星見が丘   作:茎わかめ

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今回小説版の流れを汲んでいる場面が出てきますが、世界線的にはアニメ・アプリ版でお願いします。矛盾があれば修正していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。


06. 薄明

 朝、薄らと霞む意識に飛び込んできたのは節々の軋むような鈍痛と、網膜を貫く朝日だった。

 椅子に腰掛けたまま机に半身を伏せて眠ってしまっていたようで、朝日だと思っていたのはデスクライトの白すぎる灯だった。深い息を吐きながら起き上がると、パラパラと頬に着いていたであろう消しゴムのカスが落ちていく。ノートを下敷きに突っ伏していたらしい。

 

 消えかけの英文は、何を書こうとしていたのか秀星自身も理解に苦しむものだったし、こうなると昨夜に何をしていたのかも朧気だった。半ば宿酔(ふつかよい)のような気色で(無論その経験なんてないが)自室から階下へ身体を引き摺ると、リビングの空気は重苦しかった。渋面を作る母の手には、一枚のA4サイズのプリント。

 

「あー……」

 

 出しあぐねていたそれがいつ目に触れたのかなんてものは秀星には分からなかったが、一つだけ分かることがあるとすれば。それは今から落ちる雷の大きさぐらいだろう。

 全く、バカらしい話だった。

 

 

 

「どうした、そのガーゼ?」

「あぁ、カミナリが落ちたんだよ。頭に」

「なんだそれ」

 

 からからと笑う田中がどう解釈したのかは秀星の知るところではない。ただひた隠しにする訳でもないが、わざわざ吹聴することではないのは確かだ。そんな理由で茶を濁した今朝の一幕は、田中もさして気にしていないようで追求を免れる。いやスマートフォンで天気を確認している辺り、案外気にしているのかもしれないが。

 少し前髪から覗いていた額のガーゼを見えないようにと位置を少しだけずらす。瞬間痛みが走って、小さく歪んだ表情をそのまま噛み潰した。

 

「そう言えば」

「うん?」

 

 スマートフォンの画面を見たままの田中が、信号待ちでやおら話題を振る。

 

「秀さ、ガールズバンドって興味ないか?」

「……」

 

 その話題というのが妙に近頃の自分の体験と合致していたから、色々な思考が脳裏を過ぎって秀星は黙り込む。

 ライブに来て欲しいと言った香澄の表情、蔵での演奏、あの日の丘と少女……。

 

「……んー、どうかな。知ってはいるけどって感じ」

「なるほどな。詳しくはないと」

「まぁ。……で、何でいきなり?」

 

 不意に湧き出た無為な思考を何処ぞへと押し込んで、田中の意図を尋ねた。すると田中は得意気な顔をして二枚の紙切れを秀星に見せつけた。ライブのチケットらしい。

 

「ライブハウスでバイトやってる友達のツテで貰ってさ。行かね?」

「ホント唐突だな。田中、ガールズバンド好きだったっけ」

「いや、俺もその友達から見せられてハマっちゃってさ。マジでおすすめ」

 

 言いながら青信号を渡る級友を横目で捉まえつつ、秀星の目には彼の肩から提がるエナメルバッグが映った。

 

「お前、部活はいいの?」

 

 ふと、そんな疑問が口を衝いて出る。

 投げ掛けられた田中は、きまりの悪そうな笑いを貼り付けた。

 

「まぁ、ほら、言ったじゃんか。そこまでガチじゃないって」

 

 俺にはこれがあるのだと豪語した手前若干の気まずさを覚えているのかもしれない。ただそこに触れるつもりもそんな資格もないことは、秀星自身が一番よく知っていた。諦観とそこからの逃避という点で見れば、まだ本気でなくとも好きなものや打ち込むものがあると言える彼の方が自分よりも余程マシだろうとも思った。

 ──少なくとも、こんな俺よりは。

 

「あー、そっか」

「……で、どうするよ?」

 

