星見が丘 作:茎わかめ
四月も半ばとは言え、夜はまだ冷える日も多い。凍て刺すとまでは言わずとも首筋に容赦無く吹き付ける風に、秀星は軽く身を竦めた。
それでも、先刻の熱はまだ冷め切っていない。未だに背骨を貫くような鮮烈な衝撃は余韻を残し響き渡っていて、ぶるりと震えたのは寒さだけの所為でないことは明白だった。
(あれが、バンド……か)
とてつもない熱量だった。凄かったとしか言えない自分の語彙をもどかしく思うくらいには、秀星は香澄たちの演奏に心を揺さぶられていた。
力強くリズミカルなドラム。技巧的な演奏に熱の乗ったギター。全体を支えるしっかりとしたベース。軽やかで心地良いキーボード。そして、響き渡る澄み切った歌声。
どれもが目を引く魅力を音として響かせているのに、しっかりと一つの音楽として纏まっていた。いや、それがバンドというものだから当然かもしれないけどと思い返すが、実際に間近で聴くとそう静穏な心持ちでは居られないのだと秀星は結論付けた。
「ホント、凄かったな」
ポツリと漏れ出た言葉は無意識の内で、傍を通る自動車の走行音にあっけなく掻き消される。
それは単純な演奏と言うよりも、もっと別の所にあって……。
──本当に、楽しそうだった。
彼女たちが音を合わせる度に、その詩が、旋律が、頭の中で情景として浮かんで踊るような。
今日歌ってくれた歌には、鼓動というフレーズが何度か入っていた。五人が皆、その鼓動や情動を分かち合って一つになっている姿は、あの時と何ひとつ変わらない、純な夢で──
俺とじゃ、もう大分違ってるよなぁ。
そんな苦い味が、吐き出した口に広がった。
街灯に映し出された影が、夜の色を濃く地面に塗りたくる。すれ違うヘッドライトの群れに掻き消えてはまた現れる影は、その度に闇を深くしている。
風が吹く。先程よりも冷たいそれに、秀星は震えることなくただ前へと歩く。
頭上には白色の街灯だけが、煌々と光を放っていた。
*
秀星が帰ってからも、練習を続けていた面々。
流石に遅くまでやり過ぎたということもあって、今回はこのまま皆で有咲の家に泊まろうという話になっていた。
「は〜、いいお湯でしたー。一番風呂、ありがとね有咲」
「おー、まぁおたえが一番髪長いしな。さっさと乾かせよ」
「はーい」
何だかんだ世話焼きの良い有咲に促されて髪を乾かし始めるたえ。香澄と沙綾は机で隣り合いながら次のライブについて話しているところだった。
「おたえおかえりー!」
「うん、ただいま香澄」
「じゃあ、次誰が入ろうか?」
「んー、私は別にいつでもいいけど……って」
そう言った有咲の目に入ったのは、スコアノートを広げたまま船を漕ぐりみだった。
「すぅ……すぅ……」
「……こりゃお疲れだな」
「ふふ、だね。おーい、りみりん。寝ちゃいそうなら先にお風呂行ってきなよ」
「んぅ……?」
沙綾が軽く肩を揺さぶると小さく声を上げて顔を上げるりみだが、未だに意識は微睡の向こう側らしい。「ん……、そうだね……行ってきます……」と言い覚束ない足取りで部屋を出て行った彼女を見送りながら、沙綾と有咲は苦笑する。
「りみりんも結構緊張してたもんね。……有咲も」
「そりゃ、誰かさんがいきなり連れて来るからな」
「えー、朝に言ったじゃん」
「だとしても唐突すぎるっての」
言いながら有咲は香澄を睨め付ける。当の下手人は特に悪びれる様子もないが、有咲もさして気にはしていない。もう三年の付き合いになる。香澄の思いつきには今まで何度も振り回されてきたし、何か考えてのことだということも理解しているつもりだ。
「でも、本当に男の子だとは思わなかったな」
髪を乾かしながらのたえの一言に、有咲はだからこそ内心で頷いた。
今日香澄が連れてきた男子。その名前を聞いた時、小骨が喉に引っ掛かったような気掛かりがあったのだ。別に、悪い予感がするだとかの話ではないけれど。
「沙綾、なんとなく分かったって言ってたけど……エスパー?」
「あはは、違うよ。さっきも言ったけど、香澄の最近の雰囲気っていうか。調子良かったし、何か良いことあったんじゃないかなって思ったらさ」
「冗談半分だったんだけど」と付け加える沙綾に、たえは「名探偵だ」と目を輝かせる。そんなたえとは別に、沙綾は沙綾で好奇心に満ちた視線を香澄に向けた。
「で、榊くんとはどんな関係なの?」
女子校とは言え、いやだからこそと言うべきなのか、沙綾もその手の話題にはそれなりに興味はある。
ずいっと詰め寄られた香澄は、天井を見つめながら呟くように言った。
「秀くんは、恩人みたいな人かな」
その声は、大切なものをそっと抱いて温めるような柔らかいもので。香澄の声音から、心からそう思っていることが他の三人は容易に読み取れた。
「私のキラキラドキドキ、笑わないで見つけてくれたから」
