鋼鉄の彼女から流れ出る血潮は、百合の花へと注がれる。   作:山並

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抱きしめたい

 一体、どれほどの人間に裏切られただろう。

 一体、どれほどの人間を裏切ったのだろう。

 一体、どれほどの人間を……

 

 

 波留は退院し、自宅に戻った。

 彼女の怪我はまだ完治していないが、彼女のようなただの作業員がいつまでも職場を空けてはいられない。

 

 渚は波留に養われることは拒否した。

 しかし、結局彼女は会いに行ったのだ。会うだけで死んでしまうかもしれないということを承知で、ただ会いたいから会ったのだ。

 

 それは彼女にとって久しぶりの行為だった。

 なにしろ人と関わればことごとく死んでしまうのだから、もし会いたい人間が居たとしたらそれはもう死んでいるのが普通なのだから。

 

 一体、どれほどの人間を殺したのだろう。

 

 彼女は罪悪感にさいなまれていた。

 会ってはいけなかった。

 きっと今回も死ぬんだ。

 

 そう思いながらも、彼女の足は波留の家に向かっていた。

 波留は、渚に断られた後にメモを彼女に渡していた。住所と電話番号を書いたメモを。

 

 

 

「んー。に、してもなにがダメだったんだろ。たぶん、あの子もわたしのこと好きなのに。」

 

 波留は自分の部屋で、ヤニの染みついた白壁に向かって独りごちた。

 

 彼女の部屋は簡素で、汚い。

 築うん十年の木造アパートの一階に部屋を取る彼女は、一人暮らしのために最低限の家電を買うだけで精一杯で、部屋の中は殺風景だ。

 

 前の住人が置いていったちゃぶ台の上には、彼女が事故にあう前に置いていった灰皿代わりのビール缶、ゴミ箱代わりのレジ袋が散乱し、床も同様だ。

 

「考えてもしかたないか。」

 

 あの子が家に来るってなったら片付けたんだろうな、と波留は部屋の散らかり具合を見て溜息をつく。

 考えても仕方のないことはそれでも頭に浮かんでくる。

 

 慣れた動作でポケットをまさぐりアメスピの箱を探すが、それはトラックに引かれて地面に落としてきたようだ。まさか病室で吸うわけにもいかなかったから、すっかり頭から抜け落ちていた。

 

 喫煙癖もあそこに置いてこればよかったな。

 これもまた遺伝子か、環境のせいかもしれないけど、どうにもやめられない。

 一体、どれほどのタバコを吸ってきたのだろう。

 

 とりとめない考えと軽い苛立ちは悩みを端に追いやって、彼女を立ち上がらせる。

 

「買いにいかなきゃ。」

 

 色々なものに支配されている気がして彼女は自分を軽蔑しかけたが、やめた。そんなことをしても禁煙ができるわけじゃない。

 彼女はポケットの中の小銭を数えて、扉を開けた。

 

 

 感情を巡らせ、過去を思い返し、下町のごみごみとした空気を吸っている間に、渚はメモに書かれた住所にたどり着いていた。

 

 恋をしたために小ぎれいになっていた彼女は、いささか居心地の悪さを感じていた。

 自分の臭いで鼻がつぶれていたようで、それまではなんとも思っていなかった工場からの煙、どこかで事故が起こり風が運ぶ黒煙の臭いなどがいちいち彼女を刺激する。

 

 煙の臭いはだいぶ近いようだ。

 

 

 ぼん、と大きな爆発音がし、空気が揺れた。

 

 空気が焦げ臭くなり、周囲がざわめく。

 

 音のした方を見ると、木造のアパートだったらしいものに軽自動車がの残骸が押しつぶされている。

 

 木材は焦げ、自動車の残骸からは焼け焦げた腕がだらりと垂れ下がっている。

 

 彼女は愕然とした。

 

 だって、ここはあの人の住んでいるところだ。

 近くに他のアパートは見当たらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……し、死んじゃうって……」

 

 すすまみれ、血まみれでも彼女は生きていた。

 

 両足に木片が刺さってぐちゃぐちゃになった状態で、波留はがれきから這い出てきた。

 

 息も絶え絶え、苦しそうにしながらも彼女は生きていた。

 

「あ、渚ちゃん。……ちょーっと間が悪かったね。」

 

 かすれた声で渚に話しかけ、何事もなかったかのように立ち上がろうとするが、まるでうまくいかない。足が動かず、腕にも力が入っていない。

 

 渚がどんなことを言えばいいのか分からず、口をパクパクさせていると、やがて消防隊員と救急隊員が現れ、重症の波留を搬送していく。

 

「あ、ちょっと、そこの女の子知り合いだから一緒に連れてってあげて……」

 

 死にかけの状態にも関わらず饒舌な波留に救急隊員も驚き、しゃべらないように注意をしつつ要望に従って渚も一緒に来るように促した。

 

 彼女は少々躊躇したが、急かされ、諦めてついていった。

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思ったね、さすがに。」

 

 波留は再び病室に居た。

 白い壁、白い天井、白い包帯。

 

 渚のすすり泣く声。

 

「ねえ、そんなに泣かないでよ。わたし生きてるよ。」

 

 まだ痛むのか、ぎこちない動きの右手で波留は渚の頭をなでる。

 

「よかったよ、手は両方残ったんだから。」

 

 彼女は、ギプスで固められたもう片方の手を渚の頭の後ろに回し、胸の方に抱き寄せる。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を波留に押し付け、渚はなおも泣き続ける。謝罪の言葉を呟きながら。

 

 

「ねえ、わたし、退院したら渚ちゃんと暮らしたいんだけど、どうかな。やっぱりだめ?」

 

 

 

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