 気を取り直すように再度問い掛ける田中に秀星は逡巡するけれど、蹴る気にもなれずに「じゃあ行くかな」と頷く。

 

「お、いいねぇ。じゃあ決まりな!」

 

 渋るようだった友人の快諾に田中が喜色を顕にしたところで、信号が切り替わる。何処其処のバンドのレベルが高いだの可愛いだのと話し始めた田中の横を歩きながらも、秀星の内心は上の空だった。ビル群のカーテンウォールに反射する陽光に目を細めながら、その光を浴びて目を覚ましたような記憶に、蓋をしようとするので精一杯だった。

 

 

 

 *

 

 

 

 もう何年も前の話だ。

 その日は、晴れた空を染める夕影が落ちる街並みが何とも印象的だったのを秀星は鮮明に覚えている。子供心に感興を唆られたのか、普段は通らない道に行ったことも。

 偶然行き着いた河原で、小さく歌う女の子を見つけたことも。

 

「〜♪」

 

 流れる水の音に紛れるような声量でも、確かに秀星の耳には聞こえてきた。

 弾むような楽しいメロディが。コロコロと快く踊るようなリズムが。思わず惚けてしまうような綺麗な声が。そのどれもが、今まで聴いてきたどんな音楽よりも、秀星を高揚させていた。

 川の水流や烏の鳴き声に乗るみたいに続いていた歌は、いつの間にか終わってしまっていたらしい。川辺を見つめ歌っていた女の子が、秀星の方を向いて……。

 

「っ!?」

 

 ぱっと大きな目を更に見開く。たった今秀星の存在に気が付いたのだろう。幽霊でも発見したみたいな驚嘆を顕に彼女は後ずさる。砂利と靴底の擦れる音が派手に響いて、秀星の方もその大仰な反応に少し驚く。

 それでも感動が上回り、初対面の体裁も無意識にかなぐり捨てて目の前の女の子に声を掛けた。

 

「なぁ、今の歌──」

「き、聞かないでっ!」

 

 すごく良かった。いい声。なんていう歌なの? 

 そんな称賛の言葉や質問も口から出る前に、弾くような拒絶に引っ込んでしまう。さっきまでの淑やかな歌声とは一転、明らかに動揺した女の子の声は裏返っていたし、そのまま秀星とは反対方向へと逃げ出していった。

 

「ちょ、待って!」

 

 そんな彼女を放ってはおけない──なんて義侠に駆られた訳ではない。単純に気になったから、秀星は女の子を追いかける。キラキラと眩い程に綺麗で楽しい、そんな彼女の歌が気になったから。

 

 

 

 女の子──戸山香澄は、泣きそうな気色をどうにか抑え込みながら、未だに後ろをついてくる少年を振り切ろうと必死だった。

 まただ。また、私の歌をバカにする男の子が来たんだ──

 

 香澄は歌うことが好きだ。いや、好きだったと言うべきか……。ふっと頭に浮かんだフレーズを即興のメロディやリズムに乗せて歌うことが、楽しくて心地良くて仕方がなかった。そんな香澄のお気に入りの誰もいないワンマンライブ会場が、この河原だったのだ。

 そう、同級生の男子たちが現れて香澄をバカにするまでは。最初の頃はそれでも耐えてみせた。河原でカラオケ──カワカラなんて揶揄されても、歌を面白おかしく真似されても。

 だけど、そんな日が延々と続く内に香澄はとうとう耐えきれなくなったのだ。

 

 ──ちょっと男子、バカにして真似とかするのやめなよ! 

 ──はぁ? バカになんてしてねーよ、リスペクトしてんの! 

