin'Partyの音楽が完成した。
「……今、すっごく上手くいったよね!?」
「うん。ここ最近で一番良かった」
「おたえちゃんたちもそう思った? めっちゃ良かったよ!」
前に立つ三人がやいのやいのとはしゃぐのを見つめて、ドラムを叩いていた少女が隣で立ち尽くし余韻に浸っているキーボードの少女に声を掛ける。
「有咲、すごく嬉しそうだね」
「はぁ!? ……いや、まあ……すげーばっちり決まったから、ちょっと驚いてただけ!」
「ちょっとだけな!」と付け加えるキーボードの少女──市ヶ谷有咲を、ドラムの少女──山吹沙綾はにこにこと見つめる。
その生暖かい視線から逃げるかのように、有咲はギターを置いて水を飲んでいる香澄の方を向いた。
「つーか、香澄今日やけに気合い入ってるな。何かあったのか?」
「そうかな?」
ぱっと振り向いた香澄の額にはじんわりと汗が滲んでいる。繰り返し熱心に演奏していた何よりの証左と、当の本人の言葉は意外にも合致していなかった。
「確かに、いつもよりアツかったね。ぎゅいーんって感じしてた」
「ぎゅいーん」を示すように青いギターを一度弾いたリードギターの少女──花園たえにもそう言われ、香澄は少し考えるような仕草をした後ににこりと笑った。
「何でもないけど、やっぱりバンドって楽しいなって!」
「もう一回やろうー!」と紅く輝くランダムスターを提げ直した香澄は、自覚していないと言う割には些か張り切りすぎている気がして、横でピンクのベースを調弦し直していた少女──牛込りみはその手を速めながらもその様子をちょっと不思議に思った。
「あ、香澄ちゃん、ちょっと待ってね。もうすぐチューニング終わるから」
「あんまり急かすなよな。疲れたし私はちょっと休憩ー」
どっかりとソファに沈み込む蔵の主は、疲れたと言わんばかりの溜め息。ただその疲労は心地好い感覚として有咲の体を包んでいて、皆も一様にそれを理解していた。
「有咲、先週模試受けてたもんね。成績優秀者が受けるやつだっけ?」
「そ。優秀者ですから」
「どうだったの?」
「それ聞くか……。やっぱりすげー難しくてさ。そりゃ城成とかが受けるようなヤツだから当然なんだけど」
「有咲ちゃんでもそう思うって、すごく難しいんだね」
彼女たちの学年で一位の成績を誇る有咲であってもそうなのかと驚く一同。その様子を見た有咲は、今度は呆れたような溜め息を吐いた。
「ウチは平均くらいの偏差値だからアレだけど、基本70オーバーが受ける模試だからな? その中じゃ私は落ちこぼれもいいとこな訳」
「な、70……」
「私たちじゃ想像もできない数字だね……」
決して頭が悪い訳ではない沙綾でも苦笑いを漏らすような数字だ。たえなんかは首を傾げて「よくわからないね」と呟いて、りみも神妙な顔で頷いた。
「有咲は大学、行くの?」
そんな中、ずっと黙っていた香澄が有咲に呼び掛けた。てっきり苦手な勉強の話に頭を抱えているものだと思っていた有咲は、振られた話の内容に少し面食らいながらも答えた。
「まぁ、そりゃあな。ほら、今は婆ちゃんがやってるけど……流星堂も私の代で終わらせたくないし。経営とかの勉強もちゃんとしなきゃだろ?」
「有咲、流星堂継ぐの!?」
「いいんじゃない? 私も流星堂がなくなっちゃったら悲しいし」
「おぉー、若女将だ」
「それ、女将って言うのかな……?」
初耳である面々は一気に沸き立つ。「まだ確定って訳じゃないけど、一応な」と付け加えた有咲の目は、それでも将来をしっかりと捉まえているように香澄には見えた。
進学する意思があったことは知っていたけど、こうも具体的に将来の話をされると、そういう時期なのだと嫌でも感じてしまう。
香澄は今いる蔵を見渡した。少し狭い所為か奥まった空気の匂い。手狭に置かれた楽器たち。一緒にいる仲間。
少なくとも香澄にとっては、それが今ここにあるものの殆どと言っても過言ではないもので。将来という漠然な先の光景を捉えることは、まだできなかった。
スタンドに立て掛けたランダムスター。その星は何度も取り零しそうになって──漸く掴んだ今の輝きだ。無数に浮かぶ瞬きを見つめることしかできていなかった自分が掴んだ、今。
だからそれ以外は見えていなかったし、それでもいいと今は思えている。
この瞬間がいつまでも続くかは分からない。だからこそこの五人でいられる今を大切に、悔いがないように過ごしたい。自分たちの音楽は、無敵で最強のキズナなのだから。
願わくば、そんな今というキラキラを、彼にも知っていて欲しい。
そう思いながら香澄はランダムスターを手に取る。
「よーし! じゃあ有咲の門出を祝って、もう一曲弾いちゃおう!」
「ちょ、門出とか気が早すぎるだろ!?」
「いいからいいから!」
だって──
(──秀くんも、あの時私のキラキラドキドキを見つけてくれたから!)