香澄の様子から、少しだけ揶揄うようなつもりもあった沙綾はそんな心持ちもなくなって、ただ「そっか」と優しく頷くだけだった。色々聞いてみたい気持ちもあったが、それも野暮かと思い直して。
「ライブ、来てくれると良いね」
「うんっ」
元気よく頷く香澄の横に座り直して、もう一度ステージのセッティングやらセットリストやらが書かれたノートに向き直った。
しかしそんな香澄と沙綾を他所に、有咲は思考に耽って象られた表情を崩さない。
「……」
「有咲、またやきもち?」
「はぁ!? ちげーし! てかまたって何だよ!」
たえに呼び掛けられて漸く意識を引き戻されて即座に否定する。
「……ちょっと榊って名前に聞き覚えがあったから、考えてただけ」
「そう言えばさっきも気にしてたっぽかったよね。前から榊くんのこと知ってたの?」
沙綾に促されて、有咲は頷いて「別に大した話じゃないんだけど」と前置きをする。
「私がこの前受けてた模試あったろ?」
「すっごく難しいって言ってたやつ?」
「うん。そこで毎回成績上位の一桁には入ってる人で、榊ってのがいてさ」
珍しい苗字だったこともあって記憶に残りやすかったのだと言う。
「それって有咲より凄いの?」
「当たり前だろ。そんな簡単に乗れるもんじゃないって」
「城成ってだけでも凄いのに……。そんなに頭良かったんだ、榊くん」
感心するように言った沙綾と、「はぇー」と呆けたような声を出した香澄。
「って言っても、思い出したのは今さっきなんだけどな。一年くらい前から全然名前が乗らなくなってて」
「そうなんだ」
「てか、香澄は知らなかったのか? 恩人なんだろ」
「会ったの久しぶりだったから」
「ふうん」
そもそも香澄との接点が見えないことだったり、きっかけは何だったのかだったりが気になる有咲ではあったが、また変に勘違いされて揶揄われかねないと言葉を飲み込む。
「でも、なんで今は乗ってないんだろうね」
「さぁ……。普通に成績が下がったとか、受けてないとかなんじゃねえの?」
髪を乾かし終え櫛を通すたえに、有咲は投げやりな返事を返す。割とよくある事だ。途中までは成績優秀でも、そこから転がり落ちてしまうことは。
今年は自分も受験生だ。人のことは気にしていられない。バンドも勉強も、やるだけやってみせるさと有咲は一人意気込んだ。
「それより香澄。明日までの英語の課題、終わってるか?」
「うっ……」
ノートにさらさらと書き込んでいた手が止まり、わかりやすく嫌忌の声を上げる。予想通りではあったが、それ故の溜め息が漏れた。
「ライブの話もそりゃ大事だけど、それで評定1でも取ったらお話に──」
「──長くなっちゃってごめんね。お風呂上がったよ」
「あっ、じゃあ私次入ってくるね! 宿題はその後! ……多分」
「ちょ、こら香澄!」
有咲の制止も他所にそそくさと出て行く。事情を今いち飲み込めていないりみでも何となく察しは着いて、トタトタと廊下を駆けていく香澄を苦笑しながら見送るのだった。
逃げ出た香澄は、こなさなければいけない課題のことを思って溜め息を漏らした。
今年は高校三年生。進学だって視野に入れているのだから、勉強は今まで以上に頑張らなければならない。それは分かっているけど……。
「うぅ、キラキラドキドキしないなぁ……」
やはり価値判断の基準はそこだ。勉強にキラキラもドキドキも感じられないのだから、そればかりはどうしようもないと開き直る。
……とは言っても、流石に宿題は疎かにできるものでは無いのだが。
(有咲は凄いなぁ)
勉強だって学年トップで、それでもまだまだだと頑張っている。
(そう言えば、秀くんもすっごく頭良いんだっけ)
進学校の城成ということでそもそもが良いことは知っていたけど、有咲の話を聞いて改めて実感させられた。
でも……。
『俺は落ちこぼれだし』
そう笑いながら言った秀星の顔がふと香澄の脳裏に浮かんだ。
何処か諦めたような、地に着いた覚束ない足取りが微笑に滲んでいた様子。あの丘での邂逅が想起させたのは、いつかの日の彼だけでないことだって分かっていた。
でも、やっと気付けたから。
今日の練習を見ていてくれた秀星の目は、きっと変わっていなかった。
だから。
「うん、頑張ろう!」
絶対にもう一度、キラキラドキドキを届けよう。
そして、あの時の約束を──
そう考えると、香澄は力が湧いてくる。
歌を歌うことの楽しさを、夜空の星の煌めきを、勇気を出す為の一歩を。
少女はいつだって信じてきた。
先日のポピパ7th実況を観て久しぶりに熱がこれでもかと言うくらい再燃したので思わず筆を。
やっぱり自分はどこまで行ってもPoppin’Partyのファンなのだなと改めて思える瞬間でした。メットライフドームでのライブ延期は残念ですが、今は忍耐が重要です。8月や10月のライブは無事開催できるよう、皆さんも不要不急の外出の自粛を心がけていきましょう。
長々と失礼しました。それではまた次話にて。感想等お待ちしております。