 

 泣き出し顔を伏せた本人を置き去りにしての口論。そこに先生までやってきて学級会が開かれて……もう散々だと香澄は思った。大嫌いだと思った。クラスの男子たちも。そして、歌うことも。

 

 けれどそう蓋をした心からはみ出るものがあるのも事実で、押し込めきれずにまたこの河原に来てしまったのだ。たったひと月ぶりだと言うのに、郷愁にも近い気色を感じながら。

 眼前を流れる水に煌く夕陽の緋色。真っ赤な空に鳴くカラスの群れや、かかる紺桔梗のカーテン。そんなものを眺めている内に、ふと口ずさみそうになる。頭にふわふわと過ぎるメロディを。

 

(っ。だめだめ!)

 

 瞬間、我に帰って戒める。なんでこんなことになったのか、もう分かってるでしょ──と。

 そんなことを言い聞かせると、香澄はこの川底に沈んだような気分になるのを感じた。こんなにも眩しくて綺麗な景色の中にいるのに、気持ちは真っ暗だと。

 

「……」

 

 口が金魚みたいにぱくぱくと動きそうになる。そこから発せられる詞は空を切っても、気持ちの方はどうにもならなかった。

 小さい声なら。ちょっとだけなら。そんな一寸を重ねて、誰に対するものかなんて不明瞭な免罪符を以て、香澄は小さく歌を歌った。

 

「〜♪」

 

 思うままに、感じたことを。音に乗せて、そのまま頬を撫でる風にも乗せて。

 久々に、香澄は楽しいと感じることができた。久しく昔に焼き付いた星の鼓動と同じ、キラキラドキドキが胸の内に灯る。

 

 でも、物足りない。もっと大きな声で高らかに歌うのが歌だ、音楽だ。

 かと言って、同じ轍を踏むのなんて香澄はゴメンだった。だから、今日はもうここまでにしよう。そう思って後ろを振り向いたところで──

 

 ──知らない少年が立っていることに初めて気が付いた。

 

 

 

 私のバカ! と心の中で叫んでも、口から漏れるのは荒い息だけ。兎に角追いかけてくる彼を振り切ろうと必死だった。

 また何か言われる。それが何かは知らないけれど、バカにして嗤われることだけは知っている。

 

 それだけは本当に嫌だった。もう一度でも否定されたら、二度と立ち上がれない気がした。

 だから背を向けて走る。いつまで追いかけてくるのだろうと辟易しながらも、必死に縺れそうな足を動かして。

 

「はぁ、はっ……、待てって!」

 

 嫌だ、聞きたくない。聞かれたくない。

 河原を離れ、橋を渡り、坂を登って。

 もう限界だとぎゅっと目を瞑った香澄の耳に飛び込んできたのは。

 

 

 

「さっきの歌っ! めっっちゃ良かった!!」

 

「……ぇ」

 

 

 

 予想だにしない、香澄を褒める純な言葉だった。

 固く閉じていた目を驚きに開く。空隙を突かれた足は急停止して、香澄はそのまま蹴躓いた。

 

「きゃっ!?」

 

 土埃を上げながら膝を擦り、熱い感覚が膝頭を覆う。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 座り込んだ香澄の正面に周って、少年──秀星は手を伸ばした。

 伸ばされたそれに少々の逡巡を挟んで、でも今の言葉と、自分を見るその目は。

 

「う、うん……」

 

 掴んでもいいのだと、おずおずと指先を控え目に秀星の掌に乗せた。瞬間手を握られてグイッと引っ張られる。それと同時に、先の暗い水底からも引っ張りあげられたような気がした。その力強さを借りて立ち上がると、当たり前だが初めて真正面から目の前の少年を香澄は見つめた。

 背丈は自分を同じくらいか、少し大きい程度。香澄をバカにしていた同級生のガキ大将に比べたら随分と小柄だったけど、長めの前髪から覗く瞳は強い光を宿しているように見えた。

 

「あ、あの……」

 

 そんな爛々とした相貌が真っ直ぐに自分を見据えていて、戸惑いを覚える。

 香澄の当惑したような呼び掛けに、秀星は秀星で当初の用件を思い出した。

 