弾かれた弦からは、眩い今の輝きが、煌々と燃えていた。
*
初めてあの丘に立ったのは、一体いつ頃だっただろうか。
遠くて、何も思い出せない。霞みがかった空を衝く高層ビルが邪魔で、あの丘がある場所は秀星に見えなかった。見えなくなっていた。
昨日会った女の子の横顔は、星と変わらないくらいに眩しくて。あったかもしれない未来や過去のあれやこれじゃない、今を澄んだ瞳で見上げていた。
秀星は背負ったリュックがずんと重く感じた。まだ親に見せていない模試の成績表。未来も過去も、自分はこんな紙切れ一枚で左右されている。安っぽい見開きのA4用紙とそこに刷られたインクとで、榊秀星という人間の全てが決定されるらしい。
重く湿った息が漏れて、そのまま電車に乗り込む。
初めてあの丘に立った時に見上げていたものは、一体何だっただろうか。
星を見ていた。星を見て、手を伸ばそうとしていた。
そんな時、彼女に出会った。
下を向いて歩いていた彼女。星を見上げた彼女。歌を歌っている彼女。
あれは確か、もうずっと前、十年くらい前だったかもしれない。
だけどあの声が今の自分に向けられたとして、それに応えることなんてできない。夢を見れる時間は、とうの昔に終わっている。
『私、花女三年の戸山香澄!』
でもきっとあの子は……。
その時、暗い思考とは真反対の軽快な電子音がポケットから鳴って、秀星の意識は一気に現実へと引き戻された。
メッセージの通知音。送り主は今まさに考えていた人物だった。
──おはよう!
戸山さん。秀星はそう登録していて、表示されるメッセージはぽんぽんと音を立てながら増えていく。ロック画面がどんどん埋められていった。
──来週の週末暇?
──実はポピパでライブ出ることになったんだ!
──時間があったら聴きに来て欲しいな!
どんな様子で送ってきているかは、何となく容易に想像できる。
矢継ぎ早なメッセージの次に、あるサイトのURLが送られてくる。おそらくはライブに関する情報が載っているものだろうと推測しながら、特に返せる言葉がある訳でもなくポケットに仕舞い込む。
もう一度その中で携帯が震えたが、再び取り出すことはしなかった。
「むむむ……」
しなかった、が。
「……え、おぉっ!?」
頬を膨らませた件の送り主が、秀星をジトっと睨めつけていた。
思わず驚いて、秀星は声を上げながら半歩ほど後ずさる。情けない声をあげてしまったと自覚するも、香澄はそれに関して気にしている様子はない。かと言って依然と膨れっ面であり、怒っていることは変わらないのだが。
「……秀くん、今見るだけ見て返信しなかった!」
「あー……おはよう?」
「LINEでもそう返してよ〜」
「ごめんごめん」
とは言え元々本気で怒っている訳でもなかったので、香澄もそれで落ち着いた。そしてもう一度携帯を確認すると、『後ろ見て!』とあった。どうやらこれで反応してくれるものだと思っていたらしい。少し申し訳ないことをしたな、と少々自省する。
そんな香澄を見て、秀星はそう言えば行きの電車で時間が重なるのは珍しいと思った。
「戸山さん、いつもこの時間だっけ?」
「ううん。今日はいつもより早く起きちゃって、折角だから早く出ようかなって」
「たまには早起きもいいね!」なんてにっこりと笑う彼女を、つい数日前の夕方までは遠くから眺めているだけだったのにと思うと妙に不思議な気色になるのだった。思いの外ちゃんと話せている自分がいることにも。
ベージュ色のセーラー服と赤いリボンが電車の振動に合わせてひらひらと揺れる。ただそれよりも秀星が注目していたのはその背中に背負われた黒いギターケースだった。
「それ、ギター?」
「うん! ランダムスターって言って、真っ赤な星型のギターなんだよ。私、一目惚れしちゃったんだ」
「まさか自腹で買ったのか? ギターって結構するんじゃ」
素人なりにも高いものだと数十万は下らない代物だという認識はあったので、自慢げな様子の香澄に秀星は驚きを隠せない。
「本当はそうなんだけど、有咲に格安で譲ってもらったんだ。実はね──」
そんな秀星に目を輝かせてギターや仲間の話を始める香澄。その様子から本当に楽しんでいるのだと見て取れて、素直に眩しいなと感じた。
前の夜にあの丘で言っていた言葉通りに、きっと香澄は今の瞬間を噛み締めて歌っているのだろう。その歌を、香澄の言葉を、秀星は果たして自分に聞くことができるのだろうかと思考した。
ふとそんな秀星の目が何処か遠くを眺めているように見えて、香澄は半ば捲し立てるように話していた口の動きを止めた。
「秀くん?」
「……ん。あぁ、聞いてるよ」
不意に引き戻されても彼の応答は上の空で、香澄は時折車内に差す影が顔に被さったままでいるような、妙な陰りを感じた。
だから秀星の注意を引くように、彼の腕を取って──香澄は笑顔で言った。
「ねぇ秀くん!」
「ん?」
「さっき私がLINEでなんて送ったか覚えてる?」
「え……何だよ、急に」
「いいからいいから」
「……『後ろ見て!』だっけ?」
その問いかけの意味が分からずに、首を捻りながら直近のものを回答する。
ただどうも的外れの解答だったらしく、微妙な表情をされる。
「そうだけど、そうじゃなくて……。その前! ライブ!」
「あ、あぁ。そっちか」
詰め寄られて息が詰まる。それは女の子に近寄られた緊張もあったのかもしれないが、秀星にとってはもっと別の意味合いが強いように感じた。
「あー……えっと、来週末だっけ。俺塾に通っててさ、授業が入るかもしれないから……」
「それなんだけどね、実は今日の放課後リハーサルやる予定なんだけど……」
距離はそのままに寄せられた香澄の瞳は変わらず輝いていて──
「秀くんに聴きに来て欲しいんだ!」
やっぱり、唯々眩しかった。
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