「いつもあそこで歌ってんの?」

「まぁ、そう……かな」

「へぇ。あ、さっきの誰の歌?」

「えっ、と。私のオリジナルで……」

「まじか。凄いな!」

「……」

 

 秀星は素直な感嘆を口にする。

 少し前までの自分なら、手放しで喜べたのだろう。彼の言葉に、湿った言葉がポツリと漏れた。

 

「……凄くなんてないよ」

「みんな、私のことバカにしたんだよ。面白がって真似されたり。もう歌うの、辞めようかなって」

「そんなのだから、凄くなんて……」

 

 辺りは陽が沈み、もう薄暗くなっている。今になって擦り剥いた膝がじわりと痛み出して、俯いた視線に赤い色が滲んだ。知らない男の子にこんなことを言っている自分が、香澄は惨めで仕方なかった。

 そんな香澄をじっと見つめて、秀星は呟いた。

 

「でも、俺はすごく好きなのに」

「──」

 

 呆気にとられる。

 秀星としては思ったことを口にしただけで、香澄にもそれが嘘なんかではないことは判った。だからこそ、香澄は驚きを隠せなかったのだ。こんなことを言うのは、目の前の男の子が初めてだったから。

 固まっていると、秀星は蹲み込んで香澄の膝にハンカチを巻き始めた。

 

「君も、歌うの好きなんだろ? 上手だったし」

「え、……うん」

 

 不器用に結びながらも、首肯した香澄にハッキリと言う。

 

「なら、それで充分じゃん」

「他のヤツがどう思うかなんて関係ねぇし、誰も反対する権利とかもない……から、俺は君の歌が好きだし凄いって思う」

 

「それでこんな逃げてたのな」と、この逃亡劇に漸く納得のいった秀星だった。

 

「でも……」

 

 温かいものが込み上げてくる。けれど、香澄はこれまでの失意も苦悩も捨て切れずにいた。

 そんな香澄の未だ晴れきらない表情に、秀星は一つ提案をした。

 

「じゃあさ、俺も何かやるよ」

「え?」

「何かやりたいこと見つけてさ、それでテッペン取る!」

 

 不格好な結び目を完成させて、秀星はその姿勢のまま俯いている香澄を見上げる。アメシストみたいな瞳が、じっと自分を見つめいていた。

 

「だから、君も歌とか、好きなこと辞めないで続けてさ。それで……」

「……それ、キミが得してるだけじゃ……」

「えっ、あれ? そう、か……? ……そうじゃん」

 

 何の交換条件にもなっていないと言外に伝える香澄に言いくるめられる秀星。そんな彼の姿に、香澄は本当に久々に笑みが溢れる。

 

 何と言えばいいかと頭を捻らせている彼を前に、小さく、小さく歌った。

 ──ありがとうと。

 

「……! うん。やっぱり、めっちゃ良いや」

 

 短いその歌を聞き終えて、その声に破顔した秀星は立ち上がる。

 

「てか、もう暗くなってんな。結構遠くまで来ちゃってたか……」

 

 言いながら、暗くなってしまった空を見上げる。見上げて、広がる景色に言葉を失う。

 そこには満天の星空が広がっていた。

 

「綺麗……」

 

 ほうと見惚れたように呟く香澄。

 追いかけて追いかけられて、来てしまっていた小高い丘の上。

 

 その時香澄の脳裏に過ったのは、幼い頃の記憶。焼き付いて離れない輝き。

 今もそれを感じて、きっと並んで星を見ている彼ならば聞いてくれるだろうと、香澄は口を開いた。

 

 そんな彼女の眩い表情は、星よりも何よりも、秀星の目を奪っていた。

 

 

 

「ねぇ、星の鼓動って知ってる──?」

 

 

 




前書きでも言いましたように何か矛盾があればご指摘の方を、そうでなければ是非感想等いただければなと思います。
それではまた次回に。
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